正義の味方に至る物語   作:トマトルテ

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今回は色々詰め込みました。いつもより4千字ぐらい長め。


12話:研究者達の巣窟

 俺は野球が好きだった。

 俺は子供の頃から野球が好きだった。毎日バットを振るのが楽しかった。

 泥だらけになりながら白球を追うのが楽しかった。

 

 勿論、楽しいことだけじゃない。

 練習はきつくて辛いし、試合で負けたら悔しくて狂いそうになる。

 でも、練習して野球が上手くなるのは楽しい。それに試合で勝てばその何倍も嬉しい。

 

 だから、もっともっと野球が上手くなりたかった。

 毎日毎日、雨の日も風の日も練習に明け暮れた。

 体が痛くなることも、遊ぶ時間が無くなることも辛くはなかった。

 

 

 でも、自分がもうこれ以上上手くなれないことを知るのは、耐えられない程に辛かった。

 

 

 そんな時だった。オールライト博士と名乗る人に出会ったのは。彼は言ってくれた。まだ、俺には野球が上手くなる余地があると。当然俺はその話に飛びついた。いや、飛びついたのではなく(すが)りついたのだ。まるで、溺れる者が(わら)をも掴むかのように。それ程までに俺にとって野球が上手くなることが全てだったのだ。

 

 手術の成功率は30%だと言われたが迷わず受けた。

 どうせ野球が上手くなれないなら、死んでもいいと思っていたから。

 そんな破れかぶれな気持ちが功を奏したのか、手術は成功した。

 

 手術後の俺は今までとは比べ物にならないぐらい野球が上手くなっていた。

 だというのに―――何故か嬉しくなかった。

 困惑する俺に博士は言った。

 

 “まだこれが限界でないと気づいているからだろうと”

 

 その言葉に違和感はあった。でも、納得できる部分も多かった。

 だから俺はもっと野球が上手くなりたいと博士に頼んだ。

 博士は二つ返事で俺に手術を施してくれた。俺が満足するまで、何度も、何度も。

 

 手術の度に俺は野球が上手くなった。

 でも、満足できないから、また手術を重ねる。

 俺は野球が上手くなった。でも、また手術を行う。

 

 俺は野球が上手くなった。満足できない。

 

 俺は野球が上手くなった。まだまだ足りない。

 

 俺は野球が上手くなった。野球以外の記憶が無くなった。

 

 俺は野球が上手くなった。他のことが考えられない。

 

 俺は野球が上手くなった。なんで?

 

 俺は野球が上手くなった。そもそも俺は誰だ?

 

 俺は―――

 

 

 

 ―――どうして野球をしているんだっけ?

 

 

 

 それが野球を愛した男が最後に思ったことだった。

 

 

 

 

 

「サア、超人野球選手達ヨ。今コソ、ソノぱわーヲ見セツケルノデース!」

「おいおい、キャリコの弾丸を木製バットで撃ち返すなんて、化け物か?」

「それだけじゃない。あいつら全員が300㎞/h超えのストレートを投げてくるぞ!」

「俺の“個性”で抹消できないということは、あれは素の身体能力か」

「フン、うろたえるな。ザコが何人集まろうとも所詮はザコだ。すぐに蹴散らすぞッ!」

 

 エンデヴァーが投げた炎の槍を4番ファーストがバットで粉砕することで勝負が始まった。相澤の“個性”ではすでに改造された人間の力を消すことは出来ない。そのため、野球選手達は超人染みた身体能力を遺憾なく発揮していた。

 

「フフフフ、雑魚トハ違ウノデス、雑魚トハ。彼ラハ人間ヲ超エタ超人、敗北ナドアリエマセン!」

 

 オールライトが自信満々に笑い声をあげる。

 確かに、そうした自信を抱いてしまうのも自然なことだろう。

 

 1番センターの殺人スライディングは岩をも容易く砕く。

 2番レフトの選球眼は飛んでいるハエの羽を箸で掴むことすら可能とし、全てを真芯で捉える。

 3番ショートの身体能力は分身して1人で二遊間を組める程である。

 4番ファーストはホームラン以外は無価値と言ってはばからない。

 5番セカンドの抜群のバットコントロールは銃弾すら容易く捉える。

 6番サードのスイングスピードは音を置き去りにし、ソニックブームを巻き起こす。

 7番ライトの強肩は投げるもの全てをレーザビームに変え、走者を物理的に生きて返さない。

 8番キャッチャーの守備力は砲弾ですら受け止めてしまう。

 9番ピッチャーの投げる球はマグナス効果でホップアップする。

 

 これだけの選手を揃えているのだ。

 しかも全員がフライボールレヴォリューションを会得し、尚且つ2番強打者論を採用している。

 慢心してしまうのも致し方無いことだろう。

 

 だが、オールライトは1つ見落としていた。選手は確かに超人だ。

 普通の人間では太刀打ちすることなどできるはずがない。

 しかしながら、目の前の相手もまた―――超人(ヒーロー)なのだ。

 

「ギャングオルカ、超音波をあいつらにぶつけろ」

「御意」

「超音波? 脳震盪(のうしんとう)デモ狙ッテイルノナラ無駄デス。野球超人ノ回復力ハ常人ノ100倍。一瞬デ回復スルノデ無駄デス」

 

 エンデヴァーの指示に従い、超音波を野球超人(ナイン)にぶつけて脳震盪を起こさせるギャングオルカ。だが、オールライト博士の言う通りにナインは一瞬しか動きを止めない。しかしながら。

 

「一瞬で結構。俺には刹那でも十分すぎる」

 

 エンデヴァーという最高レベルの超人(ヒーロー)にとっては余りある時間だ。

 

「オオウ! 野球超人達ノ足ガ焼カレテイキマース!?」

「殺さないだけ温情だと思え」

 

 作られた一瞬の隙を突き、エンデヴァーがナインの足を焼き払う。

 この炎はコケ脅しとはいえ戦闘用の炎だ。如何に超人といえども、機動力の低下は免れない。

 しかし、それも時間が経てばすぐに回復するものだ。

 もっとも、敵に時間を与える人間はここには1人も居ないのだが。

 

「衛宮、行け」

固有時制御(Time alter)―――四倍速(square accel)ッ!」

 

 エンデヴァーの声を受け、オールライトを捕縛すべく切嗣が4倍速で駆ける。

 狙いはもちろんオールライト一点。

 成長し、5秒だけ発動可能になった4倍速を自在に操り博士の喉元に牙を突き立てんとする。

 

「防ゲ! 防グノデス! 腕ダケデモ動カシテ私ヲ守リナサイっ!!」

 

 当然、オールライトは必死に迫りくる恐怖から自らを守らせる。

 もう、オールライトの目には切嗣しか映っていない。

 そのため自我を失ったナイン達も切嗣しか見ていない。

 

 そう、誰も―――後ろから近づく相澤を見ていないのだ。

 

「捕縛完了」

「オオウっ!? イツノ間ニ、私ハ縛ラレテイルノデスカ!?」

「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んだロープだ。暴れても無駄だ」

 

 自分が切嗣から身を守ろうとしている間に捕縛されていたことに気づき、慌てるオールライト。

 そんな間抜けな姿に特に何も思う様子もなく、相澤は拳銃をオールライトの眉間に突き付ける。

 

「一度しか言わないからよく聞いておけ。あの9人に指示を出すのを止めろ。止めないなら死ね」

 

 絶対零度の声色でナインの動きを止めるように告げる相澤。

 ナインには自我がないとオールライトは言っていた。つまり、自分で行動することが出来ない。

 なら、9人全員を相手取るより指示を与えている1人を潰した方が速い。

 ヒーロー達がそう合理的に考えるのも当然のことだろう。

 

「ワ、ワカリマシタ。止メマス。ヤメルノデ命ダケハ助ケテクダサーイ!」

「よし、なら全員を拘束するまで動かすな。不審な動きをしたら……分かってるな?」

「ハイィっ! モ、モチロンデース!」

「そういうわけなので先輩方、捕縛をお願いします」

 

 堂に入った脅しをする相澤の姿に切嗣は満足そうに頷き、ギャングオルカは渋面を作る。

 しかし、どちらも自分のすべきことは忘れておらず、しっかりとナインを捕縛していく。

 その間にエンデヴァーは地上の相棒(サイドキック)達と通信を行い、ナインとオールライトの回収に来るように指示を出す。

 

 そんな時だった。突如としてけたたましいアラーム音が研究所内に鳴り響き始めたのは。

 

「なんだこれは…? おい、お前何をした」

「のー! 私ガヤッタノデハアリマセン。コレハ地下ニ居ル他ノ研究者ガヤッタモノデショウ」

「誰がやったかじゃない。何が起きているかを説明しろ」

 

 明らかな異常事態にオールライトを問いただす相澤。

 その後ろでは、切嗣も銃を構え、エンデヴァーも掌に炎を灯す。

 要するに答えなければ酷い目に合うということである。

 

 そのため、オールライトは顔を真っ青に変化させ、ガクガクと震えながら答える。

 

「コレハ―――自爆すいっちが押サレタあらーむ音デース!」

 

 ある意味で研究所にはお約束の自爆スイッチの存在を。

 

「自爆スイッチだと!? おい、今すぐ止めろ!」

「オーウ、ダカラ私ガ押シタノデハアリマセン! 恐ラクハ、侵入者ノ存在ニ気ヅイタ下層ノ誰カガ押シタノデス」

「どうやったら止められる?」

「最下層ニアル『時ノ庭園』ニ行ケバ、制御室ガアルノデ、ソコヲこんとろーるスレバ止マルハズデス。ナノデ、ソレ以上眉間ニ拳銃ヲ押シ付ケナイデクダサーイ!」

「……エンデヴァー、どうしますか?」

 

 オールライトから情報を聞き出した相澤が、若干表情に焦りを見せながら指示を仰ぐ。

 エンデヴァーは一瞬だけ考えるように瞳を閉じるが、すぐに瞳を開け方針を告げる。

 

「二手に分かれるぞ。俺と衛宮と相澤はこのまま先行する。ギャングオルカは一度そいつらを連れて地上に戻れ。そこでの現場指示はお前に任す。同時に、そいつから脱出経路を聞き出して先回りしておけ。自爆スイッチなんてものがある以上は脱出手段も用意しているはずだ。そこを狙って挟み撃ちにするぞ」

『了解!』

 

 エンデヴァーの策は、片方がこのまま地下に潜って自爆スイッチを解除しつつ他の研究者を追い詰めていき、地上のギャングオルカが率いる相棒(サイドキック)部隊が、研究者が逃げるであろう場所に先回りして挟み撃ちにするというものである。

 

 因みにギャングオルカが地上に戻る理由は2つある。1つ目はこのままではオールライトや野球超人達が死んでしまうので、地上に連れていく必要があるから。そして、2つ目にギャングオルカはシャチのために乾燥に滅法弱い(・・・・・)からだ。

 

「少し離れてろ。今―――床をぶち抜く」

「ホワット?」

 

 何を言っているのか分からないオールライトを無視して、エンデヴァーは床に手を当てる。

 そして―――豪炎を放って下層につながる床を一気に溶かしつくす。

 

「これで少しは近道になるな。お前ら耐熱用のコートは着たか? 着たならついてこい」

「はい。相澤君、有毒ガスがあるかもしれないから一応ガスマスク」

「助かる。よし、行くか」

 

 切嗣と相澤はあらかじめ用意しておいた耐熱用のコートとガスマスクを身につけ、たった今開けられた穴の中に飛び降りていく。エンデヴァーの身近で戦う以上は熱対策も必要になるため、相棒(サイドキック)達はこういった装備を常備している。

 

 そのため、高熱を放つ床にも対応することができるのだ。もっとも、所詮は気休めなのでギャングオルカのような乾燥に極度に弱い人間ではついてくることが出来ないのだが。

 

 何はともあれ、3人は溶かして作った穴を通り、地下へと突き進んでいく。

 

「なぁッ!? お主達一体どこから!?」

「“個性”抹消」

「麻酔弾」

「“個性”抹消」

「麻酔弾」

「グワァアアアッ!?」

 

 ときおり現れる(ヴィラン)を、切嗣と相澤で抵抗させることなく無力化していきながら。

 

「地上のギャングオルカが聞き出した情報が正しければ、次が最下層の1つ手前だ」

「案外呆気ないものですね」

「油断は禁物だよ、相澤君。なにより自爆スイッチはまだ止まっていない。止められないと僕達が瓦礫の下に埋まることになるよ」

「それは面倒だな。合理的じゃない」

「貴様ら、誰が道を作ってやっていると思ってる!」

 

 本当に自爆が差し迫っていることが分かっているのか怪しい程の、気の抜けた会話にエンデヴァーは怒声を上げる。この2人の学生は仕事はできるが何か肝心なところが抜けているとも思うが、指摘する気もないので怒鳴るだけで他には何も言わない。ただ、黙って道を作るために最下層までの最後の床に手を当て、そこであることに気づく。

 

「む、今までと違い俺の炎で溶けないだと?」

 

「くくくく、今までとは同じようには行くと思わないことだね」

 

「新手か!」

 

 薄気味の悪い笑い声が響き渡り、声の主がゆっくりと姿を現す。

 

 何かやたら凄そうな巨大ロボの肩に乗りながら。

 

「ロ、ロボット?」

「おや? 死んだ目の少年は私の超合金ガジェットナンバーズⅣに興味があるのかね。くふふふ、良いだろう。説明してあげよう! 超合金ガジェットナンバーズⅣはその名の通り特殊合金で作られており、戦車の砲弾を食らってもビクともしない。さらに高速機動が可能、十万馬力! ジェット噴射で空を飛ぶ! そして性能だけじゃない。愛する娘程ではないが愛らしいフォルム。さらにさらに―――」

 

「エンデヴァーさん、無視して先に行きましょう」

「無論だ」

 

 余程自分のロボットの性能を説明したかったのか、長々とした演説を始める謎科学者にゲッソリとした顔をしながら切嗣が先に進むことを進言する。勿論、他の2人もこんな話に付き合う気などないので、説明を右から左に受け流してロボットの横を通り抜けようとするが。

 

「おっと、ここは通すわけにはいかないよ」

 

 そう上手くはいかない。すぐに巨大ロボの足が壁のように行く手を遮る。

 

「相澤君、“個性”は使ったかい?」

「今も発動している。要するにあの機械は“個性”で動いているわけじゃないってことだ」

「やっかいだな……あの大きさだと手持ちの武装じゃ傷をつけるのが精一杯だ」

 

 相澤の抹消も効かず、切嗣の火力では決定打を打てない。

 目の前の機械に唯一決定打を与えられるのは、この場ではエンデヴァーだけだ。

 そのため切嗣は戦闘ではなく対話を試みてみることにする。

 

「こんな所で僕達を足止めしていたら、お前も自爆に巻き込まれるぞ?」

「くくくく。自爆、いいじゃないか。研究者というものは皆ロマンに従い生きている。自爆という最高のロマンで自らの生を終えることが出来るのなら願ったり叶ったりさ!」

「……愚か過ぎて理解できないよ」

 

 ロマンのために人生をかける男の狂気の(さが)に切嗣は頭を抱えたくなる。

 紫の髪に黄金の瞳を持つ研究者は、そんな切嗣の様子すら楽しむように笑う。

 まるで、久方ぶりの友人との会話を楽しむ様に。

 

 そんな笑う道化のような不気味な男の顔を改めて見て、エンデヴァーが男の正体に気づく。

 

「思い出したぞ。貴様は(ヴィラン)『ブンシュ』だな?」

「これはこれは、かの№2ヒーローに知られているとは私も鼻が高いよ。そう、私が稀代の天才科学者ブンシュ。犯罪者でなければ今すぐにでも教科書に載れると言われる程の発明を行ってきた張本人だ」

 

 (ヴィラン)名『ブンシュ』。ドイツ語で欲望を指す名を持つ男。

 “個性”の発現による混乱の中で、発展が遅れた科学技術を一気に押し進めた偉人だ。

 基本的に自分の興味の向いた分野しか研究しないために、特定の技術だけ異常発達している現在の歪な社会構造は彼が作ったと言っても過言ではない。

 

 因みに(ヴィラン)になった理由は、世界征服というロマンを追うためらしい。

 

「ちっ……こんな大物がいるとはな。衛宮、お前は中々にデカい山を持って来たぞ」

「迷惑でしたか?」

「迷惑? 笑わせるな、これは―――チャンスだ」

 

 №1ヒーローの座(オールマイト)に一歩でも近づくためのな。

 

 まるでそう告げるようにニヤリと笑い、エンデヴァーは全身の炎を燃え上がらせる。

 つまり、ここからは本気で行くということだ。

 

「時間が無い、こいつは俺が仕留める。衛宮と相澤は先に行って自爆スイッチを止めろ。いいか、絶対にこの研究所を破壊させるな! 大物がいるということはそれだけデカい情報があるということだ。それをみすみす逃す手はないぞッ!!」

「くくくくく! 流石は№2ヒーロー、大きな功績を挙げて這い上がるという上昇志向、素晴らしい欲望だ! さあ、私に欲望が生み出す人間の輝きを見せてくれたまえ!!」

「ぬかせ、犯罪者風情がッ!」

 

 先程までとは比べ物にならない程の業火が吹き荒れ、巨大ロボットとぶつかり合う。

 その隙間を縫うように切嗣と相澤は駆け出していく。

 ブンシュが追ってこない所を見ると、流石の巨大ロボもエンデヴァー相手では余力を()く暇がないということだろう。

 

「……先輩。エンデヴァーを残して先に進むのは合理的だが、また、あのロボットのような奴が出てきたらどうするんだ?」

「その心配はない。『時の庭園』という名前、さらに今まであの人(・・・)と会っていないことを考えれば、十中八九で最下層に居るのはあの人(・・・)だ。エンデヴァーさんもそれを理解して僕達を行かせたんだろう」

「あの人? ……目星がついているのか」

 

 最下層までの道のりを走りながら2人は会話を交わす。

 そして、切嗣は憂いを浮かべた表情を相澤に見せることなく告げる。

 

「ああ、良く知ってる人物(・・)だ。だから、僕に作戦がある。何も言わずに従って欲しい」

 

 父との戦いに必勝を期すための作戦を。

 

 

 

 

 

 研究所最下層にある『時の庭園』。

 そこは地下であるにもかかわらず多くの花々が咲いている。

 ただし、枯れることも散ることもないという注釈がつくものだが。

 

 ここは時間を探究する者の研究成果の一部だ。

 時を加速させる、時を停滞させる、時を止める。

 この場所を訪れた者は皆、時間の感覚を狂わされる。

 

 今がいつなのか、ここに来てどれだけの時間が経ったのか、そもそも時間が経っているのか。

 ここに居ればいる程に分からなくなっていく。

 ただ1人、サルビアの花を撫でる、この庭園の主を除いては。

 

「……そろそろ、ここから逃げないといけないな」

 

 何となしに呟き、庭園の主、矩賢が脱出経路に向かおうとしたところで。

 

 ―――銃弾の雨が降り注いで来る。

 

 死角から放たれた銃弾は気づいた時にはもう遅い。

 次の瞬間には無残に体を撃ち抜かれた死体が出来る。

 誰もがそう確信する光景の次の瞬間、矩賢は何事もなかったように銃弾の射程外に立っていた。

 

「ああ…花を枯らして(・・・・)しまった」

 

 ただ、手に持っていたサルビアの花が枯れた(・・・)ことだけを嘆きながら。

 

「まったく、親に挨拶も無しに銃を撃ち込むとはな。私はお前をそんな子に育てた覚えはないぞ」

 

 そして、下手人(げしゅにん)に対して声をかける。

 だが、返ってきた返事はまたしても銃弾だった。

 それも先程の倍以上の数。これにはさしもの矩賢も何もすることは出来ず―――

 

「聞いているのか? 切嗣」

固有時制御(Time alter)―――四倍速(square accel)ッ!」

 

 何事もなかったように、ポケットに片手を入れた状態で切嗣の前に立っていた。

 切嗣もそれに瞬時に反応し、加速と共にナイフでの斬撃と放つ。

 

「無駄だ。同じ領域に立たない限りは私には触れることすらできない」

 

 しかしながら、結果は以前と同じ。

 反応することすらできずに武装を解除されていた。

 右手のキャリコは地面に叩き落とされ、左手に持ったナイフは矩賢の手の中にある。

 そして、矩賢の片手は相も変わらずポケットの中で何かを握っていた。

 

「これで少しは大人しくしてくれるか?」

「犯罪者の言うことを聞くつもりはない」

「はぁ…切嗣、私は知的探求心を満たすために研究をしているだけ、言わば、幸福追求だ」

 

「その裏で誰かが泣いているのなら、我慢をするべきだ。四つ葉のクローバーを探すために三つ葉を踏み荒らすなんてことはあってはならない」

「詭弁だな。四つ葉のクローバーは誰かに踏み荒らされた傷が元で出来るものだ。幸福も同じだ。誰かを踏みにじることでしか幸福という四つ葉は生まれない」

 

 以前会った時とは違う、完全に犯罪者に対する対応を見せる切嗣。

 その冷たい眼差しに、矩賢は少しだけ寂しそうな表情をみせるがすぐに無表情に戻る。

 

「それで、もう1人の子はどうしたんだ?」

「相澤君は自爆スイッチを止めるために制御室(・・・)に行っている。その間に僕があんた(・・・)を止める。僕が負けても勝負には負けない」

「なるほど……だが、制御室は部外者ではそう簡単に入れないぞ? パスワードがある。お前を倒してから止めに行っても間に合う程に複雑なやつがな。そもそも、自爆を止めたとしても私にどうやって勝つつもりだ? 種も分からないというのに」

「いや……さっきの攻防である程度予測はついたさ」

 

 切嗣の言葉に矩賢は驚いたように表情を崩す。

 そして、切嗣の回答の続きを促す。

 

 

「信じられないがあんたは―――時を止めている」

 

 

 告げられた回答に矩賢は満足そうに笑うがまだ頷かない。

 時を止めているという回答は間違ってはいない。だが、重要なのはどうやってかだ。

 あり得ない事象をどのようにして引き起こしたのか、それが分からなければ敗北の結末は変わらない。

 

「どうやって気づいた?」

「ナイフで切りかかりながら腕時計を見ていた。それで時間が経ってないなら誰だって気づく」

 

 最初から切嗣は矩賢に攻撃が当たると思って行動していなかった。

 能力を発動するであろう状況を作り出し、証明するための状況を揃えた。

 全ては矩賢に勝つための最後の布石を敷くために。

 

「仕組みは分かるか?」

「……固有時制御で変化させられるのは体内時間だけ。同じ“個性”である以上そこは変わらない。だから最初は別の何かだと思っていた。でも、フィードバックを無視できる何かがあれば理論上は不可能じゃない」

「ほぉ……固有時制御を応用したことはあっているぞ。さて、では理論は分かるかな?」

 

 出来の良い息子を褒めるように、矩賢は目を細めて先を促す。

 そんな父親としての表情に切嗣は複雑な気持ちになるが、その感情に目を背けて続ける。

 

「アインシュタインの特殊相対性理論によれば。

 物質は光の速度に近づけば近づくほど、流れる時間が遅くなる。

 つまり、光と同じ速度で動く時、その物質に流れる時間は―――止まる」

 

 宇宙船に乗った人間がある日地球に帰って来ると、周りの人間だけ年を取っていたという話を聞いたことはないだろうか? SFでは使い古されたネタだが、まったくのデタラメというわけではない。徒歩の人間と車で走る人間では流れる時間が違うのは証明されている。ただ単に日常生活では感じることができないほどの誤差のため、普段は気づくことが無いだけだ。

 

 そして、この話で重要なのは、時間が止まったと誰が認識するか(・・・・・・・)だ。

 

「どれだけ高速で動いて時間の流れが遅くなったとしても、それを感じるのは動いている本人じゃない。観測者、つまりは今この場に居る僕だ。光速で動けば観測者からは時間が止まっているようにしか感じられないが、光速になった本人は何不自由なく動いていられる」

 

 観測者からは観測する物質の時間は止まっているように見える。

 しかし、実際は光速で動いているのだ。

 その矛盾が「時を止める」という不可能を実現しているのだ。

 

 

「要するにあんたは、自らの体内速度を光速にまで加速することで時間を止めているんだ」

 

 

 平たく言ってしまえばそれだけのこと。時間を止まっている間に切嗣の武器を取っていただけ。

 だが、それがどれだけ途方もなく難しいことか言わなくても分かるだろう。

 なにより、まだ解決できていない問題があるのだから。

 

「正解だ、切嗣。だが―――」

「そうだ。どうやってフィードバックを無効化している? 鍛えれば出来るなんてことはあり得ない。光速に辿り着いた瞬間に爆発四散するか、灰になって消えるだろう。運が良い場合で死体を残して死ねるのが関の山だ」

 

 光速なのだ。3倍、4倍とは訳が違う。フィードバックなど考えるだけで恐ろしくなる。

 さらに言えば、加速により多くの時間が経つので寿命が切れてしまっても何らおかしくはない。

 だからこそ、それを克服するための何かがあるはずなのだ。

 

「その通り。ここまで辿り着いたご褒美だ。種明かしをしてやろう。……結論から言えば、私は別の“個性”と併用することでフィードバックを無くしている」

「別の“個性”? そんなものを持っていたのか?」

「いや、お前の言う通り私は生まれながらに1つの“個性”しか持っていない」

「おい、説明がおかしいだろ。1つしかないのなら併用なんて―――」

 

「だから私は、あの方に―――新しい“個性”を与えてもらった(・・・・・・・)

 

 “個性”を与えられた。その言葉を聞いても切嗣は矩賢が何を言っているのか分からなかった。

 

 あり得ない。理由を聞くまでもなく思わずそう思ってしまった。

 “個性”は才能だ。一度この世に生を受けた以上、後天的な才を得ることはできない。

 泣こうが喚こうがそれは絶対だ。故に才能のことを英語では神からの贈り物(ギフト)と表すこともある。

 

 仮にその現実を打ち破れる人物が居るとすれば―――“神”と呼んでも過言ではない。

 

「私が頂いた“個性”は『身代わり』だ。自分の手で触れている任意の対象に自分のダメージを身代わりにさせることが出来る。無論、相手のダメージを自分が受け持つこともな」

 

 そう言って矩賢はポケットから手を出し、中にあったダイヤモンドを取り出す。

 つまり、これを今から身代わりの対象にするということだ。

 

 

固有時制御(Time alter)―――無限加速(infinite accel)

 

 

 時を止める言葉を聞き、切嗣の思考が再開した時には、既に矩賢の手が肩に載せられていた。

 そして、もう片方の手に握られていたダイヤモンドは塵となって崩れ落ちていく。

 要するに、今の切嗣は矩賢の『身代わり』となっており、再び“個性”を使用されれば目の前のダイヤモンドのようになるということだ。

 

「『身代わり』の効力は身代わりにした対象が壊れるまでだ。風化しづらい宝石類でも10秒持てば良い方だから、実質時を止めていられるのは10秒程度というわけだ。もっとも、10秒もあれば戦闘に疎い私でも何とかできるのだがな」

 

 切嗣を身代わりの対象にしたことで、勝利を確信した矩賢が安堵したように笑う。

 が、しかし、切嗣の表情を見てすぐに笑みを引っ込める。

 

 何故なら、切嗣の表情こそ―――勝利を確信していたのだから。

 

「……カードを切ろう。飛び切りの―――ジョーカー(・・・・・)をね」

「何をするつもりだ? 固有時制御(Time alter)…!?」

 

 軽く痛めつけるつもりで固有時制御を使おうとするが、矩賢はすぐに異変に気づく。

 

「これは―――“個性”が発動しない(・・・・・)ッ!?」

「どんな強力な力であろうとも“個性”に対しては最強の手札(ジョーカー)となる。それが相澤君の『抹消』だよ」

 

 相澤の『抹消』により2人の衛宮は“個性”を消された。

 そうなれば、勝つのは純粋な戦闘力に秀でた衛宮、切嗣だ。

 

 切嗣は自身の肩にかけられていた手を逆に掴み返し、そのまま投げ技に移行する。

 そして、矩賢を床に叩き伏せると同時に彼の手と足を縛り上げる。

 これでチェックメイトだ。

 

「相澤君、もう“個性”を解除していいよ。いくら時を止められても動けないなら意味はない」

「了解。まったく……ヒヤヒヤさせられた」

「相澤? 制御室に行っていたんじゃないのか?」

 

 切嗣から制御室に向かったと言われていた相澤が姿を現したことに、矩賢は首を傾げる。

 自爆スイッチを停止させて戻って来たのかとも思うが、警報アラームは未だに鳴り響いている。

 一体何が起きたとさらに考えようとしたところで、切嗣がにべもなく告げる。

 

 

「ああ、あれ―――嘘だから」

 

 

 シレっと実の父親に嘘でしたと宣言する切嗣。

 思わず、目を見開く矩賢に対しても切嗣は一切悪びれる様子はない。

 

「あんたとまともに戦っても勝ち目はない。だから最初から不意打ちで決めるつもりだった。そのために相澤君が制御室に向かったと嘘をついて、待機させておいた。あんたの能力が“個性”だと判明し次第、“個性”を抹消してケリをつけられるようにね」

 

 最初から嘘をついていた。

 まともに戦う気などさらさらなかった。父親に対する情もない。

 ただ、犯罪者を倒し目的を達成するための行動でしかなかったのだ。

 

 仮に矩賢の能力が“個性”だと判明していれば、会話を行うことすらなかっただろう。

 会話はただ“個性”だという確証を得るためのものであり。

 親の情を芽生えさせて自分が殺される確率を減らすための布石。

 

 普通の親(・・・・)ならば、自分の子どもを手にかけられないと分かった上での行動だった。

 

「……自爆はどうするつもりだったんだ」

「あんたが言ったように、パスワードがあるんならこっちはどうしようもない。だから、あんたを先に捕まえてパスワードを聞き出す。それが最も効率的だ」

「なるほど……確かにそうだな」

「時間が無い。少々手荒な真似をしてでもパスワードを言ってもらうぞ」

 

 コンテンダーを突き付け、矩賢から制御室までのパスワードを聞き出そうとする切嗣。

 だが、その瞬間にけたたましく鳴り響いていたアラーム音が―――ピタリと鳴り止む。

 

「なんだ…? まさかタイムオーバーかッ!?」

「いや、これは爆発の前兆じゃない。恐らくは私以外の誰かが止めたんだろう」

「あんた以外の? 先に逃げた研究者でも居るのか?」

 

 突如として鳴り止んだアラームに切嗣と相澤は訝しみ、矩賢を問いただす。

 だが、それに答えたのは矩賢ではなく、響き渡る拍手の音(・・・・)だった。

 

「いや、素晴らしい駆け引きを見せてもらったよ。それに2人とも実に良い“個性”だ」

 

 続いて切嗣の耳に届いてきたのは、地獄の底から響いてくるような(おぞ)ましい声。

 ただ、その声を聞くだけで死を覚悟してしまう程に重苦しい声。

 聞くだけで思わず頭を下げて許しを請わずにはいられない王者の声。

 

「ああ……自爆スイッチを止めたのはあなたでしたか」

「私としても研究者諸君の自主性を尊重したい。でも、ここには消えてもらっては困る研究資料も多くあるからね。それに、せっかくの個性(ストック)を失いたくない」

 

 矩賢が、相手が誰かを理解し声をかける。

 それに対し声をかけられた主は暗闇の中から緊張感のない声を返す。

 だというのに、切嗣と相澤は喉元に鋭利な刃を突き付けられているような感覚に陥ってしまう。

 

 あれはマズい。すぐにでも逃げなければ殺される。

 戦闘経験による勘ですらない。ただ、本能が今すぐに逃げろと警報を鳴らす。

 だが、自分達(ヒーロー)が逃げるわけにはいかないと、震える足を叱咤するように叫ぶ。

 

「相澤! 奴の個性を消せッ!!」

「分かってるッ!!」

 

「“個性”を消す“個性”、実に素晴らしい。わざわざ(・・・・)研究所まで足を運んだかいがあるよ」

 

 男が物陰から姿を現す前に“個性”を抹消する。

 だというのに、男は調子を崩すことなく歩を進めてくる。

 

「そこを動くな! それ以上進めば撃つぞッ!」

「そして固有時制御。矩賢君と同じものとはいえ、素晴らしい“個性”に違いはない」

「おい、聞いているのか?」

「ああ…2人とも実に―――奪いがいがある」

 

 投降の意志はない。瞬時にそう判断を下し切嗣は引き金にかけた指に力を入れる。

 それと同時に男は大きな布を宙に広げ、自らの姿を相澤の視線から隠す。

 

「なるほど、視線を遮る物体を置けば“個性”の抹消はできないようだね。使う際には気をつけないとね、でないと」

 

 引き金は既に引かれた。戦車の装甲すら貫く弾丸が真っすぐに男に向かい飛んでいく。

 このタイミングなら確実に当たると切嗣は確信し―――

 

 ―――骨を砕くような衝撃破を受け、銃弾と共に吹き飛ばされていた。

 

「ほら、こんな風に簡単に攻略される」

 

 宙を舞い無残に地面に叩きつけられる切嗣と相澤。

 吹き飛ばされた相澤はピクリとも動かずに、ダラリと曲がった体を晒す。

 

「…ゲホッ!? 何が起きた…? 相澤君ッ!」

「彼なら気絶しているだけだよ。心配しなくてもいい、命までは獲らないさ。しかし……吹き飛ばされながらも加速して受け身を取るとは。いや、実に将来が楽しみな息子さんだね」

 

 相澤とは反対に、せり上がる血反吐を吐き出しながらも、受け身を取って何とか顔を上げた切嗣に再び賞賛の拍手を上げる男。そこから感じられるものは圧倒的強者の余裕。足元で醜く足掻くアリの姿を見てほくそ笑むような性格の悪さ。

 

 切嗣は、男の隔絶した強さと人間離れした感性に、2つのことを気づく。

 1つは男が矩賢に“個性”を与えたあの方(・・・)という人物であること。

 そして、2つ目は自分が酷い思い違いをしていたということ。

 

 

「気に入ったよ、切嗣君。どうだい、父親と一緒に―――僕の部下にならないかい?」

 

 

 この男は神などという生易しいものではなく、おとぎ話に出てくる様な邪悪な―――魔王(・・)だ。

 




今回は学生編の最終章に相応しい敵を用意しました。なお、勝てるとは言っていない。

矩賢さんはラスボスの1つ前のボス枠でした。「俺が時を止めた」展開が出来なかったのでしょうがない。時を止める理論は分かりづらいなら『スタープラチナ・ザ・ワールド』と同じようなものだと思っていただければ。めっちゃ早く動いて時を止める、以上。

因みにブンシュさんは分かる人には分かるあの科学者。
“個性”は『悪魔の頭脳(アンリミテッド・デザイア)』めっちゃ頭良い、以上。


9月20日~追記~
相澤先生の“個性”が一度相手を見て瞼を閉じるまでは目を逸らしても続く可能性に今更ながらに気づきました。ですが、現段階では相澤先生は高校2年生。よって、原作時よりも“個性”が弱いために視線を遮られると使えなくなるという設定になります。今回の経験から成長した姿が原作時だと思っていただければ。

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