攻撃がやみ、八丈島に上陸した磯波は砂浜の上で林の中から誰かが出てくるのを待った。下手に近づけば、銃撃されるかもしれない。艦娘は陸の上ではほぼ無力である。
誤解は解けたのだろうか?
辺りは波の打ち返す音と風に薙ぐ林の音だけ。声も銃声も聞こえない。磯波は抱きかかえていた浦波を降ろし、肩を貸しながらも立たせた。
そして、息を吐き、大声を出そうと胸一杯に空気を吸ったとき――林の中からヘッドライトを付けた数名の人影が出てきた。
声が喉まで来ていたのだが、これは拍子抜けで、磯波は思わず声を出さずに息を吐いてしまう。
人影はゆっくりと歩いてくる。ヘルメットに付けられたライトの光が眩しくて、磯波は手で目をかざした。
「血が!? 怪我をされておられるのですか!?」
男の野太い声が砂浜に響く。磯波はライトの白い光を手で遮りながら、声の主の顔を見ると、その目は自分達の服を見ていた。
磯波達の服は血で赤黒く染まっていた。ただし、この血は磯波や浦波自身の血ではなく、双子島で戦死した整備兵達の血がついたものなのだが、本来真っ白なセーラー服が染まっているのだ。兵士達が心配しないわけがない。
「い、いえ、これはあなた方の攻撃による血ではないので、大丈夫です」
「先ほどは失礼いたしました。艦娘とはつゆ知らず、攻撃をしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、こちらもアンテナマストを喪失していたので、仕方がないことです」
磯波の肩にある階級襟章がライトで照らされる。細い緑縁の黄色1本線に桜が3つ。これが意味する階級は艦娘科の大尉。それを見た陸軍の少尉である小隊長は反射的に敬礼をした。
「申し遅れました。私は大日本帝国陸軍八丈島支隊第二中隊第三小隊の観田修少尉であります」
軍隊において階級は絶対である。特務少尉などがある海軍とは違い、陸軍では特にそうである。外見が年端もいかない少女だったとしても、階級が上ならば、敬礼を行わなければならない。
そして、敬礼された側も答礼をしなければならない。
「大日本帝国海軍双子島特別根拠地隊海警科艦娘隊の磯波です」
「同じく海警科艦娘隊の浦波です」
磯波は左足を怪我した浦波に右肩を貸しているので、会釈をし、浦波は右手で挙手の答礼をした。
「少尉、攻撃のことはともかくとして、衛生兵はいますか? この子、足を負傷していて……」
浦波は左足のふくらはぎを砲弾の破片で負傷していた。セーラー服のスカーフで圧迫止血しているが、破片は貫通していないので、なるべく動かさない方が良いし、手術で破片を取り出さなければならない。
少尉は近くにいた兵に衛生兵と後送分隊を呼ぶように命令した。そして、次に自分の背嚢と小銃を降ろし、そばにいた別の兵に押しつける。
「磯波大尉殿、自分が浦波殿を背負います」
少尉は後ろ向きになり、浦波の前でしゃがんだ。
浦波は少し困惑気味な顔で磯波の方を見たので、磯波は小さく頷いてあげる。
浦波は磯波の肩から手を離して、少尉の背中に掴まる。少尉は腕を浦波の足にまわし、軽々と立ち上がった。すわりを良くしてから、歩き出す。
磯波は浦波をおんぶする少尉を見る。少尉の広い背中に対して、浦波の小さな体。それこそ、大人と子供で、兵士というのはやはり屈強な男がやるものなのだろう、と感じさせた。安心感というものなのか、磯波には分からなかったが、少尉と自分達に大きな違いがあることを、なんとなく感じていた。
「これからどうしますか?」
「はい?」
「自分達の軍医に診させても良いのですが、大尉殿の所属は海軍であります。海軍航空隊基地までお送りするのが良いのか、自分には判断しかねます」
少尉達の所属は陸軍であり、磯波達の所属は海軍である。陸軍にも軍医はもちろんいる
のであるが、軍の垣根を越えて、それも艦娘に手術を施すとなると、様々な手続きや何やらが煩雑になるだろう。そこを考えると、海軍基地に送ってもらうのが妥当である。それに磯波は双子島の件を報告しなければならない。
双子島。
磯波は立ち止まって、南の方角を見た。双子島は見えない。300kmも離れているのだから当然だ。
どう報告したものだろうか? よく分からないままに逃げ出してきたのだ。何をどう報告して良いものだろう?
「どうされましたか?」
「いえ、何でもありません」
東京都新宿区市谷本村町にある兵部省市ヶ谷庁舎の中に空軍参謀本部は置かれていた。
参謀本部は大日本帝国空軍の軍令を司る部門であり、作戦計画の立案等を職務としている。この他にも市ヶ谷庁舎の中には教育総監部の他、陸軍の参謀本部、教育総監部、海軍の軍令部なども入っており、軍部間の意思疎通はそれなりにできていた。そもそも同じ庁舎なので、どこかの軍が部隊を大規模に動かそうとしても、人の出入りや動きで他軍もなんとなく気付いてしまう。
陸軍も海軍も、空軍が何かしらの作戦を行うことを把握していたが、空軍に対して特に何も言わなかった。なぜなら、空軍が独自に戦線拡大を行うことなどは不可能だからだ。自分達の領分を侵さない限りは海軍も陸軍も口を挟むことは少ない。
ちなみに陸軍と海軍は非常に仲が悪い。艦娘が戦線投入されて以降、海軍は陸軍の忠告を無視し、無計画に戦線拡大を行った。それが「北はアリューシャン、南はソロモン、東はミッドウェー、西はセイロン」といった結果を招き、海軍部隊が勝手に孤立して、陸軍に救援を求め、顰蹙を買ったのは数知れない。
今こそ、戦線拡大は落ち着いているが、陸軍の主張するオーストラリア救援と海軍の主張するフィジー・サモア攻略、ハワイ牽制作戦、どちらを優先するかで大激論が交わされており、陸海軍間はぎくしゃくしぱなっしである。
普段は日和見な空軍は陸海軍の調停役だが、今ばかりは空軍が独自に動こうとしていた。
「開始してください」
空軍の高級参謀や将校などが詰めた兵棋演習室に統裁官の声が響き渡った。
壁に設置された無数のディスプレイに双子島の航空写真や等高線図、陣地構築位置の図、レーダー画面、部隊の状態データ表など表示されていた。
兵棋演習とは兵棋――駒を用いて行う図上の戦術演習のことである。図上演習、机上演習、ウォー・ゲームとも呼ばれ、自軍を模した青軍と敵軍を模した赤軍に別れて、地形や敵情といったデータの下で、確率を活用しつつ戦闘状況を図上にて再現し、作戦に役立てるものである。昔は図面や駒、サイコロ、計算尺などを使って行ったものだが、現代ではコンピューターの発達によって、計算や乱数はデジタル化、自動化されている。
この兵棋演習は今日未明に行われる双子島空襲作戦を想定したものだった。青軍が日本空軍、赤軍が深海棲艦であり、青軍が双子島へ空襲を行う。
「AWACS(早期警戒管制機)よりCOC。SEAD(敵防空網制圧)各機、配置につきました」
「了解、COCよりAWACSへ。攻撃開始せよ」
「了解。AWACSよりSEAD各機へ。デコイの射出後、攻撃開始を開始せよ」
淡々とした声が演習室に続いていく。壁のモニターではデコイに反応したレーダーにSEAD機がミサイルを発射した様子が映し出される。赤軍からの妨害はないうえ、突拍子もない乱数結果もなかったため、ミサイルは発射された全弾が目標に命中。目標を破壊した。そしてSEAD機も損害なしで離脱する。
「TR(戦場偵察機)よりAWACSへ。双子島から対空砲火、探照灯照射を確認」
攻撃を受けた赤軍は慌てて対空砲火をあげ始めるが、照準は滅茶苦茶である。探照灯は対空レーダーと連動して動くようになっているが、対空レーダーは青軍のジャミングによって使用不可能になっている。赤軍は現在、「何もしないよりマシだから、対空砲火をあげている」という状況だ。
「攻撃隊Dは滑走路破壊爆弾搭載ですから、対空砲火の中に突っ込ますのはどうでしょうか」
滑走路破壊爆弾は高空から投下すると、爆弾が散らばってしまって、適切に滑走路を破壊することができない。そのため、低空から投下するのだが、要塞並みの対空砲を持つ双子島に飛び込ませて良いものか?
「そうだが、抗堪性の良い六式だ。落とされることは、まずないだろう。攻撃させよう」
青軍は本命である攻撃機隊に攻撃命令を下した。レーダーも潰しているし、対空砲火は滅茶苦茶。双子島に夜間戦闘機が配備されていない。それを勘定すると、「飛行場施設の破壊」という作戦目標のために、滑走路破壊爆弾での攻撃は必須だ。
結果は攻撃隊Dの爆弾によって滑走路は完全に破壊された。しかし、乱数は振れたのか、攻撃機が1機撃墜されてしまった。
「よし。AWACSより攻撃隊BおよびCへ。発電施設および格納庫への攻撃を開始せよ」
攻撃隊Dは低空侵入による滑走路破壊だったが、今度の攻撃隊B、Cは高空から誘導爆弾による攻撃だ。対空砲火は低空のみで、高空までは届かない。雲量も少なく、レーザー誘導で精度バッチリ。
攻撃は成功。格納庫は2つとも完全に爆砕された。発電施設の発電機は半地下状態で設置され、掩体まで建設されて守られていた。しかし、掩体は地中貫通爆弾の前に簡単に貫徹判定を出し、守るべき発電機は破壊された。
そして攻撃隊B、Cは1機の損耗機を出すことなく、戦闘空域を離脱する。
「演習終了。青軍の勝利です」
統裁官の声が部屋に響き渡った。攻撃機1機の損害だけで、「飛行場施設の破壊」は完了した。
第523海軍航空隊は橫須賀鎮守府所轄の哨戒・攻撃機部隊である。伊豆諸島からマリアナ諸島まで続く長大な哨戒線を築く部隊の1つである。
その第523海軍航空隊基地の司令室。陸軍の支隊長が誤射に関する謝罪をして退室した後に、磯波は双子島脱出についての報告をした。
司令である大佐は青褐色の第三種軍装を着ており、薄毛気味の髪の毛はすこし寝癖がついていた。夜中に突然叩き起こされただろうに、所々にシミがある顔は柔和だった。
「相分かった」
報告を聞き終わった大佐は、そう一言言った。報告の内容は「双子島の砲台が自分に向けて発砲してきた。上官の命令で双子島から逃げた」という理解困難なものだったのだが、磯波が着る血濡れのセーラー服がその報告の説得力を担保していた。
「双子島の根拠地隊や空軍は壊滅した……と見て良いのか?」
「空軍はよく分かりませんが、根拠地隊は……はい、おそらくは」
磯波は顔を少し伏せて、断定をしない返答をする。
「深海棲艦の襲撃ということではないのだな?」
「はい。先ほども申し上げた通り、それは間違いありません」
大佐は天上を見上げ、顎をさすりながら、考え込むような顔を見せた。しかし、特に何も考えつかなかったのか、磯波の方に向き直る。
「明日の朝、横鎮(橫須賀鎮守府の略)への航空機を出す。朝までしっかりと休み、朝、それに乗って本土に戻り、命令を受けろ」
「了解しました」
「ふむ。もう下がって良い……が、その服は問題だな。おい、従兵。磯波大尉に風呂の用意をしてやれ。あと服も酒保の店員を起こして、用意させろ」
磯波は風呂と聞いて、緊張の糸が切れたのか、腹の虫が鳴いてしまう。磯波はあまり意識していなかったのだが、もう12時間近く飲まず食わずの状態だった。そりゃ、腹の虫が鳴くのも致し方ないだろう。
「申し訳ありません」
「そうか、そうか、腹も空いているな。従兵、飯の用意もだ」
大佐は笑って、従兵に命令した。
磯波はご飯より風呂を優先した。お腹は背中とひっつくくらいに減っているのだけれども、とにかく体をさっぱりとさせたかった。
髪や肌に付いた汗と潮と血。それらはお湯と石鹸の泡によって、溶けだし、混ざり合い、洗い流されて、排水口へと流れ去る。
「髪、痛んじゃったかな?」
目につく髪の毛と体の汚れを粗方落とした磯波はおもむろに髪の毛先を手に取って、まじまじと見る。枝毛がかなりの数あった。磯波の表情は曇る。12日は海上訓練なし、ということだったから、洗い流さないタイプのトリートメントを付けていなかった。保護膜なしの髪の毛に、潮風と海水、紫外線の複合攻撃。キューティクルにとっては大ダメージ。そして、このざまである。
サボるんじゃなかった。磯波は後悔した。
「いっそのこと、切ってしまおうか?」
長い髪は手入れが大変だ。ブラシで解くのも時間は掛かるし、洗うのも大変。海水を被って乾燥すれば、塩分でベトベトして、不快にもなる。2つの三つ編みは海軍艦娘学校からずっとしている髪型だが、ずっと変えないのもいかがなものかとも思う。馬鹿のひとつ覚えのような感じもする。でも、浦波は可愛らしいと言ってくれているし、髪が長ければ、色々とおしゃれもできる。
はて、どうするか。
そんなことを考えていると、浴室の扉が開く音がした。振り向くと、白っぽい空軍迷彩服を着た女性兵が立っていて、礼をした。左手には籠を持ってる。
「大尉殿の着替えはこの籠の中であります。籠は扉の脇に置いておきます」
「はい、分かりました」
「失礼します」
兵は扉を閉めて去った。それを見届けて、磯波はシャンプーを適量手に取る。
しっかり泡立ててから、髪に付ける。そして優しく、揉むように洗っていく。頭皮は爪を立てないよう、指の腹で洗う。
十分に洗ったら、シャワーで泡をしっかりとすすぎ落とす。そしたら、タオルで髪の水気をこれまたしっかり切って、そうしたらトリートメント。髪を傷めた分をしっかり取り戻さなくてはいけない。
トリートメントを手に取り、毛先からしっかりと馴染ませていく。枝毛になっていた辺りは特に念入りに。
「うーん、やっぱり切ろうかなぁ」
トリートメントを全体に塗り終わり、髪に馴染むまでの数分間。磯波は髪を切ったときの自分のイメージを頭の中で描いて過ごした。
艦娘の階級は大尉で固定です。空母だろうと駆逐艦だろうと大尉です。しかし、艦娘は種別的には将校相当官なので、士官や特務士官とは区別されます。
さらに、その場で階級的には艦娘が最上位だとしても、艦艇の指揮が執れるわけではありません。艦娘は艦内で仕事をするわけではないので、海軍機関科問題のようなことはおそらく起きないと思います。
春イベントの新規実装艦が冲鷹じゃなくて大鷹で安心しました。新田丸と春日丸では事情が全く違うのですよ。
ちなみに「艦娘という存在」では2名のオリジナル艦娘が登場します。片方は陸軍船舶です。