ジングルベル、ジングルベル。
街を歩いているとクリスマスソングが聞こえて来る。
海鳴の街は冬になっていた。空は冬の色を加え、そして空気は冷たく澄んでいた。軽く口を開けて息を吐き出せば白い息が漏れて来る。こうやって寒さを感じるとやはり冬なんだな、と思わせられる。魔法を使えばこの程度の寒さどうにかなるのも事実だが、それはそれで情緒という物がない。やはり冬ならば、その寒さを楽しめるものではないと意味がないとも思っている。故に、何時ものスーツに、帽子という恰好で冬の街に出ている。
どこもかしこも人だらけ。急いで帰る者も、絶望の表情で仕事し続ける者もいる。右を見ても左を見ても人、人、人。当然のように街もクリスマス一色に染まっている。まぁ、それも当然だろう。
今夜はクリスマスイブだ。
聖者が誕生した時が直ぐそこまで迫っているのだから。
とはいえ、その事実はこの日本という国ではあまり意味を持たない。基本的にお祭り騒ぎを好む日本人という気質が社会に大きく影響し、人は元の理由を無視して好き勝手騒ぎ。企業はそれに便乗してクリスマスセールを行う事で少しでも営業を上げようとする努力をしていた。何が何でも金、金、金。
やれやれ、全く疲れる世の中だ。
欠片もそんな事を考えていないのだが。
ふぅ、と息を吐き出す。
白く染まるそれを見ながら足を止めて、過ぎ去って行く人混みへと視線を向ける。家族で出かける姿が目撃出来る。まだ明るい事を考えると、今から買い物してから家で……という形だろうか?
その姿を見て、軽く頭の帽子を押さえる。
さて、どうしたもんか。
少々、悩んでいる部分があるのは事実だった。その気持ちに決着をつける為に、こうやって外に出てきたが、眺めていると更に悩む部分がある。果たして良いのだろうか? そんな考えが珍しく、自分の中にあった。これが自分だけの事であれば、迷う事無く直ぐに決断することが出来るだろう。だが事はそこまで簡単な事ではなかった。だからこそ困っている。どうしたもんか。
そう考えている所に、
「おや、君がこんな所で一人で黄昏ているとは中々珍しいね」
ん? と声を零しながら振り返ってみれば、知っている顔の男が居た。顔は良いが、魂がどす黒い色をしている研究者の男―――今はグランツ研究所で娘に見張られつつ生活をしている声と顔だけが良い男、
フィル・マクスウェルだ。
今日も魂のどす黒さが良く見える。
「相変わらず君は辛辣だねぇ。まぁ、そこが君の味なのかもしれないけれど」
そう言ってあっさりとフィルは受け流す。まぁ、この男が自分の友人に監視されている間は、特に心配する必要もないだろう。それよりもこの男がこんな時間に外を出歩いているのが驚きだった。
暇さえあれば養子縁組を迫る様な変態がついに野放しにされたのだろうか?
「いや、流石に辻養子縁組はしないよ。するとイリスに刺されかねないからね。それでもシュテル達に養子縁組を申し込んでみたらレバブローから飛び蹴りをくらわされたけどね。最近の女学生たちは中々にワイルドだと思わないかい?」
爽やかに言えば何でも許されると思っているイケメンがこいつだ。本当にこの顔面を一回陥没させるべきだし、既に娘のイリスが何度かやっている。
「む、才能ある子供の気配がするね?」
イリスの代わりにフィルの顔面にビンタを一発叩き込んでおく。やっぱりこいつ、放っておくと絶対に辻養子縁組を始めかねない。それはともあれ? 今日は一人というのは中々に珍しいものを感じる。
今日はどこの子供をハントしに来たのだろうか?
「そんな変態みたいに言わないでくれよ。これだよこれ」
フィルはそう言うとズタ袋を担ぐようなポーズをした。あぁ、成程。
ついに攫うのか。
「イリスに怒られるから止めてくれよ。クリスマスだよ、クリスマス。プレゼントの受け取りがあるからね。イリスが居ない間に回収に向かおうかと思ってね」
そう言うフィルはどことなく、楽し気な気配をしている。いや、実際に楽しんでいるのだろう。彼が前の世界ではどういう悪人だったかは全く興味はない―――というか絶対に悪人だっただろうなぁ、とは予測がつくのだが―――少なくとも、この時間軸、世界におけるフィル・マクスウェルというのはちょっと奇抜ではあるものの、悪い父親ではない。
彼はちゃんと、自分の娘の幸せを願えている。
「ま、私はそろそろ娘が出かけている間にプレゼントを受け取りに行くよ。じゃあね」
そう言うとフィルはそのまま、デパートの方へと向かっていった。娘―――つまりはイリスのクリスマスプレゼントを受け取りに行ったのだろう。奇行が目立つ部分もあると言えばあるのだが、それでもフィル・マクスウェルがちゃんとした親をやれているのはまた事実だ。その姿を見ていると、自分がこうやって悩んでいる姿が少し、悲しくなってくる。
アレでさえ親の真似事は出来るのに……。
いや、まぁ、フィルは結婚せずに養子縁組でイリスを引き取ったから参考になると言えば微妙なのだが。それでも親子としてちゃんとイリスに対して愛を注げている姿を見る限り、アレは誰かを愛する人としては、自分よりも上等なのかもしれない。
フィルが消えた方から視線を外す。そして視線を近くのウィンドウへと向ける。
デパートのウィンドウの中には、コートなどが飾られているのが見える。何か、手土産があった方が良いのかもしれない。そんな事を考え腕を組む。だがプレゼントを用意したら、それはそれで物で釣っているようで、ちょっと、個人的にもにょる部分もある。ここはやはりストレートに言葉で決めるべきだろうか?
あぁ、馬鹿々々しい。こんなの全く自分のキャラではない。もっときざったらしく、しかしストレートに言ってのけるのが自分というキャラクターではないだろうか? 少なくとも、ここでぐだぐだと悩んでいるようなタイプではない。
流石にここまで、引っ張りすぎたのが原因なのではあるのを自覚している。とはいえ、答えを出すのであればなるべく真摯に向き合いたいというのも事実だった。
―――オリヴィエの好意に対して。
彼女が唯一頼れる人物だから俺に惚れている―――という訳ではなく、全うに一緒に暮らして、そして好意を向けてきている。その事実を良く理解している。始まりは歪だったかもしれないが、今の彼女は自立している。その上で好きだ、という感情を向けてきている。
そろそろ、そろそろ答えなきゃならない。
明確な言葉で。
海鳴のセンター街から歩いて出てきた所で、ぶらりと立ち寄ったのは住宅街の方だった。此方の方には商店街が存在し、センター街と比べて比較的に落ち着いていると表現できるエリアでもある。自分が住んでいる所もこっちの方になってくる。いつの間にか自宅へと向かって歩いている自分の足を思えば、既に覚悟や結論の方は出ているのだろう。それでもあーだこーだ、と言葉を自分の中で濁そうとしているのは、ちょっとした不安が残されているからなのかもしれない。
そう思って自宅への帰り道を適当にゆっくりと歩いていると、商店街で買い物する姿を見つけた。
「お、帽子のにーさんやんか」
「よう」
「どうも、こんにちわ」
八神堂の主である八神はやて、その家族であるヴィータ、そしてシグナムの三人組だった。旧歴史の流れである従者という関係は消えたはずだが……今では八神ファミリーという形で夜天の守護騎士たちが残されている状況は、実に面白いとしか事情を知る者としては言えない。なんで日本人と外国人が普通に並んで違和感を持ってないのだろう。そもそもこの街、喋る動物さえ普通と認識されるし。
「帽子のにーちゃんはなんや? 今夜はねーちゃんとアレか?」
「はやて。はやて??」
はやてが親指を指の間に差し込むシンボルで煽ってくる。それをシグナムが頭を叩いて止めさせる。この娘、そんなロックなやり口を一体どこで覚えてきたのだろうか? ヴィータの方は軽くショックを受けて凍り付いている。
「全く、本当にどこでそういう事を覚えて来るのですか……」
「いやぁ、この間半裸でギターを振り回すおっちゃんを見かけてな。こら平成最後のシド・ヴィシャスやな、って思って短期的な弟子入りを」
「はやて、後で家族会議です」
「そんなー」
「いや、当然だろ」
ヴィータのツッコミにしょぼくれるはやての姿にやれやれ、と声を軽く零す。それで、と声がヴィータの口から洩れる。
「今夜はオリヴィエ様と一緒か?」
「あの方を悲しませてはならんぞ。泣かせようものなら叩き斬りに行くからな」
「なんでか知らんけど皆、妙にねーちゃんには過保護やなあ」
「なんでだろうな……」
「妙にそうしなければならないという感覚が強くて……」
聖王の血筋、そのカリスマ性は未だに消えない、という事なのだろう。まぁ、この二人がその事に関して心配する必要はない。少なくとも自分はオリヴィエを悲しませるような事はしない。するつもりもない。彼女に似合うのは笑顔だ。そして一生分の悲しみは既に終わらせているのだ、だったらもう不必要な涙を流す事はない。それはこの地上最強で最も格好良い男として断言できる事である。
「かっこいいって部分には疑問が残るけどな」
何故。
「いや、基本ふらふらしてるしお前」
「にーさんちゃんと働いてるん? もしかして養われているん?」
「二人が済まない……」
シグナムの申し訳なさそうな表情に、問題はないと返す。まぁ、自分は一回で大きく稼いで休みをもらうタイプの仕事なのでそこまで必死に働く必要はないのだ。無論、その内容は秘密なのだが。
「凄い気になる」
だが秘密だ。良い男とは常に格好良い秘密の一つや二つを抱えている。まぁ、持っている能力を正しい所に売り込むのが一番金を稼げる方法だと説明だけはしておく。
その言葉にはやてが解った、と声を放つ。
「ホストや!」
「はやてほんとさぁ……」
惜しい。
「惜しいのか!? 気になって来るぞ!?」
正解はというと、どちらかと言うと正義の味方系の職業なのだ。そう、世界平和を貰ってお金をもらう仕事をしているのが自分である。
「全く違うじゃねぇか!」
ヴィータの半ギレの言葉に軽く肩を揺らしながら、揶揄うのを止める。今日は家でゆっくりと過ごすつもりなので、そろそろ散歩を切り上げて帰るつもりだった。故にさようなら、と手を振って歩き去る。
「ほな、またな!」
「さようなら」
「じゃあな!」
元ベルカ組―――今ではただの人間となった守護騎士とその主に手を振りながら去る。
管理局が存在した世界では、人間ではない事に苦悩していたが、今ではそんな事もなく、普通の人間としてこの街で幸せに暮らしている。そんな姿を見ていると、果たして魔法が存在した事に意味があったのだろうか? とは思わなくもない。便利で文明を発展させたのも事実だ。
だがその犠牲になっていた存在が、余りにも多すぎた。
魔法はこのまま、闇に消えるのが一番良いのかもしれない。
クリスマスイブには似合わないそんな事を考えながら帰り道を進む。
ここまで来るとほぼ近所で、近くに住んでいる連中の姿が見えて来る。妹のティアナと手を繋いでいるティーダがプレゼント選びの為に出かけている姿が見えた。恭也が恋人の忍と腕を組んでいて、此方を見かけると軽く手を振ってきた。ジェイルがサンタの格好をしながらロボ型トナカイに乗って爆走しているのを娘たちが追いかけている姿が見える。
相変わらず、どの歴史でもはっちゃけているアイツの姿を見ていると安心感さえ覚える。だがそういう安定感が重要なのかもしれない。
車に突っ込んで事故った友人の姿を見届けてから住宅街、自宅まで戻ってくる。鍵を召喚して開けながら家の中へと戻る。軽くただいま、と声を零しながらリビングへと戻れば、厨房の方から料理の準備を進めている彼女の姿が―――オリヴィエの姿が見える。
帰ってきた此方に気づく様に、彼女は振り返りながら微笑む。
「お帰りなさい」
エプロン姿で振り返りながら微笑むと再び鍋の方へと視線を向ける。厨房に自分も入り込んで覗き込んでみれば、そこで作られているのはビーフシチューだった。
「桃子さんにレシピを教わったのですけど、今回初めて作るんですからちゃんと意見を……あ、ちょっと!」
鍋に軽く指を突っ込んで味見してみる。
うん、悪くはない味をしていた。いや、寧ろ自分好みの味だ。
「もう、そんなことしなくても味見はさせてあげますから……」
呆れながらオリヴィエはそう言うとサイドテールを軽く揺らしながら横に置いておいたグラスを取って、その中身を飲む。こちらに来てからオリヴィエは軽く髪を伸ばす事を決めたようで、その髪の毛は昔のそれよりも長くなっている。胸の起伏がない分、別方面で女性らしさを伸ばしているのだろうか―――サイドに纏められている髪によって首元が見えており、そこにかなりぐっとくるのも事実だ。
的確に好みを抑えられている。
入れ知恵したのは誰だろうか。
と、そこでオリヴィエが料理しながら飲んでいるのがワインだと気づいた。
「あはは……すみません、ちょっと我慢しきれませんでした」
そう言う意味ではないのだが―――いや、まぁ、ベルカでは若いうちから酒を飲んでいたな、と思い出す。
「私も元は王族ですから。嗜みとして飲み慣れていますから酔い潰れる心配はありませんよ? ほら、そこまで飲んでいませんし」
そう言って息を確かめさせるようにオリヴィエが顔を寄せて来る。このまま顔が近づけば、唇が重なる位置まで来るだろう。毎度毎度この手のはそれとなくするりと躱してきた事でもある。なのでオリヴィエとしても特に期待している訳ではなく、明確な好意を見せる為のアプローチとしてやってきているのだろう。
だから唇が近づいてくる。覗き込む此方の顔にオリヴィエの顔が接近し、息を感じられる距離まで近づいた。
そこでオリヴィエの方から接近が止まった。
「……キス、しちゃいますよ?」
いいんじゃないだろうか? まぁ、なんだかんだでずっとオリヴィエの好意を躱してきたからここら辺、疑われてもしょうがないなぁ、とは思っていたりもする。だがそれはそれとして、そろそろその気持ちには応えたいと思う部分もある。そして逃げるのも自分らしくはない。そう思わなくもない。
「勘違いしちゃいますよ?」
盛大にどうぞ、としか言えない。
「気がないと思ってたんですけど」
真面目な話をすると、ただその気持ちに真摯にありたかっただけだと言わせて欲しい。オリヴィエの気持ちは純粋である。或いはそういう風になったのは自分が原因である。だとしたら、それが偽りでも依存でもなんでもなく、心から来ているものだと見極めたかったのと、
「と?」
……惚れられているから応える、とかあまりに男として頭が悪いし格好悪いだろう? だったら心の底から惚れて応えたい。
「……もう、本当に馬鹿な魔法使い様」
男は馬鹿じゃないと生きられないし、格好つけないと生きられない。オリヴィエもそれを知っていたはずだ。
「知っていますよ……知っているからこうやって好きになったんですから」
そう言うとオリヴィエは僅かに目元を潤めながらゆっくりと顔を近づけ―――最後の距離を詰めた。
唇と唇を重ね、ちょっと早いかもしれない愛という事実をクリスマスプレゼントに受け取った。
こうやって、どこまでも何事もなく、
普通で愛しい生活は続くだろう。
2018年年末企画。