「はい、到着~!!」
自前のリュックを背負った妹は、僕にキャリーバックの一つを持たせて、駅から出て散歩歩いた先でそう言うと同時に駆け出した。
あ、そんなにはしゃぐと転ん……ドベシャッ、と非情な音が、改札機を出た直後の僕の耳に届く。
「だから言ったのに……」
「何も言ってないヤツが言うな!!」
そうだった。そう言えば、口にはしていなかった。
ごめんごめん、と謝りながらも汚れないようにキャリーバックを担いで駆け寄ると、立ち上がろうとしていた妹の紅に片手を差し出した。
「舞彩の馬鹿……うっ、めっちゃ恥ずかしいよぉ……うぅ……」
顔を俯かせて泣き言を言う紅の手を引いてやることにして、何とか実家に辿り着く。
その道中に、紅の有り様に事を察した近隣住人の優しい心遣いで彼女の肘と膝と手のひらについていた泥を拭われたり、慰めにお菓子を貰えたり、ついでにお土産物を後で配りに行きますと伝えたりで途中途中足を止めながらだったが、早く着けて良かった。
彼らが優しさの塊のようであるのは分かっているけれど、この状態で人目に晒されて、羞恥に泣きそうになっている妹をこれ以上放っとく訳にも行かないからである。
「ほら、家に着いたから。もう大丈夫だよ」
「……お風呂、先に行きたい」
妹の荷物を地面につけて万が一にも汚さないようにどうにか抱えて、しゃがみこんだ僕は、紅の顔を下から覗き込んだ。
蒼白い顔はいつもと変わらず。しかし、僅かに朱の差した頬には、嫌な予感を覚える。
風邪を引いているのなら、立っているのも辛い筈なのだが成長したのか我慢強くなっただけなのか。やれやれ。
もし、これが、泣き上戸の父に知られたら、「感動した!!」だとか言ってこっぱずかしい名目で街中を巻き込んだ宴会を開きかねないのが、現実と言うものである。
ごめん、そうなったら、適当なところに一緒に避難させてやるぐらいしか出来ないよ。
僕としては、泣くのを堪えてここまで歩いた上に、家族に会うなら、それも、数ヵ月振りと来ればこんなよれよれの姿を見せたくないと思う彼女の願いを叶えてやりたいのは山々だが、流石に、誰にも会わないで風呂場にまで直行するというのは難しい。
手引きというか、協力してくれそうな人を即座に思い付いた僕の笑顔に、目も合わせてくれなかった紅は、首を傾げていた。
言い出した紅からしても、難しいと分かっている案に、僕が何を思い付いたのかと不思議に思ったのだろう。
何、簡単なことである。一番に駆け付けて騒ぎ出しそうな父の頭の上がらないトメさんという最強兵器を持ち出して、内部に事情を組ませて、ちゃっかりと使用人たちにも通達してお節介を焼いてくれるだろう。
今更だが、僕らの実家の二階堂家はそれなりの良家の歴史があるので、そういう事情からしても、人目の多い実家の目から隠れて実家の風呂に入るのは至難の業だということだった。
「トメさんにだけでも、会ってからで良い?」
「ん」
案の定、頭に浮かんだのであろう老年配の女性の顔が曇るのを嫌がってか、眉を下げた紅は目を合わないままでも、静かに頷いてくれた。
さて、では、誰よりも心強い協力者に会いに行きますか。
「あら、お嬢様方のお帰りではありませんか」
しゃがみこんでいた僕と、紅の死角から現れたのは、丁度、話題に上がっていたトメさんこと、登米(トメ) 梅子だった。
年を感じさせることのないピンとした背筋に、張りつやのある肌といつだろうと崩れた所を見たことがない柔和な笑みの和装の女性。
流石というか、何というか。視界に映っていた紅の顔も、心なしかホッとしたような表情をしていた。
だが、しかし。
俯いたままだったからこその紅とは違って、静かに立ち上がった僕が徐に、彼女を背中に隠すようにしたのには訳がある。
僕にも、況してや、乙女のお年頃な紅にとっては殊更に残念なことに、やって来たのはトメさんだけではなかった。
顔を出そうとした紅の頭を後ろ手に押さえた僕は、風情ある風鈴の音が聞こえてきたのを遠くに聞きながら、今は会いたくなかった、久々なのに、見馴れた感覚のある人懐っこい笑顔の少年をその目に捉えていた。
「ん?帰ってきたって……よっ、舞彩じゃん」
幼馴染みよりも腐れ縁というのが間口 黒真こと、マグロ君だった。
実際には、クロマと読むらしいけれど、僕が発端でありながらも姉が流行らせた以降は、このお茶目な呼び名が定着化してしまった可哀想な十四歳の少年である。