ナギ率いる紅き翼は、ついに『完全なる世界』の真の黒幕の元へと辿り着いた。しかし彼らを襲ったのは、黒幕に身体を封じられた黄昏の姫御子アスナの、引きずり出された恐るべき力だった。アスナは嘆く。――『あいつ』のいない世界なんていらない、と。

これは、手垢に塗れた物語。
悪い魔法使いを打ち倒し、囚われのお姫様を救い出す、英雄たちの冒険譚。
――心を閉ざした幼子に、『笑顔』を届けた使者の詩。

BUMP OF CHI〇KEN×ネギま! 一話完結。

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ユグドラシルの姫御子

 絶望。

 

 あるいはそれを絵画としたならば、きっとこのような光景となるのだろうか。

 砕けた瓦礫の山。荘厳な意匠の建造物の一角であったそれらは、ただ無造作に打ち捨てられ、無慈悲な破壊の力の爪痕を、無言のうちに物語っていた。

 風に巻かれて、砂埃が舞う。

 肌にざらつく不愉快な渇きを受けて、しかしその場にいる者たちは、不快さに身じろぎすることもなかった。

 

 否。

 そのような『贅沢』すら、許されていなかった、と言うべきか。

 

 彼らは、伏していた。

 

 累々と。無機物たる瓦礫と同じ、まるで価値のないモノのように。

 夥しい血を流し、苦痛に歪んだ呻きを咽で潰し、全身に刻んだ傷も痛々しく、だらりと横たわっていた。

 

 「ぐっ……バカな……」

 

 一人。地を這う男たちの中でも一際大柄な偉丈夫が、驚愕と畏怖に濡れた声を、鉄錆びた味の液体と共に口から吐き出した。

 強張る身体を否定するかのように顎を上げた男だが、立ち上がることもままならず、再びのめったが如く顔を石くれに預けた。

 それも無理からぬ話。男にはそも、身を起こす支えが、はなから存在していなかったのだから。

 

 ――男の双腕は、消し飛んでいた。

 

 「まさか……アレは……」

 

 その脇。唇を微かに震わせて、男の仲間たる魔導師が呟く。

 常から飄々とした物腰で、思考を読ませぬ食わせ者として知られる、パーティ随一の頭脳である。

 それが今や、個性とさえ呼べる胡散臭げな微笑を貼り付けることも忘れ、秀麗な眉を顰める有様であった。

 徒事では、ない。

 

 

 

 

 魔法世界、ウェスペルタティア王国。

 世界最古にして、空中都市の異名を持つ王都オスティアに、その建造物はあった。

 

 空中王宮最奥部、蒼穹に雲を下して佇む異貌の城――『墓守人の宮殿』。

 魔法世界全土を剣戟と魔嵐の坩堝へと叩き込んだ、真の黒幕が本拠地である。

 

 その名も、『完全なる世界』。

 屈辱と共に大地を舐める男たち、世に名高き戦闘集団、『紅き翼』が、血眼になって追い詰めた秘密結社であった。

 

 無腕の偉丈夫、『千の刃の英雄』こと、ジャック・ラカン。

 端整な面立ちの魔導師、アルビレオ・イマ。

 

 両者もまた、少数精鋭を謳う紅き翼に属する、世界でも指折りの遣い手である。

 墓守人の宮殿に乗り込んだ仲間は、他に三名。

 

 神明流なる東洋剣術の絶技を揮う、『サムライマスター』青山詠春。

 拳舞と魔導の粋を極めし、小柄な魔法拳士、ゼクト。

 そして、敵と対しては圧倒的な恐怖を、味方に組しては絶対的な信頼を込めて、その二つ名を叫ばれる、紅き翼の旗頭――『千の呪文の男』ナギ・スプリングフィールド。

 

 宮殿内部に侵入した彼らは、これまで度々彼らの前に立ちふさがり、その都度激突してきた白髪の美青年と、遂に邂逅を果たした。

 彼の策にまんまと嵌り、反逆者の汚名を着せられ、世界中の勢力からつけ狙われる羽目となった過去は、苦すぎる記憶として誰しもの脳裏に焼き付けられている。

 表情に乏しく、まるで人間味を感じさせないこの宿敵と、彼に従う四人の属性特化魔導師。

 

 奇しくも、互いに数は五対五。

 掛け声は短く。戦いの火蓋はあまりにあっけなく、殺意の魔力のぶつかり合いを皮切りに、刹那に切って落とされた。

 

 火が、闇が、気が、水が、剣が、拳が、石が、雷が、有象無象に出鱈目に、怒涛の奔流となって宮殿の柔肌をねぶる。

 意地と信念の削りあい。

 一瞬先の未来さえ確約されぬ死闘の内にあって、やがて勝利の女神の天秤は、一方の秤へと振り切れる。

 

 「――見事。……理不尽なまでの強さだ」

 

 人形めいた顔を不敵に崩し、白髪の青年がぽつりと言葉を落とす。

 彼の首を掴み、片腕で吊るし上げながら、燃えるような赤髪に似つかわしい、烈火のごとき意思を双眸に湛えた少年、ナギが、息も荒く問い詰める。

 

 「黄昏の姫御子は……どこだ? 消える前に、吐け」

 

 もはや彼は、白髪の青年の言葉を取り合うつもりもないのか、尋問の態度には反論も韜晦も許さぬ、尋常ならざる気迫があった。

 永き怨敵のその余裕なき姿を見て、白髪の青年はますます笑みを深くする。

 生殺与奪の権利を握られた相手に向けるには、余りに傲岸な表情。

 矮小な存在を嘲る、酷く醜く、不遜な嘲笑であった。

 

 「フ……フフフ……まさか君は、いまだに僕がすべての黒幕だと思っているのかい?」

 「なん……だと?」

 

 ナギは目つきも鋭く気を引き絞る。背後から、慣れた彼の仲間の気配が、ゆっくりと歩み寄ってくるのを感じた。

 歴戦の勇士たる仲間たちにとっても、かなりきつい戦いだったのだろう、皆多かれ少なかれ手傷を被っているのがわかる。

 しかし、誰一人欠けることなく並んだその姿を見れば、両者の勝敗の結末は明白である。

 

 死に瀕する、苦し紛れの妄言か。

 しかし、この冷酷な魔導師が、瀬戸際に選ぶ言動としては、幾らなんでも粗末に過ぎる――。

 

 腹。

 

 突き抜ける衝撃。

 熱にも似た亜音速の一撃が、宙に垂らされた青年の背から、ナギの背までを纏めて貫き去る。

 空気が抜けるような音が大気を振るわせると、二人はいっそ静かに、その場に崩れ落ちた。

 

 『ナギィッ!』

 

 突然の事態に、目を剥く紅き翼のメンバー。

 焦燥も露に、泡を食ってナギの元へと駆け寄る。

 

 「誰だ!?」

 

 警戒を含み、ラカンが吼える。

 ゆらり、と、距離を置いて立ち上る、黒々と淀んだ、影。

 

 「いかんッ」

 

 直後、爆発的に高まった不吉な魔力の矛先が、こちらへ向けられたのを鋭敏に嗅ぎ取り、ゼクトがとっさに腕を掲げる。

 

 『最強防護(クラティステー・アイギス)』。

 幾枚もの防御魔法陣を、一気に重ね並べて展開する高位呪文である。

 生半可な攻勢魔法ごとき、表面に触る程度で吹き散らされてもおかしくはない、絶対の盾。

 

 ――それが、まるで脆い砂糖細工の如く砕かれると、一体誰に想像し得たというのか。

 

 眼前、悪い冗談のように、莫大な閃光が迫りくる。

 視界を焼く白亜の暴虐の徒は、上下左右の空間を生贄に、がばりと大口を開けて一同に襲い掛かる。

 

 ゼクト渾身の障壁が、硝子のような悲鳴を上げて吹き飛んだ。

 脳の危険信号が訴えるままに、集団の頭へ躍り出たラカンが、壁を押し返すかのように諸手を突き出し、腰を落として踏みとどまる。

 

 「ぬううっ」

 

 がちん、と奥歯を噛み締め、ラカンが唸る。

 がりがりと、何かが削れる忌まわしい響き。

 一瞬の拮抗。

 

 ――そして訪れる、喪失感。

 

 腕が、消えた。

 

 水で満たした重い袋が破裂するかのような、ごく他愛ない音と共に、支えを無くした身体がふっと前に浮く。

 余りの出来事にラカンの思考は真っ白に漂白され、瞬間、わずかに忘我する。

 それは、この極限の状況下にあって、生死を分けるほどに致命的な隙と言わざるを得なかった。

 

 うねる。よじる。わだかまり、爆ぜる。

 

 轟音を引き連れて光が弾けると、白くたなびく煙が、もうもうと一面に立ち込めた。

 一陣吹いた風がようやく視界を晴らせば、後に残るは崩れ落ちた戦士たちの、痛ましき惨状ばかりである。

 

 その向こうに、いた。

 逆光を背に、忍びやかに佇む――『敵』が。

 

 黒。漆黒。暗黒。

 

 視覚から得られるイメージはそれだ。手も、脚も、肌を一切露出させず、闇色のローブですっぽりと身を包んでいる。

 頭部は目深に被ったフードのために覆い隠され、男か女か、いやさヒトであるかすら判然としない。

 

 気を抜けばぞぶりと頭から丸呑みにされてしまいそうな、貪欲にして凶悪な気配。

 にも関わらず、よくよく目を凝らさねば、その輪郭すらあやふやになってしまいそうな、薄い存在感。

 

 形はあるが、中身がない。

 矛盾した、それ故にどこまでも異質な異形が、そこにあった。

 

 ――勝てねぇ。

 

 ラカンの背筋を、ぞっと寒気が走った。

 一目見てわかった。確信した。力、知恵、才能、覚悟。そういった常識的なファクターが、なんら意味を成さない。

 より根源的に、一個の生命として、ラカンという人間は目の前のイキモノには抗えないのだと、本能が告げていた。

 

 造物主――『ライフメイカー』。

 

 『始まりの魔法使い』と称される、完全なる世界の総首領、真の黒幕の正体こそが、それであった。

 

 「ぐっ……」

 

 ラカンは背を逸らす。健気にも胸を張り、敵の親玉を睨みすえる。

 「俺には絶対に勝てない」。そう悟りながらも、ラカンの目に諦めはなかった。

 ここまで来て、今更素直に死を受け入れるような、そんな殊勝な真似が出来るわけもない。

 

 戦った。その拳と剣で、戦ってきた。ならば最期まで、たとい無様でも、戦いに殉じ散るのが『らしい』自分というものだろう。

 そう易々と、殺されてやる道理もつもりもありはしない。

 

 造物主は動かない。

 淡々と、まるで珍しい動物でも観察するかの如き調子で、じっとこちらの様子を窺っていた。

 

 それが酷く、癇に障る。

 

 「――哀れだな」

 

 その間隙を縫って、ぽつんと言葉が落ちた。

 意外にも、高く澄んだ声。色を感じさせない、無機質な響き。

 くぐもってはいるが、空間によく通る音の羅列が、ぬぼっ、と立つ造物主の口から漏れていた。

 

 よもや、アレがしゃべるとは。

 動揺する一行を尻目に、造物主は淡々と続けた。

 

 「どれほど足掻いても、どれほど血を流そうとも。帰結する命運の行方を変えることなどできぬと、なぜ分からぬ。そうして地べたでもがいていても、貴様らは誰ひとりとして折れてはおらぬ。痛みを抱えてなお進める気概は、紛れもなくその者の美徳であり、英雄の資質でもあろうが……。それは結句、更なる犠牲を増やすだけだということを、英雄たる貴様らこそが真に理解するべきだ」

 

 断言する。フードの奥で、昏い目がうっそりとした光を放っている。

 反射的に食って掛かろうとしたラカンが、あろうことかその眼光に気圧され、押し黙る。

 

 造物主は、神託を得た聖者のように、迷いない口ぶりで告げる。

 

 「はっきり言おうか。貴様らの道は……あまねく全てに、死をもたらす。それこそ、この大戦で喪った命が、塵芥に思えるほどに、な」

 

 ゆらり、と造物主は腕を広げる。

 受け入れるように。あるいは、何者をも、許すかのように。

 溺れてしまいそうなほどに、その懐は、温もりに満ちていた。

 

 「諦めよ、人間。実際、貴様らはよく戦った。もし私に委ねるならば――世界全てに、永遠を約束しよう」

 「な……」

 

 恐怖。

 紅き翼の面々が得た感情は、その一言に尽きた。

 

 畏怖や反発はあったとはいえ、歴戦の勇士たる彼らに、身を竦ませ、剣を鈍らせるような思考はご法度である。

 高揚や使命感、あるいは意図的に叩く軽口で互いを鼓舞しあい、どんな絶望的な状況からも生還してきた男たちなのだ。

 

 しかし、この場ばかりは違った。敵意や害意を向けられたことは星の数ほどあれど、この期に及んで、よもや『説得』を受けようなどとは、流石に想像の埒外であった。

 正味な話、意味がわからない。 

 

 それ故にこそ――おぞましい。

 

 「あなたがなんなのか……予想はつきますが、今答えを得ることは叶わないでしょう。しかるに、あなたの言葉だけ捉えさせて貰います。永遠……などと、胡散臭い話は、ともかく」

 

 その言葉を受けて、アルビレオが意を決したように、震える唇を押し開いた。

 ぬめりと肌を取り巻く、薄気味の悪い空気に焦燥感を覚えながらも、己でも取り繕えてはいないであろうことが明白な、無様な笑みを無理やりに象る。

 

 「あなたに全てを委ねたとして。この上、一切の犠牲を出さぬという口ぶりとは、到底思えないのですが……?」

 「然り」

 

 頷く。あまりにあっけなく。アルビレオの頬がひきつった。

 

 「なれど、必要以上に無辜の命を奪うことはない。あくまで最小限。不可欠な、太平への礎というものだ」

 

 淡々と告げる。嘘はないのだろう。いっそ機械的な無感動さが、逆にその真意を浮き彫りにしていた。

 事実、その段取りも道程も整っているに違いない。彼の手を認めれば、裏を取るまでもなく、正しくなんらかの救済があるのは明白だった。

 

 されど、それで納得などできるわけもない者たちがいるのも、また事実。

 

 「馬鹿な……ッ。そのような所業、我々が受け入れられると思うてかッ」

 

 とうとう堪忍袋の緒が切れたか、次元の違う敵への恐怖も忘れて、詠春が激昂した。

 今にも佩いた太刀の鯉口を切らんばかりにいきり立つサムライを、素早くゼクトが手で制する。

 人一倍義侠心の厚いことで知られる男である。『犠牲』の響きに、怒りで我を忘れたものと見える。

 

 しかし、なにも不快感を覚えたのは彼だけではない。

 詠春を押し留めながらも、ゼクトが鼻を鳴らして造物主を睨み据えた。

 

 「適わんのう……。命を数字でしか捉えておらん、世迷言としか思えぬ。そもそも、じゃ。貴様の目的も明かさずして、ただ任せよというのは、幾らなんでも無体が過ぎるわい」

 「認めると約束するのであれば、明かすにやぶさかではない。これは、それほどに重い問題だ」

 「戯けたことをッ」

 「ええい、じゃから落ち着けと言うに! ……しかし、儂も同感じゃ。話にならん。随分もったいぶった物言いじゃが、貴様らのこれまでを鑑みて、そこに悪意の芽がなかったとは到底信じられん」

 「『フィリウス』」

 

 唐突な造物主の呼びかけに、ゼクトがさっと顔色を変えた。

 

 「私を信じられないというのか。他ならぬ――お前が」

 

 伸し掛かるように――あるいは、くるみこむように、造物主が言葉を紡ぐ。

 

 ゼクトは唇を噛みしめた。額は青白く生気を失い、止めどもない冷や汗が、ぐっしょりと幼い造りの面貌を濡らしていた。

 ごくり、と喉を鳴らす。眉根を寄せて目を伏せると、堪えるように深く息を吸う。

 

 直後、にやり、と悪童めいた笑みを浮かべて見せた。

 

 「ああ、信じられぬ。……他ならぬ、儂じゃからして」

 

 振り切るような調子で言う。指先は震え、息は荒ぎ、お世辞にも意気軒昂とは言い難いが――それでも、その真っ直ぐな眼差しに、陰りはなかった。

 案ずるように、詠春がその肩を叩く。振り返ることなく、ゼクトは一言、すまぬ、とだけ返した。

 

 『フィリウス』――息子、を意味するラテン語である。

 

 造物主は、落胆した様子もなく、ただ頷いた。

 物は試しと言ってみただけ――そのような雰囲気が、ありありと伝わってくる仕草であった。

 

 拘らぬ無頓着さが、一層こちらを軽んじているかのようで、ますます敵愾心を煽られる一同である。

 ぴしゃりと打つように、造物主は更に言った。

 

 「なれば、如何とする。ここで全員――朽ち果てるか」

 

 とっさに、詠春がぞろりと太刀を引き抜いた。震脚を鳴らしてゼクトが腰を引き落とし、アルビレオが無数の紙片を周囲に舞わせた。

 両腕を無くしたラカンですら、えび反りの要領で身を跳ね起すと、獣のような前傾姿勢を取る。

 

 弾かれたように戦闘態勢を取る紅き翼の面々に向けて、造物主は鷹揚に手を振った。

 どことなく、嘆息するような気配すら見受けられる。

 

 「早合点をするな。私とて、無駄に争うつもりはない。避けられるのならば、それに越したことはないのだ。言ったはずだ、無用の犠牲は本意ではないと」

 「ならよう――」

 

 荒々しい殺意もあららかに、牙を剥くようにして、ラカンが言った。

 

 「あの『嬢ちゃん』も、そのゴタイソーな『犠牲』のひとつ……ってわけか。あぁ、ゴラァ!?」

 「嬢ちゃん――なるほど、『姫御子』のことだな。ならばその答えは、是、だ。むしろアレこそが、私の目的の、文字通り『鍵』を握る存在と言っていい」

 

 呟きながら、造物主が手をひらめかせた。

 ぼう、と足元に魔方陣が宿る。かと思うや否や、空間に霞を固めるかのように、一個の物体が輪郭を成した。

 

 鍵である。

 

 尻に天球儀らしき球体が据えられた、造物主の背丈に匹敵するほどの大きさの一本の鍵が、その懐に現れた。

 美しい、と言っていい造形。しかし、一同の肌を粟立てた強烈な力は、誤魔化しようもない。

 

 彼らは確信する。

 あんなモノを利用する目的など、碌なものであるわけがない。

 

 「『造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメイカー)』。――恐ろしいか。しかし、他はともかく、そこのサムライなどであれば、さほど厭うようなものでもないのだがな。そうとも、これが私の力で、存在意義そのものだ。魔法世界の未来を約し、繋ぐための架け橋だ。――姫御子と同じく、そのためにこそ、これは生み出された」

 「……あの子と、同じ……?」

 「同じだ。そういうものなのだよ、これも、あの少女も。現象はなべて多義の視点を有する。彼女をさらったのも、貴様らからすれば悪そのものであろうが、私にすればこれほど正当な行為はない。なにせ、万物の命が関わっているのだから」

 

 疑問符を浮かべるアルビレオに、滔々と造物主は返した。

 ――びくり、とその時、足元に伏した赤髪の少年が、かすかに肩を震わせたことにも気が付かず。

 

 紅き翼たちは顔を顰めた。

 一体どうしたわけか、それまでいかにも無味な印象であった強大な闇が、にわかにその威を深め出したのだ。

 

 造物主の語り口も、徐々に熱っぽく、興奮したような色彩を帯びている。

 その様は、ある種の使命感に突き動かされた、さながら非業の殉教者のようでもあった。

 

 戦士たちが鼻白む。竦む身を負けじと奮い立たせる一同を見やって、造物主はゆるりと首を振った。

 

 「分かり辛かったか。ならば、こう言い換えよう」

 

 ローブを翻す。衣擦れの音と共に緩やかに手のひらを虚空に掲げ、歌うように宣言した。

 

 「世界は――私が救う。その邪魔を、しないでもらいたい」

 

 言い終えた瞬間。

 それまで黙って蹲っていた、紅き翼の英雄が、激発したように吼え狂った。

 

 「ふざッけんじゃねぇッ」

 

 立ち上がった。身に纏った砂色の外套を血で汚し、がくがくと膝を震えさせながらも、少年は雄々しく屹立した。

 

 「犠牲だ、永遠だ、私が救うだ、わけわかんねぇこと抜かしやがって。塵芥だと……? ゴミと言いやがったのか、てめぇは。亡くなった命を、奪われた命を、てめぇが……。てめぇが……!」

 

 ぎちり、と噛み砕かんばかりに、力いっぱいに奥歯を軋ませる。

 もはや物理的な刃とさえ転じそうな、鋭利な殺意を煮え滾る双眸からぎらぎらと放射し、ナギは血反吐を吐く勢いで絶叫した。

 

 「『あいつ』を殺した、てめぇが言うのかァッッ!」

 

 今度は、仲間の制止も間に合わない。

 生存本能の訴える全ての箍を振り切って、ナギは大地を蹴り飛ばし、全身を砲弾と変えた。

 

 突撃。あまりにも無謀な突貫である。体力も魔力も枯渇寸前で、あまつさえ甚大なダメージから回復しきっていない現状を顧みれば、それはただの自殺行為となんら変わりがない。

 しかし、仮にも英雄と謳われる男の全力疾走である。地表を滑空する猛禽のごとく、みるみる内に彼我との距離が縮められていく。

 

 (一発……。一発でいい。勝てるかどうかじゃねえ。勝つ! そのためにはまず一発、あの陰気くさい顔にお見舞いしてやらなきゃ、何も始まらねぇ。こっちの気が収まらねえッ)

 

 ぎゅう、とナギは拳を固めた。

 直接的ではないにせよ、彼らが守り続けた少女を連れ去ることを命じたその口で、『あいつ』を屠る命を下したその口で、さんざんに偉そうなことをくっちゃべることが、我慢できなかった。

 

 『あいつ』と少女の、どこかズレていながらも、確かにあった温かな絆を奪っておきながら、どのツラ下げて救済を謳うのか。

 そんなの、道理が立たない。――『あいつ』に、面目が立ちやしない。

 

 「土下座したって、許しゃしねぇえええッ」

 

 爆発的な速度で、ナギは疾駆する。

 五メートル。ニメートル。もはや敵は目と鼻の先だ。

 

 悪鬼のごとき形相で突っ込んでくる少年を見やって、しかし造物主に動揺はなかった。

 物憂げに佇んだまま、じっと侘しげな視線を呉れるばかりである。

 

 「言葉では止まらぬ、か……。ならば、『彼女』の意見も聞いてみるがいい」

 

 言いながら、そっと手を伸ばし、傍に浮いていた鍵に柔らかく手を添えた。

 淡い妖光が明滅し、鍵が厳かな駆動音を奏でる。

 

 獣性の唸り声を引き連れたナギは、それらの動きに一切構わず、ありったけの魔力を掻き集めた拳骨を、力いっぱい振りかぶった。

 微かな声が聞こえたのは――そのときだった。

 

 ――……で――

 

 「な……?」

 

 ――……いで――

 

 「この声……まさかッ」

 

 ――こないでぇッ!――

 

 「ッ! いかん、どけナギィッ!」

 

 無彩の閃光が弾けた。

 あるいは、それは力場の浸食と例えてもよかったかもしれない。

 

 一枚の絵画に、童子が戯れに白の絵の具をぶちまける、その様を思い浮かべればいい。

 びしゃりとぶちまけられた力は、数秒前までナギの位相を留めていた空間を、ピンポイントで覆い隠した。

 

 「ッ、あ――。お、お師匠ッ!?」

 

 すなわちそれは、横合いから寸毫の差で、彼を突き飛ばしたゼクトを塗りつぶすということである。

 

 狼狽えるナギの顔を見返して、彼は諦めたようにニヤリ、と笑って見せる。

 不出来な弟子じゃ、精進せい、と常のごとく叱り飛ばすかのような、朗らかな微笑。

 

 「お師……ッ」

 

 反射的にナギが手を伸ばす、その直前に、造物主がぐっと拳を握り潰した。

 ぱあっと光が明光を強め、薄羽が舞うように、ゼクトがその身を解いていく。

 

 足元からひらり、ひらりと散り流れ、ぱらぱら崩れて――やがて消えた。

 

 「あ――」

 「――“リライト”」

 

 師の溶けた虚空に腕を突き出しながら、愕然とするナギを尻目に、造物主がぼそりとうそぶく。

 呪文だろう、その言葉の意味するところは、眼前の現象が全てを物語っていた。

 

 リライト。

 消失。

 消滅。

 

 ゼクトの、消去。

 

 「見たまえ」

 

 はっと振り向くナギの視線を誘導するように、す、と造物主が宮殿を指さした。

 すると、年月の威風を刻むその側壁に、滑らかな鏡が一枚、浮いているのがわかった。

 

 魔法の鏡だろう。しかし、鏡面は薄暗く、周囲の風景を反射しているようには思えない。

 磨かれた鏡の奥で、寒々とした花が一輪、咲いている。

 

 花。氷の花。

 冷たく閉ざされた封印の棺。

 

 中に眠るは、あかね色の髪を二房に束ねた、可憐な少女。

 

 「――姫御子の、絶望を」

 「アスナァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 今こそ猛り狂って、ナギは鏡へ呼びかけた。

 

 黄昏の姫御子。囚われた籠から、一度は解き放たれた退魔の王女。

 間違いなく、かの少女であった。旅を供する仲間であり、守るべき対象であり、おやつを取り合う喧嘩友達であり――『あいつ』が遺した、かけがえのない命であった。

 

 闇の化身が傍で牙を控えていることも忘れて、ナギは喜色満面に言い募った。

 

 「アスナッ、アスナぁッ! 聞こえるか、俺だッ、ナギだッ。ははは、やっぱ生きてやがったか、このじゃじゃ馬姫! 今どこにいる? そのアバラ家ん中か!?」

 

 ――ない――

 

 「あ? 聞こえねえけどまあ無事ならそんでいいや! ちくしょう、うちのチビをあんな寒そうなトコに閉じ込めやがってッ。ちっと待ってろ、この真っ黒くろすけボコり倒して、すぐに助け出してやっからな!」

 

 ――らない――

 

 「……おい? アスナ? 聞いてんのか。お前、一体――」

 

 ――いらないッッ――

 

 「ッッ、づぁッ!?」

 

 目を剥いて、ナギがその場を飛びのいた。

 先ほどの光だ。ゼクトを消し去った、あの忌まわしい閃光の力場が、再びナギをかすめ取ろうとしたのだ。

 

 間一髪避けきったナギは、どくどくと脈打つ心臓を押さえて、信じられないようなものを見る目で、鏡の少女を見やった。

 眉根を歪めるナギの心を、文字通り鏡写しにしたかのように、少女は目を伏せ――泣いていた。

 

 ――いらない。『あいつ』がしんじゃった世界なんて。『あいつ』とあえない世界なんて。だれかをふこうにしかできない、ひとりぼっちのこんな世界なんて――

 

 真の骸であったら、きっと泣くこともなかっただろう。心までも凍結していれば、いっそ楽になれただろう。

 しかし、少女はかろうじて生きていた。封じられたまま、力と意識のみを曝け出して、指一本動かさずに癇癪を起していた。

 

 ――いらない。いらない。いらないッ。いらないッッ。いらないぃ――ッ!

 

 氷の中、少女は無表情のまま、ぴくりとも反応しない。

 

 ただ、その目の端をたった一つ熱く濡らして、姫御子は奈落の底から悲鳴を上げていた。

 彼女の嘆きが滅びを招くと知る、影の支配者に促されるままに。

 

 痛ましさと悔しさと、彼女の心裡が手に取るように理解できてしまうが故の罪悪感とで、ナギは絶句する。

 

 何が英雄か、と少年は自分を責めた。

 『あいつ』を逝かせたことも、少女を奪われてしまったことも、自分たちの失敗だ。憎悪すべき、取り返しのつかない恥だ。

 

 ああして泣いている幼子に、慰めの言葉一つ思いつかないなど、出来損ないの英雄もいいところである。

 千の呪文がどうたら謳われようが、結局、その本質はオチコボレ魔法使いのままではないか。

 

 「わかるかね、人間」

 「あ、がァッ!?」

 

 立て続けのショックで動揺していたナギは、先ほどの自分をひっくり返したように、こちらへ突進してくる造物主の攻撃を覚知出来なかった。

 

 頬に拳がめり込む。

 固いジャムのビンの蓋をこじ開けられたように、首が明後日の方向へ跳ねる。脚が浮き、宙返りのごとく顔面から地面へ落着した。

 

 「これが、彼女の意思だ」

 

 止まらない。造物主はナギを殴り飛ばした遠心力を存分に利用して、身を旋回させた。

 迸る魔力。横薙ぎ一閃。

 

 「しまっ……」

 「っジかよッ……」

 「ああああああああああ!」

 

 形無き、巨人のかいなが地表を浚った。天地に伸びたつ絶破の壁は、距離を開けていたナギの仲間たちに、津波のごとく襲い掛かった。

 

 ふわり、と造物主は地面に降り立つ。

 もはや戦果を確認しようともしない。加減どころか、生殺与奪も自由自在、思うがのままの究極の魔法使いである。

 

 意識も失わず、しかし虫の息。紅き翼らの常識外れ具合を鑑みても、その程度がせいぜいであろう。

 もはや、抵抗はできまい。

 

 「全てを世界に奪われ、全ての望みを絶たれ。それでも残った、哀しき運命を負った少女の最後の願いだ。――そのささやかな望みくらい、叶えてやってもよいとは思わんか?」

 「……っかはッ、奪った、のは、ひゅぅ、てめ、ごほっ、だろう、が」

 

 余人を百度潰して余りある甚大なダメージをもろに食らいながら、こうして問答できているだけでも、その外れ方は尋常ではないのがわかる。

 ナギ・スプリングフィールド。目の前のこの少年こそが、正にその体現者であろう。時代が求めねば、おそらくあらゆる修正力によって、きっと存在すら許されなかったに違いない。

 タフネスや魔力といった点よりむしろ、この異常なまでに頑丈なメンタル――“ダイヤモンド”のような根性こそが、最も厄介な彼の武器だ。

 

 世界を統べる彼の力をシャワーのように浴びて、なお睨み返してくる生命体を、バグと称さずして何と呼べばいいのか。

 

 なればこそ、彼は気になった。

 ナギを、そして黄昏の姫御子の心を、こうまで惹きつけて止まない存在が。

 

 「『あいつ』――か。名も顔も知らぬが、さぞや快い者だったのだろうな」

 「知ら、ねえ、だ――?」

 

 造物主は頷いた。姫巫女の心の泣き声が、一際甲高くなった。

 脳髄を掻き回すようなその悲痛な声に頓着せず、闇の魔法使いは言った。

 

 「私は知らんよ。君たちの言う『あいつ』が誰かも。君たちがいかなる苦境を経てきたのかも。何を失い、何を信じているのかも。全ては、人形たちに任せっきりであったから。だが――すまない、とは言っておこう」

 

 腕を支えに片膝をつくナギが、転がる長杖をゆっくりと拾うのを、造物主は黙認した。愚かながら、流石の意地だと思った。

 

 「しかし、これで終わりだ。奪うも、亡くすも、もはや意味はない。……消そう。全てを、振り出しに戻すのだ」

 

 造物主は宮殿を仰いだ。情動に瑕疵が刺すような、まっとうな精神構造を持たない彼であったが、凍てつく少女の慟哭を憐れむくらいの感慨はあった。

 

 「彼女の涙も、それで終わる」

 

 奔流のように、鏡から鼻声が響く。

 くしゃくしゃの金切り声。それは音ではない。いわばテレパシーのような、意思の表出だ。

 乱れきって、支離滅裂な様相を呈するわやくちゃな言葉の羅列が、ひっきりなしに零れ落ちていた。

 

 ――やくそく、したのに。泣きたいときは、笑わせにきてくれるって、やくそくしたのに! うそつき、うそつきッ。いらない、いらないようッ――

 

 世界を浸す毒。それが、安らかな愛情の裏返しであるとは、なんとも皮肉な話。

 慕う心が――世界を殺す。

 

 ――『あいつ』がきてくれないなら、えがおなんて、もういらない――!

 

 「――来るさッ」

 

 ナギが怒鳴った。

 残酷な理に待ったをかけるように、ざくり、と石床に杖を突きたて、弾かれたように顔を上げる。

 

 「お前が信じるなら。お前が会いたいと願うならッ。『あいつ』はきっとやってくる。泡を食って飛んでくるとも! ……たとえ地獄の底からだってッ」

 

 杖に身をもたれ掛らせるようにして、ぜいぜいと肩で息をしながらも、ナギは断言した。

 警戒に造物主が身を強張らせるが、知ったこっちゃないと言わんばかりに無視をして、赫々たる眼差しを鏡に向けた。

 

 「この黒ずくめは知らねえ。でも、俺たちは知ってるだろうがッ。『あいつ』を! あいつの誓いをッ。生き様を!」

 

 ひう、と氷の花が息を呑んだような気配があった。

 手ごたえを感じるまでもなく、ナギは吐血交じりの唾を盛大に飛ばして、力いっぱい叫んだ。

 

 「お前が泣いているときに――『あいつ』が来ないわけがねえッ」

 

 流される嘆きの意思が氷であるなら、溶かす意思こそ情熱の炎。

 無理を通して道理を蹴飛ばす。方便などではない、言いながら彼もまた、信じ始めていた。

 

 思い出したのだ。

 黄昏から姫巫女を救い上げた、暁のごとき“カルマ”を持つあの大馬鹿野郎の、陽だまりの奇跡の数々を。

 

 「――信じろよ。約束、したんだろうがッッ」

 

 一喝。

 何人にも曇らせ得ぬ信念でもって、英雄は駄々っ子を叱り飛ばした。

 

 意思が途切れる。ぐずって、しゃっくりを繰り返しているような感触だ。

 ナギは片頬を吊り上げ、悪童めいた会心の笑みを浮かべる。

 

 しかし。

 

 「惑わすな、英雄」

 

 ――う。ああああああああああああああああああッ――

 

 造物主が『鍵』に手をかざせば、ポンプのように無軌道な魔力が少女へと流れ込んでいく。

 かろうじて残されていた意志さえ押し流すように。余分な機能を削るかのように。

 

 「この上、無慈悲な希望を与えてなんとする。それは甘い毒だ。苦悩を伸ばすだけの残酷な麻薬だ。私にも彼女にも役割がある。それを汚すような真似は止せ。下手をすれば、本当に世界が滅びてしまうやもしれんのだぞ」

 「て、めぇぇ……」

 

 詰問するように、造物主が言う。ナギもまた、険しく暗闇の権化をねめつけた。

 どちらも、己の正義を確信し、それに準じて動いている。故に噛みあわず、だからこそ、互いを打倒するしか既に道はない。

 

 遅まきながら、造物主はようようと、それを悟った。

 どだい、説得などと元来の機能からずれた行動を選択したことが、そもそもの誤りであったのだ。

 

 ここに至るまで、「完全なる世界」の計画は、概ね規定通りに事が運んでいたとはいえ、大規模な修正を幾度も余儀なくされた。

 それは彼ら、「紅き翼」らの抵抗が予想を上回る激烈なものであったことも事実だが、明らかに超常的としか思えないぶっとんだ大逆転が、何故か彼らの周囲にばかり頻発していたことも、決して無関係ではない。

 

 その奇跡に、興味が引かれた。ないはずの情動がざわめいた。

 本来であれば、彼は最後まで沈黙を保ったまま、機械的に事を遂行していたハズだった。

 

 不動なる歯車を回す、好奇心という名の神の誤算。

 そのズレこそが――ひょっとしたら最も不可解な運命の悪戯で、最大の奇跡と言って良かったのかもしれない。

 

 (あるいは、『あいつ』なる何某かの恩恵だったのやもしれんな)

 

 だが、果ててしまってはその福音も過去のもの。幸運の星は彼らの御許を外れ、順当により力ある者の頭上で輝くことだろう。

 より深く策謀を練り、より緊密に舞台を整え、より的確に手駒を動かした――造物主の元へと。

 

 造物主は、感傷にも似た精神の瑕疵を得た、己の内面に驚いた。

 自らのノイズに呆れ、苦笑し――そして確信した。

 

 鍵となる姫御子は絡め取った。世界情勢に縛りを掛けた。敵は彼の膝元で喘いでいる。

 『完全勝利』は、目前である。

 

 「さあ、剋目せよ。これが世界の選択だ……ッ」

 

 今こそ決着の時。長き騒乱に終止符を打つべく、二つの『鍵』を手に、造物主が最期のトリガーを引く――。

 

 その瞬間だった。

 

 

 

 

 ――そいつは、困るな。

 

 

 

 

 「ッ!?」

 

 炎。

 

 突如、黄金色に輝く熱い火が、造物主を舐めた。

 思わず両手を交差し、頭部を庇う造物主の頭上に、影が差す。

 

 それは、『石像』であった。

 重く、滑らかな石の塊が、迸る生命の息吹も高らかに、造物主めがけて落ちてくる。

 

 とっさに腕を打ち揮って炎をかき消す造物主。一気に熱せられた空気によって生まれた陽炎が、ゆらゆらと立ち上る。

 その向こうを透かし見た造物主の目に飛び込んできたのは――乱杭歯の並ぶ、獰猛なあぎと。

 

 曼荼羅のごとく造物主を覆う防御壁の、しかしその最終階層までをもぶち抜いて、その怪物はただ一心に、獰猛な敵意を曝け出していた。

 直前に張りなおした最後の一枚がなければ、あくまでもヒトガタの造物主の身体が、その牙の餌食になっていただろうことは想像に難くない。

 

 (ガーゴイル……ッ)

 

 鉱物でできた魔法生物、と造物主は見た。

 プログラムされた命令どおりに動く、仮初の生命体。

 意思無き故に死を恐れぬ勇猛さと、物理的に堅固極まる外装で知られた、強力な兵器である。

 

 しかし、それでもただのガーゴイル程度、何百体揃えたところで造物主を脅かすには至らない。

 それが、不意打ちであった点を差し引いても、ここまで造物主に肉薄するなど、どう考えても異常である。

 

 奇妙なガーゴイルであった。

 

 本来、ガーゴイルは竜種を模して造られるのが一般的である。

 それは竜という生物が、魔法世界でも有数の、幻想と力を発揮するのに最も優れた「形」をしているからに他ならない。

 例外を除けば、わざわざ魔力運用の効率を落とすだけの他の生物を真似ることに、意味など微塵もない。

 

 だが、ここに例外はあった。

 

 ――獅子。

 

 爆発的な膂力を秘めたしなやかな四肢。縦に瞳孔の開く、凛々しい眼。

 百獣の王者たる様を全霊でもって謳うその猛々しいフォルムは、不純物のない、『金色の琥珀』で出来ていた。

 光を吸い込む透き通った硬い身体の中で、顔の周囲を覆う、鬣を想起させる放熱線の束だけが、熱風にざわざわと揺れている。

 

 ――VoOOooooOOOooooooooOoooooo!

 

 まるでそれは、廃墟に咲いた、大輪の“蒲公英”(ダンデライオン)

 

 「――おのれッ」

 

 造物主はぎろり、と獅子を凝視した。

 防御壁が内側から大きく膨れ上がり、食らいつく獅子ごと爆砕した。

 敵に破られる前に、あえて自ら魔力陣を破棄することでその余波に指向性を持たせ、障壁を一種の炸裂装甲へと変じめたのである。

 

 しかしガーゴイルは、一体どのような精巧な魔力センサーを搭載しているものか、閃熱が来襲する刹那を見極めると、大きく背後へ跳び退った。

 身を低く、唸り声を上げる。

 黒塗りの魔法使いは舌打ちすると、追撃の手を休めることなく、更なる詠唱を重ねようと口を開き。

 

 ――舌を、もつれさせた。

 

 「!?」

 

 凪いでいた心の湖面がわずかに細波立つ。

 言葉は、話せる。音として紡ぐことは出来る。

 

 しかし、数節に渡る意味ある真言を象ろうとした際、まるで楔の如く、意図せぬ無意味な音が、あろうことか自らの咽から湧き出してくるのである。

 魔法の詠唱を音楽に例えるとすれば、それは調子っぱずれのノイズに他ならない。

 

 これでは詠唱を棄却できる初歩スペルはともかく、規模の大きい――すなわち詠唱が長い大呪文の全てが役に立たないことになる。

 思わず咽を押さえる造物主の耳は、やがてその音を聞きつける。

 

 それは、歌だった。

 りんりんと、空気に微かに溶け合う静かな歌声が、息遣いの合間を縫って、緩やかに流れていた。

 何時の間に鳴っていたのか、気づかぬほど自然に紛れていたその歌は、辺りの魔力ごと空間をすっぽりと包みこんでいた。

 

 ちりん、と涼やかな鈴の音色。

 

 造物主が振り向くその先、建物の影に、ぱちりと青色の鬼火が生まれた。

 いや、それは瞳だ。ガラスのように澄んだ、冴え冴えとまばたく二つの目玉である。

 

 とっとっと、と軽やかな足音。

 闇に同化するしなやかな身体を光の元に引っ張り出して、『彼』は澄ましたように顎をあげた。

 

 ――猫である。

 

 てらてらと、濡れたように光る毛並みも麗しい、一匹の黒猫。

 

 黒猫は動揺する造物主を見て、すっと目を細めた。

 フン、と小生意気に鼻を鳴らす辺り、どうやら恐れ多くも、かの始まりの魔法使いを馬鹿にしている風情である。

 

 あんまりと言えばあんまりな態度に、流石に苛立った造物主が再び呪文の詠唱を試みる。

 しかしまたしても、詠唱は造物主自身の不可解なわめきによって失敗してしまう。

 造物主は焦る思考の片隅で、素早く頭脳を回転させる。蓄えた経験と知識をひっくり返し、現状と照らし合わせて考察した後、そういうことか、とはたと思い至った。

 

 認識阻害魔法、というものがある。

 

 周囲の人物に違和感を生じさせにくくする――その程度の、魔法世界ではごく一般的に普及している魔法である。

 この『歌』は、その亜種に近い。ただ阻害するのが認識ではなく、「魔法を発動しようとする意識」のみに限定されているだけのこと。

 

 『詠唱阻害魔法』。

 言ってみればそれは、「魔法使いを徹底的に音痴にさせる呪いの歌」のようなものである。

 

 ガラスの目をした黒猫は歌う。りんりんと。

 誰かを思いやる、物悲しいブルースのように鳴き声は響く。

 自慢の鉤尻尾を水平に、威風堂々と。

 

 黒猫は誇らしげに声を張り上げる。

 自らより遥か強大な敵を前に、歌一つを武器にして、恐れず真っ向から立ち向かう。

 

 ――にいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!

 

 その小さくも勇ましい姿は、まるで“聖なる騎士”(ホーリーナイト)のよう。

 

 「……私も、ずいぶんと舐められたものだなッ」

 

 だが、種が割れた手品など、もはや怖くも無い。

 無詠唱による魔法の矢を数本打ち込む。黒猫はひらりと機敏に避けて見せるが、鬱陶しい『歌』は途切れてしまう。

 

 同時に、今も牙を剥く獅子を牽制しながら、まずは散った障壁を立て直すことに意識を裂く。 

 城壁にも近い堅固な魔法障壁を張りなおせれば、まずあの呪歌の影響は遮断できるだろう。

 

 しかる後、全速で獅子を排除する。障壁破壊効果の付与されたあの炎は中々厄介ではあるが、ようは使わせなければいいだけの話。

 ガーゴイルが大気のマナを吸って、体内のオドにより火に変換し、吐く。

 邪魔さえなければ、その間に大呪文の三発程度はぶちこめる。

 

 (チェックメイトだ)

 

 造物主は無造作に手を掲げ――そして気づいた。

 自分の懐、ローブに鼻先が触れるほど間近に、何者かがするりと潜り込んでいることに。

 

 「な……ッ?」

 

 何時の間に?

 誰が?

 どうやって?

 

 驚愕する。

 スパークする思考は纏まらない。硬直した身体はとっさに反応できない。

 

 あからさますぎる『敵』の動向を――呆けたように見守るしか、ない。

 

 折れんばかりに歯を食いしばり。

 床を踏み抜く勢いで両脚に膂力を込め。

 腰を、肩を、全身の関節を限界まで、弓弦を引き絞るようにねじ回し。

 両手の指がうっ血するまで、固く、固く得物を握り締め。

 

 造物主は動けない。

 見ていることしかできない。

 

 男が全霊の力を込めて――『鉄パイプ』を振りぬく、その瞬間を!

 

 「――ッッ!!」

 

 スイング。

 

 ローブのどてっ腹へ無造作に叩き込まれた一撃は、ごわつく洋皮紙を突き破るような感触を伴い、容赦なく造物主を吹き飛ばした。

 その威、その圧、精強無類。狙ったモノは必ず貫く――“神の槍”(グングニル)もさながらに。

 

 半濁音の多い奇ッ怪な悲鳴を上げて、物理法則を無視した異様な回転と共に、偉大なる魔法使いが宙を舞う。

 石切りのごとく二度三度と床をバウンドし、頭から瓦礫の山へと突っ込んだ。

 勢いあまって流れる身体を、靴裏の摩擦を利用し、火花と擦過音を刻んで男は立ち止まる。

 

 宮殿から、幼い声がこぼれる。

 

 ――あ……――

 

 挟まれた石畳の隙間から、ラカンは見た。男が悠然と鉄パイプを肩に担ぐのを。

 

 ――ああ……――

 

 気絶した詠春の横に転がりながら、アルビレオは見た。仁王立つ男の傍らに、獅子と黒猫が音もなく寄り添うのを。

 

 ――あああああああああああああ……ッ――

 

 絶叫。

 想いの溢れる咆哮。

 

 無くしたものを見つけた声だった。

 壊れた宝物を、再び掻き抱いた歓喜だった。

 

 狂おしく求めた、底抜けの奈落に比する胸の痛みを、丸ごと貫く切ない衝撃だった。

 

 彼はいた。

 彼がいた。

 

 心を忘れた幼子に、全ての感情を与えた男が。

 黄昏の姫御子に、喪失の悲しみで世界を拒絶させた男が。

 孤独な少女の笑顔のために、儚く命を散らせたはずの男が。

 

 “失われていた男”(ロストマン)が――この時、この場に、舞い戻る。

 

 皆、何も言えない。言うべき言葉を思い出せない。

 

 ただ、一人。

 

 杖を支えにしたナギだけが、胸につかえた感情含みで、くしゃくしゃと顔を歪ませる。

 震える唇を無理やりかみ殺し、はっ、と小さく笑い捨てた。

 

 「……遅ぇよ、馬鹿野郎」

 

 爆音。

 遠くで瓦礫が巻き上がる。

 

 追って見やれば、やけに煤けた風体の造物主が、粉塵を掻き分け這い出てくるのが見えた。

 最強の魔法使いに似つかわしからぬことに、その背後に黒々と淀んだ、憤怒のオーラまで透けて見えるような気さえする。

 

 ぽつりと、呟いた。

 

 「なんだ、貴様は」

 

 苛立つような、いっそ憮然とした口調で、造物主が問う。

 

 「――なんなのだ、貴様はッ」

 

 問われた男――口の端に微かな笑みを湛えた謎の乱入者は、被った帽子のつばを柔らかく摘んだ。

 淡々と、飄々と、臆することなく堂々と、当たり前のように告げる。

 

 「……名乗るほど、たいした名じゃないが――」

 

 すっ、と顔を上げる。

 何の変哲もない面。その瞳に宿るのは、隠し切れない情熱の炎。

 

 男の生き方は単純だった。

 

 笑わせたい。

 たくさん、たくさん、笑わせたい。

 

 それだけが、生き甲斐だから。

 笑わせないと――死にきれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「誰かがこう呼ぶ。――“ラフメイカー”!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は叫ぶ。

 己が意味を、純粋に体現するその名前を。

 

 造物主は愕然と顎を引き落とし、紅き翼の英雄は、たまりかねたように腹を抱えて吹き出した。

 

 “ランプ”の灯りにも似た、意志の揺らめくきらきらした瞳で、闖入者は、にかっ、と零れるような笑顔をひとつ。

 送るのは、仲間を越え、敵を越え、戦場さえ遠く置き去って、閉ざされた宮殿の奥深く、むせび泣く少女へ向けてのメッセージ。

 

 獅子が吼える。

 黒猫が鳴く。

 

 傍らには、赤毛の“小さな勇者”(リトルブレイバー)

 

 胸に響くは、猛く雄々しい“誓いの歌”(バトルクライ)

 

 囚われのお姫様を救うため。

 悪い魔法使いを倒すため。

 

 

 「待たせてごめんよ、アスナ」

 

 

 ちっぽけな、約束ひとつを携えて。

 

 

 「――アンタに笑顔を、持ってきた!」

 

 

 笑顔の使者が、世界に挑む。 

 

 ――これは、手垢に塗れた物語。

 在り来たりでお粗末な、“くだらない唄”のごとき、英雄譚。

 

 

 

 

<了>

 

 

 

 




 あとがき。

 ライフメイカーvsラフメイカー。
 思いついちゃったらこう、つい。

 以前某所で書いた物をちょっと手直し。

 好きなモノに好きなモノを掛け合わせ、ひたすらネタをブチ込みまくっただけというシロモノ。
 あの原曲の熱さが、万分の一でも伝わってくだされば幸いです。

 ご意見、ご感想お待ちしております。

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