ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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マーブル・エフェクト

「……紫」

 

 落とされた言葉はリィタのもの。彼女のハンターとしての直感は、いち早く足元で弱々しく項垂れるミエールからその先、今もなお穏やかにせせらぐ浅い河川へ向かっていた。

 

「ううむ……まさに。紫と言えば高貴な色とされてはいるが――これは少々物々しいね」

 

 一手遅れてウィンブルグも視線を上げると、眼前の風景を見やる。最後に遅れて顔を上げるのはハインツ。

 彼らの視線の先で流れ続ける村の水源と思わしき川の様相は、一目見ても分かるほどに渓流本来の澄んだ青と異なる有様。

 

「これをよく口にしようと思ったな、君は……」

「て、照れるのにゃー……」

「褒めてないぞ。じっとしてろ。応急処置なんだから」

 

 下手ながらもスケッチを嗜むハインツは、バケツに入ったきれいな水へ最初に浸した絵の具のような、青と紫のまだら模様(マーブルエフェクト)を呈する川の様子をじっと見つめていた。

 

 

 そして、日は沈む。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 集落から一時退避したハインツら渓流調査隊一日目の夜は、合流した竜車の荷台の中。言ってしまえば野宿だ。

 理由はミエールの容態からくるもの。荒療治で解毒したは良いが、完全に毒が抜けきっていない点から安静をとる必要があった。そしてもう一つは、竜車と落ち合う頃に辺りが完全な闇に飲まれている現状であった。

 日の沈んだ大自然を照らすのは、金に輝く月明かりと携帯していたランプの心もとない光のみ。

 

(水、採取してみたは良いものの、暗くてよく見えないな)

 

 草むらのクッションと眠りふけるアプトノスに背中を預けながら、ハインツは天上に光る三日月に向けて小さなガラス瓶をかざすも、その中身を鮮明に映し出すことは敵わない。川の水が収められたガラス瓶は、ひらひらと小さく波を立てる水面がかろうじて視認できる程度。採取した時点で日が落ち始めていたこともあり、紫の入り混じった中身は背景に溶けこみ全体像を覗くことが出来ずにいた。

 草食竜の寝息とともに小さく動く体躯に揺られながら、若き書士隊は物思いに耽るのだ。

 

(昨日今日の出来事じゃないだろうし、朝まで待つしかないかな……でも気になるなあ)

 

「……今回は、舐めたりしないの?」

 

 抑揚の小さい声の主はリィタである。

 足音を立てずに竜車の扉からひょっこり現れた彼女の顔色は、暗くてはっきりしないものの集落を訪れた時より幾分か良い。休息とは言え自然の真っ只中。万事のためアシラ装備を着込んで竜車内で待機していた彼女もまた、ハインツの手にするガラス瓶が気になる様子だ。

 

「それもちろん冗談だよね?! ……というより、君こそ寝ないのかい?」

 

「……ウィンブルグさんのいびき、うるさくて」

 

 考え事に集中していたせいか、改めてハインツは荷車の中から豪快に空気を震わす音に気付く。ついでにもう一つミエールの分も。およそ近くにいては、まともに寝付けないであろう大音量。睡眠時無呼吸症候群なのだと、以前ウィンブルグが話していたのをハインツはふと思い出す。

 

「ああ、そりゃ災難だね。でも明日に向けて体調を整えてもらわないと、いざというとき僕が困るんだけど」

 

 ハンター業は肉体を酷使する。休息でさえ仕事と言っても差し支えはないほどにだ。

 

「もう十分休ませてもらったから。大丈夫。護衛もきっちりこなす。それよりも、だよ。村に人がいなかった原因は、やっぱり川の水?」

 

「どうだろう。十中八九そうだとしても、そこまで調べるかどうか。今回はあくまで地図の更新が目的なんだ。ギルドあたりに報告して処理してもらうのも一つの手だったりする」

 

 切り出された話題に対して、ガラス瓶を覗き込みながら自虐的に笑ってみせるハインツだが、リィタはさも当然のように言葉を続ける。

 

「でも。ハインツさんなら調べる」

 

「……ん、正解。応援を頼むのも良いけど、原因くらいは探っておかないとね」

 

 荒れ果てた集落に原因不明の水質汚染。言葉に並べただけで異様と言えるこの状況を放置できるほど、ハインツの神経も図太いものではない。仮に応援を呼ぶとしても、ある程度の下調べは必要だ。なによりも謎の解明は書士隊としての本分。のこのこ帰ったりでもすれば、おそらく彼を待ち構えるのは暇を持て余すラッセルからの長くてうんざりするほど熱い説教だろう。それこそ休日返上ものでだ。

 

「書士隊の人達って、変なところで意固地」

「意固地じゃなくて矜持と言って欲しいな」

「言葉を変えただけでしょ? プライドって」

「そこが僕らにとっては重要なの」

「変なの……メンドくさい」

 

 思想から異なるハンターと書士隊という人種。そんな彼らだからこそ、多角的な物の見方が生まれもするのか。考え込めば込むほど思考を一点に集中しやすくなるハインツにとって、誰かとの対話は良い刺激になる。

 

「……まあ、わからないことだらけの現状。それでもヒューイの解毒薬が効いたことは収穫さ。新手の毒やウィルスじゃないってことが分かったからね。こればかりはミエールのお手柄か」

 

「それ、直接言ってあげたら?」

 

「嫌だよ。アレはきっとすぐ調子に乗る手合だ」

「素直じゃないね」

「懲りごりなんだって。この前も話したよね、君が今着てるアオアシラの時の。――もう一度聞くかい?」

「長そうだから、遠慮しとく」

「つれないな」

 

 夜闇の中での他愛のない会話。

 その最中、切り出すべきか迷っていたのはハインツだ。視線をガラス瓶から離すと、ハインツは月明かりに照らされるリィタを見据えた。

 

「……あの時さ。なにか、嫌なことでも思い出したのかい? なんとなくそんな顔をしてた、気がするんだ」

 

 ハインツの観察結果だ。しかし感情という移ろいやすいものを観測するには、酷く主観的過ぎる指標にほかならない。もやもやとする感情は、しどろもどろで自信はこれっぽっちもないのだ。ただの興味本位に近いものがある。

 

「……」

 

 その問いにリィタは束の間の沈黙を守る。彼女の表情は、ハインツからしてみれば相変わらず読むことが出来ない。

 

「話したくないなら答えなくてもいいよ」

 

「――少し。ほんの少しだけ、驚いた。それだけ」

 

「……そっか。ならいいけど」

 

 

 

 しばしの沈黙が続く。

 

 

 

 聞こえるのは荷車から種類の違う二つの豪快ないびき。

 

 一方、ハインツ後方に座するアプトノスは、己が引く荷車からの騒音も気にせず大人しい寝息を立てている。

 

「……そろそろウィンブルグさんを起こしてくるよ。見張りを替わってもらわないと」

 

 沈黙に耐えきれなくなったわけではないが、ハインツはアプトノスから背中を離すと、ゆっくりと轟音響く竜車へと足を運ぼうとする。

 

「私が替わるよ? もう少しだけ、起きてるから」

「ほんとは君にも休んでほしいんだけど……じゃあ、お願いしようかな」

「うん。おやすみ」

 

 夜闇は変わらず、三日月の美しさも変わらず。ハインツとリィタのやり取りはここまで。

 

「ああそうだ。ちなみにだけど。……さっきの、ほんとに冗談だよね? 君って分かりづらいから」

 

 竜車の扉をくぐる間際、最後に尋ねたハインツは振り返り際にリィタの表情を垣間見る。

 

「……ノーコメント」

 

 その彼の目には、珍しく微笑む彼女の姿と相対して、ただ、なんとなく憂いを帯びているようにも見えた。

 

 

◆◆◆

 

 

 朝日は昇り、太陽が大地の目覚めを誘う。調査二日目の早朝からドゥーヴの村を訪れたハインツ一行は早々(はやばや)と川の様子を確かめに出ていた。

 

「……あれ? 色が普通に戻ってる」

 

 そんな彼らの目に映るのは、遠目から見て何の変哲もない渓流の流れ。昨夕に流れ続けていた紫のまだら模様は、すっかり消え失せていたのだ。どこにも痕跡が見当たらない。

 

「しかしである。やはりと言うべきか、川に生き物の気配は感じ取れんな」

 

 川に近づくウィンブルグは、目を凝らして澄んだ青を呈する一本の流れを目で追いかける。覗き込んだ先、流水の中に命の気配はなく、無機質な流れがひたすら音を立てて下り続けるのみ。

 

「でもこれが本来の姿だとすれば――匂いはしないな。飲め……そうか? いやでも」

 

 続いて現状を確認するように、ハインツも川の手前で手を小さく仰ぐ。続いて脇のポーチから空きのガラス瓶を取り出し水流にあてがうと、みるみると澄んで美しく透過した液体が溜まっていく。

 

「それ、飲むの?」

「飲まない」

「じゃあ、舐める?」

「舐めもしない――って、流石にミエールのアレを見て口にできるほど豪胆じゃないよ?!」

(見てなかったら舐めたんだ……)

 

 見比べるのは昨日のうちに採取した紫を保管するガラス瓶。

 ハインツの隣からリィタも覗き込むように、彼の両手で持ち比べられた二つに意識を向けていた。

 

「昨日とは違うね」

「ああ。興味深いよ。でも安心はできない。見た目が違うからって、中身まで違うとは限らな――」

 

 

「飲めるのニャーッ! 美味いのにゃーッッ!!」

 

「……おい」

 

 学習という言葉を知らないのだろうか。

 彼らの目の前で口いっぱいに水を頬張るアイルーの姿はイレギュラーすぎる光景でもあり、同時に調査の進捗を示す事実でもあった。

 ある種、感嘆の念を送らざる得ないハインツだったが、その事実に対して彼は再度思考を深めにかかる。

 

 彼の灰色の視線は、真っ直ぐ流れに抗うように上流へと向く。


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