ひどい酒だ、とリヴァイは独りごちた。
味の話ではない。場所の話である。
「お兄さんも「人類」のために戦ってるの?誰も頼んでいないのにすごいですよね」
甲高い女の声が左耳を打って、リヴァイは舌打ちをするのをこらえるために、酒に口をつけた。
エルヴィンに連れてこられたその店内は、落ち着いた雰囲気で、重厚な革張りのソファが心地よかった。従業員だという男が店の奥で密やかなピアノの音色を奏でていて、音色にあわせて店中の橙色のランプの灯がゆらめく様子は、リヴァイですらも心地よさを感じた。
女の抑えた笑い声と、男の誘う声が、店内でむつまじく囁かれる様子を見るに、そこはかなり格式の高い店のようであった。客につく女たちも、地下街にいた娼婦や、シガンシナの酒場で見かける給仕達と比べると、上品な雰囲気をもつ美人ばかりであった。実際、使用している男性陣はどれもこれも高そうなスーツに身を包んでいる。
「ねえ、お兄さん、お酒のおかわりはどう?」
「…………頼む」
だが、それとこれとは違うだろう、と彼は思う。
自分の隣に座した女をちらりと横目で盗み見れば、確かに見目はかなり良い女である。まだ少し幼さの残る頬の丸みに、長くてゆったりとしたブロンドの髪をたらしている様子は、男好きのする愛らしさがある。大きな胸を強調するようにくつろげられたドレスは、下品さはなく、彼女の白い陶器のような肌を魅力的に演出していた。
が、それとこれとは違うだろう、と再度彼は頭を抱えた。
「ねえ、壁の外ってどんなところなの?きっと良いところじゃないんでしょうね。地獄みたいな場所なんだわ」
先ほどから、彼女はその幼さの残る口をまわしながら、そんなことを述べ続けている。壁の外の地獄、調査兵への悪口。女に接待する気持がないことは、すぐに知れた。エルヴィンが店主と話をするために席を立ってから数分。彼は女の攻撃を受け続けている。
「…………壁の外も、悪くはない」
言ったのは、それだけだった。
「ええ?」と彼女は驚きを隠さず、人が死んでもなお悪くないものとは何なのか、と聞いてくるものだから、リヴァイはすっかり口をつぐんでしまった。女だからといって彼は遠慮をする性質ではない。彼が黙していたのは、ただその女が言う不平が、地下でいた頃に己が調査兵に抱いていた感情そのものであったからだ。
――死に急ぎ。巨人に食われたがる変人ども。
――誰にも望まれない英雄気取りの勘違い野郎。
――壁外という地獄を壁の中へと連れ込んでくる厄介者。
――若者たちを死地へと連れて行く、死神の行軍。
どれもこれも事実だ、と思いながら、茶色い酒を嚥下した。焼くような刺激が喉を刺す。
「なんでお兄さんは調査兵なんて死ぬだけの仕事をやってるの?」
素朴な疑問に、リヴァイは息を詰めた。何故。青い女の無垢な瞳が無遠慮にリヴァイをのぞき込んできた。酒がまずい。
「リザ!お客さんになんて失礼なことを!」
リヴァイが言葉に詰まったその空気に割って入ったのは、抑えられているものの、よく通る野太い声だった。見上げれば、そこには青いドレスに身を包んだ屈強な、しかし化粧をした小綺麗な男がいた。その後ろで、エルヴィンが柔和に笑って「大丈夫だよ」と彼、いや彼女へと声をかけた。
「…………お前、そいつか?俺に会わせたいという「彼女」は?」
「いいや。彼女はここの店主で俺の友人のアリスだ。アリス、彼が新しい仲間の「レヴィ」だ」
「よろしく、レヴィ」
全く隙のない身にこなしで優雅に出された右手に、リヴァイは右手を差し出した。握った手は、女のものより大きかったが、男のものに比べれば柔らかかった。右手首の内側に、深い切り傷がちらりと垣間見えた。
「アリスは元調査兵で、俺の同期なんだ。誰よりも勇敢な兵士だったが、ケガで、グリップが握れなくなってな」
「退役した時のお金で、昔からの夢だったお店を開いたのよ」
声も低く、ドレスの下の筋肉も見事なものだが、彼女の所作は美しい女性そのもので、話し方も自分の隣にいる「リザ」よりも好感の持てるものだった。屈強な兵士が、店の女主人になるなんて、世の中わからないものだな、とリヴァイは思いながら立ち上がった。
「レヴィ。どこにいく」
「ダグラス。目当ての女はまだなんだろう。ちょっと外で涼んでくる」
ダグラス――エルヴィン・スミスが、まあいいか、と頷いたのを確認してから、リヴァイはするりとテーブルの合間をぬって店の外へと出た。
薄い下弦の月が、シガンシナの夜を白く照らしていた。満点の星空を見上げて、リヴァイはようやく大きなため息をもらした。
気怠い疲労感に、肩をすくめる。己の生まれを棚上げして、娼婦や商売女たちの生を否定するつもりは毛頭無い。むしろ尊敬を覚える。彼が思うに、娼婦たちは彼の知るなかでも最も懸命に生きている人間の部類に入る。しかし、だからこそだろうか。どうにもリヴァイはその手の女性が得意ではない。
大きく息を吸えば、夜の冷ややだが透き通った空気が身体に滲みていく。夜の空気は、地上と地下では大きく違う。
ぼんやりと物思いにふけりはじめた矢先、
「困ります。それは店を通していただかないと」
どこからか女の切羽詰まった声が耳に届いた。答える男の声が数人。女一人に、男が何人か求めているのだろうか。そのまま無視していようか、とも思ったが、声のする店横の路地に足が向いたのは、彼の気まぐれではなく、その律儀さ故であった。どうにも面倒事に巻き込まれやすいのは、彼のそうした性質からくるものかもしれない。
「向こうで少し話をするだけだ。おとなしくしていれば悪くはしない」
「ですから、今は勤務時間中ですので、そういったことは店主に確認をとっていただかないと」
路地の入り口に立てば、その奥で一角獣が三人、黒いドレスの女に向っているのがよく見える。
「おい、何してる」
声をかければ、思いの外理知的な目が六つ、振り返った。絡み酒にしては理性のともった鋭い目つきだった。
「その女は、次は俺につくはずなんだが」
適当なことを言えば、一角獣を背負った男、憲兵たちは目配せして、しばらくリヴァイを物色するようにじろじろと観察した後、女に「また来るよ」とだけ言いおいてあっさりとその身を引いた。
路地から憲兵たちの気配が消えたあと、女がすがるように「ありがとうございます。助かりました」と頭を下げてきた。
「いや」
どんな三文芝居だ。
リヴァイは舌打ちした。飲みにきた店で、男に絡まれた女を助ける。そんなありきたりな状況にかえってリヴァイはしらけて、店へ戻ろうとした。
が、服の裾をつかまれてその足は戻される。
「あなた、もしかしてダグラスのご友人ではありませんか?」
エルヴィンの偽名を口にした女の暗い色の瞳が、まっすぐにリヴァイを見た。自分より少し高い位置にあるその大きな瞳が、きらきらと夜に輝く星たちの光を抱きしめていて、なんとなく。
本当になんとなく、リヴァイは「ああ、きれいだな」と感じた。