裁判を受けさせるため、死者をあの世まで送迎する「冥府庁送迎課」の中には「現世万取締(げんせよろずとりしまりがかり)係」が存在する。
彼らは、送迎課の目をかいくぐり現世を彷徨う死者や死後に罪を犯した死者をあの世へと送迎する役目を持つ異能力を持った『死神』である。
これはそんな現世万取締係の『死神』たちの日常の話。
※この作品は完全なフィクションです。実在する人物、建物、あらゆる事柄とは一切関係ありません。
アルファポリス様にも投稿しています。
三人称の練習も兼ねています。
よろしくお願いします。
――冥府、冥土、黄泉、常世、根の国、彼岸、あの世等々呼び名は様々あるが、人は死後、これらの他界へ行くと考えられている。
その第一段階として死者が道に迷わずに冥府へ来れるように送迎するのが冥府庁送迎課である。
しかし、送迎課の目をかいくぐり現世でさまよい続ける死者の数は決して少なくなく、それに伴うトラブルも増加の一途をたどっている。
そんな死者関連のトラブルを一手に引き受けている係が冥府庁送迎課には存在する。
***
それまで空一面を染めあげていた茜色は西の端にほんの僅かにその色を残すだけとなり、藍色へと変わっていく東の空に白い三日月が浮かんでいる。
時刻は、降り始めた夜の帳によって、人の顔の判別が難しい程に薄暗いというまさに誰そ彼時。
人っ子一人いない、いるはずがない廃ビルの屋上に建つ給水塔の縁にその少年は座っていた。
年の頃は、十三、四歳。夜風に遊ばせた黒髪に色白の華奢な体。黒いローブコートと黒いスラックス、黒い靴。ローブコートの下の同じく黒いナポレオンジャケットの前を開け、その下の全身黒づくめの中で唯一色が異なる白いシャツの胸元にはモチーフ部分がシルバーレリーフになっている黒のループタイと言った、まるでどこかの制服のような。あるいはどこかの軍服にさえ見える服装に身を包んだ二重で大きなぱっちりとした瞳が特徴的な女性と見間違えるほどの美少年と言っても差し支えない少年は、その薄紫色の瞳を空に向けたまま何かを、誰かを待っているかのようにぶらぶらと足を揺らしていた。
――ピコン。
それからどれ程経った頃か、小さな電子音が辺りに響き、コートのポケットからスマートフォンを取り出す。
コミュニケーションアプリ『LINK』を開くと画面をスクロールし、新しく書き込まれた『屋上へ誘導します。』という簡素なメッセージに一つ息を付く。
そして。
「――さて、お仕事と行きますか。」
誰に言うともなく呟いた彼の周りでバチリ、と電気が弾けた。
都内近郊にありながら、心霊スポットとして名高いこの廃ビルは夜な夜な肝試しと称して若者達が訪れる。
それが『男』には面白くなかった。
折角静かに眠っているのに、大声で馬鹿話をしながら我が物顔でビルの中を歩き回るだけでは飽き足らず、時には物を壊したり、ごみを散らかし帰っていく。
しかし、すでにこの世を去ったはずの自らの声が若者に届くはずもなく、『男』は、日々どうしようもない程の鬱憤をため込んでいた。
その鬱憤がついに爆発したのはある夜、まだ火が付いている煙草の吸い殻が捨ててあるのを見た時だ。
それ以来、『男』は肝試しに来る連中を誰彼構わず攻撃した。
最初は若者達の前に姿を現し、「出ていけええええええええ!!!」と腹の底から叫ぶという単純な方法だった。
それが、最近ではポルターガイストでビル内に残されていたものを飛ばすのは当たり前。
「ぎゃああああああああ!!!!」
階段を上っていた若者の足を思い切り引っ張り転ばせてそこら中に撒いてあったガラス片で若者が怪我をした時は、スッと胸のすく思いがした。
「きゃあああああああ!!!!」
老朽化により一部崩れ落ちていた床を恐る恐る覗き込んでいた見るからにギャル系の女性の背中を突き飛ばし、下の階に落下させた時は、愉悦感さえ感じていた。
その行為がどんどんエスカレートしている事にさえ気が付かず、『男』は今夜もまた懲りずに肝試しに来た若者の姿に目をぎらつかせる。
年の頃は二十代半ばから後半と言ったところだろうか。
シンプルな黒のコートの下に少し変わったデザインの黒のジャケット、黒のスラックスに黒い革靴。
ジャケットの下には白いシャツを着て、黒いネクタイを締めている。
細いけれど、決して貧相ではなくほどよく筋肉が付いてそうな均整の取れた体に長い手足、栗色の髪に少し眦の下がった切れ長のオレンジ色にも見える明るい茶色の瞳を持つアイドルやモデルと見間違うほどの、端正な容姿の青年に一瞬、テレビか何かの取材かと思ってしまった。
しかし、それならば逆に好都合だ。
ここで大きな騒ぎを起こせば、この廃ビルに入れば祟りがあるとでも思われるだろう。
そうしたら、やっとゆっくり眠れる。
今しがた入ってきたばかりの青年を睨み付け、『男』は自らの足元に散らばっていたガラス片を宙に浮かせる。
――あいつらが悪いんだ。俺はただ静かに眠っていたいだけなのに、それを邪魔するからこういう目に合うんだ。
「死ねえええええ!!」
自らが歪みきった笑みを浮かべている事にも気が付かない『男』の声と共に、ガラス片が一気に青年へ降り注ぐ。
普通の人間ならばそれだけで逃げ惑う光景に、青年は眉一つ動かさず徐に開いた右手を前に突き出す。
瞬間、彼の掌からまるで火炎放射器のように激しく燃え盛る炎が放たれ、ガラス片をすべて
「――――っ!?」
あり得ない光景にヒュッと息を飲んだ『男』に構わず、右手を下した青年がにっこりと人の良い笑顔を浮かべる。
「”アオサカショウヘイ”さんですね。初めまして、冥府庁送迎課現世万取締係(めいふちょうそうげいかげんせよろずとりしまりがかり)の
――何だ、何なんだ、あいつっ!!
すでに電気すら通っていない廃ビルの中、『男』――アオサカ――は必死になって青年――紅野――から逃げまわっていた。
途中何度かポルターガイストでビル内に残されていたソファなどを投げつけたものの、その度に青年の右腕にまるで蛇のように巻き付いている赤々と燃える炎が瞬間的に膨れ上がり、一瞬でそれらを飲み込み、灰も残さず燃やし尽くす。
あんな事、普通の人間にできる事ではない。
そもそも何故自分の名前を知っている。
一体あいつは何者だ。
現世取締係とは何だ、何だ、何なのだ!?
脳内をぐるぐると回る答えのない疑問に困惑しながらもアオサカは必死に足を動かし、バンッと音を立て、屋上へと続く扉を開け放った。
瞬間、ぶわりと吹いた夜風に思わず交差した腕で顔を庇う。
「……”アオサカ”さんですね。」
夜風に混じって凛とした響きを持つ声変わり前の少年特有の高い声にアオサカがハッと顔をあげれば屋上のほぼ中央。
紺色の夜空に浮かぶ三日月を背に一人の少年が立っていた。
その女性と見間違えるほどの端正な顔立ちを持つ少年の薄紫色の瞳に見つめられ、アオサカがヒュッと息を飲む。
「…………遅い。」
まるで蛇に睨まれた蛙のように体が硬直し、その場に固まったアオサカの背後に少年がどこか拗ねたような声で告げる。
「――すみません。予想以上に逃げ回られてしまって……。」
それに答えた苦笑を含んだ柔らかく落ち着いたテノールは、先程までアオサカが嫌と言う程聞いていた紅野の物だ。
動かない体で視線だけを何とか背後に視線を向ければ、案の定そこには未だに右腕に炎を纏ったままの紅野が苦笑を浮かべ立っていた。
「……な、何なんだ。何なんだ、お前ら!!」
前方を少年に、後方を紅野に塞がれ逃げ場をなくしたアオサカが震える声で怒鳴り散らす。
それにおや、と少年がその薄紫色の瞳を瞬かせ、紅野へと視線を向けた。
「……蓮。」
「いえ、ちゃんと伝えましたよ。取締係の者だと。」
軽く肩を竦めた紅野に少年は再びアオサカへと視線を戻す。
「先程も蓮……じゃなかった。紅野から聞いたと思いますが、俺達は冥府庁送迎課の現世万取締課の者です。ちなみに、俺は
「だから!! さっきからお前らが言っているその現世万取締課ってのは何なんだ!! お前ら一体何者なんだ!!」
訳が分からないと喚くアオサカにああ、と少年――影崎――が呟いた。
「すみません、説明不足でした。本来、人間は死後あの世へと行き、そこで十王による裁判を受ける事になっています。その為に死者をあの世に送迎するのが送迎課です。だけど、たまに原因は色々あるけど、シルバーコード……魂と肉体を繋ぐ糸のようなものが送迎課が切る前に切れてしまって魂が行方不明となり、現世を彷徨う浮遊霊となってしまう死者がいるんです。俺達はそのような死者をあの世へ改めて送迎する役目を持っている…………まあ、死神です。」
「――――し、死神!!?」
影崎が言い放った単語にアオサカが素っ頓狂な声をあげる。
「死神ってのは、あれじゃないのか!? 大きな鎌を持った黒いローブ着た骸骨で気まぐれに人の命を刈り取る……!」
「その容姿はともかくとして。死神は本来、死者が道に迷わぬよう冥府へと導く役割を持った存在なんです。中には例外もいるかもしれませんが、少なくとも我々は冥府庁から貴方をあの世へと送迎する任務を受けてきました。――ご理解、頂けましたか?」
さらりと補足説明する紅野にアオサカは思わずと言ったように頷いてしまう。
「……しかし、冥府庁だとか、送迎課だの、現世万取締係だの……。まるで役所だな。」
「ええ、まあ。」
「と言うか今のあの世のシステムがまんま役所なんです。俺達も公務員みたいなものですから。」
苦笑気味に言ったアオサカの言葉に紅野と影崎もまた同意する。
「……そうか…………。」
「――アオサカさん、貴方はもう亡くなっているんです。ここは、
影崎の凛とした声にアオサカは一度息を飲み、やがてはぁーーーーと深く深く息を吐き出した。
「…………分かった。確かに君の言う通りだ。ここでは静かに眠らせてもらえないしな。……あの世へ往くとするよ。」
静かにそう告げるアオサカに紅野と影崎もまたほっとしたように小さく息を付く。
「……でも、その前に一つ聞きたい。裁判と言うのは、天国行きか地獄行きかを決める裁判なんだろう?」
瞬間、管理課二人の雰囲気がピリッとしたものに変わった事にも気付かず、アオサカはさらに続ける。
「……私は天国へ行けるだろうか?」
「――恐らく、貴方の行先は地獄です。」
ぴしゃりと言い切った影崎にアオサカが驚愕で目を見開いた。
「……………………え?」
「生前の貴方なら、恐らく天国行きと言う判決が出たでしょう。しかし、貴方は死後、罪を犯してしまった。許されざる大きな罪を。――――あんたが、崩れ落ちていた床から突き落とした女性が三日前に亡くなった。」
最後の方は敬語すら使わずに自らの瞳をひたりと見つめた影崎に平坦な声で告げられる。
その薄紫色の瞳に抑えきれない怒りを見たアオサキは背筋に冷たい汗が流れたように感じた。
「…………死んだ? あの女性が……?」
「落ちた際の打ち所が悪かったんです。彼女の魂はすでに、送迎課によってあの世へと送られました。」
淡々と答える紅野に、アオサカが、そんなっ……!と声を上げる。
「……アオサカさん。あんたは生前このビルのオーナーだった。自分の持ち物が、居場所が荒らされて怒る気持ちは分かる。だけど、あんたはすでに死んでいる身だ。さっきも言ったように、ここはあんたの場所じゃない。……あんたがしなくちゃいけなかった事は、ここに来る若者達を追い返す事じゃなく、自らがあの世へと行く事だったんだ。……そうしていれば、あんたは殺人という最も重い罪を犯さずに済んだのかもしれないのに。」
「……そんなっ……そんな、わ、私は……っ、私は、なんてことを……っ!」
「――現世取締課は先程、影崎が言ったように現世で彷徨う死者をあの世へと送迎するためのものですが、それともう一つ。現世で死後に罪を犯した死者を取り締まるという役目も持っています。今回、俺達がここに来たのは後者の意味合いの方が強い。アオサカさん、我々と共にあの世へご同行願いします。」
紅野の言葉にずしゃりとその場に腰が抜けたように座り込んだ己を何も言わず見下ろす紅野と影崎の姿にアオサカは息を飲んだ。
上から下まで黒ずくめの恰好に、やけに白い肌の色。
そして、バサバサと夜風に煽られているローブのようなコート。
まさに彼らの姿は死神だった。
――死にたくない――
そんな言葉が脳裏を過る。
もう死んでいる身で何をと頭のどこかで声がしたがアオサカの心を埋め尽くしたのは明らかに死への恐怖だった。
――嫌だ、死にたくない。
――死にたくない、地獄に行くのは嫌だ。
――嫌だ、嫌だ、イヤダッ!!!!!!
「――う、うわあああああああああ!!」
アオサカは訳も分からず物凄い勢いで立ち上がると混乱状態のままその場から逃げるために走り出した。
前方の影崎へと向かって。
「――來衣!!」
少しだけ焦ったように声を上げた紅野に影崎は小さく息を付いた。
「……やっぱ、こうなるのか。」
そのまま右足を半歩下げ、左半身を前に向ける。
顔は正面を向いたまま、右肩を後方に引けば、握り締められた右手の拳がバチバチと激しい音を立てながら電撃を纏う。
そして。
「”アオサカショウヘイ”!! 規則により、あの世へ強制送還とする!!」
「あああああああああああ……!!」
叫びながら突進してきたアオサカに影崎が見事な右ストレートを放った瞬間、バシィッ!!と耳を劈く轟音と共に、白銀の閃光が辺りを包み込んだ。
「……はい。はい、捕縛完了しました。今から戻ります。」
今夜の出来事を静かに見ていた三日月がそろそろ真上に到達する。
ブスブスとところどころ焦げた所から煙を上げ、白目を剥き気を失っているアオサカの襟首を掴んだままスマフォの通話を切った紅野は小さく息を付くと背後へと振り返る。
そこには、屋上から一階まで突き抜けるようにぽっかりと空いた大穴を前に「……やっちゃった。」と途方にくれて呟いている影崎の姿があった。
「……來衣の雷を操る能力はさすがだと思いますが。……もう少し力のコントロールを身につけないとな。」
「…………ごめん。」
弁解の余地もないと項垂れる影崎の頭に手を置き、まあでも、と紅野がその明るい茶色の瞳を細める。
「こうして無事、アオサカは捕縛できたし、この大穴の影響でこのビルは崩壊寸前だ。しばらくしたら解体されるだろうし、もうこのビルに肝試しと称して来る若者達もいなくなる訳だから。結果オーライじゃないか?」
「そうだね。……とは言っても確実に始末書もんだろうけど……。」
「その時はその時だ。……もしそうなったら俺からも係長に減刑を口添えするよ。」
「…………蓮っ!! さすが相棒!!」
紅野の言葉にバッと顔をあげ瞳をキラキラ輝かせた影崎に紅野がにっこりと笑いかける。
「食券三枚で手を打ちますよ。相棒さん?」
「酷い!!」
そんな軽口を叩きながらも二人がどこへともなく歩き出す。
やがて、未だぎゃーぎゃーと軽口を叩き合っている彼らの体が段々と透け、完全に消えた後、大穴が空いた廃ビルには静寂がただ残っただけだった。
死者関係のトラブルを一手に引き受ける冥府庁送迎課現世万取締係。
彼らの日常はこうしてまた過ぎていったのだった。