ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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覚悟を決めて、混じり合う大地へ

 奮起する巨体は、再び(クレスト)を展開して脅威の度合いを誇示(アピール)してみせる。手負いの体躯とは言え、ハインツからしてみれば接触するだけでひとたまりもない体格差だ。比べるもなくニンゲンとモンスター。その大きさの違いは、ただそれだけで理不尽なほどに有利不利(アドバンテージ)に差を生んでしまう。

 ハインツの意識はロアルドロスから離さずに、彼の視線の一歩手前で遅れて背後を確認したリィタにピントが移る。

 

(反応が、いつもより鈍い……っ)

「ご主人っ」

 

 どれだけリィタにハンターとしての力量があろうが、不意の出来事に対応できる者はそう多くはいない。

 

 迫る危機に野生の勘が反応したのか、ミエールも不安げにハインツを見上げる。そんな後方に付くミエールを差し置いて、彼の足は再び湿り気のある大地を蹴り、彼の全身を加速させる。振り向いてから回避に移るには、今の彼女はあまりにも無防備過ぎた。一度通常種に跳ね飛ばされてから、おそらく彼女の脳内では痛みを紛らわすため興奮物質(アドレナリン)が大量に分泌されている。脳内麻薬は身体機能の底上げに関与されると言われているが、万能とも言えない。

 

 ニンゲンである以上、生物である以上、何かを得るには何かを代償に失う。消耗品だからだ。

 

 一度摩耗してしまえば、残るは疲労感の残る身体だけ。急激に心と身体のバランスが崩れてしまう。頭では分かっているのに、身体が言うことを聞かない。

 

 ――今のリィタと同じだ。

 

 巨体の向かう先は間違いなく――リィタ目がけてだった。

 

「リ――くっそおおおお!!」

 

 ぬかるんだ大地はレザーブーツとの相性が良くない。それでも踏みしめる力により一層の力が込められたのは、すでにハインツ自身が答えを導き出していたからだ。残りが自分次第な事を知っていたからだ。

 リィタの姿を間近で見て、ハインツはひと目で彼女の状態を把握していた。

 

(脳内麻薬ドバドバだった状態が切れかけている。集中力を著しく欠いているんだ……!)

 

 賽は投げられ、腹も(くく)った。あとは結果。不安定な足場ながら、ハインツは全力で渓流の地を駆け抜けた。

 一歩退いた俯瞰で見るよりも、より躍動的に。客観は主観へと変わり、向かってくる紫の巨体に対してハインツもまた向かっていく。体感での迫力は全く別物と言っても良い。

 

「ごめんッ! 剣は、離せっ!」

「え――」

 

 ロアルドロス亜種に意識を向けていたリィタは、背後から迫る別のモノに対して反応をとれない。彼女の対モンスターセンサーに引っかからなかったからだ。その直後、背中から彼女を浮遊感が包み込む――正確に言えば、抱きかかえられる。同時に張り付いたように握っていたはずの大剣は、小さな影に器用に剥がされていた。

 

「ちょ、ちょっと――?」

「ニャー! 助太刀ニャー!」

 

 調子の良い声が下方から響いたその直後。リィタの眼前には、がっしりと彼女を抱きかかえたハインツの横顔が映り込む。余裕なんてものは微塵も感じさせない、鬼気迫る表情だ。

 

「あ……」

 

 刹那。ハインツの横顔奥から肥大化した質量が猛スピードで通り過ぎていく。加速した巨体からは紫の液体が飛び跳ね、なおも彼は咄嗟に飛沫からリィタをかばうように覆った。

 

「~~ぃっ!!……ま、間近で見るとなんて迫力なんだよっ。他にもう一頭、ロアルドロスがいたなんて。……情報(データベース)に囚われすぎたかっ」

 

 声にならない悲鳴が漏れたまま、ハインツは頬に付着していた液体を拭うと、すぐさまリィタを再び渓流の大地へと降ろす。

 

「何で、こんな前まで来てるの……」

 

 リィタの張り付いたような冷たい笑みは、いつの間にか消えていていた。本当に、何も考えずに出た彼女の一声がソレだった。

 対するハインツは、今の自分の行動でさえ信じられないと言った様子で、ワナワナとリィタを見返し、

 

「は、はははははっ!!! 誰が来たくて来るもんかっ。間違いなく今ので寿命が縮まったっ!」

 

 と、ありのままに自身の心境を吐露する。決して格好をつけるために彼女の元へ馳せ参じたのではない。それが彼の考えた最善だったのだ。

 

 多くを語る時間はない。標的を見失った紫の巨体の進行は緩やかとなり、獲物を補足し直すため首をキョロキョロと動かして見回す。

 だから、ハインツがこの場で提案すべき事項は一つだけ。

 

「ぉ――……囮役」

 

 声に出したくなかったのが伝わるのは、一瞬でも彼に躊躇いがあったからだ。それでも恐怖を振り切って、ハインツは言葉にするしかなかった。

 

「……だめ。危険、過ぎる」

 

 リィタも至極まっとうな意見だ。それでもハインツは言葉を続ける。

 

「だめとかじゃない。必要(・・)なんだ。僕と君らは一蓮托生。君一人で事に当たる段階は、もう一頭のロアルドロスが現れた時点で選択肢から消えていたんだよ」

 

 リィタとハインツの視線は交わらない。すでに彼は紫の巨体と相対する覚悟を胸に、この場まで走り駆けつけていた。視線はロアルドロス亜種に。

 

「でも」

「本当はさ、嫌がる君を引きずってでも逃げようと思ってた。でも君、助けようと思って着いた頃には一頭仕留めちゃうんだもん。ほんと、トンデモな腕前だよ」

ハチミツ泥棒(アオアシラ)をやっつけた時から、只者じゃないと思ってたのニャー!」

 

 いつの間にかミエールもハインツの隣にちょこんと立っている。よく見れば、二人が普段から肌身離さず持ち歩いてるスケッチブックも、ハチミツ用の小瓶も見当たらない。

 

「ならもう、逃げる選択肢はなしだ。というよりも、見てみなよ」

「……?」

 

 ロアルドロス亜種の視線は、どこか一点へ向けられている。それはリィタやハインツでも、ましてやミエールでもない。

 

 崩れ落ちた黄色と赤が混じり合う、ロアルドロスの亡骸。すり寄るように佇む巨体は、先ほどの猛々しさを潜め、その姿はナーバナ森でハインツとリィタが見たケルビの求愛行動そのものだった。慈しみ、寄る辺を確かめ、互いが互いを認識する。その片鱗が垣間見える行動。以前と違うのは、その行動に意味を持たせ完成させるべき返しの行動を取るはず相手が、もうその場で立つことがなかった点だろうか。

 

「ツガイ……だったの?」

 

 先ほどまで感情むき出しで迫っていた巨体。その瞬間だけ、時間が止まっていた。全てが止まってしまった黄色に何かを惜しむように、でも愛おしげに、それでも最後は離れていく。目を見張るような光景に、リィタはただ見ていることしか出来なかった。

 

「……さあね。でも敵意(ヘイト)を買いすぎた。今なら地の果てまで追ってくるぞ、アレは」

 

 必死に冷静であろうとするハインツは、やがて紫から視線を外すと小さく振り返る。

 

「今の君、モテモテだぞ。返り血(フェロモン)たっぷり。僕らなんて目もないくらい」

「じゃあっ、囮の意味なんて」

「だから――」

 

 

 ――グオオオオオオオオオオオォォォォオッォオォォ!!!!!!

 

 

 言葉を遮るように放たれた咆哮。紫の怒りは頂点にまで達していた。

 

 

 そしてハインツは恐怖で押し潰されそうになりながらも、覚悟を決めて自虐的な笑みを浮かべながら

 

「だから、目と、鼻を潰すんだ」

 

 と、一言告げて前へと向き直り、傍らの小さな影とともに大きく振りかぶった。

 

 

 ――パアアアアアアアアアァァァァァン!!!

 

 

「くっさいいい!! でも走れミエール! 石ころでも何でもぶつけて気をそらすんだっ」

「ギニャァ……あ、あいにゃー!」

 

 容赦なく視界を抉り取る強烈な光。そして遅れてやってくるのは、否応なく嗅覚に侵食してくる強烈な臭気。投擲されたのは閃光玉とこやし玉。投げ終えたハインツとミエールは、それぞれ走り出す。

 

「ま――」

(……だめ。せっかく目と鼻を潰したのに、ここで声を出したら、音で気取られる。もう、始まっているんだ)

 

 リィタのクールダウンは終わりつつある。そして現場はハインツの意図を汲み取るしかない状況にあった。彼女が守るべき対象であった彼が、前線に出てまで決断した作戦なのだ。

 

(……切り替えて。今度こそ、仕留める)

 

 視覚と嗅覚を一時的にでも奪われたロアルドロス亜種は、やがてなりふり構わずに巨体を震わせる。向かう方向は派手に足音を立てながら駆け抜けるレザー装備、ハインツへ。

 

「ひいいいい! せめてミエール(あっち)に行ってくれよ!」

「ご主人の魅力に本能が惹かれた結果なのニャ! ヤキモチで石投げるニャー!」

「う、嬉しくないっ」

 

 俊敏に動き回るハインツは、ハンターの機動性にも負けていなかった。むしろ上回っている。それもそのはずだ。ハンターと違い、攻勢に移る、反撃という概念がないのだ。ひたすらに逃げ回るだけ。

 巨大な質量を紙一重の位置で躱しながら、ハインツは必要以上に絶叫を上げてわざと自分の位置を漏らす。

 

(思ったよりも、ちゃんと逃げてる……速いかも)

 

 決して直線的に逃げることはせず、適度に蛇行しながら間合いを取り続ける一人と一匹は、上手く巨体をいなし続ける。およそ文官とは思えない動きの良さだ。

 攻勢という言葉はすべてハンターに預けられ、リィタは静かに愛剣センチネルまで近付くと、音を立てずにそっと持ち上げた。そのすぐ前で沈む黄色を見下ろしながら、彼女の瞳に再び闘志が宿る。

 

 ここでもう一度閃光が走る。続いて臭気のかさが増したことも感じ取る。

 

(時間はあんまりない、かな。仕留めるなら、一撃で)

 

 十分に時間はもらった。霞がかっていた頭も、ガス欠していた身体も、今は十全に事を備えられる。両手でセンチネルの柄を握りしめると、歩隔を開き、腰を落として重心を低めに構える。大剣は背負うように振り上げられ、徐々に全身のバネが最大限の力を発揮しようと引き絞られていく。

 まるで弓をつがえるように、溜めを作っていた。

 

(まだ、足りない)

 

 少女の身体に不釣り合いなほど巨大な剣の組み合わせ。しかし、ソレでも足りない。だから力を求めるために、彼女は全身を武器にする。

 

(まだ、もう少し)

 

 更にバネが軋みを上げる。ニンゲンの関節可動域を最大限に活かし、己の筋が最高のタイミングで収縮できるように張力を整える。

 ここまで実に数秒。しかし、狩猟の中でこの数秒は致命的な隙となりうる。だからハインツは提案し、リィタもそれを飲んだ。

 

「――きて!! ハインツさんッ!!!」

「もう向かってるっ! 頼んだリィタさんっ!」

 

 ハインツとリィタの視線が交錯する。

 紫の巨体は音を頼りに獲物を追い続ける。その先に死神の鎌が待っていることも知らずに。

 

「――シィィィィッッッ!!!」

 

 溜め斬り。

 単純な技術は、シンプルゆえに強力無比。強力だからこそ、使うべきタイミングが限られる。

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

「……」

 

 すべてを解放した一撃が大地を割ったと錯覚させる頃には、渓流での激闘は終幕を迎えていた。果たして再び時計の秒針は動き出すのだろうか。かくしてドゥーヴの村を壊滅させた元凶は討たれたのだ。それでも暫くの間、時間は止まり続けていた。紫の亡骸から漏れ出るように滲み出た液体が、渓流の地に鮮血とともに混じり合い続ける。

 

「大ッ勝利ニャー!! やったのニャー!」

 

 最初に静寂を破ったミエールはぴょんぴょんと飛び跳ねながら、全霊で喜びを表現してみせる。ひたすら走り続けてなお、跳ね回る体力が残っているのは大したものだ。そうハインツも感心していると、

 

「……お疲れ様」

 

 青白くなった顔で、もう一度リィタに視線を向ける。

 

「……うん」

 

 剣を振り下ろしてから、ずっとその場で佇んでいたリィタもゆっくりと、全身の筋肉が再び緩み始めるのを感じる。それに伴い、鉄面皮のような表情も幾分か崩れていた。

 

「……見直しました。あんなに動けるなんて、思ってなかった」

「ははは、知らなかったのかい?」

 

 そして続ける。

 

書士隊(ぼくら)は鬼ごっことかくれんぼが、大の、得、い……」

 

 緊張の糸が途切れるにしては様子が妙であった。その正体にリィタが気付いた頃には、ハインツの身体からは力が抜けていき、彼の視界は大地に向けられたまま閉じることになる。

 

 ドシャリと小さな音を立てて、混じり合う大地へ。

 

 

 




ワールドカップを見てなぜか創作意欲も沸き立ちます。
次回、渓流編最終話(予定)です。

それとありがたいことに、生まれて初めてファンアートをいただきましたので、いずれご紹介させていただければと思っています。

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