本当にハーメルン運営様には足を向けて寝れませんね。
あ、今回はいつもより6000字ほど長いです。それではどうぞ。
突如として現れた
場の誰もが動くことのできない空気が流れるが、その空気を破ったのは、やはりと言うべきか、糸音だった。
「あれ? 聞こえなかったかな、こんばんは、おじ様」
「……糸音ちゃん。何の真似だいこれは? いや、それ以前にどうしてここに?」
「ふふふ、困惑したおじ様の顔も素敵。でも、もっといろんな表情が見たいから教えてあげる。
ここに居る理由は簡単。私が―――トリガーの売人でホームレスの誘拐犯だから」
隠すことはしない、堂々とした宣言に再び切嗣達の動きが固まる。
しかし、敵と宣言した者の前で隙を見せるわけにはいかない。
すぐに、切嗣は再起動しながらもすがるように問いかける。
「そんな…馬鹿な…だって君は…!」
「そう、正真正銘のおじ様が救ってくれた女の子。それが今では
「何故だ…?」
「だって、悪いことしたら、
そう言って頬を赤らめて笑う糸音の姿に今度こそ切嗣は絶句する。
自分に好意を抱いているのは何となく気づいていた。
だが、こんな歪んだものだとは思ってもみなかった。
愛した人に出会うために、犯罪行為を行い続けるなど狂っている。
普通はこんなことにならない。しかし、切嗣にとってはそんな言葉は慰めにもならない。
彼女の言葉はすべて真実だ。自分が助けたから彼女は狂った。
それはつまり、1人を救うことで―――より多くの犠牲を生み出してしまったということだ。
「ねえ、おじ様分かる? おじ様が私を助けてくれたから、私は悪いことができるんだよ」
「そんな…だって…誰かを助けることが間違いなんて……」
「おじ様が生かしたのはとっても悪い子だったの。私はすごく嬉しいけど、これなら助けない方が正しかったかもね」
「馬鹿な……僕が…間違っていたって…いうのか…?」
「あの時のおじ様に一目惚れしたから、私もあの時の
酷く狂気にまみれた笑みを浮かべる糸音に切嗣は何も言い返せなかった。
ずっと、救うことは正しいことだと盲目的に信じてきた。
前世で殺しでは何も変えられないと理解し、救うことに活路を求めたから。
だというのに、この状況は何だろうか。
救ったことで犠牲が増えた。見殺しにしていればトリガーの被害は抑えられた。
考えるべきではないのに、そんなことばかりが切嗣の頭を覆いつくす。
殺しは間違っている。でも、殺した方が良かった人間がいる。
未来に多くの人間を苦しめる人間を救ってしまった。それは正しいことだったのだろうか。
苦しみだけが彼を蝕む。でも、救うことが間違いだとだけは思いたくない。だって、それは。
―――しょうがないから俺が代わりになってやるよ。
あの子のことも間違いだと否定してしまうことになるから。
「……わよ…ないわよ。バカ言ってるんじゃないわよ!!」
「ポ、ポップ…?」
切嗣が衝撃のあまりに顔を真っ青にしている中、反論を上げたのはポップだった。部外者が入れそうにない話題に突如として入っていったポップの姿に、コーイチが困惑の表情で呼ぶが、ポップは止まらない。
「助けてくれたヒーローに倒されたいから犯罪をするなんて、バカを通りこしてクズじゃない!」
「……なによ、あなた? 私とおじ様の世界に入ってこないでくれる」
虫けらを見るような目でポップを睨みつける糸音だが、ポップは怒りで気づきもしない。
「あんたは何も分かってない。自分を助けてくれた人が何を願っているか考えたことないの!?」
「願っていること…?」
「ヒーローだって何のリスクも負っていないわけじゃない。大切なものを犠牲にする覚悟で私達を助けてくれる。そんな覚悟を持って助けてくれた人が間違いなわけがない。あんたはその人達の願いをブジョクしてる」
ポップは怒りのままに言葉を紡ぎながら思い出す。
自分を助ければ高校受験に間に合わなくなると知りながら、それでも助けてくれた人を。
ヒーローという夢を諦めることになってでも、目の前の人を救ってくれたお人好しを。
助けられればそれで充分と笑って答えた―――彼女にとっての
「誰かを救いたいと、目の前のヒトを助けたいって願いをあんたは踏みにじってるッ!!」
だからポップは糸音が許せない。
自分と同じようにヒーローに助けられたのに、そのヒーローの願いを裏切る存在が。
自分のことしか考えずに、命を懸けてまで叶えようとした願いを踏みにじる行為が。
「助けてくれたヒトの願いを裏切ったのはあんた!
悪いのはあんた! 間違ってるのもあんただけよ!!」
「……うるさい。うるさい! 私は間違ってないッ!!」
「糸…!? ポップ、避けて!」
しかし、恋に恋する盲目の糸音にはその言葉が届かなかった。
激高し、目障りなポップを消すべく指先から蜘蛛の糸を噴出させ、彼女を襲う。
「―――
だが、その糸はポップに届くことなく一本の右腕によって防がれた。その腕の持ち主である切嗣は静かに、絡みついた糸を左手に持ったナイフで斬り落としながら顔を上げる。
「ポップちゃんだったかな?」
「……なによ」
「ありがとう。ちょっと勇気が出たよ」
「……どういたしまして」
軽く笑って礼を言い、切嗣は糸音に毅然とした目を向ける。
もう、彼の顔は青ざめてなどいない。
糸音を助けたことが間違いだったのかと思っていないわけではない。
しかし、それでも。ポップの言葉で助けられたことを嬉しく思う人間がいる確信が持てた。
ならば、何も迷う必要はない。いつものように、ヒーローとして救うだけだ。
目の前の、叶わぬ恋に焼き殺されそうになっている少女を。
「糸音ちゃん、もう一度―――君を救おう」
右腕にダメージが無いことを確認しながら、コンテンダーを握り切嗣は宣言する。
例え、目の前の人間が極悪人だとしても、殺すのではなく救い上げることを。
「……分かんないよ。何で救おうとするの? 私、悪い子だよ?」
「救いたいからだよ。もちろん、悪い子へお仕置きはするけどね」
「ふーん……でも、私は倒されたくても、救われたくはないの」
「救われたくない? どうしてだい?」
「おじ様には伝えてもいいけど……他の人に言うのは恥ずかしいかな」
そう言って、糸音はチーターの
そして、チーターの
切嗣はそれを見て彼女が何をしたいのか理解し、軽くため息を吐く。
「……コーイチ君達は一般人だ。速やかにここから
「え、でも…」
「今から言うのは独り言だ。……逃げた
「コーイチ、行くぞ」
立ち去れという言葉に、1人で大丈夫なのかと心配して反論しようとするコーイチ。
だが、それはナックルダスターに止められる。
「し、師匠?」
「ここはクロノスに任せて、俺達は逃げた
「……あ」
ナックルダスターにコーイチは切嗣の真意に気づく。ここから離れろというのは、逃げたチーターの
「ポップ!
「もちろん! あの
「師匠、行きましょう!」
「ああ……」
最後に一度だけ切嗣の方に目を向け、ナックルダスターは走り出す。
切嗣はその姿を脇目で確認しながら、内心で舌打ちをする。
あくまでも一般人の彼らを巻き込む気はなかったが、逃げた
現状で自分が追えないのなら、
こんなことなら
諦めて、この選択を行わせる状況を作った糸音を見る。
「これで、君のお望み通り2人きりだね。救われたくない理由を教えてくれるかい?」
「ふふふ、いいわ。でも、ただ話すのはつまらないから、踊りながら話しましょ?」
「僕としては落ち着いて話したいんだけど…ね!」
闇を裂く様に飛んできた白銀の糸を避け、切嗣は軽口を叩く。
しかし、糸音の攻撃はそこでは終わらない。指の先1本1本から糸を飛ばしてくる。
その数は両手で合わせて10本。
(先程のポップちゃんへの攻撃から考えても、この糸自体には殺傷能力はない。蜘蛛の糸らしく、相手を絡めとり逃げられないようにするのが主な使い方だろう。なら、ある程度の被弾は覚悟で攻めた方が早いな)
切嗣は思考速度ごと加速させ、一瞬のうちに作戦を立て終える。
そして3倍速でもって飛ばされる糸の間を縫うように避け、コンテンダーを糸音に向けて放つ。
「残念、おじ様の戦う映像は穴が空くほど見てるんだから!」
しかし、糸音は引き金を引くよりも早く、自らの糸で作り出していた蜘蛛の巣に昇っていく。
すぐに銃弾を装填しながら切嗣は糸音を見つめて考察を行う。
(彼女の“個性”は十中八九で『クモ』だろうな。今の所、糸を出す能力しか使ってきていないが毒を持つ可能性もある。起源弾は……体の構造が蜘蛛そのものだと殺しかねないから保留だな。現状なら接近戦を避けつつ、腕を使えなくして攻撃手段を奪うべきだが……あの巣が邪魔だな)
恐らくは自分を誘き出す前に作られたであろう巣を見る。
蜘蛛の巣である以上は、獲物である自分が触れれば逃げられないだろう。
逆に蜘蛛である糸音はその上を高速で動くことが出来る。
この状態では上手い具合に殺さずに撃ち抜くのが難しい。
そんなことを考えていたところで糸音が声をかけてくる。
「それじゃあ、お話しよっか、おじ様」
「やっと話してくれるかい?」
「うん。まず、私のやりたいことは2つ…ううん。どちらかの願いを叶えたいの」
「どちらもでなく、どちらか片方?」
「そう。だって、2つは両立しないもの」
クスクスと笑いながら、巣の上をスイスイと動き回る糸音。
そんな彼女からコンテンダーの照準を逸らすことなく、切嗣は続きを促す。
「私の願いはね―――おじ様を殺すか、おじ様に殺されることなの」
しかし、返ってきた答えにはさしもの切嗣も呆気にとられるものだった。
「……殺したくて、殺されたい?」
「ふふふ、おかしいでしょ? でも、本心よ」
「なんでそんな馬鹿なことを考えているんだ。君の両親がどう思うか――」
「あ、言ってなかったっけ? 私、天涯孤独なの」
その言葉に切嗣は地雷を踏んでしまったと思い、何も言えなくなってしまう。
しかしながら、糸音の方は特に気にした様子もなくペラペラと語っていく。
「お父様はおじ様に出会う前に
「……だから、死んだっていいって言うのかい?」
「分かんない。でも、愛してくれる人がいないのは本当。だから、
「だとしてもだ……どうしてそんな悲しいことをする必要があるんだ?」
天涯孤独であり、父親が帰ってこなくなったという言葉を切嗣は無視することが出来なかった。どうしても、自分が置いて行ってしまった娘を
「―――悲しんでいるあなたを愛する」
それは、かつて彼女が切嗣に贈ったリンドウの花言葉である。
『正義』、『勝利』に並び、彼女が切嗣に相応しいと考えた言葉。
「おじ様は優しいから私が殺しを犯すことに悲しんでくれる。おじ様は優しいから私を殺したらきっと悲しんでくれる。大好きな人に
そう続けて、糸音は背筋が冷たくなる程に綺麗な笑みを作ってみせる。
愛する者を失えば人は誰しもが悲しみに暮れ、記憶に刻む。
ならば、切嗣をこの手で悲しみに誘い、忘れさられない存在となれば。
―――自分が誰かに愛されているという証明になるのではないか?
彼女の願いはそんな歪んだ思考に裏付けされたものであった。
「だから、悲しんで、私のために。私を愛するために、
「………るな」
「おじ様…?」
うっとりした表情を浮かべて話していた糸音だったが、切嗣の様子がおかしいことに気づく。
顔を上げることなく、俯いたまま体を小刻みに震わせているのだ。
何かがおかしい。彼女がそう思い始めた瞬間に切嗣は顔を上げる。
「……ふざけるな…ふざけるなッ! 馬鹿野郎ッ!!」
それは憤怒の声。初めてとも言える感情をぶつけられて糸音は思わず声を失う。
だが、そんなことはお構いなしに切嗣は言葉を続ける。
今度こそ、置き去りにされて涙を流す女の子を救うために。
「正義の味方は悲しみを断ち切り、未来へ希望を
絶対に悲しみを生み出さない! だから僕は君を殺さないし、君に殺されもしない!
君が悲しみの
誰も泣かない世界が欲しかった。悲しみのない世界を求めた。
みんなが笑い合える、そんなどこまでも優しい世界を衛宮切嗣は求めている。
だから、悲しみを生み出そうとする糸音を許さない。
悲しみで愛を感じるなどというくだらない心を変えてみせよう。
笑顔が溢れる世界でこそ、本当の愛があるのだと気づかせる。
それが彼女を救うための方法だと信じているから。
「……いいよ、分かってもらえなくたって! 私は絶対におじ様を悲しませるから!!」
「だったら、僕は笑い続けるさ! それを見た人間が思わず笑ってしまう程にね!」
糸音は表情を悲しみに歪めて叫び、切嗣は悲しみを消し去るために笑ってみせる。
彼女を裁くためではなく、彼女を救うために。
何故なら正義の味方は―――悲しむ女の子を救うために居るのだから。
「おじ様―――
「悪いけど、
最後の言葉を交わし、戦いが再開される。だが、先程と同じようにとはいかない。先程までは切嗣には話を聞くという目的があった。しかし、それは既に達成した。そして何より、糸音は切嗣に作戦を立てる時間を与えてしまったのだ。
「まずは邪魔な巣から消させてもらうよ」
狭い路地裏に張り巡らされた巣は相手の動きを制限し、糸音にとって優位な条件を生み出す。
故に、切嗣は懐から取り出した『
そのため、爆発と同時に激しい燃焼を起こし、蜘蛛の巣を燃やしていく。
「巣が無くても動けるのよ、おじ様」
だが、それだけでは糸音の“個性”は封じることが出来ない。
部分部分が焼けて脆くなった巣から壁に飛び移り、本物の蜘蛛のように壁を伝っていく。
そして、向かいの壁へと糸を飛ばし、そちらへ飛び移る反動を乗せた蹴りを放ってくる。
「……戦い慣れてないな」
切嗣はその単純な動きから、糸音の戦闘経験の無さを見抜きつつ、ナイフを投げることで糸を断ち切る。支えが無くなれば、重力に従い地面に落ちる。故に彼女は別の場所に糸を飛ばして落ちるのを止める必要がある。そうなれば必ず動きを止める瞬間が生まれる。その瞬間を狙い撃つ魂胆なのだ。
「落ちても何の問題もないわ、だって死んでもいいんですもの!」
「な…! 馬鹿なのか、君は!?」
しかし、糸音が次にとった行動は切嗣の考えを超えるものだった。
彼女はあろうことか、地面に糸を放ち、自らを地面に引っ張ることで逆に加速したのだ。
向かう先は切嗣の体。勿論、切嗣がそんな自爆覚悟の体当たりなど当たるわけがない。
だが、避ければ彼女は硬いアスファルトにぶつかり無残な死体を晒すことになるだろう。
それは切嗣にとっては避けたい事態だと分かっているので、彼女は馬鹿な真似をしたのだ。
全ては切嗣に殺すか、殺してもらうかのために。
「さあ、おじ様、私の死の抱擁を受けて! それが嫌なら私を殺して!!」
受け止めなければ糸音を見殺しにすることになり、受け止めれば彼女に殺されることになりかねない。彼女の自分の命を度外視したダイブ作戦は、そんな選択を切嗣に迫るのだった。
「ああ、クソッタレが!」
そして、切嗣が正義の味方である以上、少女を見殺しにすることはできない。
覚悟を決めて、飛び込んでくる彼女を全身を使って受け止める。
「おじ様、愛してる! 殺してあげる!!」
「づぅ…ッ」
歓喜の声を上げる糸音とは反対に、切嗣は苦しげな声を上げ衝撃を逃がすように後ろに転がっていく。だというのに、糸音は本物の蜘蛛さながらに切嗣をガッチリと掴み離さない。そのため、2人揃って地面を転がるという何とも珍妙な光景が出来がってしまう。
しかし、彼らが殺し合っていることに変わりはない。
「それじゃあ、おじ様。私の甘い毒で―――殺してあげる」
糸音が小さな口から毒を滴らせた牙を見せつける。
そして、その毒を流し込むために
「
届くことなく動きが止められる。
突如として自分の時間が遅くなり、困惑する糸音をよそに切嗣は彼女の拘束から逃れる。
そして、逆に彼女をロープで捕縛する。
「
その言葉と共に糸音の時間が元に戻り、切嗣の体から骨が軋む音が響いてくる。
「なに…私に何をしたの、おじ様?」
「
「私の時間を遅くした…?」
切嗣は端的に答えて、口内に溜まった血を吐き捨てる。
明らかに彼女のダイブを受け止めたものではない。先程の能力行使の代償だと糸音は見抜く。
「僕の“個性”の1つさ。自分の体内時間を操るよりも反動がかなり大きくなるけど、触れた対象の体内時間も操れるのさ」
そう言って、わき腹を擦りながら顔をしかめる切嗣。
詳しくは色々と試さなければ分からないだろうが、反動が自分にやる場合の10倍近くも高いためにあまり試せてはいない。使っても、今回のように密着した状態から逃れられず、かつ不意打ち気味に使える場合ぐらいだ。
もっとも、正真正銘の
「さて、そんなことよりも……今は君のことだ、糸音ちゃん」
「殺してくれないの、おじ様?」
「ヒーローが殺しなんて普通に考えてダメだろう。それに……僕は君に生きて欲しい」
切嗣はそう言ってしゃがみ込んで糸音と視線を合わせる。
「どうして?」
「君が生きていると僕はそれだけで嬉しいから」
柔らかな微笑みを浮かべ、切嗣は糸音の頭を撫でる。
かつて、自分の娘にやってあげたのと同じように。
ただ、生きて欲しいという愛情を込めて。
「私が死んだら悲しいってこと?」
「簡単に死ぬとか言って欲しくないけど、そう捉えていいよ」
「私を愛してるってこと?」
「親愛という意味での愛なら勿論だよ」
「……女の子としては?」
「子どもとしてなら君を愛せるかな」
そこまで言われて、糸音は溜息をつく。薄々感づいていたが切嗣は自分のことを異性として見ていない。年齢差から考えれば当たり前と言えば当たり前だが、複雑なものを感じる。しかし、これはこれで良いのかもしれないと何となしに思う。だが。
彼女の心はそれだけでは満たされない。
一人ぼっちが寂しいから
誰かに愛されていたと、生きていたという証のために誰かに悲しんで欲しかった。
だから、優しい彼に殺されたかった。そうすれば、
どうでもいい人間のために涙を流す人間はいない。だから、涙こそが愛の証となる。
それが彼女の想いだった。
「まあ……
しかし、捕らえられた自分では何もできない。だから、糸音は想いを呑み込んで我慢する。
「おじ様、教会に行ったら?」
「……そこがチーターの
「うん。ヒーローなら
「ああ、でも……」
「ヒーロー、クロノスですね! 通報を受けて増援に来ました!」
君をこのまま放置していくわけにはいかないと言おうとしたところで、他のヒーローが現れる。
どうやら切嗣の指示を受けた市民が通報をしっかりとしてくれたらしい。
「……それじゃあ、僕は
「約束してくれる? 私のことを忘れない?」
「ああ、約束だ。必ず守るよ」
糸音の言葉に微笑みながら答え、約束を結ぶ。
娘の下に必ず帰るという約束すら守れなかったくせに。
そう、内心で自嘲しながら切嗣は歩き出す。
「僕は鳴羽田教会に逃げた
「え? は、はい。あの、1つ聞きたいことがあるんですが……」
「悪いね、今は時間がないんだ。詳しいことは後で説明する」
新米なのか、若干落ち着きのない赤髪の青年ヒーローに後のことを丸投げし、切嗣は教会へと向かう。そんな3人の姿を物陰から
切嗣と別れたヴィジランテ達はチーターの
「コーイチ、オジサン、
「どうするって、追わないとヤバいよね? 中には人が居るかもしれないし」
「そういうわけだ、入るぞ」
中に居る人が襲われているかもしれないという考えに基づき、教会に入ることにする3人。
3人は周囲を見渡しながら慎重に扉に近づき――ナックルダスターが堂々と扉を蹴破る。
「師匠!? なんで普通に開けないんですか!?」
「そっちの方がカッコいいからだ」
「オジサンには中の人にぶつかったらアブナイって考えはないわけ!?」
教会の扉を蹴破るという神に唾を吐く行為を行いながら、堂々と侵入していくナックルダスター。
そんな彼の行為に頭を抱えながらも、これ以上被害が出ない様についていくコーイチとポップ。
しかし、2人の心配とは裏腹にナックルダスターの行動は吉と出ていた。
「あ、
気の抜けた声でポップが言うように、ナックルダスターが蹴り飛ばした扉は
「どうやら神の加護とやらは俺にあったようだな」
「あたしが神様だったらオジサンにバツを与えると思うんだけど」
「同じく」
「下らん事を言ってる暇があったら
ブツブツと言うコーイチとポップを放置して、
しかし、運が良いのか悪いのか
そして、動物的な本能をもって目の前の男が危険だと瞬時に判断して逃げ出す。
「ちっ、追うぞ!」
「了解!」
3人とも先程までの緩んだ空気を引き締め直し、
「ああもう、室内だと跳びづらくてメンドウ!」
「俺も障害物が多いと『滑走』し辛いんだよなぁ…」
「お前ら、話している暇があったら足を動かせ!
“個性”が扱いづらくなる環境に愚痴を吐くポップとコーイチ。だが、そんな事情など知ったことではないとばかりに
「お帰りなさい、と言いたいところですが、お客様を連れてくるとは予想外ですね」
しかし、そのような空気も
身にまとう神父服を見れば、ここに居ることへの違和感はない。
だが、醸し出す空気は真っ当な人間の持つそれとは違う。
「……薬師寺さん?」
「これはこれは、当教会へよくぞおいでなさいました。
「コーイチ、知ってるヒトなの?」
「いや、この前ゴミ拾いしているときに出会って……」
ポップに尋ねられ、困惑しながら答えるコーイチ。薬師寺が教会に居るのは何もおかしくはない。神父なのだから当たり前だ。しかしながら、何故、彼が
「えっと…薬師寺さんはその
「どけ、コーイチ。怪しい奴は―――取りあえず殴る!!」
だが、しかし。コーイチの疑問が解消するよりも早く、ナックルダスターの拳が薬師寺に迫る。
慌てて止めようとするコーイチだがもう遅い。
ナックルダスターの拳は薬師寺の顔面に迫り。
「まったく、気の早い方だ」
「
届くことなく、盾として使われた
薬師寺に無造作に首根っこを掴まれ、ナックルダスターには顔面を殴られた
故にナックルダスターはすぐに薬師寺本体に蹴りを叩き込もうとし、殺気を感じて飛び下がる。
「ほぅ…今の投擲を避けますか」
「小賢しい手を使う奴らの考えなどお見通しだ」
先程まで立っていた場所にナイフが通り過ぎたことにも、動揺することなくナックルダスターはナイフの飛んできた方角を睨む。
そこに居た人物は―――
「……子どもだと?」
まだ中学生にもなっていない子どもだった。
その事実に、さしものナックルダスターも思わず攻撃の手を止めてしまう。
しかし、彼の驚きはそれだけでは収まらなかった。
「彼らはここで預かっている孤児達です。さ、みんな、出てきなさい。お客様に挨拶を」
『はい、神父様』
「また子どもって…! 10人以上もいるじゃない!?」
薬師寺の声に従って物陰からぞろぞろと出てくる子ども達に、ポップが驚愕の声を上げる。
子ども達は教会で面倒を見ている孤児達で、全員が武装または“個性”を使用している。
そう、彼らは紛うことなき少年兵士だ。
「みなさん、お客様を歓迎してあげなさい。頑張った子にはいつもより多めに
『はい、神父様』
「この子達は麻薬で私の命令には絶対に服従し、なおかつ痛みや恐怖を感じない死兵ですが、体自体はただの子どもなので
まるで、機械のように淡々と命令に従う子ども達。
反対にそれを操る薬師寺は楽しそうに笑いながら、子ども達に戦いを押し付けると宣言する。
その異様な光景に、黙っていられなくなったコーイチが叫ぶ様に尋ねる。
「ちょ、ちょっと、これってどういうことなんですか!?」
「どうもこうも、悪事を働いているのがバレたので抵抗をしているだけですよ」
「悪事って、薬師寺さんがトリガーの売人…!?」
「ええ。それとホームレスの失踪事件の犯人も兼任していますが」
「な、なんでですか…?」
もはや隠す気もないのか、それともコーイチ達を殺せばいいと考えているのか、楽しそうに語り始める薬師寺。そんな薬師寺の姿にコーイチは以前出会った時に抱いた印象と大きく違うと困惑する。彼は自分のゴミ拾いを称えるような善人だったはずと思い、迫ってくる子ども達からじりじりと下がりながらも問い続ける。
「なぜと言うと、私が悪事を働いている理由ですか?」
「そうですよ! なんでこんな酷いことを神父のあなたが…ッ」
何故と問うコーイチに薬師寺は清々しい顔で答える。
「それが神から与えられた―――私の役目ですから」
その答えにコーイチのみならずナックルダスターやポップも顔をしかめる。
神に従うという行為は基本的には善行のはずだろうと。
そんな思いに気づいたのか、薬師寺は面白そうに笑いながら続ける。
「この世の全ては全知全能なる主が創りたもうたものです。私も航一さんも。
であるならば、この世に無駄な物など何一つとしてないはずなのです。
善人も悪人も全ては神の崇高なる目的のために作り出された存在でしかない。
主は善行を尊び、悪行を裁く。だというのに、人は全てが善人ではない。
神が創りたもうたものであるにも関わらずに」
そこまで言って、初めて憂いのある表情を見せる薬師寺。それは神の御業の偉大さに心酔しているようで、同時にその残酷さに悲しみを抱いているようであった。しかし、そんな表情もすぐに終わり、再び歪んだ笑みを浮かべ始める。
「天使は生まれながらにして善の存在であり、悪魔は生まれながらに悪の存在です。
では人間は? 人間は善と悪。それぞれの心を持ち、そのどちらかを選び取る存在なのです。
揺れ動く天秤の如く心はどちらにも片寄る可能性を秘めている。
天使になるか悪魔になるかはそれぞれの人間次第。そしてそれを見極める試練が課せられる。
その連続こそが人生なのです。そして、逆説的に考えれば人生には試練が必要。
甘美な悪を前にして、
ここで―――悪人という存在が必要になるのです」
長く、それでいて説教臭い話であるが、何故か耳について離れず、黙って聞き入ってしまうような言葉の重み。ヴィジランテ達3人は武器を持った子ども達に包囲されている事実以上に薬師寺の話により動くことが出来ないでいた。
「全知全能たる神は我ら人間に試練を与えるべく、善に
聖人も虐殺者も皆同じく神の意志の下に価値のある者達なのです。全ては人間への試練。
故に、私は自らの悪行を持って人々に試練を与える役割を与えられているのですよ」
つまり、薬師寺の中では彼は人々に試練を与える試験官のようなものなのだ。
悪行を行うことで、人々の心を悪に誘いながら、善を選び取ることを祈る。
彼がコーイチを気に入っていたのは、コーイチが人を善に誘う存在だと感じたからだ。
「……その理論ならば、お前自身も善人になるべきだろう」
「私は神父。であるならば、神の子のように他者の罪も引き受けるのが仕事です。地獄行きは免れないでしょうが、主のお役に立てるというのならばこれ以上の喜びはありません」
「ちっ、この異常者が…!」
「ええ、生まれながらに理解していますよ」
悪態をつくナックルダスターに、吐き気を催すような笑みで笑ってみせる薬師寺。
その笑みが戦闘開始の引き金であった。
じりじりと距離を詰めていた子ども達が一斉に3人に襲い掛かる。
「ちょっと、あたしは戦えないんですけど!?」
ナイフを持った子ども達の攻撃をナックルダスターは傷つけない程度の打撃で吹き飛ばすことで防ぎ、コーイチは手と服の下につけたプロテクターで防ぐ。しかし、戦闘など考えていないポップには防ぐ手段などなく、地下聖堂という限られた空間を軽く跳ねることで避けるしかない。
「ポップ! ここは俺達に任せて応援を呼んできて!」
「で、でも、そんなことしたらコーイチ達が負けそうだし」
そんなポップを見かねて、コーイチが盾となるように守りに行く。
そして、ここから抜け出してヒーローを呼んでくるように言うのだが、ポップは渋る。
こんな場所に居れば、コーイチ達は危険に晒され続けると分かっているからだ。
最悪の場合は死ぬかもしれないと思い、彼女は不安に思っている。
だが、そんな不安をかき消すようにコーイチは笑ってみせる。
「今までもなんとかなってきたんだから、今回も大丈夫だよ」
「……ああもう! すぐに誰か呼んでくるから逃げ回っておいてよ!」
「あはは、逃げるのは得意だからね」
少しきつめの激励を残すと同時にポップは外へと続く階段へと跳んでいく。コーイチはそれに軽く笑いながら、彼女の道を安全なものにするべく、子ども達の足下で高速で滑走しながら彼らの足を引っかけて倒していく。
「あぁ…武器を持って襲ってくるとはいえ子どもをこかせるのは心が痛む……」
その際にいたいけな子どもを傷つけているという事実に心を痛めながら。
「それにしても…子ども相手だと流石の師匠も本気で殴れないだろうし大丈夫かな」
今も自分に襲い掛かってくる正気を失った子どもから、今度は逃げながらコーイチは呟く。
そんな彼の視線の先ではナックルダスターが何とか薬師寺を殴ろうと奮闘しているのだった。
「ちぃッ…殴られたくなかったら下がれ!」
「ふふふ、無駄ですよ。この子達の頭には薬のことしか入っていません。恐怖も痛みも感じないゾンビ兵に近い存在かもしれませんね」
何度倒しても足元に群がってくる子ども達に悪戦苦闘するナックルダスター。
一歩間違えれば
それが、薬物によって洗脳されている子どもとなれば尚更、攻めの手は緩む。
薬師寺はその様子を実に楽しそうに眺めながら、ナックルダスターの拳を子どもを
「このクズめが…!」
「はい、クズですよ。だからこんなこともできます」
薬師寺はおもむろに1人の少女の首元を掴み上げ、ナックルダスターめがけ―――投げる。
「なに!?」
「受け止めてあげてください。でないとその子は硬い床に
「外道がッ!!」
投石のように投げられた少女を見捨てるか、受け止めるか。ナックルダスターの頭の中で一瞬だけ迷いが生まれる。しかし、所詮それは一瞬であった。彼が正義の味方を名乗るのは、強力な“個性”があるからでも、資格を持っているからでもない。
為すべきことを前にした時、行動を起こせるか否か。それだけだ。
「……世話の焼けるガキ共だ」
「ほぉ…それがあなたのヒーロー魂ですか」
結論から言えばナックルダスターは少女をその腕で受け止め守った。
そして―――少女によってその胸をナイフで切られていた。
「みんな、今がチャンスですよ」
胸を切られた痛みによる一瞬の硬直。それが見逃されるはずもない。
ナックルダスターの足は、ターバンを着けた少年を筆頭にナイフで滅多切りにされていく。
「師匠ーッ!?」
「騒ぐなコーイチ…ッ。所詮は子どもの筋力…致命傷にはならん…ッ!」
コーイチの悲痛な叫びに大丈夫と答える様に、ナックルダスターは足元の子ども達を振り払う。傍目に見ればその姿は揺らぐことない力強さを感じさせる。だが、幾ら傷が浅いとはいえ切られたことに変わりはない。彼の体には確かにダメージが刻み込まれていた。
「やせ我慢をしなくてもいいのですよ。ここは神の家、死んだとしても神の国へと導かれます」
「ふん、生憎、俺は神を信じていない人間だ」
「なるほど。では、こうしましょう。今ここで―――血の洗礼を行うのです」
薬師寺の言葉に従い、子ども達がナイフを手にナックルダスターへとじりじりと近づいていく。
その光景にコーイチは、自らも襲われる危険に晒されていることも忘れて庇いに走る。
「師匠、逃げてください!」
「来るな、コーイチ! ガキが何人居ようとも関係はない」
「さて、どうでしょうかね。あなた方が正義である以上、私が盾として子どもを使えば、あなた方は攻撃ができない。それはとてつもないハンデでしょう? いえ、別に私としては殺してもらっても一向に問題はないのですよ?
ニコニコと場違いなまでに穏やかな笑みを浮かべながら薬師寺は話す。
そんな薬師寺の邪悪さにナックルダスターが顔を歪め、この
地下聖堂に一迅の風が吹き抜けた。
「
次の瞬間に響いてきたのは固い鈍器で人体を殴る鈍い音。
コンテンダーを鈍器とした、不可視の打撃を薬師寺の顔面に叩き込み吹き飛ばした音だ。
「づ…がぁああッ…!?」
「今の一撃で意識を絶ったつもりだったんだが……どうやら
その声を聞いたところで初めてコーイチは赤いマントを羽織った下手人の姿を確認する。冷たい金属を思わせるような表情。しかし、その瞳の奥に強い炎を宿し、地面に叩き伏せた薬師寺を捉らえる男。
その抜身の刀のような姿にコーイチは思わず身震いをしてしまう。
これが、
これが、本物のヒーローなのかと恐怖すら感じる。
「……ポップが連れてきたのか」
「ナックルダスター、お前が子どもを平気で殴る人間でなくて安心したよ」
「フン、操られてなかったら容赦はしなかったがな。お前もそうするだろう…」
ナックルダスターは未だに子ども達に囲まれながらも、状況が好転したと理解し男の顔を見る。
同時に先程までの笑みを無くし、鼻から血を流して惨めに地面に転がる薬師寺の姿も目に映る。
少しだけその光景にスカッとした気分になりながら、現れたヒーローの名を呼ぶ。
「―――クロノス」
「
次回でヴィジランテ編を一応終わらせられるように頑張ります。
そしたらキングクリムゾンで原作開始できますし(デクが入学する一年前)
今回でポップちゃんを書けたからヴィジランテ主人公勢はある程度説明できたかなと思います。
切嗣とポップちゃんは絡ませづらいんで今作ではあんまり書けませんが、ヒロイン力が高いです。
個人的には彼女が本編入れても一番のヒロイン力を発揮してると思います。
ヴィジランテは面白いのでオススメ(ステマ)