出会いにして再会8~ヤマトの皇女/左の近衛大将~
『あ……また部屋を散らかしたまま。食器も洗わないまま……もう、レーションばっかり食べて』
懐かしい夢をみた、まだ自分がハクになる前のこと。自分が、―――だった時の記憶だ。
『待ってて、すぐにごはんの支度をしますから。今日はちゃんとした料理を食べさせてあげるわね』
この時は……そう、しばらく連絡をよこさなかった自分を兄さんが心配して、姉さん達を自分のところによこした時の記憶だ。だったら……
『やっほ~、おじちゃん、来て上げたよ~。ふふ~ん、喜んでよね。今日はおじちゃんの為に、大好きなカレーを作ってあげるんだから』
ちぃちゃんもいたんだよな。兄貴の娘で自分の姪っ子。なんだかんだ自分に懐いていて、少々邪険にしながらも可愛がっていた記憶がある。なんだかんだ自分もちぃちゃんの作ってくれたカレーは好きで……
『ハク、ハク……起きるかな。もう……』
ああ、クオンだ。そうかもうそんな時間か。姉さん、ちいちゃん、現実ではもう会う事は叶わないけれど夢の中であえて嬉しかったよ。
「ハク、起きるかな。もうそろそろ朝食の時間だよ」
「……おはよう、クオン」
クオンの声に目が覚める。夢の中でもう会えないヒト達の事を見たせいか、無性にクオンがここに居る事を確認したくなって、クオンの手をぎゅっとにぎる。
「ハク?なにかあった?」
「いや、昔の……それこそお前が自分を見つけて起こしてくれたのより前の夢を見てな。それで無性にクオンがちゃんとここに居るか確かめたくなった」
「そっか……。大丈夫、私はちゃんとハクの傍に居るかな」
「ああ、分かってる。ありがとな、クオン」
そう言ってから体を起こし、クオンを抱きしめ軽くキスをする。最近の朝はいつもこんな感じだ。前はフォウに呆れるような視線を向けられている様な気もしていたが、最近のフォウは反応さえしなくなっている。
その後は着替えを終え、詰め所に向かって皆と朝食をとる。朝食はいつもクオンとルルティエの合作だ。最近では白楼閣で働くヒト達も慣れてきたのか許可を取らずとも厨房を使わせてくれるという話だ。なんだかんだ自分もルルティエとお菓子の開発なんかをするときに使っているし、試作品を食べて貰っていたりすることもありそれ相応に仲良くなっている。
今日は皆仕事もなく、各々自由に過ごす事になっている。女性陣は買い物に向かうらしく朝食を食べると出て行った。キウルは今日はオシュトルが非番である為、稽古を付けてくれるそうでそちらに向かうそうだ。自分はどうするかね……そういえばあの薬屋にあれから顔を出してないし、散歩がてら少し出かけてみるか。フォウは女性陣に着いていったし、久々に完全に一人だな。よし、手土産にこの前ルルティエと共に再現したシュークリームもどき(シュウと名付けた)でも作って持っていくか。
「ちょっと、遅くなっちまったな。もう昼時だし、飯を食ってからにするか」
そう言いつつ、屋台に足を向ける事にする。いつもの串焼きの屋台に行ってみると、身なりのいい衣装を着た少女が店主と話しているようだった。
「これはなんじゃ?」
「おうそれは
「うむ、食べてみたいのじゃ」
そう言ったあとはあれもこれもと合計で二十本くらいの串焼きを食べたようだ、そして少女は金も払わずに立ち去ろうとする。店主と金を払う払わないという話をしているのを見かねて自分が声を掛けた。
「どうしたんだ店主?っと、とりあえず適当に五本串焼きをくれ」
「あ、ハクの旦那ですかい。っと五本ですね、すぐ焼きやすから。いやそこのお嬢ちゃんが物は食ったのに金は無いとか言うもんだからこっちとしても困ってまして……」
「むぅ、余はその者がくれるというから貰ったのであって、金が掛るなどとは聞いておらぬのじゃ」
そこで自分は初めて、貴族らしきその少女の顔を見る事が出来た。顔立ちは整っていて十分に美少女、雰囲気は尊大ながらも無邪気さを感じさせ子供らしさが垣間見えていた。なにより驚いたのはその顔だ。
今はもう会えない自分の姪っ子――ちぃちゃんに瓜二つの顔がそこにはあった。正直キウル達と会った時と同じような感情を感じているがそれがちぃちゃんに似た少女だったからそう感じたのか、前にも自分と関わりが合ったのかは分からない。その顔を見た事と自分の今の心境に少女が他人に思えなくなってしまった自分は、少女が食った分の代金も払ってやる事にして自分の分の串焼きを受け取る。屋台を少し離れると助けられた事は分かったのだろう、少女も自分の後をついて来ていた。
「ふぅ、まったく助かったぞ、ええと……」
「ハクだ。自分はハク。あんたは?」
「うむ、助かったぞハク。あの店主しつこくてのぉ……。余はアンジ……アンなのじゃ」
少女は店主への愚痴をぶつぶつまだ言っていたが自分にアンと名乗る。しかしこの背丈と顔以外の印象、それにさっきアンと名乗る前に言いかけた名前らしきもの……もしかしてこいつ、実は姫殿下ってことはないよな?
そんな大層な身分のヒトがこんなとこを護衛も付けずに歩いているわけが……。そこまで考えて自分の仲間達を思い出す。
トゥスクルの皇女に、エンナカムイの皇子、クジュウリの姫に、シャッホロの姫。どいつもこいつも身分が高いくせに街に馴染みまくっている面々を思い出すとさっきの想像があながち間違いではなかったように思えてくるから不思議だ。……一応、かま掛けてみるか?
「アンか……。しかし、ヤマトの姫殿下ともあろう御方が護衛も付けずに街に何をしに来られたのだ?」
「む、その言葉づかいは好かぬから、元のように話すと良い。少し民の暮らしというものに興味があって抜け出してきたのじゃ。決して勉強が嫌だからではないぞ」
「……大体分かったが、皇女なのは秘密なんじゃないのか?いいのか、隠さなくて」
自分がかまを掛けてみると見事に引っかかって自分の正体を明かす皇女アンジュ。流石に頭が痛くなって隠さなくて良いのかと助言してみると、油の切れた機械のような動きで自分の方を見てきた。正直表情は引きつっているし動きもぎこちないしで動揺しているのがばればれなんだが。
「な、何を言っておるのだ?よ、余は決してアンジュなどという、も、者ではなく、ア、アンという者じゃが」
「いや、今更誤魔化しても遅いからな。はぁ、分かったアン。とりあえず今はこう呼ぶ、流石に街中で皇女さまと呼ぶわけにもいかんしな」
わ、分かればよいと言いながら皇女さんは安堵のため息を吐く。で、今の対応で自分に危険は無いと判断したのか知らんが今から都を案内しろなどと言ってきた。自分は行くところがあると言うと、じゃあそこの後でもいいと言うので、皇女さんをつれてあの薬屋に向かう。
「おおい、ばあさんいるか?」
店に入りばあさんを呼ぶと店の奥の方からばあさんが出てきた。向こうも自分の事を覚えていたようで、笑顔で出迎えてくれる。
「ああ、あんたはハクさんだったね、いらっしゃい。あら、今日は別の彼女を連れているのかい?」
「勘弁してくれ。自分はクオン一筋だよ。この子は……とある豪族の子で今日は都の案内を頼まれてな」
「アンなのじゃ。よろしく頼むぞ」
ばあさんはそういってからかってくるので一応否定の言葉を返しておく。アンジュは自己紹介をすると興味深そうに店の中を見渡し始めた。
「ほれ、ばあさん。前に言ってた通り土産を持って来たぞ」
「あらあら、すまないねぇ。待ってておくれ、今お茶を淹れるからねぇ」
自分がシュウの入った袋を渡すと、ばあさんは奥へと戻って、三人分の茶を入れてくる。ばあさんが座ると良いといってきたので自分とアンもばあさんが座るカウンター奥の板張りの床部分に腰を下ろした。
ばあさんは皿に自分の持ってきたシュウを載せてお茶請けとしてだしてきた。当たり前だがみた事のないお菓子だったのだろう、アンジュが疑問の声を上げる。
「なんじゃこれは?余も見た事のない菓子じゃが」
「ふむ、私も見た事のない菓子だねぇ」
「ま、そうだろうな。最近仲間と開発した菓子でな。仲間や宿のヒトには好評だったんだぞ?とりあえず、まずは食ってみてくれ」
「むぅ、まずかったら打ち首にしてやるからの、ハク」
アンジュは物騒な言葉を吐くが、いつまでそう言っていられるかね。このシュウは自分とルルティエが共同で開発した自信作で、今まであった甘味とは一線を画する甘さを持つお菓子だ。正直よっぽどの甘味嫌いでもなければ美味いと言わせる自信がある。
アンジュはシュウを手にとって一口食べると目を見開き、そのまま全部食べてしまう。口に合ったようでなによりだな。
「これは……!ハク、この菓子はもっとないのか!?」
「あむっ、うん、うまい。一応六つほど持って来ていたからまだあるはずだぞ。ばあさんへの土産にだからばあさんが良いって言うなら食ってもいいぞ」
「あらあら、それならあと三つ程あるからお食べ。それにしても美味しい菓子だねぇ」
「ありがとうなのじゃ」
ばあさんがシュウの味に顔をほころばせながらそう言うので、アンジュは遠慮など欠片も見せることなく味わうようにシュウを食べる。ばあさんの口にもあったようでなによりだよ。シュウを茶菓子にしながらばあさんが淹れてくれた茶を楽しむ。やっぱりこれは美味いな。ばさんから貰った茶葉はまだ飲んでないんだが、帰ったらルルティエに淹れて貰うとしよう。
「しかし、ホントに来てくれるなんて思ってなかったよ」
「なんだ?自分がそんなに薄情なヒトに見えるか。なんだかんだ、ばあさんの事は気に入っているんだ。ばあさんが嫌だと言わない限りたまに顔は出すさ」
「……そうかい。今度はクオンさんも連れてきておくれ。あの子の為にとっておきの薬草を仕入れておくからね」
「あむ。なんじゃ、そのクオンと言うのはハクの良いヒトなのか?」
自分とばあさんがそんな風に話していると、二つ目のシュウを食べ終わったアンジュが純粋に疑問に思ったのかそう聞いてくる。……なんかアンジュに聞かれるとちいちゃんに聞かれてるみたいで調子が狂う。ま、隠す事でもないか。
「ああ、自分の恋人だ。薬師をしていてな、その縁でこの店を訪れたんだ」
「ふ~ん、そうなのか。しかしこのシュウはうまいのぉ。し――実家でも食べた事が無いくらいにうまいのじゃ。のうハク、また今度作って余に馳走するのじゃ」
「あ~機会があったらな」
「うむ、約束じゃぞ」
その後はしばらくばあさんとアンジュと世間話をしながら時間を潰す。流石に時間的にもまずいのかアンジュがそわそわし始めたので、ばあさんに挨拶をして店を後にした。
「さて、アン。もうそろそろ帰らないとまずいんじゃないのか?」
「むぅ、結局ほとんど案内してもらえていないが……まぁ楽しかったし、よしとするかの。店主も良いヒトじゃったし、菓子も美味かった。仕方ないが帰るとするのじゃ」
アンジュがそう言う為、自分もアンジュを送っていく事にする。二人で歩いているとアンジュは門の近くに差し掛かる所で足を止めたのでどうしたのかと思い見てみると、アンジュは何処となく寂しそうな表情をしながら門の方を見ていた。
「この門の向こうはどうなっておるのかのぅ」
「そりゃ、道が続いていてその先には街があって、もっと行けば山や海なんかもあるんじゃないか」
アンジュがそう尋ねてくるため、そう答えを返すと“いつか見てみたいものじゃな”と寂しそうに返してくる。アンジュは都から外には出た事が無いらしく、外には憧れのようなものがあるらしかった。そう話す様子はまるで籠の中の鳥を思わせて自分も何とかしてやりたくなるが自分程度が何かできるわけもなく、アンジュの話をただ聞き、質問に答えていく。
「そうか、ありがとうなのじゃ、ハク。聖廟にもお主と同じように余にいろいろと話してくれる者がおっての。その者……オシュトルもよく余にいろんな話をしてくれるのじゃ。都の外の話だったり、民達の様子、オシュトルの解決した騒動じゃったりといろいろと……」
「そうか……。そのオシュトルってのは右近衛大将の事で良いんだよな?」
「うむ、余の忠臣、右近衛大将オシュトルのことじゃ」
自分の話しに驚いたり喜んだりしながら話を聞いて来たアンジュは、話がひと段落するとそう言ってオシュトルの事を話してくる。自分が知るオシュトルの事で間違い無いようで、なんやかんや気にかけている様子が頭に浮かんで笑みがこぼれた。
「じゃが最近は余に構ってくれなくての……」
「ま、右近衛大将ともなれば忙しいんだろうさ。最近はお前さんの生誕祭なんかもあったしな。落ち着いたらまた以前のように戻るさ」
オシュトルが最近構ってくれなくて寂しいというアンジュにそう声を掛ける。アンジュは不安そうに自分を見上げてくるので思わずその頭を撫でる。ちょっとまずかったかとも思ったが、アンジュが拒否しなかった為そのままにして言葉を続けた。
「そう心配すんな。それこそなんの理由もなくお前を避けるようだったら、自分が行って殴って来てやるからな」
「ぷっ、ハクじゃ返り討ちにあうのが関の山なのじゃ。しかし礼を言うぞ、ハクよ」
そう言いつつ自分が撫でるのに身を任せ気持ちよさそうにするアンジュを促すと、都の中心へ向けて歩みを再開する。歩いている間は無言だったがそんなに嫌な沈黙ではなかった。
「のう、ハク」
「ん、なんだ?」
歩きながらそう言うアンジュに声を返す。アンジュは自分の方を見ているわけではなかった為、自分も前を向き歩きながらアンジュの答えを待った。
「其方、余に仕える気はないか?余の本当の身分を知ってもなお、其方のように接してくれる者は今まで居らんかった。余の周りの者たちに言わせれば無礼者とでもいいそうじゃが、余としては実に小気味いい。それにの、其方がいると毎日が楽しそうじゃからの」
「それは光栄だな。しかし、宮中なんて肩肘はらんといけない場所で自分が働けるとも思わんし……実に魅力的な提案ではあるが断らせてくれ」
「そうか……。ま、ハクが宮中に仕えていても、皆から怒られているところしか想像できんししょうが無いかの」
アンジュは何でもないかの様にそう言って少しだけ歩く速度を速める。その横顔が何処となく寂しそうに見えたが自分にはどうする事もできんしな。
しばらく歩くと聖廟へと続く道を塞ぐ門の近くに着いた。流石に自分はこれ以上先には進めんし、送るのはここまでだな。
「自分はここまでだな、じゃアン、気を付けて帰るんだぞ」
「うむ、今日は楽しかったのじゃ。ではハク、
アンジュは自分の言葉にそう返すと、門の方へと駆けて行く。そう言えばよく考えずにアンジュと一緒に歩いてたが、一つ間違えると皇女誘拐の容疑でも掛けられたんじゃなかろうか。随分危ない橋を渡ってたんだなぁ自分は。ま、都の民はアンジュの顔も知らんはずだし大丈夫か。
そう思いつつ、特に用事もなかった為、その後自分は白楼閣へと戻ったのだった。
次の日、自分はオシュトルの頼みでネコネの付きそいをしている。奴の同輩に書状を届けるのをネコネに頼んだららしいのだが、自分はその付添いを頼まれたのだ。しかし隣を歩くネコネの表情が硬いな。今から行くところに少し不安があるのだろうか?なにせ今向かっているのはオシュトルと共にヤマトの双璧とうたわれる人物、左近衛大将ミカヅチの屋敷なのだから。
生誕祭の時に遠目に見た事があるが、厳つい面をしたなんとも子供が恐がりそうな大男で、ネコネが恐がるのも分かると言うものだが。少しでもネコネの不安が和らぐようにと思いその手を握る。するとネコネは不思議そうにこちらを見上げてきた。
「ハク兄さま?」
「なに、最近はネコネとこんな風に二人で歩くことも減ったと思ってな。自分が手を繋ぎたくなったんだが、だめだったか?」
「……いいえ、そんなこと無いのですよ。ありがとうです」
自分がそう答えると、ネコネは少し安心したように笑ってくれる。そうそうネコネはやっぱりそうじゃなくっちゃな。暗い顔なんか似合わないってもんだ。そのまま目的地まで取りとめのない事を話しながらネコネと歩く。しばらく歩くと目的地の屋敷に近づいてきたのでどちらともなく手を離した。
門兵にオシュトルからの使いであると用向きを告げると、調練場で左近衛大将が待っているとの事で、そのまま中へと案内される。屋敷の造りはオシュトルの屋敷と同じ物のようだ。ただこちらの方が武張っている感じというか、なんだか物物しい感じだが。ネコネの話によるとミカヅチは武を重んじる人物のようだし、そのせいだろうか。
「一之型、始めッ!!」
『応ッ!!』
そんな声が聞こえてきたのでそちらを見れば、広い敷地で槍を並べた兵たちが号令に合わせ得物を振り上げ、突き出し、一糸乱れず同じ型を繰り返していた。オシュトルの配下も統率がとれていたが、ここまで一糸乱れぬ型は見た事が無い。それを見ていると号令をかけていた男―――左近衛大将ミカヅチが訓練の中断を告げてからこちらへ向かってくる。
ミカヅチはネコネの姿を見るとニィっと口を左右に吊り上げると、次に自分の姿を見るとこちらに何かを放り投げる。思わずそれを掴むとそれは何故か木刀だった。どういう事かとミカヅチを見ると、奴も自分と同じ物を持っているようだ。なんかこの展開はウコンと模擬戦をした時の事を思い出すんだが……。
「ネコネか、久しいな。それとそこの男、オシュトルから聞いているぞ。キサマ結構な使い手であるそうではないか。少し付き合え」
そう言うとミカヅチは先程兵たちが修練していた場所の真ん中へ歩いて行き自分に視線をよこす。兵たちは心得ているかの様に中心部に十分なスペースをあけると直立不動でその場に立った。
「……ええっとこれはどういう流れだ?」
「……ミカヅチさまが稽古を付けてくれるみたいなのです。逃げようとしても……この状況だと無駄なのですよ。頑張ってくださいなのですハク兄さま」
ネコネに一抹の希望を掛けて声を掛けてみるも、どうしようもないらしい。自分は溜息を一つ吐くとミカヅチの前まで歩いていき木刀を構える。正直威圧感が凄い。ここまでの威圧を受けたのはウコンと模擬戦した時か、カルラさんにクオンとの関係を打ち明けた時くらいだろうか。……おかしい、なんだか普通の事のような気がしてきたぞ?絶対普通のことじゃないはずなのに。しかしこいつを前にすると自分の精神が高揚していくのが判る。まるで好敵手を前にしたかのように感情が高ぶるが、今は好都合だと思う事にする。
「ふん、ではいくぞ!」
そう言った直後にはミカヅチの姿は自分の目の前にあり、手に持った木刀を振り上げて来ていた。そのまま振り下ろされた斬撃は受け流したが、その斬撃は重く速度はまさに雷光。ミカヅチという雷を連想させるその名前に恥じない速度だった。だが……反応は出来るな。周りの兵士達から感嘆の声が漏れ出ているが、それを見る余裕はない。少しでも気を抜けば一瞬で意識を刈り取られる。そんな予感があった。ミカヅチは一度自分から離れ、口元に楽しそうに笑みを浮かべこちらに言葉を投げてきた。
「ふん、奴が言うだけはある……と言う事か。これならば少し本気を出しても大丈夫だろう」
「……某としては遠慮したいところではあるが……」
「ふふ、まぁそう言うな。それ、いくぞ……ッ!」
見失うかもしれんと思える程の速度でミカヅチが肉薄してくる。その斬撃をいなし、反らし、合わせながらなんとか食らい付いていく。流れ的にはウコンと模擬戦をした時の流れだが、あの時よりはこちらも成長している。ついていくことが可能だし防戦一方だがなんとか木刀を合わせる事は出来ていた。
「――ッ!!本当にでたらめなっ!」
「なに、それを防ぐ貴様も同じ事よなぁ!!」
そう叫びあいながら剣を合わせる。正直こっちとしてはいっぱいいっぱいなのだが、向こうはとても楽しそうで口元に浮かぶ凶悪な笑みが深まっている。たく、近衛大将は二人ともバトルジャンキーかよ。さらに速度が上がる斬撃を受け流しながら冷静に観察しているのだが勝ち筋が見えない。……これがヤマトの双璧と呼ばれる男の実力か。
そんな応酬だが、以外にも速く終幕は訪れる。自分達としてはまだまだやれたのだがな。
「くっ!」
「むっ!?」
強く木刀を合わせたタイミングでお互いの木刀が折れる。
ミカヅチは一度は離れ手に持つ折れた木刀を見ると戦意を納め、こちらに声を掛けてきた。
「ふん、此度はこれで仕舞いとしよう。お前たちは訓練を続けろ。俺は客人と話がある」
そう言うと、ミカヅチは自分とネコネに付いて来いと言って、屋敷の中へと入っていく。兵たちは再度訓練を始めるが自分を見る視線には尊敬と畏れに似た感情が込められているようだった。ネコネが自分に近づいて来て心配そうに怪我が無いか聞いてくるのをなだめながらミカヅチの後を追って屋敷の方へ足を向けた。
「元気にしていたか。だが、相変わらず小さい。もっと喰って大きくなれ」
執務室に自分達を招き入れたミカヅチは、自分達に座るように言うと自身も腰を下ろした。そしてネコネの方を見るとそう言って声を掛けてくる。言ってる事はまともなのに正直家畜にもっと肥えろと言っているようにしか聞こえん。しかし剣を合わせてみてなんとなく分かるのだがこの男、そんなに悪い男ではない。いまの言葉はその通りの意味なのだろう。見た目と声が合わさり、そう聞こえるのだけなのだ。難儀な奴だなと思い心の中で苦笑する。ネコネはどうしてもこの男の風貌に委縮してしまい、自分の背中に隠れてしまっている。
「……ネコネ、気持ちは分からんでもないが、ミカヅチ殿に失礼であろう」
「う、ううぅ~……」
そう言っても自分の背中から隠れて出てこようとしないネコネに苦笑が浮かぶ。
「すみませぬ、ミカヅチ殿。ネコネは先程の貴殿の迫力に驚いているようで……」
「ヌゥ……」
ネコネの態度が気に障ったかのようにミカヅチの目が――スゥと細まる。ネコネがその様子にまた悲鳴を上げるが、自分にはなんとなく……そう、なんとなくだがミカヅチがただネコネの態度に傷ついたのだろうなと思った。本気で難儀な男だ。
「こ、恐くないのです。あ、あ、あなたなんか恐くないのです」
そう言って(自分の背中に隠れながら)威嚇するように
「ほぅ」
「や、やるですか?もう一度ハク兄さまが相手になるのです」
「ククッ、それもいいが今はオシュトルから預かってきたという物を受け取ろうか。ミルージュ、茶を」
ミカヅチが部屋の外にそう声を掛ける。ヒトが動く気配がしたから多分部屋の外に侍従でも待機していたのだろう。自分は涙目のネコネから書簡を預かると、その書簡をミカヅチへと手渡した。
「ミカヅチ殿、オシュトルより預かりし書簡になります。お納めを」
「ふむ、預かろう」
「お茶になります」
すぐに侍従が戻って来てミカヅチの前にお茶を置く。侍従――ミルージュは自分の前にもネコネと二人分で湯のみを置き、ごゆっくりと言い残し部屋を出て行った。ミカヅチは自分が手渡した書簡をそのまま置き読む気配はない。なにか返事があれば持ち帰らんといけないし読んで貰わんとな。
「……お読みになられないのですか?」
「読め、だと?」
「だ、だから、返事を兄さまに知らせないといけないですから、読んでくれないと困るのです……」
「ふむ……」
ミカヅチはネコネの言葉を了承したのか書簡を読み始めたが、さっきの“読め、だと?”はなんだよ。迫力が半端じゃないんだよ。ネコネがさらに怯えるからもうちょっと考えてくれ。
「貴様、今はオシュトルの隠密として動いていると書かれているが……奴も面白い男を捕まえたものだな。先程も俺を楽しませてくれた事だし、その武勇、オシュトルの者でなければ俺が召し上げたかったところだ」
「はっ、そのお言葉、誠に嬉しく思いまする」
嬲るような目つきでそう言ってくるミカヅチにそう返す。隠密衆のことは極力秘密だと思っていたが……もしかしてこの男もオシュトルとは協力関係にあるのか?ヤマトの双璧が手を組んでいるのなら心強いことこのうえないがな。自分の後ろでネコネが自分の服を強く握って引っ張って来ているが、そんなに心配するな、自分はオシュトルの隠密をやめる気はないから。そんな風にしているとその様子を見ていたミカヅチが楽しそうに声を上げた。
「……クックックッ、小娘が兄以外に懐くとはな。しかも
「な、懐っ……そ、そんなことはない……とは言わないですが……うなぁぁぁぁ!!」
ネコネはミカヅチの言葉に恥ずかしさとミカヅチへの恐怖で限界が来たのか、叫び声を上げて部屋を出て行った。自分は苦笑をこぼすとミカヅチに向き直る。
「貴様……ハク、と言ったな。あの小娘、随分と貴様を慕っているようだ」
ミカヅチはそう言うと目を閉じさらに言葉を続ける。
「俺にも昔、妹がいた。仲も特別悪くはなかった……オシュトルには万事了解したと伝えるがよい。それと……あの小娘のこと、任せる」
「は、了承いたしました。しかしネコネについては言われるまでも無き事、あの子は某にとってもかわいい妹でありますゆえ」
「……そうか」
ミカヅチはそう言うとそれきり黙りこんでしまう。部屋に入ってきた先程の侍従に案内され、自分はミカヅチの屋敷を後にした。土産を持たされ屋敷を出る。ミカヅチと戦う事になったりもしたし、結構話している時間も長かった、随分と時間が経っているようだ。屋敷の先の通りで待っていたネコネの手を取ると帰路につくことにする。
「御苦労さまなのです。ハク兄さま……えっと、怒ってないですか?」
「ん、何がだ?ネコネはなんか悪い事をした自覚でもあるのか」
「えっと……ハク兄さまを置いて出てきてしまったですし、それにミカヅチ様の前でもあんな態度だったですし」
そう言って落ち込んだように顔を下に向けるネコネの頭を、慰めるように撫でる。ネコネは、おそるおそるといった感じに顔を上げた。
「……ハク兄さま?」
「怒ってはないさ。確かにあの態度は戴けんかったが、あの男の威圧感のまえじゃな。まぁ、悪い男ではないようだし、ネコネもそんなに恐がってやるな。あの男、おまえの態度に少し傷ついていたみたいだしな」
「……すこし頑張ってみるのです。でも傷ついてたですか?あのミカヅチ様が」
そう言うネコネに“そうだ”と返しながら、ミカヅチと話した内容をネコネに聞かせてやる。ネコネは最初は驚いたようにしていたが最後はすまなそうな顔をしていた。そんな風に話をしながら久々に二人で帝都を散策しつつオシュトルの屋敷へと向かい、報告をしてから白楼閣へと戻ったのだった。