双子島は東京都の伊豆諸島を構成する島の1つである。具体的には孀婦岩の西南約16km位置し、伊豆諸島最南端の島である。双子島という名前は同じ位の高さの山――西山、東山の2つの山が並んでいることから由来している。
双子島は伊豆諸島の島々と同じように火山活動によって生成された島であるが、複数回の噴火によって島の地下には大規模で複雑な構造の空間が広がっている。噴火活動は2万年から2万5000年前とみられ、火山活動は完全に休止しており、再び噴火するようなことはないとされる。
地質的には流紋岩が多く、島全体を通して白い地面、岩肌をしている。そこに緑が生い茂り、水の透明度も高さも合わさって、双子島は自然だけみれば、セブ島やバリ島にも負けないくらいの美しい島である。
同じ東京都でも本土の喧噪とは切り離されたこの島に駆逐艦娘の磯波はいた。
格納庫のシャッターが上がり始め、コンクリートの地面で反射した太陽光が中にいる磯
波と浦波、七六式高速攻撃艇、その乗員達を照らす。磯波は眩しさで目を少し細めた。
「総員、敬礼」
磯波の瞳が光に慣れきっていないうちから、司令官は号令を出した。磯波は目を細めたまま、敬礼を行う。目が光に慣れたのは姿勢を直してからだった。
司令官の前には白い軍服を着た白人や黒人が十数名、立っていた。この人達は双子島の飛行場を見学しに来た英海軍の士官達で、飛行場の方の見学を終えて、海軍根拠地隊の施設にやってきたのだ。
「この島の海上戦力は現在のところ、駆逐艦艦娘2名と七六式高速攻撃艇8艇で構成されています。この部隊では外洋には出られませんが――」
司令官が日本語で根拠地隊の施設や規模について説明する。いかに大日本帝国海軍の師が大英帝国海軍といえども、今は英海軍側が学ぶ立場だ。わざわざ英語で仰々しく行う必要はない。
「では出撃の様子をご覧に入れましょう。艦娘隊、出撃!」
すでに艤装を装着している磯波と浦波は駆け足で格納庫の外に出る。英海軍士官の前で一度敬礼をしてから、助走を付けてのジャンプで海に飛び出した。
磯波は「ちょっと格好付けすぎかな?」と思いつつも、港内の海面に難なく着水して海面を滑走し始める。浦波も続いて着水、滑走。七六式高速攻撃艇の滑降の邪魔にならないように、港外まで移動する。
「やりますねぇ」
英海軍士官の数名が着水と滑走の様子を賞賛をし、口笛を吹いた。
「磯波姉さん! さっきの着水、うまくできました!」
港外に出ると、浦波が喜びの声を上げた。岸から助走付きのジャンプで波打つ海面に飛び降りて、バランスも崩さないようにしながら、滑走を始めるというのは、それなりの訓練が必要だ。まだ海軍艦娘学校を卒業してから1ヶ月も経っていない浦波にとっては、まだ難しいものだった。
「うん、上手だったよ。練習した甲斐があったね」
磯波は浦波の手を取って喜ぶ。歴戦の磯波にとってはなんてことはない着水だが、やはり妹の浦波が困難なことがらをこなしたと聞くと、姉にとっても嬉しい。それに、浦波は今回、外国の軍人さんに見られながら、ということで、相当に緊張していたようだが「うまくできた」と聞いて、磯波自身も安心した。
「でも、帰るまでが遠足って言うから、はしゃがないようにね」
「はい、磯波姉さん」
忠告に浦波は屈託なく笑って答えた。
後続の七六式高速攻撃艇2艇が港外に出てくると、磯波は攻撃艇の乗員達に通信を入れる。
「こちら、磯波です。大取中尉、聞こえますか?」
『こちら、大取。音声明瞭。海面状態が聞きたい』
「海面状態は少し波がありますが、それほどではありません。打ち合わせ通り、8ノットで島を一周します」
『了解。浅瀬モードのままで航行します。先頭はお願いします』
「了解しました。座礁しないよう、注意して付いてきて下さい」
七六式高速攻撃艇は浅瀬航行モードだと潰れた脚立ような形状で格好が悪いが、他のモードだと半水没船状態で、海底にエンジンを擦ってしまうから仕方がない。
磯波は暗礁などに気をつけながら、航行する。
港から出てすぐに見えるのは宿舎。黒松の防風林の間から宿舎の白い壁がちらちらと見える。磯波と浦波の部屋は3棟のうち、海側に建つ宿舎の2階の角部屋である。日当たりも良く、風通しも良い部屋だ。
「50m先は海底が浅くなっています。注意して下さい」
宿舎を過ぎれば、東山である。頂には無人のレーダー施設があり、いくつかのアンテナがクルクルと回っている。
「磯波姉さん、あそこの妖精さん、手を振ってますよ」
浦波が海岸辺りを指さした。垂れた草木の枝葉の向こう側で、射堡の妖精達が手を振っていた。磯波も軽く手を振り返す。
射堡とは陸上に設置された魚雷発射管である。射堡の他にも、西山と東山には針山のごとく砲台が設置されている。高射砲や機銃はもちろんのこと、余剰になった艦娘用の九四式46cm三連装砲や三年式20cm連装砲も設置されており、防備は並みの要塞と比べるのが失礼なくらいだ。
東山を通り過ぎて見えてくるのは双子島を中央で突っ切る形で設営された1600mの滑走路である。
双子島は縄文時代と明治時代の一時期にしか人が住まなかったほどの小さな島だが、現在は大日本帝国海軍と大日本帝国空軍の2つの軍が居留しており、西山と東山の間には短いながらも立派な滑走路を持つ飛行場がある。これだけならば、硫黄島やサイパンといった島と変わりないが、双子島の飛行場は特殊なものだった。
双子島の飛行場は触媒化した深海棲艦の体組織を使用することで、艦娘を介さずに艦娘用航空機を運用できる飛行場である。
今まで基地航空隊として艦娘用航空機を運用するには、最低でも空母艦娘が1人必要であり、貴重な機動航空戦力が削がれていた。しかし、深海棲艦の体組織を触媒として扱うことができるようになったおかげで、この双子島のように艦娘なしでも基地航空隊として艦娘用航空機を運用することができるようになったのだ。
これは革新的なことである。航空機というものは運用のために長大な滑走路が必要だが、これは隠匿が難しいうえ、造成する場所も限られてしまう。しかし、艦娘用航空機は滑走路が100mもあれば離陸できるため、隠匿も設営もしやすい。艦娘なしで艦娘用航空機が使用できるとなれば、インスタントに飛行場を運用することも可能だろう。また空母艦娘を保有していない軍隊でも艦娘用航空機が運用できるということでもある。戦略と戦術に大きな広がりができるのだ。
双子島の飛行場はその第一弾であり、英軍士官達はそれの見学に来たのだった。
くぐもったエンジン音が聞こえ、磯波は空を見上げる。十数機の百式司偵が晴れ渡った空をぐるぐる回っていた。哨戒していた部隊が帰ってきたのだろう。交代機が飛び立つまで待っているのだ。
双子島海軍根拠地隊の見学は英海軍士官達にとっておまけでしかない、と思うと少し気落ちする。実際、海軍根拠地隊の施設は港周辺にしかないし、人員も100人ちょっとしかいない。自分と浦波が配置されているのだって、七六式高速攻撃艇の慣熟が終わるまでの繋ぎで、あと2週間すれば、配置替えだ。
海軍艦娘学校を第三期生で卒業して以来、最前線ばかりに回されていたのは、単純に前線は位置する艦娘の数が足りなかっただけのことなのだが、自分が必要にされなくなったようで、なんとなく寂しい。
「磯波姉さん、どうかしましたか?」
浦波が空をぼんやりと見ていた磯波の顔をのぞき込んで言った。磯波は首を振る。
浦波はまだまだ艦娘になって日が経っていない。海軍艦娘学校の教育期間も最初期に比べれば長くなったと聞くが、経験に勝るものはない。浦波に経験を伝えて、一線級の艦娘に育てることが今の私の役割だ。そう思って、前を見据え直す。
交代の百式指偵が滑走路から飛び立った。
夜が更けていく。
日が沈み、満天の星が浮かぶ夜の太平洋。民間輸送船1隻が航行していた。マストにはためく日章旗。船尾に書かれた文字は大庄丸。船首と船尾には機関砲。甲板にはいくつかのコンテナを載せて、双子島への航路を執っている。
その大庄丸を見つめる2つの瞳があった。
その瞳の主は大庄丸を沈めんと、手元の魚雷を大庄丸の未来位置に向け、発射準備を行う。
……3……2……1……。……………。
発射はしなかった。撃ってはならない。何か不思議な感覚がしたからだ。
あの船には何かがある。そう感じた深海棲艦は闇夜に紛れて、何者にも気付かれず、大庄丸に乗り込んだ。
網戸の窓から部屋に吹き込む夜風は風呂上がりの火照った体には心地よい。
磯波はシュシュを解き、まだタオルで水気を取ってトリートメントを毛先につけただけの髪を乾かそうと、コンセントにドライヤーのプラグを差し込む。ふと、浦波の方を見ると、浦波は右手で自分のドライヤーを持ち、左手で艦船雑誌を開いていた。目はもちろん、誌面に向いている。
「早く乾かさないと髪、痛むよ」
「うん、気になる記事があって」
注意された浦波は英海軍が配備したという三胴船型艦娘母艦のページを斜め読みすると、雑誌をパタンと閉じた。
磯波はドライヤーのスイッチを入れた。乾きかけの長い髪が、ドライヤーの強く暖かな風を受けて舞う。風は頭皮に当て、外に流していく。襟足から、次第に上側へと。ゆっくり、丹念に。
髪を乾かしたら、ブラッシング。ブラッシングは磯波が浦波の髪を、浦波が磯波の髪を、と互いにしあうことにしていた。
ドライヤーのプラグをコンセントから抜き、浦波の方を見ると、浦波は先に髪を乾かして、椅子を部屋の中央に動かし、姿見とブラシも準備していた。
浦波が椅子に座り、磯波が後ろに立つ。
「ちゃんと乾かした? 髪の量は浦ちゃんの方が多いんだから。ほら、横の方ちょっと濡れてる」
一度抜いたドライヤーのプラグを再びコンセントに差して、浦波の髪をきちんと乾かしてやる。浦波はえへへ、と笑う。
乾かしきると、ブラッシングに移る。ウッドピンブラシで毛先から、丁寧にとかしていく。
「磯波姉さん、今日見学に来られたイギリスの人達に女の人がいるの気付きました?」
「そうだったの? 気付かなかった」
浦波の髪は触っていて気持ちが良い、と磯波は思う。海に出た回数も少ないから、自分の髪に比べて髪が潮風で傷んでいない。枝毛や切れ毛にならないように優しく、ブラシを入れる。
「艦娘ですかね? 英軍艦隊は呉に来てますし」
「どうだろうね。ただの女性士官かもしれないよ。でも、艦娘というのもありえるよね」
根元まである程度とかしたので、ウッドピンブラシから猪毛ブラシに持ち替え、再び毛先からブラッシングしていく。
「空母艦娘と戦艦艦娘だけでも20人くらいみたいですから、1人くらい双子島に来ててもおかしくないですね」
「加えて、正規空母1隻に大型艦娘母艦3隻だから、南西方面艦隊以上だよね」
仕上げに、ブラシで頭皮を軽くポンポンと叩いて刺激してから、根元から毛先まで全体を通して、まんべんなくとかす。
「シュシュでいい?」
「はい」
最後に髪の左サイドをシュシュで軽く結び、前に垂らした。
今度は浦波が磯波の髪をとかす番だ。磯波が椅子に座り、浦波が後ろに立つ。
「そんな規模の艦隊、一体どこに配置するのでしょうか?」
「うーん、どこだろう? ハワイはまだ早いよね。サモアは日米で挟撃してるし、インド洋もほぼ沈静化してるから、オーストラリア?」
浦波も同じようにウッドピンブラシで毛先から髪の毛をとく。緊張しているのか、不慣れなのか、手の動きは少し固い。
「オーストラリアのフリーマントルとかダーウィンから潜水艦の深海棲艦が東南アジアに侵入してきてると聞きますけど、なぜ攻撃しないのでしょう? ハワイやサモアくらいの規模ではないですよね。あそこの深海棲艦」
「陸軍の兵力が不足しているらしいよ。インドとソロモンで部隊を動かすのが精一杯だとか」
「ソロモンよりもオーストラリアの深海棲艦を倒した方が、私達も陸軍も楽だと思うんですが、磯波姉さんはどう思います?」
根元まで髪をといた浦波は一度、根元から毛先まで通して、キューティクルをはがさないように慎重に全体をブラッシングする。
「案外、陸軍は臆病なのかも。私が前線で戦っているときも、陸軍は前線に出てこなかったし」
浦波は猪毛ブラシに持ち替え、また磯波の髪を毛先からまたといていく。根元までとくと、今度はブラシで優しく頭皮を叩き、髪全体を余すところなく、丁寧に気持ちを込めて、とかした。
「いつも通り、三つ編みに?」
「軽くで良いよ」
浦波は磯波の後頭部、分け目に沿って、髪を2つに分ける。そして片方の髪を均等に3つに分けて、ゆるく編んでいく。
「浦波達は次、どこに配置されるんでしょうか?」
「うーん……。千島かもしれないし、インド洋は……ないだろうから、船団護衛か南方?」
編み終わりに幅の広いゴムで結ぶ。もう片方も同じように編んで結ぶ。
「分からないけれど、とりあえず一度、本土で休暇取らされると思う」
「じゃあ、休暇になったら映画を見に行きましょう。気になっている作品があるんです」
浦波は三つ編みをし終わる。磯波は首を横に振って、三つ編みの具合を姿見で確かめる。
「うん、本土に帰ったら行こうね」
三つ編みは上手にできていた。