ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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犯人は……

 冷たいケルビの亡骸から口元を離すと、やや自虐的に青年は笑ってみせた。

 

「何かわかった?」

「え? 舐めただけでわかるわけないじゃないか」

「……」

 

 一瞬の無言で凍りつきかける場。

 

「い、いやいや! 後もう一つ情報がアレばいいなと思ってさ。ほら、その辺に足跡が残ってるはずだ。それが見つかれば検証は終わりだよ」

 と、慌てて青年が付け加えるや否や、少女はそそくさと周囲を散策しだした。

 小さなため息がもれ出るが、青年は答えが出るまでそう時間はかからないと踏んでいた。

 

 

 さすがはハンターというべきか、間もなく少女が見つけたのは、偶蹄目の足跡とは似ても似つかない一回りも二回りも大きな足跡。明らかに異質とも言える足跡の大きさに、青年も少女も何かを確信した様子で互いを見やる。

 

「言っておくけど、僕はまだ村へ戻りたい派なんだが」

「心配ない。あなたのことは私が守るから。行こう」

「嬉しいこと言ってくれるけどさ。もう、いいや……」

 

 彼女が発する真っ直ぐな視線から伝わるメッセージは変わらない。反論の余地もないと悟った様子で、観念した青年は首を縦に振る以外の選択肢が残されていなかった。

 

 舌上に漂う柔らかな甘味に、鼻孔に漂う独特なクセのある匂いの残滓。

 青年からすると、できれば朝食にでも摂取したいと感じる、ザラザラしつつも優しい口当たり。昼食に摂ろうものなら、心地よい睡眠導入剤に変貌するだろうと確信するその味は、彼の立てる仮説をぐっと答えに近づかせ、同時に不安も煽っていた。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 惨劇のケルビ死体からしばらく離れた水辺。普段は温厚な草食獣の憩いの場として、穏やかな時が流れるはずであったその場所は、今は予期せぬ来訪者によって様相を変えている。

 結果として青年の予想は的を射ており、茂みで息を殺す彼の隣では、少女が全身から溢れる闘志を静かに燃え上がらせていた。

 

「竜じゃない。残念」

「もし竜種だったら僕は全力で逃げてるからね?」

 

 そっと呟かれる言葉に気が気でないと、引きつった顔で青年は少女ハンターに目を向ける。冗談にしては如何せん笑えない。本当に冗談であるかも些か不安になってくる。

 

 再び視線は水辺に戻る。すると、夕日に当てられて逆光する影が姿を露わにした。

 その肢体は青い体毛と甲殻に覆われており、ケルビの全長を優に超えている。

 鋭い牙の生え揃う顎は、ハラワタを抉った痛々しい傷痕の元凶か。これらの要素を備え、四足でゆっくりと大地を闊歩する姿から、青年の脳裏で連想されるのはただひとつ。

 

――青熊獣(せいゆうじゅう)・アオアシラ。

 

 できれば当たってほしくなかった異邦獣の登場に、若き書士隊の胸は焼け付くような不安と緊張で包まれていた。

 少なくとも四メートルを超える体躯はモンスターの名に相応しい。丸太のような怪腕がひとたび振るわれれば、怪我だけで済まないのは遠くから観察を続ける青年でも感じとれた。彼がフィールドワークへ出る際に着込んだレザー製の装備を見返すが、あの怪物に対してレザーは薄皮一枚に等しく、防具としての意味はまったくなさないだろう。

 対して少女が着こなすマカライト製のアロイ装備(よろい)は、ハンター間でも非常に評判が良い戦闘向けのものだと言う。そして彼女が背負うのは、ちょうど身の丈ほどある巨大な鉄剣。カテゴリとして"大剣"と呼ぶ、中型以上のモンスターに対して切り札となりえる武器だ。

 獲物として目をつけられた子供ケルビの気持ちを思うと、仕方がなかったとは言え不憫で仕様がない。これからそんな文字通りの怪物に立ち合おうというのだから、ハンターとは恐れ知らずなのか、はたまた頼もしいのか。

 

「随分回りくどい。死骸まで舐めるなんて。足跡だけで分からなかったの?」

「判断材料は多いほうが良いだろうに。それにしても彼らは雑食と聞くけど、ケルビを襲ったなんて報告あまり聞かないぞ。一体どこから流れてきたんだ――」

「メンドくさい性格。今はそんなこと考えない。私は行くから、うまく隠れてて」

 

 ぶつくさ独り言を呟く青年に対して、少女は静かに茂みの間を縫うように先行し始める。気配に敏感なモンスターの五感をかいくぐるため、細心の注意を払いながらゆっくり、ゆっくりと。

 

「任せたよ。もし逃げることになっても、閃光玉くらい投げるよ」

「その心配はいらない。私としては帰りの素材持ちに期待してる」

「あはは……君は書士隊を何だと思ってるのさ」

 

 ここから先は本格的に"ハンター"の領分であった。"王立古生物書士隊"の青年は見守る他にできることはない。それほどまでに根本から彼と彼女は違うのだ。

 彼女らは採集を始めとして、運搬、護衛、狩猟まで様々な任務を現地でこなす。特に狩猟という部分では、大地を駆ける牙獣種から空を舞う飛竜種まで、ありとあらゆる脅威に立ち向かう。所謂叩き上げのエリートとも言える、生き残る(サバイバル)技術の達人だ。

 対して書士隊はというと、広大な自然に存在するモンスターの生態を日々研究することが本分にある。普段は机上で分厚い資料やサンプルとにらめっこであるが、時には現地に赴いて直接調査に出張ることも。しかし、現場での彼らはあまりにも非力であり、ハンターの護衛が欠かせない。

 

 青年は自分の無力さを痛感しながらも、今まさに青き脅威に立ち向かわんとする少女の背中に向かって、静かなエールを送った。

 

「僕はまだ死にたくないから、頼んだよ……」

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 ようやくこの時が来たと言わんばかりに、少女の心は静かな闘志で満たされていた。

 茂みの中で息を殺し、気配を殺しながら眼前に捉えるのは青き巨体。アオアシラと呼ばれる牙獣種の一角だ。この森の生態系で暫定的に頂点に居座る存在は、まるで自らの庭のように水辺を闊歩する。

 

 表情一つ変えずに、怪物を獲物として認識する少女は、更に近づく速度を上げた。

 

 思えば事の始まりは、あの子ケルビの無残な亡骸。本来平和であるべき森に踏み入った部外者に対して、密かに少女の心は怒りで燃えていた。それは潜在的にモンスターへ対する畏怖の念からなのか、彼女の正義感ゆえのものなのか。

 少なくとも彼女はハンターとしてモンスターと立ち会うことを望んでいたし、もしそれが竜種であるならば、なお良かったかとさえ思っている。

 巻き込んだ青年に対しては、自分のわがままに付き合わせて多少の申し訳無さを感じつつも、勝利の報告に向けて着々と戦略を組み立てていた。

 

 

(そろそろ、かな)

 

 静かに開戦の火蓋は切って落とされる。少女は前へ飛び出す。呑気に水を啜る青熊獣は空気の変化に気づいたのか、急に周りを見渡し始めた。

 

「――ッシ!」

 

 少女が背中から抜くのは一本の鉄塊。身の丈ほどある剣身・バスターブレイドを引き抜くと、柄を両手で握り込みながら水平に地面を薙ぐ。青年よりも頭一つ分は小さい体躯から、信じられないほど大きな得物を振り回すその姿。いかにハンターが底知れぬ身体能力を持つか、青年はその一端を垣間見る。

 下方から抉り込むように放たれた一撃は相手を切るものではない。アオアシラからしてみれば、思わぬ来訪者である少女の姿にまごつくと、鉄塊から逃れようと身体を後方へ大きくのけぞらせてバランスを崩す形となる。

 切っ先はアオアシラの腹を掠め、体勢を崩した巨体は揺れるもなんとか踏みとどまる。

 ようやく敵の姿を視認したアオアシラは一転、双眸に凶暴な光を宿した。獲物を見据え全身の筋肉を膨張させると、連動して体毛が逆立ちその姿を更に一回り大きく見せる。

 

 

――゛ォォォォォッ!!!

 

 

 獣の咆哮が森全体に木霊し、互いの生死をかけた縄張り争い(ハンティング)が始まる。

 そして、大剣を握る少女は静かに笑うのだった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

(始まったか。実物を見るのは初めてだけど、やっぱり大きいな……)

 

 時同じくして、闘いの庭から離れ気配を潜める青年は、巨大青熊と相対する少女の動向を見守る。

 彼女の力量を信用していないわけではなかった。しかし、先刻の子ケルビの姿が脳裏にちらつくと、言いようのない不安に駆られるのも事実。書士隊とハンターは一蓮托生。ハンターが倒れれば、次は必然的に青年自身がターゲットとして置き換わるだろう。彼は本能的にアオアシラには敵わないと感じているし、もしも自分が相対することになれば、間違いなく無傷では――生きては帰れないだろうと自覚している。

 この森が安全だという事前情報を鵜呑みにしたわけではないが、広大な自然に身を投じるということは、いかなる事態にも備えねばならない。初めにアオアシラを追うと判断したその瞬間から、彼は自分の命を預ける覚悟を、少女ハンターの背中に託したのだ。

 

(それにしても戦い慣れてる。センセイのお墨付きは伊達じゃないな)

 

 視線は一人と一頭の大立ち回り。

 彼女が大剣を振るえば、その巨体からは想像できない機敏さで身をよじる青熊獣。しかし、軽々と振り出される斬撃はアオアシラの回避能力を優に超えており、避けた次の瞬間に第二撃目のなぎ払いが巨体に迫る。

 たまらず腕を丸めて、鎧のような甲殻で身を守ろうとするが、本来大剣は相手を"叩き切る"コンセプトにある兵装。

 少女が根を張るように右足で大地を踏み込むと、身体全体を軸にした遠心力と剣の重量をすべてのせた斬撃が空間を裂く。コンパスのように綺麗な円運動は、斬撃を重撃へと昇華させると、見事にその一撃はアオアシラの防御を弾き返し、腕の甲殻をひしゃげさせ形を変えるに至る。

 

「いいぞ、腕を潰した!」

 

 少女の優勢に、思わず心の声が言葉になって漏れ出る。青年は自らが前に出ていないにも関わらず、極度の緊張感と巨体を翻弄するハンターの姿に人知れず興奮していたようだ。

 なるほどと、彼は悪趣味だと思っていた闘技場に人が集う理由が何となくわかった気がした。自らより遥かに大きな脅威と渡り合う姿は、それはそれは力を持たぬものから見れば気持ちの良いものらしい。

 力任せに返される怪腕の一振りも、間合いから離れた彼女に届くはずもなく、空気を擦る鈍い音だけが残響する。

 

「行けっ! そこっ! あんなグズなんてケチョンケチョンにしちまえニャーッ!」

 

 青年の耳には、一度だけ後学のためにと覗いた闘技場で聞いた、あの熱狂的な声援が聞こえた気がした。立場から言えばベビーフェイスたる少女を応援したくなる気持ちは、彼としても共感できるものがあった。しかし、問題はそこでないということにすぐに気付く。

 

(って、声援? ニャぁ?)

「行けニャーッ!!!」

「えあふぉっ、し静かにしろ!!」

 

 下手するとアオアシラが気付きかねない騒がしさに、青年は慌てて隣で騒ぐ何かの口を塞ぎにかかる。自らの声が洩れ出たことにも気付かないまま、彼の手はゴワゴワとした柔らかい感触に包まれる。

 よくよく目を向けると、騒いでいたのは少女よりもさらに小さな体躯。青年の手のひらに負けじと跳ね返してくる硬めの体毛と、細長い手足に尻尾。小じんまりした二つの耳に、息継ぎの度スンスン鳴らす鼻の横には、愛嬌のあるピンと伸びた髭が数本。

 

(アイルーか?!)

「フゴにゃにゃ……モゴにゃ……!!!」

「と、とりあえず静かに! 気付かれでもしたらマズイんだって!」

 

 自らを非力と嘆く青年ではあるが、彼も人並み以上に少しだけ大きな体格を持つ。そのガタイは見た目通りの力を有しており、がっちり固定された手の中でもがく猫(アイルー)は、啄木鳥のように首を前後に振り回すと、途端に静かにピタリと動きを止めた。

 ほっとした様子で手を離すと、コホンコホンと咳払いしながら一匹の小さな来訪者がちんまりと体を丸める。

 

「わ、悪かったにゃ。最近あいつが来てみんな困ってたニャ。だからあの子を応援したくなっちまったニャ」

 

 どうやらこのアイルー、アオアシラに縄張りを独占されるのが許せなかったらしい。

 未だ興奮気味に戦いを追う目線は、ちょうどアオアシラの胸を袈裟斬りにした少女の姿へ向かう。剣の切っ先が深めに入ったようで、横一文字にパックリと傷が開くと同時に、青い体毛が赤い血の色に染まり始める。

 

「他に君みたいなのは居ないよな?」

「勿論。あいつが居なくなるまで近づくにゃーって、長に言われてるニャ」

「良かった……。いいかい、さっきみたいな大声は出さないこと。ここで大人しく見てるんだ。いいね?」

 

 ここでアオアシラが反撃に出る。

 今までは傷の一つ一つに怯んだ様子だったが、所構わず甲殻が残る右腕を振り回し始めたのだ。青年から言わせてみれば、出鱈目で力任せな一撃が少女に当たるとは思えなかったが、一度喰らえば卒倒するレベルなのは間違いない。

 

「分かったニャ。でもまぁ、こんな痛快な気分はないにゃ。つまみとマタタビでもあれば良かったんだけどニャー」

「アイルーのくせにおっさん臭いこと言うな君。まさか感性はヒトと変わらなかったりするのか?」

 

 少し離れた場では熾烈な縄張り争いが勃発しているというのに、やけにこのアイルーは楽観的だ。

 

「ああそうにゃ! つまみならさっき採った新鮮なのがあったニャ! ふふふ、お前にはやらないからニャー?」

「いらないって。……今はご馳走でも喉を通る気がしないよ。あと静かにしろ」

 

 衛生的かわからない小さなツボを取り出すと、アイルーはガサゴソと中身を引っ掻き回し始める。

 数秒後、ツボから出した前足にはドロリとした何かが付着しているのと同時に、覚えのある甘い匂いが青年の鼻を掠める。

 

「……は?」

「この森特産ニャ! 美味いニャー! マタタビがあればもぉっと最高なんだがニャー!」

 

 この空気の読めない小さな来訪者に、青年の顔色はみるみるうちに青白くなった。

 


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