ある裏路地から始まった物語 作:UN
生存報告もかねて……
あとしれっと更新すればエタっていたことがばれないと聞いたので……
そもそもこの作品を覚えている人がいるのかどうかがかなり怪しいですが。
後、誤字脱字が多い可能性があるのでご気づきの方はご報告していただけますと助かります。
それは葉桜の季節をすっかりすぎたある日。蝉たちが我が世の春とばかりに我が物顔で人の迷惑を顧みず魂の限り鳴き続け、空には青という絵具をバケツ一杯に溶かし、白い空というキャンパスに思いっ切りぶちまけたような青色が覆っていたある夏の日のことだった。
俺は我が家のボロアパートの下、台所に立っていた。
「いいぞ、愛支。そう、フライパンはひっくり返そうとせず、手前に引くのを意識して振るんだ」
連日に次ぐ猛暑の中でとうとう折れて先週から使い始めたエアコンからは時折がーがーと不審な音が聞こえていた。その有様は酷使をすればストライキも辞さないというような意思表示にも感じる。例年夏には酷使をしている分多少のストライキはしょうがないとは思うのだができれば、それは酷暑を乗り切った後にしてほしいのと切に願う。
エアコンなんて買える余裕は我が家にはない。もしもエアコンが仕事をストライキかボイコットをした暁には今年の夏は扇風機で乗り切らないといけなくなる。そうなってしまえばそれは自活問題だ。地球温暖化にヒートアイランド現象のダブルパンチで夏を乗り換えらえれるか分からなくなる。
出来ることなら来年も、いやこれから先も俺が住む限り一生このエアコンとは仲良くやっていきたいものだ。
「う、うん。大丈夫、で、できるよ!」
窓の外からはクマゼミの声、部屋の中ではがーがーと不穏な声でなくエアコンの声が響く中、新品のエプロンを着た愛支は一生懸命にフライパンと格闘していた。俺にとっては低い台所だが、愛支の身長では少しばかり高いようで若干背伸びをしながらフライパンの取っ手をあせあせと振っている。
「うんうん、頑張ってたもんな。いい感じだ。火が十分に通ったと思ったら味付けに塩コショウとタレを入れるんだぞ」
フライパンの中には、色とりどりの野菜が愛支の振るフライパンと先端がゴムになっているトングの動きで右へ左へと揺れている。もやし、きゃべつ、ニラ、人参……。色とりどりと言うのは少しばかり言い過ぎたかもしれない。暖色系の色が人参しかない。
まぁ、本来ならここに肉が入って火が入る間は赤色が増える予定だったのだが、給料日前の財布では賄いで貰う以外に肉など買える余裕がなく結果として肉野菜炒めの肉抜きとなったのである。
ちなみに肉が買えない人間に野菜など買う余裕があるわけもなく、もやし以外はバイト先からの貰いものである。
「わ、分かってるよ! 先生っ! それくらいっ!」
待っく余裕のない声色でまるでシャボン玉を触るかのような慎重な手つきで愛支は塩コショウを振る。その顔色は親の仇を討たんとするごとく真剣だ。
――先生……先生ね。
いつの間にか彼女は俺のことを先生と呼んでいた。それは俺が彼女に半ば教師のように物事や社会常識を教えているからということと、きっと今読んでいる本の影響だろう。
彼女が今読んでいる本は夏目漱石の『こころ』。
誰もが知っている名作である。内容のほうは今さら俺の口から話す必要もないだろう。
――彼女はきっと天才だ。
俺の少ない語彙力では、凡夫ないい方であるがそう言うしかない。春にあの裏路地で出会いなんやかんや真夏の今まで続いた不思議な生活は早4ヵ月を迎えようとしていた。そのたっ4ヵ月の間で児童書をどうにか読んでいた彼女が今では純文学や最近ではヘミングウェイの老人と海などの原書も読むようになった。
勿論、今でも分からない文字や表現があれば俺に聞いてくることはあるが、それでもこの成長速度は異常である。今では俺のほうがまだ何とか教えてれるだけの学力と社会経験はあるが、近いうちに知識だけで言えば俺を抜くだろう。
それに彼女は努力できるタイプの天才だ。俺が愛支に買い与えていノート、通常愛支ノートはすでに20冊を超えている。日記もかねて書いているそうだが、それでもこの消費のスピードは異常である。
ちなみにそのノートの中身を見たことはほとんどない。なんでも大事なことも書いてあるそうな。まぁ勝手にのぞいて、藪から蛇が出るならまだしも、鬼なんか出た日には当てられないため見ないことにしてる。
「ここで、タレをいれて……大丈夫、先生に教えてもらったとおりに出来てる」
「…………」
そんな彼女顔とフライパンの中で炒められている野菜を見ながらふと思い出す。彼女がこうしてフライパンを振るようになった時のことを。
何別にそんなに重要な回想でもなんでもない。ただインパクトが強かっただけだ。
――あれはこの夏、蝉の声を初めて聞いたある日の夜だった。
いつも通り家に帰ると謎の液体がそこにはあった。机の上にバイト先で貰った大ジョッキの中にあるその液体は一言では言い表せない色をしていた。大きなパレットにミドリと赤と茶色と紫と……と思いつく限りの絵具をとりあえず入れて混ぜたような、それでいて真っ黒ではなく茶色が強くでたその色は今思い返してもなんと表現したのか困った色をしていた。
俺に分かったのはそれが大ジョッキの中に入っていたため、液体であろうということだけだ。
そんなジョッキを机の上において俺を出迎えてくれた何故か若干ドヤ顔染みた愛支にその液体は何かを聞いたところ彼女の回答は至極単純だった。
なんでも読んでいた本をもとに俺に夕食を作ってくれていたらしい。愛支なりに俺のことを思って作ってくれたのだろう。その気持ちは今でも嬉しいし、きっとこれから先も思い返しても嬉しいと思う。
しかし、問題はそれが愛支にとっての初めての料理であると同時に、俺の部屋には料理本なんて一切ないことだった。今さら言うまでもないが俺のバイト先の一つに飲食店がある。家にもそのバイト先からもらった食材や使わなくなった調理器具がある。しかし、あくまでは調理は仕事だけであり調理本やレシピ本を買ったことはなかった。
基本的に俺の部屋にあるものしか読まない愛支が調理本やらレシピ本を呼んだようなことはなく、彼女が参照にした本は丁度彼女が読み終えたかのルイスキャロルが書いた不思議の国のアリスだった。
読んだことがある人なら分かってもらえると思うが、不思議の国のアリスにご丁寧に何かを作る調理法なんて乗っていることはない。聞けば彼女は『少し飲んで、その味がサクランボ入りのパイとプリンとパイナップルと七面鳥の焼き肉とタッフィーとトーストを混ぜた様な味。素晴らしい味。』の一文からこの料理?を作成したらしい。ちなみに作成方法は材料をミキサーに入れスイッチをオンにするだけである。これも聞いてみるに俺が時間がないときに作っている料理(野菜・果物ジュース)を参考にしたらしい。まぁ、味のほうは彼女の名誉のために墓までもっていこうと思う。
――閑話休題。
ともかくとして、その晩以降、時々愛支に調理を教えることになった。
そして、今日はじめて一から自分で料理を作成しているというわけだった。そんなことを思い出している時だった。いつの間にか火が殆ど通った野菜を前に愛支が何かを覚悟したような声色でいう。
「よし……ここで味見をして」
トングを片手に固唾を飲む眼差しで彼女は震える手つきでフライパンの中身を掴むと、ごくりと息を飲み逡巡したのち、眼をつぶり、パクリとその口にいれた。
そして、固く目を閉ざしたまま一つ、二つとゆっくり口を動かし口に入れたものをかみ砕く。刹那、端から見ている俺の目からみても彼女の顔色が悪くなるのが分かった。
――どうして彼女はここまでするのか……?
ゆっくりと咀嚼する愛支を見守りながら、そんなことを考えた。
喰種の一般的なことは俺でも知っている。その中で喰種は人間以外の物がひどくまずく感じることも知っていた。しかし、それは知識としては知っていても、どれほどの味がするのか、どれほどの苦痛なのか俺には想像がつかなかった。
初めて料理を教えて日、彼女は俺の真似をして味見をした瞬間――
――胃の中のものを全て吐き出した。
喰種が人間の料理を口に入れるということは拷問に近い、毒を食べることと同意義あると知ったのはそのずっと後だった。
それ以降、勿論彼女には味見の必要はないと伝えているのだが、彼女は頑なに首を縦には振らなかった。
――『珈琲以外に、先生と同じものを少しだけでも食べて、その気持ちを味わいたくて』
そんなことを言われてしまえば、「そうか、じゃあ美味い物作らないとな」と返す以外に言葉がなかった。
顔色を青くしながら、それでも彼女はゆっくりと口を動かして数分にかけて口の中のものを咀嚼し、こくん、と嚥下した。
「…………やった。やったよ! 先生! 味見できた!」
眼を見開き半ば飛び跳ねるように彼女は言う。その顔色はさきほどと変わらないはずなのになぜか調子が良さそうに見えた。
「そうか……美味しかったか?」
「うん……多分、美味しい。うん、先生に言われたとおりに出来たから!」
そう言った後に彼女は視線をコンロに向けて、
「あ……」
と呟いた。
そこには火にかけられたままのフライパン。彼女が味見に要した時間、ずっと火にかけられていた具材はところどころ黒く焦げていた。
「なに心配するな。野菜は少し焦げていたほうがおいしいんだよ」
落ち込んだ様子の愛支の頭をかくる撫でながら、菜箸でフライパンの中の少し焦げた人参をつまみ口に入れる。
「うん、美味い」
少し焦げたそれは確かに美味しかった。
喰種ではない俺に彼女の味覚は分からない。逆に喰種である彼女は俺の味覚が分からない。
俺にとっての美味しいと彼女にとっての“美味しい”が交わることはこれから先一生ないだろう。
しかし、今日この瞬間、彼女が“美味しい”料理を作り、俺が“美味しい”と思った料理を一緒に食べたことは紛れもない事実である。味覚の際はあれど俺たちは確かに“美味しい”料理を共にしたのだった。
皿に盛り付けた料理は確かに少し不格好ではあったが、やはり美味しかった。
俺は今日のことは一生忘れないだろう。
とくもかくにもある夏の日はこうして過ぎていった。