◆
ドンドルマに滞在するハンターの多くは、ゲストハウスと呼ばれる仮住まいに身を寄せている。それは王立古生物書士隊・護衛ハンターことリィタも例外ではない。
本来なら年相応の町娘であるはず彼女の部屋は、少女らしさとは無縁と言っても良かった。カラフルな家具もないし、可愛らしい装飾品も何もない。部屋内は寝具と狩猟道具の詰まったアイテムボックス、鎧や剣といったゴテゴテとした物騒なものに囲まれている。
つい最近増えた
そのゲストハウスの主の朝は早かった。
特に戦闘といった戦闘もなく帰還した彼女を待っていたのは、特に活躍もせずに与えられた休日という名の反省期間。達成感もなにもない。
目覚めて一番、簡易的に食事を済ませてすぐドンドルマ街内を走り込み、日課のトレーニングに勤しんで行く。
一通りノルマをこなして部屋に戻れば、火照った身体に付着した汗を流しつつ、最低限の身だしなみを整える。
その後はもう二度と出遅れないようにと、不完全燃焼で終わった砂漠での出来事を思い返しながら、躍起になって武器や鎧のメンテナンスに精を出すのだ。
普段の低い位置でテンションを維持する彼女の印象とは裏腹に、意固地になって次に備える少女がそこにいる。部屋の外では絶対に見せないその姿は、彼女としてもハインツやウィンブルグには正直見られたくないと自負していた。
何より、あのハインツは彼女を感情の起伏が乏しい人物と考えている節があるのだが、これは完全な誤解である。リィタ本人も甚だ遺憾というものであった。
表情にまで現れないだけであって、その鉄面皮の下にもしっかりと人の情が渦巻いている。それをハインツは分かっていない。いや、ウィンブルグやラッセルは分かっていながら、黙っている部分もあるのだろうか。
さらにリィタ自身の感情として、ハインツを基本善人だとは思ってはいるものの、文官として動く彼の言動に対しては多少の面倒くささを感じている始末である。
阿吽の呼吸、相棒などとは程遠い、互いに互いを理解できていないのだ。なぜ
様々な思いを逡巡させながら、後悔を胸に次回へ向けて爪を研ぐ。ハンターとして彼女が出来る最善がそこにはあった。
無言の思考を巡らせるうちに、時間はちょうど昼食の頃合い。リィタは武具のメンテナンスを切り上げると、インナー姿から簡単な屋外用の
ようとしたときに、来訪者を知らせる鈴は鳴った。
◆
「と、いうことでリィタさんさ。アイルー、雇わないかい?」
「ニャー」
彼女が
経緯を述べるとすれば、失くしたはずのスケッチブックが帰ってきた手前。途方に暮れたアイルー一匹を見捨てられるほど、ハインツの心がドライではなかった。その一点に尽きる。
仕方なしにと、彼の足は己が知り得るツテを渡るため、渋々とドンドルマの街へ繰り出していたのだ。そのツテ第一号として白羽の矢が立ったのが彼女、リィタである。
リィタが詰めるゲストハウスに立ち寄るや否や、首根っこを掴んだアイルーを彼女の眼前に突き出すのは、張り付いたような笑顔で入り口に立つクセ毛のハインツ。来訪者の呼び鈴に気付いた休日のリィタは、突如現れた不自然な笑顔を浮かべるハインツの姿に、表情を崩さないまま碧眼を一瞬だけ見開く。
「と、いうことって何。うちは新聞とらないよ?」
「いや新聞じゃないよ!? その……かくかくしかじかで、無下にもできなくて」
「ニャー」
「かくかくしかじかって何。ハインツさんのところで雇えば済む話じゃ?」
ダメなものはダメと、NOと言えるのもリィタである。その彼女の言い分は、しごく真っ当なものであった。
彼女の核心的な言葉に返す言葉もないハインツ。だがしかし、今の彼は理性よりも感情で動いてる部分が大きい。
「リィタさん。人の心ってのはね、そう簡単に嫌な思い出を払拭できるものじゃないんだよ? ほら見てくれ、服の裏に
「ニャー」
ハインツは人工的な笑顔のまま、アイルーを掴む反対の手で白い麻シャツの袖をまくると、その腕はブツブツと鳥肌とともに赤い発疹が拡がっている。それを見たリィタは気取られぬように一歩ほど後ずさっていた。
「(それってアレルギー……)私のところは間に合ってるから。そもそも、基本的に私はハインツさんの護衛に就くから、私がこの子を雇ったら本末転倒じゃ?」
革新的な言葉ふたつ目。
これが書士隊と言うのならあまりにもお粗末な思考である。と、リィタは密かに考え、そして表情の下に隠す。感情を読ませないのは得意なのだ。
「ああそっか! うっかりしてたよ……そうだ、そうだよね……じゃあ、次行こうと思ってたウィンブルグさんも駄目じゃないか」
「あ、そもそもあの人は――」
「ああそっか! そもそも雇えるほど金銭的に余裕がないかっ。当てにならない……駄目じゃないかウィンブルグさん」
「あのねハインツさん、今すっごく失礼なこと言ってるのに気づいてる?」
どうやらハインツは正常な判断能力を失っているらしい。モンスターで言う興奮状態、ハンター側で使う言葉なら怒り状態と言ったところだろうか。そんな彼に首の皮を掴まれたまま重力に身を委ねるアイルーは、冷静さを失う彼の様子を黙って見ているだけだ。まな板の上の鯉ならぬ、まな板の上の猫である。
リィタの目の前では慌ただしく感情を浮き沈みさせる、彼女の護衛対象であるはずの若き書士隊の情けない姿。一度狂った歯車がもとに戻るには、それなりの時間がかかるだろう。
やむなしにリィタはため息混じりで、思いつく案を一つ挙げてみることにした。
「ネコバアのところは?」
ネコバアと言うのは、主にアイルーが人間社会で仕事をこなすのに窓口となっている人物のことだ。キッチンアイルーからオトモアイルーまで、ありとあらゆるアイルー業務を斡旋するスペシャリストである。
「先日来たばかりらしい。また来るのはしばらく先。その前に新しい任務が入るだろうさ」
頼りにすべき相手も不定期業務では会える宛もない。むしろ大半をドンドルマ外の遠征に費やしている彼らにとって、ネコバアに会えるのは非常に稀である。
ハインツは声のトーンを落とすと、
「ああくっそー、ドンドルマにあまり居ないから知り合いも少ないし、こうなったらギルドに直接出向いて頼み込むか……いやでも勝手にアイルーを斡旋するのも気が引けるし……」
目を泳がせながらブツクサと独り言をつぶやくハインツは、次第に周囲の目線など気にする余裕もなくなっていた。
そして実はこのやりとりが玄関前で行われているものであり、様子を気にした隣人たちの目線が、まるで気の毒なものを見ているようだったのを、リィタのハンター的洞察力は見逃していなかった。
「……仕方ない、ですね。私も一緒に探すから、いったん落ち着いて下さい」
繰り返すようだが、リィタにも人並の情はある。
それは彼からすれば、女神の一声にも等しかった。
「り、リィタさん……!」
「に、ニャー……!」
女神の一声を機に、ハインツたちは更にドンドルマの街へ繰り出した。
◆
場所は変わる。のだが、そこは彼らにとって非常に親しみ慣れた場所でもあった。
ドンドルマ玄関口の一角、ハインツが胸にする銀色の
「そういえば、私もドンドルマでの知り合いは少ないんでした」
「り、リィタさん……」
「に、ニャぁ……」
もう少しだけ、お騒がせなアイルーの雇い主探しは続きそうだ。