ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ
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目覚めの朝に

 悠久の風が吹き抜ける街、ドンドルマ。

 その中でも外れた区画に埋もれるように築造された古い木製のあばら屋。所々が傷み、修繕された痕跡が目立つ外観は見た目通りの借り賃であり、最低限の寝食ができれば良いと考える者からすれば、非常に都合の良い物件であった。

 それが特に、頻繁に街から離れて調査をする立場であるならば、尚更に。

 

 そして、そのあばら家の主の朝は早くなかった。

 

 長旅で蓄積した疲労は、一日二日の休養で抜けきるものではない。更に言うなら、寝返りをうつ度に軋むベッドでの睡眠は熟睡とはかけ離れたもの。こんなものであれば、砂漠の集落にあったゲストハウスのベッドの方が、幾分まだマシな作りだろう。

 王立古生物書士隊・ハインツが覚醒して真っ先に起こした感情は懐かしさだった。無性に懐かしく、かつ忘れてはならない出来事を思い返すように想い、(ふけ)っていた。浅い眠りは夢を(うつつ)へと誘うものだ。

 かといって二度寝するには日が高く昇りすぎていた。寝ぼけ(まなこ)で共用の井戸へ向かうと、彼の灰色の瞳に映るのは、水面上に映るボサボサで外へ跳ねたクセ毛の青年の姿。寝起きには重たい水を組み上げ、クセ毛が絡まり寝癖になった頭髪を顔を洗うついでに溶かしに掛かる。これがドンドルマ滞在中に行う彼の日課(ルーチン)。時間は不定期ではあるのだが。

 

 顔を洗い終えれば、朝食は彼の変わらぬ好物、フルーツジャムのサンドイッチだ。粒麦のパンにスプーン大さじ二杯分のジャムを塗りたくると、合わせるようにもう一枚の分厚いパンで挟んで口に頬張る。一口噛みしめる度に、フルーツジャムの柔らかな甘さと酸味が舌に広がり、朝の空腹を優しく満たしていく。口内に残る食塊をカップ一杯のミルクで流し込むと、ハインツは散らかるデスクを前に腰掛けた。

 

 デスクの上には、彼が遠征中に溜まりに溜まった未読の本の山が積み上げられている。机の上にどっさりと置かれた本の類はすべて、調査遠征の間に溜まっていた雑誌の数々。その一つに手を伸ばすと、適当にページを捲っていく。

 

 こうしてのんびりと腰を据えて本と向き合うのが、ハインツが何よりも望んだ休日の日課であった。しかしリィタあたりから言わせてみれば、家に篭って身体を動かさないなど、不健康極まりないという意見も聞かれる。

 彼がナーバナ森丘で痛感したはずの鍛錬不足は、いつの間にやらどこぞへ飛んでいってしまったようだ。

 

「どれどれ……『書士隊分裂の危機?! 自習組と遠足組の見えない亀裂とは! 故ジョン・アーサーを追う!』、ねぇ」

 

 雑誌の見開きを読み上げたハインツは、うんざりしたような顔で本を開くのを止めた。

 

「まーたこの手の記事か。次の読も……」

 

 "自習組"と"遠足組"とは、いわゆる書士隊内派閥の隠語のようなもの、むしろ蔑称に近いものであった。自習組は主に研究室に篭って議論を重ねる書士隊、ギュスターヴ・ロン氏に倣った者たちの総称。遠足組は大陸中を周り直接調査を進める書士隊、故ジョン・アーサー氏を信奉した者たちの総称と言った具合だ。もちろんこの限りではないのだが、現状の書士隊は今の二大派閥が大半を占めているとされる。

 かく言うハインツの上司(センセイ)ことラッセルも、アーサー派閥の人間である。必然的に部下であるハインツも、いわゆる遠足組に属しているというわけだ。

 

(確かに事実は事実なんだけど、こんな書き方されたら読みたくもなくなるよ)

 

 今度は違う真新しい本を手に取り、再び日課に勤しもうとハインツは、思わずソレ(・・)を二度見する。本の事ではない。

 

「せっかく買ったのに読まないのかニャー?」

「……」

「ニャー」

 

 彼のルーチンから著しく逸脱した要素は、さも当然のようにくつろぐ一匹の猫の姿であった。

 

 猫こと正式名称・食雑目・アイルー科・アイルー。

 

 アイルー自体がこのドンドルマの街にいることは珍しくもない。むしろ自然に人と共存さえしている。彼が唖然としたのには、他に理由があった。

 

「……なんでいるんだい?」

 

 見覚えがあったからだ。しかも、悪い意味での。

 

「ニャー? これニャー」

 

 と、鳴いてみせると今度は自慢げに猫ことアイルーは、オーソドックスなアイルー色の背中を晒しながら、部屋の隅から長方形の何かを引っ張り出して来る。それこそハインツがナーバナ森丘で失くした、いつぞやのスケッチブックそのものであった。

 

「ちゃーんと名前と住所が書いてあったニャー。おまえ、マメなやつだニャー」

「……」

 

「それにしても見つけるのにだいぶ時間がかかったニャー。こんな場所に住んでるなんて、おまえビンボーなんだニャー」

「……」

 

「ビンボーならこんなでっかい紙束、買えるお金もきっとないのニャー。おいらが届けてよかったニャー」

「……」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

『ひろってください』

 

 その一言が書かれたシンプルな立て札の下には、粗末な木箱に放り込まれた、先ほどのアイルー色が見事に収まっていた。

 

「ニャー」

「いい主人を見つけるんだよ。それじゃあね」

「ニャー」

 

 

 

 

 

 

「え、ま、待て待て待つニャー! 遠くから来たニャー! 忘れ物届けたニャー! その仕打ちがこれかニャー!?」

 

 そのまま歩き去ろうとしたハインツを見て焦ったのか、アイルーは途端に箱から飛び出て彼の進行方向を塞ぎにかかる。

 

「僕はしばらくアイルーとハチミツには関わりたくないんだ。それに貧乏でもない。運が悪かったね」

「ニャー?! あの時のことは悪かったと思ってるニャー! だからこうして追っかけてきたのニャー! 名前を頼りにこの街を探し回ったニャー! そしてようやく見つけたニャー!」

 

 どうやらこのアイルー、ナーバナ森丘でのアオアシラの件を気にして、スケッチブックを森に忘れてきたハインツを追いかけてきたらしい。

 

「なんだ。ならもう用は済んでるじゃないか。役目が終われば森に帰る。遠征ってのはね、家に帰るまでが遠征なんだよ?」

「お、おまえはオニかニャー!? あんな距離やすやすと移動できるかニャー?! ……それに帰れなくなったニャー、道、わからないニャー」

 

 雨上がりのぬかるんだ土に刻まれた(わだち)を辿りながら、時には迷いながら、西のナーバナ森丘から東のドンドルマまで。アプトノスが引く竜車にて十日はかかる距離を、その四本足だけで渡り歩いてきたのだ。

 そして当然、行きで頼りにした轍が帰りにも残っているとは限らない。雨上がり限定の片道切符なのだ。

 

「に、ニャァ……」

「うっ、そんな目で見ないでくれよ……」

 

 上目遣いに、的確にハインツの視線を捉えるアイルーの潤んだ瞳。同情を誘うような一連の仕草を見せられたら、誰であろうと思わずたじろいでしまうだろう。

 アイルーをはじめとして、野生生物が己の縄張りに戻れないというのは死活問題である。それは砂漠で出会ったドドブランゴの末路を知るハインツとて、聞き流せる内容ではないこともまた事実。

 

 ここで天秤にかけるのは彼の人間性、良識だ。対する秤にかけるのは、彼のトラウマになりかけている、ナーバナ森丘で起きてしまった一連の事件である。

 

「……はあ。で、君はどうしたいのさ」

 

 一応天秤は、ひとまず良識側に傾いたらしい。

 

「ひ、ひとまず雇ってくれニャー。なんでもするのニャー。ビンボーでも我慢するニャー」

 

 最後の一言は余計であったが、懇願するアイルーの姿を見下ろして流石に気まずくなったハインツは、仕方がないと言った様子で困り気味に頬を掻く。

 

「……なんだ、そんなことかい」

 

 そして、間を一つ空けて応える。

 

 

 

「他を当たってくれ」 

「……ニャー」

 

 こうしてハインツの望んでいたはずの休日は、いつのまにやらルーチンの枠組みから外れているのであった。

 




3/9、毎度のことながら加筆修正しております。







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