思い付きなので設定が甘かったり、矛盾点や問題点があるかもしれません。
そのくせして長いです。後半雑になってるかもしれません。
見たい人は見てください。
暇潰しにするには少々長過ぎるかもしれません。
覚悟してる人だけ見て下さい。
あなた、覚悟して来てる人ですよね?
ならば作者は何も言いません。どうぞ本編でございます。
誤字、脱字、矛盾点、設定に対する疑問等、基本的何でも受け付けております。
ただし、意味のない暴言などはやめてください。作者が砕けます。
白い山があった。
薄い白色の用紙が群れを成し、宛も一つの巨大な山のようになりデスクの上に鎮座していた。
その山脈の中で上半身を投げ出している者がいる。
椅子に座り両手も自身の体も投げ出してデスクに突っ伏しているその頭にはバランスを崩した書類山の一つが雪崩を起こしその頭を飲み込んでいた。
やがて雪崩に飲み込まれたその者は幾重にも重なり自身を押し潰さんとする山の残骸の中で自身の最期を悟る。
今の自分の視界には一片の光も届かない。
この山の中で誰にも見つからずに一人闇の中で最期を迎えるのだと、そう思考する。
自分のような者にはお似合いの最期だと、自重するように薄く笑う。
そしてそれを最後にゆっくりと瞼を閉じた。
「さっさと起きて仕事して下さい」
その直後、閉じたはずの視界に眩しい光が挿す。
聞こえたのは女の声。
自分をこの雪崩から救助した女性を確認するためにゆっくりと目を開く。
そしてその人物を確認して溜息を一つ。
「なんだ依姫ちゃんかよ」
「なんだとはなんですか。送った書類が一向に受理されないと聞いて来てみればこの有様じゃないですか」
「一面真っ白に染まった世界、綺麗な絶景じゃないの」
「さっさと片付けて下さい」
「おいおい、お前さんはこの連なる白き山々を見てもなんの感情も湧かないのかよ。もっとじっくりとこの光景を眺めて見て御覧なさいよ」
「ええ、この光景を見ていると色々な感情が湧き過ぎて今にも溢れ出しそうです。具体的に言うならばなんで私が覚えている限り貴女が最後に仕事をしていた四日前に渡した筈の今日が締め切りの書類が未だに白紙で放置されているのか、とか何故こんなにも書類が溜まっているのか、とかそんな書類を放置して何故貴女は惰眠を貪っているのか、とか色々と、ええ、色々ですとも」
しかたない、と言わんばかりに両肩を上げて溜息を吐くそれに腰に帯びていた刀を僅かに抜刀することで答える。
キンッという鞘と刀身が離れる音を聞いて慌ててペコペコと頭を下げるそれを見て、深く深く溜息を吐くと刀を納める。
そして頭を上げたそれと今になって漸く目が合う。
全体的に黒い髪の中に幾つか混じる白い髪、そして一房だけ赤い前髪。その髪は所々外側に跳ねており、長さは肩に届く程である。
その目は一房だけある赤い髪と同じように赤色である。
そして左肩だけに黒い羽が生えている。
一瞬前まで頭を下げていたくせにこの人物には反省の色が皆無と言っていいほど見られない。
それどころか私を見詰める視線にはどこか挑発しているような雰囲気すら感じる。
しかし、どんなにイラついたとしてもこの人物を刀で切り捨てることはできない。
彼女は上司であり、同時にこの国の重役ポストに就いている存在である。
斬り掛かりでもしたら即刻打ち首待ったなし。
故に疼く右腕を理性で押さえ込み刀の代わりに左脇に挟んでいた用紙の束を彼女に突き付けた。
「どうぞ追加の書類です。期限は明日までですので早急に仕上げて下さい」
「私の機嫌次第だな。お、今の上手くなかった?」
「四点です」
「五点満点中か?歓声が湧くな」
「湧くのは歓声じゃなくて殺意です」
「うわっ、上手くねぇ」
「死に晒せ」
「お~い、敬語はどうしたこら、私お前の上司だぞ」
「無残で悲惨な死体を大衆の面前にお晒し下さい」
「それ敬語っていうか具体性が増しただけじゃないか?」
「貴女の最期には微塵も興味などないのでさっさとその溜まった仕事を消化して下さい」
「へいへ~い」
これ以上怒らせると流石に不味いと感じたのか漸く彼女は仕事を始めた。
書類の一枚を手に取ると一秒経たない内に判子を押して退ける。
右手にペンを持ち、左手に判子を持った彼女は手に取った書類を次々と捌いていく。
依姫はその光景を見ながら呆れたような視線を向ける。
彼女は極度の面倒臭がりであり、自分勝手だ。
しかし、そんな性格でありながらこの仕事を任せられるほどに彼女の手腕もまた非常識だった。
依姫はもう何度もこれと同様の光景を見てきた。
中でも過去一番驚愕したというか呆れ返ったといってもいいのが締め切り期限まで一時間という状況になってようやく仕事を始め、見事にその仕事を捌ききったことである。
そのときの仕事もまた今日と負けず劣らずの書類ビル高層群を築いていたというのにそれを全て解体したこの上司に思わずドン引きした。
ほんとにペンを全ての指の間に挟んで書類を書くとか一体何を考えてるんだろうか。というか考えたって普通できることじゃないと思う。
そう思うと改めて自分の上司は非常識な変態だと再認識できる。
「おい今絶対なんか失礼なこと考えたろ」
「口より手を動かして下さい」
「いや私喋ってないと死ぬ体質だから無理」
「それは行幸。どうぞ黙って下さい。それとも何かで塞ぎましょうか」
「依姫ちゃんの唇になら塞がれてもいいぞ」
「そんな人生の汚点になりそうなことするぐらいなら八意様の試験薬に口を付けた方がまだましです」
「え、私とのキスって命捨てるよりも危険なことなの?」
「すみません私にはまだ家族がいるんです。私は家族を残して先に逝くなどという愚かな事をしたくないので許して頂けないでしょうか」
「流石に泣くぞ、私でも」
そんな軽口の応酬の最中でも彼女の手は止まっていない。
次々と書類は処理されていき、白い山脈はその姿を消していく。
どうして普段からこれができないのだろうか。いつもこの姿を見せてくれれば少なくとも尊敬はできるのに。
彼女は基本的にこのような状況に追い込まれない限り仕事をしない。
おかげで毎度毎度書類を受け取る側は間に合うのかどうかでひやひやさせられる。
一応今までに書類が遅れたことはないらしい。だがそれでも早く書類を送って欲しいというのは皆が思うことである。
今まで色々な対策をしてきたが全て失敗に終わり、執務室から逃げられている。
最初辺りは鍵を強化するだとか見張りをつけるだとか無難な策ばかりだったのだが、全く効果が無かったため工夫を続けていった結果、椅子に縛り付けたり薬物を投与して一時的に自我を無くしたりという最早当初の目的がなんだったか忘れそうになる方法も取られた。
そしてそれでも結果は失敗に終わった。
ほんとになんなんだろこの人、何で椅子に縛り付けたと思ったら瞬きしてる間に拘束が解けてたり、薬物を使っても高笑いしながら、そんなもんが私に効くと思ったかマヌケが!、とか言って変なポーズとってたり本当に意味がわからない。
賢者と称される八意永琳様に頼んでまで作って貰った特性の薬まで克服されるし、それに対抗心を燃やした八意様まで何か色々と新薬を作っては無理矢理投与するしでもう当初の目的は完全に忘れ去られてる。
それ以前にこんな重要な地位にいるこの人に薬物投与してまで仕事させようとする上層部は一体何を考えているのだろうか。
重要書類や企画の最終決定を促す書類ばかりが送られてくるような立場なのに期限ギリギリにならないと仕事をしない彼女、しかしだからといって降格させれば彼女が捌いている仕事の大半が他の者には出来ずに結局自分達に回ってくる始末。うん、詰んでる。
「どうしたのよりちゃん。なんか目が死んでるぜ」
「いえ、今改めて自分の目の前にいる存在の面倒臭さを確認しただけです。あと何ですかよりちゃんって」
「いいあだ名だと思わねえ?」
「虫唾が走ります」
「なに依姫ちゃん私のこと嫌いなの?いつにも増して辛辣ですこと」
「ご安心を疲れていつもの調子が出ないだけです」
「それはいつもより疲れててイライラしちゃってるって意味だよね。間違っても疲れてていつも取り繕ってる部分が出ちゃいましたって意味じゃないよね?」
「あなたがそう思うのならそれでいいです」
「いっそう不安になる返答ありがとう。嬉しくて涙が出て来たぜ」
「光栄です」
「ほい、書類終わり」
「ほんっっっとに何でこんなに仕事が出来るのにこんなに残念なんですかね」
軽口を叩くその片手間に全ての書類を記入し終えた彼女は背伸びをしながら欠伸をしている。
こんなのにここまでの能力を与えた世界はやはり間違っている。
八意様も同じようなスペックを持っているがあの方は素晴らしい。
その能力に見合った実績と態度とカリスマを持ち合わせているのだから皆が尊敬している。
だがこっちは隙あらばサボる、会議中に爆睡、部下へのセクハラとこんな実力がなければ即刻クビにされているほどに態度が悪い。
なんで八意様はこんな何もかも真逆なのと仲が良いのだろうか。
「おうこら、お前もう隠す気無いだろ」
「何がですか?」
「惚けんな。その目が雄弁に私への不満を語ってたぞ。大体依姫ちゃんは私がサボってばっかとか思ってるんだろうけどな。私だって仕事してんだぜ」
「ほう、この期に及んでまさかそのような戯言が聞けるとは思いませんでした。それでは是非とも昨日までの空白の三日間に何をしてらっしゃったのかお教え願えますか?」
このサボり魔が何か信じられないことを言いやがったのでその真偽を問う。
この方が仕事をしている?ない。絶対ない。ありえない。
この方が仕事をしているなんて言ったらここの職員が発狂する。
職員全員が忙しく走り回っている中一人ソファで昼寝をしているような仕事をなめくさっているこれがどの口でこのようなことをほざいているのだろうか。
もしまともな答えが返ってこなかったら容赦せずにこの刀で細切れにする所存である。後の事なんざ知らん。
「ふっ、この三日間私は人材育成に励んでいたのさ」
「人材育成…ですか?」
「そう、依姫ちゃんよぅ。まさか私が永遠にこの仕事をやり続けられると思ってるんじゃないだろうな。そんなことは無理だ。何故ならこの世の全てにゃ終わりがある。それは私も例外じゃねえ」
「しかし貴女は――」
「分かってる。私は他の連中からすりゃ断然長生きな存在だ。きっとまだまだこの地位から降りるときなんざこないだろうよ。しかし、だ。それは永遠じゃない。何百年か何千年か何万年かは知らんが私という存在にも何時しか終わりがくる。そのときに都市の維持が私に任せっ切りでしたじゃ笑い話にもならん。だからこそ今から私がいつしかいなくなったときにそれを受け継げる者が必要なのさ」
「正直認めたくはないですが都市でも一、二を争う強大な力を持った貴女がいなくなる時などそれこそ遠い先でしょう。なのに今からそんなことする必要などないのではないですか?」
「遅過ぎるくらいさ。こんなサボり魔を未だにクビにできねえ今の状況が現状ってやつを如実に表してるじゃねえか」
そこを言われると痛い。
最低限の仕事もせずに毎日遊び呆けている彼女に上が何も言えないのは単純に彼女がほとんどの雑務や業務を受け持っているからだ。
数日間何十人もの人間が働くよりも数時間彼女一人が働く方が効率がいいとはどんな冗談だと言いたいが残念ながら冗談でも何でもなく本当に彼女一人で事足りる。
そしてさらにこの状況に拍車を掛けているのが上の連中だ。
彼等は今の状況を何の問題とも考えていない。
上層部の殆どはこの状況が変化するとは考えていない。
永遠に彼女が健在であるということを何の疑いもなく信じている。
確かに彼女という存在が消滅するとは私も考えられない。何万年も経ったとしても今と同じようにヘラヘラと過ごしている姿が容易に想像できてしまう。
しかし彼女はそれをあり得ないと断じた。
この現状が続いているという可能性を、他ならぬ彼女自身が否定した。
一体彼女はどこまでのことを考えているのだろうか。
…っていうかほんとにこの人こんなに真面目に色々考えられたんだ。
少し……いや、正直かなり意外だった。失礼だけど。
こんなに真面目に色々考えられるのならもう少し普段の仕事もちゃんとしてくれればいいのに。
はっ、もしかして普段仕事しないのもこの量の仕事を私達だけで処理できるかをためして………無いな。絶対。
「それではこの三日間具体的にどのようなことをなされていたのですか?」
「そうだな。まず最初の日は様々な職場を紹介し、そこでどのようなことが行われているかを教えたな。その次の日は会議に連れて行って実際の会議がどういうものかを見せた。次の日…っていうか昨日だな。昨日は都市の住民がどんな生活をしていてどんな営みをしているかを知って貰うために実際に一緒に行ってみたな」
「意外にしっかりと教育してるんですね」
このサボり魔とは思えない勤勉っぷりを発揮している。
そんなに自発的にアグレッシブな行動ができるのならそれをいつもの仕事にも反映させて欲しい。切実に。
最近職員たちの暗黙の常識が胃薬の常備になったのをこの人は知らないのだろうか。
しかし、そんな彼女が目を掛けているような人物はいただろうか。
二日前の会議には私も出席していたが彼女の近くにそんな人物がいたような記憶はない。
私が覚えていないだけだろうか。正直あんまりこの人のこと気にしてなかったし。
いやまあ失礼だろうけど全然会議で発言しないし、というかほとんどいつも寝てるし、気にするだけ無駄っていうのが全員の共通認識。
「ばっかお前、私の次を担うんだぞ。私より能力下の奴じゃどうしようもねえだろ。やっぱり私以上を目指せるぐらいじゃねえと張り合いが出ねえ」
「貴女より上ですか。それは確かに数千年じゃ足りませんね」
「おうよ。私より仕事ができて私より強くて私より美人で私より性格が良くて私より人に好かれる。そんな存在を私は育てたい」
「それは高望みしすぎでは?特にその中のいくつかは貴女が教育者では育つものも育ちませんよ」
「依姫ちゃんなんでそんなに辛辣なのん?もっと私に優しくしてもバチは当たりませんことよ?」
「ならもっと真面目に仕事して下さい。そしたら考えます」
「なるほど、つまり仕事すれば依姫ちゃんのおっぱいが揉めるんだな?」
「すみません寝言は死んでから言って下さい」
「え~、なんだよいいじゃん減るもんじゃあるまいし。豊姫ちゃんは揉ませてくれたぜ?」
「妄言も大概に………今なんと?」
「だから豊姫ちゃんは揉ませて…ぎゃああ!!」
よし殺す。
後釜だの事後処理だの知ったことか。
八つ裂きじゃすまさない。
粉になるまで切り刻む。
このセクハラ魔に生きてることを後悔させてやる。絶対に。
これ確定事項。
「避けるな!大人しく死ね!!」
「ぬおお!依姫ちゃん待って!ストップ!ステイ!アレだから!合意の上だからああああ!!」
「そんな言い訳が罷り通るか!!よくも姉上を汚したなあああああああ!!」
「いやあああああ!!刃物はらめええええええええええ!!」
めちゃくちゃに刀を振り回すがこのアマにかすりもしない。
飛び跳ねたり上体を逸らしてブリッジの体制になったりそのままカサカサと移動したり突き出した刀を自分の股に挟んで変な声を上げたり………途中から遊ばれてる!?
「くっそおおおお!!嘗めるなああああああ!!」
「いやーん、およしになってー」
「うがあああああああああああああああああ!!」
「きゃー、ケダモノよー」
さっきから一々癇に障ることを言っては煽ってくる。
ああムカツク!!ものすごくムカツク!!
姉上の胸に触れるなどという羨まゲホっゴフッ!!
…なにがともあれ絶対に許さない!!
姉上の雪辱は私が果たす!
「姉上の神聖な身体を汚した貴様は妹である私が成敗してくれる!!」
「へい妹ちゃん!その言い回しだと何かエロい意味に聞こえまっせ!!」
「なっ!?き、貴様ああああ!!私が姉上でいかがわしいことを想像したと言いたいのかああああ!!」
「やべっ、薮蛇だった」
その後も的確に彼女の首を狙った刃が振るわれるのだが苦も無く彼女にひょいひょいと避けられる。
せまい執務室でそんな騒ぎが行われていたのに対し、二人とも備品や書類には一切の被害を出さなかったのだからすごいのやらくだらないのやら。
そしてそんなことを続けていればいくらそこまで人の来ない部屋であったとしても人が来る。
ガチャリ、という扉の開く音を聞いて真剣白刃取りの体勢で拮抗していた二人は我に帰る。
その入って来た人物はといえば、キョトンとした顔をしたかと思えば一瞬で満面の笑みを浮かべて走り寄って来る。
「ママー!」
「サァァァァグゥゥゥゥメェェェェちゃぁぁぁぁん!!どうちたのぉぉぉぉおお!!」
「…え?あ、はあ!?」
入って来たのは少女と言えるような言えないようなという微妙な年頃の幼い女の子だった。
そしてその少女にママと呼ばれた彼女はまさに気が付いたらとしか言えないような速度で少女を抱き上げて頬ずりしていた。
この少女の名前は稀神サグメ。このふざけた変態女の娘である。
断っておくとアレとどこぞの男との間に生まれた訳ではない。
自分の能力を分割し、力を注ぎ込み、自我を確立させ創られた言わば彼女のクローンと言った方が近い。
もっともクローンと言ってもその見た目は生みの親である変態サボり魔とは似ても似つかない。
髪型は銀髪の肩に掛からない程度のショート、特徴としては母親とは逆に右肩だけに白い羽が生えている。
性格も素直でいつも笑顔、職員たちからは会う度にお菓子を貰ったりと一種の癒し要素として愛されている。
なんでアレからこんな天使が生まれたのだろう。おそらく八意様でも一生分かるまい。
「ママー、わたしまたおでかけしたい。おしごとおわった?」
「もちろん終わってるに決まってるじゃないかマイスウィートエンジェル!!さあ行こう!すぐ行こう!迷わず行こう!好きな所に連れて行ってあげるぜー!!」
「わーい!じゃあまたおいしいのたべたい!」
「オッケイ!昨日よりも美味しい物食べに行こうねぇ~」
そして産みの親である彼女もそんな娘が可愛くない訳がなく、溺愛という言葉でもまだ足りないくらいに可愛がっている。
常軌を逸した親バカ、というよりバカ親。
何よりもまず優先するのは娘。彼女にとっては娘以外の全ては二の次だ。
これでも前よりはマシになったのである。
まだサグメ様が生まれたばかりの赤ん坊の頃はもっと酷かった。
おんぶ紐で背中にサグメ様を背中に括り付けて仕事場に来たり、寝ているサグメ様を物音で起こしてしまった職員をクビにしかけたり、会議の最中にいきなり立ち上がり、サグメちゃんが泣いている!、と叫び飛び出して行ってしまったりと色々と暴走していた。
なんで防音になっている筈の会議室で離れた場所に預けられていたサグメ様の鳴き声が聞こえたのかとかそもそも大事な会議中にいきなり席を立つとは何事だとか問題だらけなのだが全てこの人だからで説明が済んでしまうしもう皆もそれで納得してしまう。
…ん?待て会議といえば二日前の会議………それに今の彼女の発言………
「…申し訳ありませんが一つ聞きたいことがあるのですがよろしいですか?」
「あん?なんだよ依姫ちゃん。私は今から天使とデートなんだけど後にしてくんない」
「いえいえ質問自体はすぐに終わります。昨日サグメ様とどこかへ行かれたのですか?」
「おぉ!昨日ならっていうか昨日もサグメちゃんと町に出掛けたぜ!羨ましかろう?」
「そうですか………昨日、町に…」
昨日町にいたかどうかの質問はどちらかというと確認みたいな意味合いが強かったがこれで私の中にある疑問はほぼ予想通りの形に結論が出そうだ。
町に行ったのは昨日、そして二日前の会議中は今思い出したが彼女はその日の会議中ずっと寝ることはせず起きていた。
といっても別に会議に参加していたわけではなくその会議にサグメ様も同伴していたため会議の内容そっちのけでサグメ様をかまっていただけだ。
さて、これで後はある一つのことを確認すれば分かることだ。
だがここでまた彼女に質問してもはぐらかされるだけだろう。
しかし、ここには純粋無垢な天使がいる。
嘘など生まれてから果たして吐いたことがあるのか分からない程素直だ。
聞けば一発だろう。
「サグメ様少し聞きたいことがあるのですがよろしいですか?」
「あん?おいおい質問は一つだって言ってたじゃねえかよ」
「ええ、だから貴女への質問ではありません。サグメ様への質問です。いいですか?」
「うん?…うん!」
「ありがとうございます。じゃあ三日前、お母さんと一緒にどこかへ出掛けたりしませんでしたか?」
「みっかまえ?うぅ~…」
「おっきなお部屋でお母さんと一緒にいっぱいの人のお話を聞いた日の前の日ですよ」
「う?うんとねぇ………ママとねぇ………なんかいっぱいうぃーんってなってるとこいった!」
「………それはもしかして機械がいっぱいあったということですか?」
「うん!」
「そうですか」
…さて、材料は揃った。
あとは目の前にいるド腐れ女を始末するのみ。
裁判なんぞする必要もなく判決有罪だ。
今すぐここで引導を渡してやる。
犯した罪はとりあえずこの世の不条理と理不尽と不幸の全てだ。
ああもうなんだか色々と面倒くさくなってきた。
それも全部このアマのせいだ。
そうだとも私のストレスが溜まり続けるのも仕事が予定通りに進まないのも今日の朝ご飯の目玉焼きに間違ってソースを掛けてしまったのもこいつのせいだ。
「ちょっとどうしたの依姫ちゃんよぅ」
「黙れ私は醤油派だ」
「なにが!?」
私のこの心の底から這い上がってくるドス黒い感情全てをこの刀に込める。
今の私になら太陽でも月でも八意様でも斬れる気がする。
………やっぱり八意様は無理だ。
ええい!私に斬れないものなど、あんまりない!
「今この場で果てろ!そしてあの世で懺悔しろ!」
「ちょおおおお!!いきなりっつうかまたかよおい!やめろこら!サグメちゃんが見てるでしょうが!!」
「罪を犯した者がどうなるかを実演で教えるだけだ!だからさっさと首を刎ねられろおおおお!!」
「本日二度目の白刃取りっ!」
「小癪な真似をっ…!」
「いきなり襲い掛かってくるとか私なんかした!?」
この期に及んで何かしたかだと?
いや、実際何かした訳じゃなく、どちらかと言えば何もしてないというか。
そもそも何もしていなかったから怒っているのだとか。
この女に期待する方が間違っていたというか。
とにかく色々と裏切られたのは間違いない。
「三日前にサグメ様と工場へ、二日前にはサグメ様と会議へ、昨日はサグメ様と町へ、ここまで言ってもまだ分かりませんか?」
「………あ!?」
指摘を受けた彼女の顔は完全に『やってしまった』と言わんばかりに青褪めていた。
正直とっくの昔に気付いていたが改めて確信した。
「貴女様は先程『人材育成に励んでいた』などということを仰っていましたが――」
「………」
「――ただサグメ様と遊んでただけじゃねえかああああああああああ!!」
「のおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ぬわぁああにが人材育成じゃああああ!
ただ三日間自分の娘と遊び呆けていただけじゃねえか!
なんか真面目なこと言い出したから珍しくまともな仕事してのかと思えば結局こんなオチかよ!!
返せ!私の感心を返せ!
いや、返さなくていいからその首を刎ねさせろ!!
許さん!初めっから許す気なんて毛頭無かったけど!
さあ、どうして
「斬殺、惨殺、滅殺、刺殺…」
「ちょっとおおおお!?依姫ちゃん!なんか口からとんでもない単語聞こえてきてるんですけど!!」
「抹殺、呪殺、殺殺殺…」
「ついに殺って単語だけになった!?ってちょっ!!なにこの力!?依姫ちゃんってこんなに力あったっけ!?」
「………」
「会話!会話しよう依姫ちゃん!!お姉さんのお話ガン無視は辛いなあ!!」
「姉…身体…汚した………」
「やぶ蛇だったああああ!!止めて依姫ちゃん!ストップ!真っ二つになる!左右で割れちゃう!!」
目の前の生ゴミがナにか喚いてイル。
五月蝿イ。止メナキャ。止メナイト。トメル。トメル。トメル。
斬、斬、斬、斬、ザン、ザン、ザン、きる、斬る、き斬る、キ斬、キキキキキキキ…
「依姫ちゃんの目から光が消えたああああ!!依姫ちゃああああん!かむばあああああああっく!!」
「キット……斬レバ…ナに…取り戻セル………」
「取り戻せない!何も取り戻せないから!むしろ取り返せなくなるから!!何で闇堕ちしかけてんのこの娘!?え、なにこれ私の所為?私こんなにこの娘のこと追い詰めてたの?」
「…部下…上司……催促…板挟ミ………アア、アアアアアアアアアア!!」
「真面目過ぎんよぉ…依姫ちゃん。上流階級の都市有数の貴族なのに中間管理職みたいな悩み抱え込んでんよこの娘。やべぇ、何かすっげえ申し訳ねえんだけどどーすっべ」
うぅ、なんなんだよぉ。どうして皆こいつへの書類の催促を私に言うんだよぉ。
上の奴等なんか『あの方へ意見出来る者など君くらいしかいないのだから早くしてくれ』とか言いやがるしさぁ。
無責任に言いやがって!私より立場上なくせに何言ってんだ!なら自分で言えばいいじゃないか!この人と話す苦労を皆知らないんだ!知らないくせに皆私に押し付けるんだ!そして結局今回も無理だったとか報告すれば白い目で見るんだ!
「ふぐぅ…ふっ……うう、うぐぅ………ひっく、ひっく…」
「な、泣いたああああ!?ちょっ、待って落ち着いて依姫ちゃ…っ!なんで力強くなってんだああああああ!!」
「ママったらよりひめおねえちゃんなかせた~。めっですよ!」
「やっべぇこのタイミングですげえ癒された!!死の呪文掛けられてる最中に最上級回復呪文掛けられた気分!!でもサグメちゃん、ここはちょっと今危ないからお部屋で待っててね。後でママが迎えに行くから」
「あい!じゃあママまたね~。ちゃんとあやまるんですよ!じゃなきゃまた、めっですからね!」
「は~い、転ばないように気をつけるんですよ。知らない人から声を掛けられても付いてっちゃ駄目ですよーっとおおおお!?」
「えぐっ…うえっ…ひっぐ……ずずず…ずび……えぇ…」
「ち、力強過ぎ…!えっと依姫ちゃん?今回の事は私が悪かったから、これからは無いように前向きに善処するから…」
「うぇぇぇぇぇえええええええん!!」
「ああ!前髪ちょっと切れたああああ!!ご、ごめんね!そうだよね!前向きに善処なんて明日から頑張るくらい信用出来ない言葉だったよね!ちゃんとする!仕事はもうサボらないから!だから泣き止んで!!」
ちゃんと………する?
「お前の言葉なんて信用できるかあああああああああああああああ!!」
「好感度が足りなかったあああああ!!?」
断言できる!こいつは必ずその内またサボる!!
最初だけだこいつが実行するのなんて!!
反省なんてしやしない!どうせまたヘラヘラ笑いながら逃げ出して私を弄ぶに決まってる!!
こいつを斬った後なんてどうでもいい!最悪姉上と八意様を頼ればどうにかなる!
というか後で切腹だろうが何だろうがしてやるから今はこいつを斬り刻ませろおおおお!!
「か、斯く成るうえは………逃げろ!!」
「あ、貴様何所へ…!」
間一髪私の刀を避けた奴はそのまま扉ではなく反対側の自分のデスクの方向へと走って行く。
そしてそのままデスクを通り過ぎると勢いそのままに後ろの景色が見えるガラスの壁へと駆け寄り………壁をぶち抜いた。
「ああああ!!き、貴様ついに器物破損までやらかしたか!!」
「うるせえ!あのままだったら死んでたんだからガラスの一枚や十枚貫いてやるさ!!あばよ依姫ちゃ~ん」
「に、逃がすかああああ!!今日こそ斬り刻んでやるぞ!!」
ガラスを破壊し空へと飛び立って逃げようとする奴を追って私も割れたガラスの穴から飛び出す。
この期に及んで私を煽るあの女に向かって、私は感情の任せるままに咆哮のような声を上げ、奴の名前を呼んだ。
この都市でも数える程の者しか名前を呼ぶことを許されていないそいつの名前を。
「
●
「これより都市内月末報告会議を始めます」
『………』
「………くかー、こふー」
その月の報告会議へと呼び出された私こと綿月依姫は十数名のそれぞれの組織の首脳とそれに順ずる人物達と共に巨大な円形の机を囲い、この都市の頂点である
皆が皆顔を引き締め、一言たりとも聞き逃すまいと耳を澄ませている。
………たった一柱を除いて。
「それではまずは穢れの進行状況から、綿月豊姫報告を」
「はっ」
だが、誰も気にしない。
当たり前だ。こんなこともう何十回と繰り返されているし、なんなら出席しているだけマシだというものだ。
というか起きていても碌なことを言わないのだから寝ていてくれた方が楽だ。
そしてその膝の上にはサグメ様が座っている。かわいい。
寝ている母親から静かにするように言われているのか両手で口を押さえて頬っぺたを膨らませている。かわいい。
あ、息を我慢できなくなって手を離した。ぷはってなった。鼻血でそう。
きょろきょろしてる。隣と目が合った。目が合った隣の男さっきまで怒ってるのかどうか分からないような顔してたくせに今は久しぶりに孫が会いに来た時のお爺ちゃんみたいな顔になってる。あっ、飴玉あげた。会議室に何持って来てるのだろうか。お礼言われてるし、羨ましい。
飴玉美味しそうに食べてる。とても幸せそう。後で私もあげよう。
それと姉上?なんで報告中なのにそんな物欲しそうな顔でサグメ様を見てるんですか。欲しいんですか飴玉。
「………以上です」
「報告ありがとう御座いました。それでは次に…」
「カリッ、ボリッ…」
飴玉溶けるまで我慢できなくて噛んじゃってる。
月詠命様の声しかしない空間でこの音はとても目立つが誰も指摘しない。
もうセイジャがサグメ様を会議室に連れてくるのもすでに恒例行事と化している。
この程度誰も何とも思わないし、むしろサグメ様の存在が一種の緩衝材のような存在になっている。
ギスギスした会議室の空気がサグメ様のくしゃみ一つでほんわかする。天使だ。
飴玉がなくなってしまったのが残念なのか包み紙を見ながらしゅんとしている。撫でたい。
さっき飴玉渡した男が懐を探っているがどうやらもう無いらしい。
そう思えば、さらにその隣の男が飴玉を渡してくる。何人飴玉持ってるんだろうか。
そんなことよりまた飴玉貰ったサグメ様めっちゃ嬉しそう。足パタパタさせながら飴玉を頬張っている。皆口元が緩んでいる。月詠命様も少しだけ、くすりと笑った。
サグメ様がいればこの世から争いは無くなるのではないだろうか。いや、無くなる。異論は認めない。反対する奴はとりあえず斬首で。
そして姉上?なんで私を見るのですか。残念ながら私は持ってませんよ。あってもあげませんがね。
「一通りの報告はこれで最後ですね。………一応聞きますが稀神セイジャ、何か報告はありますか」
「カー、スピー…」
「……………」
『……………』
「……………サグメさん」
「う?」
「貴女のお母さんは人とのお約束を平気で破る悪い人なん…」
「おうこら月詠命ぃ。何うちの娘に変なこと吹き込んでくれてんだ。あぁ?死ぬか?」
ダメ母起床。
本当にサグメ様のこととなると早い。
「こうでもしないと貴女は起きないでしょう」
「んな言い訳通じると思って…」
「ママ、おやくそくやぶっちゃだめなんだよ?」
「んぅも~う、サグメたんったらママがお約束を破るはずないでしょ?一回でもママがサグメちゃんとのお約束破ったことあった?」
「ない!」
「でしょ?」
「うん!」
声を大にして言いたい。恐らく守っている約束はサグメ様とのことだけだと。
だが悲しきかなサグメ様が一番信用し信頼しているのは母親であるこのアホ女だ。
こちらがどれだけ真実を語ったとして一時的に疑問に思いはするだろうが、最終的に母親の言うことの一切を疑うことなく信じ込むだろう。
さっき月詠命様に向かって変なこと吹き込むとか言ってたけどどう考えても教育に悪いのはセイジャの方だろう。
あいつは何かボロを出してサグメ様から嫌われればいいと思う。
サグメ様から嫌いだとか言われればそれだけであいつは死ぬ。絶対死ぬ。多分私でも死ぬ。
「はぁ…ではもう一度聞きますが、何か報告はありますか?」
「あん?……………ねえな」
「その意味有り気な沈黙の間は何ですか。あるなら言いなさい」
「いや、ねえって」
「ほら見てくださいサグメさん。貴女のお母さんは嘘を吐いて人に隠し事をするような…」
「そういえば北の見張りの関所で乱闘騒ぎがあったらしいな。まあすぐに沈下したそうだが」
「あるじゃないですか、報告すること。それも結構重要なこと」
「すぐに治まったんだから別にいいだろ」
「そういう訳にもいきません。それが起こったということ事態が問題なのです」
月詠命様の言う通りだ。これはそれが
これは少々不味い。穢れの影響が進んでいる影響だろう。
緩やかにだが増え続ける穢れが原因で起こる問題。穢れから生まれた我々に害を及ぼす人外。
いくら都市の端にある関所だとしても都市内で穢れの影響が出たということは非常に危険だ。
残された時間はもう少ない。
「セイジャ、他には?」
「あ?いや、もう本当にねえよ」
「そんな筈はありません。都市内という近場で穢れの影響を感知したならば、貴女はもっと多くのことが分かっていなければおかしい。どんな些細な事でも構いません、言いなさいセイジャ」
このセイジャという女神は普段はふざけてばかりのあんぽんたんだが、その実力は本物だ。それこそ本気で力を振るえば勝てる者が果たしてこの都にいるかさえ怪しい。
片手の指でも足りてしまう程度ではあるが引き分けることができるであろう人物ならいくらか挙げられる。
月詠命様もそうだし後は八意様も策を弄すればどうにかできるだろう。
しかし、純粋な実力もあるが何よりも恐れられているのはその権能であり能力。
稀神セイジャの権能はこの世のありとあらゆるもの全ての流れ、区分を司ること。
能力名は『この世の全てを流転させる程度の能力』。
その名の通りに全ての事柄、物、概念すらも彼女は思うままに操れる。
本人曰く、生死に関してだけは門外漢、らしい。正確にはやろうと思えば操れるらしいのだが、ものすんごい量の穢れが発生するため絶対に構いたくない、とのこと。
話が逸れたが、つまり月詠命様が言っているのは、この都市で一番穢れや悪意に対して敏感である彼女がここまで近い距離で穢れを感じて他に何も異変が起こっていないなど考えられない、ということである。
そして案の定何か感じるものがあったらしく、舌打ちしながらセイジャは口を開いた。
「北、そして東の二方面の穢れが強くなった。特に東の方は強くなっただけじゃなく活発に動き回ってやがる」
「それは…何が原因か分かりますか?」
「さてね?まあ無難に考えりゃ『例の計画』が洩れたんじゃねえの」
「………!?」
セイジャの口からさらりと流れた一言は此方からすれば衝撃的過ぎた。
『例の計画』とは、この星を捨て月へと移住するというものだった。
もはや穢れの満ちているこの星での生活は限界だと判断した上層部がトップシークレットに進められていた最重要機密。
それが何故外の穢れ共に洩れたのか。
あまり考えたくもないし、可能性としては限りなく低いとしか言いようがないがこの中に裏切り者がいるということだろうか。
どうやら私と同じ事を考えた者はそれなりにいるらしい。
何人かが鋭い目で周りを見始めた。
「…稀神セイジャ、どこからそれが洩れたのか分かりますか?」
「いや、正確には…」
「…洩れた訳じゃない」
何かを言おうとしたセイジャの言葉の後を勝手に引き継いだ者がいた。
全員がそちらを見る。
そこには手を組み、机の上に肘を置き、目を閉じて微動だにしない一人の女性がいた。
長く、光を当てれば反射するのではと思わせるほどに美麗な銀髪を三つ編みにし、所々に正座が描かれた赤と青のツートンカラーの少々目立つ服装をしたこの方こそ、都市に住む者の中には知らない者はいない程の有名人、八意永琳その人である。
そして私と姉の教師でもある。
八意様は会議には出席なさるものの発言自体は滅多にしない。別にあの馬鹿親女のセイジャと同じという訳ではない。一緒にするな。
薬師の一族たる八意家きっての天才である八意様は余程のことがない限り、自分の好きに研究をすることが認められている。
薬以外にも様々なことに見解がある八意様は常人には到底真似できない数の研究を一人でこなしている。
何か報告することがあるならば会議のときに自分から報告するため何もないときには基本発言はしない。
その八意様が発言なされたということはそれは想像以上に急を要する案件であることを示している。
誰もが緊張で体を強張らせる中、八意様の発言は続く。
「穢れにとってこの都市に住む者達は切っても切れない関係。認識している私達がいなくなれば穢れは存在できない。それ故に感じ取れた異常。謂わば本能的に何か自分達にとって何か不味いことが起きている、もしくは起きると感じ取った、そういうことでしょう?」
言い切った八意様は目を開きセイジャを見る。
目線を向けられたセイジャは机の上に足を乗せながらニヤニヤと笑っていた。
「さっすがえーちゃん。ぶらぼー、ぱーふぇくとぉう。後でちゅーしたげる」
「結構よ」
「いやん冷たい。でもそこがいい。つまりはそういうことよ。本当に計画のことが洩れてたんなら今頃は『最後の人妖大戦 ~始まった時点で人の負け~ 』がとっくの昔に始まってたに決まってんでしょ?負ければ都市終了のお知らせ。勝っても被害は甚大、計画の大幅延期で果たして戦争で疲労し切った都市がそれまで持つかも分からない。そんな泥沼みてえなことになってたんだよ」
「………では、今はどのような状況なのでしょうか?」
「そうさなぁ…とりあえずもう何かしらすると気付かれてるんだからどんなに遅くても月行きの船が飛び立つ頃にゃ必ず攻めて来るだろうな」
「では早ければ?」
「今日にでも来るだろ」
絶句した。会議室の空気が完全に凍り付いた。
誰も彼もが驚愕と焦燥を隠し切れないでいた。
表情を変えないのは言った本人と月詠命様、そして八意様ぐらいだった。
そして月詠命様は一つ溜息を吐くと再びセイジャの目を見る。
「何故このことを言わなかったのですか。貴女の話を聞く限り私達は知らない間に燃えた橋を渡っていたようじゃないですか」
「んなもん今日まで攻めて来なかったからに決まってんじゃないっすか」
「…どういうことです。早ければ今日にでも来るのでしょう?」
「そっすね。穢れ共が『やっぱ心配だしもう行こうぜ~』ってなればあっという間に八方塞がりでしょうね。でも今までそれがなかった奴等が今日いきなりそうなるとは考えづらい。そんな心配性ならさっき言った通りもうすでに手遅れだ。でもそうなってない。つまりまだ奴等は燻ってるんすよ。危機感感じて毛を逆立て、爪を立て、牙を剥いたのはいいけど表面上何も変わらないもんだからどう動けばいいのか判らない。多分直前までそのままだろ」
「ではこのまま攻めて来ないという可能性は?」
「あっ、それはない。絶対無い。いざ月に行く時になれば都市の中で住民が一斉に大移動を開始する。そんな大きな変化を毛を逆立てっぱなしの穢れ達が見逃す筈が無い。腰抜かす程の数の穢れ共が八方から都市に突撃してくるだろうな」
「そう…ですか…。対策を練らなければいけませんね」
「月行きの船の方はそのままにしときな。焦って当日になって不備が発覚じゃ笑い話にもなりゃしねえ。どうせ完成するまで動きはねえだろうしな」
この後は特に何の報告も行われず、会議の終了が言い渡された。
誰も口を開くことなく会議室から去って行った。
誰もが不安を心に抱え、そしてあのバカ親サボり魔適当神セイジャの言う予測を信じるしかなかった。
●
なるほど、確かにこれは腰を抜かす奴がいてもおかしくはないと思う。
きっと愚かにも私はどこか楽観視していたのだろう。
私はこの都市の規格外な数人を覗けば恐らく三本指に入る程の実力は持ち合わせていると考えているし、それは私の驕りではなく事実であると自他共に認めている。
穢れがどれほど強くても、どれほど多くても私はそれほど苦戦することなく勝利してきた。
だからこその油断だったのだろう。
これは…酷い。
「陣形を組み直せ!後退!早くしろ!!被害状況は!?誰でもいいから報告しろ!右翼と左翼との連絡は!?………繋がるまで続けろ!残りは私と共に体制を立て直す!」
この黒い絨毯と化した大地は一体何時になれば片付くのだろう。
山の一つ二つどころか目に入る地上は軒並み黒で埋め尽くされている。
それに加えて厄介なのが穢れ共の一体一体が比較的力が強いことだ。
私が指揮する北側は穢れの数が少ない代わりに固体の一つ一つが強力だと言われていた。
冗談じゃない。これで四方の中で一番少ないだと?ならば果たして他の方面は一体どうなっているのだろう。
特に突出して個体数が多いといわれる東方面は?考えたくもない。
「一人になるな!一対一で戦うんじゃない!必ず三人以上でかかれ!負傷者は即時撤退せよ!救助している暇などないぞ!!」
北の穢れがいくら強力だろうと数体程度ならば私の相手ではない。
しかし相手の数は目に映る範囲全ての地を埋め尽くす程である。気が遠くなる数だ。
これは私の燃料が切れるのが先か相手が全滅するのが先かの勝負であるといっても過言ではない。
他の兵士が私と同じように一人で複数体を相手取れるような強者ではないのだ。
果たして私は消耗仕切る前にこれを全滅させることができるのだろうか。
まだ余裕はある。だがそれは相手も同じ。そして戦況は圧され気味。どうにかして立て直さなければ。もしかするともしかする可能性がある。
「誰か本部に援軍の要請はできるか!?」
指示を飛ばすが正直生半可な援軍程度でどうにかできる規模ではない。
さらにはここ以上に混乱しているであろう残り三つの戦場が無事順調に作戦が進行しているとも思えない。
援軍が何時来るのかというより本部に援軍を出せるだけの人員が残っているのかすら分からない。
斬り払い、薙ぎ払い、叩き斬り、消し飛ばす。
いくら潰しても減っている様子がまるでない。
気が遠くなってくる。この有様に士気は下がりっぱなしだ。
しかしさらに悪いことはとことん嵩むものだ。
「綿月様。左翼の部隊が戦線を維持出来ずこちらまで撤退してきました。このままでは正規のルートでの撤退すら難しくなります」
「くそっ!今すぐ左翼部隊の生き残りを集めて撤退しろ。私が時間を稼ぐ」
ついに決定的なまでに戦局が悪化してきた。
これ以上出し惜しみをしていたらすぐに潰される。
ならばやるしかない。
全員が私の後ろへと下がったのを見計らって私は能力を発動する。
「祇園様!どうかお力をお貸し下さい!!」
私の能力は『神霊の依代となる程度の能力』。
この力は代償無しに八百万の神の力を私自身に宿らせ、その力を借りて使役することができるという能力だ。
神を降ろす際に行う儀式も省略して即時に神を降ろすことができるとても素晴らしい力である。
私は自身へと神を宿らせ、その力を行使する。
お借りした神力を纏った刀を地面へと突き刺す。
すると次の瞬間、地面から刃が生え、眼前へと迫っていた穢れ共を貫いた。
この祇園様の力によって手、腕、足、胴体と至るところを刃に縫い止められた穢れはどうにかして抜け出そうともがき、その度に穢れにとって猛毒ともいえる神力で創られた刃が穢れ共を傷付けていく。
しかし、破格な能力には破格な代償が付いて回るもの。神を降ろし、能力を借り受けて使役する代償を払わずに済むとしてもその能力を行使した際に能力の運用に使うのは私の霊力だ。
さらには私は今この能力を目の前の穢れだけではなく視界に入っているその全ての穢れへと発動している。
つまり黒い絨毯と比喩できるような集団その全てへと能力を使っている。
ギリギリまで引き付けたからこそできた力技。正直ゴリ押しが過ぎて私もかなり疲労してしまった。
まさにバケツを引っくり返したような勢いで霊力を使用したため刀を杖代わりにしても立っていることが出来ず、その場に膝をついてしまった。
「げほっ…はぁ…はぁ…、少々不様なのは悔しいがそれでもなんとかなったか。よし、今のうちに右翼の部隊と合流して下がるぞ!」
この光景に少しは活力が戻ったのか兵士達は互いに声を掛け合いながら、肩を貸し合いながら移動していく。
私も移動を手伝おうかを問われたがこれ以上の醜態を晒すまいと断った。
後退している最中にも連絡を試みたが結局本部にも右翼側にも繋がらず、やはり通信は困難な状態にあるらしい。
しかし、悪いことばかりではなかった。移動していると遠くから何か巨大な音が耳を刺激すると共にある物が空へと飛び立って行ったのが見えた。
それは都市の市民を乗せた船だった。
ようやく一つ目の船が飛び立ち、市民の非難が完了し始めたのだ。
一つ目が飛んだのだから残りの市民の数も減り、これからどんどん二つ三つと飛んでいくだろう。
市民の避難が完了すれば後は私達が都市内に撤退できればいいだけ、ようやく希望が見えてきた。
「は、ははははは、あっははははははは!!見ろ!船が出たぞ!ようやくだ!ようやく終わりが見えたぞ!」
思わず誰かが叫べば他の兵士も続いて歓声を上げ始めた。中には泣き出す者もいる。
しかしまだだ。まだ終わりが見えただけであって終わった訳ではない。
希望が見えて歓喜の声を上げる者達に厳しい事を言わなければならないのは少々気が引けるが「喜ぶのはまだ早い」と回りを戒める。
そして今一度緊張した雰囲気を取り戻せば、目を背けていた現実を直視することとなる。
それすなわち右翼部隊のことだ。通信を繰り返し、何度も呼び掛けを行ったが応答が一切返ってくる気配がない。
一斉に皆が表情を暗くして顔を俯かせる。誰もが想像してしかし否定しようとした可能性。即ち全滅。
右翼部隊は通信に出る余裕がないわけではなく、もう通信することが不可能な状況に陥ったと考えるのが普通だった。
それでも落ち込んでいる暇などない。
あと少しで全てが片付くのだ。ここで士気を落とし、失敗などする訳にはいかないのだ。
「森の中を突っ切る!集団から離れるな!」
少なくとも北はもう大丈夫だろう。
祇園様の刃はそう簡単に壊れも消えもしない。
一旦都市内へと下がり、本部に向かい次の指示を仰ごう。
私達のところが抑えられたとしてもまだ他の所がどうなっているかわからない。
少々見通しが悪いが最短ルートである森の中を通るしかない。
木の幹に手をつき、時々誰かが根に躓きながらも進んで行く。
辺りを見回して警戒を怠る事はしないが、この森自体初めて入ったので土地勘がない。そこに疲労も重なり、前に進んでいるのかどうかも曖昧になってくる。
全身に感じる倦怠感を表に出さないよう顔を引き締めながら歩き続けていると後ろから声が掛かる。
「綿月様少々様子がおかしいです」
「私は平気だが?」
「あぁ、いえ、そういうわけではなく。足元をご覧下さい」
びっくりした。まさか疲れているのが気付かれたのかと思った。
少し速まった動悸を抑えながら足元を見る。
「これは…」
「はい、我々の足跡です」
ここは舗装された地面がある都市ではなく森なのだから足跡が付くのは当然なのだが、その付いている位置が変だった。
何故か私達の行き先にも足跡が付いているのだ。
「恐らく先程からずっと同じ箇所を回り続けているのだと思います。人数に対して足跡の数も多いのでもう何度か繰り返し同じ所を通り過ぎています」
「撤退ルートから外れていたということか?」
「一応地図を見た限りでは問題ないと判断したのですが、どうやら気付かない間に間違えてしまったのではないかと」
「はぁ…、なんということだ。こんなときに遭難するとは運が無い」
「申し訳有りません」
「いや、いい。そもそもこんな場所を通ろうと指示したのは私だ。少なくともお前達だけの責任ではない」
「とりあえず先に進みながらルートを修正していきます」
「ああ、急いでやってくれ、ただし焦るなよ。これ以上間違えて時間を無駄にするわけにはいかん」
「はっ、失礼します!」
なんということだ。ただでさえ時間がほとんどないというのにこのミス。
時間が多少掛かったとしても別のルートで行くべきだったか。
いや、後悔は後でいい。今はこの事態をどうするかに思考を向けなければ。
先程よりもいくらか速度を落とし、地図とすり合わせながら歩く。
所々で立ち止まり、兵士達が数人で地図を見ながら指し示した通りの方向へと進路を向ける。
しかし、しばらく進んだところで何となく見覚えがあるような光景がある場所へと辿り着く。
「おい、また戻っていないか?」
「ど、どうやらそのようです。しかしそれにしたっておかしい。もし間違っていたとしても元の場所へと戻って来るようなルートは通っていない筈です。いくら木が多く生えていて見晴らしが悪いからといってこれは明らかに異常です」
彼の言うことにも何となく同意できる。
特に錯覚を起こすような地形ではない筈なのに同じ場所をグルグルと回り続けているこの現象はどうにもきな臭い。
「全員辺りを警戒せよ。異常事態だ」
疲れた体に鞭を打ち、刀を構える。
他の兵士達もそれぞれ武器を構え始めた。
音はしない。気配も感じない。聞こえるのは自分と他の兵士の息遣いのみ。
代わり映えのしない風景に気が遠くなってくる。
と、後ろから声、否、絶叫が聞こえた。
「ぐぁぁぁぁ!!」
「何事だ!?」
「穢れ共の術式です!綿月様!」
遠距離から放たれた炎を模した術式が兵士の一人を焼いた。
そして神経を尖らせていた他の兵士達はその方向を思わず振り返った。振り返ってしまった。
「…っ!!罠だ!前から顔を外すな!!」
「はっ!…ぐがっ!」
「しまっ…!…ごはっ!」
正面から顔を逸らしてしまった兵士達へと森の影に潜んでいた穢れが襲い掛かる。
別の方向へと意識を奪われていた兵士達はその隙を突かれ、次々と陣形を崩していく。
このままでは陣形の内側に入られる!それは阻止せねば!
「前から顔を逸らすな!そのまま後ろに下がり陣形を組み直せ!」
私の声に素早く反応した兵士達はすぐさま後退し改めて陣形を組み直す。
しかし、先程よりも縮小してしまった陣形は簡単に穢れの大群に囲まれてしまった。
これは不味い。気が遠くなる程の穢れの数にものを言わせた正面突撃に私は穢れが策を弄してくるという可能性をすっかり忘れていた。
恐らく私が足止めをしたあの大量の穢れは囮のような役割だったのだろう。
正直囮などという表現で済ませていいものではないが穢れ共の考えはその大軍に気を取られている隙にある程度の数が別働隊として都市に侵入するというものだったのだろう。
そして右翼の部隊を潰したのも恐らくこいつらだろう。
右翼の部隊を全滅させ、都市に向かっている途中に疲労困憊の状態で都市へと退いて行く私達を見つけ、こちらも潰す事に決めた。おおよそこんなところだろう。
状況はそうとう不利な方へと傾いている。
せめて力の五分の一でも残っていればそこまで苦戦することなく全滅させることができただろうし、十分の一でも残っていれば負けはしなかっただろう。
しかし、今の私は能力の過剰使用により霊力がすっからかんだ。足止めも儘なら無い。
多勢に無勢だ。
「綿月様、これでは…」
「この穢れの集団の規模はどの位か分かるか?」
「おそらくは十倍以上です」
「どこか囲いが薄い場所はないか?」
「ないでしょう。あったとしてもこの人数ではとても…」
「では指揮官に当たる穢れは見えないか?私達を囲んでいる穢れは知性などない下級の穢れだ。どこかに指示を出している者がいるはずだ」
「索敵に秀でた物がまだ何人か残っています。急ぎ探させます」
「早くしろ、但し焦るなよ。奴等に気取られたら終わりだ」
さて、指揮官が馬鹿か、もしくは極度の臆病者であることを祈ろうか。
必要以上に前に出ているのなら最後の霊力を搾り出してそこまで一足飛びに飛び込み、切り捨ててやれば指令塔を失ったこいつ等は烏合の衆と化す。
逆に必要以上に後ろに下がっている臆病物ならば気付かれないように私一人で隠密に近付き、暗殺すればいい。
考えを巡らしている間に索敵が終わったらしく兵士が近付いてきた。
「結果は?」
「敵集団の中間辺りに一際大きな力が感じられました」
「最後の望みも潰えたか…」
これで私達に出来る事は無くなった。
後はこうして膠着状態を維持して先程送った救援要請が本部に受理されるのを待つだけだ。
もっとも、可能性は無いに等しいがな。
「どうされますか?何か他に作戦は?」
「無いな。生き残れる可能性としてはこのままの状態を維持して救援を待つぐらいか」
「しかしそれは…」
「言うな。私だって分かっている。だが、他に方法が無いのだ」
「……はい」
はっきりと言ってしまうと、何時襲い掛かられても私達が勝てる可能性はゼロだ。
なら何故襲い掛からないかと言えばこちらを全滅させたとしても出る被害が大き過ぎるからだ。
陣形を保っている限り一人に襲いかかれる穢れの数はどうしても制限される。
下級の穢れなど私は霊力に頼らずとも剣技だけでいくらでも対処できる。
四方八方から同時にとなればその限りではないが、陣形を保っていれば私に襲いかかれる穢れの数もそう多くはない。
つまりは私を物量で圧殺できるまでに出る被害が割に合わないのだ。
こいつ等の本来の目的は都市への侵入だ。
私を殺すのに大きな被害を出す訳にはいかないのだろう。
だからこそこの膠着状態は成立している。
しかし、こんな極度の疲労と緊張状態でいつまで陣形が保てるか分からない。
様々なことを思考したとしても今私ができることはただ只管前を睨み付けることのみ。
だが、この拮抗は私が思ったよりも早くに崩れる事となった。
「………っ!」
それは誰だったか。
きっかけは音だった。大地を揺らすような重低音が響いたのだ。
その音の正体は知っていた。
つい先程も聞いたばかりの、私達にとっては救いの音だった。
しかし、この瞬間においてそれは私達を奈落へと叩き落す音となった。
それは月を目指す船の動力から噴射口より出された推進力の音だった。
その音が辺りに響いた瞬間、一人、いや、もしかしたらもう何人かはいたのかもしれない。それを確認する余裕などなかったから分からんが。
一体どのような感情をその視線に込めたのかは解らない。
それでも見てしまったのだ。自分達よりも先に安全な
「馬鹿野朗!前を見……がああっ!!」
最初に崩れたのは船を見た兵士の隣にいた兵士だった。
この陣形は穢れが一匹でも陣形内に侵入されれば終わりだった。
故にこの少数では一人でも穴が空けばもう終わりだった。
内部に入られればもう兵士達は前の敵だけに集中することは出来ない。
針の刺された風船の如くこの陣形は破壊されるだろう。
あぁ、ダメだ。これは私死ぬな。
あぁ、死ぬのか?ここで?私が?
あぁ、それは、嫌だ。悔しい。悲しい。……………………………怖い。
後ろに気を取られ、隙だらけとなった兵士達と私に容赦なく穢れ共が襲い掛かろうと飛び上がり………
………飛び上がり?
「へーい、よりちゃん元気ー。ってか生きてる?生存してる?」
………あぁ、この声は。
畜生。なんて場に合わない能天気な声。
ムカつく。今すぐあの空に浮かぶニヤついたツラをぶん殴ってやりたい。
ムカつく。もっと早く来てくれたっていいだろうと少なくとも小一時間は文句を言いたい。
ムカつく。あの何度も煮え湯を飲まされてきたにやけ顔に安心している自分に。
「おー、生きてた生きてた。何よ随分と元気そうじゃない。その格好どうしたの?イメチェン?」
「ただボサボサになっただけの髪と泥が付いただけの服がファッションの一環に見えるのなら脳外科を紹介しますが?」
「え?眼科じゃないのそこ?脳取り替えろってかこんにゃろー」
「驚きました。まさか私が言う前に理解してしまわれるとは」
「おう、ちょっと表出ろや」
「は?表ってどこですか?よもやセイジャ様にはここが屋内に見えると?精神科へどうぞ」
「ひどくね?せっかく格好良く助けに来たのにこの塩対応。ここは普通『セイジャ様素敵抱いて!』ってなるとこじゃね?」
「寝言は死んでからどうぞ」
「できたらバケモノじゃねえか」
先程まで死ぬ直前だった人間がする会話とは思えない応酬が繰り広げられている。
私だってさっきまでこんな会話ができるような精神状態ではなかった。
こいつだ。セイジャが全てを掻っ攫ってしまった。
その所為というかそのおかげというかは分からんが私は今こんな気の抜ける会話をセイジャと交わしている。
「ったく、こんな元気なら助けなんか要らなかったんじゃねえの?」
「ふんっ、当たり前だ。私一人だろうがどうにかなったな」
「………そうかい」
そんな訳ないだろう。神であるお前なら空からだろうが見えていた筈だろう。
お前を見上げていた時の自分がどんな情けない顔をしていたか位把握している。
きっと私は迷子になった童が親を見つけたときのような泣き笑い一歩手前のような阿呆な面を晒していたのだろう。
いつものお前ならゲラゲラ笑いながら指摘するんだろう。
なのに『そうかい』だと?気を遣われているのがはっきりと分かる。
………っていうかこいつが気を使ったのなんか初めてじゃないか?
「後は依姫ちゃんのところだけだぜ。他はもう都市内に退避済みだ」
「住民の避難は?」
「粗方終わってるよ。次は兵士の皆様の番でごぜーます」
「了解した。……ところでアレはあのままか?」
「あっ、忘れてた」
私が指を指すとセイジャは恰も今気付いたかのように目を丸くした。白々しい。
私の指の先には私達に襲い掛かろうと跳び上がり、セイジャの力によってそのまま飛び上がり続け、空中で身動きの取れなくなった穢れ達がいた。
決して少なくない数の穢れを空中に固定しているのに本当に忘れてしまっていれば全て地面に落ちてきているだろう。
そしてセイジャは『ほいっ』と紙くずでも捨てるかのような気の無い掛け声と共に人差し指を上から下へと振った。
次の瞬間空中にいた穢れの全てが消え去った。
否、消えたのではない。私がそれを理解したのはすぐだった。
まるで地震でも起きたかのように地面が揺れたのだ。
そこで分かった。消えたのではなく、目に見えない程の速さで地面へと落下したのだと。
周りを見渡せば、地面に叩き付けられた穢れ達は各々の中身をぶちまけて森の緑を赤く染めていた。
「さっ、帰りましょー」
「もう少しマシな処理の仕方はなかったのか?」
「え?空中で花火にした方が良かった?」
「やめろ。文字通り血の雨が降るわ」
●
「ただいま~」
「都市北部迎撃部隊長綿月依姫、帰還しました」
結局あの後も何とも締まりのない会話を道中続けながら帰路を急いだ。
途中の会話で話題になったが、月詠命様の結界はちゃんと発動し、今は都市全体を覆っているらしい。
下手な穢れでは触れることさえもできない強力な結界だ。
生き残っている人間は全員退避し終えたのでとりあえずは安心していいのだろう。
セイジャの気の抜けた挨拶に私の正式な筈の報告が逆に場違いに感じてしまうのはなんとも腹立たしい。
安全な場所へと来れた安堵からか少し張っていた気が緩んだ私の心はそんなセイジャの態度という些細な物事に対しても苛立ちを覚えてしまった。
また益体も無い応酬を繰り返そうと私が口を開き……そのまま再び私は情けのない顔を晒す事となった。
「これで全員だと…?」
本部の待機場所へと戻った私が見たのはその広い空間に対してあまりにも少ない人間達だった。
それこそ百人いるかすらわからない。
作戦開始直後には暖房器具もないのにホールの気温が上り、蒸し暑くて堪らなくなるほどの人数がここにいたというのにだ。
軍には正確な人数は分からないが万を越える人間がいたと記憶している。
「セイジャ、これは余りにも…」
「三桁いただけ良しとしろ、事前にりんりんとツッキーが予想していたよりかは幾分かはマシなんだこれでもな」
「これで……まだ良い方…」
「あれ、呼び方の方に対するツッコミはなし?………無視ですかそうですか」
セイジャが何か言った後に膝をついて四つん這いになり落ち込んでいたが、私の意識に入ってくることはなかった。
いや、覚悟はしていたのだ。今回の戦争によって多くの者が命を落とすであろうことは容易に想像がついた。戦争が始まる前に一つの場所へと集まった軍人達を見て一体何人がもう一度ここに立つのだろうと、そんな不謹慎なことも考えた。
しかし、そうやっていくら考えていても現実でこうして直面すると想像通りだとすんなり納得することなど到底出来なかった。
結局私は本当の戦争というものを知らない小娘に過ぎなかった。
無残な死体がある訳でもないのに吐き気が込み上げてくる。安全なことが保障されている場所である筈なのに恐怖で膝が震える。
私はこの日初めて本当の意味で知ったのだ。
「…無理すんな。こういう時は何も考えない方がいい。全部感情のままに吐き出しちまえ」
声と共に私の目の前に桶と袋が差し出される。
どうやら気が付かない内に膝を着いてしまっていたらしい。
声の主の顔を見上げればセイジャがへらりと笑っていた。
だが、その笑みは、どうしても笑っているようには見えなくて、苦しんでいるような、悲しんでいるような、ああ、だめだ、それは。
またか、また私はセイジャなんかに気を遣わせたのか。
何をやっているんだ私は。これ以上セイジャなんかに哀れまれてたまるか。さあ立て。そして言ってやるんだ。お前らしくもないことはやめろ、と。
膝が震えているからなんだ。身体を酷使して限界まで疲労しようと立ち上がっただろう。それが今更恐怖の一つや二つでなんだ。そんな情けないことがあってたまるか。
さあ、立て!見ろ!言え!
「お――」
私は…!私は……!!
「――…おぇぇぇぇええええええええ!!」
……………
「げほっ!ごぼっ!ぶぇ、げぇぇぇえええええ…」
「…………………………」
…ちくしょう
……ちくしょう
………ちくしょう
「そう、それでいいんだ依姫」
やめろ!そんな声で語りかけるな!
そんなに近くに寄るな!背中を擦るな!飛び散ったのがお前の服に付くだろうが!
くそっ!なんで止まらない!なんで、なんで、どうして…!!
「けほっ、えほっ………ちくしょう」
私はこんなにも弱かったのか。
こんなことで竦み上がって動けなくなる程私は弱虫だったのか。
普段争いばかりしている奴から慰められる程私は泣き虫だったのか。
なんて、情けない。
「いいじゃねえか。情けなくたって」
「………え?」
「こんな酷ぇこと知っても平然としているような奴なんかより、よっぽど生き物らしいじゃねえか」
「…セイジャ」
「だから忘れんな。その弱さも。その涙も。情けない自分自身を」
そう言って立ち上がり、残った人間達を眺めるセイジャの顔を見ることは、私にはできなかった。
●
残った軍人達が乗る最後の箱舟の中で、万全を期すために最終メンテナンスが行われていた。
主導は月詠命。本来なら永琳が適任なのだが、永琳は万が一があっては月に移住した後の発展に多大な問題が発生するとして一つ前の舟で既に月へと旅立っている。
「舟の動力源に問題はあるか!出力口への供給路に洩れは!」
「動力源異常ありません!」
「出力口、及び供給路共に異常無しです!」
「搭乗員の状況はどうなっている!」
「ほぼ乗り終わっています!点検終了後すぐに飛び発てます!」
「よし!自分の持ち場を終えた者は発射時のショックに備えよ!」
至る所に指示が飛び、様々な所から返答が聞こえてくる。
元からミスが許されない作業な上、さらに自分達のトップである月詠命直々に指示を下しているのである。
作業員は色々と気が気でない。
作業が終わって席についている者も月詠命の手前、背筋がピッシリと伸びている。
そんな張り詰め過ぎて破裂するのではと心配になる空気の場へなんとものんびりとした声が入り込む。
「よぉう、ツッキー元気?」
「貴女ですかセイジャ。何か用でも?あと、なんですかツッキーって」
「何、ちょいとお願い事がね。ツッキーはさっき拾って貰えなかった八つ当たりだ。気にするな」
「まったく、こんな時になっても貴女は………それでお願いとは?」
「サグメを頼む」
その瞬間、纏う雰囲気が激変する。
それはいつもサボり魔だの親バカ神だの言われているセイジャすらもだった。
互いの顔に表情は無い。
「それはどういう意図の発言で?」
「私は死ぬ。代わりにサグメを立派に育ててくれ」
「………はぁ、明言を避けようと遠回しにしたのに貴女という
「この作戦が立案されてから決めてあったことだ。今更遠回しに言う必要はねえだろうがよ」
「私は最後まで反対していたのをお忘れですか?」
「忘れる訳ねえじゃん。初めてつくたんがデレた瞬間だぜ?」
そこで月詠命が溜息を一つ。
それを歯を見せながらニシシと笑うセイジャ。
しかし、そこから二人の口から言葉が発せられることはない。
暫くの間、周りの喧騒が二人を包む。
二人の沈黙を破ったのはその当事者二人のどちらでもなかった。
不意に再び後ろの扉が開く音がする。
「ママ?」
その場には相応しくない幼い容貌が姿を表す。
セイジャの愛娘であるサグメである。
不安を顔に貼り付けながら部屋へと入って来たサグメは自分の母親の姿に安堵の笑みを浮かべる。
そのまま駆け寄ってきたサグメをセイジャは優しく抱き上げる。
「まだその子をこの場所に残していたのですか。貴女程の子煩悩がこんな危険な場所に長い間留めておくとは、少し驚きました」
「最後にやることがあるからな」
「家族としての触れ合いですか?」
「それもあるが、それじゃない」
そういうとセイジャはサグメを抱き締める。
胸に顔を押し付けられたサグメは少し身動ぎをしたが、すぐに大人しくなり、その状態を受け入れた。
サグメの背中を一定のリズムで優しく叩きながらセイジャはサグメに語りかける。
「サグメちゃん。よく聞きなさい」
「んぅ?」
「月詠命様や八意様、豊姫のお姉ちゃんと依姫のお姉ちゃんは解るね?」
「うん!」
「その人たちの言う事をちゃんと聴きなさい」
「はい!つくおみさまがいちばんえらいんだよ!わたししってるよ!」
「そうだね。それと好き嫌いせずにちゃんとご飯を食べなさい」
「んむぅ、おやさいたべなきゃダメ?」
「頑張って食べなさい。大きくなれないぞ。後、寝る前にはちゃんとトイレに行くこと」
「だいじょうぶだもん!まいにちいってる!」
「うん、えらいえらい。………色んな者を見なさい、色んな事を知りなさい、色んな世界を学びなさい」
「え?う、む、ぅん?ママ?」
「健康に育ちなさい。貴方が考えたことを大事にしなさい。自分で思ったことをきちんと言葉にしなさい」
「あ…ん………ま…ま……」
「さようなら私の愛しい子。どうか幸せに」
セイジャの言葉を最後にサグメの意識は完全に落ちる。
その様子を見ていた月詠命は目を見開いている。
「…今度こそ本当に驚きました。セイジャ、まさか貴女がそんなことをするとは思いませんでした」
「私だって本当はやりたくなんてなかったさ。でも、この子には必要なことだ」
「正直に言うなら正気の沙汰ではありませんよ。………自分の神力を全て注ぎ込むなど」
神力とは文字通り神のみが持つ、神を神たらしめる力の総称である。
信仰されればされるほどにその力は強まる。それに伴い権能の幅も広がる。
だが、その神力はその神だけの力である。
血液や臓器のように分け与えることなど本来はできないのである。
しかしセイジャは無茶を承知でそれを行った。実の娘にである。
さらに言うならばサグメはまだ幼く、力を受け止めきれるような器を持っていなかった。
無理矢理注がれた神力がサグメの体内から溢れ、その翼に影響が表れる。
サグメの身体に収まりきらなかった神力が翼へと流れ、その大きさをサグメの全長の倍以上へと膨張させる。
そしてその逆にセイジャの翼はサグメの翼の羽毛一本分よりも小さくなっていた。
「たとえ半同一存在であろうと別々へと分かれたものは決して完全な同一ではありません。確実に貴女の能力は歪な形でその子へと受け継がれるでしょう」
「大丈夫だ。サグメは強い子だ。こんな能力なんざなくたって私以上にうまくやるさ」
そう言いながらセイジャはサグメの頭をゆっくりと撫でる。
自分の体の中を膨大な量の神力が駆け巡っていることで苦しくてしかたない筈なのにそれでも母親に撫でられただけでその頬を緩め、安心し切った顔で眠る幼子に月詠命は何とも言えずに、溜息を吐く。
このサグメという子の心の依り所となっていたセイジャは今日いなくなる。
これから先、いきなり一人で歩まなければならなくなったサグメに月詠命は同情を禁じ得なかった。
「いいでしょう。貴女がそこまでするのであれば、私も全力でその子を導くと誓いましょう」
「ああ、助かるよ」
「それで、たったそれだけ残った神力で貴女は最後の任務をやり遂げられるのですか?」
「なぁに、補充できる力ならいくらでも転がってるだろ?」
「…っ!貴女はどれだけ無茶をすれば気が済むのですか!?神の身に穢れを取り込むなど、それがどれだけの苦痛を伴うか解っているのですか!?」
「どうせ死ぬんだから最期くらい今までできなかったこと色々したいじゃん?」
「馬鹿ですか!?いえ、馬鹿です貴女は!!貴女ほど愚かな神はこれまで見たことありません!!そのまま邪神にでもなればいいのです!!」
「稀神セイジャから邪神セイジャ?邪要素多過ぎない?」
「私は怒っているのですよ!?貴女はいつも――」
「――箱舟準備完了しました!いつでも発てます!」
作業員の声に月詠命は一瞬気を取られる。
そしてその一瞬の隙にセイジャは出て行ってしまった。
あまりにも唐突であったために月詠命は反応できず、気付いた時には既にセイジャは扉の先だった。
何か声を発する前に扉は閉まってしまう。
思わず伸ばしてしまった手を胸へと持っていき、爪が食い込むほどに握り締める。
「結局最後まで貴女に振り回されっぱなしでしたか」
自分がもう彼女にしてやれることはない。自分がやらなければならないことはただ一つ。
「カウント開始!発射と同時にこの結界を解除する!!」
●
「おぉう、なんじゃこりゃ。気持ち悪ぃ」
箱舟が飛び立つまで後秒読みという時にセイジャは一人外にいた。
セイジャは月詠命の張った結界の傍へと近寄ると、顔を顰める。
結界の外には隙間が見当たらない程に穢れ達が結界へと張り付いていた。
結界を破ろうと長い時間張り付き続けていたのであろうことは今張り付いている奴等に踏み躙られている死体の量からも容易に想像できた。
それでも月詠命の結界はまったく破られる気配がない。
だが、その強力無比な結界はそのまま箱舟が飛び立つための最後の壁となっていた。
この結界にそのまま箱舟が突っ込めば恐らく破壊されるのは箱舟の方であるというのは作戦立案初期から予想されていたことだ。
ならば結界を解けばいいのか。それも否である。
理由は言わずもがな。この夥しい数の穢れ共である。
穢れの中には空を飛ぶ能力を持っている者もいる。ある程度の能力の高さがあればたとえ飛び立つ寸前に結界を解除したとしても箱舟に簡単に追い付けてしまう者もいる。
この問題をどうするかについての議論は長引くかと思われた。
しかし、その問題はセイジャの一言で終わった。
『残って囮をやる奴がいればいい』
『その適任は私だ』
当然多くの反対意見や問題点が挙げられたが、それは全てセイジャ程の力があれば解決できるといってしまえばそれまでだった。
セイジャの後釜はどうするか、ということも問題点に挙げられたが、月に穢れが存在しないことによって自身の職務の大半は必ずしも必要という訳ではなくなる、というセイジャの意見に沈められた。
「うっへぇ、こいつなんか後ろから押されて顔面から行ってんじゃねえか。変顔じゃねえんだから笑わせんなよ」
そうして全ての意見を半ば強引に認めさせたセイジャは今都市に一人残っている。
結界に張り付いた穢れを見て回りながら感想を述べるその姿はとても死ぬことが確定している者には見えない。
セイジャがケラケラ笑いながら穢れを眺めていると、その懐から小さな電子音が鳴る。
その音の元である機械を取り出すとセイジャはそれを耳に当てる。
《セイジャ、後十秒で箱舟は発ちます》
「へいへい了解ですよーっと」
《………っ》
「おっと落としちゃった」
棒読みの言葉と共にセイジャは通信機から手を離す。
重力に従ったそれはそのまま地面に落下し、甲高い音を立てて床に転がる。
そしてその通信機から何か声が聞こえる前に自身の足で粉々に粉砕した。
「…誰が謝らせるかよ。ボケ。必要ねえ責任感じてんじゃねえよ」
通信機を踏み躙りながら誰に聴かせるでもなく呟く。
セイジャ自身その時の自分が何を考えていたのか。その答えを出す前に鼓膜を打ち破らんとするかのような音が響く。
その音の正体を目で確かめるまでもなく、セイジャは静かに両手を上げる。
そしてそれと同時に、まるで最初から無かったかのように結界は消えた。
突然に消えた己を遮る壁が無くなったことに僅かばかりの困惑を表した穢れ達は、その次の瞬間にはどうでもいいとばかりに突撃を開始する。
穢れの群れが目指すは箱舟。
翼をはためかせ箱舟に追い付かんとし、足に有らん限りの力を込めて飛び立つ前に箱舟に辿り着こうとし、自らの穢れとしての力を体外へと射出することで箱舟を打ち落とさんとし、多くの穢れが様々な方法で箱舟を止めようとして――
流転『響天叫地』
――その全てが同時に地面と同化した。
「馬鹿が、あれにゃ愛娘が乗ってんだぞ。やらせるわけねぇだろ」
空にいた者も地にいた者も例外なく肉塊と化したその真ん中で一人だけ、腕を振り下ろした体勢でセイジャは立っていた。
しかし、その姿にもういつものような余裕は見受けられない。
額から大粒の汗を大量に流し、全力で疾走した後の様に荒い息遣いを繰り返す。
「はっ…はっ………おいおい……膝さんよ………何か…いい………ことでも……あったのか?大笑い……じゃ…ねぇの」
ガクガクと震えている膝に手を付き息も絶え絶えの状態でそれでも軽口を言うセイジャだが、明らかに無茶をしている。
ほんの僅かに残った神力を過剰に行使した結果だった。
そして今の能力の行使でその残りカスもなくなり、セイジャの神力は全くのゼロとなった。
それは自分が神であることを否定するのと同義であった。
神の身でありながら神力をその身から全て喪失したセイジャの存在が希薄となっていく。
しかし、セイジャはその絶望的状況でも笑みを絶やさない。
「今私は神でありながら神力が無い。全くのゼロ。つまり私は神ではない。ならばやれる。少なくともこのまま何もしないよりは断然いい。ならやるべきだ」
セイジャは自分に言い聞かせるようにブツブツと呟く。
そして深呼吸を何回か繰り返すとセイジャの体に再び実体が表れ始め、呼吸も少しずつ落ち着いていき…
…次の瞬間、血を吐いた。
「がふっげぼっ………あぁ、ちくしょう。言う程簡単じゃねえな穢れを取り込むってのも」
まだ箱舟は手が届く範囲である。穢れ達を食い止め続ける必要がある。
ならまだ自分が倒れる訳にはいかない。
セイジャは自分を立たせるために毒を血の代わりとした。
穢れによって無理矢理に身を動かせるまでに戻した所為で顔、腕、足、胴に深い皹が入る。
血液全てが逆流を始めたような激痛が体を蝕むが、それでもセイジャは笑いながら身体を起こし、前を向く。
「だが、私は稀神セイジャだ。自分でやったことで自爆なんて無様晒せるか。身体ん中全てが劇毒?だからどうした。それが今この場で倒れ込んで痛がって泣く理由になるかよ」
前にはまだまだ一割も減っていない穢れの大群。
セイジャなど目もくれず、ただひたすら箱舟を目指す。
そうして自分を飛び越えて行く穢れにもう一度セイジャは手を空目掛けて突き上げる。
「私を………無視してんじゃねぇぇぇぇえええええええええ!!」
反転『狂天凶地』
そうして再び空へといた穢れは全て地に落ち、地面に赤い花を咲かせる。
そしてその逆に地にいたはずの穢れは入れ替わりに空へとその身を躍らせ、その後すぐに空にいた穢れと同じ末路を辿った。
「はっはぁあ!ざまぁ!私みてぇなイイ女を無視するからだ!」
血を撒き散らしながらもセイジャは腹の底から声を出して笑う。
そこで漸く穢れ達は目の前の存在を消さなければ自分達は箱舟へと辿り着けないことを悟る。
全ての穢れ達の殺意がセイジャへと向く。
「くはっ!そうだよ。それでいいんだよ。せっかくこんな美女が誘ってんだから乗らなきゃ失礼だろう?」
そう言いながらセイジャは片手を前に出し、手の平が上になるように広げ、何度か親指以外の指を曲げることを繰り返し穢れ達を挑発する。
それが合図となって穢れ達の殺気が破裂する。
『ガァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
穢れの大群が波となりセイジャへと向かう。
自分へと迫る穢れの大波を前に、セイジャはその場から動くこともせずに待ち構える。
最後までその口から笑みを消すことなく、セイジャは波に飲まれた。
●
いくつ潰した?いくつ落とした?いくつ貫いた?いくつ斬り裂いた?いくつ引き千切った?
いくつ、いくつ、いくつ、いくついくつ………。
「……………っは!」
私は何をしていた?
穢れはどうなった?
箱舟は?
私はどうなった?
「…見渡す限りの死体平野ってか」
回りにあるのは状態が様々な死体ばかり、少なくとも私の目に付くような所に動くものはない。
どうやら私は無事に最後まで囮としての役割を果たし切ることができたらしい。
それどころか私は穢れ共を全滅し、あまつさえ生き残ってしまったらしい。
「根性の無え奴等だ。満身創痍な神一柱殺せねえとはなぁ」
しかし、どうやら自分も秒読みの命らしい。
両手は肩からまるで砕けたように無くなっている。血も一滴も出ていないところを見るとどうやら私は完全に神ではなくなったらしい。
今の私は何者でもないのだろう。
そして自分の体から穢れとしての力すらも抜け出ていっていることが感じ取れる。
「このまま何もしなけりゃ力が抜け切って消滅して終わりだろ。それともここは偉大な神らしく自害でもしてみるか。もしくは…」
私は神ではなくなった。
身体が完全に崩壊し切る前に神として堕落したことにより、問題無く穢れを取り込めるようになった。
まぁ、つまりは私も立派に穢れましたってことだけどね。
そしてそんな私がもし、この場にある穢れを全て吸収したら?
その上で自分の核となる部分だけを残し、能力の大半を切り落としたら?
さらに力を消費しないように眠りについたら?
果たして………
「………次の人類が誕生するまで私は生き残れるだろうか?」
神ならこんなことしない。
神としてのプライドが許さない。
だが、再三言ったように私は神ではない。
確立は低くはあるが、無い訳ではない。
ならば?
「はっ、愚問だったな。私はやりたい事は仕事を放ってでもやるセイジャ様だ。いいじゃねえか。こんなバカみてえな賭け。やらなきゃ損だぜ!」
もはや大地かどうかすらも見分けがつかなくなるほどの数の穢れの死体から穢れとしての力を全てこの身へと集める。
それと平行して自分の能力の大半を削り落とす。
長い眠りに着くために防護シェルターとして繭のようなものを作り出す。
途中、体の中から何か軋むような音が聞こえた。
「あっちゃぁ………核が持たなかったか。こりゃ果たして目が覚めたとして記憶がどれだけ残ってるやら」
問題だらけだが、それでも準備は完了した。
後は自分の悪運次第だ。
よっぽど運が良ければ私はこの眠りから目が覚めるだろう。
悪ければこれが永眠になるだけだ。簡単で単純でシンプルなルールの賭け。
楽しくてゾクゾクしてきたぜ。
「…あぁ、そうだ。名前考えなきゃな。もう神じゃねえし。そうだなぁ。稀神…きしん………ちょっと文字ってきじん…『き』は………鬼で…『じん』は…人でどうだ?お?これ良くね?鬼人セイジャって。いや待てよ?神から穢れへってことでセイジャを漢字に直して正邪にしたら?おぉ?おお!『鬼人正邪』!!やっべぇな。私のセンスが光って輝いてるぜ。あぁ、何か書く物欲しかったなぁ。
…あ?あぁ…時間かよ。もう限界が……来る…たぁ………私も…弱くなった…なぁ…あぁ……名前…ちゃんと……憶えてられっかなぁ………………………サグメちゃん………泣いちゃ…………め……………………………」
そして私の意識は崩れ去る。
ここまで読んで頂き誠にありがとう御座いました。
前書きでも書いた通り、誤字、脱字等を発見した際は報告をして貰えると助かります。