「赤い印をつけてる兵士から看ていけ。青い印の奴はうるさいが最後に回してかまわない」
壁内に戻ってすぐに負傷兵達を衛生室へと運ぶ。医務官たちが口々に赤い印と青い印のことを兵士に指示し、運び込まれる兵士の状態を一目で判断して、印を迅速につけていっていた。負傷兵を運ぶその作業に、無傷のリヴァイは手を貸していた。
自分が担ぐ兵士が「痛い痛いよぉ…。なんとかしてくれ、死んじまう」とさっきから悲鳴をあげているが、彼は青い印だ。衛生室の隅の白い布の上に寝かせてやり、「もう少し待て」と慰めておいた。なるほど、赤い印の者は重傷らしく、もう声をあげることもない。壁内の医務官達が優先的に彼らを看ている。
そこは、さながら壁内の戦場だった。
多くの負傷兵のなかに、アルバンの姿はなかった。彼の班員に聞けば、遺跡で女の死体にすがっているのを見たのが最後だという。
壁内に、戻ってはいないということだった。
門扉開放の鐘の音はまだとどろいている。最後尾はまだ門をくぐろうとしているところだろう。負傷兵を先頭に戻ってきた調査兵団を迎えたのは、いつも通りの住民の罵倒と侮蔑だった。衛生室がそなえられた門扉近くの建物を出れば、行軍のなかにエーミールの姿を見つけてリヴァイは彼の隣に馬をひいて並んだ。アルバンとよく二人でつるんでいた長髪の甘いマスクが、苦渋に歪められている。
「おい。エーミール」
彼は、暗く落ちくぼんだ光のない視線をちらりとリヴァイへ向けて、「ああ」と頷いた。
「アルバンが戻っていない」
「ああ……。あいつ、選んだんだろ。女と死ぬほうがいいって思ったんだ」
呟く視線は地面にこびりついて離れない。
「だから俺はいつも言ってたんだ。調査兵を女にするときは、はまりすぎるなって。そうでねぇと自分が死んじまうだろ……。生き残ってなんぼだろ。なあ、お前もそう思うだろ、リヴァイ」
「…………エーミール」
「怖えよ。死にたくねぇんだ。だから、女は必要なんだ。でも、本気になっちまったら、戦えねぇよ」
ほら、と少し自嘲気味に笑ったエーミールが肩を下ろした行軍の前をあごで指した。その視線の先に、茶髪の長い髪の女兵士がいた。彼女もボロボロになっているが、両足で歩いている。呆けてはいるが、「生きている方」だった。
「あいつ、俺の女なんだ。早く帰って、あいつの中にぶち込みてぇなぁ……。ああ、くそ。アルバンめ。俺は生きてるんだ。生き残ってやるんだ」
呟く男が、ぐりと顔をリヴァイに向けて、大きく見開いた目で縋るように問うてきた。
「なあ、リヴァイ。俺は間違ってるか?俺を軽蔑するか?仲間が死んでも泣けねぇ俺を。女の穴に突っ込むしか考えてねぇ俺を。なあ、お前、軽蔑できるか?」
エーミールの声は、前を歩く上官の叱咤で止められた。彼は事切れたように今度は黙ってうなだれたまま行軍に戻った。
門扉開放の鐘の音がシガンシナの街を震わせる。
誰にも歓迎されない英雄達は、まるで決まり事に従うように、顔を伏せて帰路を行軍する。
エーミールは、その一度前の行軍のとき、自分の女を見殺しにして生き残ったのだと言っていたのは、アルバンだった。リヴァイは女と死ぬことを選んだ男の顔を思いだして思った。
早くも、そのアルバンという名前の男の顔は、リヴァイの記憶のなかでかすみつつあった。
******
シガンシナの街に門扉開放の鐘が響き、調査兵団の帰還が告げられたとき、リザはいてもたってもいられずに、店から出て大通りへと走って行った。
朝方、仕事終わりにいつものように眠りにつこうとしたときに、その鐘の音を聞いたときは驚いたものである。二日前の晩、シシィのもとにあの目つきの悪い小男、レヴィが来ていたから。いつものように女の扱いを知らないような口の利き方で接してきて、いつものように「仕事だ」とうそぶきながらシシィをじいっと見つめていたから、その次の朝に彼が調査に出るなんて思いもよらなかったのだ。
シシィには言っていたのかもしれない。そのことを告げにきたのかもしれない。彼と顔を合わせれば口論ばかりのリザに、わざわざそんなことを言うはずないのかもしれない。
それでも、何も知らずにその鐘の音を聞いたときは、得たいの知れない怒りが彼女を襲った。
拗ねてそのまま布団の中にもぐりこんだものの、眠るに眠れず、昼過ぎに帰路の鐘を聞いたとたんに部屋から飛び出していた。
こんなときに、シシィはいない。
――だから他の仕事なんてするもんじゃないのよ。
シシィは売れっ子にもかかわらず、店に出るのは本当に限られた日数だけである。リザは詳しくは知らないが、他の場所で仕事をしているのだと店主のアリスから聞いていた。自分に好意を寄せる男や、自分が大事にしてる男の無事を見に行くこともできないなんて、私には耐えられない、とリザは走る。
ダグラスの碧眼と、レヴィの三白眼が脳裡をよぎる。
彼らが死ねば、誰より嘆くのはシシィのはずなのに。
「おい、今回もひどいなこりゃ」
「どのくらい減ってる?半分はいなくなってるんじゃないか」
大通りに抜ける裏道から、人混みの間をくぐりぬけ、行軍を見ようと最前列までなんとか身を乗り出して、リザはひ、と小さく悲鳴をあげた。
「お嬢さん、わざわざ見にくるもんじゃないよ」
隣の野次馬の女性が、リザに言った。
彼女が見たのは、血に塗れて、落ちくぼんだ顔をした兵士たちだった。自由の翼はしなだれ、どの兵士も伏せた顔に絶望を色濃くのせている。
どんな地獄を見ればそんな凄惨な顔になるのか。壁の中から出たことのないリザは知らない。甘く、優しいシガンシナの街に、リザの大好きな街に、死神の臭いがする。
――だから、調査兵団なんて嫌いなのよ。
思った矢先に、見慣れた黒髪を見つけて、リザは思わず名を呼んだ。
「レヴィ!」
生きている。両足で、歩きながら、しっかりと生きている。
胸に去来した安堵感に思わず綻んだが、名を呼ばれたはずの彼は、彼女をちらりと視界に認めて、少し目を見開いた後、何も言わずにそのまま立ち去った。
行軍は止まらない。
リザから目をそらしたレヴィは生きていた。自分の声にこたえなかったことは最早どうでもいい。それは彼らしいと思えばそうだ、と思い直して行軍の後ろを見遣って、
「……だ、ダグラス」
碧眼の男を見つけて、彼女は息をつめた。
彼は、シシィに見せるような甘い笑顔ではなく、厳しい顔をしたまま、それでも前を見据えて、隣にいる部下らしき女性兵士となにやら話していた。
その調査兵たちの姿を見て、
「…………どっか行っちまえ!!この英雄気取りの勘違い野郎!!!」
思いつく限りの罵倒を叫んで、彼らの顔を見ることなく、リザは元来た道を走って帰った。
泣きながら。彼女は、その行軍に裏切られたような思いを抱きながら、彼女の小さな世界に戻っていった。