調査二日目、朝日が昇る前の早朝。
ほぼ一年中を晴れのち晴れで通す砂漠の大地で、ハインツは予想よりも早く予期していた事態と遭遇することになる。
「やあ
早朝に宿る冷気の抜け切らない風の中、ナーバナ土産の青いちゃんちゃんこを羽織るハインツは、納屋へ預けていた相棒の機嫌を伺いに足を運んでいた。
相も変わらず間の抜けた表情のラマラダであるが、足を畳んで床に伏せながら彼のことを上目遣いで見てくる。まるで背中に乗れとでも言いたげにだ。
「もう少し辛抱しておくれ。代わりにはならないと思うけど、オアシスへ連れて行ってやるから」
狭い納屋に佇む従順な相棒に対して、外を気兼ねなく走らせてやりたい気持ちはあるものの、優先すべきことが彼にはあった。
フンと鼻を鳴らすと、畳んでいた足を立ち上げて水の匂いへ向かって顔を向けるラマラダ。人語を理解しているかは判らないが、本当によく躾が行き届いているとハインツはすっかり感心していた。
そんな
ウィンブルグの
(ゲスト用の納屋に三頭か……思っていたよりも早かったな)
一転して厳しい面持ちを浮かべると、差し迫った事態に対する胸騒ぎが彼の中で生じる。そんな目の前で佇む仮初の主人を心配してか、
「痛っ……なんだ気遣ってくれるのか? それよりも早く出せってかい? 悪かった、今開けるから待ってくれよ」
「なんだかリィタさんみたいだな――おっと今のは怒られるな。内密にしてくれよ?」
それとなくこの場にいない護衛ハンターとの共通点を見出したハインツだが、本人からしてみれば大層失礼なことこの上ないだろう。独り言を漏らしているのは彼自身であるが、クスリと笑いながら納屋の外へ
すっかり冷え込んだ外気に肌を晒すと、引き手綱を持ちながら集落中央のオアシスへ向かう。近づけば近づくほど、夜明けの青と同調するように水の匂いが乾燥しがちな表皮へ染み渡ってくる。
集落の文字通り生命泉であるオアシスでは、ハインツの予想通り
「やあハインツ君。良い朝だね」
「おはようございます。先に来ていたんですね」
ハインツの引き手綱から解放された
「ああそうだ、昨日話したドドブランゴの件だがね。討伐日程は明日、レクサーラからも援軍が来るそうだ。もちろん吾輩も同行することになったよ」
「そうですか。リィタさんは間に合いそうにありませんね。しかしそうなると、なんとかして今日中に雪山草の件は片付けたいところ。思ったよりも早く嗅ぎつけてきたみたいですよ」
ハインツが示唆するのは納屋に増えていた納屋の面子。正確には少なからず三人はいる新たな
ウィンブルグも同様に事態を察していた様子で、笑顔を苦笑に変えながら口を開いた。
「中々に目ざとい連中である。ラッセル殿が見定めた情報と重なるとは、彼ら側にも鑑定眼の利く人物がいるのだろうね」
「おおよそ検討はつきます。彼らも生活のためにやっていることだ。早まった真似さえしなければ良いんですけど……」
「直接交渉してみるかね? 少なくとも君の
ハインツの胸元で光る銀バッジは、入隊する際に王国から賜ったものである。直接的に王国の威光を示すことも出来なくはないが、書士隊の一隊員に過ぎないハインツの言葉がどれだけ響くだろうか。
事実、王立古生物書士隊はハンターと比べると圧倒的に知名度も低く、その活動内容も裏方そのもの。集落で最初に話しかけてきた子供もそうであったように、書士隊を
この広大な大陸、王国の権力など、あってないようなものなのも一つの事実だったのだ。
「やめときますよ。それに今は長旅の疲れで夢の中でしょう。到着したのはおそらく夜明け前。ラマラダを労わないままベッドに飛び込んだんでしょうね。僕からしてみれば心象は最悪ですよ。リィタさんが居なくて良かったとさえ思います」
護衛ハンターリィタの武勇伝は数多い。腕は立つのに何故ハインツのような末端の護衛に甘んじているのも、過去に色々と事案があったそうな。口数も少ない彼女自身から語られることはないのだが、以前移動中の竜車で退屈を紛らわす際に聞いた話の一つは、至極物騒なものであった。
「それに関しては吾輩も同意見だ。うむ、早いところ出発しよう。今日は吾輩の華麗な
ウィンブルグが輝く黄金のヒゲを光らせると、二人は二日目の調査へ向けた支度を着々と進めていった。
◆
時間は進む。陽はすっかり天上まで昇りきり、場所は昨日二人がドドブランゴを発見したポイント。そこから更にドドブランゴの徘徊する水辺に近づいていた。
「今日も同じ場所に居たか。相当なお気に入りかな、これは。だからこそ調べ甲斐があるってものだけど」
ポツリと呟くハインツであるが、彼は現在単独行動中である。つまりは独り言をつぶやく彼が覗く双眼鏡越しの視界には、砂漠に迷い込んだ傷だらけの雪獅子ともう一つ、淡い真紅の鎧が悠然と歩みを進めていた。
近づけないのならば、そこから引き剥がしてやれば良い。
ラッセル流調査術の一つ。時と場合で多少強引な手も使うべし、であった。
「なるべく、なるべく遠くにですよ……! 僕は逃げ足には自身はあるけど、砂場じゃ話は別ですからね……!」
心の声はもはや心にとどまらず。ハインツの気も知らずに悠々と歩を進めるハンターのタイミング次第で、これから事態は大きく動く。その緊張感は非戦闘員にとって息を詰まらせる毒以外の何物でもなかった。
長引けば長引くほどに余計な疲弊感を増すことが解っていたのだろうか。
ハインツの零し続ける緊張感を紛らわす台詞の数々は、新しいものを吐き出すことはなかった。
動く。
ピクニックに来たかのような歩調は、つい数秒前までは二本の足を順々に砂の床を踏み固めていた。しかし、ハインツが瞬く一瞬で、二本の足は両方とも砂上から離れていた。
(動いた!)
砂漠を走り出した真紅の鎧は、予め手に仕込んでおいたであろう何かをドドブランゴに投げつける。やり投げのように綺麗な放物線を描いて飛んでいく何かは、丁度水を貪っていたドドブランゴの頭頂部へ、吸い込まれるように落下する。
――ベチャリ。
双眼鏡越しからも、そんな擬音を想像するのは容易かった。
白の毛塊は即座に様相を変える。今まで気配もなく近づいてきた、異様な紅の鎧に気付くのに時間はかからない。
――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
今度は擬音でなく、大気を伝わるドドブランゴの慟哭がハインツの耳を刺激する。
昨日のルーチンワークのように見せていた緩慢な動きはナリを潜め、その姿は見間違いようもなくモンスターの
相対していた赤い鎧こと、ハンター・ウィンブルグは、腰に携えていた一対の双剣を構えたかと思うと
◆
「いざ、おさらば!!!」
◆
と、雪獅子へ背中を向けて真っ先に走り出す。
全力で命がけの遁走が始まり、ハインツもまた、時間制限付きの現地調査が発令されるのだ。
(時間はウィンブルグさんのスタミナが限界を迎える前、調査区域は水辺周辺、特に昨日頻回にドドブランゴが廻った場所を重点的に……よし)
「行こうか……っ!」
二日目の調査開始の合図は、激動の予感を示した。