ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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辿って上ってシンキング

 迂闊過ぎるミエールの行動を目の前に言葉を失うのはハインツ。

 しかし、呆れてものが言えなくなったわけではなかった。叱咤叱責の感情と同時に、彼の脳内では記憶と情報の交錯が始まり、ゆっくりと思考の回転が始まっていたのだ。 

 

「……水質が変わった? ……時間で?」

 

 ひとつずつ増えていく情報を振り返り、吟味しながら内容を整理。自然に独り言となって現れてくる。頭の隅で何かが引っかかるのだ。それは過去、書士隊が積み上げてきた記録の成果に他ならない。

 ハインツの発疹が引いた人差し指は、彼のコメカミに軽く当てられると、小気味よく柔らかいタッチで揺さぶりをかける様に突ついていく。

 

「ウィンブルグさん、予定を変えてもいいですか」

「あくまで我らは護衛である。思い当たるフシがあるのならば、それはハインツ君に任せようじゃないか」

 

 多少のワガママは彼の上司(ラッセル)を護衛していた時代から慣れていると言った様子で、柔らかい物腰で応対するのはウィンブルグ。

 

「ありがとうございます。もっと情報が必要です。なので班を二つに分けようかと。近隣の村……古い地図ですけど、これを見る限り水源は一つ。そこから複数に枝分かれしてるみたいです。これからウィンブルグさんには地図にある他の村を回って頂きます」

「任された。もとより他の村の様子は気になっていたからね」

 

 地図に示されたドゥーヴ村の近郊、近すぎず遠すぎずと言った箇所にはいくつかの目印(マーカー)が当てられている。その村々(マーカー)を通り過ぎる線を繋ぐ先には、ライフラインたる水源の位置が示される。

 

 ――探しものは点と線を繋いで。

 

 必ず村を通過する河川は、一本の青い線となって一つの地点に向かっていた。枝分かれした青が収束する先は地図の中心。雄大なる青の恵み・渓流へ。

 

「汚染の範囲を見極めます。移動には竜車を使って下さい」

「無事……とまで言わずとも、村を放棄するような事態になっていないと我輩は祈っているよ」

「僕もです」

 

 純粋な願いである。

 ギルドに情報が届かなかった。そして、村に荒らされた痕跡も見当たらなかった。つまりは、どこか別の場所に村の拠点を移している可能性も考えられるのだ。

 

「ハインツさん。私は?」

「リィタさんは僕とこの村で待機……するには不本意だろう。だからちょっとだけ上流の様子を探ってみようと思う。逐一、川の様子を確認しながらね。ミエール、お前もだ」

「あいあいにゃー!」

 

 昨日今日の出来事ではないであろうドゥーヴ村の異変。その真実へ辿るための道筋を作り上げ、その足で情報の断片を拾い上げていく。

 一夜明けた渓流マッピングの指針は、当初の予定とは裏腹に着々と組み立てられつつあった。

 

「では早速、吾輩は出発するとしよう。一日で回り切るには骨が折れそうだ。落ち合うのはこの村で間違いないね?」

「はい。日が落ちる前には合流できれば。お気をつけて」

「ふはは、日暮れ前に事を済ますなど造作も無いのだよ! むしろ吾輩が気になるのは――」

 

 揚々とした声量で返すウィンブルグであるが、しきりにハインツの耳元へ兜越しに近付くと

 

「リィタ君である。よく見ていてあげなさい。分別はあるし大丈夫だとは思うが、あれでも年齢を考えれば少女なのだ」

 

 と、ひっそり囁く。

 その言葉の意味に対して、ハインツは横目でちらりと川の上流に向かって天を仰ぐリィタを覗くと、無言で首を縦に振った。

 アシラヘルム(フード)越しの後ろ姿。表情を読み取ることは出来ないが、今の彼女が何かに対して感情を揺さぶられ、そして思いを馳せているのかもしれない。

 普段なら気付くことすらままならないハインツですら、そう感じてしまうほどに。

 

「では、しばしの別れだ。いざさらば! また逢うときは薄明の祝福があらんことを!」

 

 村入り口の前に鎮座するアプトノスと、背後に停まる木製の荷車。ウィンブルグが軽快な足取りで颯爽と乗り込むと、荷車内で詰めていた女御者が表に現れ、鞭打つように手綱を引いた。合図(ルーチン)に気付いたアプトノスが重い腰を上げると、瞬く間に荷車を支える滑車が地面を捉えて前進し始める。荷物がニ名と一匹分軽くなったこともあってか、景気よく進む竜車の姿はものの数分としないうちに彼らの視界から外れていった。

 

「……相変わらず、暑苦しい。ハインツさん。私たちも行こう」

「そうだね」

 

 視線は変わらず上流へ。落ちる流れに相対し続けるリィタは、ハインツに調査の催促を要求する。

 

「でも、その前に一つ約束をしてくれない?」

「約束?」

 

「そう。当たり前だけど、今日は様子見だけ。これは絶対だ」

「……うん」

 

「あとミエールは調査終わるまでハチミツ禁止」

「そ、そんにゃー!?」

 

 

 変わらぬ様子のリィタとハチミツ壺を没収され落ち込むミエールを率いて、ハインツ一行は一本の道筋を辿り始めた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 足取りは軽く、空気は澄んでいる。豊富な湿潤した空気が鼻孔から全身に取り入れられ、雲ひとつない空からは日差しが照りつけられる。

 緩やかな坂を登りながら、青の恵みを辿りながら渓流という自然を一身に浴び続けるのはハインツ一行。進めば進むほど、青の気配はより強くなっていき、自然の雄大さがより一層間近に近づく。

 

「まだ青いな。やっぱり時間か?」

「飲めるのニャーー! 美味いのニャー!!」

 

「毒味ご苦労さま。頼んでないのによくやるな……」

「にゃー?」

 

 ミエールはちょこちょこハインツの前を歩いては脇で流れる川へ向かっていき、混じりっ気のない透き通った水をチロチロと舐めている。

 これがどれだけ危険な行為であるかは、昨日の惨状を実体験したはずのミエールであれば想像に難くない筈だろう。

 それでいてこの様子なのだ。もはやハインツから制止の言葉も無くなっていた。代わりに解毒瓶をポーチの入り口手前に配備させている。

 

「アイルーって、そんなに水は飲まない種族だろう?」

「にゃー? なんだか無性に喉が渇くのニャー」

「……糖尿の病、かな?」

「にゃー? にょー・やみゃいー? 甘いオシッコかニャー?」

 

 ミエールに自覚はない。

 近年、多様な狩猟技術や交易路の発展から大陸各地の希少で貴重な食材が巡り巡って、珍しく物ではなくなりつつある。そんな中、密かに問題になっているのが食生活。生活習慣を原因とする病だ。物資が豊かになれば生活も豊かになるとは言ったものの、同時に多種多様な危険性を孕んでいる。

 中でも食生活の乱れから生じる"糖尿の病"は深刻な問題となっている。

 

「君には馴染み深い言葉になるかもしれないね」

「にゃー? よくわからないけど照れるのにゃー」

「褒めてないぞ」

 

 しかもそれは人間だけに留まらない。人間社会にコミュニティを持つ猫――アイルーもまた、近年生活習慣病の増加の一途を辿っているのだ。肥満のオトモアイルーが"月間狩りに生きる"で話題にも上がっていた。"どんぐりメイル"を着れなくなったそうだ。

 この病の一番恐ろしいところは本人に自覚があまりない――というよりも、自覚以前に自己管理できない者ほど好発する点だ。

 

「ようするにハチミツ制限しろって話さ。竜車内に甘ったるい匂いが籠もると胸焼けしそうなんだ」

「そんニャー?!」

 

 そんな何気なく毒を込めつつ言葉を放ったハインツに、ミーエルは分かりやすく伸びた尾をダラリと下げた。

 "アイルーnoシッポで分かる感情論"を熟読したハインツにとって、これが落ち込んだ時のものであると言うことは既に分かりきった事実であった。先人の知恵は偉大だと本の著者に敬意を払いつつ、この分かりやす過ぎる眼前で項垂れる猫に対して、多少の罪悪感が湧くものだろうか。

 

 ――特に湧かないかもしれない。密かにハインツは、そんな判断を下していたりもする。

 

 

「だけどガーグァの一頭も見かけないなんて。楽しみだったんだけどな」

「あの子たちはとても臆病だから」

「へえ。リィタさんは何度か見たことあるんだね」

「卵がすごく人気。だから何度か依頼を受けたことがある」

「ふーん、そういえばセンセイも言ってたっけ。ガーグァは一頭丸ごと生活必需品が揃い踏みだって」

「卵くらいなら、ハインツさんでも採れる……かも?」

「"僕でも"って、なにげにバカにされてるよね……」

 

 

 そして何気ない談笑は調査につきものだ。緩めるときは緩め、締めるときは締める。

 

 だから、だいたい変化が訪れるのはそんなときなのだ。

 

「……ハインツさん」

「来たみたいだね」

 

 どのくらいだろうか。今まで様相を変えなかった川を上り続けたのは。

 

 異変にいち早く気付くリィタは、やはりハンターなのだろう。目を凝らしたハインツがようやく気付けた現象を誰よりも素早く察知していた。

 

「にゃー。また喉かわい――」

「飲むな」

「にゃー?」

 

 がっちりとミエールの細い首根っこをひっつかむと、ハインツの右手は赤い斑模様を彩りながら痒みを覚える。しかしそれでもと、掴んだ手の力は緩めない。

 

 なぜならば、遥か上流から抗うことなく下り続ける流れは早く、たちどころにすべてを塗り替えたからだ。

 

 

 青から紫へ。

 

 

「二人とも止まるよ」

「ハインツさん。もう少し上に」

「だめだ。まずはこっちの観測が先だよ。最初に確認したじゃないか」

 

「でも」

「君の言いたいことはわかってる。上に行けば間違いなくなにかいる(・・・・・)。わかってるんだ。でもそこに行くのは今じゃない。焦っちゃ駄目だ」

「……手早く」

 

「それは川の様子次第さ。よし、引き返しながら水質が変化し続ける時間を測るよ」

「あいにゃー」

 

 

 そこからが我慢比べの始まりだ。

 

 時間で水質が変わる謎。まずはその時間経過を調べるのが第一の鍵とハインツは考えていた。

 

 モンスター一匹も見当たらない渓流と呼ぶべきその場所は、一人の書士隊と一人のハンター、一匹のアイルーの三つの影が塊となって澱んだ川とにらめっこ。

 

 勝敗が決することのないにらめっこは、おおよそ二時間程度続いたのだろう。

 

 

「――願わくば、発信源が流れの根本から伸びていないことを祈るだけだね」

 

 淡々と調査は続き、一時中断する。

 

 そしてその日の夕方。

 

 薄明の瞬きの間、祝福が叶うことはなく。

 

 護衛ハンター・ウィンブルグが集落まで戻ることはなかった。


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