それは愛にも似た、   作:pezo

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第十章 収束 ニ

 

 

50メートルもの壁の上で、薔薇と翼を背負った兵士たちが駆けている。

 

負傷兵は既に搬送され、薔薇の兵士たちが街の被害状況を報告し合い、翼の兵士たちは周囲を警戒しながら薔薇の補佐に回っていた。

 

 

遥か外界の向こうの地平線から、太陽がゆっくりと顔を出している。神々しいばかりの暖かな日差しが、ゆっくりと夜を染め上げていく様子を見ながら、シグリはメモをする手を止めた。

 

 

 

シガンシナ区への巨人の侵入は、住民への被害もなく無事に収束を迎えた。駐屯兵十数名が負傷、二名が行方不明となっていたが、調査兵の被害はなく、巨人十数体の侵入という100年ぶりの危機にしては、人的損耗は少なかったと言える。

 

門扉付近の兵団施設と民家に物的な損傷があったものの、その被害の少なさは人類の快挙とも言えた。

 

 

それは、多くの巨人の動きが鈍く、雲が空を覆い隠してからは、完全に動きを停止してしまったことが要因であると思われた。

 

 

おそらくは、異様に明るい夜のせいで、夜には活動を停止するはずの巨人が動いたのであろうと。そう、結論づけられた。

 

 

 

いくら明るいとは言え、夜の闇で動いた巨人の謎は、一旦保留とされた。

 

 

 

「シグリ副官。立体機動装置を」

 

 

壁の上に座してぼんやりと外界を見つめていたシグリに声をかけたのは、甘いマスクとブロンドの長い髪の色男、エーミールであった。

 

 

「あぁ……」

 

 

立ち上がり、飛ぶための翼をひとつずつ切り離していく。

 

 

「エーミール、私はもう副官ではないから、そうかしこまらなくていいよ」

 

 

「あ、いや、申し訳ございません……」

 

 

装置を全て下ろし、立体機動のベルトもひとつずつ外していくシグリに、その元部下の男は少し驚いたように目を見開いて彼女をまじまじと見つめた。その様子に、シグリは首を傾げる。

 

 

「いえ!まさか、シグリ副官に、いえ、シグリさんに俺の名前を覚えて頂いていると思わなくて……」

 

 

今度はシグリが目を丸める番だった。その表情にエーミールは失言であったと背筋を正して謝罪した。

 

 

「同じ分隊だったでしょ。確かに一緒に仕事をしたことはなかったけど」

 

 

「光栄です」

 

 

全てのベルトを外し終えたシグリが、それをエーミールに手渡しながら、屈託無く笑った。

 

 

「エルヴィンが覚えてるからね。副官が覚えてないわけにはいかなかったからさ」

 

 

 

エルヴィンの名前を口にした時、彼女は妙に嬉しそうな、それでいて少しだけ悲しそうに微笑んだ。その表情にエーミールが口を開きかけたとき、彼女の名を男の抑揚の少ない声が呼んだ。

 

 

「シグリ」

 

 

鋭い三白眼の男、リヴァイである。エーミールより頭ひとつ分小さなその男は、左足の怪我をかばってか、いつもより少しゆっくりと歩み寄ってきた。

 

黒髪の女はその姿をちらりと見て、さらにその男の背後にも目配せした後、エーミールに笑いかけた。

 

 

「エーミール。アルバンのこと、すまなかった」

 

 

「え?」

 

 

アルバン。

 

それは、先の壁外調査で恋人の死体と共に巨人の領域に残った兵士のことである。戻らなかったその兵士は、エーミールの同期であり、そして彼にとって唯一生き残っていた故郷の友人であった。そのことをシグリが知ったのは、アルバンの死亡報告のために彼の故郷へ行ったときだった。

 

 

エーミールが何か言おうとして口を開いたが、シグリは彼から逃れるようにリヴァイのもとへと向かった。

 

 

 

ーー立体機動装置はエーミールへ、調査兵団へと返した。

 

 

 

ーー元部下への自己満足的な謝罪も終えた。

 

 

 

シグリはリヴァイの瞳を見つめながら、彼の傍で立ち止まった。灰色の瞳が朝焼けの光を反射させて、熱を宿している。

 

 

常に冷静を装っているその男が、存外激情家であると、シグリはこの夜に初めて知った。数ヶ月同じ研究室で共にありながら、いかに自分が彼のことを見ようとしていなかったのかを彼女は思い知らされたのだ。

 

 

 

ーーもう少し、仲良くなれたら良かった。

 

 

 

視線をシグリに据えて、一切逸らさないリヴァイに苦笑しながら、シグリは懐から先ほど書きあげたばかりのメモを取り出して、彼に手渡した。

 

 

 

「……何だ」

 

 

「解毒剤の作り方」

 

 

 

手足に痺れがあるんだろう?とシグリが問えば、リヴァイはまだ少しだけだ、と無愛想に返した。

 

 

ラング商会からリヴァイの翼を手折るために仕入れた毒を、シグリは彼に盛っていた。それをエルヴィンを守るためだと彼女は疑わなかった。

 

 

だがどうだ、と彼女は自身に問い返す。

 

 

ある夜。ハンジに「英雄であれ」と要求された彼は、迷わずその役を請け負った。

 

 

金色の男に連れられてきた獰猛な獣は、いつしか翼を得てその誇りのもとで羽ばたいていた。

 

 

彼は、真に調査兵の一員として飛んでいたのだ。

 

 

それを、シグリが手折っていい理由はどこにもなかった。

 

 

ーー私の方が、調査兵失格だな。

 

 

 

自嘲して、シグリはその実直で情け深い男にも笑いかけた。

 

 

「どういう意図で毒だと分かってて摂取してたのか知らないけど、解毒剤を飲めばその痺れもすぐ治るよ。飲まなくても治るけど……、さっきみたいにいざという時、刃が握れなくなるのは困るだろ?」

 

 

「……お前の嘘に付き合った駄賃はもらったはずだが」

 

 

噛み付くような口づけを思い出して、今度こそシグリは笑った。

 

 

「あんなのじゃ足りないでしょ。この代償は大きい。兵団にとってもね」

 

 

リヴァイの手を無造作に握り締めれば、痺れがあるのか、彼は顔を歪める。それでも手を振り払おうとしないリヴァイに、シグリは「ありがとう」と声をかけて、彼の後ろにいる人間の元へとゆっくりと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

地平線の向こうから、光の塊が大きく顔を出している。

 

 

すっかり夜の雰囲気は朝焼けに照らされて、少しずつシガンシナの雑多な家屋群が色を取り戻していく。

 

 

金色の髪を惜しげなく陽光に輝かせながら、エルヴィン・スミスはシグリが自分のもとへと歩いて来るのを待っていた。

 

彼女はエーミール、リヴァイとそれぞれに会話を済ませた後、穏やかな表情でエルヴィンのもとへと、ゆっくりと歩いてきた。

 

眩しそうに黒曜石のような瞳を細めて、女は彼に微笑んだ。その微笑みにも、彼は鉄壁のように無を崩さない。

 

 

「迷惑をかけます」

 

 

ひとつ、たおやかに言って、彼女は自らその細い両手を彼に差し出した。

 

 

「いや。よく戻ってきてくれた。……君に……敬意を」

 

 

言って、男は枷を課した。

 

 

硬質な金属音が響き、罪人用の鉄枷が彼女の両手首を拘束した。

 

 

「エルヴィン!お前、何故!?」

 

 

「分隊長?!」

 

 

彼女の背後でリヴァイとエーミールがその処置に気付き声を上げたが、彼女はそれが耳に入っていないのか、エルヴィンの青い瞳を見据えて穏やかに微笑むだけだった。

 

 

エルヴィンへと鬼の形相で近づいてきたリヴァイは、横から猛烈な勢いで割って入ったハンジに止められる。

 

 

「あなたが彼女に立体機動装置を貸したんだろう!?民間人の装置の使用は犯罪行為だと知らないわけじゃないだろ!?」

 

 

「離せ!ハンジ!!」

 

 

シグリは、ゆっくりと冷たい枷をはめた両手を下に下ろした。金属音が、朝の風の音色に混じって、やけに響いてエルヴィンの耳に届いた。

 

 

「……いいのか」

 

 

シグリへの処置に怒るリヴァイを振り返りもしない女に、エルヴィンが小さく問えば、彼女は首を縦に振って応えた。

 

 

「リヴァイ!!これが!……これが彼女のために一番最善の道なんだ!わかるだろ?」

 

 

ハンジの声に、リヴァイはようやく歩みを止めた。体を呈してリヴァイに立ちふさがっていたハンジが、安心したようにため息をついたのを確認して、エルヴィンは部下に命令した。

 

 

 

 

「シグリ・アーレントを地下牢へ。今回の門扉解放の犯人であるラング商会への密告容疑のため、審議にかける」

 

 

 

 

冷く硬い罪人の鈍色の枷が、朝焼けに反射して僅かに輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

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