それは愛にも似た、   作:pezo

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第九章 娼婦

 

 

「……シシィ、本当に店を辞めてしまうの?」

 

 

不安そうに見上げてきたリザの青い目に、シシィは困ったように笑いながら、妹のようにかわいがってきた彼女の髪を撫でた。

 

 

「ごめんなさい、リザ。あなたなら、きっとこのお店でうまくやっていけるわ。私がいなくても大丈夫」

 

「私、あなたのこと好きなのよ」

 

 

胸の中に飛び込んできた可愛い少女を、シシィは迷わず抱きしめた。彼女たち店の従業員が寝泊まりするその部屋は、店の二階にあった。屋根裏を改装した部屋は、少しほこりっぽいものの、シシィにとっては心安まる家のような存在である。

 

 

「私もよ、リザ」

 

「……きっと、私の好きと、シシィの好きは違う。あなた、何も分かってない」

 

「……そうかしら?」

 

 

リザの言う意味がわからず、シシィは首を傾げた。リザは思い詰めたような、今にも泣き出しそうな表情で、シシィの胸から離れようとしない。

 

 

「私、あなたのこと何も知らないわ。でもそれでも、あなたが大切なの。だからね、私」

 

 

リザの青い瞳が、暗い色のシシィの瞳をまっすぐにのぞき込んだ。そこに秘められた大きな熱量に気付き、シシィがは、と息をのんだとき。

 

 

不意に、大きな鐘の音が窓の外で響き渡った。不規則に打ち鳴らされる不気味なそれに、思わず二人は窓に視線をやる。

 

 

「何?何の音?」

 

 

夜も更けたこの時間に鐘がなるのは珍しい。シシィは立ち上がって、部屋の窓を開けた。

 

 

「おかしいわね。これは……門扉開放の鐘?それにしてもリズムが……」

 

 

そして、窓の外の光景に目を疑った。壁の近く。店からは距離のあるものの、シガンシナの街中にあるあの大きな影は。

 

 

「巨人!?」

 

 

驚いて振り返ったとき、階段を駆け上がってきた店主、アリスが部屋の扉を開けて顔を出した。

 

 

「リザ、シシィ!巨人が侵入してるらしいわ!早く、避難の準備をしなさい!」

 

「な、なんで?なんで、巨人なんて、うそ!?」

 

 

突然の事態に狼狽したリザをシシィは立ち上がらせて、アリスに預けたあと、状況を確認するために再度窓の外を見た。店から確認できるだけで、数体の影が確認できる。

 

 

言葉を失ったシシィは、視界の隅にちらりと光る影を見つけて、夜の街に目をこらした。

 

 

人が空を飛んでいる。兵士か、と思ったが、それは近づいてくるように見えた。

 

 

ガスの噴射音と、ワイヤーの巻き取り音が、はっきりと耳に届いた。それがこちらに向っ

ているということを悟って、慌てて振り返って叫んだ。

 

 

「ママ、リザ、伏せて!!」

 

 

その人影は、窓から室内へと大きな音を立てて侵入してきた。三人が、驚いて部屋の奥にうずくまるその影に目をやれば、それは大きな四角いバッグのような荷物をどかりと乱暴に床に下ろしながら、左足をさすってぼやいた。

 

 

「くっそ。まだ痛ぇな」

 

 

耳慣れたその声に、リザが叫んだ。

 

 

「レヴィ!?」

 

 

まるで無遠慮に部屋へ立体起動装置で転がり込んできたのは、調査兵団の兵服に身を包んだリヴァイであった。彼は、脇に抱えた布袋を、床に下ろした四角い大型のバッグの上に置き、室内を見回しシシィを見つけて、彼女の名前を呼んだ。

 

 

「おい、シグリ」

 

 

 

彼はいつもの調子で、

 

 

「いや、マリか。それともシシィでいいのか。面倒臭ぇなお前は」

 

 

「え、り、レヴィ。何を」

 

 

シグリと呼ばれたシシィは狼狽して言葉を失う。いつもの黒いドレスを身にまとい、薄く化粧をした長い栗色の髪の女を見て、リヴァイは状況を報告した。

 

 

何者かが門扉に侵入。駐屯兵の目を盗んで門扉を開放。門扉に配置されていた駐屯兵はわずか三名。そのうち一名は侵入者によって昏倒させられており、残りの二名は深酒によりその異常に気付かなかったという。彼らが目を覚まして事態に気付いたときは、既に数体の巨人が侵入していた。

 

 

 

調査兵団に連絡がまわってきたときは既に巨人侵入からかなりの時間が経っていた。被害状況、駐屯兵の状況など、現時点では不明。調査兵団もまた、緊急時の体勢になかったので、出動が遅れている。

 

 

「各々、出れる人間から出動しているクソみてぇな状況だ。何より討伐と住民の避難が優先事項だ。時間がねぇ。急いで来い」

 

「いや、私は、」

 

「ご託はいい。それとも命令が必要か?エルヴィンは外出中だからな、俺が命令してやる」

 

 

リヴァイは早口でまくしたてる。対する三人は完全に絶句してしまっていた。黙ったままのシシィのドレスをつかみ、リヴァイは座り込んだ彼女を乱暴に立たせた。

 

 

「ちょ、レヴィ、やめ、」

 

 

「いいかシグリ!!よく聞け!!お前が調査兵団にいた理由はなんだ!?自分の夢やエルヴィンの指示だけが理由か!?そうじゃないだろう??!お前は何だ!?兵士は、誰のために存在するんだ!!?」

 

 

「やめて!レヴィ!」

 

 

締め上げられたシシィが哀れにも叫び声をあげたが、かえってそれはリヴァイの怒りの琴線に触れたらしい。凶悪な表情に顔を歪め、つかみあげた彼女をそのまま窓の外へと押し出した。

 

 

上半身を窓の外へと出された彼女は、なんとか踏ん張ろうとするも、リヴァイが容赦なく押し倒したため、床から足が離れてしまう。

 

 

リヴァイが彼女の胸ぐらをはなせば、あっけなく二階から落下するであろう体勢に、部屋の中のリザが叫んだが、それを店主のアリスが止めた。

 

 

「ちょ、と!やめて!!」

 

 

「放してやろうか」

 

 

視界が反転して、シガンシナの街が彼女の視界に入った。遠くに巨人の影が見える。まだ、調査兵は到着していないのか、と頭の隅で思ったときに、リヴァイの冷たい声が降ってきた。

 

 

「シグリ。お前がその名前を否定するなら、ここで放してやろう。晴れてお前は頭から真っ逆さまだ。それがいやなら、今すぐ準備をして出動しろ」

 

 

歯を食いしばりながら、シシィがなんとか頭を持ち上げて彼を見遣れば、男はまるで人を殺してきたような鋭い三白眼を細めて、彼女に迫った。

 

 

「俺は優しいらしいからな。お前に選ばせてやる。どっちだ!!?ここで死ぬか!?それとも、巨人に食われて死ぬか、どっちだ!!!?」

 

 

怒鳴り声に、シシィはそれでも躊躇った。視界の隅に、巨人はまだ蠢いている。

 

 

「で、でも、」

 

 

「時間がない!今すぐ選べ!!」

 

 

さらに下半身の大半も窓からおしやられて、身体を一気に浮遊感が襲う。落ちる、と思った瞬間に、彼女は「準備する!1分で向うから先に行け!」と叫んでいた。

 

 

その返事が部屋のなかに響いた次の瞬間に、リヴァイは乱暴に彼女を室内へと投げ入れた。ようやく開放されたシシィは身体を起しながら、咳き込む。その姿にリヴァイは冷たく視線をやり、ブーツの踵を鳴らしながら彼女の傍にしゃがみこんで、再び襟元をつかみ上げた。

 

リザが近くで悲鳴に近い声を上げるのが聞こえたが、つかみ上げられている本人は、動じずに強い光を宿した大きな瞳で彼を睨み上げていた。娼婦らしからぬ噛みつかんばかりの瞳だった。

 

それでこそだ、とリヴァイは少し口角をあげる。そして、男はその女の唇に、ひとつ唇を落とした。

 

 

ほんの一瞬、まるで思いやりのカケラもない、噛みつくようなキス。

 

 

意表を突かれた驚きにシシィは眼を丸めて抵抗したが、小柄な割に男の力は強く、びくともしない。まるで何分も経ったような、しかしほんの数秒のような口づけ。その最後に、からかうように唇を舌でなめ上げられてシシィが身体を震わせれば、リヴァイは満足したように顔を離した。

 

 

「汚えな」

 

 

己の唇についた赤い紅を乱暴にぬぐいながら、男はまるでつまらなさそうに言う。シシィは意味が分からず、口をあんぐりと開け放して固まってしまった。「汚いならするな」と冷静な理性が頭の隅で言っていたが、言葉にならなかった。

 

 

「唇へのキスは「愛情」だったか?はっ、馬鹿みてぇだな。勘違いするんじゃねえぞ。これはお前のウソに付合い続けてきた駄賃だ」

 

 

ぬぐった手の甲をさらにハンカチでふいて、極めつけにはツバまで部屋の中にはき出すものだから、シシィは怒りを通り越して呆れまでその男に覚える。何のつもりか、と問い返そうとすると、男は再度言った。

 

 

「30秒だ。さっさと準備して合流しろ」

 

 

あ、と思った瞬間には、彼は右足を窓の桟にかけて、あっという間に外へと飛び出していった。シシィが窓へと追いかけてみたときには、兵団随一の速さを誇る男の立体機動は、遥か遠く、街の上を飛んでいた。

 

 

「シ、シシィ……」

 

 

嵐のような男の来訪の後、静けさが戻った部屋の中で、リザが声をかけたときには、シシィは振り返ってドレスを脱ぎだしていた。リヴァイが置いていった布袋のなかの兵団のシャツとスラックスを取出し、すぐさま身につけ、立体機動のベルトを取出した。

 

ベルトをつけていく間に、さらりと頬の上に落ちた長い髪に、思いだしたように彼女はその髪を全て放り出した。

 

「シシィ!」

 

ベッドの上へ投げ出された栗色の長い髪のかつらに、リザはもう泣きそうになっている。しかし彼女はそんな妹分には目もくれず、短い黒髪を少し整えた後、下半身のベルトも素早く身につけていく。

 

 

「シシィ。装置は私がつけるわ」

 

ベルトの調整をしていると、アリスがリヴァイの置いていった大型のバッグの中から立体機動装置を取出していた。腰のベルトを整えて、シシィは無言で頷く。元調査兵のアリスは、手慣れた素早さでガスを噴出する装置を彼女の腰の後ろにつけてやる。

 

全ての準備が整うまで、ほんの一瞬の時間だった。かちかちと装置のトリガーの調整をした彼女は、シャツにスラックス、そして普段の靴という軽装でそのまま窓へと向う。

 

外へ出ようと見遣れば、僅かに雨が降り出していた。最初の鐘の音から、出動にはかなり時間が経っている。それでも行くと決めた彼女は一度振り返って、リザとアリスを見て頷いた。

 

「シシィ!行かないで!!」

 

一瞬、妹分の叫びが耳に届いたが、シシィは構わずアンカーを射出して雨の中へと飛び出していた。

 

 

 

荒らされた室内には、今度こそ静寂が戻る。その静けさの中、嗚咽をこぼしながら崩れ落ちた少女の肩をアリスは支える。そっと両肩を抱きしめて、「シシィのこと、隠していてごめんなさい」と謝れば、リザは首を横に振って泣き叫んだ。

 

 

「知ってたわよ!ダグラスの横で並んでたもの!!血まみれで凱旋してたの見たもの!!どんな格好でも、見間違えるはずないじゃない!!!」

 

 

大きな涙が床を塗らす。シシィが出て行った窓は、既にもう誰もいない。

 

 

「調査兵なんか大嫌い……!勘違い野郎め……!!」

 

 

「リザ?」

 

 

「大嫌いよ!!英雄気取りの勘違い野郎!!!!」

 

 

 

大声で叫んで、まるで子供のように嗚咽をもらすリザを、アリスは我が子にするようにそっと抱きしめた。もう一人の子供が出て行った、窓の外を見ながら。

 

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