これが、私の朝の日課

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私と彼と秘密の思い出

夜が明けたばかりの澄んだ太陽光を浴びて彼の家を目指す。清浄な空気が胸一杯に満ち、ひんやりと気持ちのいい薄霧が辺りを包む。道端には露に濡れた草むら。耳を澄ますと目覚めたばかりの鳥の鳴き声が聞こえる。

 

「……ついた」

 

静かな住宅街の中にある彼の家。その例に漏れず、彼の家も静かだった。

彼の家の玄関まで足音を立てずに忍び寄る。この前はここで足音を立てて彼を起こしてしまった。彼のあどけない寝顔を見るのが、私の朝の日課なのに。

ポケットから年季の入った合鍵を取り出す。お義母さんからの許可は既に降りている。彼は恥ずかしがり屋だから、その鍵を返せと言うけれど私は絶対渡さない。彼の焦った顔も私にとって活力剤なのだ。

 

「……おじゃまします」

 

静かにゆっくりとドアを押す。外と内の温度差なのか、私に向かって吹く緩やかな風。その風にのってくる彼の匂いが私の鼻孔をくすぐる。

 

「……おはようございます」

 

とりあえず一礼。誰も返事をしてくれないのはわかってるけど、それでもしたほうがいいと私は思った。

階段を上がってすぐのところにある彼の部屋を目指す。

自分でも動悸が早まるのがわかる。いくら慣れたとはいえ、愛する人の近くに行くんだから、緊張しないと言えばウソになる。いつも外面では落ち着いてる様に見えても、口数を少なくして良き妻を演じているだけなのに。

 

いいかげん気づけ。バカ……。

 

彼の部屋のドアを薄く開ける。そして聞こえてくる赤ちゃんのような彼の寝息。天使のような彼の寝言。口から奏でられるハーモニーは女神が弾くハープ。

 

スースー

 

気品すら感じさせる淑やかな姿と端正な顔立ち。少し大きめなベットも彼が眠るとちょっと窮屈そうだ。

大きくてくりくりとした瞳。すーっと筋の通った鼻。薄紅色の柔らかそうな唇。顔全体からにじみでる愛らしさ。見ているだけで、私の知らない彼がでてくる。

 

「ううっ」

 

寝苦しいのか、彼は覆いかぶさっている布団を蹴った。彼は見た目と違って意外と寝相が悪い。そんな欠点も彼の魅力の一つだ。

ずれてしまった布団を正す。冷たい空気に一瞬触れたためか、彼は布団を蹴ることなく静かな寝息をたてて再び夢の世界へ入っていた。

そんな彼の顔を見ていると、枕元に置いてある携帯が目に入ってきた。

 

「……また」

 

アドレス帳を開くと女性の名前が入っていた。

彼の交友関係は全て網羅しているつもりだ。島田や姫路という名前の友達がいるのは知っている。だけど、もしかしたら名前だけ違う別の女性かもしれない。

彼は私と違って機械に詳しいから、そういうこともできるだろう。

 

「……消去」

 

消し忘れのないように『吉井明久』の文字を消してから、私以外のアドレスを消す。何回もやっているから自然とこの動作だけは機械が苦手な私でも速くできる。

一通り消し終えて隣で眠る彼を見ると、心地よい寝息をたてていた。

何も知らないでのんきに眠って…………これは制裁を与える必要がある。

 

チム

 

彼の柔らかく張りのある頬を軽く摘む。

ううっ、と寝苦しい声をあげてもぞもぞと動く彼。まるで、だだをこねる赤ちゃんみたい。

いつか、私たちに子供ができたら玉のように可愛いに違いない。

制裁としては充分だと思い、私は摘んでいた頬を離した。

 

「ふぅ」

 

安らぎの表情とともにその唇がまるで狙っているかのように私の方を向いた。

いつも一緒にいる時は、獲物を見つけた鷲のように炯々とした瞳と死と背中合わせの戦場にいる武士の如く緊張感を漂わせている彼。

けど今、彼の艶めかしい唇は襲うこちらが戸惑うほど無防備だ。

 

(ごくっ)

 

二度三度周りに誰もいないことを確認してから、顔にかかった髪をかきあげる。ゆっくりとゆっくりと彼に近づく。

心臓の鼓動は加速度的に速くなっていき、焼けつくような緊張感にノドがかれていく。

彼我の距離まであと十センチ。だけどその数センチが遠い。

例えキスしても彼は覚えていない。覚えているのは私だけ。それが残り数センチの距離を思いとどまらせた。

 

『翔子――弁当、旨かった』

 

落ちかけの夕日に映える彼の爽やかな笑顔が頭をよぎる。

彼とは何もかも共有したい。愛も、時間も、思いでさえも。

生涯尽くそうと決めた彼だから、お嫁さんになろうと誓った人だから。

 

「…………やめよう」

 

だから……これは彼に対する裏切り。

肩の力を抜いて、彼の顔に手を添える。後になって思えば、これが原因だったのかもしれない。

 

「うぅん」

 

…………触れた。

寝返りの瞬間。確かに触れた。私の唇と彼の頬の距離が無くなった。

感触が残る唇に指を当てる。かすかに残る彼の温もり。

 

 

 

今はこれでいい。

 

時間はたっぷりあるのだから。

 

 

 

そんな私を祝福してくれているかのように、カーテンの隙間から陽光が差し込む。そして眠りから覚める何も知らない無垢な彼。眠気が抜けきっていないのか、私に焦点があっていない。

だから私は口元を軽く持ち上げてこう言うんだ。

 

 

 

「……雄二、おはよう」

 

 

 

 

これは、たった一つの彼への秘密。

 

 

 


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