小林さんちのアインズ様   作:タッパ・タッパ

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2018/5/13 タイトルに話数を入れ忘れていたので話数を入れました
 文中に半角スペースが入っていたところを「、」に変更しました
 「生活からの解放され」→「生活から解放され」 訂正しました
 魔法のカッコに《》を使っていたところを〈〉に変更しました
2018/5/19 「速度走っている自動車では」→「速度で走っている自動車相手では」、「実態」→「実体」、「種族」→「生物」、「ことのなかったのだ」→「ことのなかった生き物なのだ」、「周囲に人間」→「周囲の人間」、「今日室内」→「教室内」、「事にでも」→「事にも」 訂正しました


第10話 足し算の出来るゴリラは夕食の後に缶ビールを飲むか?

 ある朝目覚めると、小林は自分が一匹のゴリラになっている事に気がついた。

 

 

 

 

 

「いや、意味が分からないんだが……」

 

 

 (あき)れたような口調のアインズに対し、目の前のゴリラは「ゴッホゴッホ(私もわかんないよ)」と返した。

 

「日本語でおk」

「ウホゴホゴッホ(出来るなら、やっとるわ)!」

 

 日本語ではなくゴリラ語で訴える小林。

 いや、それが本当にゴリラ語なのかは聞いているアインズらには分からない。ゴリラ特有の言語なのか、それともサル類に共通の言葉ながらもゴリラの方言、すなわちサル語の中に分類されるゴリラ弁なのかもしれない。あるいは日本語を話しているのに、小林の声帯がゴリラのそれへと変化しているために上手く聞き取れない可能性もある。

 

 何はともあれ小林がゴリラになったという、あまりといえばあんまりな唐突過ぎる出来事に、もはやなんと言っていいのやらといった按配のアインズ、そしてトール。

 だが、この場において、もっとも困惑していたのは当の小林であった。

 

 

 

 少々想像してみてほしい。

 よく晴れた休日の朝、あなたはカーテンの隙間から差し込む朝日をその身に受け、目を覚ます。まだ一日が始まったばかりだというのに、情け容赦のかけらもなく元気一杯に活動し、8分19秒の時間をかけて地球へとやって来たまばゆいばかりの光に目を細めつつ、ベッドから足を下ろし、今日も一日頑張るかと大きく背伸びをする。

 そして、やや寝ぼけ(まなこ)ながらも部屋の中を見回したところ、壁際に置かれていた大きな姿見が目に入る。

 その鏡の中に映し出された自分の部屋。

 いつもと変わらぬ光景のはずのその中央、そこに黒々とした毛並みを持つ一頭のゴリラがいたとしたら。

 

 

 

 小林の部屋から響いた驚愕の悲鳴。

 それを聞きつけたのは、早起きをして朝ごはんの用意をしていたトールと、カンナが買ったもののすっかり飽きて放置してしまっていたハンドスピナーを一晩中、延々と回し続けていたアインズであった。

 

 二人は、すわ一大事かとばかりに小林の部屋へと飛び込んだ。 

 そこで二人が見たもの。それは本来この部屋の主である小林の姿ではなく、その代わりにどっかりと部屋の中央に直立しているゴリラの姿だったのである。

 

 その後に起こった一悶着。

 騒がしさから小林のベッドに潜り込んでいたイルルとカンナが目を覚まし、それを見たトールがまた激昂するなどして、ひとしきり大混乱に(おちい)った。

 いつの間にやら小林のベッドにもぐりこむ順番を決める方向に話がずれてしまっているトールらを横目に、アインズはおそらく小林と思われるゴリラに尋ねてみた。

 

 

「それで何か心当たりはあるか? その辺に落ちていたゴリラの肉でも食べたとか?」

「ゴッホゴッホ(ある訳ねーよ!)」

 

 骸骨なのに困り顔という器用な真似をしながら問うアインズに、小林は必死で今の状況を訴えた。

 

 

 そう必死である。 

 何せゴリラなのだ。

 

 説明するまでもないが、ここはいつもの小林家。南米やアジア、アフリカに広がる熱帯雨林などではなく、温帯に位置する日本。そのごく普通の都市にある、これまたごく普通のマンションの一室である。

 すなわち、普通に考えてゴリラがいるはずのない地であり、そんな地域でその辺をゴリラがのっしのっしとうろついていたら大騒ぎとなってしまうであろうことは容易に想像できる。

 ちなみに本来、野生のゴリラの生息地はアフリカのごく一部に限られるため、南米やアジアなどで目撃されたら、それはそれで新発見だとして騒ぎになるではあろうが、とりあえずそれは置いておく。

 

 ともかく、ここはゴリラが一人で生きていけるような地ではないのである。

 いや、ここは一頭でというべきか。

 それはさておき、いやはやまったくもって、この日本という国は実にゴリラに厳しい国なのである。

 ゴリラはゴリラとしてしか扱われない。そこに野生動物保護の国際条約などは適用されても、決して人としての基本的な権利は考慮されないのだ。

 

 このまま元に戻らなかったらどうしようという不安が、小林のまっ平らな胸の奥からむくむくと湧き上がってくる。

 ゴリラとなった彼女には仲間もいない。

 今の小林は、この大都会に投げ出された身寄りのない一頭のゴリラに過ぎぬのだ。 

 

 確かにゴリラは強い。

 およそ武器を持たない普通の人間対ゴリラであれば、どちらに軍配が上がるかなど火を見るより明らかである。

 仮にプール一杯分の人間に対し、一頭のゴリラを投入するなどというハンデキャップマッチをもってしても、おそらくゴリラ側の勝利は動くまい。

 そこで繰り広げられるのは、まさにゴリラ無双といった光景であろう。

 

 ゴリラは強いのである。

 その強さは人間に比して圧倒的といえる。

 

 だが、小林家に住まう面々――トールにカンナ、それにイルルはドラゴンであり、さらにもう1人の居候であるアインズはアンデッドの魔法使いなのだ。

 

 はっきり言って、全員ゴリラより強い。

 如何(いか)なゴリラとはいえ、彼女ら相手ではワンパンでKOされる程度の存在でしかない。

 そんな彼らにこの部屋から力ずくにでも追い出されようものなら、しょせんゴリラ初心者に過ぎぬ小林に抗えようはずもないのだ。

 

 

 その先に待っているもの。

 それはおそらく、通報を受けた警官による射殺であろう。

 

 けっして通報を受けて駆け付けた警察官が、たった一頭でそんなところにいるゴリラにも事情があるのだろうと斟酌(しんしゃく)してやり、優しい言葉をかけて交番に連れて帰り、お茶の一つでも差し出しながら、話を聞いてくれるなどという心温まる展開は期待できまい。

 運よく即射殺は免れたとしても、麻酔銃によって眠らされ、目が覚めたときには動物園の檻の中という羽目になってしまいかねない。

 そこで小林は一切の人権を与えられぬただ一頭のゴリラとして見せ物にされ、その後の余生をコンクリートの塀の中で過ごさざるを得なくなってしまうだろう。

 

 給与の面では優遇されているため完全にブラックとは言えぬまでも、激務といってもいい仕事を日々こなしている小林から見て動物園の生活は、プライバシーは全くないながらも仕事をする必要もなく三食昼寝付きというのは、いささか魅力的な響きではある。

 だが、さすがにそれは御免こうむりたい。

 そうして動物園内で生きることとなれば、種族維持のために他のゴリラとかけ合わされ、ゴリラの子をはらみ、ゴリラを出産するということになるかもしれぬのだ。

 

 こう見えても、小林は乙女なのである。

 そう、平たく言うと処女なのである。

 二十四過ぎても今だに処女というのは、人によっては馬鹿にされるかもしれないが、エロゲの中には数千年生きているのに処女というもっとすごい者もいるのだから、その程度は誤差の範疇でしかない。 

 近年はイケメンゴリラなるものが秘かな人気となっているようだが、ともかく、たとえイケメンであろうともさすがに初体験がゴリラというのは、小林にとって絶対に許容できぬ一線であった。

 

 

 いささか話がずれたが、まあ、何はともあれゴリラである。

 

 いったいどうしてこうなったのか?

 はてさて、それは皆目見当もつかぬ。

 しかし、仔細はともかく、今の小林がゴリラである事は明々白々にして、紛うことなき、動かしがたい事実である。いかに自分が背中の毛並みを美しく銀色に光らせるゴリラであるという現実から目をそらそうとも、果たしてそれで事態は好転などすまい。

 ようやく事態を把握したカンナやイルルは、ゴリラ小林の滑らかな毛並みを盛んに撫でまわして大喜びなのであるが、好評であるからといってこのままゴリラでいる訳にもいかないのである。

 

 小林は立派な社会人であり、会社においても皆から頼りとされる人物なのだ。

 また、この小林家にとっても――イルルもいくらかは稼いではいるとはいえ――その家計の大部分をたった一人で支えるまさに大黒柱である。

 けっして、どこかの元王様なんぞという肩書だけは持っている死の支配者(オーバーロード)のように、日がな一日テレビをみたり、ゲームをしたりと、まさに絵にかいたようなニート生活、堕落の極みともいうべき暮らしをしていてよい訳ではない。

 まあ、本当にその気になれば、トールやアインズが魔法等で何とか金を稼ぐことも出来るだろうが、とにかく何とかして元の人間に戻らなくてはならないのだ。

 

 

 

「では、とにかく小林の身体を戻す方法を探るとしよう」

 

 穏やかな休日の朝。ひとしきりの混乱の(のち)、とりあえず皆で朝食をすませ、居間に据えられた大画面の薄型液晶テレビに映し出される総天然色のアニメを眺めながら、食後のコーヒーおよびホットミルクをすすりつつ行われた緊急家族会議によって、最終的にそう決議された。

 そうして、小林家の面々は、小林が元に戻るための手掛かりを求め、家を飛び出すことにしたのである。

 

 

 人間がゴリラになる。

 およそ、まっとうな魔法や呪いの(たぐ)いではあるまい。

 まっとうなものではないのであれば、とりあえずまっとうな相手ではない者に尋ねるのがいい。

 そういった結論に達した彼女らは今、真ヶ土(まがつち)家へと向かっていた。

 

 

 真ヶ土(まがつち)家。

 小林の務める地獄巡システムエンジニアリングの専務の家である。

 

 だが、ごくごく普通の中小企業に勤める専務取締役というのは仮の姿。

 その正体は、トールらのいた世界から渡ってきた魔法使いである。

 そして、彼の息子である真ヶ土(まがつち)翔太(しょうた)もまた魔法使いとして日々研鑽を務める少年であり、さらにはトールらの友人にして桁外れの力を保有するドラゴン――ルコアが彼と使い魔の契約をして、その家に住んでいるのだ。

 彼女、ならびにこの世界に住む魔法使いの一家ならば、かような異変に対してもなんらかの見識を持っているのではと期待したのである。

 

 

 

「いい天気だなー」

「ポカポカしてる」

 

 皆でのお出かけにカンナとイルルがキャッキャとはしゃぎまわる中、その後ろをてくてくと歩くのはトールと成人男性の幻覚をかぶったアインズ、そして困ったようなうなり声をあげる小林である。

 

「どうしました、小林さん?」

 

 振りかえったトールの視線の先で小林はどうにも落ち着かないといったような様子で、その巨大な肩を可能な限り小さくすくめ、己が胸を掻きいだくように身を縮こまらせていた。

 

「ゴ、ゴホ(あ、あのさぁ)……、ゴホゴッホ(これ、本当に私の姿は周りに見えていないの)?」

「ああ、心配ないとも。普通の人間にはいつもの小林の姿に見えているはずだ」

 

 

 ルコアの許を訪れるにあたって、問題となったのは小林の姿である。

 先にも述べたように小林はゴリラであるため、普通に出歩こうものなら実に目立つことこの上なく、不要なトラブルを招くことは目に見えている。いかにゴリラといえど、公共の場でのマナーは(わきま)えねばならない。

 

 そこで、アインズは一計を案じた。

 ゴリラ小林の身体に幻覚魔法をかぶせ、他者からは彼女本来の姿、すなわち髪を後ろでくくり、大きめの眼鏡をかけた、実に平坦な胸部を持つ女性に見えるよう細工をしたのだ。

 

「私が小林さんに認識阻害魔法を使ってもいいんですけど」

「いや、それだと小林がいること自体、認識されなくなるだろう? それで下手に街をうろつこうものなら、小林が交通事故に遭いかねん」

 

 トールが使用する認識阻害魔法。

 それは、そこにいる存在を認識できなくなる魔法である。いうなれば透明人間になるようなものだ。

 下手にそんな透明人間状態で交通量の多い街中を歩こうものなら、車や自転車にはねられかねない。人間と比べ圧倒的な質量を誇るゴリラの身体ならば自転車くらいには勝てるだろうが、さすがに制限速度プラス十キロくらいの速度で走っている自動車相手では無傷とはいくまい。いや、その程度ならばまだ何とかなる。だが、さすがにプラス四十キロ以上でかっ飛ばしている車が相手となると――一方的にゴリラ小林側が負ける事はないかもしれないが――さすがに分が悪すぎる。決して小さくない怪我を負うことは間違いない。そもそもそんな無駄な事に命をかける必要性はどこにも感じられない。

 

 その為、トールの認識阻害魔法ではなく、アインズの幻覚魔法で誤魔化すことを決めたのである。

 

 しかし、そこで問題となったもの。

 それは体積だ。

 小林本来の、人間である姿はほっそりとしたスレンダーな体形である。とくに胸部の厚みに関して言うならば、実に流体力学的に優れた体形をしている。

 つまり、どうしても()()()()とした体格のゴリラとは大きくかけ離れているのだ。

 とくに横幅に関してはいかんともしがたい。ゴリラの身体に元の小林の幻影を重ねると、幻覚から実体が横に大きくはみ出してしまう。仕方がないので、左右にはみ出た部分は透明にしておき、その透明部分に他の通行人や自転車が衝突しないよう、トールとアインズが着かず離れず、彼女の脇を固めて歩くということをやっているのだ。

 

 

「――という訳で、他人からはいつもの小林にしか見えていないのだ。……だから、そういった仕草をする方が目立つから、止めた方がいいのだがな……」

「ゴッホホホ(いや、そう言われても)……」

 

 アインズの言葉通り、今の小林(幻覚)は実に珍妙な姿勢をとって歩いている。

 そのため、わざわざ声をかけてくるまではないものの、通りすがりの人々が奇異の視線を投げかけてくるのだ。

 

 あまり長くはない付き合いながらも、アインズの魔法の凄さはよく知っており、大丈夫だろうとは頭では理解している。

 ――頭では理解しているものの、当の小林としてはどうしても心もとないのだ。

 

 なぜかというならば――今の小林は一切の衣服を身に着けていない状態だからである。

 

 

 当然であるが、小林家にゴリラサイズの服などない。

 そもそもゴリラは服など着ない。

 むしろゴリラが服を着ていたら、そちらの方が奇妙に思われるだろう。

 万が一、うっかり見つかった場合でも、服を着ていないゴリラと服を着たゴリラ、どちらがおかしいかは明白である。

 そういう訳で小林は、素っ裸に幻覚魔法をかけてもらっただけの生まれたままの姿――いや小林は生まれつきのゴリラではないから『生まれたまま』ではないが――で街中を歩いているのだ。

 

 本来であれば、アインズの言葉通り、とくに隠そうともせず普通に歩いていれば、それだけでよいのだ。それが一番いい。

 頭部などの例外を除き体に毛がほとんど無い普通の人間と異なり、ゴリラはそれほど長くはないもののほぼ全身が自らの体毛で覆われている。

 そういう意味では大事なところ、すなわちデリケートゾーンは隠されてはいるのであるが、元が人間である小林としては、その身を覆う布がない状態で人前に出るというのは、払っても払いきれない忌避感が心の奥底に根強くある。魔法によって隠されているとはいえ、素裸であるという事実からくる気恥ずかしさにより、どうしてもその胸元や股間を手で隠しがちなのである。

 

 アインズの魔法による幻覚は、いちいち細かい部分まで魔法で動かし続ける必要はない。本体であるゴリラ小林の動きを、幻覚小林が自動でトレースする仕様となっている。

 そのため、本体であるゴリラ小林が胸元と股間を腕で隠すような挙動をすれば、幻覚によって作られた人間小林もまた胸元と股間を腕で隠すような仕草をすることとなる。

 はっきり言って、向こうから歩いて来たら、気の毒な人として目をそむけて通り過ぎるような立ち居振る舞いとなってしまっているのだ。

 

 小林としても、それは分かってはいる。

 分かってはいるのだが、どうしても思い切りがつかないのである。

 絶対に見えないから大丈夫と、平然としていられないのである。

 どうしても裸で街中を歩くという羞恥心を拭いきれないのである。

 かと言って逆転の発想として、普段、生活している街中を衣服を身につけないで歩くことにより通常、感じる事の出来ない開放感や背徳感にひたるという、実に上級者な楽しみ方などごく理性的な常識人である小林には出来ようはずもなかった。

 

 

 

「ええと、翔太君の家まであと10分くらいですんで、もうちょっとだけ我慢してくださいね」

「ゴホ(うん)……」

 

 そんなことを話していたところ不意に、カンナと共にはしゃぎ走り回っていたイルルが「あー、そうだ!」と、大きな声をあげた。

 いったいどうしたのかと視線が集まる中、首元がよれたTシャツの下でブルンブルンとゴムまりのような胸を揺らしながらイルルは言った。

 

「翔太から借りてた本あったんだけど、家に忘れてきた! ちょっと取りに戻っていいか?」

「ゴ、ゴホッ(え、ええっ)!?」

 

 ――戻る?

 ゴリラの姿とはいえ、街中で全裸という露出プレイに耐えて、ここまで歩いて来たのに?

 

「あんたねえ……。ここまできたのに、今更、戻れってんですか!!」

 

 小林に代わって苛ついた声を出したトール。そんな彼女を、アインズは「まあまあ」となだめる。

 

「落ち着くのだ、トールよ。なに、忘れ物を一つ取ってくるだけだろう? なら、ちょっと転移魔法で家に戻ればいいだけの話だ」

「ゴホゴホ(うん、そうだね)。……ゴッホ(って、ちょっと待て)! ゴホゴホ、ゴッホ(転移魔法使えるんなら、街中歩かずにそれで翔太君の家に行けばいいじゃん)!!」

 

 実にゴリラらしく平手で、そのかつてとは比べ物にならぬほど厚みのある胸を叩き、小林は怒りをあらわにした。

 

 ちなみによく創作物などでゴリラは握りこぶしで胸を叩いていたりするが、実際に叩くときは平手で叩くのである。

 さすが小林。

 本格派である。

 

 

  

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「え? これは……なんだろう?」

 

 翔太は顎に手をやり、難しげな顔で首をひねる。

 その顔色を見て、小林は落胆の表情を、そのゴリラの顔に浮かべた。

 

 落胆するゴリラ。

 その時の表情をカメラにでも撮っておけば、ゴリラの生態研究に役に立ったかもしれないが、それはさておき、ここならばもしやと思って訪れた翔太の家でも解決の手がかりはないという事実に小林は肩を落とした。

 

 

 真ヶ土(まがつち)家を訪れた一行。

 彼女らを出迎えたのは、この家の一人息子である翔太であった。

 

 突然の来客。それも小林家の面々全員での来訪。そして自宅の玄関前に漂う怪しげな黒い霧状の何かの存在。更には何故(なぜ)だか彼らと共にいるゴリラの姿。

 それらの合わせ業にいささか驚いたものの、さすがは未来の大魔法使いを夢見る少年にして、普段から非常識極まりないドラゴン連中と付き合っている逸脱者。まあ、そんな事もあるだろうと、色々飲み込んで、話を聞くことにした。

 だが、それで聞かされたのは、まったくといっても手掛かりにもならないような――朝起きたら小林がゴリラになっていたという荒唐無稽な話。

 判断する()()()()()もない説明に、さすがの彼も頭を抱えてしまった。

 

 とにかく何か手掛かりでもあればとあらためて調べてもらったわけだが、その結果が先の通り。

 さっぱり分からないというものであった。

 

 

 だが、これはある意味、仕方がない事であると言える。

 およそ、この世に存在する魔術の中において、人をゴリラへと変化させるという魔術など知っている者の方が少ないだろう。けっして、それを知らぬからといって、それを理由に翔太が未熟であるなどとはだれにも言えまい。

 

 古代の伝承において、人間が他の種族、生物になったという事例は枚挙にいとまがない。しかし、人間が豚や魚、鳥などの生物になるといった例ならば聞いたこともあるが、さすがにゴリラになったなどという話は聞いたことがない。

 なにせゴリラはアフリカの奥地に生息していたため、ほんの百年ほどまえまでは西洋文明世界に発見されることのなかった生き物なのだ。

 すなわち、古代においてはゴリラとは存在自体知られていなかったのである。 

 そんなものに他人を変化させる魔法。

 むしろ知っていたとしたら、そちらの方がおかしいとしか言いようがない。

 

 

 ともあれ、わざわざやって来たのに何の手掛かりも得られず、がっかりしてしまった一行。

 また頼みの綱であるルコアも、あいにく今は外国に行ってしまっており不在らしい。いったい、どこに行ったのだろう? アメリカにでも行って流体力学の研究でもしているのだろうか?

 

 

「あー、でも……」

「ウホ(うん)?」

「なんだか小林さんの身体からは不思議な魔力のようなものを感じます。……いや、これは魔法による魔力じゃなく、もっと別な……そう、なんらかの呪いのような……」

 

 その言葉に、アインズは確認するよう小林の方を振り返った。

 

「ふむ。呪いか……小林よ、その辺で野良ゴリラを倒すなどしなかったか? それが原因で、ゴリラの呪いを受けたとか」

「ゴホ、ゴホゴッホ(だから、ねーっつーの)!!」

 

 そんな掛け合いを横目にしていたトールの脳にピンと閃くものがあった。

 

「ん? 呪い? ……呪いといえば……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふむ。これは呪いだな」

 

 ゴリラとなった小林の姿を一瞥し、黒い執事服に身を包んだ男――ファフニールは事もなげに言った。

 ファフニールはトールの知り合いの中でも、とくに呪いについては詳しいドラゴンである。そこで彼ならば何か分かるのではと一縷の望みをかけ、彼が居候している滝谷の家へとやってきたのだ。

 

「見たところ、肉体変化の呪いがかけられているな。それと会話の翻訳、そして認識に対するものもだ」

「会話の翻訳ですか? ああ、なるほど。それで小林さんはゴリラのようにゴッホゴッホと喋っているのに、聞いている私たちは小林さんが何を言いたいのか理解できるというわけですね」

 

 得心したと頷くトール。

 

「それでもう一つの認識に対するものとは?」

「ゴリラの姿となっていることを他者には認識できないようにするというものだ。もっともこちらは大したものではなさそうだから、ある程度の魔力を持っているものには効力を発揮せんだろうがな。だが、魔力を持たない、この世界の人間たちには効果を発するだろう」

「あー、そうなんですか。つまり、翔太君みたいな魔法使いには、今のゴリラになった小林さんの姿が見えますが、その辺の魔法も使えない下等な人間どもは今の小林さんを見ても、ごく普通の、何の変哲もない、いつものかっこいい小林さんとして認識されるということですね」

 

 その答えを聞いて、とりあえず一安心した。

 つまりは、うっかり幻覚魔法が解けるなどして今の姿をさらしても、街中にゴリラがいると大騒ぎになる可能性はないという事だ。

 わずかながら安堵の空気が流れる中、骸骨であるその顔は実に表情の変化が分かりづらいのではあるが、ともかく難しい顔をしてアインズは腕を組んだ。

 

「うーむ、分からんな」

「ウホウホ(なにが)?」

 

 アインズは小首をかしげるゴリラに、ちらりと視線を投げかけ言った。

 

「いや。お前に魔法をかけた何者かの目的だ。今、ファフニールが言った通りだとすると、小林に魔法をかけた何者かは、小林の肉体をゴリラに変化させておきながら、その言葉も通じるし、周囲の人間にも気づかれぬように細工をしているという事だ。いったいなぜそんな事をする必要があるのだ?」

 

 言われてみれば確かにそうだ。

 対象者の同意なく、他人の姿を強制的に変えてしまう。

 これは本来であれば、それによって対象となった者を困らせることを目的とするものだろう。

 しかし、実際には小林に呪いをかけた何者かは、身体がゴリラになった以外は何も不自由な事態にならぬよう配慮しているという事になる。

 いったい、犯人の目的は何なのだろう?

 

「……ゴホホ(いたずら)?」

「いたずらにしても、誰が小林にそんな事をするんだ?」

 

 ふむと考える。

 呪いなどに堪能で、標的に選ぶほど小林を知っていて、且つちょっとしたいたずら程度に留めておくような人物。

 トールらに関わってから、小林もそれなりに、魔法を使うような非常識な面々との摩擦も生まれている。

 とりあえず思いあたるふしとしては、かつてイルルを殺そうとして小林に邪魔をされた屠龍派のクレメネとかいうドラゴンか? それとも、この前、翔太について行った魔法の試験でトップをとったことによる逆恨みだろうか?

 

「うーんと、それはとりあえず置いておくとして、今はまず小林の身体を元に戻す方法はあるのか?」

 

 カンナと共にあまり教育にはよろしくない滝谷の部屋を捜索していたイルルの言葉に、それもそうだとハッとするトールとアインズ、そして当の小林。

 

 全員の視線が集まる中、ファフニールは口を開いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「じゃあ、学校、行ってくる」

 

 背中には処女の生き血よりもなお赤い深紅のランドセルを背負い、そしてその頭部にはじゅくじゅくと()(したた)る膿よりも黄色い帽子をかぶったカンナが玄関で靴を履き、振り返る。

 ちなみに今述べた修辞表現は以前、トールが口にしたところ、当のカンナにはたいそう不評であった。

 

「それじゃあ、僕達も会社に行ってくるよ。心配しないで。こっちは何とかうまくやるよ」

 

 そう言うのはプライベートでのオタクモードではなく、さっぱりとした社会人モードの滝谷である。

 その隣に立つ小柄な人物。その顔の下半分を白いマスクで覆い隠してはいるものの、大きめ眼鏡に髪を後ろでひっつめたいつもの小林――の姿を真似た二重の影(ドッペルゲンガー)である。ゴリラとなっている小林の代役としてアインズが召喚したのだ。

 本来の小林の能力は完全には再現できないのだが、マスクをして風邪を装い、またそれに合わせて滝谷にフォローしてもらうことで、なんとか今日一日をしのごうという考えであった。多少は不審に思われるかもしれないが、最悪〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉や〈時間停止(タイム・ストップ)〉が使えるアインズの力で何とかできるだろう。

 

「ゴホゴッホ(行ってらっしゃい)」

 

 見送る留守番組の前で金属の扉が閉められる。

 

 バタンと音を立てて閉まった扉。

 それを小林はゴリラの黒い瞳で見つめていた。

 哀愁を漂わせている銀の毛並みを持つ広い肩。

 

 すると不意に、その首に抱きついてきたものがある。

 ちらりと肩越しに視線を巡らせると、ふわりと飛び上がったトールが小林の首に優しく腕を廻していた。

 トールは小林の首にすがりついたまま、言葉を紡ぐ。

 

「小林さん……私はこれからもずっと小林さんのそばにいます。たとえ小林さんが人間に戻れなくても、ずっと一緒ですよ」

 

 

 

 

 昨日、ファフニールの口から発せられた、小林の呪いを解く方法。

 

 それは呪いをかけた相手を特定した上で、解呪を行わなければならないというものであった。 

 すなわち、小林に呪いをかけた当人が誰なのか、はっきりしないうちにはその身にかかった呪いは手の打ちようがないということである。

 

 

 小林に呪いをかけたのはいったい誰なのか?

 それは分からない。

 

 つまり、現状、小林を元の姿に戻すことは出来ないということである。

 

 

 とにかく心当たりがありそうな人物を一人ずつ、しらみつぶしに調べていかなくてはならない。

 しかし、そうした手間をかけても、その結果として犯人が見つかればいい。

 問題となるのは、それでも見つからなかったらである。

 小林の全く与り知らぬうちに、それこそ逆恨みなどで狙われていた場合、もしくは完全に無作為のまま通り魔的に対象とされたなどの場合、犯人の特定は非常に困難となる。

 

 そうした場合――小林は二度と人間の姿に戻れないのだ。

 

 

「小林さん……」

 

 トールは小林から身を離した。

 その目に涙を浮かべつつも、小林に優しく微笑む。

 

「私はドラゴンですからね。私にとって、小林さんが人間でもゴリラでも大した違いはありませんよ」

「ゴホ(トール)……」

「大丈夫ですよ。この国には居づらくなるかもしれませんが、世界中のどこへ行ったっていいじゃないですか。それに、なんならこの世界の『世界中』にこだわる必要もありません。私がいた世界で一緒に暮らしませんか? 小林さんに私がいた世界を案内しますよ」

 

 

 ――異世界か……。

 

 小林はトールらの故郷、彼女らの話に出てくる異世界とやらを頭に思い浮かべた。

 

 

 小林の労働環境は過酷である。

 トールが家に来てくれたおかげで、家事の一切を任せることができ、だいぶ楽になったとはいえ、日々、納期に追われ、慢性的な眼精疲労や腰痛、肩こりに悩まされる毎日だ。そんな生活から解放され、本やゲームなどでよく見る剣と魔法の溢れるファンタジー世界に行くというのは、それなりに胸躍るものがある。

 

 仮にゴリラから元に戻れないとするのならば、最終的にそういう選択もしなくてはならないかもしれない。

 先にも同じような事を述べたが、この日本において――いや、この世界において、人ではなくゴリラとして生きることは困難極まりない。このままゴリラの姿を隠して生活するのも、いつか限界が来てしまうであろうことは明白である。

 そう考えた場合、ゴリラの姿とはいえ、向こうの世界で過ごすというのは悪くはないかもしれない。話に聞く分には、向こうの世界はだいぶ殺伐としていて命の危険も多そうだが、最強種であるドラゴン――トールの庇護の下ならばおそらく安全だろう。

 

 だが、そう簡単にその提案に飛びつくわけにもいかない。そう思いきってしまう事ができない部分が、小林の心の中に確かに存在する。

 はっきり言ってしまえば、この世界に未練があるのだ。

 向こうの世界に行くという事は、この世界との別れを意味する。実家の家族や会社の同僚、それに様々な形でつながりのある知り合いら……。小林は、両親を幼くして無くした天涯孤独な身であり、友人といえばオンラインゲームでの繋がりだけなどという寂しい人物とは違うのだ。 

 それらすべてを投げ捨てるという選択は、軽はずみに、生半(なまなか)な決断でできるものではない。 

 

 

 全てを捨てて、トールと共に向こうの世界に行くか。

 それとも、この世界で何とか騙し騙し生きていくか。

 

 

 脳内を様々なものが駆け巡り、懊悩の表情をそのゴリラの黒い顔に浮かべる小林。

 そうして立ち尽くす彼女に対し、ことさら明るく声をかけたのはイルルであった。

 

「あ、そうだ! 小林、どうせ人間を止めたんなら、いっそゴリラも止めて別の種族にチェンジしてみるっていうのはどうだー?」

「ゴホ(え)?」

「ほら、人間みたいに寿命のある種族じゃなくってさ。エルフとか悪魔とか」

 

 それを受けて、いささか重くなった空気を掻き消そうと、アインズもまた明るい声を出した。

 

「ははは。そうだな。どうせ人間以外の種になったのだ。いっそ別の種族になってみるというのもいいかもしれんな。どうだ? せっかくだからアンデッドになってみないか? 食事や睡眠は不要だし、なにより疲労などもないから腰痛ともおさらばできるぞ」

 

 その提案には微妙に惹かれる小林であった。

 

「何を言ってるんですか」

 

 トールは白手袋をつけた指先で、その瞳に浮かんでいた涙をぬぐい捨てる。

 

「小林さんがなるのは、もちろんドラゴンですよ!」

「ウホ、ゴホホ(いや、ならんし)……」

「えー、何でですか? ドラゴンお薦めですよ。いや、むしろドラゴン一択というより他にありません。なぜなら、ドラゴンこそが最強にして究極の存在。わざわざ他の劣等種族になるなんて選択肢はありませんよ」

 

 いつもの調子を取り戻したらしい陽気なトールの言葉に、室内は笑い声に包まれた。

 

「ははは。とにかくだ。そういうのは後々、ゆっくり決めようじゃないか。どうしてもこの世界にいられなくなった時の最後の手段としてな。そうなる前になんとかしよう。魔法なりなんなりでお前に呪いをかけた者を探してみるさ。だからあまり悲観することでもない。案外、すぐ見つかるかもしれん。……まあ、何はともあれ、会社の方は私が召喚した二重の影(ドッペルゲンガー)を滝谷やエルマがフォローすることで何とかなるだろう。それに専務も事情を知ってくれているしな。当分は心配あるまい。そして、とりあえずは、だ。小林よ」

 

 眼窩の奥の赤黒い光。その視線が小林のゴリラの瞳を射貫く。

 

「お前に今、必要な事。それは心と体を休める事だ。これまで働き詰めだったんだ。とにかく、しばらくはこの降ってわいた休暇を堪能するといい」

「ゴホッ、ゴホウホゴッホ(そうは言っても、なんだか何もしない日ってのは落ち着かないんだけど)」

「ワーカホリックというヤツだな。しかしな、それで体や心を壊しても、会社は最後まで保証はしてくれんぞ。利用され、使い捨てられ、後は路頭に迷うだけだ」

 

 何やら微妙に重みがある発言に小林家の面々は気圧されたように黙った。何故、異世界において王様だったとかいうアンデッドのアインズが、そんな妙に実感のこもったようなことを言うのだろうかと内心、首をひねる。

 

「ともかく、今お前がやるべきこと。それはこのゲームをやる事だ!」

 

 そう言うと、アインズは棚からみんなで遊べるタイプのゲームが入った箱をひっぱり出してくる。

 

「ゴホウホ、ウホホ(平日の朝っぱらからゲームとか、いいのかな)?」

「時間や曜日など、人が勝手に自らを縛るために考えた概念に過ぎん。時間が人を縛るのではない。人が時間を左右するのだ」

「ゴホゴホホ(そんな名言みたいなことを言われても)……。ゴホ、ゴッホ(まあ、いいか)。ウッホ(やろうか)」

「おー、小林、やろうぜー。私、駄菓子屋の仕事は午後からだからたっぷり遊べるぞー」

「ええ。じゃあ、私も混ぜてもらいます」

 

 先ほどまでの陰鬱な空気はどこへやら、リビングにはにこやかにして陽気な空気が広がっていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一方、こちらは朧塚小学校。

 登校したカンナの姿は、自分のクラスである3年2組の教室にあった。

 

 今、クラスの中は始業前の遊びはしゃぐ子供たちの賑わいで満ちている。

 

 

「ウキャッ、ウキャッ(昨日のテレビ見た)?」

 

 チンパンジーが鳴き声をあげる。

 

「グエッ、グエッ(見た見た。チョーかっこよかったよね)」

 

 マンドリルが響くような声を発する。

 

 

「キーィッ、キーィッ(あのゲームって、新しい街についたらどうするんだ)?」

 

 クモザルが叫ぶ。

 

「ボォーウッ、ボォーウッ(ああ、あの後はまずお城に行って……)」

 

 オランウータンが吠え返す。

 

 

 見渡す限り、多種多様なサルの仲間が教室中にひしめき合っており、そこかしこで鳴き声をあげている。しかも、それぞれが種族ごと、別々の鳴き声をあげているというのに、当の本人――いや本猿というべきかもしれない――たちは互いが何を言っているのか理解できているようであった。

 

 あたかも動物園の如き光景。

 そんな喧騒の中、カンナは――。

 

 ――マジ、やばくね?

 

 と一人、自分の席に座ったままであった。

 

 

 と、そんなとき、教室の扉が開かれる。

 そこに現れたのは薄緑色のトレーナーに臙脂色のミニスカート、さらには白のハイソックスを身につけた、太陽の光が反射するおでこも眩しい、才川リコであった。

 

 「おはよー」という言葉と共に、教室内を見回した才川は――。

 

「――はあっ……!?」

 

 という言葉と共に、絶句した。

 扉を開けた姿勢のまま、教室に入ることなく戸口に立ち尽くし、目の前に広がる奇怪極まりない日常の光景に目を丸くする。

 

 そんな彼女に軽快な足取りで一頭の猿が近づいていく。

 

「ヴェーェ、ヴェーェ(おはよう、才川さん)」

 

 そう和やかに挨拶したのであるが、あいにくと声をかけた――おそらく女性、もしくはメスと思われる――その姿は全身鮮やかなオレンジ色で腹部は白、そして頭頂部や肩口から背中にかけて暗色の体毛を生やした金糸猴である。フレンズ化したものでもないリアルな金糸猴を間近で見ると、そのつぶらな瞳はわりと怖い。

 いまだ小学生という身のため、人生経験も少なく、生まれてこのかた金糸猴に挨拶されるなどといった体験をしたこともない才川としては、返事をするより先に、ただ口を金魚のようにパクパクとさせるより他になかった。

 

 

 その様子を見ていたカンナは、音を立てて席から立ち上がり、彼女の許へと小走りに駆け寄った。

 

「才川。私が分かる?」

 

 そう言って彼女のほっそりとした手を取る、カンナの()()()()とした手。

 その感触に才川は、「ぼへー!」と教室内のサルたちに負けぬ奇声をあげた。

 クラス中のサルの視線を集める中、間近にせまるカンナの顔によって、パニック状態だった才川の脳が半強制的にいつもの状態へと戻った。

 

「あ。カ、カンナさん。あなたはサルじゃなくて普通なのね」

「才川。ちょっと来て!」

 

 彼女の言葉を聞いたカンナは、彼女の手を握り教室の外へと駆けだした。

 

「だ、駄目よカンナさん。私たちはこれから授業が……。ああ、でも、こんなに積極的なカンナさんもステキ。ええ、そうよ。これは二人だけの愛の逃避行……! カンナさん。私、カンナさんとだったらどこへでも行くわ!」

 

 何やら気持ちの悪い恍惚の表情を浮かべて口の端から涎を垂らしている、そんな才川の顔を見ることなく、カンナは後ろ手に彼女の手を掴んで走っていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして、一連の事態は急転直下、解決を見た。

 今回の一件、その原因はなんと魔法とは無縁のはずの才川だった。

 

 

 カンナが気付いたきっかけは二つ。

 クラスメイトの全員がサルの仲間となっていた小学校の教室において、カンナを除けば唯一、才川だけがサルになっていなかった事。

 そして、ファフニールの言によれば、魔力を持っている者でもない限りは、自分や他人が変化した事にすら気がつかないだろうということだったのに、ごくごく一般人で魔法の才能などないはずの才川が、他の者たちがサルになっているのに気がついた事である。

 

 

 そうして、才川を連れて小林家に戻り、アインズによって記憶を読んでもらったところ、事のあらましが判明した。

 

 どうやら一昨日の晩のこと、才川家ではとある映画を観たようだった。

 それはかなり昔に作られた有名映画の前日譚を最新の技術で撮影したものであり、内容を大まかに語ると、知能を持ったサルたちが人間に対して自由の為の戦いを挑むというものであった。

 それを観た彼女は興奮冷めやらぬまま自分の部屋で、彼女の姉でありながら、無類のメイド好きがこうじて自宅でメイドを演じているジョージーこと才川苗相手に、あれこれと語り合ったらしい。

 

 そうしていたところ、ジョージーがとある一冊の本を持ってきた。

 それはなんでも、知り合いからもらった様々なおまじないが載っている本だという。

 当然ながら、才川自身はそんな()()()()()など信じてはいなかったものの、映画を見た後、さらに夜寝る前のテンションのまま、冗談半分でそこに書かれていた()()()()()を実際にやってみたのだそうな。

 

 対象が頭に思い浮かべた姿になるという()()()()()を。

 クラスの皆に。

 

 そうしてその翌日は休日であったため、彼女は自分が引き起こした事態に気がつくことは無かった。

 そしてサルへと変わったクラスメイトたちはというと、こちらもまた何ら異常に気付きはしなかった。ファフニールの語ったとおり、その()()()()()には対象の認識を捻じ曲げる付属効果があったためである。

 そして翌々日になり、普段通りに登校してきた才川が目にしたのはサルで溢れた教室と、そんなクラスの中、唯一、人としての姿のままだったカンナというわけなのであった。

 

 

 

 真相が分かったアインズらはすぐさま、才川家へとおもむき、そして難なく才川が()()()()()に使用したという本の回収に成功した。

 

 なんら魔法の知識も才能もない才川姉妹でも、小学校の一クラス数十人に同時に魔法をかけるなどという、熟練の魔術師でも簡単とは言い難い魔術の行使を可能とした本。

 その表紙に書かれていたのは、いかにもファンタジーっぽい宝箱の絵、そして『呪いアンソロ2』というタイトルであった。

 

 

 何のことは無い。

 小林に似合うメイド服はどんなものかという名目で小林家に知り合いが集まった際のこと、初対面のジョージーに対し、ファフニールがコミケで売れずに余っていた在庫の同人誌を一冊くれてやったらしい。

 一般人であるジョージーはそれがまさか本当に呪いがかけられる本だとは夢にも思わず、映画を見て興奮した妹を喜ばせようとそこに書かれていたやり方をやってみたというのが真相らしかった。

 

 

 そこで一つ疑問となるのは何故、小林がゴリラになったかということである。

 本来であれば、才川と同じクラスであるカンナこそが、対象となるはずだろう。しかし、彼女はその魔法の影響を受けることなく、代わりにゴリラになったのは小林であった。

 

 それはどうしてかといえば、その日の夜、カンナは普段使用しているトールと共有のベッドではなく、小林のベッドにもぐりこんでいたことにある。

 そこへサル化の魔法が飛んできたのだが、幼いとはいえドラゴンであるカンナは魔法に対する強力な抵抗がある。本当の魔法に精通した者が使用したものならばいざ知らず、何の魔力も持たない一般人の才川が、ただ本に書いてある通りの事を、それもあやふやなやり方で発動した魔法など、彼女に効力を発することは出来なかった。

 だが、そうして弾かれた魔法の余波。それが、すぐ近くにいた小林へと降りかかったというのが真相のようなのであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ともかくその()()()()()――呪いをかけた張本人の特定に成功し、どのような魔法を使ったかも判明した。そして魔法の知識など欠片もなく、ただ冗談交じりにそれをやっただけの才川には、わざわざ解呪を邪魔してやろうなどという意思もない。

 そうして無事に全ての呪いは解かれ、小林は元の眼鏡をかけた平坦な胸を持つ女性へと戻ることができた。

 才川のクラスメイトらも、同様に人へと戻った。もっとも彼らはそもそも自分たちがサルになっていたという意識自体がないため、何か異変があったことすらも気がついていないのだが。

 

 そうして最後に才川の記憶を少し修正した。

 彼女が教室についた際、その顔色が悪く、また様子がおかしい事にカンナが気がついた。そしてカンナによって保健室に連れていかれる途中で貧血を起こして意識を失い、そのまま昼まで休んでいたという形にして、一連の事態は無事、決着を見たのである。

 

 

 イルルやカンナはゴリラ小林の美しい毛並みの手触りを若干惜しんだのだが、小林に頭を撫でられることで機嫌を直した。それを見たトールが自分も撫でろと言いだし、小林はそれに応えて撫でてやったのだが、すると今度は全身を撫でてくれと全裸になったところ、裸のまま正座させられ説教されるという顛末になった。

 

 

 すべては日常に戻った。

 

 幻覚をかぶせられ、肉体はゴリラの状態であったとはいえ、裸のまま街中を歩いたことが忘れられない小林が、あの奇妙な開放感をまた味わいたいと誰もいない深夜を見計らって、全裸の上にコートを羽織っただけの姿で街を徘徊するなどという、実にペロロンチーノな展開にもならなかった。

 

 

 

 そうして平安が訪れ、誰もが寝静まったあとの夜の小林家。

 今、そこにひっそりと動く影があった。

 暗闇の中、明かりもつけずに抜き足差し足、部屋を横切り、明日にでもファフニールのところに突っ返そうとテーブルの上に置いておいた『呪いアンソロ2』を手にとるのは、白い骨の指先。

 アインズである。

 

 彼はそのやたらとでかい肩幅を縮こめるようにして、その場でしゃがみ込み、ぺらぺらとそのページをめくった。

 やがてその手が止まる。

 開かれたそのページに書いてあるのは、今回の事件の発端である、対象を術者の思う姿を変えてしまう魔法、というか呪いである。

 

 しばし、そこに書かれている内容に目を通したアインズは、その眼窩の奥に灯る赤い輝きをきらめかせた。

 

 

 アインズには一つ、悩みがあった。

 それは彼がアンデッドの肉体になっている事である。

 

 たしかにアンデッドとして保有する様々な特性――特に睡眠や食事が不要な事や疲労とも無縁の身というのは実に便利であった。

 だが、便利ではあるが、どうしてもまた味わいたいのだ。

 適度な労働の後の心地よい疲労感を。

 あの美食を口にしたときの舌先に踊る味覚を。

 暖かなベッドでぐっすりと眠る快楽を。

 

 その中でも一番は食である。

 トールの作る、豪華ではないが暖かな家庭を思わせる家庭料理の数々。そしてそれを囲む小林やカンナ、イルルとの語らい。幼くして両親を亡くしたアインズにとって、それは見ているだけで心が温かくなるようなものであった。出来うるならば、自分もその団欒(だんらん)の輪の中に入りたかった。一緒に食卓を囲み、なんでもない事を口にしては笑いさざめき、そして温かみを感じる料理に舌鼓をうちたかった。

 

 そして食といえば、向こうの世界での料理もだ。

 転移後のあの世界の料理もなかなかに興味を惹かれるものがあったのであるが、それよりなによりナザリックの料理である。

 

 アインズはナザリックの者たちの視察として、地下墳墓内のあちこちを見て回ることがたびたびあった。

 その際に最もアインズの心に残ったもの。

 それは、従業員食堂で提供されていた食事であった。

 シンプルながらも、素材の持ち味を存分に生かした料理。公害で満たされたリアル世界であれば、アインズ=鈴木悟の属していた底辺から中間層どころではない、勝ち組と言われる富裕層、それも本当の上流階級でしか味わったことのないような代物が、そこではごく普通の食事として調理され、饗されていたのだ。

 

 ナザリックに勤める多くの者がひしめき合う、そんな食堂に広がる香り。

 その匂いが鼻孔をくすぐるだけで、獣の如き食欲をかきたてられ、喉の奥から唾液が泉のごとく湧き出てくるかのような、まさに夢の逸品。

 

 

 だが――。

 だが、そんな垂涎の光景が目の前にあるというのに、アインズはそれを口にすることは叶わなかった。

 それはひとえに、アインズがアンデッドであるからに他ならない。

 

 アンデッドは種族特性として飲食不要を持つ。

 アンデッドの中でも、ヴァンパイアなど比較的人に近い種族であれば、それによる各種ボーナス効果を得ることはできなくても、食事自体は出来たりはする。

 

 だが、アインズの種族は死の支配者(オーバーロード)なのだ。

 死の支配者(エルダーリッチ)の最上位者であり、はっきり言ってその身を構成するのはただの骨だけである。

 飲食をしようにも、かろうじて噛むこと程度は出来ても、せっかくの食事を味わうどころか、口に入れれば顎の骨の間から食べ物がぼったりと落ちてしまう、まさにもったいないお化けに助走をつけて殴られそうな身体なのだ。

 そのため、アインズは眼前にごちそうがあるというのに、その香りをかぐだけで一切口にはできないという、まるでいじめのような日々を送る羽目となっていた。

 

 

 そこで『呪いアンソロ2』である。

 この本に書かれている、肉体を別個の物に変えてしまうという呪いであれば、今の自分の、この死の支配者(オーバーロード)の肉体を、一時的にでも変更出来るかもしれない。

 生身の身体になれるかもしれない。

 舌先で踊る味覚の楽しみを、またあの懐かしく優しい布団の感触を、この身で味わえるかもしれない。

 

 そう思うと、いてもたってもいられなくなってしまったのだ。

 なに、姿を変えるといってもあくまで一時的なもの。十分に味わい、堪能したのならば、また元の姿に戻ればいい。それに別にその呪いとやらはやり方さえ憶えていれば、この『呪いアンソロ2』という本自体はなくても構わないようだ。ならば、いつの日かナザリックに帰ったときにも、この呪いを使って姿を変えることは可能だろう。 

 

 だが、その為には先ず一度、実験してみることが大切だ。

 下手に、ここに書かれてある魔法を行使してみて、それで思うような結果にならなかった場合、少々というかかなり拙いことになる。

 なにせ、向こうにはこれを書いた当人であるファフニールはいないのだ。

 うっかり魔術の構成に失敗してしまって、おかしな結果となってしまった時に、こちらの世界ならばすぐ彼に相談するという手も使える。だが、一度向こうに帰ってしまってからでは、そう簡単にファフニールに連絡を取るということは出来まい。下手におかしな存在へと姿を変えてしまった後で、元に戻ろうにもどうにもならないという事にもなりかねない。

 

 そこでアインズは一度、現物が目の前にある状態で、呪いにより姿を変えてみる実験を行うことにした。さすがにちょっと気恥ずかしいので深夜、皆が寝静まるのを待ってから、こっそり変身をし、また元に戻るのを試してみることにしたのだ。

 アインズは小林家の面々には、自分は異世界で王様をやっていると語っていた。そんな自分が、生身の感覚を味わいたい、美食を楽しみたいなどという理由で人間の姿になるというのは、王としての威厳を傷つけかねない。

 日がな一日テレビとゲームばかりのぐうたら生活をしていて何をいまさらという感はあるのだが、とにかく秘密裏に試してみるのがいいだろうと考えたのである。

 

 

 パサリと目的のページを開いた状態でテーブルの上に置く。

 そこに書かれているのは術者が思い描いた姿に、術者本人の肉体を変化させるというもの。

 他にもいろいろ便利そうなものは記載されていた――例えば、今回才川らが行ったような呪いの対象となる者を本人ではなく他人にむけるものなど――のではあるが、そちらはいろいろと前準備や各種の道具が必要になるらしいため、今回の実験対象からは除外した。

 アインズの一番の目的は、自分自身が一時的に生身の身体になること。それ以外については、わざわざ手間暇かけてやる必要もない。

 

 その辺にあったスーパーのチラシの裏にきゅきゅっと青のサインペンで魔法陣を描き、いささか棒読み気味に呪文を唱える。

 

 ――なに、まったく魔法の知識のない才川らですら、一学級すべての人間に魔法をかけることが出来たのだ。ならば、もっと容易な本人に作用する魔法を自分が使えぬわけがない。

 

 

 そうしてアインズの思惑通り、魔法は発動した。

 表に書いてある赤字の安売り情報が透けて見える黄色いチラシの裏面、そこに描かれた魔法陣よりふわりと薄紫色の煙が立ち上り、あたかも意思でもあるかの如くにアインズの身体へと纏わりついてくる。やがてそれは見る見るうちに濃度を増し、アインズの白い骨の身体を、漆黒のグレート・モモンガローブを藤の花の色へと包み込んでいく。

 

 

 ――ふむ。あとはしばらくこの煙に全身をつつまれたままでいて、そしてそれが掻き消えるまで、変化したい身体を思い浮かべていればいいんだったな。

 

 アインズは自分が変化するべき姿を思い浮かべる。

 誰でもよかったのではあるが、アインズが選択したのは、彼が最も頭に思い浮かべやすい黒目黒髪の黄色人種、やや疲れた感のある男性。

 かつての鈴木悟の姿であった。

 

 

 人間、鈴木悟。

 その姿で普通の人間として日々の生活に追われ、疲労と困窮の中で暮らしていたのは、何やらはるか昔の事に思える。それほどまでに死の支配者(オーバーロード)として、ナザリックの支配者アインズ・ウール・ゴウンとしての生活が長くなってしまっていた。

 そう考えると、いつのまにやらこの死の支配者(オーバーロード)の肉体にも随分と愛着が湧いていた事に気がついた。

 

 

 ――そういえば色々なことがあったなあ……。

 

 

 この姿でナザリック地下大墳墓内を歩き、冒険者モモンとして異世界を旅し、そして一国の王にまでなった。

 まさにゲームの中のような、そんな刺激に満ち溢れた生活。

 ナザリックの皆の期待に反しないよう必死で支配者然とした振る舞いを続け、無いはずの胃が痛む日々も思い返してみると悪くはなかった。

 

 アインズの脳裏に自らの意思を持ち動きだしたナザリックのNPCたち、そしてあの世界に行ってから出会った者たちの姿が次々と浮かんでくる。

 

 ――思い返せば、あの世界との関わりはエンリとネムが最初だったんだよな。初めて会った時は、この格好にすごい怖がられたっけ。

 そういえば、そろそろエンリとンフィーレアも結婚してもいいころだよなあ。なんだかルプスレギナの報告だと、ンフィーレアは奥手すぎてエンリはその好意を友人のものと勘違いしてるみたいだけど。あんまり進展しないんなら、ちょっと手を貸した方がいいかな。となると、そういうのは誰が適任かな? アルベド、デミウルゴス……いや、止めておいた方がいいか。いきなり薬を盛るとか言いだしかねないな。それよりあの世界の住人に聞いてみる方がいいかもしれない。

 恋愛相談できそうな奴……ザリュースとクルシュ? いや、人間と蜥蜴人(リザードマン)は違うよな。男ならば強いところを見せろとか言いだすかも。でも、ンフィーレアは第二位階魔法が使えるんだっけ。それなら強さ的にも……あ、でもエンリってゴブリンたちに腕相撲で勝ったって言ってたな。魔法が使えても、やっぱり男が腕力で負けてるってのはなあ……。うーん、やっぱりモモンとしてアインザックやラケシルあたりに、知り合いの恋愛についてなんだがと相談してみるのが無難か。

 

 ――ん? そうだ。エンリとンフィーレアが結婚したとすると、ネムはどうするんだ? まさか新婚家庭で一緒に暮らすわけにもいくまい。特に別の部屋とは言え、夜に一つ屋根の下というのは拙い気がする。いや、田舎の農家だから、そういうのもありなのか?

 うーん、そっちも何か考えた方がいいか。

 いっそのこと、今度、エ・ランテルに作る学校に行かせるか。寄宿舎でも作って、そちらに住まわせるとか。

 

 ――そうだな、それと子供といえばハムスケはどうするかな? ()()()を見つけて子孫を残したいと言っていたが、同種の奴とか見つかってないしなあ。こっちの世界から普通のハムスターを連れていって巨大化させるとか出来ればいいんだけど。もしくは逆に、一時的にでもこっちに連れてくるとか? あの図体のままでは目立つだろうから、ハムスケの方を小さくするとかして。……ハムスケを見たら、カンナやイルルは喜びそうだなあ。さすがにあれを見て深みのある英知を感じさせるとか、力のある瞳とかは言わずに、可愛い可愛いって喜んでくれそうだな。

 

 ポカポカとした陽気に包まれた、よく晴れた日の河川敷。そよぐ風が足首ほどにのびた草をなびかせ、草いきれと共に頬を撫でる。そんな穏やかな空気の中、象にも匹敵するかのようなハムスケの背にまたがり、はしゃいで歓声をあげる子供たち。

 そんな情景を思い浮かべ、アインズの心がほっこりとする。

 今思えば、わりと殺伐としていたあの世界において、森の賢王とかいう御大層な名前の割にお馬鹿で「殿~、殿~」と呼んでなついていたハムスケは、アインズにとってあまり肩ひじを張る必要もない気の許せる相手だった。アインズに対して強者としての敬意を払ってはいるものの、ナザリックの者たちのようにアインズの発言、判断は絶対という明らかにいき過ぎなほどではないハムスケとのやり取りは心が楽だった。ある意味、癒しキャラであった。

 

 ――そのうち、帰ったらもう少し優しくしてやるかな。

 ……いや、今でも十分すぎるな。むしろ甘やかし過ぎだろう。魔導国を作って、モモンとして出かけることが少なくなってから、あいつは食っちゃ寝食っちゃ寝ばかりだからな。

 むしろ最近太ったか? ぶくぶくに太って走り回れなくなったら困るな。ダイエットでもさせたほうがいいか。ふむ……あいつが入るサイズの回し車でも作るかな……。

 

 

 取り留めもなく、昔の思い出から派生したあちこちに思考を飛ばし、物思いにふけっていたアインズ。

 そのため、わずかな間ながら、今自分が何をしていたかを失念してしまっていた。

 自分に纏わりついていた煙、それが不意に大きく波打ち、そして掻き消す様に薄くなっていった事に気づくのが遅れてしまった。

 

 

 ――……あ!?

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「な、何が起きた!」

 

 突然、隣の部屋から聞こえてきた物をひっくり返すような音に、目が覚めた小林はベッドから跳び起きた。

 慌てて枕元に置いていた眼鏡をかけつつ、寝室から飛び出ると、隣の部屋からトールらも顔を出す。

 

 寝起きの彼女らの目の前にあったもの。

 それは弾き飛ばされ、部屋の隅に転がる椅子やテーブル、調度品の数々。

 そして、リビングの中央にどっかと鎮座する小山のように巨大なジャンガリアンハムスターの姿であった。

 

 

「……ええっと……アインズさん?」

 

 夜間はずっとリビングにいるはずの同居人の姿が見えない事から、小林はその巨大ハムスターに声をかけてみる。

 

「え……ええっと、いやその……私、いや、それがしはア、アイスケでござるよ……」

 

 そう言って彼女らの視線から、アイスケ(自称)はその巨大にしてつぶらな瞳を逸らした。

 

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