ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級
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041.『理解』【艦娘視点②】

 脱衣所から先に出てきた佐藤元帥は、離れた場所で待機していた私達の姿を見つけると、まっすぐに向かってきた。

 出迎えに向かった七人だけではなく、その他の艦娘も勢揃いしているのを見て少し驚いていた様子であったが、その厳しい眼差しは変わらない。

 あぁ――私達はその目を見た瞬間、諦念と共に全てを察した。

 

 青葉の悲鳴を聞いた私達は頭の中が真っ白になり、誰一人として声を発する事も、身動き一つ立てる事もできなかった。

 しかし、それに続いて無線機を通して聞こえてきた、元帥命令を破った罪を一人で被ろうとした青葉の言葉。

 思考を再開した私の頭は、一瞬、躊躇した。

 青葉の思いも痛いほどによく理解できる。

 青葉の気持ちを無下にしないよう、出迎えの七人以外は再び戻ってもらうべきかどうか。

 そして自分達は知らぬ存ぜぬを押し通し、青葉が望む通りに一人で罪を被ってもらうべきか。

 その青葉の罪は、提督が土下座をした事で不問となった。

 つまり、青葉一人に罪を被ってもらった方が上手く話は進むのだが――。

 

 無論――そんな事は出来なかった。

 バレた時には責任を取ると言い切った霞ちゃんもその場から動こうとはせず、それは他の皆も同様であった。

 青葉一人だけに罪を被らせる事は出来ない。これは私達全員の背負った罪なのだと――それが、私達が言葉を交わさずとも出した結論だった。

 

 そしてそれは――やはり、更に嘘を重ねるよりは、正しい選択だったのであろう。

 佐藤元帥は私達の目をゆっくりと見据え、言ったのだった。

 

「……青葉くんは咄嗟に身体の陰に隠していたようだが……土下座をしようとした神堂提督を止めようと泣き縋った時に、露になったよ。無線機と集音器らしき機械がね……聞いて、いたんだろう?」

「……はい……」

 

 佐藤元帥は聡明な御方だ。もはやこれ以上、嘘は重ねられない。

 観念して目を固く瞑りながら私が正直に答えると、佐藤元帥は怒るでも呆れるでもなく、何とも言えない表情で腕を組んだ。

 

「やはりそうか……あの場では彼の顔に免じて話を合わせたが……そうなると、青葉くんはあの状況で更に嘘を重ねたという事になるな」

「あっ、あのっ! そ、それは私達を庇う為に……!」

「佐藤元帥! 今回の愚行はこの長門が……!」

「いや、この那智が……!」

「もういいんだ。君達を責めようというわけじゃない。青葉くん一人だけに聞かれていたのであれば配置替えもやむなしと思っていたが、流石に全員に聞かれてしまったのではね……もはや罰など何の意味も成さない。どうしようも無い……そもそも、君達を罰する軍紀など存在もしないのだからね」

 

 佐藤元帥はそう言って、申し訳なさそうな表情で私達に言葉を続けた。

 

「むしろ、先に君達に偽るような事をしてしまったのはこちらの方だ……こんな真似までさせてしまって済まなかったね」

 

 佐藤元帥が何を言っているのか訳がわからなかった。

 何故、即行で元帥命令を無視した私達を咎めないのか。

 何故、逆に申し訳なさそうなのか。

 神堂提督に関して多くの事を隠していたのは、それ相応の事情があったという事くらい私達にも理解が出来ている。

 只者では無いその素性や、何よりも、提督自身が隠したがっている持病。

 命令を無視してまでそれを詮索してしまったのは、私達の過ちだ。

 出歯亀のような真似をしてまで……。

 

 だというのに、佐藤元帥は、私達に隠し事をしていたという事を申し訳なく思っているという事だろうか。

 親艦娘派のお優しい方だとは言え、神堂提督も佐藤元帥も、それは流石に寛大すぎるのではないだろうか。

 私達は恥ずかしさと罪悪感で胸がいっぱいになってしまい、何も言う事ができなかった。

 

 佐藤元帥はしばらく考え込んだ後に、私達一人ひとりの目を確かめるように見回した。

 即行で元帥命令を破ってしまったという罪悪感から思わず目を伏せてしまったが、佐藤元帥は少ししてから口を開いた。

 

「私は本来、元帥なんて呼ばれるような立場の人間では無い。それにも関わらずこんな大仰な役職に就いてしまったのは、君達が望んだからだ。艦隊司令部という組織や、元帥という上官の存在をね。だからこそ、正直、驚いているよ。君達自身が望み、何よりも君達自身が重視している元帥命令に、君達が自らの意思で従わなかったという事実に」

 

 佐藤元帥の言葉に、私達も自省するように考え込む。

 何しろそれは、私達自身もよくわかっていない事であり、私達自身も驚いている変化だったからだ。

 今までであれば、こんな愚行を妙高さんや香取さん、鳳翔さんまでもが見逃すという事など有り得なかった。

 いや、それ以外の艦娘でも、ほとんどが自身の倫理観と照らし合わせれば、行動には起こせなかっただろう。

 しかし今、ここには鎮守府に残る全ての艦娘が集まり、その意思を一つにして愚行を犯した。

 私はその戸惑いの気持ちを、正直に口にしたのだった。

 

「……正直に、申し上げますと……私達も、わからないんです。提督のせいにするわけでは無いですが……神堂提督が着任してからというもの、私達は確かにどこかおかしくなってしまったのかもしれません」

「艦隊司令部や私達に見切りをつけたという事ではないのかい?」

「い、いえ、まさか! 勿論、元帥命令の重要性は理解できています。それにも関わらず、このような愚行を犯してしまったのは……信じて頂けるかわかりませんが、私達自身も、本当に訳が分からず……」

 

 私の言葉を聞いた佐藤元帥は、再び皆を観察するように顔を向け、そしてまた腕組みをして考え込んでしまった。

 しばらくすると、脱衣所から真っ赤な顔をした青葉が駆けだしてきた。

 ふらふらとよろめきながら私達へと駆け寄り、目を回しながらそのままへたり込んでしまう。

 

「あ、青葉、見ちゃいました……」

「な、何をっ⁉ し、しっかりして!」

 

 へたり込んだ青葉に皆で駆け寄る。

 青葉の肩を長門さんががしりと掴み、その目をしっかりと見据えて声をかけた。

 

「済まない、お前一人に抱え込ませるような事を……! だが、佐藤元帥には全てお見通しだったよ……」

「そ、そんな……」

 

 青葉はあの状況で更に嘘を重ねていた事がバレた為か、顔をみるみる真っ青にして、その場に顔を伏せて崩れ落ちてしまった。

 そんな青葉の背中を、那智さんがぽんと叩いて言ったのだった。

 

「貴様、一人で罪を被ろうなどと馬鹿な真似を……」

「だ、だって、戦闘でも足手纏いなのに、唯一の特技の潜入すらも失敗してしまって……これでは自分の存在価値など」

「馬鹿、艦娘として姿を現して以来、共に海を駆けてきた……貴様も我らの大切な(ともがら)ではないか。貴様がどうかは知らんが、少なくとも我らは全員そう思っている。そう卑屈になるな」

「な、那智さん……! 皆さん……!」

 

 その場に泣き崩れた青葉を励ますように、那智さんと長門さんはその背にぽんと手を置いた。

 そんな私達の姿を眺めていた佐藤元帥であったが、タイミングを見計らって、私に目を向けて言ったのだった。

 

「彼の……神堂提督の舞鶴鎮守府への異動案についても、聞いていたのかい?」

「……はい」

 

 佐藤元帥の言葉に、艦娘達の注目が集まる。

 青葉も顔を上げて、私達に目を向けた。

 佐藤元帥は真剣な表情で全員の顔を見回し、確かめるような口ぶりで言葉を続けた。

 

「君達はどう思う」

「……先ほど皆とも話したのですが、致し方ない事かと思います……」

「そうか……理解が早くて助かるよ。彼に横須賀鎮守府の運営は荷が重い……」

 

 佐藤元帥は私の答えに小さく頷いた。

 それに続くように、龍驤さんが口を開く。

 

「せやな……あの司令官は救いようの無いアホや。自分の事は二の次で、無理して、頑張って……また心身を壊されるのはまっぴら御免やで」

「そうですね。提督の事を考えるのならば、佐藤元帥が仰った通り、ここよりも舞鶴鎮守府がちょうどいいでしょう」

「えぇ、赤城さんの言う通りね。これ以上提督に重荷を背負わせる訳にはいかないわ」

 

 龍驤さんに続いて、赤城さんと加賀さんがそう言った。

 その言葉に佐藤元帥は少し意外そうな表情を浮かべる。

 艦隊司令部に対して特に反抗的であった加賀さんの、提督を労わる言葉に驚きを隠せなかったのかもしれない。

 更に、那智さんと磯風が言葉を続けた。

 

「フン……奴自身はやる気のようだがな。艦隊司令部のみならず、この国自体が、ここで奴が指揮を執る事に不安を覚えているというのならば、致し方ない事だろう」

「この磯風が共にある。心配はいらない……と言いたいところだがな。フッ、どうやら司令は、この磯風の手にさえ負えないようだ」

 

 佐藤元帥が目を丸くして、二人に目を向ける。

 特に磯風の言葉に驚いたようで、佐藤元帥は磯風に声をかけた。

 

「い、磯風くん。ところで、君は昨夜、神堂提督に秋刀魚を焼いたと聞いたが……」

「む? あぁ、焼いたさ。忠誠を込めてな。それがどうしたというのだ」

「い、いや、失礼かもしれないが、その……意外だと思ってね。君が手料理を作ったのもだが、彼に忠誠を誓うなどと言ったという事が……」

「フッ、何を言っている。あの司令のような人物こそ、この磯風が忠義を尽くすに相応(ふさわ)しい……至極当然の事ではないか」

 

 磯風がドヤ顔で腕組みをしながら、微笑みと共にそう言った。

 非常にうざったかった。

 浦風や浜風、谷風、千歳さん達からもジト目を向けられていたが、気付いていないようだった。

 佐藤元帥が磯風の言葉に驚きを隠せない様子であったから水を差すような真似はしなかったが、「最初は反抗的だったようです」と言ってやりたかった。

 と、そこで長門さんが一歩前に出て、佐藤元帥に声をかけた。

 

「佐藤元帥。磯風だけでは無い。提督が着任して僅か三日だが、横須賀鎮守府の全員が忠誠を誓ったと言っても過言では無い。ゆえに、舞鶴鎮守府への異動は、我々にとっては苦渋の決断なのだ……!」

「そ、そうか……いや、しかし、受け入れてくれてありがとう。君達の気持ちもわかるが、彼の為、引いてはこの国の混乱を避ける為なのだ」

「あぁ、提督のような人物がこの国にいたと知れただけでも良かったと……心からそう思うよ」

 

 長門さんの言葉に、佐藤元帥も何かを考えているようだった。

 瞬間――崩れ落ちたままの体勢であった青葉がいきなり立ち上がり、叫んだのだった。

 

「あっ、青葉もッ! 青葉も提督に着いて行ってはいけないでしょうかッ⁉」

「なっ――あ、青葉っ、何を言っているの⁉」

 

 いきなりの青葉の提案に、私達は、そして佐藤元帥も驚きを隠せなかった。

 提督の事を考えれば、舞鶴へ異動するほかない――それを受け入れてなお、自分も着いて行くなどという発想が出るなんて考えてもいなかったのだ。

 というよりも、たとえ考えたとしても、それを口にしていい訳が無い。

 だが、青葉は佐藤元帥に詰め寄るように言葉を続けた。

 

「提督は拳骨一つで今回の愚行の罪を水に流して下さり、更に青葉にこう仰りました。お前は、私の艦隊に必要な存在なのだと……! 唯一無二の個性を活かしてほしいのだと……! そしてこう諭して下さりました。握れば拳、開けば掌……力の扱い方を誤らぬ、強い心を持てと! 青葉は、青葉は、提督の下でっ、力の扱い方を学んで行きたいのですっ!」

 

 青葉の必死さに、佐藤元帥も面食らっていたようであった。

 少し落ち着くように、と声をかけてから、佐藤元帥は確かめるように口を開いた。

 

「……彼が、そう言ったのかい?」

「はっ!」

「そうか……うん、そうかぁ……彼が、そんな事を……」

 

 ……何だろう。何故、佐藤元帥は心なしか嬉しそうなのだ。

 提督に特別な御言葉を賜った青葉に内心嫉妬しつつも、佐藤元帥の表情を観察する。

 何と言うか……何だろう。一体何なんだろう……。

 感心しているのは確かなようだが……元帥が一提督の言葉にここまで反応するだろうか。

 ましてや、こんな提案を受け入れるわけが――。

 

「……うん、そうだな。舞鶴には君の相方の衣笠くんもいる事だし……青葉くん一人くらいなら、再編成時に舞鶴に一緒に異動しても支障は無いかもしれない。そうなると、代わりに舞鶴から高雄くんと愛宕くん辺りを横須賀に――」

「えぇぇっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さいっ! 佐藤元帥っ! い、いいんですか⁉」

 

 私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 佐藤元帥も悩ましそうな表情であったが、がしがしと頭を掻きながら、私の問いに答える。

 

「うぅむ、しかし、彼も青葉くんもそう望んでいるのであれば……」

「佐藤元帥、一人だけ抜け駆けは良くないだろう。ならばこの磯風も連れて行ってもらおうか」

「おどりゃ磯風ェ! わりゃえぇ加減にせんとシゴウしゃげたるぞ!」

「どの口が抜け駆けは良くないなどと言うのですか!」

「かぁ~っ! べらんめぇ! 流石にこの谷風さんの堪忍袋の緒も切れちまったぜ! 浦風、浜風! とっちめちまえ!」

「こ、こら! やめろ谷風! 青葉が行くなら司令の片腕たるこの磯風も共に行かねば……!」

「だからいつ磯風が提督の片腕になったんじゃ!」

 

 磯風が口を開くたびに騒ぎが起こる。

 頼むから本当に黙っていてくれないだろうか……。

 第十七駆逐隊の三人に関節を決められ押さえつけられている磯風から目を外し、周りに目を向ければ、明石や夕張を始めとした他の艦娘達の目の色まで変わっていた。

 おそらくは、何かしら理由をつければ提督に着いていけるかもしれないという考えが浮かんでしまったのだろう。

 本音を言えば、私だって、私だって……!

 何やら嫌なざわめきが起こり始めていたので、私はコホンと咳払いをして、先手を打ったのだった。

 

「佐藤元帥。提督に着いて行きたいのは青葉だけでなく皆同じです。一人だけ許してしまうと、磯風を見ればわかるように次々に手が上がり、やがて内部崩壊に繋がりかねません。青葉もここに残るよう意見具申致します」

「う、うん。そうだね……青葉くん、済まないが……やはりやめておこう」

「がーん……そ、そんなぁ」

 

 がっくりと肩を落として落ち込んでしまった青葉の両肩に、夕張と明石がぽんと手を置いた。

 諦めろ、という事である。

 他の皆も私の言葉で我に返ったのか、冷静を取り戻そうと咳払いなどをしていた。

 

「何を騒いでいる」

 

 ――提督の声に、私達は脊髄反射的な速度で隊列を作り、提督の方へ向かい直り、敬礼した。

 佐藤元帥が目をぱちぱちさせているのが視界に映る。

 神堂提督が、青葉が置き忘れてきたのであろう無線機と集音器をその両手に携えているのに気付いた瞬間、私はもう目眩がした。

 あぁ、若干怒っているような気がする……!

 せっかく庇ってあげたというのにこんなヘマをしている青葉に対して若干怒りを感じているような気がする……!

 隣に立つ青葉を横目でちらりと見てみると、白目を剥いて口から魂が抜けていた。

 

「青葉。何やら落とし物のようだが……これは没収だ。いいな」

「ハ、ハイ」

「それと……今回の件に関わっているのは青葉一人。そうだな?」

「エッ」

「……そうだな……⁉」

「ハッ、ハイ!」

 

 青葉が白目を剥いたままそう答えると、提督は私に目を向けた。

 一瞬目が合ったが――駄目だった。

 私達が盗聴などするはずがないと青葉を庇い、さらには土下座までして下さった提督の。

 人間に逆らった兵器と警戒されている私達の風評を良くする為に、勲章さえも辞退して下さった提督の。

 私達の浅はかさが、そんな提督の想いを無下にしたという罪悪感から、私は提督のまっすぐな目を見る事が出来なかった。

 思わず唇を噛み締め、顔ごと目を伏せてしまう。

 

 それは私だけでは無かった。

 提督は次々に艦娘達に目を向ける。

 皆、私と同じように、提督の瞳から目を背けた。

 直視など出来るはずが無かった――。

 私達を責めているわけでは無いとわかっていながらも、提督の鏡のような瞳を見ていると、自らの浅慮さが導いた過ちの大きさに向き合わざるを得ないのだ。

 駄目だ……私達に提督と合わせる顔など無い。

 しばらくは目を合わせる事も出来る自信が無い……。

 

 自業自得ではあるのだが、犯した過ちを自省していると、全員に目を向け終わったのか、提督は佐藤元帥に顔を向けて言ったのだった。

 

「……そういう事です」

「う、うむ……わかった。そういう事にしておこうか……」

 

 ――なっ……⁉

 私は思わず声が出そうになるのを必死で堪えた。

 それに気付いたのは私だけでは無いだろう。

 佐藤元帥は私達の犯した過ちを当然理解できている。

 無線機と集音器を手にしている神堂提督も同様だ。

 だが、提督は、それでも青葉一人の愚行であると主張している。

 私が先に考えていた通り、もしそうであるのならば、すでにその罪は提督によって赦されているからだ。

 ここで私達全員同罪であるなどという事になってしまっては、流石に提督でも庇いきれなくなるのではないだろうか。

 

 しかし、あまりに強硬手段。あまりにも無理がある物言いであった。

 それにも関わらず、提督の一言は、佐藤元帥に有無も言わさず、それが真実であると頷かせた。

 提督の言葉が鶴の一声となった。

 提督が白と言えば白、黒と言えば黒――元帥がそのように意見を変える事などあるだろうか。

 否。ならばこれは一体、どういう事だろうか。

 もう私などの頭では理解できなかった。

 

 目を伏せながらも、何とか提督の目を見てみる。

 あぁ、落ち込んでいるように見える……。

 信じていた私達がこんな愚行を犯した事を、心から残念に思っているのだろうか……。

 提督の想いを裏切り、無下にしてしまった。

 私達は申し訳無さと不甲斐なさから無意識に歯を食いしばり、拳を握りしめ、肩は小さく震えた。

 

「そうだ、神堂提督。先ほど話した通り、私は急いで帰らねばならないのだった……済まないが、ここで失礼するよ」

「あっ、そうでしたね。それでは正門までお見送りを……」

 

 佐藤元帥と提督がそんな会話をしているのを聞いていた時――港の方向から一人の妖精さんが飛んできた。

 妖精さんは長門さんの前で止まり、身振り手振りで何かを伝えようとしている。

 勿論私達では何を言っているのかはわからないのだが――何やら慌てている事だけは私にも汲み取れた。

 

「む……遠征艦隊が帰投したのか」

「長門さん、そこまでわかるんですか? 凄いですね……」

「まぁ、何となくはな……しかし、何やら様子がおかしい。まるで急いで来てくれと言っているかのようだ」

 

 長門さんも同様の結論に達したようだ。

 私と顔を見合わせて、こくりと頷く。

 おそらく私と同じく、ある違和感に気付いたのだろう。

 気付けば、提督も妖精さんに気付いているようで、こちらに顔を向けていた。

 それを見て、佐藤元帥が声をかける。

 

「長門くん、何かあったのかい?」

「はっ、妖精の様子を見るに、遠征艦隊が帰投したようなのですが、何やら様子が……」

「あぁ、それでは君達はそちらに向かってくれ。神堂提督も。悪いが、私はこれで失礼するよ」

「は、はっ。しかし、お見送りは……」

「よろしければ、佐藤元帥には私達が付き添いましょうか」

 

 そう口にしたのは、鳳翔さんだった。

 隣には間宮さんと伊良湖さんも控えている。

 今は第一線を退いている鳳翔さんは、かつて佐藤元帥がこの横須賀鎮守府で指揮を執っていた時の秘書艦だったらしい。

 まだ提督の資質を持つ者の存在すら明らかになっていない頃の、苦しい戦いの毎日を共に過ごした、戦友のような存在だ。

 そんな鳳翔さんと、戦闘要員では無い間宮さん、伊良湖さんならば、遠征艦隊の出迎えへ向かわずとも支障は無い。

 そう判断したのか、佐藤元帥はどこかほっとしたような表情で、答えたのだった。

 

「おぉっ、鳳翔くん、間宮くん、伊良湖くん。それでは君達にお願いしようかな」

「はい。御一緒致しますね」

 

 佐藤元帥が私達の方を向き直ったので、私達も提督と共に元帥に向かい、敬礼して別れの挨拶を交わした。

 詳しい事が決まったらまた連絡すると提督に言い残し、佐藤元帥は鳳翔さん達と共に鎮守府正門へと向かう。

 その背をしばらく見送ってから、提督は港へと向かって歩き出した。

 私達は声をかける事もできず、ただ無言で、その後ろに着いて行った。

 

 何故だろうか――嫌な予感がする。

 普段であれば、妖精さんがこのようにして知らせてくるなどという事は無かった。

 艦隊が帰投する場合、今回であれば艦娘のまとめ役であり鎮守府に待機している長門さんか私のどちらかに、帰投を知らせる無線が入るはずだ。

 それ以外にも変わった事があったのならば、随時無線が繋がるようにしてある。

 だが、私にも長門さんにも、そのような連絡は一切入ってこなかった。

 

 何かが、とんでもなく悪い何かが起きているような予感がする。

 もはや、私の手ではどうしようもないような――。

 私のその予感が外れてくれている事を願いながら、私はただ前を歩く提督の広い背中を見つめる事しか出来なかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 気を失っていたのだろうか。

 私は今、何を――脚と掌に触れる冷たく固い地べたの感触。

 重力の重み。無くなった水圧。

 いつの間にか、帰投していたのか。

 

 ――重い瞼をうっすらと持ち上げると、見慣れた鎮守府の景色、その視界の全てが海色に染まっていた。

 まるで単色に加工された写真のように、赤も白も緑も何もかもが、一色に塗りつぶされていた。

 海面を通して見ているかのように、薄い青、深い蒼――ゆらりゆらりと光に揺らめき、色合いが変わる。

 あぁ、今から私は沈むんだな。

 何故か、自分でも驚くくらい、冷静に飲み込む事が出来た。

 あぁ、そうか。

 多分、私は知っているんだ。

 薄い青色がだんだんと遠ざかって行って、深い深い蒼色に染まって、青は黒になり、最後には視界の全てが闇に包まれる。

 耳に届く音もだんだんと消えていき、最後には、静寂。

 肌に触れる温度も消えて、冷たい冷たい、海の底で、一人。

 

 私の視界に映る、私の手から、光の粒子が立ち上っている。

 あぁ、そうだ。今まで沈んだ子も、そうだったらしい。

 限界以上の損傷を負った艦娘の身体からは、こうやって光の粒子がきらきらと立ち上る。

 しばらくは触れる事もできる。仲の良い子がそうなった時に、沈ませないようにと必死にその手を掴んだ子もいたらしい。

 だが、時間が経ち粒子化が進むと、その身体は薄く透け、触れる事さえできなくなってしまう。

 そうなると、もう駄目だ。

 いくら掴もうとしても、その手をすり抜けて――ただ、海の底に消えていくのを見ているしか無い。

 今の私のように、陸に引きずり上げられた者もいたらしいが、最後には光の粒となって虚空に舞い、海風に吹かれて消えていくのを見ているしか無かったそうだ。

 

 ――あぁ、沈んでしまったんだなぁ。

 

「……何が……一体、何があったというの……」

 

 大淀さんが、震える声でそう呟いた。

 私達を、駆けつけてきた鎮守府の皆が囲んでいる。

 私の目の前には司令官が立っているようだ。

 その表情を確かめる勇気が私には無かった。

 不思議と、息は切れていない。

 

「……朝潮。状況を、報告します。朝潮、大潮、満潮、荒潮――中破。潜水艦隊、伊19、伊58――中破……伊168、大破後、敵の爆雷を避けられず……ここまで連れてきましたが……」

「ひっ、ひっ……ひぐっ、イ、イムヤが、初戦で大破しちゃったの……! それで、て、提督の期待に応えたいからって、嫌われたくないからって……!」

「い、今まで大丈夫だったから、今回もって思ったんでち……! うっ、うっ、うぅぅ……!」

 

 朝潮と、イク、ゴーヤが状況説明をしてくれた。

 改めて説明されると、私は馬鹿だなぁ、なんて、どこか他人事のような感想が浮かんだ。

 イクとゴーヤが泣きすぎて声が出なくなってしまったので、朝潮が説明を続ける。

 

「大破進軍をした先で、運悪く敵水雷戦隊三隊に同時に捕捉されてしまったようです。無線を受けて、私達は救援に向かいましたが……その、申し訳ありません。満潮が、疲労を隠していたようです。万全に力を発揮できなかった為、私達の連携が上手く行かず、体勢、戦況を立て直すまでの隙を狙われ、イムヤさんの被弾を許してしまいました……大変、申し訳、ありません……」

 

 朝潮が悔やんでも悔やみきれないといったような表情で頭を下げた。

 それに続いて、イク達の無線を受け取り、途中から合流してくれた第六駆逐隊の響が口を開いた。

 

「……私達も救援の無線は受け取っていたんだが、距離が遠くて、場所も正確にわからなくて、間に合わなかった。合流できたのは、ついさっきだ……」

「ひっ、ひっく、ひっく、い、電が悪いのです、パワースポットの場所を間違えて覚えていたから……!」

 

 響以外の三人は号泣してしまっていた。

 悪い事をしたなぁ、これなら助けを呼ばずに、イクとゴーヤに逃げてもらって、私だけで沈んでいた方が迷惑をかけなかったかもなぁ。

 なんて、まだそんな他人事のような感想が浮かんでくる。

 悪い事をしたと言えば、そうだ、満潮は大丈夫だろうか。

 自分のせいで助けられなかった、だなんて思ってほしくないなぁ。

 悪いのは私なのだから。

 

「……大破、進軍を……したというのですか……っ⁉」

 

 大淀さんが、声を震わせながら小さく叫んだ。

 あぁ、大淀さんにも悪い事をしたなぁ。

 普段から、大破進軍は危険だからと念押しされていたのに。

 前提督の指揮下ではそれに従うしか無かったけれど、今は違うのだからと言われていたのに。

 作戦に不備があったわけでは無い。

 大淀さんの想定外の事をしてしまったのは私なのだ。

 

 ――あぁ、本当に、人に迷惑をかけてばかりの、駄目な潜水艦だったなぁ。

 

 性能も低いのに、命令にも従えず、こんな簡単な任務もこなせない。

 私を運用する事自体、資材の無駄だったんじゃないかなぁ。

 

 私の背中に添えられていたイクとゴーヤの手が、不意に、私の身体をすり抜けた。

 

「――えっ……えっ、えっ、あっ、あぁぁっ……! いやっ、いやぁーーっ! イムヤァーーッ‼ いやなのーーっ‼」

「行っちゃ駄目でちーーっ! あっ、あぁっ! 何で、何で、触れられないの……⁉」

 

 あぁ、もう、いつのまにか、ここまで粒子化が進んでたのか。

 触れられるはずもないのに、イクとゴーヤが泣きわめきながら、私を掴もうと手を振り回している。

 その度に、私の身体をすり抜けていく。

 馬鹿だなぁ……もう、無理なんだから。

 馬鹿みたいだから、やめた方がいいよ。そんなに泣いて、喚いても、もうどうにもならないんだから。

 

 気付けば、視界も深い蒼に染まって、もう前が見えない。

 だんだんと、耳元で喚いているイク達の声も遠ざかっていく。

 吹き抜ける海風も感じなくなって、消えて、だんだんと、あぁ、冷たい、冷たい、寒いなぁ。

 

 あぁ、暗くて、冷たくて、静かだなぁ。

 

 ――そうだ、あぁ、そうだ。

 何で忘れていたんだろう。

 ここまで連れてきてと頼んだのは私だった。

 

 ――司令官。

 

 あぁ、思い出さなければ良かったかなぁ。

 まだ目の見えるうちに、勇気を出して顔を上げれば良かった。

 最後に一目だけでも、その顔が見たかった。

 出来ればあの笑顔が良かったけれど、こんな無様な姿じゃ、無理だろうなぁ。

 きっと、怒らせてしまっただろう。

 それとも、こんな簡単な任務すらもこなせないのかと、呆れられてしまっただろうか。

 

 あぁ、あぁ、それでもいい。

 怒り顔でもいい、私に失望した顔でもいい、何でもいいから、貴方の顔が見たい。

 目の前に広がるのは、真っ青な闇。

 

 怒鳴り声でも何でもいい。

 何でもいいから、もう一度だけ、貴方の声が聞きたい。

 耳に届くのは、永遠の静寂。

 

 あぁ、あぁ、思い出さなければ良かったかなぁ。

 今頃になって、未練が出てきた。

 粒子化が進む前に、ぎゅっと抱きしめてもらえばよかったなぁ。

 頭を撫でてもらえばよかったなぁ。

 

 粒子化が進んだ今じゃあ、もう出来ない。

 抱きしめてもらう事も、頭を撫でてもらう事も。

 あぁ、これは罰なのかもなぁ。

 色んな人に迷惑をかけて、心配ばかりかけて、何も成し得なかった駄目な潜水艦への、罰なのだ。

 

 ――後悔してばかりの、人生だったなぁ。

 

 ――そうだ、あぁ、そうだった。

 司令官に、伝えたい事があったのだ。

 こんな私に、期待してるって言ってくれて、ありがとう。嬉しかったよ。

 だけど、それに応えられない、最後まで駄目な潜水艦でした。

 資材も回収できませんでした。ごめんね。

 

 あぁ、もう少し早く思い出せば良かったなぁ。

 視界の全てが闇に包まれて、司令官が、見えない。

 何も、見えない。

 何も、聞こえない。

 何も、感じない。

 

 いや、まだだ。

 まだ、後悔するには早い。

 頑張ろう、もう少しだけ、頑張ろう。

 惨めでも、無様でも、力を振り絞って、最後まで。

 

 声は、出せるかなぁ。

 二言、いや、せめて、一言だけでも、絞り出せるかなぁ。

 

 私はもう自分の身体が形をとどめているのかさえわからなかったが、その手を前に伸ばした。

 その指には何も触れない。何も感じない。

 それでも私は声を振り絞った。

 

「司令官……そこに……そこに、いる……?」

 

 何も聞こえない。何も感じない。

 自分の声さえ聞こえなかった。

 それでも私は声を振り絞った。

 司令官を心配させないように、短い間だったけれど、貴方の指揮下で戦えて本当に良かったと、そう伝える為に、精一杯、笑顔を作りながら、言ったのだった。

 

「……資材、回収、出来なかった……ごめん、ごめんね――」

 

 

 

 ――瞬間。

 

 

 

 私はこの瞬間を、この景色を、おそらく一生忘れる事は無いだろうと思った。

 不意に、一陣の風が舞い上がった。

 深い青に塗りつぶされていた視界が一瞬にして晴れ――それは、そう、まるで深海から急浮上して、水面に顔を出した時のように――私の世界に、鮮やかな色が満ちた。

 太陽の光に目が眩む。

 どこまでも広がる空は眩しいほどに青い。空を泳ぐ雲は鮮烈なほどに白い。

 周りを囲む艦娘の皆は、まるで色とりどりの花畑のようだ。

 ひゅう、と全身を撫でる(ぬる)い海風が、やけに暖かく感じられた。

 静寂はかき消され、風に草木の揺れる音、私達を囲む艦娘達のどよめき、全てがうるさく感じられた。

 

 理解が追い付かなかった。

 私の目の前には、怒りを堪えているような表情で、司令官が仁王立ちしている。

 私はそれを、ただ固まって見上げるだけだ。

 

 見える。司令官の顔が、見える。

 

 ひらり、と、私の目の前を何かがかすめた。

 薄い、薄い、桜色――桜の花弁だ。一枚、二枚、いや、数えきれない程のそれが、私達の頭上から舞い降りてくる。

 桜の木なんて、この近くにはどこにもない。

 いや、まず、桜の季節では無い。

 やがて、私の耳に、いや、頭に直接染み渡るように、どこからか荘厳な音色が響いてきた。

 初めて聞く曲だ。だが、どこか懐かしいような。

 仮に、この曲に名前を付けるのであれば、『提督(あなた)との絆』――不思議と、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 季節外れの桜の花びらに、(おごそ)かな音色――何もかもが、訳がわからなかった。

 だが、それは幻視でも幻聴でも無いという確かな実感があった。

 周りの皆も、耳に手を当てて辺りを見渡したり、目を丸くして空を見上げているからだ。

 

 ふと、地面に目をやると、私の目の前で、桜色の法被を着た妖精さんが、バシバシと小さなドラム缶を叩いていた。

 ドラム缶からぶわっ、とモヤが立ち上り、それは私の――いや、イクやゴーヤ、私達、皆の身体へと染み渡っていった。

 あぁ、暖かい……これは、補給? こんなところで……?

 妖精さん達は持ち場を離れない。

 補給をするには、工廠まで行かなきゃならないはずなのに。

 何で……こんなところに妖精さんが……?

 

 気が付けば、私のボロボロになった艤装が、どこかへと運ばれていくのが目に映った。

 まるで蟻が獲物を運ぶかのように、よく見てみれば、工廠の妖精さん達が私の艤装を数人がかりで抱えていた。

 やはり、薄い桜色の法被――その背には、さくらんぼの意匠が施されていた。

 ……桜? この、舞い散る桜と、何か関係が……?

 えっ、いや、だから何で、こんなところに妖精さんが……。

 妖精さん達は持ち場を離れない。

 艤装の修理も、自分達で工廠まで行かなきゃならないはずなのに。

 妖精さん自らが運びに来るなんて……そんな事、今まで……。

 

 私の視界に、また別の妖精さんの姿が映った。

 こちらもまた桜色の法被を身に着けており、ヘルメットを被って、木材のようなものを運んでいる。

 私の身体によじ登り、全然痛くないが、何やら金槌を叩きつけたりしている。

 これも、工廠の妖精さん……いや、違う――えっ、嘘、これは、格好が違うけれど、まさか、応急修理要員……。

 

 応急修理要員は、滅多にその姿を見せない妖精さんだ。

 妖精さんそのものが装備のような性質を持ち、その能力は、『一度轟沈した艦娘のダメージを最小限に食い止めて、大破状態で堪えさせる』というもの。

 それ故に、それはまさに大規模作戦において、敵棲地最深部を攻略する際の最後の切り札。

 この機を逃しては、再びここまで辿り着く事は出来ない――そう言った場合に、轟沈を覚悟して使用するような、とても貴重な妖精さんなのだ。

 

 横須賀鎮守府にまだ残っていたのか……?

 いや、そんな話は聞いていない……。

 噂では、妖精さんは清き心身を持つ者の前に姿を現すなどと言うけれど……。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 まさか、司令官……使った、のか。

 こんな鎮守府近海で……こんなにも簡単な任務で……こんなにも、こんなにも不甲斐ない、性能の低い、私の、為に……。

 

 あぁ――私は何て事をしてしまったのだ。

 嬉しさよりも何よりも、私を包んだのは大変な事をしでかしてしまったという危機感だった。

 私なんかでは一生縁が無かったはずの貴重な妖精さんの能力を、こんなところで使わせてしまった。

 

 司令官は優しい人だから。

 私を見捨てられなかったから。

 本当は、別のタイミングで使いたかったのに、仕方なく私に使わざるを得なかったのではないか。

 あぁ、あぁ、どうしよう、どうしよう。

 

 降り止まない桜吹雪と、鳴りやまない厳かな音色に包まれて。

 私は時が止まってしまったかのように、固まってしまった。

 

「……私の、為か……?」

 

 仁王立ちしたまま固まっていた司令官が、小さく口を開いた。

 私は答えられないまま固まっている。

 

 聞こえる。司令官の声が、聞こえる。

 

「……私の為に……そんな無理をしたのか……っ……?」

 

 私は何も答える事が出来なかった。

 

 ――瞬間、司令官が、見た事の無いような形相で叫んだのだった。

 

「馬鹿者ォーーーーッ‼‼」

 

 そして、司令官は勢いよく膝をつき、がしっ、と痛いくらいに、私の両肩を掴んだ。

 あぁ、痛い、痛い、暖かい。その掌から、司令官の温もりを感じる。

 司令官は私の目を真正面から睨みつけ、勢いのままに言葉を続けた。

 

「そんな事をして私が喜ぶとでも思ったのかッ! お前のそんな姿を見て私が喜ぶとでも思ったのかッ! 資材などっ、戦果などっ、そんなものどうだっていいんだッ‼ 沈んでしまったら取り返しがつかないではないかッ‼」

 

 私は司令官から目を逸らす事が出来なかった。

 私を睨みつけるその目には、大粒の涙が浮かんでいた。

 司令官は近くに控えていた大淀さんに目を向け、叫ぶ。

 

「今までもこうやって来たのか……⁉ これがこの鎮守府のやり方かッ⁉」

「……は、はッ……! 私や長門さんが指揮を執っている間は、無論、禁止しておりました……! しかし、前提督の指揮下では、その……潜水艦隊は、そのやり方を、強要されており……! おそらく、その影響で……」

 

 舞い散る桜の花弁と荘厳な音色に気を取られていたのか、一瞬反応が遅れていたが、大淀さんはそう答えた。

 司令官はぎゅっと目を瞑り、顔を伏せた。

 無意識にだろうか、私の肩を掴む力が更に強くなる。

 通り抜けない。透き通らない――その痛みすらも、心地よく感じられた。

 やがて、司令官はわなわなと肩を震わせて、顔を伏せたままに小さく声を漏らした。

 

「そうか……全部、全部、私のせいか……私が、ちゃんと言っておかなかったから、前の方針に従ってしまったという事だな……!」

 

 司令官は勢いよく顔を上げ、天を仰いで叫んだのだった。

 

「大淀ォーーッ‼」

「はッ‼」

「提督命令だッ‼ 今後、艦隊の一隻でも大破した場合、進軍する事は決して許さんッ! できれば大破もするなッ! 轟沈などもってのほかだッ! たとえ目的を果たせずとも、必ず全員で帰還しろッ! 二度と……ッ! もう二度と沈むなッ! お前達が俺の下にいる限り、ずっとだッ‼」

 

 ――司令官はそう言って、私の肩を掴んだまま、崩れ落ちるように顔を伏せてしまった。

 雲間から日の光が差し込み、まるで司令官に後光が差しているように見えた。

 舞い散る桜花と厳かな音色に包まれて――私達を囲む艦娘達は、気付けば全員が、無言で敬礼していた。

 涙さえも必死で堪えていたのは、おそらくこの光景を鮮明に焼き付ける為だ。

 それは私も同じだった。

 

「……はっ……! 了解しました。横須賀鎮守府全艦娘に、直ちに、確実に、以後、絶対に順守するよう、周知徹底を図ります……!」

 

 大淀さんが震えながらようやく絞り出した言葉を聞いて、司令官は無言で深く頷いた。

 

「……司令官……」

 

 私のかすれた小さな声に、司令官は顔を上げて、力の無い表情で目を合わせてくれた。

 謝りたいと感じていた。だけど、それよりも何よりも、どうしても、私には確かめたい事があったのだ。

 性能が低いにも関わらず、独断で危険な大破進軍を強行して、簡単な任務すらも失敗した挙句、貴重な応急修理要員を消費させてしまった。

 私はそんな、駄目な潜水艦。

 そんな私だけれども。

 沈みかけたからだろうか。今なら何だって言えるような気がする。

 

「司令官……イムヤのこと、嫌いになった……?」

 

 司令官は少しだけ目を丸くしてしまったが、すぐに肩を掴んでいた両手を離して、私をその胸にぎゅうっと抱きしめながら言ったのだった。

 

「馬鹿っ、そんな訳があるか。よく頑張ったな、よくここまで帰ってきてくれたな。ありがとうな。偉いぞ」

 

 海水で全身ずぶ濡れである事も厭わずに力強く抱きしめられ、頭をぐしゃぐしゃと手荒く撫でられながら、あぁ、私はこの瞬間だけは、世界一幸せ者なのだなと、まるで根拠の無い確信を胸に抱きながら、私の意識は深みに落ちていったのだった――。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――この、目の前に広がる奇跡の光景を、一体どのような言葉で形容すれば良いのか。

 私の語彙力ではとても表現する事ができなかった。

 

 虚空から舞い散る桜の花びら。

 どこからか響く荘厳な音色。

 一陣の風と共に、提督から飛び出すように現れた多くの妖精さん達。

 

 そのどれもが桜色の法被をその身に纏い、その背にはさくらんぼの意匠。

 イムヤはもうその身体のほとんどが光の粒子と化し、完全に消滅してしまう寸前だった。

 それを救うべく、本来持ち場を離れないはずの妖精さん達が、自らの意思で持ち場を離れ、提督の為に働いた――?

 私が把握している限り、確実にいるはずの無い応急修理要員が、提督の懐から現れ、イムヤの危機を救った――?

 

 もう理解が追い付かなかった。

 故に、奇跡と――そう呼ぶ方が、都合が良いのかもしれなかった。

 

「……素敵……」

 

 ほぅ、と荒潮が小さく息を漏らした。

 

「……綺麗……なのです……」

「ハ……ハラショー……!」

 

 第六駆逐隊の四人も泣き止んで、空を見上げている。

 単純に、その美しさに、その非現実感に、私達は見入ってしまっていた。

 提督のその姿に、私達は魅入られてしまっていた。

 もはや陥落寸前であった横須賀鎮守府に、元帥が最終手段として送り込んだ、文字通りの最後の英雄(ラストヒーロー)

 もしも私に提督の英雄譚を記す名誉が与えられたのならば、確実に轟沈していたはずのイムヤを救った一本の桜を――この奇跡の光景を『癒しの桜』と名付け、未来永劫語り継ごう――。

 そんな訳の分からない事を妄想するほどに、私はもうすっかり頭がおかしくなってしまっているようだった。

 それでも私の頭は、この状況を何とか飲み込もうと必死に回転する。

 

 桜――それは私達にとって、そして何よりもこの国にとって、象徴とも言える存在だ。

 

 目の前に広がるこの光景――提督を中心として舞い散り降り注ぐ桜の花弁。

 まるで、この御方はこの国の象徴、桜の化身なのではないか――そんな事を考えてしまった。

 (いかり)と桜。私達がかつて艦であった頃、海軍の徽章(きしょう)はそれであった。

 そして今、錨が私達艦娘を表すのならば、桜は、そう、提督だ。

 艦と提督が揃って、一つの軍となる……そういう意味でも、提督が桜と重なって見えた。

 

 桜が告げるのは、春の訪れ。

 長い長い、冷たく厳しい極寒の冬。前提督の指揮下でそんな一年を過ごしてきた私達に、ようやく届いた日の光。

 暖かな、麗らかな、待ちわびていた、春。

 それを知らせる、一本の桜。

 

 私は提督から目が離せなかった。

 固まってしまっているのは、私だけではない。

 泣きわめくのも忘れて、イクやゴーヤも、朝潮達も、ぽかんと口を開けたまま、ただただ目の前に広がる光景を見つめている。

 桜の花弁は降り積もらず、肌や地面に触れると粉雪のように溶けて消えた。

 やがて、だんだんと厳かな音色が遠ざかっていく。

 

 完全に音色が聞こえなくなり、はらはらと舞い散る桜の花びらも途絶えた。

 しん、といきなり静寂が広がったように感じた。

 提督はどうやら眠ってしまったらしいイムヤを抱きしめたまま、顔をくしゃくしゃにして涙を流している。

 あの凛々しい姿からは想像がつかないほどに、情けない姿だった。

 

 ――不意に、その背に寒気が走ったのは、私だけでは無いようだった。

 

「あ、あぁぁ……」

 

 そんな力無い声がどこかから漏れた。

 一部の駆逐艦達など、まだ精神が幼い子たちはまだ、茫然と目を奪われているようであったが――。

 赤城さんや加賀さんを始めとした、歴戦の艦娘たちの顔は、一斉に蒼白になっていた。

 それは確かな予感だった。

 こんなにも暖かな、美しい桜の裏にある、冷たい悲劇。

 

 その美しさ故に、その儚さ故に、その潔さ故に――それが何に例えられたか。

 それは――美徳。そして、覚悟。

 かつての大戦においても、多くの若き命がその身を桜に見立て、散っていった。

 俺とお前は同期の桜――誰もがそう歌いながら、二度と帰らぬ空へと飛び立ったという。

 

 米国からは馬鹿爆弾とさえ揶揄されたそれは、一度放たれれば燃料を燃やし尽くし、その勢いのままに体当たりを仕掛けるしか無い――二度と戻れぬ特攻兵器。

 この横須賀鎮守府と深く関わりのあるその兵器の名は、()しくも――『桜花』。

 

 美しく、儚く散る桜の花弁だけでは無かった。

 その命を燃やし尽くして進むしかない特攻兵器と、不治の病に苦しみながらも横須賀鎮守府で戦い抜く覚悟を決めた神堂提督の姿が――はっきりと重なって見えたのだった。

 

 嗚呼(あぁ)――この御方は、やはり、桜の化身なのだ。

 

 私達の胸の中に、ひとつの想いが去来した。

 この御方は、心優しいこの御方は、きっと、本当は、絶望的なまでに、軍人に向いていないのだ。

 ボロボロになったイムヤをその胸に抱いて流されたその涙には、一切の(よこしま)さは感じられなかった。

 そこにあるのは、ただただ、純粋に、ひとつの命を慈しむ心。

 

 被弾を前提とする艦隊戦において、ダメージコントロールの概念は必要不可欠だ。

 個々の艦の被害を最小限に防ぐだけではなく、時には情を捨てて損傷艦を切り捨てた方が、艦隊全体の被害を食い止められる事もある。

 

 そう、一か月前に彼女が――大和さんが、そうしたように。

 

 誰もが無傷で帰投するなど有り得ない事であるし、不運が重なれば今回のように轟沈してしまう事も当たり前にある。

 軍人ならば、提督であるならば、その覚悟は当然あって然るべきものであるはずだ。

 そのような情など、いつでも切り捨てておけるようにしてあるはずだ。

 

 だが、この御方は、それをどうしても諦めきれなかったのだ。

 どうしても、その情けを、優しさを、切り捨てる事が出来なかったのだ。

 そうでなければ、大破もするな、轟沈するなと、あのような提督命令を発する事はできない。

 たとえ目的を果たせずとも、必ず全員で帰還しろなどと、本末転倒に聞こえるような提督命令を発する事はできない。

 私達艦娘が命を惜しんで撤退し、護るべきこの国に被害が出たら、提督は国中からなんと罵られるだろうか。

 想像に難くない。

 

 ――あぁ、提督は、あの鉄仮面の下で、一人で必死にあがいているのだ。

 

 私達は全てを理解した。

 あのスパルタすぎる厳しい指揮は、残された僅かな時間で私達を鍛える為のもの。

 本末転倒にならぬ為に。目的を果たせないまま、私達が帰還する事が無いように。

 私達が沈まぬように、それに見合った力をつけられるように。

 あの天才的な頭脳と神算鬼謀を最大限に駆使して、提督は細い糸を必死に手繰り寄せているのではないか。

 

 誰もが無事で、誰もが沈まず、この国を護る――そんな夢のような、理想的な、欲張りな結果を。

 

 いや、天才などと、神算などと、口にするのは容易い。

 それは、我々では想像もつかぬほどの苦心の結果なのではないだろうか。

 

 提督の心は、まるで硝子細工のように脆い。

 しかし提督は強靭な精神力と覚悟でそれを研ぎ澄まし、薄く鋭い薄氷の刃を作り上げたのではないか。

 そう、それは提督の領域に至らねば扱えぬ刃。

 その一閃は、闇をも切り裂く。

 先日の戦いのように、上手くいけば被害を最小限に、最大の戦果を上げられる。

 しかし、何かひとつでも間違えば、それはいとも容易く砕け散る。

 

 ――その刃を戦場で扱うのは、私達だ。

 

 イムヤを抱きしめる提督の涙が、地面を叩く。

 私はあまりの悪寒に、思わずぶるりと身震いした。

 あぁ、この人は――この御方は、私達が沈んでしまったら、一体どうなってしまうのだろう。

 

 今回は何とかイムヤを救う事が出来た。

 だが、これが海の上であれば。

 提督の目の届かぬ、手の届かぬ場所であったならば、おそらくイムヤは今頃海の藻屑となって消えていただろう。

 そうなった時、提督は一体、どうなってしまっただろう。

 

 病は気から。

 佐藤元帥は、提督は心身を病んだと言っていた。

 つまり、不治の病に加えて、心も弱っていたという事だ。

 それはもしや――戦場に身を置いていた故ではないか。

 逃れ得ぬ非情な現実に打ちのめされ、憔悴してしまったのではないだろうか。

 提督が何よりも弱っていたのは、身体ではなく、心だったのではないだろうか。

 

 目の前の提督を見ればわかる。

 普段の凛とした表情も消え、生気さえ感じられないような、頼りなさ。

 それはまさしく、散りゆく桜のひとひら。

 

 ――駄目だ。私達が一人でも沈んだら、おそらくこの御方の心は砕け散る。

 

 ――心が砕け散れば、病は、身体は、命は。

 

 どうにかしなければならない。

 何とかしなければならない。

 

 ――強くならねばならない。

 この御方の領域で戦えるように。

 守らねばならない。

 私達が護らねばならない。

 この御方の心を、全てを、守護(まも)らねばならない――!

 

 何かしなければと思ったが、何ができるのかさえもわからなかった。

 ただただ、提督の姿を見つめているしか出来なかったが――。

 

「あぁっ、もうっ! いつまでメソメソしてんのよっ! 情けないったら!」

 

 そう言って一番早く提督に駆け寄ったのは、霞ちゃんだった。

 霞ちゃんはそのまま提督の御尻を勢いよく蹴り上げた。

 提督よりもそれを見ていた私達の方が両目が飛び出るほどの衝撃を受け、一瞬にして全員が正気に戻った。

 ようやく時が動き出したような気がした。

 

「泣いてたって何も変わんないでしょ! イムヤもまだ大破してんのよ⁉ ほらっ! 損傷のある子はさっさと入渠! さっさと指示出して! ったく……! しっかりしなさいな! 私達の司令官でしょ⁉」

「う、うむ……! そ、そうだ……! イクと朝潮達も、傷ついた者は入渠施設へ! ご、ごめんなイムヤ、すぐに連れてってやるからな……! 頑張ってくれよ……!」

 

 霞ちゃんに活を入れられ、提督もようやく気を取り直したのか、イムヤをその腕で抱きかかえて自ら入渠施設へと駆け出していった。

 その隣を、提督の背中をバシッと叩いて霞ちゃんが並走する。

 朝潮やイク達がその後を追っていくのを眺めていると――その背が視界から消えてしばらくしてから、私の肩を、長門さんがぽんと叩いたのだった。

 顔を向ければ、那智さんや加賀さんと共に、唇を噛み締め、肩を小さく震わせていた。

 

「……すまん、大淀……! もう、耐えられん……!」

「えっ」

「後は頼んだわよ」

 

 加賀さんがそう言い残すと、三人はザッと足並みを揃え、どこかへと向かって去って行った。

 その背を首を傾げながら見つめていた私だったが、瞬間、さぁ、と血の気が引いていくのがわかった。

 提督の領域――私達は全員、互いに顔を見合わせた。

 長門さんが、那智さんが、加賀さんが、何をするつもりなのかが理解できてしまったからだ。

 全員の視線が私に向けられ、私はもう勢いのままに叫ぶしかなかった。

 

「駆逐艦は全員入渠施設へ向かい、提督のフォローをッ! それ以外の皆さんは直ちに鎮守府正門へ集合して下さいッ!」

「了解ッ!」

 

 私達が全速力で長門さん達の後を追っていくと、ちょうど鎮守府正門の方から「佐藤元帥ーーッ‼ ウォォォオオオ‼」と声がした。

 見れば、すでに発進していた車に走って追いつき、長門さんが前方から力ずくで押しとどめていたようだった。

 佐藤元帥を乗せた車は混乱していたのかしばらくアクセルを全力で踏んでいたようだったが、長門さんが獣のごとき咆哮と共に鎮守府正門まで一気に寄り切ったところで諦めたかのように動きを止めた。

 慌てて私達が駆け寄ると、運転手の方が泡を吹いて気絶していた。非常に申し訳無かった。

 佐藤元帥は後部座席から慌てた様子で姿を現し、集まった私達の姿を見渡した。

 鳳翔さんも間宮さんも、状況がよくわかっていないようで、口元に手を当てながら目を丸くして、きょろきょろと辺りを見渡している。

 

「な、長門くん……! それに、皆も……こ、これは一体、どういう事だね」

「手荒な真似をして申し訳無い……! しかし、ひとつだけ……どうしても前言撤回をさせて欲しい事ができた!」

「な、何だって……」

 

 戸惑う佐藤元帥の前に、私達は並び立った。

 その心はひとつ――長門さんが何を言うつもりなのか、私達にはわかっていた。

 長門さんは息を整えるように大きく息を吐き、静かに目を瞑り、小さく肩を震わせながら口を開いた。

 

「佐藤元帥」

「提督は……神堂提督は、弱い御方だ」

「我らが出撃すれば一人隠れて涙を流し、今もまた傷ついた部下を見て涙を流した」

「その心身はまるで舞い散る桜の花弁のごとく、脆く、儚く、頼りない。誰一人として沈むななどと、軍人としてあるまじき夢物語を口にするその優しさは、絶望的なまでに軍人に向いていない……」

「その出自や艦隊指揮能力、そしてかつて艦隊司令部に逆らった我々の存在……提督は、あらゆる面でこの横須賀鎮守府にいない方が良い御方だ……」

 

 長門さんはカッと目を見開き、佐藤元帥の目をしっかりと見据えながら、言葉を続ける。

 

「しかし、しかし佐藤元帥……! たとえ今後、あの方よりも優れた提督が現れようとも! 再び艦隊司令部に逆らう事になろうとも! あの方の命を縮めてしまう事になろうとも、その先にどのような試練が待ち受けていようとも! 我々は神堂提督と共に戦うッ!」

「なッ……⁉」

「たった今、我らは理解した! 軍略、戦術、神算鬼謀……もうそんなものはどうだっていい……! そんなものは二の次だ……! 自らの事を厭わず、この国を、我らを想う、あの底抜けの優しさが! あの弱さが! 覚悟が! 生き様が! あれこそが我ら横須賀鎮守府の艦娘総員が、真に護らねばならなかった者の姿だッ! あの方こそがッ、我が国の未来だッ‼」

 

 佐藤元帥は驚愕を隠す事が出来なかったようだった。

 目を見開いて、信じられないと言った表情で固まってしまった。

 

 あぁ、ついに口にしてしまった。

 ほんの数分前の私であれば、絶対に止めていた言葉であったが、今はもう、それでいいと思った。

 後悔は一切無かった。

 もう、理屈ではどうにもならなかった。

 理屈なんてどうでもよかった。

 

 提督が横須賀鎮守府に着任すると決めた瞬間、すでに火は着いていたのだ。

 命を燃やし尽くす覚悟は出来ていたのだ。

 散りゆく覚悟は出来ていたのだ。

 提督自身が望んでいないというのに、私達が提督を気遣って舞鶴で余生を過ごす事を許容してしまっては、また提督の想いを無下にする事になる。

 それは提督の命を冒涜(ぼうとく)する事になる。

 私達はもう二度と、提督の信頼を裏切りたくなかった。

 

 しかし、私達の立場を少しでも良くしようと考えて下さっている提督だ。

 艦隊司令部に逆らってでも、と断言した私達の言葉を聞いたら、提督は怒るだろうか。失望されるだろうか。

 これこそが、提督の信頼を裏切る事になるのではないだろうか。

 

 それでもいいと思ったのだ。

 矛盾していようが、もうそれでいいと思ったのだ。

 私達ももう、何が何やら訳が分からないのだ。

 再び人間に逆らった兵器の烙印を押されようとも。

 誰に何を言われようとも、罵られようとも。

 貴方にどれだけ嫌われようとも。

 怒られようとも、失望されようとも。疎まれようとも。

 

 ――貴方がいい。

 

 共に征きたい。貴方と共に、海を駆けたい。

 

 もしもこの戦いにいつか終わりが訪れるのならば、その終わりまで貴方といたい。

 

 ――私達には、もはや、もはや――貴方の声しか届かない。

 

 それだけが、何一つ嘘偽りの無い、私達の想いだった。

 貴方の望みを叶えたい。

 誰一人として沈まずに、この国を護りたい。

 貴方の心を護りたい。

 

 神堂提督の底抜けの優しさが生んだ、あまりにも厳しすぎる艦隊運用。

 私達がそれを完璧にこなす事ができれば、それは自然と戦果に繋がる。

 最小限の被害で、最大の戦果を上げる――何よりも厳しくて、何よりも優しい策。

 それを成し得るには、もっと強くなるしかない。もっと精進するしかない。

 貴方への信頼があれば、私達はどこまでも強くなれる。

 強くなれば、貴方の理想を叶えられる。 

 貴方の愛するこの国を、私達を、そして貴方を、護る事が出来る。

 

 ――私達はようやく理解できたのだった。

 

 ――これが提督の領域の神髄……神堂提督の艦隊教義(ドクトリン)

 

 やがて佐藤元帥は私達の意図を理解し、飲み込めたようで、愕然とした表情を浮かべたままに、静かに口を開いたのだった。

 

「……彼は、とんでもない事をしでかしてくれたな……いや、そうか……取り返しのつかない事をしてしまったのは、私の方か……私は……何て事を……」

「佐藤元帥。貴方には感謝している。神堂提督を横須賀鎮守府に着任させてくれた事を……我らとあの方を引き合わせてくれた事を」

 

 長門さんに続いて、那智さんが口を開く。

 

「フン……あの男、鉄仮面の下に随分と情けない本性を隠していたものだ……正直、見るに耐えん。ならば、我らが何とかするしかあるまい。奴の下からな……」

「そう……提督がどんな想いでここに着任したのか……危うく、それを無下にするところだったわ。私達は本当に……救いようが無いわね」

「那智くん、加賀くん……」

 

 佐藤元帥は驚きと申し訳無さが同居しているような表情で、ただ、そう呟いた。

 そんな佐藤元帥に、龍驤さんがいつものように軽快な笑みを浮かべて、声をかけた。

 いや、龍驤さんだけでなく――。

 

「佐藤元帥、もう、返せと言われても返せへんよ。ここまで司令官の事を知ってもうた後じゃなぁ……無理やろ、あんなん。もうアカンわ」

「龍驤くん……」

 

「私は今まで、何も理解できていませんでした……提督の御心を……今までの自分を張り倒してやりたいくらいです。どうか、これからも提督と共に戦わせて頂けないでしょうか」

「赤城くん……」

 

「佐藤元帥っ! 鹿島からもお願いしますっ! 秘書艦としてっ、提督さんが少しでも楽になれるよう頑張りますっ! 本気でっ、死ぬ気でっ、やり遂げてみせますっ! たとえ疲れ果ててもっ、最後まで力を振り絞ってっ、支え抜きますっ!」

「鹿島くん……」

 

「佐藤元帥よ、悪い話ばかりでは無いぞ。提督の下にあれば、この神通が修羅と化す。まさに向かう所、敵無しじゃ! 先日の夜戦では提督の事を考えるあまり敵味方の見境が無くなり、吾輩まで沈めようとしたくらいじゃからな」

「と、利根さんっ! そ、それはもう、勘弁して下さい……!」

「フッ、一方で大淀は司令の事を考えるあまり被弾しそうになっていたがな」

「そ、それは……って何で磯風がここにいるんですか⁉」

「問題無い。この磯風の代わりに、司令の側へは金剛が向かった」

「そういう問題じゃないんですよ!」

 

 いつの間にか磯風がドヤ顔で腕組みをして、私の隣にいた。

 駆逐艦は皆提督のフォローにと言っておいたはずなのだが……とんだ片腕もあったものだ。

 私達全員の意思と、迸る思い。

 それを真正面からぶつけられ、佐藤元帥はぶるりと身震いしたように見えた。

 驚きの中に、どこか満足しているような、そんな複雑な表情だった。

 そして覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開く。

 

「この一件は、私の一存で決められる事では無い。だから、悪いが約束する事はできない」

「……はい」

「艦隊司令部に逆らってでも、という物騒な言葉は聞かなかった事にさせてもらおう。だが、君達の意思は、確かに艦隊司令部に持ち帰るよ。君達の熱意は……そのままにね」

「――は、はッ! どうか、よろしくお願いしますッ!」

 

 一斉に頭を下げた私達に、佐藤元帥は静かに言葉を続けた。

 

「ただし、もう一度だけ、私から……ひとつ、元帥命令を発したい」

 

 その言葉に、私達は顔を上げ、背筋を伸ばして姿勢を正す。

 佐藤元帥は私達一人ひとりの顔を確かめるように見据えてから、言ったのだった。

 

「君達はもう気付いている事だとは思うが……彼は、この国そのものだ。決して失われてはならない存在だ……絶対に、護り抜いてくれ。今度は、誓ってくれるかい?」

 

 ――この国、そのもの……。

 決して失われてはならない存在。

 やんごとなき、血筋。

 只事では無い、奇跡の光景。

 この国の象徴――桜の化身。

 国の、桜の、奇跡の、血筋――。

 も、もしや、提督の血筋とは、高貴というレベルではなく、もしや――⁉

 

「――了解ッ‼」

 

 私達は一糸乱れず敬礼した。

 それを見て、佐藤元帥はどこか安心したかのような表情で車に乗り込み、やがて去っていった。

 車が見えなくなってからも、私達はしばらく固まったまま動く事が出来なかった。

 

 提督は……提督が、そんな、まさか――。

 

 ……いや、そんな事は、私達にとってどうだっていい事だった。

 身分や血筋なんてどうだっていい。

 私達が惚れこんだのは、そんなところでは無い。

 そんなものは、物のついでだ。

 そう考えているのは私だけではないようだった。

 故に誰もが、わかっていたとしてもそんな事は口に出さなかった。

 

「……強く、なるぞ……! もっと……もっとだ……‼」

 

 長門さんが呟いた。

 私達は顔を見合わせ、こくりと頷く。

 

 足りない……まだ足りない。

 あの方の領域に至るには、まだまだ足りない……!

 轟沈せず、大破すらせず、作戦を全うできる強さが欲しい……!

 もう二度と、あの方の泣き顔を見なくて済むような、力が欲しい……!

 もう二度と、あの方の期待を裏切らない……!

 

 提督の異動は、佐藤元帥の一存で決められる事では無い。

 おそらく提督の意思さえも関与できない、大きな力があるはずだ。

 ならば、結果で示す他は無い。

 横須賀鎮守府には神堂提督しか有り得ないと、世間に納得してもらうしかない。

 必要だ……誰もが認める大きな戦果が……! それを成し得る更なる力が……!

 

 提督の真実を知ったからか。

 その隠された意思を理解できたからか。

 胸に宿った熱から、こんこんと力が湧き上がってくる。

 

 横須賀鎮守府に根を張った、一本の癒しの桜。

 いつか散りゆく宿命(さだめ)と知りながらも、私達はその下に錨を下ろす。

 

 心無き刃に、その幹が切り倒される事が無いように。

 いつか静かな海を取り戻せたその時に、まだその花が咲き誇っていられるように――。

 

 (あなた)に寄り添う錨になろう。

 貴方と共に、皆と共に、終わりまで誰一人として欠ける事無く、美しいこの国を護り抜こう。

 

 私が空を仰いでそう誓っていると、その隣で磯風が、照れ臭そうに鼻の下を人差し指で擦りながら言ったのだった。

 

「……フッ、どうでもいい事だが、司令の片腕たるこの磯風はさながら御召艦という事か……まぁどうでもいい事だがな」

「貴女もう本当に黙っていてくれませんか」




大変お待たせいたしました。
これにて第三章の艦娘視点は終了となります。
残るは元帥視点と提督視点になります。
またしばらくお待たせしてしまいますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。

艦これも五周年、そろそろ春のミニイベが始まりますね。
私事ですが、大和の私服グラに一目惚れして久しぶりに大型建造に挑戦した結果、運良く無事大和とビスマルクをお迎えする事が出来ました。
bobさんの新艦も予定されているようで、とても楽しみです。
提督の皆さん、これからも楽しんでいきましょう。







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