磯野、野球しようぜ   作:草野球児

10 / 10
10話 激突

 ネクストサークルから立ち上がる。日射に照らされ、その熱気で一瞬意識がぼやけた。

 ぐっと丹田に力を込め、気合で立ち上がる。

 

 朦朧とする中スコアボードを眺め、スコアが「1-2」のビハインドであることを再確認した。

 

 ワンナウト、ランナー三塁。

 

 外野まで打球が飛べば、ヒットか犠牲フライになって1点。打ち損じてゴロになっても、ピッチャーゴロ以外ならほぼ1点入る。

 そうすれば同点。序盤から防戦一方だった俺達が、ついに追いつける。

 

 中盤の大一番を迎え、それに合わせてアルプスから『We will rock you』が掛かる。ブラスバンドの全ての音が、内野席を覆う「銀傘」で反響し、上空から音が降ってくるような錯覚に陥った。

 太鼓の音が地面をビリビリと揺らす。

 

 万全の状態で迎え撃つあさひが丘に対し、横浜港洋学園側は明らかに焦っているのが傍目に見ても分かった。

 マウンドには内野手が集まり、ベンチから伝令を走らせ、マウンド上で作戦を打ち合わせがずっと続いている。長い。かなりモメているようだ。

 一人がしきりに俺と一塁を交互に指さしたかと思えば、中島がそれを手で制し、その様子に大柄な三塁手は不満げに首を傾げる。

 ずっとこんな調子だ。

 やっとのことで輪が解け。中島が戻ってきた。

 

「タイム長いなぁ」

 

「こんなピンチで磯野を迎えちゃったからね。大パニックさ」

 

 中島はそう軽口を叩いてみせたが、表情に笑みはなかった。

 ここまで余裕の無い中島を見るのは初めてかもしれない。小学、中学を通しても。

 

 バットを投手の方へ向けて呼吸を置くのと同時に、三塁を見る。

 堀川くんが顔を真っ黒に汚したまま、虎視眈々とこちらを睨みつけていた。

 流石にそんな目で見られたら怖いって。

 その気迫に弾かれるように目線を外し、ピッチャーの方へ向けた。

 ピッチャーの顔も中島と同じように、何かを決めかねているような困惑の色を浮かべていた。

 

 初球から振ろう。迷っている相手にこっちも中途半端に迷って、ストライクをポンと取られるのは避けたい。

 

 第1球。

 投手がボールを放つタイミングに合わせて、上体に力を込めた。

 投げられた球種が何かもわからないまま、ひとまず振り出す。

 

 緩いボール。

 外角へ逃げるように外れていくカーブ。いや、スピードを抜いた「超スローカーブ」だ。

 「振る」と意識しすぎていたせいで振り出したバットが止まらず、無様に力の抜けたスイングで空振りした。

 

 しまった。ワンストライクだ。

 

 投手はニヤリと笑ってみせ、「ワンストライク」という意味合いで人差し指を立てて嘲笑ってきた。

 クソっ、冷静になれ、状況はどう考えたって俺が有利だ。

 

 打ち損じでも1点は入る。

 点が入らないパターンなんてのは「内野フライ」「ピッチャーゴロ」「三振」くらいしかないんだ。

 

 2球目、今度もカーブ。だがもう惑わされない。

 ボールの軌道をよく見極め、バットを振りだす。カーブの軌道にバットを滑り込ませシンで捉えた。

 ただ、惜しくもタイミングがズレて三塁アルプスにライナーで飛び込むファール。

 火の出るような弾丸ライナーに、場内からどよめきが起こった。

 

 打ちあぐねた変化球を、完璧に捉えた。

 ツーストライクではあるが、追い込まれたような気はしない。

 

 今だにどよめき止まない。凄まじい打球を目の当たりにしたバッテリーは、ここで攻め方を変えて来た。

 

 3球目は高めに明らかなボール。

 4球目も速球を高めに外して、2ボール。

 明らかに「ストレート」を意識させようとした意図が感じられた。

 

 セオリーなら「ストレート」を意識させて、カーブやチェンジアップでタイミングを外してくる。

 はたまたその裏をかいて「またまたストレート」なんてこともよくあるが。

 …いや、今の俺なら「ストレートでもカーブでも」当てれる。

 

 2ストライク2ボール、ピッチャー振りかぶって第5球。

 ストレートだ!

 内角高めの厳しいボール、ファールにして逃げよう。

 反射的に左手に力を込め、ミートを優先したスイングでバットを振り切る。

 

 キィン!

 後方に緩い打球が上がった。ファールだ。

 

 ファールになる打球を追った視界の隅で、猛然と何かが動いたのが見えた。

 中島がキャッチャーマスクを脱ぎ捨て、打球を追っていた。

 

 そんな、間に合うはずがない。

 

 落下地点はバックネット際。なのにも関わらず中島は加速し続けた。

 バックネット付近の観客からも「危険」を察知したどよめきが起こる。

 

 フェンスが間近に迫る。

「中島!危ない!!」

 思わず声が出た。

 

 中島が飛んだのはそれと同時だった。

 フェンスなんか見えていないようで、ボールだけを凝視したまま飛びついた。

 中島のミットの中にボールが消えたのと、激突したのはほぼ同時だった。

 

 ドスッ!

 

 鈍い激突音が響き、大きく跳ね返えされた。

 痛々しく転びながらもミットを高々と掲げ、白球を確かに収めていることをアピールした。

「アウト!アウトー!」

 

「磯野さん!どいて!」

 声に反応し振り返ると、三塁から堀川くんがタッチアップのスタートを切っていた。

 反射的に慌てて走路を開ける。

 

「桜木!ホーム入れ!」

 激突したばかりの中島は立ち上がれず、送球の体勢に移れない。上半身だけを起こし、ホームに返球する。

 

 マウンドから駆けつけたピッチャーが送球を受け、ホームを目指す堀川くんにタッグを試みる。

 堀川くんはそれをかわすように、地を這う低いヘッドスライディングでホームベースを捉えた。

 タッチの勢い余って体勢を崩したピッチャーはスライディングに巻き込まれ転倒。クロスプレーは一瞬のうちに黒土の砂塵で覆われた。

 

 タッチが先か。

 ホームインが先か。

 

 大観衆の全ての注目がこの一点に集まる。

 球審は毅然とコールした。

「アウトー!!スリーアウト!」

 

 爆発のような歓声が沸いた。

 観衆は立ちあがって好守備を讃え、あさひが丘高校アルプスは落胆の溜息で溢れた。

 堀川くんは地面に顔をうずめた。

 大勲章となるタッチアウトを奪ったピッチャーは、ガッツポーズを何度も繰り返して叫んだ。

 

 アウトか。惜しかった・・・。

 中島、中島はどうだ。

 

 バックネット間際。中島が居るはずの場所へ振り向くと、手を突いてゆっくり立ち上がる最中だった。一瞬苦い顔を見せたものの、すぐさま歓声に頭を下げて応える余裕を見せる。

 

 そんな、本当に無事なのか。

 

 クロスプレーで蹴り散らされたキャッチャーマスクを拾い上げ、わざわざ中島の元へ駆けつけた。

 

 中島はそれに気づいたが、避けるように顔を逸らした。それを気にせずマスクを差し出すと、こちらに目もくれず素早く受け取った。

 

「中島、大丈夫か」

「あぁ、平気さ」

 マスクの汚れをはたき落としながら、淡々と答える。

「本当に大丈夫なのか?頭打ったみたいだったし、脳震盪とか…」

 そこまで言ったところで突如顔を上げ、こちらをキッと睨みつけた。

 

「磯野、お前は人の心配をしてる場合か?」

 どういう意味か分からなかった。

「磯野はいま負けてるんだろ?それなのにボクの心配なんかしてどうする!」

 

「勝ちたいんだろ?本気で勝ちに来い!ボクは本気で勝とうとする磯野に勝ちたいんだ!」

 マウンドで投手を勇気づけるときのように、胸をミットで強く叩いてきた。 

 それ以上は何も言わず、颯爽と引き上げていった。

 

 同じ高校生だというのに、中島のその背中はどこまでも雄大に見えた。

 

 ベンチに戻る中島。ヒーローの帰還を、チームメイトは嬉々として迎え入れようとする。

 観客は惜しみない拍手で讃え、それは伝搬するように広がって行った。

 その風景に思わず、見とれていた。

 

 

 

 その背中が、ゆっくりと傾いた。

 体勢を立て直すこともなく、重力に従って地面に崩れた。

 陽炎のなかで地面に突っ伏したまま、動かなくなった。

 

 甲子園から、全ての音が消えた。

 




◇甲子園決勝
     一二三 四五六 七八九 計
あさひ丘 000 100     1
横浜港洋 020 00      2
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