時系列は、魔王討伐後。
そこはアクセルの街にある、エリス教の教会。
参列するのは街の有力者や、近場からやってきた貴族達。
……そればかりか、王族、紅魔族、アクシズ教徒、さらにこの街の冒険者や孤児までもが教会の中にいる。
以前にも、この同じ場所で、同じような事をやったわけだが、あの時とは比べものにならないほどに騒々しい。
ざわめいていた教会の中が、やがてシンと静まり返る。
係りの人の合図でドアを開け、俺が控室を出ると。
反対側にある新婦用の控室から、親父さんに手を引かれたダクネスが歩いてきて……。
純白のドレスに身を包み、顔の前をヴェールで覆っていたダクネスが、俺の前に立つと、俯いていた顔を上げまっすぐに俺を見上げる。
ダクネスは顔を赤くし、瞳を潤ませて、口紅を引いた唇を嬉しそうに綻ばせている。
クソ、やっぱりコイツ、見た目だけはいい。
中身は変態痴女のくせに。
モンスターの群れを見かけたら、止めるのも聞かず突っこんでいくくせに。
顔がいい上に化粧までしているダクネスは、ひと目見たら目を離せないくらいの美しさで。
知らず知らずのうちにダクネスに近づこうとしていたらしく、俺は親父さんにゴホンと咳払いをされて我に返る。
……なんだろう、すごくデジャヴを感じるのだが。
教会内のパイプオルガンが厳かな音楽を奏で始める中、俺はダクネスをガン見したまま、ダクネスが歩きだすのに合わせ、くっついていく。
自分がどこにいるのかも忘れ、ダクネスが立ち止まったので立ち止まると、そこは祭壇の前。
厳かな音楽がピタリとやみ、俺が前を見ると、そこには呆れた顔のアクアが。
「汝ー、ダクネスは。このダクネスがきれいすぎて鼻の穴を膨らませている変態ニートと結婚し、神である私の定めに従って、夫婦になろうとしています。あなたは、その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、ニートを愛し、ニートを敬い、ニートを慰め、ニートを助け、その命の続く限り、堅く節操を守る事を約束しますか? ねえダクネス、本当にこんなんでいいの? この変態ニートったら、今のダクネスを見て、あの熊みたいな領主の人とおんなじ反応をしてるんですけど」
「ニートニートうるせーよこのバカ! 言っとくが、ここ最近のお前は俺よりよっぽどニートみたいな生活を送ってるからな」
「はあー? 女神が働かないのは当たり前の事なんですけど。それに、私はこうしてきちんとアークプリーストとしての職務を果たしているんだから、文句を言われる筋合いはないわよ!」
「フフッ。お前達は相変わらずだな」
と、俺とアクアのやりとりに、堪えきれないというようにダクネスが笑いを漏らし。
すぐに表情を引き締めると。
「誓おう。私はカズマを生涯愛し続ける」
お、おう……。
いや、俺だっていい加減に腹を括ったつもりなのだが、こんなにキッパリ言いきられると照れるというか。
「汝ー、サトウカズマは。このダクネスが世間知らずなところに付けこんで結婚し、神である私の定めじゃないものに従って、夫婦になろうとしています。あなたは、その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、ダクネスを愛し、ダクネスを敬い、ダクネスを慰め、ダクネスを助け、その命の続く限り、堅く節操を守る事を約束しますか? 出来ないでしょう? 意志が弱くて浮気者のカズマさんの事だから、どうせすぐに浮気をしてダクネスを泣かせると思うわ。ねえダクネス、やっぱり考え直した方がいいんじゃないかしら?」
「おいやめろ。世間知らずなところに付けこんだだの、どうせすぐに浮気するだの、偉い人とかもいっぱい来てるのに、俺の風評被害を広めるのはやめろよ」
「いいんだ。私はカズマが好きだ。カズマがどんな風に変わったとしても、ずっとカズマの事が好きだ。この男が浮気をして、家庭をまったく顧みなくなっても、置いていかないでくれと縋りつく私を足蹴にし、家の金を持っていっても、私はこの男の事が好きなのだと思う。結婚までしたのに寝取られとか……、んくう……!」
「興奮してんじゃねーよ! お前ら、俺が浮気するのを決定事項みたいに語るなよな」
祭壇の前で揉めだした新郎新婦と聖職者に、教会内がざわめきだす中。
アクアがわざとらしく咳払いをして。
「……コホン! それじゃあ、誓いのキスを」
その言葉に、俺とダクネスは向かい合う。
俺が、ダクネスの顔を覆っているヴェールを除けると……。
間近で見つめ合うダクネスの瞳から涙が溢れ、一筋の涙が頬を伝う。
「な、なんだよ! こんなところで泣くのはやめろよ。わ、分かったよ! 浮気なんかしないよ! おいなんだその目は? まだ何もしてないのに疑うのはどうかと思う。……し、しないようにするから泣きやめって!」
「す、すまない。これはその、違うんだ。カズマが私を選んでくれるとは思っていなかったから、いろいろと込みあげてきてな……。それに、やはりめぐみんに悪いような気もするし……。嬉しいような、申し訳ないような、夢の中にいるような……、自分でも自分が何を考えているのか分からないくらい、いろいろな思いが溢れてきて……」
泣いているんだか笑っているんだか分からない表情で、ダクネスが顔を近づけてきて――!
「私は幸せだ」
――結婚式の後の宴会にて。
クリムゾンビアーの入ったジョッキを片手に、アクアがニヤニヤ笑いながら。
「結婚おめでとう! ダスティネス・フォード・カズマさん!」
「おめでとうございます、ダスティネス・フォード・カズマ」
ダスティネス・フォード・カズマという名前は、紅魔族的にもおかしいらしく、めぐみんまでもがニヤニヤしているが。
「名前の事でめぐみんにからかわれる筋合いはない」
「なにおうっ!」
お父さんお母さん。
普通の子にまっすぐ育てよと言っていた、あなた方の可愛い息子は。
貴族のお嬢様を嫁にして、貴族の仲間入りを果たしました。
*****
――翌朝。
コンコンと、聞く者を不快にさせない大きさの、気配りのなされたノックの音。
その音とともに目を覚ますと。
「お嬢様、カズマ様、お目覚めでしょうか。朝食をお持ちいたしました」
ドアの外から聞こえたその声に、俺は昨夜の事を思いだした。
昨夜は、お前達は新婚夫婦なのだから帰りなさいと親父さんに言われ、宴会を途中で抜けて、ダクネスとともにダスティネス邸にやってきた。
そして……。
…………。
俺と同じく寝不足のダクネスが、身を起こしながら。
「お、おはよう。すぐに食堂に行くから……!? へ、部屋に持ってきたのか? いつもはそんな事していないのに……!」
ダクネスが言うと、失礼しますという言葉とともに、メイドが部屋に入ってきて。
「旦那様が、今日くらいは気を配ってやれと仰ったんですよ。お嬢様達は新婚なのですから、お二人で仲良く食事でも……!?」
と、にこやかな表情で朝食を運んできたメイドが、言葉を止め、俺とダクネスが寝ているベッドを驚愕の表情で見つめる。
そこにあるのは、シーツに染みこんだ生々しい血の跡。
何か事件があったのではというほどの血の跡に、メイドがすごい目を俺に向けてくる。
「こ、これは! これは、その……! そ、その……、そうだ! ふ、夫婦の間の事だから、そっとしておいてくれないか?」
そんなメイドに、ダクネスが顔を真っ赤にして宥めるような事を言うが……。
「お嬢様がそう仰られるのであれば……」
そう言いながらも、メイドは俺を睨みつけるのをやめない。
ダスティネス家の使用人が、親父さんやダクネスの事を大切に思っているのは俺にも分かる。
「では、シーツを替えますので、申し訳ありませんが、やはり食堂に……」
だからこそ、本当の事を言うべきだろう。
「いや、ちょっと待ってくれ。あんたは誤解してると思う。この血は確かにダクネスの血だが、俺がダクネスに非道な事をしたわけじゃない。単にコイツが盛大に鼻血を噴いただけだ」
「ちちち、ちがーっ! お、お前という奴は! 恥ずかしい事をあっさりとバラすな!」
「お前ふざけんなよ。お前が恥ずかしいからって隠そうとするから、俺がメイドさんに睨まれてるんだぞ。ただでさえお前ん家の使用人は、俺がお前におかしな性癖を植えつけたって勘違いしてるんだからな。これ以上勘違いされたら、これからこの家に住むのに暮らしにくくなるだろ」
そう。新婚初夜である昨夜の事、俺とダクネスは夫婦らしい事をしようと同じベッドに入り、もぞもぞしていたのだが、いざ事に及ぼうとした時、ダクネスが盛大に鼻血を噴いたのだ。
ヒールとフリーズで治療をし、続けようとするも、そのたびにダクネスが鼻血を噴いて。
泣きそうな顔で謝るダクネスを慰めていると、そんな事をする気分でもなくなってしまい、それでますますダクネスが泣きそうになって。
……そんな事を繰り返しているうちに、宴会で酒を飲んだせいか眠くなってきて、シーツに血が付いているのも気にせず、ベッドの上で眠ってしまっていた。
「俺はちっとも悪くないんだから、そんな目を向けるのはやめろよ」
「そ、そうでしたか。大変失礼いたしました」
メイドの誤解を解いた俺は、赤い顔でシュンと肩を落としているダクネスに。
「そ、そんなに気にするなよ。こういう事は、その日の体調なんかで上手く行かなかったりするらしいし、別に急ぐような事でもないだろ?」
「……なあカズマ。お前にもそういった経験はなかったはずだと思うのだが、それにしては余裕があるように見えるのは気のせいだろうか?」
――しかし、その夜もダクネスは鼻血を噴いた。
それどころか、その次の夜も。
また、その次の夜も。
「お前、なんなの? そんなに新しい属性を集めてどうするんだよ? 女騎士でドMの変態なのに純情なところもあって、貴族令嬢でバツイチ子持ちで、さらにエロい事をしようとすると鼻血を噴くって、お前はどこを目指してるんだ? というか、これまで何度も自分から俺を襲ってきたりしてたくせに、どうして今さら鼻血を噴くんだよ?」
「すすす、すまない! その……、これまでは心のどこかで、どうせ途中でお前がヘタレたり、アクアやめぐみんに止められるだろうと思っていたんだ。だが今は、私達は結婚し夫婦になったのだし、ここは屋敷ではなくてウチだし、誰にも邪魔されないのだと思うと、嬉しいような、申し訳ないような、夢の中にいるような……、自分でも自分が何を考えているのか分からないくらい、いろいろな思いが溢れてきて……」
「それで鼻血も溢れてくるってか。お前、結婚式の時のちょっと感動的なセリフを、こんなバカな理由で使うのはやめろよな」
「仕方ないだろう! 本心なんだ! 私だって、好きで鼻血を噴いているわけではない! 溢れてくるんだ! このところずっと悶々としているのは、私だって同じだ!」
「お、おう……。まあ落ち着け。こういう事に詳しい知り合いに心当たりがあるから、その人に相談してみるよ」
「相談!? 待ってくれ。その、こういった事は貴族にとっては醜聞に当たるし、出来れば他の者に知られたくない。というか、その詳しい知り合いというのは誰なんだ? お、女か?」
「女の人だけど、秘密を漏らすような人じゃないし、詳しい事はぼかしておくから心配するな」
「そ、その……。私がそういった事をしてやれないから、その女に浮気したりは……」
「しねーよ! お前は俺をなんだと思ってんの? お前が悩んでるのを放っておいて浮気するほどクズじゃねーぞ」
「そ、そうだな。疑ってすまなかった。お前が誰かに取られてしまうと思うと、胸が苦しくなってきて……。…………んんっ……!」
「想像して興奮したのか」
「し、してない」
*****
翌日。
昼過ぎになって起きだした俺が、ダスティネス家の使用人の白い目に送りだされ、街を歩いていると。
通りの向こうから歩いてくる、見知った女盗賊の姿が。
「よう、クリスじゃないか。おはよう」
と、挨拶をする俺に、駆け寄ってきたクリスがいきなり掴みかかってきて。
「見つけたーっ!」
「おわっ!? な、なんだよ。おい落ち着けクリス。いきなりどうしたんだよ」
「どうしたんだって訊きたいのはこっちの方だよ! ねえカズマ君。どういう事なのかな? ここんところ、毎日ダクネスがエリス教の教会に来て、すごく熱心にお祈りしていくんだよ! 夜にベッドの上で鼻血を噴きませんようにって! ねえキミ、ダクネスに何してんの? 結婚したからって、ダクネスに変なプレイを要求するのはやめてよ!」
昼間、ダクネスが何をしているのかは知らなかったが、エリス教の教会に行っていたらしい。
エリス教の教会で祈ったから、女神エリスに心の声が聞こえてしまい、こうしてクリスが俺のところにやってきた、と。
「いや、ちょっと待て。俺は別に、ダクネスに変なプレイなんて要求してないぞ」
「じゃあダクネスがどうしてあんな事をお祈りしてるのか、説明してくれるかな! キミはダクネスと結婚したんだし……、という事は、その……、夜は一緒のベッドで寝てるんだろう? ダクネスが鼻血を噴いている理由も、当然知っているんだよね?」
恥ずかしそうに俺から目を逸らしながら、クリスがそんな事を……。
…………。
「もちろん知っているが、変なプレイっていうのは具体的にどういうのが駄目なんだ? 俺もダクネスの事は気遣っているつもりだが、ひょっとするとマズい事をしてしまってるかもしれないからな。その変なプレイとやらについて、詳しく教えてくれないか?」
「そ、それは……! その……!」
「どうしたんだ? 変なプレイってのがなんなのか教えてくれないと、気を付ける事も出来ないじゃないか。ほら、ちゃんと教えてくれよ。具体的に。詳しく」
「……カズマさん? わ、私へのセクハラは強烈な天罰が下りますよ。ゲームでいくらガチャをやってもレアキャラが出なくなるとか。そして出てもすぐにサービスが終了してしまうとか」
「それはもう俺には関係ない話だが、冗談なので許してください」
相変わらず、アクアの微妙な天罰と違い、エリスの天罰はえげつない。
日本でヒキコモリをやっていた頃なら即死だった。
「それで、どうしてダクネスは毎晩鼻血を噴いているのさ?」
「話してもいいけど、誰にも言うなよ」
当たり前だという顔で頷くクリスに、俺はダクネスが鼻血を噴く理由を説明する。
「そそそ、そっか。え、えっちな事をしようとしたら……! へ、へえ……! というか、やっぱりそういう事をやってるんだね? ……えっと、二人って、もうちゅーはしたんですか?」
「結婚式の時にしてたのは、お前も参列してたんだから見てただろ」
「あ、うん。そ、それだけ? あれ一回だけなの?」
「そんなわけないだろ。親父さんが気を遣ってくれたのか、同じ部屋で寝起きしてるんだし、やろうと思えばいくらでも出来るよ」
「……!?」
俺の言葉のどこに反応したのか、顔を真っ赤にするクリス。
「それで、ダクネスが鼻血を噴かないで済む方法がないか、誰かに相談しようと思ってるんだよ」
「そ、そっか。キミもダクネスのために、いろいろと考えてくれてるんだね。でも、こういう事が相談できる人なんて、カズマ君の知り合いにいたっけ? あまり人に広めたら駄目って、ダクネスに言われたんだろう?」
「……ま、まあ、そうだけど。そこら辺は上手くやるよ。これでも俺は、アクセルではそこそこ有名人だしな」
「アクセルではっていうか、魔王を倒したキミは世界的にも有名人だと思うけど。そういう事ならあたしも手伝うよ」
「い、いや! わざわざクリスに手伝ってもらわなくても大丈夫だぞ。その、お前だっていろいろと忙しいだろ?」
悪魔を見ると見境なく襲いかかるクリスを、あの喫茶店に連れていくのはさすがにマズい。
「うん? キミが魔王を倒してくれたおかげで、最近はそんなに忙しくないよ。モンスターの被害も減ったし、銀髪盗賊団としての活動もそれほど急がなくて良くなったからね。それに、ダクネスの事はあたしも心配だからね」
「お、おう……」
ダクネスを心配するクリスに、ついてくるななんて言えるはずもなく……。
……あれっ?
何これ詰んだ。
「――ていうか、その、えっちな事で鼻血を噴くなんて事、本当にあるんだね。そういうのって、漫画の中とかだけだと思ってたよ」
街を歩きながら、クリスがそんな事を言う。
「漫画とか詳しいんですねエリス様」
「エ、エリス様じゃないから! 今のあたしはクリス様だから!」
盗賊のクリスが日本の漫画について詳しいはずがないので、女神としての力を使って日本へ行き、漫画を読んでいるのだろう。
「クリス様、今度俺にも漫画を読ませてくださいよ。続きが気になってるやつがあるんですけど」
「わ、分かったよ。前に、キミの国の漫画を集めておくって約束したし、ちゃんと買い集めて、天界に保管してあるから……。でも今は、ダクネスの事だよ!」
「まあそうだな。鼻血って、漫画だと興奮しすぎてとか、恥ずかしすぎて感情が高ぶってとかなんだけど、鎮静効果のあるハーブを試してみたけど駄目だったな。他には、事前に鼻を冷やしてみても駄目だったし、俺の必殺技でダクネスの体力を奪ってみても駄目だったし、ダクネスが聖騎士として明鏡止水の境地に至ればとか言いだしたけど駄目だったぞ。最初から鼻に詰め物をした時は、鼻血の勢いで詰め物が飛びだして、俺が笑ってたらダクネスに殴られて気絶して目が覚めたら朝だった」
「そ、そうかい。……思ったよりいろいろ試してるんだね」
「まあ、思いつく限りの事は試してみたよ。このままだと俺だって生殺しだからな。正直、もう鼻血が出ても気にせず続けてくれって言われた時は、本気でそうしてやろうかと思った」
「そそそ、そっか! ダクネスがそんな事をね! あのダクネスが……!」
目を泳がせ、顔を赤くしたクリスが、ぽりぽりと頬の傷跡を掻く。
と、そんなクリスが表情を明るくし、道の先を指差した。
「ほら、ここだよ! ここならあんまり人が来ないし、誰にも聞かれたくない相談をするにはいいかと思うんだ。懺悔室は、懺悔だけじゃなくて、内緒の相談も受けつけているからさ」
クリスが指差した先にあるのは、小ぢんまりとしたエリス教会。
「確かに、懺悔室なら素性を知られる事はないし、今回みたいな場合にはうってつけかもしれないが。教会って、えっちな相談も受けつけてるのか? なんていうか、そういうのは禁じてるイメージがあるんだけど」
「そんな事はないよ? エリス様は幸運の女神だから、安産祈願も受けつけているんだよ。だから、なんていうか、新婚夫婦がそういう相談を持ちかけてくる事もあるみたいだね」
キスの話題くらいでいちいち照れているくせに、安産祈願なんて大丈夫なんだろうか。
「まあ、そういう事なら、懺悔室で相談してみるよ」
俺はクリスに見送られ教会に入ると、他に誰もいない事を確認してから、入り口のわきにある小さな部屋に入った。
部屋の天井から小さな鈴が吊るされていて、『御用の方は引いてください』と書かれている。
なるほど、顔を合わせないで相談するための仕組みか。
俺が鈴を鳴らすと、やがて仕切りの向こうに人の気配が……。
「ようこそ迷える子羊よ……。さあ、あなたの罪を打ち明けなさい。神はそれを聞き、きっと赦しを与えてくれるでしょう……」
……?
なんだろう、声に聞き覚えが……。
いや、この場では、俺はただの相談する人だし、相手はただの相談される人なのだから、気にしない方がいいだろう。
「えっと、懺悔っていうか、相談なんですけど。人に知られたくない相談だから懺悔室に入ったんですけど、そういうのってありなんですかね?」
「もちろんです。迷える子羊を導くのが我々の役目ですから。さあ、悩みを打ち明けなさい」
「……その、ふざけているわけじゃなくて真面目な相談ですからね?」
俺はそう前置きをして、仕切りの向こうの人に事情を打ち明ける。
「……なるほど。えっちな事をしようとすると相手の女性が毎回鼻血を噴く……と。何それ羨ましい。お姉さんなんか相手もいないのに。そんな幸せなエリス教徒は爆発すればいいと思います」
……ん?
「そうですね。では、こちらの入信書にサインをしてください。清貧を貴ぶエリス教徒だから、えっちな事を恥ずかしく感じてしまい、鼻血が出るのです。日々を面白おかしく自由に生きるアクシズ教徒になれば、恥じらいなんて忘れてしまうでしょう」
「セシリーじゃねーかふざけんな」
俺は、仕切りの下の隙間から差し出された、アクシズ教の入信書を破り捨てる。
コイツ、エリス教の教会で何やってんだ!
「あら? その声はカズマさんですか? という事は、その女性というのはダクネスさんですね? ダクネスさんはロリっ子じゃないし、お姉さんの趣味じゃないんだけど、そういうところはとっても可愛いから、花丸をあげちゃうわね」
クソ! せっかく懺悔室に入ったのに、いきなり素性がバレた。
「おうコラ、もう相談なんて空気でもないが、頼むからこの事は他の奴には黙っておいてくれよ」
俺が立ち上がろうとすると。
「……? 懺悔室で聞いた事を、他の人に話すわけないじゃない。それより、まだ悩み事が解決してないのに、出ていっていいのかしら? まあ、お姉さんとしては、アクシズ教に改宗するのが一番いいと思うけれどね?」
「なんかいいアイディアでもあるのか? さっき言ったとおり、思いつく限りの事は試したぞ?」
セシリーが少しはまともな事を言うので、俺は座りなおす。
そういや以前めぐみんが、あの人はたまにまともな事を言うので困りますとか言っていた。
「そうね、ここは逆に考えたらどうかしら? ダクネスさんが鼻血を噴かないようにするのではなく、鼻血を噴いても問題ないようにすれば……。そう、あなたが鼻血に興奮する体質になればいいんじゃないかしら!」
「やっぱ帰る」
「待って! お姉さんの話を聞いてちょうだい! アクシズ教は、悪魔っ娘やアンデッド以外、あらゆる事が許される教え。鼻血に興奮するのだって、少しも変な事じゃないわ! だからあなたもアクシズ教徒に……」
「結局勧誘じゃねーか! 畜生、一瞬でも見直した俺がバカだった!」
俺が懺悔室を飛びだすと、セシリーも反対側のドアから出てきて……。
「あっ! あなたはブラックリストに載ってるセシリーさんじゃないですか! 帰ってください! というか、ウチの教会の懺悔室で何を……!」
教会にいたシスターに捕まっていた。
「ちょっと、今は迷える子羊を導いているんだから邪魔しないでちょうだい! いくら邪悪なエリス教徒といえど、あなた達だって人々のために良かれと思って行動しているのでしょう? 邪魔をする筋合いはないはずよ!」
「そ、そうなのですか? ですが、ウチの教会に来た方に余計な事をされるのは……」
「エリス教徒のふりをして懺悔室で悩みを聞き、アクシズ教に入信してもらうっていう、完璧な計画なんだから邪魔しないでちょうだい!」
「帰ってください! 二度と来るな!」
追いだされたセシリーとともに教会から出ると、待っていたクリスが呆れた顔で。
「なんだか騒いでたけど、キミ、何やったのさ? ていうか、セシリーさんがどうしてウチの教会にいるの?」
「エリス教徒なんかに任せておけないから、迷える子羊を親切で導いてあげようと思ったのに断られたわ! ところでクリスさん、アクシズ教に入信しませんか?」
「え、遠慮しておきます……。あの、あんまりエリス教徒に迷惑を掛けないでほしいんだけど」
いきなり入信を迫るセシリーに即答したクリスが、セシリーを諫めようとするも。
「おっといけない! アクア様のお世話をする時間だわ! それじゃあね!」
セシリーが足早に立ち去っていくと、クリスが。
「えっと、中で何があったのかは知らないけど、解決策は掴めたの?」
「いや、セシリーにからかわれただけだった。あれだけ騒いだ後だし、顔を覚えられてるだろうから、今は懺悔室にも入らない方がいいだろうな」
――と、俺とクリスが途方に暮れていた時。
そんな俺達に声が掛かった。
「クリスではないか。……それに、カズマ? 二人とも、教会の前で何をしているんだ?」
声を掛けてきたのは、いつもの騎士の格好をしたダクネス。
「俺はほら、誰だか分からないように懺悔室で相談しようと思ってきたんだよ。そう言うダクネスこそ、エリス教の教会に何しに来たんだ?」
「そ、それは……」
ダクネスが顔を赤らめてクリスをチラチラと見る。
「あっ。クリスには事情を話したから、隠そうとしなくても大丈夫だぞ」
「は、話したのか!? なぜクリスに! ま、待て! 違う! 違うんだクリス! これは……!」
弁解しようとするダクネスに、クリスも顔を赤らめ、頬の傷跡をぽりぽりと掻きながら。
「お、落ち着いてよダクネス。大丈夫! 大丈夫だから! あたしは別に……、えっと……、とにかく大丈夫だよ!」
何を言えばいいのか分からなかったらしく、力押しでダクネスを宥めようとするクリス。
「……そ、そうか。大丈夫なのか。……その、恥ずかしい事を知られてしまったな。出来ればあまり他言しないでくれると嬉しい」
「もちろんだよ。あたしがダクネスを困らせるような事、するはずがないじゃないか」
「ありがとうクリス。そうか、カズマが頼りになると言っていた相手は、クリスだったのか」
「えっ? なんだカズマ君。相談する心当たりの人がいたの?」
ダクネスの言葉に、クリスが不思議そうに首を傾げる。
これはいけない。
二人にサキュバスの事は話せない。
「そんな事より、ダクネスはなんでこんなところにいるんだ?」
「エリス様の教会をこんなところ呼ばわりするのはやめろよお……! ほ、ほら、ダクネスが来たのは……」
「あ、そうか。お祈りしに来たのか」
「……!? わ、私がこのところエリス教の教会で祈っていた事は、誰にも言っていないはずだ! どうしてカズマが知っているんだ!」
クリスに耳打ちされ俺がポツリと呟くと、ダクネスが顔を赤くし声を上げる。
と、そんなダクネスの言葉にクリスが。
「そそそ、それは……! ど、どうしてかなあ! 不思議だね!」
……コイツは盗賊職のくせに、どうして嘘やハッタリといった駆け引きが出来ないのだろうか。
「お前が祈ってるところを、たまたまクリスが見てたんだよ。それで、ダクネスに悩みがあるみたいだけど何をやったんだって問い詰められてさ。コイツもダクネスを心配してたし、他の奴に話したりもしないだろうから、つい教えちまったんだよ」
「そ、そうそう! そうなんだよ!」
俺の言葉に、クリスが何度もうなずく。
「そ、そうか……。しかし、貴族の醜聞がどうのという前に、知り合いにこういった事を知られるのはすごく恥ずかしいのだが……」
「あ、あはは。ごめんねダクネス。あたしが無理やり聞きだしたんだから、カズマ君を怒らないであげてよ」
「ああ。私だって、カズマが心配してくれていた事は知っている」
ダクネスが、俺の方を優しい顔で見ながら、そのまま教会に入ろうとして……。
「待ってよダクネス! お祈りはやめよう! 鼻血を噴かないようにしてくださいなんて言われても、エリス様だって困っちゃうと思うよ!」
困っているエリス本人に止められる。
「そ、それはそうなのだろうが……。しかし、カズマが私のためにいろいろと行動してくれているというのに、私はどうすればいいのか分からなくてな。何も、本気でエリス様にどうにかしてもらおうと思っているわけではない。ただ、何かしていないと私が落ち着かないんだ」
「うーん……。そんなに思いつめなくてもいいと思うけど。そ、そうだ! ねえダクネス。ここんところ、ずっと悩んでいるだろう? ここらで息抜きしてみたら、いい考えが浮かぶかもしれないよ。二人はダスティネス邸で暮らしてるって話だし、一度あのお屋敷に戻って、前みたいにアクアさんやめぐみんと話をしてみたら、気分が落ち着くんじゃないかな」
「息抜きか。そうだな、確かにこのまま悩んでいても埒が明かないし、それもいいのかもしれないが……」
クリスの提案に、ダクネスが口篭もり俺をチラチラ見てくる。
……?
屋敷へ戻るかどうかの話で、俺を気にする必要はないと思うが……。
「あっ! そうか。お前、めぐみんを気にしてるんだな。確かに、俺とめぐみんは仲間以上恋人未満の関係だったわけだし、お前はめぐみんから俺を寝取ったみたいな感じだからな。でも心配するな。めぐみんは、ダクネスの事も好きだから二人には幸せになってほしいし、私の事は気にするなって……、…………」
…………。
……そういえば、めぐみんはアイリスに嫉妬して焦ったり、ダクネスとエロい展開になろうとすると怒ったりしていた。
ひょっとして、俺の前では平気な顔をしていても、こっそり泣いていたりするのだろうか?
それはちょっと嬉しいような……。
いや違う。
想像すると、胸が苦しくなってくる。
い、いや、こういうのは誰が悪いって話でもないはずだ。
俺も、普通の顔をしてめぐみんに会えばいいはず。
「……それなら、ダクネスとクリスは屋敷に行くといい。俺は朝までやってる喫茶店に行く事にするよ」
「バカな事を言うな! まったく、いつもいつもお前は肝心な時にヘタレるな! ああもう、悩んでいたのがバカらしくなってきた! ほら、来い! 今日は屋敷へ行って、いつものように広間でダラダラするぞ!」
逃げようとした俺は、クリスのバインドに捕まり、ダクネスに引きずられていった。
*****
ほんの数日前まで住んでいた、街外れにある大きな屋敷。
その屋敷の前に立ち、玄関のドアを開けると。
「おかーえり! あらっ、クリスも一緒なの? それじゃあ、三人分のお茶を淹れなくちゃ!」
「おや、お帰りなさい。ダクネスの屋敷でイチャコラしてるかと思ってましたが、意外と早かったですね。どうせカズマが、貴族の堅苦しい生活に飽きたとか言いだしたんでしょう」
広間にいた二人は、拍子抜けするほどいつもどおりに出迎えてくれる。
「アクア様! お茶なんて私が淹れますので、アクア様はどうぞソファーでのんびりしていてください!」
「そう? それならお願いしようかしら」
「はい、ただいま!」
あとなんか、セシリーがいる。
「カズマさんはなんでまた縛られてるのかしら? ねえ、これって解いちゃっていいの?」
「ああ、はい。それは屋敷に行くのが気まずいからって逃げようとしたカズマ君を縛ってただけだから、解いちゃって大丈夫ですよアクアさん」
アクアの言葉に、クリスがそんな事を……。
「「「…………」」」
……言ったせいで、広間が気まずい雰囲気に包まれる。
「『セイクリッド・スペルブレイク』!」
アクアだけが気にせず俺を縛ったバインドを解いてくれていたが。
「べべべ、別に気まずくねーし! そんな事言ってねーし!」
「そ、その……だな……。これはその……!」
「ごごご、ごめん! あたしが変な事言ったせいで!」
俺達三人が取り繕おうとして失敗する中。
めぐみんがため息を吐いて。
「まったく! どうせ二人して、私を気遣おうとでもしてたんでしょう? 確かに大好きなカズマが私以外の人と結ばれた事は、今でも悲しいし辛いですが、私はダクネスの事だって大好きなんです。大好きな二人が幸せだからって、嫌な気持ちになるはずがないじゃないですか。それに、カズマは意志が弱いので、隙を突いてちょっと誘惑すればすぐに浮気してくれるでしょうからね。一番じゃないというのは紅魔族的には悔しいですが、私は愛人でも構いませんよ」
「め、めぐみん……! ……あれっ? めぐみん!? 待ってくれ! お前は何を言っている? 今のはいい話ではなかったのか? 途中からすごくおかしな話に!? やはり私は浮気されるのか? カズマを寝取られるのか? ……ッ!」
「おい」
俺が小さく身を震わすダクネスにツッコんでいると、めぐみんが。
「そんな事より、今日はどうしたんですか? 隙あらばセクハラしようとするカズマと、変態痴女なダクネスですから、ダクネスの屋敷に篭って、それはもう淫蕩な生活をしていると思っていたのですが。クリスまで一緒という事は、何かあったんじゃないですか? 二人が困っているのなら、私も協力したいです」
と、そんなめぐみんの言葉に、皆の前に紅茶の入ったカップを配っていたセシリーが。
「それがねめぐみんさん。えっちな事をしようとするとダクネスさんが鼻血を噴くせいで、二人はまだなんにもしていないらしいわよ。えっちな事がしたいのに出来なくて、二人とも困っているんですって!」
「「ぶふっ!」」
セシリーの暴露に、俺とダクネスが口に含んだ紅茶を噴く。
「ケホッ! ケヘッ! おまっ……! いきなりバラしやがって! 懺悔室で聞いた事は誰にも話さないってのはどうなったんだよ!」
「どどど、どういう事だカズマ! なぜセシリーまで知っているんだ! 誰にも言うなと言ったのに、一体何人に話したんだ!」
顔を真っ赤にしたダクネスが俺に掴みかかってくるが、それどころではない。
セシリーは、なぜ怒鳴られるのか分からないという顔で。
「……? 何をそんなに怒っているのかしら? カズマさんとダクネスさん、それにクリスさんは事情を知っているんだから話してもいいでしょう? アクア様は女神だから話してもいいし、めぐみんさんは天使だから話してもいいはずよ。ほら、懺悔室で聞いた事を他の人に話したりはしてないじゃない。お姉さんは何も悪い事をしていないと思うの」
……この野郎。
と、俺がセシリーの言葉に頭を抱える中。
「ダクネスったら、そんなに鼻血が出るなんて大丈夫? えっちな事ばかり考えていたら体に悪いと思うの。鼻だけじゃなくて、頭にもヒールを掛けてあげましょうか?」
「あの、ダクネス。二人がそんなだと、私としてもさすがに気が引けるので、初夜くらいさっさと済ませてください」
「ふ、二人とも! ダクネスは真剣に悩んでるんだから!」
アクアとめぐみんに口々に言われ、両手で顔を覆うダクネスを、クリスが必死にフォローしていた。
「エロい事をしている途中で鼻血を噴くとか、ダクネスは純情乙女なのか変態痴女なのか、いい加減にハッキリするべきだと思います」
「ダクネスはアレね! むっつりスケベってヤツじゃないかしら! 溜めこんでるエロスが鼻血とともに噴きだしてくるのよ! やっぱり頭にヒールを掛けてあげるわね!」
「す、すいません! 純情乙女ですいません! 変態痴女ですいません! むっつりスケベですいません!」
鼻血を噴く事で、精神的に結構追いこまれていたらしいダクネスが、何を言われてもすいませんとしか言わなくなる中。
「ねえカズマ君。ダクネスがひどい目に遭ってるんだけど、止めなくていいの? アクアさんが関わってるとあたしは止めにくいし、カズマ君が止めてよ」
「あいつはひどい目に遭うと喜ぶから放っておいていいぞ」
「ねえー、お姉さんはダクネスさんと違って、ひどい目に遭っても嬉しくないわ。魅力的なお姉さんを束縛したい気持ちは分かるけど、この拘束を解いてくれないかしら?」
ダクネスを心配するクリスと話していると、これ以上余計な事をしないようにバインドで縛ってあるセシリーが、文句を言ってくる。
口に猿轡を嵌めようとする俺を、アクアが泣いて止めるので許してやったのだが……。
と、俺がやっぱりセシリーの口を塞ごうかなと考えていると。
「……ふう。これほど責められるのは久々だった。なんだか生き返ったような気分だ」
アクアとめぐみんに口々に責められていたダクネスが、ツヤツヤした顔でそんな事を言う。
「あたしが知ってるダクネスはこんな娘じゃなかった……!」
そんなダクネスに、クリスが両手で顔を覆う。
「いや、お前が知らないだけで、ダクネスは昔からこんなんだった」
「そうですね。これが私達の知ってるダクネスですよ。そんな事より、鼻血を噴かずに済む方法を考えますか。カズマがいろいろ試したのに駄目だったのですから、生半可な方法は効果がないと思った方がいいでしょうね」
「……ん。めぐみんは頭がいいからな。一緒に考えてくれると助かる」
「当然です。なんといっても、私達は魔王を倒したパーティーの仲間なんですよ。そんじょそこらのパーティーとは、絆の強さが違います」
めぐみんとダクネスが仲良く話す光景に、クリスが微笑ましそうな表情を浮かべる中。
アクアがまっすぐに手を挙げて。
「聞いて! 私にいいアイディアがあるわ!」
「却下」
「なんでよーっ! ねえ聞いてよ! すごくいいアイディアなんだから! ダクネスがえっちな事をしようとすると鼻血を噴くのは、慣れてないからだと思うの! だから、練習すればいいんじゃないかしら!」
「はあー? 練習しようにも、鼻血を噴いてどうしようもないから、どうしようかって話をしてるんだろ。いいから、お前はセシリーと遊んでろよ」
「違うの! ダクネスが慣れてないのは、えっちな事もそうだけど、カズマにも慣れてないんじゃないかしら! ほら、二人はえっちな事以外だと、恋人っぽい事を何もしてないでしょう? だから、二人でデートをして、ダクネスがカズマに慣れたらいいと思うの!」
アクアがまた、ドヤ顔でバカな事を言っ……。
……おい、今なんつった?
いや待て。
落ち着け。
アクアの提案がまともなはずがない。
何か大きな落とし穴が……。
…………。
「あ、あれっ? なあ、コレっていいんじゃないか? 本当にいいアイディアなんじゃないか? まだ試してない方法だし……」
「おおお、落ち着いてください! 別に慌てるような事じゃありませんよ! アクアだってたまにはいい事を思いついたりします!」
「な、なあ、あれは本物のアクアなんだな? 実はバニルが化けているわけではないんだな?」
「み、皆! アクアさんに失礼だよ!」
アクアのまともな提案に混乱する俺達に、クリスが声を上げる。
「何よ皆してーっ! いいアイディアだと思ったなら、素直に褒めてくれてもいいと思うんですけど!」
「そうよそうよ! アクア様の叡智を疑った愚民ども! あ、めぐみんさんは別よ。謝罪を要求します! あなた達に少しでも良心ってものがあるのなら、この入信書にサインをしなさい!」
アクアの言葉に続き、いつの間にかバインドから抜けだしたセシリーが、部屋の中に大量の入信書をばら撒く。
アクシズ教の二人が騒ぎ、入信書が降り注ぐ中。
俺がダクネスを見ると、ダクネスも何かを期待するような目で俺を見ていて。
……マ、マジで?
ダクネスとはずっと同じ屋敷で暮らしてきたわけだし、俺に慣れたとか慣れてないとか言うレベルの関係でもないと思うんだが。
いや、確かにデートとか、そういう恋人っぽい事はしていないが……。
それに、一緒に風呂に入ったり、一緒のベッドでエロい事未遂をしたりもしたが、ダクネスがああいうのを全部、心の底ではどうせ何も起こらないだろうと思っていたのなら、ノーカンって事になるんじゃないか?
ダクネスとデートかあ……。
…………。
あれっ?
なんだろう、想像してみると、悪くないんじゃないかという気分になってきて……。
「……デ、デート、するか?」
「……! お、お願いします……」
そういう事になった。
*****
――翌日。
俺は朝早くから、アクセルの街の広場でダクネスを待っていた。
昨日、ダクネスとデートをすると決まった後、クリスがデートと言えば待ち合わせだと主張し、俺はダスティネス邸へ帰ったが、ダクネスは屋敷の方で寝る事になった。
親父さんに事情を話すと、なぜか使用人全員に話が行き渡っていて、寝ているところをメイドに叩き起こされ、女性を待たせるものではありませんと言われて追いだされた。
畜生、俺って貴族になったんじゃないのかよ? 偉いはずだろ?
俺がダスティネス邸の実権を握ったら、メイドのスカート丈を短くしてやろう。
と、俺が扱いの悪さに不満を募らせ、バカな事を考えていた、その時だった。
広場の隅に立っていた俺に、声が掛けられる。
「……ま、待たせたか?」
「……ッ!?」
そこに立っていたのは、似合わないからと普段は着たがらない、清楚な感じの白いワンピースを身に着け、小さなバスケットを手に提げたダクネス。
そんなダクネスの姿に絶句する俺に、ダクネスは恥ずかしそうに目を伏せて。
「に、似合わないだろうか? そ、その、私に可愛らしい格好が似合わないのは分かっているのだが、せっかくのデートなのだからと、皆に勧められてな……。どうだろう? どこかおかしくないだろうか?」
「いや……、似合ってる……」
「そ、そうか……」
…………。
……いや、なんだこの空気。
俺とダクネスが、見つめ合ったままお互いに照れる中。
「ちゅーだよ! そこでちゅーをするんだカズマ君!」
「しーっ! 静かにしてクリス! あんまり騒ぐとバレちゃう!」
「二人とも静かにしてください! 気づかれたらどうするんですか!」
通りの角からこちらを窺う、騒々しい三人組の姿が……。
あいつら何やってんだ。
しかし、こちらに気づかれていないつもりらしい三人の姿に、二人して『ぷっ』と吹きだし、おかしな空気が消えていった。
「よし、行くか」
「ああ」
俺達が歩きだすと、三人もついてくる。
「そういえばカズマ、その格好。……その、お前も似合っているぞ。お前はイケメンという言葉に思うところがあるようだが、そうしていると、……うん。なかなか悪くない」
「あん? これはお前んところのメイドが、朝早くから俺を叩き起こして、無理やり着せてきたんだよ。この世界のファッションなんかよく知らないし、似合ってるのかどうかも分からん」
「そ、そうか。……ところで、これからどこに行くつもりなんだ?」
ダクネスが、ソワソワした様子で聞いてくる。
「どこって言われても。あいつらに見られてるのが落ち着かないから歩きだしただけで、特に目的地は決めてない。そう言うお前はどこか行きたい場所とかないのか?」
「わ、私か!? 私もその……。一応考えてはみたのだが……」
俺の言葉に、ダクネスが煮えきらない返事をし目を泳がせる。
俺もダクネスも、デートなんかした事がなかったので、昨日、俺達がデートをする事が決まった後、デートプランを皆で相談する事になった。
結局、その場にいた全員がデートをした事がなかったために、これといったアイディアも出ず、お互いに相手を喜ばせるために行き先をひとつずつ決めておくという事になったのだが……。
コイツが喜ぶ場所って言われてもなあ。
「デートって言ったら、映画館とか遊園地なんだろうけど、どっちもこの世界にはないからなあ」
「映画館に、遊園地? どちらも聞いた事のない言葉だが、お前のいた世界にあった場所なのか? 良ければ、どういうところか教えてくれないか?」
「映画館ってのは、映画を見るところだよ。説明しにくいが、本になってる物語なんかを映像にして、大きなスクリーンに映すんだ」
「それは、映写の魔道具を使った活劇とは違うのか?」
「……なんだ、この世界にも映画みたいなもんがあるのか? まあ、映像を映す魔道具はあるんだし、それくらいあっても不思議ではないのかもな」
「この街ではあまり見ないが、王都に行けば毎晩のように上映しているはずだぞ」
「ほーん? 暗いところじゃないと見られないなんて、ますます映画っぽいじゃないか。まあ、まだ明るいし、夜にならないと上映が始まらないってんなら、今から行っても仕方ないか」
「それで、遊園地というのはどういうところなんだ?」
「遊園地は、……こっちも説明しにくいんだが……、…………」
俺がダクネスに、日本にあった娯楽施設の説明をしながら歩いていると。
「……ねえ、二人がなんの話をしてるのか、よく聞こえないんですけど!」
「こっちにカズマがいれば、読唇術スキルで何を話しているか分かるんですが……。クリスも盗賊職ですし、尾行に役立つようなスキルはないんですか?」
「うーん。足跡を追跡するスキルとか、逃走用のワイヤートラップとかはあるけど、この状況で二人の会話を盗み聞き出来るスキルはないなあ」
……後ろの三人組が騒がしい。
「そ、そういや、デートの定番って言ったら、喫茶店ってのもあるな。落ち着いて行き先を決めるためにも、とりあえずどこかの店に入るってのはどうだ?」
「わ、分かった。今日はお前の行くところなら、どこへでもついていこう」
「おいやめろ。そういう事言われると、ちょっとエロい気分になるからやめろよ」
「な、なぜだ? 今の私の言葉のどこがエロいんだ? お前こそ、バカな事を言うのはやめろ!」
じゃあラブホに行こうとか言いたくなるだろ。
日本では言う機会なんかなかったが。
「まあいいや。なら、そこら辺の店に適当に入って……」
と、俺がふらふらと近くの店に入ろうとすると。
「おいカズマ。そこは喫茶店ではなくて酒場だぞ! どこへでもついていくとは言ったが、昼間から酒を飲むのはどうなんだ?」
「おっと、すまんね。いつもの癖で……」
ダクネスに注意され、その場を離れようとするが、その前に。
店の中にいた人物が俺に気づき、酒に酔ってふらつく足で店から出てくる。
「カズマじゃねーか! いや、お前さんは貴族になったんだし、カズマ様って呼ばないとなんねーか? おうカズマ様。お前さんは玉の輿に乗ったんだし、酒の一杯くらい奢ってくれるよな?」
現れたのは、チンピラ冒険者のダスト。
朝から飲んだくれているチンピラは、俺の横にいたダクネスに気づくと。
「おいおい! 誰かと思えばララティーナじゃねーか! 今日はまた可愛らしい格好して、どうしたんだよ? ははーん? お前らアレだな? デートってやつだ! 俺らが汗水垂らして働いてるってーのに、昼間っからデートとは、さすがお貴族様は違うじゃねーか! 羨ましいねえ!」
汗水垂らして働くどころか、朝から飲んだくれているダストが、俺達に絡んでくる。
こんなのはいつもの事なので、俺はダクネスが怒ってダストを張り倒すのを見守ろうと思っていたのだが……。
「大変よ! ダストとかいうチンピラが二人に絡んできたわ!」
「なんというテンプレ展開。まあ、カズマやダクネスが、今さらあんなチンピラに負けるとは思えませんが。……紅魔族的にはうずうずしてしまうシーンですね。通りすがりの謎の爆裂魔法使いとして、颯爽と登場し爆裂魔法を撃ちこんできてもいいですか?」
「駄目だよめぐみん! 街の中だから!」
あかん。
ダストは確かにうっとうしいが、爆裂魔法を撃ちこまれて消し飛ばされるほど悪い奴ではないはずだ。
ここは俺がなんとかしなければ……!
俺は、店の入り口にあったロープを手に取り。
「『バインド』!」
「あっ! カズマ、てめえ! いきなり何を……! ……!」
拘束され倒れたダストに、ドレインタッチを使って意識を奪う。
気を失ったダストは、酒場に入る人達の邪魔にならないよう、入り口のわきに転がしておく。
「よし、行くか」
何も見なかった事にして、俺がダクネスを振り返ると。
「カ、カズマ……。私のために友人を気絶させてくれるとは……! そんなに私とのデートを楽しみにしていてくれたのか……?」
なんか勘違いしているようだが、このままにしておこう。
「おお! カズマがチンピラを撃退して、いい感じの雰囲気になったわね!」
「さすがはチンピラ。いい仕事をするではないですか。では、私が二人の絆を深める第二の刺客として、二人の前に現れ、爆裂魔法を……」
「撃たなくていいから! めぐみん、ちょっと落ち着こうか! 目が紅くなってるから! 今の、結構本気で言ってるよね!」
「当たり前です。私はいつだって本気ですよ!」
……あいつらは何をやっているんだろうか。
というか、あいつらのせいで、あまりデートという感じがしない。
美女と二人きりでいる事を意識しないで済むので、これはこれで気楽なのだが……。
「おいダクネス」
「なんだ? なん……っ! い、いきなり何を……!」
「べ、別におかしな事はしてないだろ! もっとすごい事だってやってるくせに、今さら手を握ったくらいで大げさに騒ぐなよ!」
「そ、そうだな! こういうところを直すためにデートをしているのだな……!」
俺がダクネスの手を取ると、ダクネスが何かを堪えるように、真っ赤な顔をして目を瞑る。
「いや違う。お前は勘違いをしてる。ほら、あの三人がずっとついてきていて、デートって雰囲気でもないだろ? これだと俺に慣れる練習にならないだろうし、撒いちまおうと思ってな」
俺は素早く詠唱を完成させると――!
「『テレポート』!」
次に目を開けた時、立っていたのは王都の正門前。
正門前にいた兵士達が、テレポートでいきなり現れた俺をチラリと見て。
……次にダクネスを見た兵士達の目が、驚愕に見開かれる。
そういえば、今のコイツは黙っていれば清楚なお嬢様にしか見えない。
そんなダクネスが顔を真っ赤にしてソワソワしていたら、驚くのも……。
「いやお前、なんつー顔してんだよ! 顔が赤すぎるだろ! というか、エロいよ! なんか見てるだけで変な気分になるからやめろよ!」
「……どうしようカズマ。別にエロい事をしているわけでもないのに、鼻血が出そうだ」
「お、お前……。純情乙女なのか変態痴女なのかハッキリしろって言ってるだろ。なんだよ、手を繋いでるせいで興奮してんのか? それなら、手を……! おい、手を放せよ! このままだとまた鼻血を噴く事になるぞ!」
「ま、待ってくれ。これもカズマに慣れるために必要な事なのだから、私が我慢すればいい。そ、それにだ! 恋人同士がデートをする時には、手を繋ぐものなのではないか?」
「俺達は恋人っていうかもう結婚してるわけだが、まあそうかもな。そこまで言うなら、俺ももう手を放せとは言わないよ。でも、本当に駄目そうだったら手を放せよ? ヒールで鼻血は止められるが、失った血は戻らないらしいからな。お前は最近、鼻血を噴きすぎてると思う」
そんな事を話しながら正門を通ろうとすると、兵士のひとりがダクネスをチラチラと見ながら。
「お、おい。そちらの女性は具合が悪そうだが、大丈夫なのか? 気分が悪いのなら、我々の詰め所で休憩していっても構わないぞ」
「いや、大丈夫だ。駄目そうなら俺がヒールを使うし、いざとなったらテレポートで帰るから」
と、そんな俺の言葉に兵士達はなぜか表情を険しくして。
「ちょっと待て。あんた、見たところ冒険者のようだが、クラスはなんだ? ヒールは聖職者のスキルだし、テレポートは魔法使い職のスキルだろう。……テレポートを使ったのはそっちの女性なのか?」
「というか、こんな美女と一緒にいるのが、こんなパッとしない男だなんて怪しいぞ!」
「しかもこちらの美女は調子が悪そうだ! この男が何かしたんじゃないか? おい、そっちのパッとしない男、名を名乗れ!」
こいつらどうしてくれようか。
……いや、この人達は自分達の職務を全うしようとしているだけだ。
名を名乗れば疑いも晴れるだろう。
「俺は佐藤和真。今はダスティネス・フォード・カズマになったが、名前くらいは聞いた事あるだろ? そう、魔王を倒した勇者カズマとは、俺の事だ」
ご老公が印籠を出す時のような気分で俺がそう言うと、兵士達は。
「そうかそうか。それで、本当の名前はなんていうんだ?」
……あれっ?
「ヒールもテレポートも使えるっていうのは、最強の最弱職と呼ばれる勇者カズマのつもりだったのか。勇者ごっこもいいが、勇者様の名前を騙ると捕まるかもしれないから気を付けろよ?」
「魔王と一対一で戦ったっていう勇者カズマが、あんたみたいな貧弱な男のはずがないだろう」
ぶっ殺!
と、俺が兵士達に襲いかかろうとした時。
ダクネスが、繋いでいる手に力を込め俺を引き止める。
「その男の言っている事は本当だ。……これがその証明になるだろう。私はダスティネス・フォード・ララティーナ。その男は勇者カズマ。私のお、夫だ」
ダスティネス家の家紋入りのペンダントを兵士達に見せ、ダクネスが少し照れながらも凛とした表情でそんな事を言う。
やだかっこいい。
こいつ俺の嫁なんですけど。
そんなダクネスに、失礼な態度だった兵士達がペコペコと頭を下げる。
「ももも、申し訳ありません! ダスティネス卿!」
「えっ? という事は、こちらは勇者カズマ様でしたか! し、失礼しました!」
「いや、分かってくれればいいんですけどね? それじゃあ、通ってもいいですよね?」
どうぞどうぞと言う兵士達に気を良くし、俺は正門を通り過ぎようとして……。
「あ、そうだ。すいません。ちょっと聞きたいんですけど……」
王都に入った俺達がやってきたのは、大通りの一角。
以前、機動要塞デストロイヤーを討伐した時には、アクセルの街に商人達が集まり、連日、ちょっとした祭りのような騒ぎになっていた。
魔王が退治された今、ベルゼルグ王国の王都は、いつもあの時のアクセルと同じくらいに賑わっているらしく……。
そこはとある露店の前。
結界で密閉した空間をファイヤー系の魔法で温めていき、中に入った者が我慢比べをするという露店だ。
兵士にこういうのをやっている場所がないか訊いたところ、不思議そうな顔をしながらも快く教えてくれた。
「お互いに相手の喜びそうな事を考えて行き先を決めるって話だっただろ? お前が喜びそうなところって言われると、俺にはここしか思いつかなかった」
汗を流す上半身裸の男達を指差しながら俺が言うと、ダクネスは不満そうな顔で。
「……わ、私だって、たまには普通に女らしく扱ってほしい事もあるのだが!」
「俺にそんな事言われても。そもそも、普通のデートだってした事ないんだし、あんまり期待されても困る。普通に女らしくとかは知らないが、お前なら喜ぶかと思ったんだよ。ほら、お前って、エルロードでも我慢比べみたいな事やってただろ?」
「あ、あれはただ砂風呂に入っただけで、我慢比べと言うほどでは……。だが、カズマが私の事を考えてくれたという事は分かった。いいだろう、参加しようではないか。もちろん、デートなのだからお前も参加するのだろうな? 堪え性のないお前は普段ならこういった事には参加しようとしないが、今日くらいは嫌でも付き合ってもらうぞ」
「はあー? お前は何を言ってんの? 嫌に決まってるだろ。あ、コラ! 手を放せよ!」
「フフッ。デートだというのに、私をこんなところに連れてきたのが悪い!」
俺が放せと言っているのに、ダクネスは繋いだ手に力を込め、俺を我慢大会の会場に引っ張っていく。
「……これまで、何度もお前と戦ってきたが、そのたびに狡すっからい手を使われて負けてばかりいたな。だが、硬いだけが取り柄の私が、耐久力勝負で負けるわけには行かない! 私にだってプライドがある! もちろん、お前は好きなだけ卑怯な手を使って構わない。卑怯でもなんでも、それがお前の全力なのだからな。その上で、私はお前に勝ってみせる!」
「いや、お前は何を言ってんの? 本当に何を言ってるんだよ? 女扱いしてほしいって話はどうなったんだ? どうしてそんなに漢らしいんだよ?」
俺とダクネスが会場に出ると、観客が歓声を上げた。
「おーっと! 飛び入り参加者のようです! 清楚な美女と、その従者らしき若者! 獣のような荒くれ者達を相手に、二人はどれだけ健闘できるのかーっ!」
露店のおっちゃんが観客を煽る。
こんな大会に参加するのは、体力自慢の男達ばかり。
その中に飛びこんだダクネスの姿に、参加者も観客も目が離せないでいるが、結界内のあまりの暑さに俺はそれどころではない。
「あっつ! おいここ死ぬほど暑いんだが! 『フリーズ』! お前、ふざけんなよ。我慢大会なんかやってられっか! クソ、いい加減手を放せよ!」
俺がいくら頼んでも、ダクネスが手を放す気配はなく。
……この野郎。
そっちがその気なら、俺にも考えがある。
「よし、いいだろう! なら、俺の全力ってやつを見せてやろうじゃないか! いいのか? ここで俺がスティールを使ったら、武器も鎧もないお前は一発で大惨事だぞ!」
「やってみろ! 私は一向に構わん! お前が、妻である私のあられもない姿を、公衆の面前で晒させてもいいと言うならやってみろ!」
「コイツ、開き直りやがった! 卑怯者! 卑怯者! 妻だとかなんだとか言いだすのはズルいと思う!」
「こ、この男! どの口でそんな事を! 卑怯だのなんだのとお前に言われる筋合いはない! これ以上暑さを我慢したくないなら、とっとと負けを認めろ!」
我慢大会なんて冗談じゃないが、コイツの思惑に乗って素直に負けを認めるのもイラっとする。
俺は、繋がれたダクネスの手を引っ張り、ダクネスと手四つに組んで向かい合って……。
「……! くっ! ドレインタッチか! だが、魔王城帰りの私のステータスは、この国でも上から数えた方が早いほどに高い! どれほど体力を奪われても私は倒れない! それに、魔法の使えない私からは魔力を奪う事も出来ないだろう。さっきテレポートを使ったお前は、もうフリーズを使うための魔力も残っていないのではないか?」
「ふへへ、それはどうかな……? そんな事より、賭けをしないか? 勝った方が負けた方の言う事を聞くってのはどうだ? 俺が勝ったら、お前が想像も出来ないようなすごい事を……!」
「やはり賭けを持ちだしてきたな? いいだろう。では、私が勝ったら、私が負けた場合にお前がやろうとしていたすごい事をしてもらうとしよう」
「……!? い、いいのか? お前はわざと負けてもつまらないからなんていうバカみたいな理由で、剣術スキルや大剣スキルを取ってなかったんじゃないのかよ? それなのに、そんな風にすごい事をされて満足なのか?」
「構わん! 正直、このところ私も悶々とする日々が続いているし、今ならお前に何をされてもヤバいと思う!」
「エロネス! やっぱりお前はエロネスだ!」
暑さに耐える俺達の顔からは、大量の汗が流れだし、顎を伝って……。
「……! あっ、おい! ダクネス! 服! 服が透けてるぞ!」
ダクネスが着ている清楚な感じのワンピースは、汗まみれのダクネスの体にぴたりと張りつき、下着が透けている。
そんなダクネスを、大勢の参加者や観客がガン見していて。
俺は、恥ずかしそうに胸元を隠すダクネスを庇うように立ち。
「お前らふざけんな! このおっぱいは俺のもんだ!」
「……っ! ……は、はい……!」
背後でダクネスが小声で言う。
いや、はいじゃないだろ。
「なあもういいだろ? そんな状態じゃ勝負なんて場合でもないし、この場は引き分けって事にしないか?」
「だ、駄目だ! このまま行けば私は勝てるのだ! 下着を見られたくらい、なんでもない!」
「いや、なんでもないわけないだろ。なんなの? ひょっとしてお前、ドMなだけじゃなくて露出狂なの? どれだけ性癖をこじらせれば気が済むんだよ?」
独占欲なんて柄でもないと思うが、コイツの下着が知らない人達に見られているというのは正直気に食わない。
「どうしても続けるって言うなら、上着を貸してやるからこれを着てろよ!」
「断る! そんな事を言って、私を厚着させて勝つつもりだな! この卑怯者が!」
この女!
「ああもう畜生! 分かったよ! 負けたよ! 俺の負けって事でいいから、とっととこの場から離れるぞ!」
*****
ダクネスの手を引っ張って大通りを離れると、あまり人気のない公園を見つけ、芝生の木陰に腰を下ろす。
「まったく! 相変わらず、わけの分からないところで意地を張りやがって!」
「ふはは! なんだカズマ? 敗者の言い訳か?」
コイツ……!
「よし分かった。お前は俺に勝ったんだし、お前が受けたがっていたお仕置きの内容を教えてやろうじゃないか。それはもう、お前が想像も出来ないようなすごい事だよ。……お前が鼻血を噴いた理由について、詳しくバニルに話してこい」
「……!? こ、断る! 勝負に勝ったのは私だ! あれは、勝負の中での駆け引きのために言ったのであって、賭けの内容については私に決める権利があるはずだ! というか、お前は本当に容赦がないな! バニルに言うのだけは本当に許してください!」
ダクネスが泣きそうな顔をするので、このくらいで許してやろう。
……というか、あいつには見通す力があるのだから、どうせそのうちバレると思うのだが。
「そ、それで、私が勝ったのだから、ひとつだけなんでも言う事を聞いてもらうぞ。……その、一度でいいから、膝枕というものをしてみたいのだが」
「膝枕? なんだ、そんなのでいいのか? お前の事だから、バインドで縛って鞭で打ってくださいとか、俺がドン引きするような事を言いだすかと思ってたのに」
「……、……それもいいなあ……」
「ガッカリだよ! ちょっとデートっぽくなってきたかと思った俺のときめきを返せよ!」
「い、いや、冗談だ。……では、膝を借りるぞ」
そう言って、ダクネスがごろんと寝転がり、俺の膝に頭を乗せ……。
「いやちょっと待て。膝枕って、俺がする方かよ。普通、逆じゃないのかよ? こういうのって、男が女にやってもらうからいいんだろ? お前、こんなんで嬉しいのか?」
「あ、ああ……! これは想像以上だ……! どうしようカズマ。幸せすぎて鼻血が出そうだ!」
「台無しだよ! 本当に本当に台無しだよ! ほら、ちょっと魔力も回復してきたし、フリーズ掛けてやるから我慢しろよ」
「すまない。ああ、冷たくて気持ちいい……」
俺がダクネスの鼻を冷やしてやると、ダクネスが気持ちよさそうに目を細める。
アクア達に追いかけられたり、我慢比べに参加したり、全然デートっぽくなかったが、こうして木陰でのんびりしていると、急にダクネスと二人きりだという事を意識する。
日本にいた頃の俺だったら、こんなにきれいな年上の女の人とデートが出来るのなんて、ゲームの中だけだった。
「……これで選択肢が出たら、失敗しない自信があるんだけどなあ」
「……? 選択肢とはなんの話だ?」
「こっちの話だ」
俺の膝に頭を乗せたまま、ダクネスが不思議そうに俺を見上げてくる。
……このアングルはなかなか新鮮だな。
「そ、それで、お互いに相手を喜ばせる行き先を考えておくって話だったろ? 俺は我慢比べに連れてったわけだが、お前の方は何も決めてないのか?」
「……ん。あれをデートの行き先と言われると、私も思うところはあるが、まあいい。喜ばせるためというのとは少し違うが、お前を連れていきたい場所がある。構わないだろうか?」
「まあ、確かにデートで我慢比べってのは俺もどうかと思うし、構わんよ」
俺が言うと、ダクネスは腹筋の力だけで身を起こして。
「そういえば、弁当を作ってきたのだった。ここは静かで居心地が良いし、良ければここで食べていかないか?」
わきに置いておいた、小さなバスケットを手に取る。
蓋を開けると、中にはサンドイッチ。
「そうだな。さっき、余計な事に体力を使わされて腹が減ったし、貰おうか」
「ああ。腕に撚りを掛けて作ったものだ。……あ、味はどうだ?」
「普通」
「!?」
ダクネスに連れられていった先は、転送屋。
転送屋に飛ばしてもらうと、そこは……。
「……? どこだここ?」
そこは、見た事のない場所だった。
見渡す限り穏やかな田園風景が広がっていて、畑のあちこちに農民っぽい人達の姿が見える。
と、そんな農民っぽい人達が、ダクネスの姿を見るとわらわらと集まってきて。
「ララティーナ様! ララティーナお嬢様ではないですか!」
「なんとまあ、おきれいになって!」
どうやら彼らはダクネスの知り合いらしい。
親しげに挨拶を交わす様子をぼーっと見ていると。
「お嬢様、そちらの方は、もしや……?」
ひとりが俺を見て、ダクネスに問いかける。
「ああ。この男は、カズマ。魔王を倒した勇者にして、今は私の夫だ」
そんなダクネスの言葉に、誰もが嬉しそうに顔をくしゃくしゃにし、ダクネスへの祝いの言葉を口にしたり、俺の肩を叩いてお嬢様をよろしくお願いしますと言ってくる。
「急に来てすまないな。今日は私用で来ただけだから、私達の事は気にせず、皆、仕事に戻ってくれ」
農民達が賑やかに話しながら農作業に戻っていくと。
ダクネスが、そんな風景を懐かしそうに見つめながら。
「ここは、私の母方の領地なんだ」
穏やかな口調で、そんな事を言う。
「私が幼い頃、父が多忙な時などには、よく母とここへ来ていた。……私が育った場所を、お前にも見てもらいたくてな。こんな事を言われても、退屈だろうか?」
そんな事を……。
「おい、あんまり俺を見縊るなよ? ここで退屈だから遊園地に行きたいとか言いだすほど、俺はクズじゃない。……その、上手く言えないし、俺は別に日本をお前に見せたいなんて思わないからよく分からないが……、お前の気持ちは嬉しいよ」
「そうか。……私は、お前の育った世界も見てみたいと思う」
「そんなにいいところでもないと思うけどな? まあ、この世界とは全然違うよ。あ、そうだ。今度、エリス様とアクアに頼んで、日本に送ってもらうってのはどうだ? アクアは日本担当だとか言ってたし、エリス様もちょくちょく日本に行ってるみたいだから、なんとかなるかもしれん。それで、日本に行ったらテレポート先に登録しておいて、俺達だけでこっそり遊びに行けばいい」
「調子に乗るな! 個人的な思いつきでエリス様を困らせるんじゃない!」
俺の軽口に、ダクネスが苦笑しながら怒る。
と、しょうがないなという表情を浮かべていたダクネスの顔が、真面目なものになっていって。
「……なあカズマ」
「な、なんだよ?」
ダクネスは俯き、真剣な口調で。
「……私で、良かったのか?」
…………。
「お前が私を選んでくれた事は嬉しい。私は心から幸せだ。思えば、私はお前からいろいろなものを貰っている。攻撃が当たらず、誰ともパーティーを組めずにいた私を仲間に入れてくれた。私があの悪徳領主と結婚しようとしていた時、全財産をはたいてまで救いだしてくれた。そして何より、頭の固い私に様々な事を教えてくれた。お前がいなかったら、私は今でも、自分が正しいと思う事だけを信じ、大事な事を見落としていたかもしれない。シルフィーナを助けられたのだって、お前のおかげだ。本当に本当に、言葉では尽くせないほど感謝している」
俯いていたダクネスが顔を上げると、その表情は今にも泣きそうで。
「……お前が私を選んでくれた事は、嬉しい。私はお前が好きだ。だがお前の事を好きだったのは、私だけではないはずだ。お前は、以前から働きたくないだの、ぬるく生きていきたいだの、人生舐めた事を言っていたな? 私と結婚し貴族となったからには、いつまでもそんな事を言っていられなくなる。この風景を見てくれ。農民達が畑を耕し、作物を育て、収穫し、それを貴族が税として集め、彼らに還元する。貴族はただ、税を得て私腹を肥やしているわけではない。私達貴族には、農民の暮らしを守る義務がある。そのための仕事はいくらでもある。私は死ぬまで彼らのために働き続けるだろうし、その覚悟はある。だが、お前はどうだ? お前は本当に、私を選んで良かったのか? 今日までダスティネスの屋敷で暮らして、使用人から白い目で見られて、あんな環境は、お前が望んでいた暮らしとはまるで違うんじゃないか? あの、アクアとめぐみんがいる屋敷で暮らしていた方が、お前は幸せなんじゃないか?」
俺は、そんなダクネスを。
へっと鼻で笑い。
「お前バカか?」
「……!? バッ!?」
「そりゃ、めぐみんとかアイリスとか、俺の事を好きだって奴はお前以外にもいたよ。でも言っておくが、俺は別に、あいつらと比べてお前を選んだわけじゃないぞ。それに、お前を選んだ事は後悔してないしこれからもしない。まあ、貴族の義務だのなんだの言われても、正直知った事じゃないし、出来るだけ働きたくはないけどな。これまでどおり、お前が本当に困った時に出ていって、美味しいとこだけ貰っていこうと思う。使用人には白い目で見られているが、親戚全員から白い目で見られていた事に比べれば大した事じゃないし、俺は気にしないからお前も気にするな」
「い、いや、それは……出来れば気にしてほしいのだが……。というか……」
俺の反応に、ダクネスは困惑した様子で。
「……私で、いいのか?」
「だからいいって言ってるだろ。ていうか、前は私じゃ駄目かとか言ってたくせに、お前を選んだら今度は私でいいのかって、お前はどんだけ面倒くさいんだよ」
「うっ……。す、すまない! 面倒くさい女ですまない……!」
俺の言葉に、ダクネスがポロポロと涙を流す。
「な、泣くのはやめろよ! 分かった! 俺が悪かったから泣きやめって! えっと、ほら、アレだ。……お、俺の好きな奴の事を悪く言うのはやめろよってヤツだ」
俺が、日本にいた頃にネットで見かけた言葉を適当に口走ると。
ダクネスが鼻血を噴いた。
「おまっ! 最後の最後でこんなんかよ! ちょっとシリアスな感じだったのに、いい加減にしろよ!」
「すいません……! 面倒くさい上に、鼻血まで噴いてすいません……!」
と、俺達の様子を遠巻きに見ていた農民達が、敬愛するダクネスを泣かせた上に鼻血まで噴かせた俺に……。
「おい待て! 待ってくれ! 話をしよう! これは俺がダクネスにひどい事をして泣かせたとか、そういうんじゃないはずだ! だから農具を構えてにじり寄ってくるのはやめろよ!」
*****
その夜。
俺とダクネスは、明かりを消した部屋で同じベッドに入り、もぞもぞしていた。
ダクネスはほとんど透けているネグリジェを身に着け、その下には下着を着けていない。
ヤバい。
何がヤバいって、ヤバい。
そんなダクネスが、俺の体を優しく撫でまわしながら。
「……なんというか、不思議な感じだ。これまでよりも満たされている気がするのに、これまでよりも気分は落ち着いている。私は、焦っていたのかもしれないな。そのせいで鼻血を……」
「そんな事はどうでもいいから、早く! 早く続きを!」
「お、お前という奴は! お前という奴は! 少しくらいデリカシーってものをだな……!」
「うるせー! こっちはお前が毎回鼻血を噴くせいで、ここんところずっとお預けだったんだぞ! 限界なんだよ! 今日も鼻血を噴くようだったら、もう俺は朝までやってる喫茶店に行くからな! お前の分も予約しといてやるから心配するな!」
「そ、そうか。お前が何を言っているのかはよく分からないが、すまなかった」
ダクネスが俺の頬を両手で挟み、情熱的に口を吸ってきた。
口腔内をダクネスの舌が貪るように這いまわり、ダクネスが口を離すと俺達の顔の間に唾液が糸を引く。
ダクネスが恥ずかしそうに微笑みながら。
「……私を選んでくれて、ありがとう」
――この後めちゃくちゃセックスした。