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いつも通りに竜車は手配され、到着まで数日ばかりの時間をかけて道を走る。その間に行われる荷車内での他愛ない談笑は、アプトノスを操縦する女御者の耳にまで届いていた。ただ、今日はいつもと会話の内容が異なる。乗り合わせるメンツがこと珍しかったのだ。そう、竜車の女御者は内心思っていた。
「キャベツと言えばアブラナ科の野菜なんだが、ちょうど今時期が収穫の季節なんよ。旬はこれから……っと、涎が出てきた。でだ、俺の読みが正しければ、ちっとばかりマズイことになるかもしれねえ」
「……まあ、確かに調査する動機としては十分だけど。でもさ、流石に護衛無しで出るのは不用心すぎやしないか?」
普段は聞こうと思ってなくても聴こえてくる、己の自慢話を披露する熟練中年ハンターもいなければ、それを表情を変えることなく聞き流す少女ハンターもいない。乗っているのは、その少女の隣で興味深く、かつ羨望の眼差しで話に聴き入る書士隊の青年と、その同僚だという中年ハンター顔負けに騒がしい男。そして、もう一匹。
「ご主人にはオイラが付いてるのニャー。この猫パンチで獰猛なやつらを、けちょんけちょんにノックアウトするのニャー」
「囮としてなら程々に期待しておくよ」
「風当たりが強いのニャー」
標準的なアイルー色のミエールが、今日も右手に甘ったるい匂いを残しながら、スンスン鼻を鳴らしていた。そんな猫から少し離れて座るハインツは、漂う匂いに顔をしかめながら窓際で外の空気との換気を促している。
「飛竜やら何やらとは無縁の土地だからな。ちょっと様子を見て報告書まとめるだけの、そんなに危険な調査じゃねえ」
「楽観的すぎる気はするけど。まあ最悪、現地のハンターと連携したらいい話だけどさ」
ハインツの懸念を他所に、鼻腔を広げながら自慢げにヒューイが笑う。これから彼らが向かう町は山間に面した中規模の町。町と言っても、元は村から発展してきた成り上がりの集落であり、そこに至る要因として一番大きいのが、飛竜の生息圏から絶妙に外れた立地にあった。外敵なく比較的平穏な環境下で続けられてきた農産業が、かの町の大黒柱となっている。
「そーそー。別にハンターはウィンブルグの旦那やリィタちゃんだけじゃねーんだ。おれはいっつも現地調達だぜ? んーこの、すっこし癖の強い花の香り。東、か……テロス密林特有のもの――正解か?」
「おおお正解だニャー。匂いだけでオイラのハチミツの産地を当てるなんて、中々やるのニャー!」
「ふふん、まあな。ハチミツと言わず、キノコでもなんでもどんと来いってもんだ」
どうやらミエールと馬が合うようなのか、竜車内では文字通りのハニートークが繰り広げられ始めていた。当然ハインツは、いかんとも言いがたい、硬い表情で一人と一匹を見ている。
「ご主人と肩を並べるだけのことはあるのニャー」
「そうだろー? もっと褒めろ褒めろー」
ガタリ、と。
一人と一匹の談笑が続く中、唐突に今まで彼らを揺らし続けてきた振動が止む。竜車を引き続けていたアプトノスの足が止まったのだ。
「おい、一度
「さすがプロ。よく見て……うぇ」
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竜車が止まったのは、今回の目的地であるスターレ町の手前。残り数十キロと言った位置だった。
閉じられていた荷車の扉が開くと、いの一番にハインツが外に飛び出していった。ハンター顔負けの俊敏さで外に飛び出ると、まるで水を得た魚のように
「美味しい……――空気がっ!!」
と、全霊で大気を受け止める。
「ご主人は大げさなのニャー」
「原因は君のせいなんだけど」
ジト目で彼の忠実な下僕を自称する猫を見流すと、ハインツはもはや言葉を続けることはなかった。再出発までの間、彼らは時間を持て余すことになる。そんな手慰みに、ハインツはもはや職業病とも言える観察眼を、目の前のミエールから外へ向けることにした。その方が実りもよいだろうと考えた結果だ。
するとだ、早速彼の観察眼は何かを捉える。
「良い眼をしているって、自分を褒めてやりたいね……ん、あれは――モス、野生のモスがいるぞ! こんな人里近くに珍しい。早速クロッキーを……」
「んニャー?」
山の入口すぐ近くを向くハインツの瞳には、偶蹄目・モスがはっきりと映り込んでいた。
モスは手出しをしない限りは積極的に人を襲う生物ではない。特徴的な全身に生えた苔とモス科特有の大きなブタッ鼻。見た目どおりの鋭い嗅覚で、好物のアオキノコを探し当てる、キノコ捜しの名手である。
それを興奮した様子で、ハインツはおなじみのスケッチブックを開くと、筆を取ろうとレザー装備のバックルに備え付けられた収納スペースから、一本の
「お、ちょっとは絵の腕前は上がったかよ?」
「もちろん。今からサー・ベイヌ爵も顔負けのを披露するさ」
茶化しながら、続いてヒューイもやってくる。
「我が親友ながら懲りないやつだねえ。まあ期待しとくぜ。うっし。じゃ俺は、この地域のモスがどんな特徴なのか、近くで見てみるか。ポイントは背中の苔だな」
「迂闊に近づくのは危険だぞ」
「
ハインツの忠告を聞き流すと、ヒューイは地面に鼻をピッタリつけるモスに近づいていく。程なくしてモスは近付くニンゲンの気配に気づく。
「ほーれ、いい子だ。俺のキノコ探しの友よ」
――ぶひんっ
が、妙に興奮した様子だ。後ろ足で地面を数回蹴り、鼻を垂れて重心を下げている。この体勢にハインツは見覚えがあった。
「お、おいヒューイ! そいつ突進姿勢に入ってるぞ! 離れろ!」
「あ? モスは俺の心の相棒だぜ? そんなわけ――」
――ぶっひーんっ!!
蹴り出された土埃が盛大に舞い踊り、小さくも確実に重い質量が、明確に狙いを定めて飛び出してきたのだ。
狙いは当然、不用意に近づいたヒューイへ。一歩反応が遅れるが、ヒューイも素早く旋回――崩れながらも回れ右の体勢を取ると、乱れたフォームで突進から逃れようと走り出す。
「う、うおおおおおお!? 何故だああああ!?」
全力で腕を振り回して逃げるヒューイ。追いかけるモスも小さな弾丸のように間合いを詰め続ける。
「はっ、っは、はっ……! うわちゃっ!!?」
そんな一人と一匹の逃走と追走を捉え続けていたハインツの視界だが、唐突に画面外へヒューイの存在が消える。厳密には消えたわけではない。フェードアウト。盛大に地面へと転がっていたのだ。
「ばっ、地面にキスなんてしてる場合じゃないぞ! アレでもぶつかったらタダじゃ済まないからな?!」
「わ、わかってるっつーに! あ、でもこれ何か足に絡まってやがる! ツタの葉かよ、ちぎれねええええ」
「ツタの葉はちぎるんじゃなくて解くんだ! 何より逃げる時はしっかり地形を確認してからだなあ――」
「言ってねーで助けてくれえええ!」
情けない声を上げるヒューイに、舌打ちするハインツ。素早く思考を回すと、同時に懐に忍ばせていたナニカを取り出し、半身でステップを踏み始める。一歩、二歩と、詰めるようにモスに対して身体の軸を合わせる。そして、
「ああくっそ、ごめんよモス!」
投擲。放物線ではなく直線で軌跡を描いたそれは、突進するモスの頭に丁度当たると、その瞬間に破裂した。
――ぶ、ぶひぃ!?
音爆弾。渓流でも存分にその役目を果たし、活躍した人類の英知の結晶は、眼前の小型モンスターに対しても遺憾なくその効力を発揮していた。
強烈な爆発音に全身を震わせたモスは、ヒューイ目がけて突き進んでいた豚足を止めると、焦ったように山へ逃げ帰っていく。
「……ふう。今のは刺激した君が悪いぞ。おかげでモスに酷いことをした」
「わ、わりぃ助かった。でもよ、手を出したわけでもないのに、あんなにモスが気が立ってるのも珍しくねーか?」
ため息を付きながら指摘するハインツ。対するヒューイも服の袖で冷や汗を拭いながら、山へと消えていくモスの後ろ姿を見届ける。
「ああ。君の読み通り、早く動いたほうが良いのかもしれない」
同様にハインツも、せこせこと山へ姿を消すモスを見やると、灰色の瞳を一人と一匹に向け直す。
「なんとなくだけどニャー、山全体の様子もピリピリしてる感じがするニャー」
「へえ。ずいぶん抽象的だな」
「なんとなくだニャー。オイラの森でも変わったことが起きると、だいたいあんな感じの雰囲気になるニャー」
「野生ならではの感性ってことか。なるほどね」
ミエールを見据えながら、珍しくまともな意見を言ったものだとハインツは感心すると、更に後方から声が響く。
「待たせたな。出発するぞ」
女御者が三度笠から顔をのぞかせながら、二人と一匹に向けて腕を振っている。
ハインツは描きそこねたクロッキーのページを閉じると、再びハチミツ臭漂う車内へ乗り込んだ。