恋をせぬ昔がかえって恋しかろ
―夏目漱石―
「セーフ」
そんな言葉が、おのずから口を離れた。
時間は集合の一分前。どれだけ楽しみにしていたかは知らないが、集まった皆は嬉々とした表情で会話に花を咲かせていた。
メンバーは、奉仕部、晩翠、一色、葉山、戸部……。ちょっと? いろはちゃん? なんでとべっちいるのん?
恨みがましく視線を一色に送る。しかし当の一色は葉山へのアピールで俺に構うような余裕はないようだ。ふと視線を感じ、反射的に振り返った。
視線はしっかりと晩翠を捉えた。目が合うと、彼女は微笑んだ。だから、不愛想に口を開く。
「なんだお前か」
「なんだって失礼だなあ……」
そう言って、晩翠は苦笑いを浮かべる。今日の彼女は落ち着いた色のジーンズに、対照的な白いセーター、そしてダッフルコートで同じ高校生とは思えぬほどシンプルながらも大人っぽい。
きっとモデルみたいな人と交際するんだろうなと思いながらも、なんとも言えない胸やけみたいなものを感じた。だから、すぐにかき消した。
「さっさと入ろうぜ、時間の無駄だ」
「皆、君を待ってたんだけどね」
「ごめんなさい」
早急に敗北を認める。これは自他ともに認める俺の長所であって、アイデンティティだ。
そんなつまらないことを考えていれば、雪ノ下がカッと地面を蹴った。
「ヒキ……ヒキガエル……、いえ、ヒキガヤキンも来たようだし、そろそろ入りましょうか」
いつもこういう場面では消極的な雪ノ下が、普段に対する意趣返しみたいに先陣を切って年間パスポートを掲げた。その表情は俺に対するマウンティングで得た快感と、この先の期待とが混ざっているようだ。先生! こいつ性格に問題があります! ていうかパンさんのケースにランドの年間パス入ってるし、こいつどんだけ楽しみにしてたんだよ……。まあ仕方ないか。こいつパンさん大好きフリスキーだしな。
「そうだな」と葉山が一言呟けば、皆ぞろぞろと付き従う。……そりゃあ、やっぱり人間だから、たまに羨ましくなることもあります……。
× × ×
粗方乗り物に乗り終え、閉園も徐々に近づいてきた時間。夕闇に包まれているはずなのに、園内のライトアップで境界線が曖昧模糊なアスファルトは冷え切っている。そんな寒さなど関係ないとばかりにイベントに集まる人たちは、それなりに多い。俺たちもその波に乗って、屹立する城を見渡すことのできるところで立ち止まった。
「あれー、隼人は?」
「ちょ、優美子、あっち見てみようぜ」
騒がしい中だというのに、三浦と戸部の声はよく耳に入った。それをかき消すように、晩翠の吐息が聞こえた。
「ふー、さすがに冷えてきたね」
「まあ、元から寒いけどな」
隣にいて手を擦りあわせる晩翠に目も合わせずポケットに手を突っ込んだ。
「思ったより楽しくて寒いのなんて忘れちゃってたよ!」
ぱっと俺の前に躍り出て、晩翠は笑った。瞬間点灯されていた明かりが消え、花火が打ちあがった。観衆がわっと盛り上がる。色とりどりの花火が打ちあがって、職人さんの力量に驚いた。
「すごいね、綺麗……」
「そうだな」
「もう、聞く気あるの?」
「まあな」
空を見上げたまま返事をして、あとになって適当な返事をしていたことに気が付いた。表情だけでも確認しておくかなと視界の端で晩翠を捉えた。しかし同時に、打ちあがった花火に驚いて、意思とは関係ないはずなのに思い切り視線は晩翠を向いてしまった。花火の綺麗な光に照らされて、互いに見つめ合う形になった。
「どうかした?」
純粋な笑顔で問いかけられ、答えに窮する。
「い、いやべつに……」
訥々と答え、ひとまずは視線を逸らした。すると晩翠も前に向き直って、それから白くなってしまった吐息とともに、消え入るような声が、確かに耳に入って滞った。
「今度は二人で来たいな」
聞き違いかと思い、横にいる晩翠に向き直ってしまった。しかし見えるのは綺麗な横顔だけで、彼女が二度、同じことを言うことはないと、察してしまった。
俺も体勢を戻した。けれど返事はしなかった。
× × ×
しばらく無言が続いた後、何気なく見た観客の中に一色と葉山を見つけた。距離は、恐らく5mはあるし花火の音で、声なんて聞こえやしない。
けれど、どこかで得た情報が頭の中で繋がる。
正直、合っていたって、外れていたってどっちでもいい。間接的には関係あっても直接はない。ただ、彼女に対してアクションを起こさないなんて勝手な考えを抱いていたことに嫌気がさした。
まるで時が止まったように、寒さで凍りついてしまったかのように一色いろはの時が止まった。
それは確かに遠目からでもわかった。
考えるよりも早く走り出したであろう彼女。それをきっと見届けていた戸部が追いかける。
晩翠にも探すのを手伝ってくれと頼みながらも、俺は葉山の方に向かっていた。どんな時でもキザな奴だ。振り向くことなんてしないし、孤立したみたいに花火を見続けていた。
「なんで振ったんだ?」
率直に、距離感無視で無遠慮に尋ねた。
すると葉山はゆっくり振り向いた。その表情は愁いを帯びていて、心労がよく見えた。まるで寂しさに堪えるような表情で俺に微笑みかける。
「彼女が見ているのはきっと俺じゃない」
「は?」
予想よりもはるかに意味不明で、けれども確かに意味を含んだ言葉に素っ頓狂な声が漏れた。
「まあいいんだ。それよりいろはを探してもらえないかな? 生憎俺は力不足だろうから」
「それなら戸部が捜してる」
「そうか」
――いつでも、葉山隼人は一歩引いている。
そんな印象が浮かんだ。しかし、およそ間違いではない気がする。こいつは自分のパーソナルスペースには誰にも踏み入らせない。それが過去に何かあったからなのかとか、未来になにも起こさないためになのかとか、そういうことは一切として明かさない。だから俺は葉山が嫌いだ。
どこかの誰かの姉のように周りを手玉に取る。自分の手中は見せやしないくせに。ただ、葉山はそれを拒む節がある。それ故に本質を掴めない。
「じゃあ、俺は先に帰るから」
反応した時にはすでに踵を返していて、こちらにも留める気はさらさらなく「おう」と一言だけ呟いて、先を譲った。
× × ×
ピークを避けた車内は閑散としていて、モノレールの浮遊感に煽られながら、俺と一色だけが車内に残っていた。晩翠たちは、雪ノ下の家に泊まっていくということで最初から話がついていたらしい。心配そうに前駅で降りていった。
「だめでしたね」
「分かってただろ、だめだって」
「だって今しかなかったから」
一色がグイッと寄ってきて、思わず体を逸らす。二人だけの車両はモノレールの鳴らす駆動音しか聞こえない。一色に聞こえるんじゃないか、と思うほど、心臓が音を上げ、鼓動はばくばくときれそうなくらいに脈を打ち始めた。
「なんで」
振り絞って、未だに目の赤い彼女に問うた。
彼女はその綺麗で大きな意志の籠った目をぱちりと開く。そして亜麻色の髪を揺らしながら、さっきまでの悲しそうな表情が演技に思えるほどにこりと笑みを浮かべて、けれども慈悲深い女神のように微笑みは絶やさなかった。
「私も、本物が欲しくなったんです」
「聞いてたのかよ……」
俺の悲痛な声が車内にこだまして、消えた。
切り離された外界の光は、街のネオンだった。
※パソコンだと改行がズレる!!→改行修正済
タイトル変えました……。
実は前まで考えていたのと構想を変えたからなんですよね(笑)
もしかしたら明日も投稿するかも……。
評価・感想・コメント等いつもありがとうございます!モチベーションに繋がっています(笑)