目を覚まして体を起こし、おもむろに部屋の壁掛け時計を見る。
5時49分。いつもの目覚めよりも数分早い。しかし、早すぎると言うことはない。
磯波はのそのそと2段ベットの2段目から降りる。1段目では浦波が気持ちよさそうな寝顔を見せていた。
窓の外はすでに明るみが帯びている。窓を開けると、新鮮で爽やかな朝の空気が潮の匂いと共に部屋に入ってくる。
寝ぼけ眼のまま、海と空の様子を見る。特に荒れている様子はない。雲も数える程度。「今日は……」
窓から離れ、視線を部屋の中に戻す。
壁掛け時計の下に吊している日めくりカレンダー。2017年(平成29年)。10月11日。水曜日。大安。
めくり、破る。
2017年(平成29年)。10月12日。木曜日。赤口。
太陽が高く昇り、皆の小腹がすき始めた頃、貨物船「大庄丸」は双子島の小さな港に入った。
大庄丸の積み荷は様々だ。人が生きていくためには必要な食料品や水はもちろん、日々の業務で消費するものの補充品、発電用の重油、航空燃料など双子島の基地機能維持に必須のもの、双子島の地下工廠で航空機製造に使われる資材など、たくさんの積み荷がある。
その積み荷を基地に分配したり、輸送したりするのは根拠地隊の港務科の仕事である。
「その重油は艦娘用。それよりも冷凍コンテナを早く食堂に持ってけって言ってるでしょ! 昼近くになると奴ら受け取る暇はないんだから!」
「弾薬類? そのうち空軍の連中が運搬車で来るよ。日陰に置いておけ」
「オーライ、オーライ。もうちょっとゆっくり」
「それどかせ! 邪魔だよ!」
クレーン指示の笛の音、動き回るトラックのエンジン音、行き来する港務科員。船が入港すると港務科は上から下まで大騒ぎである。これでも双子島飛行場の建設が始まった頃よりかは、まだマシである。その頃は大量の建設資材に加え、重機や設備部品も扱っていたのだから。
「曹長! あのコンテナはなんでしょう? 空軍のものみたいですが」
先週着任した新兵が貨物のチェックをしていた曹長に尋ねる。兵が指さしていたのは最後に降ろされた白いコンテナだった。
「冷凍コンテナ? 空軍の? んー、どれだ?」
曹長は受取表をペラペラとめくりながら、コンテナの近くまでより、認識番号を確かめる。
「ああ、これ触媒か。空軍のトラクタヘッドが戻ってきたら、持ってってもらえ」
「触媒って、深海棲艦をどうこうしたっていう……」
「そうそう。前に機能しない不良品があったって、言っていたから、その交換品……ん?」
受取表のコンテナ番号にチェックを入れようと目を落としていた曹長がいきなり顔を上げ、コンテナの方を向いた。兵もつられてコンテナの方を向く。
「どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
曹長は受取表のコンテナ番号にチェックを入れなおす。
コンテナ自体が少し動いた気がしたが、そんなはずはない。いくら軽くても、風も吹いていないのに動くはずがないのだ。
「そういえば、今日、カモメが飛んでいませんね」
そう言われて、曹長は空に目を向ける。いない。いつもなら、悠々と空を飛び、鳴いているカモメが一羽もいない。嵐というわけでもなく、快晴なのに。
磯波達は荷揚げ作業で七六式高速攻撃艇が海に下ろせないため、待機室でおのおの過ごしていた。
走り込みで体力作りをしようにも、港は荷下ろしの邪魔になるし、飛行場は広いが飛行機が発着するから、これも邪魔になる。
浦波は「深海棲艦に対する指向性エネルギー兵器(DEW)の有効性」という論文を熱心に読んでおり、高速攻撃艇の即応パイロット達はテレビを見たり、雑誌を読んだり、攻撃艇のシミュレーターで訓練したりと様々だ。
磯波は近々、配備が始まるという「幻惑投光器」のマニュアルを読み終わって、ぱたんと閉じる。特にすることがない。
スカートのポケットの中から輪っかに結んだ紐を取り出す。そして紐を両手にかける。
ふじさん、東京タワー、ほうき、かわ、あまのがわ、ごむ、ぎんが。
磯波は特にすることがないときにはあやとりをすることにしていた。紐が一本あればできる遊び。ぼんやりとしながら、時間を過ごす。
双子島の電力源は大型ディーゼル発電機と大容量リチウムバッテリーの2つである。
ディーゼル発電機は平時に使用しているもので、爆撃などで簡単に破壊されないよう半地下状態で設置され、鉄筋コンクリート製のかまぼこ型掩体で覆っている。リチウムバッテリーは空爆でディーゼル発電機が破壊されたときや発電機の燃料が枯渇した場合の非常用電源である。これは東山地下施設に分散設置されており、地中貫通爆弾でも全てを一度に破壊しきることはできない。
ディーゼル発電機、リチウムバッテリーの2つから「触媒」に通電させて増幅、地下工廠に莫大な電力を供給したり、砲台を遠隔操作したりするのだ。
「触媒」こそ、砲台や艦娘用航空機を動作させる、双子島飛行場を機能させる核である。しかし、その「触媒」の機能の全貌を知っている人間はこの世にいない。
この「触媒」はあくまで「ある条件下において電力の増幅ができたり、艦娘の艤装と同じように機能する」ことが分かっているだけの代物にすぎない。それでも信頼性を一番重要とする兵器の一部である。少し条件が変わったくらいで性能や機能性が大きくゆらぐものでもないのは、何度もの試験で確認されている。
しかし、想定外というのはいつでも、どんなものでもあるものだ。
東山地下施設動力区の触媒室。鋼板内張付きの3.5m厚鉄筋コンクリート隔壁に守られた部屋に青白い肌と碧く光る瞳を持つ女性がいた。彼女は昨夜、大庄丸に忍び込んだ深海棲艦だ。
彼女は部屋の中央に鎮座した冷蔵庫大の物体――「触媒」が収められた格納容器に手を伸ばし、ハッチを開放する。マイナス25℃まで冷却された空気が容器の外にあふれ出す。
中には防振装置で固定された強化ガラスのシリンダー20本が収まっている。シリンダーの中身は薄青色や薄黄色、金属色の液体、青みがかった白色の固体。シリンダーはすべて基盤に差し込まれており、基盤には複数の太い電気ケーブルや細い光ケーブルが繋がっている。
彼女はシリンダーのひとつに右手の人差し指を当てる。そして、こう言った。
「ひとつになりましょう」
地上の電力管理室は異常事態を瞬時に察知した。触媒格納容器内の温度が急激に上昇したからである。容器内はすでに常温の20℃を突破し、現在も上昇中。各触媒シリンダーの温度も規定値を大きく上回った。冷却装置が故障停止しても、ここまで急激に温度上昇することはあり得ない。
管理室はすぐさま内線で司令に通報を行い、触媒と各施設との電力接続をカットする許可を求めた。しかし、電力カットを行えば、双子島の基地機能は一時的にしろ喪失し、日本近海の哨戒網に大きな穴を開けることになる。
「かまわん、送電を止めろ。SOC(飛行方面隊戦闘指揮所)に状況を報告。さらに海軍に哨戒網の穴埋めを要請しろ」
司令部は電力カットの決断を行った。賢明な判断と言えるだろう。仮にこれ以上の温度上昇で触媒が不活性化した場合、双子島基地単体での復旧は絶対に不可能になり、双子島基地は張り子の虎になってしまう。触媒の生産数は月十数個で歩留まりも低い現状、基地機能回復までは数ヶ月は確実。それなら、一時的な基地機能喪失には目をつむるほかない。
電力管理室は遮断機(ブレーカー)の閉路指令スイッチを入れた。
これで遮断機の蓄勢された投入ばねがガシャン! と大きな衝撃音を立て接点の遮断を行い、司令・通信施設と電力管理施設を除いた全施設の送電が止まる――――はずだった。
「おい、音したか?」
「いいえ……送電も止まっていません」
断路器は、ばねの力で一気に電気の遮断を行う。その遮断が行われたときの衝撃音はすさまじいものだ。電力管理室にも確実に聞こえるほどに。しかし、遮断の音は聞こえなかった。
何度も閉路司令スイッチが押される。しかし、音もしないし、送電も止まらない。触媒の温度上昇も止まらない。
「手動で行うぞ! 鈴木、花村、ついてこい!」
電力管理室の副室長が2名の兵を連れて、部屋を出て行った。
そして副室長が出て行って、しばらくしないうちに電力管理室の壁掛け電話機が鳴る。室長はすぐに受話器を取った。
「はい、こちら、電力管理室です」
電話の主は何も言わない。小さなノイズの音が聞こえるだけ。
「もしもし? もしもし?」
室長が何度か言うと、笑い声が聞こえてきた。小さな女の子の綺麗な笑い声。しだいに声量は大きくなっていく。室長は空恐ろしくなってきた。
「貴様は誰だ! どこから掛けている! 部署と名前、階級を言え!」
室長は怒鳴るが、電話の主の笑い声は止まらない。
双子島にも女性隊員はいる。室長の脳裏に女性隊員の顔と人柄がよぎっていくが、こんなふざけたまねをする人物はいない。
何なんだこいつは。
その恐怖は電力管理室に飛び込んできた10cm砲弾の炸裂によって、室長の体どころか部屋ごと吹き飛んでしまった。
爆発の振動が建物を揺らす。司令官は地震と勘違いして、樫の執務机の下に隠れた。
「震度2くらいか?」
揺れはすぐに収まり、司令官は机の下から顔を覗かすが、落下物などはない。
プルル、プルルと机の上の電話が鳴った。司令官は机の下から這い出て、受話器を取る。
「はい、司令室」
「こちら、管制塔管制室です。西山の高射砲が司令部棟に発砲したようですが、いったいな――」
声と回線が切れたのに遅れて、爆発音が轟いた。司令官は爆音の方向に振り返る。窓の向こう、滑走路脇にそびえ立つ管制塔の頂上部分――管制室の窓がすべて割れ、そこから炎と黒煙が噴き出していた。
「いったい何が」
呆然とし、後ずさりする司令官。敵の攻撃? 戦闘指揮所からの報告はなかった。双子島のレーダー網と哨戒網を突破した深海棲艦がいるのだろうか?
「警報を――!?」
司令官が机の上にある警報ボタン、それの透明なプラスチックカバーを開け、指を当てたときだ。
窓ガラスを突き破り、司令官の耳を掠め、20.3cm砲弾が部屋に飛び込んできた。ぎょっとする暇もない。
砲弾の信管作動と警報ボタン。ほんの僅かだが、警報ボタンが押される方が早かった。
砲弾が生みだした衝撃波と無数の破片は司令官を引き裂くが、スイッチが生みだした電気信号は瞬時に光信号に変換され、ケーブルを通って、警報システムを作動させた。