今年の夏は暑すぎてゆだってました。
部屋の温度が頻繁に37℃を超えたりしてマジビビる。
生存者である椿楓との出会いから一夜が過ぎた朝のこと。
少し遅めの朝食を済ませた一同は、楓の案内で建物の裏に集まっていた。
楓にとっては久しぶりの外の世界であり、少しばかりおっかなびっくりといった様子であったが、腹を決めたのか梯子を降りる段階では普段の明るい調子に戻っていた。
「さて。昨日、亜森君には言ってたんだけど、私から皆にプレゼントがあるんだよね」
ジャジャーンと大きく身振りを付け加えながら、楓は自身の背後に鎮座していたキャンピングカーをお披露目する。
「いや、見えてたけど」
「しぃっ、言っちゃだめだって」
水を差すように呟く亜森に、隣りにいた胡桃は肘で小突いて静かにさせる。
「そこ、聞こえてるよ」
咳払いをする楓は時折入る茶々を脇において、ポケットに忍ばせていたキャンピングカーの鍵を亜森に手渡す。
それは昨夜、楓が亜森に見せていた鍵そのものであった。
「しかし、いいのか? こんな貴重な車もらっても」
「まー何ていうかさ。一度も使ってない上に、実際私のでもなかったりするし。多分、ここの家の人が用意してたんだと思うんだけど」
楓はキャンピングカーの側面を指先でなぞり、表面の汚れをスゥッと拭き取る。
「持ち主が現れなかった?」
「そんなとこ。だから、私達で使っていいんじゃないかな?」
キャンピングカーの周りをゆっくりと歩きながら、楓はそのように語った。
「とりあえず、動くかどうかを確かめてみるか」
「うん。私、一度もエンジンかけてないから、バッテリーが死んでるかも」
「バッテリーなら、私達の車に予備を積んでましたよね?」
出発前に後部座席のシート下の一角に押し込んでいたそれを思い出しながら、美紀は確認するように亜森に聞いた。
「あぁ、補充液やら諸々の備品も一緒にな……。一先ず、車をこっちに持ってこよう。胡桃、ここを任せてもいいか?」
「りょーかい、任せて」
頷く胡桃を確認した亜森は、一人表に停めている乗ってきた車を取りに向かった。
その後ろ姿を見送り、胡桃は肩に下げていたサブマシンガンを軽く構えて周囲を観察する。
「胡桃ちゃん、頼りにされてるみたいだね」
当たり前のように留守を任された胡桃に、楓が感心したように声をかけた。
学園生活部の中で銃を持つのは亜森を除けば胡桃だけで、そのことを踏まえれば彼女に後を任せるのは当然の帰結のようにも思える。
楓に言わせれば女子高生が銃を自然に操る姿は、違和感もさることながら頼もしさを感じさせるものだった。
「まぁ、役割分担ってやつかな?」
「ふうん、それだけには見えなかったけどねぇ」
ニヤニヤと表情を変える楓を胡桃があしらっている内に、車に乗った亜森が戻りキャンピングカーより数メートル離れて横付けした。
亜森がバッテリーの調子を確認し終えたところで、本格的にソーラーパネルを移設して色々と電装系を配線し直し始めた。
そして残された他の面々は、それぞれに動き出していた。
胡桃は車を弄り回す亜森の側で周囲を見張りつつ横から口を出し、由紀と美紀の二人はキャンピングカー内部の掃除を始めている。
残った悠里はというと、この数日で溜まった洗濯物を片付け屋上の一角を借り乾かしていた。
一人手持ち無沙汰で暇な楓も、ついでだからと自身の洗濯物を一緒に干しながら悠里を手伝っていた。
「悠里ちゃんは、こういう家事担当なの?」
「担当ってほどじゃないんですけどね、大体手の空いてる誰かが手伝ってくれますし」
「ふうん。随分と様になってるから、そうなのかなって」
パンッとTシャツの皺を伸ばして大きく広げる悠里を横目に、楓は洗濯バサミを挟んでいく。
「外で野球バットやシャベルを振り回すのは、どうしても胡桃や亜森さんに軍配が上がりますから……。そっちで無茶をするよりも、皆の食事や洗濯を頑張る方がよっぽど貢献できるんです」
「そっかぁ、頑張ってるんだね。悠里ちゃんも」
「ふふふ、そうだと良いんですけどね」
二人でテキパキと干していったためか、予想よりも幾分早く終わった楓達は、何となしに二人並んで屋上から下の様子を眺める。
亜森と胡桃は変わらず配線を弄っている最中で、由紀と美紀は窓やドアを開けて空気の入れ替えを行っていた。
上から見ている二人の様子に気づいたのだろう、ドアを開けた由紀は目が合った楓達に笑顔で手を振ると、再び車内の清掃に戻っていく。
「いやー、皆働いてるねぇ。早く終わったし、手伝いに行った方がいいかな?」
「……いえ、それは大丈夫だと思います」
「へ? そうなの?」
その返事が気になった楓は、隣にいる悠里に顔を向けて尋ねた。
「はい。この生活を続けてきて、一つ分かったことがあります」
「それは……なに?」
「他人の仕事……領分を犯さないこと、ですかね?」
「おぉー、深いね。でも、言いたいことは何となく分かるよ」
悠里の言葉に、楓は理解を示すように頷いた。
「こんな世界だもん。仕事しなくていいって言われたら、大事にされてるのかもしれないけど、『お前には任せられない』って、言われてるような気がしちゃうもん。疎外感半端ないよ」
「……私達は人数がたったの五人ですから、それが出来るほどの余裕もないだけかもしれませんけど」
「いやいや、他の皆もその辺りのことは十分承知してると思うよ?」
「そうでしょうか?」
「そうですとも」
大仰に頷いてみせる楓の姿に、悠里は口元に手を当ててクスクスと笑い出す。
つられて楓も笑い声をあげ、二人は屋上の一角に座り込んで取止めのない談笑を続けた。
「あ、大事なことを忘れてました」
「ん?」
ふと会話が途切れた瞬間、悠里は思い出したように声を上げ、亜森に手渡されていたものを取り出した。
それは、巡ヶ丘学院高校で発見していた『職員用避難マニュアル』であり、楓と二人きりになるだろう悠里に亜森が渡しており、可能なら自分達の旅の目的を触りだけでも前もって伝えておいて欲しいと言われていたのだ。
出会いから昨日の今日で、腰を据えた話し合いが出来ていないこともあるが、由紀の変化に確信が持てないので彼女を交えての話し合いを避けたいとの思惑もあった。
そんないくつもの事情から、屋上で楓と二人きりになれる悠里に事情説明の任が課せられたというわけだった。
(はぁ、荷が重いわ……。こういうのは、亜森さんか美紀さんの方が向いてるでしょうに……)
「楓さんには、私達の旅の目的を伝えておきたいんです」
真面目な声色で話し出す悠里に、楓は神妙な面持ちで耳を傾け続けた。
「そろそろ、若狭が椿に話をしてる頃かな」
キャンピングカーのバッテリーに新たな配線を繋ぎながら、亜森は下からは窺い知ることが出来ない屋上に目をやりつぶやいた。
「やっぱりさ、みんな一緒に説明した方が良かったんじゃないの?」
「それでも良いのかもしれないけどな。避難マニュアルの内容を知った椿の反応が分からないし、それを見た丈槍がどう転ぶのかも分からん」
「それは……そうなんだろうけど」
亜森の返事に、胡桃は答えを窮する。
由紀の幻覚について、現状維持以上の手立てがない状態で、楓の反応如何によっては悪化しかねないのでは困るのだ。
「この際、椿がどう感じようとそれはいい。俺達が優先するのは丈槍のことだ」
「……アモって、楓さんのこと嫌いなの?」
「いいや、そうじゃない。生きてる人間で、会話が成立して、加えて善人ときてるんだ。こんな世界じゃ宝くじに当たるより幸運なんだろうけど、出会ったばかりのアイツと仲間とじゃ優先順位が違うってだけさ」
配線を終えた亜森はその場に座り込んで額に浮かんだ汗を拭うと、キャンピングカーに背中を預けた。
「それに……、椿が俺達と一緒に来るかどうかは分からんしな」
「どうして?」
「椿には、ここを離れる理由が薄いだろう? 水と食料、電気に安全まで揃ってる。大学に用があるのは俺達だけで、アイツにはない。リスクを天秤にかければどうするか、その辺りは椿次第だ」
「そっか。……それでも、一緒に来てくれたら嬉しいかなぁ」
亜森の話に納得を示しながらも、胡桃は本心をポロリとつぶやき亜森の隣に並んで座る。
そして、地上からは見えない屋上に視線を向けた。
そんな胡桃の様子を見て、亜森は少しばかりバツの悪そうな表情を浮かべた。
「……すまん、こういうことは前もって皆で相談するべきだったよな」
「ん? いや、アモが考えてることだって尤もだと思うし、それに昨日の今日で話し合ってる時間も無かったじゃん」
「それもあるんだけどな……。俺達はこうやって食事や安全な寝床、更にはこんなキャンピングカーまでもらってる。それなのに俺は慎重になるなんて口実を作り出して、椿から距離を置こうとしてるんだ。助けを求める手を、向こうから引っ込めさせようとするとは……ミニッツメンが聞いて呆れるよな」
「アモ……」
はぁ、と大きく溜息を吐きだす亜森の自己嫌悪する姿を見て、胡桃はそっと身体を寄せてその手を重ねた。
そんな胡桃の手を、亜森はキュッと握り返す。
「大丈夫だよ。アモが精一杯やってるって、あたしは分かってるから」
「……悪いな、愚痴を聞いてもらって。気持ちが軽くなった」
「これぐらい、何でもないよ」
少しばかり持ち直した亜森の表情を覗き込みながら、胡桃は優しく微笑みを向けるのだった。
一方、車内で掃除を担当していた由紀と美紀の二人は、運転席から見えるサイドミラー越しに出歯亀をしていた。
早々に掃除を終わらせた二人が外に出ようかとしていたところ、既にあの様な状態にあり、邪魔するのもなんだかなと終わるまで待ちぼうけを喰らっていたのだ。
(いい雰囲気すぎて、出て行けないね)
(ゆき先輩、もう少し詰めてくださいよ。ここからじゃ微妙に見切れて……)
(えぇ~? もうこれ以上はムリ……あっ)
(え、何ですか?)
(ちゅーしてるっ! うわ、舌まで……うわー)
(うそ……あ、ホントだ)
濃厚な口付けを交わす男女の姿に、二人して頬を染めた顔を見合わせ、再び食い入るようにサイドミラーに目をやった。
(……終わったら出ていこうかな)
(それがいいと思います)
そのように自分達に言い訳をして、二人は息を潜め観察を続けた。
「それで……こんな夜中に話っていうのは?」
キャンピングカーの整備を粗方終え、残りは次の日に回そうとなった一同は、日が傾く前には屋内に戻ってきていた。
そして日付が変わる少し前、亜森は胡桃を同席させた上で楓を呼んでいた。
テーブルには人数分のグラスと水が用意されており、寝間着の上下スウェット姿の楓はそれを一口煽りながら二人の対面に腰掛ける。
「ひとまず車のお礼だな、貴重なものをもらって感謝してる」
「あぁ、それなら昼間にも他のみんなから言われたし、改めてお礼なんていいのに。私としては使ってないものだったから、これといって懐が痛むってわけでもないんだし」
「それでもだ。恩に着る」
「あたしからも、楓さんありがとう」
「──ふふ、まぁ感謝されて悪い気はしないから、お礼は受け取っておくよ。どういたしまして」
左手でグラスを握りしめながら、椿は照れたように右手で髪を耳にかける仕草を繰り返す。。
和やかな空気のなか、一通りの礼を述べた亜森は早速といった口調で話を切り出した。
マニュアルの件と、自分達の今後の行動についてだ。
「若狭から話は聞いてるか?」
「……聞いたよ。正直な話、信じられない……というより信じたくない、かな? でも、これまで見てきたことを考えれば否定もできない。……二人はどう思う? 生物兵器って本当かな」
グラスに付着する水滴を指先で撫でながら、楓は不安そうに二人の顔を交互に見やる。
「……あたしは、生物兵器かどうかは分かんないけど。少なくとも、自然発生したんじゃないとは思ってるよ」
胡桃は右の二の腕を無意識に摩り、亜森の方をチラリと伺う。
治療のおかげで傷跡こそ残っていないが、あの出来事を思い出さない日はなかった。
視線に気づいたのか、亜森は胡桃の肩を抱き寄せると、『大丈夫か』とつぶやいた。
そして、『うん』と返す胡桃。
そのあまりにも自然な二人の姿に、楓は微笑ましさを感じていた。
(悠里ちゃんから聞いてはいたけど、この二人ってやっぱりそういう関係なんだなぁ。他の娘達と違って距離感が近かったし、もしかしてって思ってたけど……)
いつまでも二人の世界に浸ってもらうわけにもいかないと、楓はごほんっと咳払いをして目の前にいる自分の存在を主張する。
「そろそろいいかな? 話の続きをしたいんだけど」
「う、ごめんなさい」
「あぁ、悪い。それでマニュアルの話だったよな」
「うん。この際、信憑性云々は私にとってあんまり重要じゃないっていうか。どっちにしろさ、亜森君や胡桃ちゃん達は行くんだよね? その……なんだったっけ、聖イシドロス大学ってとこ」
「そうだね。具体的に何があるのかすら分かってないんだけど……、何も知らないままではいたくないし」
気を取り直すように、グラスの水一口飲み下した胡桃が、楓の問いに答える。
そして、腕組みをした亜森が続きを話す。
「ある程度調べ終えたら、また高校に戻る予定だ。色々あったが、皆で手を加えてきた大事な場所だからな。そう簡単には手放せない」
「そこ、そこなんだよね。私にとって問題なのは」
亜森の語る最終的には巡ヶ丘学院高校に戻るという言葉に、楓は人差し指を立てて反応した。
「私にとっては、その大学に情報を集めに行くっていうのが、それほど心惹かれる部分がないんだ。正直なところ、大学で驚愕の事実を知ったからって、外の状況はもうどうにもならないでしょう?」
「まあな。どう考えるかは、椿の自由にしてくれ。俺達に合わせろって、強制はするつもりはないよ」
「だけど……」
「だけど?」
言いよどむように口を噤んだ楓の様子に、胡桃は心配そうな表情で聞き返した。
「だけどね。じゃあここでお別れだってのは、私には出来ないよ。せっかく皆に出会えたのに……一人はもう無理だよ。耐えられないよ……」
今にも消え入りそうな声で、楓はその笑顔の内側に仕舞い込んでいた心情を、絞り出すように吐露した。
もう限界という楓の言葉は、確かに真実だった。
死の危険から逃れ、この誰が用意したのかも分からない避難所で生活し始めて、既に数カ月。
その間ずっと一人だった楓の精神は、もはや限界に近づきつつある。
そんな状況に現れたのが、学園生活部と亜森の一団であった。
彼女等のおかげで生来の明るさを取り戻した楓であったが、今更元の一人きりの生活に戻れないのは誰かに改めて指摘されずとも、楓には分かりきっていた。
皆と別れたくはない。
しかし、皆が生活していた安全の確保されている巡ヶ丘学院高校ならともかく、危険に溢れている外の世界、とりわけ騒動の原因に絡んでいそうな組織に何らかの関係があると疑われる聖イシドロス大学など、楓には以ての外だった。
そんな危険地帯など御免こうむる、というのが本音なのだ。
行きたくない、でも別れたくない。
矛盾した感情が、楓の中でぐるぐると堂々巡りを繰り返した。
「楓さんはさ、あたし達と一緒にいるのは問題ないんだよね?」
「──うん」
「でも、安全かどうかも分からない大学には行けないと」
楓の独白を静かに耳を傾けていた胡桃は、一つ一つ確認するように問う。
何か考えがあるのだろう、亜森は胡桃の言葉に口を挟まなかった。
「あたし達が大学に行くのは変えたりしない。けど、それが終わったらまたここに戻ってくるよ。楓さんを迎えに、さ」
ここ、そう言って胡桃は指先でテーブルを小さくトントンと叩いた。
「それって……つまり」
「うん。そしたら一緒に帰ろうよ、あたし達の巡ヶ丘学院高校まで。行きは五人で帰りは六人、完璧じゃん!」
「……そうだな、それなら椿は危険な場所に近づかなくていいし、俺達は俺達の目的を果たせる。用事を済ませてくる間に、椿には持ち出す荷物をゆっくりと準備して貰えればちょうどいいんじゃないかな?」
「……いいの? め、迷惑だったりしない?」
「全然っ! 他の皆も新しい仲間は大歓迎だし、……まぁちょっとデリカシーが足りないのもいるから、そこは我慢してもらうしかないけど」
胡桃はイタズラを思いついたような表情を浮かべ、からかうように亜森をチラ見する。
「失礼な、これでも意外とできる男だと評判だったんだ」
「へぇ〜、得意なことは?」
「──ドンパチ、かな」
「ドヤ顔で言うことかよ」
明るい笑い声が、薄暗い部屋の中に響く。
楓はその様子に呆気にとられながらも、目の端に小さく滲んだ涙を拭うと二人の会話に混じっていった。
彼女達の一員となる第一歩を、この時踏み出したような気がしたのだと、後に楓は語るのだった。
「あーあ、もう出発しちゃうんだ。もう少しいればいいのに」
「そういうわけにもいかないさ。遅れれば遅れるだけ、帰りに椿を迎えに来るのも遅くなる」
出発の日。
楓が仲間として受け入れられてから、更に二日ほど経った。
その間、他の学園生活部メンバーに仲間入りを報告した楓は大きな歓迎でもって受け入れられ、亜森と学園生活部は彼女との交友を深めつつも、出発に向けて準備を着々と進めていた。
キャンピングカーの屋根に移設したソーラーパネルも、十分にその性能を発揮して弱っていたバッテリーを復活させ、余った電気は車内に置いた予備バッテリーに充電させてもいる。
荷物の積み込みも終わり、全員が一時の別れを惜しんで楓との会話を続けていた。
「楓さん、色々お世話になりました」
「いやー、お世話ってほどのことはしてないかも」
「またすぐ会えるよ! 大学の用事なんて、ちゃちゃっと終わっちゃうかもしれないもん」
「ちゃちゃっと、とはいかないかもですが、なるべく早く戻れるようにします」
一同を代表して悠里がこの数日のお礼を述べるも、楓は照れた様子で髪をかきあげる。
由紀と美紀が別れの握手を求め、語りかけていく。
「楓さん、大丈夫だよ。ちゃんと皆そろって戻ってくる」
「それでも、心配はするよ」
「なに、離れていても無線機で連絡はできる。ラジオの電波なら、無線機よりも更に遠くまで届くんだ。連絡は取り合えるさ」
心配する様子を隠せない楓の手を取り、胡桃は優しく諭す。
亜森は亜森で少々ずれた物言いではあったが、彼なりに楓の不安を払拭させようと明るく振る舞っていた。
別れを惜しむ一同ではあったが、いつまでも出発しないわけにもいかない。
亜森がキャンピングカーに乗り込むように合図をすると、軽くはない足取りで車内に入っていく。
運転席の窓を開け、亜森は真面目な顔をして楓に話しかけた。
「渡したものは、必要なら躊躇わず使え。自分の身を守ることを優先しろよ」
「アレが必要になるとは思いたくないけど。……うん、まぁ忠告は受け取っておくよ。できるだけ手元に置いておく」
楓の言うアレとは、亜森と胡桃を交えて話し合いを行った際に渡された『9mm拳銃と試験薬』のことだった。
楓が大学へ同行しないとなったので、亜森よりその間の保険として押し付けられたものでもある。
一度は渋った楓であったが、頑として譲らない亜森の態度と胡桃の真面目な表情に、押し切られてしまったのだ。
拳銃はまだ用途が明白であるが、問題は試験薬の方である。
効き目はあるのかと、楓は聞いてみたいと思ったが、二人の雰囲気からして聞き出すのは躊躇われた。
少なくとも効き目は保障すると言われた段階で、何となくだがその言葉の真意を察した楓。
深く尋ねるのは止めることにした。
「あんまり私に構ってると、胡桃ちゃんが嫉妬しちゃうよ?」
いつまでも心配そうに言葉を続ける亜森に、楓はイタズラ顔でそう言った。
最初はキョトンとした表情だった亜森は、口角を上げて真面目な顔を崩すと笑いながら返した。
「はは、胡桃はいい女だからな。俺のやることなんて全部お見通しだよ」
「そりゃどうも、ごちそうさまでした」
「そのうち、あんたにもいい人が見つかるさ。俺には届かないだろうが」
「笑える、お腹痛いくらい!」
分かりきった冗談を言い合い、最後の別れを済ませた亜森は、出発するぞとキーを回しエンジンをスタートさせた。
緩やかに滑り出したキャンピングカーの窓越しに、学園生活部のメンバーが楓に手を振っている姿が見える。
楓も大きく手を振って、車が見えなくなる頃には梯子を登って一人建物内に戻った。
「こんなに広かったかなぁ……」
ガランとした部屋の中を見渡し、楓はポケットからスマートホンを取り出し操作していく。
その小さな画面に表示されたのは、先程までいた皆と共に撮影した集合写真だった。
中心には楓を据え、抱きつくように由紀が右隣に、美紀は左に。
悠里はその様子を見ながらあらあらと優しく微笑み、反対側には亜森が胡桃の肩を抱き寄せて笑顔を浮かべ、対照的に胡桃はドギマギした表情を浮かべていた。
記念だからと準備もなしに撮影したものだったが、楓にとっては彼女達が実在する人間だと証明する写真でもある。
「やっぱり、嘘じゃない」
自分にそう言いきかせると、この数日は滞っていたいつもの日課に取り掛かる。
(大丈夫、私は大丈夫)
定位置のチェアに腰掛け、パソコンや機材の電源を入れ、ヘッドホンを装着する。
(だから、皆にも私は大丈夫だよってことを伝えてあげなきゃ。心配させないためにも)
卓上マイクをたぐりよせ、スイッチを切り替えるとラジオ放送の始まりだ。
『さぁ今日もはりきっていこう! ワンワンワン放送局、はっじまるよーっ!!』
・唐突に始まるいちゃこら
シリアスが続くとかゆく(以下略
・渡された拳銃と試験薬
拳銃は墜落ヘリのパイロットが抱えていたジュラルミンケースより発見した9mm拳銃、予備の弾薬もないことから持て余し気味だった。
試験薬は、文字通りの意味で保険として渡すことに。
今後の出番はほぼ間違いなくなさげ。
・集合写真
年頃の女性がスマホを持っていないはずもなく、そこに女子高生まで加われば記念写真に行き着くのは自明の理、ではなかろうか。