ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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新章開始です


▼レポート5:『オーバードーズにご用心』
嵐の会談


「例の件だッ、本当に考え直す気はないのだな!?」

 

 既に会談の行く末は噴火寸前であったし、その声色に戸惑いと困惑の念が多分に含まれていることは火を見るより明らかだった。見開いた瞳のまま改めて意思を確認するように発した声は、来客用の机を挟んで椅子(ソファ)背中を丸めて座っていた一人の老人へと向けられている。

 そんな鼻息を立たせ声を荒げる困惑の主とは対照的に、向けられた威圧に対して老人は、どっしりと腰を据えながら対面を凝望(ぎょうぼう)する。

 

「前にも言った筈ですがのう。その件なら、正式にお断りさせて頂いたと」

 

 老人が毅然とした態度で返事をよこすと、困惑の主は気に触ったのか、隠す様子もなく表情に遺憾と苛立ちの色が滲み出る。

 

「それこそ前の話というものだっ。すでにドンドルマ中で噂になっているのを、書士ともあろう者が聞いていないとは言わせんぞ? 単独で(・・・)ロアルドロス二頭同時狩猟などという快挙、無視できるわけもあるまい!」

 

 えらく興奮した様子で話を続ける困惑の主は、新しい宝の地図を発見したかのように瞳を輝かせ、同時に過分な期待を惜しげもなく言葉に詰め込んでいた。

 このドンドルマで個人商会を開き、事業を広げ続け議会の一員にまで上り詰めた人物である困惑の主は、純粋無垢な子供のように夢中で彼女が成し遂げたと言われる快挙を、それはそれは都合の良い形で想起していたのだ。

 

単独で(・・・)、は語弊がありますぞ。こちらも書士の一人と一匹が付いておりましたゆえ。その話、随分と立派な尾ヒレがついているご様子では」

 

 断られるはずがないと、困惑の主も心の何処かで決めつけていた部分があったのだろう。そんな企みを腹に抱えてドンドルマ書士隊支部へ立ち寄っていたのは、老人側だって百も承知していた。こじれてきた話し合いの中で呆れた様子は見せずに、いかにもな皮肉を老人は込めると、なおも毅然とした態度を崩さずに言葉を返す。当然、困惑の主も黙ってはいない。

 

「尾ヒレも何も事実なのだろう? 書士の一人や一匹が付いたところで大した戦力にはなるまい。むしろそんなお荷物を背負って――おっと失礼。しかし実際に水獣を討ち果たした当人は彼女なのだ。記録は嘘をつかん。彼女には、その資格があるっ!」

 

 聞き捨てならない単語が発せられただけに、少しだけ老人の目尻が釣り上がる。が、痛いところを持ち出してきたのは大きな間違いでもない。ジョン・アーサーの失踪以降、彼のようにハンター兼業の猛者は数えるほどしか居ないのもまた事実だった。

 

 護衛ハンターの実態を知る由も無い、この場にいる困惑の主からすれば、書士の護衛なんてものは面倒な王国製の荷物を抱えた状態と同義なのだ。だからこそ、その間違った認識を正したいという気持ちに駆られる老人なのだが、今の論点はそこじゃない。釣り上がりかけた目尻をシワのたるみで押し戻すと、朗々と老人は言葉を返す。

 

「……そうは言いますが、根本的に経験が足りんのですよ。あやつは最近砂漠の地を識ったばかり。まだ火山にすら出入りしておらぬ、文字通りの新鋭(ルーキー)。まだまだ識るべきコトが、モノがある。早熟ですらない時期尚早。今しばらくあやつには時間が必要、というのがワシの――ワシらの答えですぞ」

 

 老人は言い終えてから、振り向きざまに後方で待機していた彼の秘書的存在の女性を一瞥する。視線に気づいた秘書の女性もまた、言い合わせるように無言で頷いた。

 困惑の主はグヌヌと下唇を鼻の頭に付きそうな勢いで持ち上げると、ここで更に戸惑いの声を震わせるに至る。

 

「け、経験が足りないのであれば尚の事! 一護衛に甘んじさせておいては、ダイヤの原石もくすんでしまうだろうっ。第一にだッ、彼女が付いているというその書士とは何者だ? ただの末端だと聞いてるぞ? そんなお荷物(・・・)を抱えていては、彼女の才能が活かしきれぬとは思わんのか?!」

 

 さきほど困惑の主が言いかけた言葉は、結局飲み下されることなく飛び出てきた。今度こそ明確な悪意を持って言い放たれてしまったと言える、その言葉の意味。

 老人は黙って困惑の主を見やると、視線を再び左後方へと移す。すると後方に控えていた秘書である女性の視線が、刺さるように老人の丸い背中を射抜いていた。無言の圧力である。

 

「耳の痛い話ですな。しかしこれも、あやつらの成長を願ってのこと。その話、何年か後であれば喜んで受けましょうぞ。そちらの手を煩わせるまでもない。今度はこちらから推薦させていただきましょう」

 

「それでは遅……いやなんでもないっ。ああ! 何と勿体ないことかっ。優秀なハンターは貴重な資源と同義! 可能性の芽を潰すとはまさにこのことだっ! 勿体なくて敵わんっ」

 

 困惑の主のわざとらしい言い回しは、ここ極まってきていると言えた。自分であればもっと上手く"ハンターという資源"を扱えるだろうという、商人としての皮算用が彼の自尊心の根底にあったからだ。

 議会では一部より過激派と囁かれる困惑の主への対処に、面倒な素振りは見せないが手を焼いていたであろう老人。だったのだが、実のところ老人側も穏健派というわけではない。

 

「ゥオホンッ!!」

 

 と、咳払いを一つすると、ヒステリックに思考を垂れ流していた困惑の主もハッとして現実へ目を向ける。老人は続けた。

 

「……確かに。アーサーが行方をくらました今、かつてのようにハンター兼業など出来る命知らずは、もう書士隊には数えるほどしかおるまいて。しかしな――」

 

 次に語気を強めたのは老人側。そして困惑の主は、その瞳を更に困惑の色で濁らせることになる。……心なしか、老人の丸まっていたはずの背中が真っ直ぐに伸び上がり、シワで垂れていた目尻が、いつの間にか釣り上がった三白眼へと成り代わっていた――ような気がしたからだ。

 

「――仮にも王より賜った誇りある使命ゆえ。我らの本分は、学び、識ること。そして後世へと語り継ぎ繋げることだ。その使命を恥じたことは一度もないし、今も誇りに思っている」

 

 朗々とした声が応接間に響き渡る。困惑の主もまた、悔しそうな顔を隠しきれないまま老人の言葉を静聴する他なかった。

 その言葉がまた、困惑の主にとっては敗走の一言となるのだ。

 

「これは持論ですがな。書士隊はなにも書士だけの組織ではない。書士も、護衛ハンターも等しく"書士隊"。これが(かせ)(しがらみ)と思われても仕方ないと存じております。しかしッ!……今しばらくあやつ()の行く末、ワシらに任せては頂けませんでしょうか。ビーブズ議員」

 

 まるで往年の現場主義者が、その瞬間だけ応接間にもどってきていた。と、錯覚させるほどには、老人の言葉には重みが含まれていた。

 ぽかんと口を半開きにしていた困惑の主(ビーブズ)もまた、夢から現実にいる目の前の老人をはっきりと視界に収めると、来客用の椅子(ソファ)から黙って腰を上げた。

 

「……失礼した。だが私は諦めないぞ。必ず――」

 

 ビーブズの面の皮からは、悔しさ以外の何も滲んでいなかった。小太りな体躯を器用に操ると、くるりと扉の前で姿勢を正し、爪の手入れが行き届いた人差し指を立てて、

 

「必ず彼女――リィタ・シュネーを、G級へ招聘(しょうへい)してみせようともっ!!」

 

 と、捨て台詞を一言吐き捨てる。そのままビーブズは入ってきたときよりも数段、足音をズカズカ響かせながら扉の奥へと消えていく。その豪快不遜な足音は、支部の玄関口を越えてようやく聴こえなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ。いい性格をした御仁である。直接本人に交渉へ行かないだけまだマシでしょうな」

 

 豪快な足音が聞こえなくなってすぐに、黄金のヒゲがビーブズの消えた扉から現れる。例の彼女ではない護衛ハンター・ウィンブルグが柔らかいながらも苦笑した様子で応接間に堂々と足を踏み入れる。

 

「ノックぐらいせぬか。盗み聞きとは、自称紳士が呆れるのう」

「ラッセル殿が耄碌していないか心配でして。まあ、無用でしたが」

「心配されるまでもないわっ。まだまだ現役じゃし。ワシよりもオヌシがハンターを引退するほうが先じゃろうて?」

「フハハハッ、冗談に聞こえないのがまた怖い。せいぜいボケる前に、面倒な引き継ぎくらい済ませて欲しいものである」

 

 茶化すようにウィンブルグが言葉を並べると、老人・ラッセルもまた肩の荷が下りたように、面倒な対談主へ言葉を選んでいた口を抑えることなく開く。そんなやりとりを秘書の女性がまた優しい眼差しで見守っていた。

 

「しかし、なかなか目の付け所が悪くないのは確かでしょうな。さすがにビーブズ商会を背負うだけのことはある。……まあ、所作こそアレであったが」

「ええ。あの子ならきっと人気が出ますからね。それをご自身が推薦したという事実が欲しい……と言ったところでしょう」

「ふんっ。パワーゲームの材料というわけじゃな。気に食わんっ」

 

 ふんぞり返ったラッセルは、ソファーの上で豪快に足を崩す。

 議論の交差点(テーブル)に置かれていた茶の入ったカップを片付けながら、秘書の女性も目の前であれだけ自らの家族同然である書士を貶されて、よく手が出なかったと密かに安堵していた。

 

 ようやく、応接間の張り詰めた空気が換気されようとしていたのだ。話題を変えるようにウィンブルグが質問する。

 

「ところで、そのリィタ君の謹慎は解かれたのですかな? 会う度に鬱憤が溜まっているようでして。そろそろ発散の矛先がハインツ君あたりに向きはしないかと、内心ヒヤヒヤしているのであるが」

 

 これまた耳の痛い問題でもあった。

 

 渓流の件から既に一週間以上経過した今、ラッセルとしても悩んでいる部分はあった。ハインツの報告でオブラートに包まれてはいたが、独断専行でのロアルドロス討伐。護衛としての範疇を越えていたのは、紛れもない事実であった。

 止められなかったハインツにも非があると言えるのだが、それでも起きてしまった今回の事態。結果として人的被害がなかったから良かったものの、今後も"護衛"という括りでのリィタの処遇は、決めに決めかねる部分となっていたのだ。

 

「それは大変ね。支部長。あの子も反省しているでしょうし、そろそろ自由にしてあげては?」

「うーむ。しかしここで解いてしまって良いものかのう。周りの者にも示しが付かんし――」

 

 それこそビーブズの言葉を借りれば、リィタのハンターとしての才能に制限をかけてしまっているのかも知れない。自由なハンター業が、彼女にとっての今後に良いかもしれないと考えることが、ゼロであった訳でもなかった。

 

「失敗は成功のもと、と言う言葉もありますからな。なあに、今度こそ我輩が就いているのである。万が一もありませんぞ。フハハハっ!」

「それが一番心配なんじゃが。言いたくはないが、そもそもオヌシが二人から離れなければ、今回の事態は起こらなかった筈じゃぞ」

「そこを言われると反論のしようがありませんな。髭を剃って詫びる以外に方法が思い浮かびませぬ」

「剃らんでも良い。ただの小言じゃ。現役引退を前に無理を言っているのも承知の上じゃしの」

 

 カラカラと笑うウィンブルグを前にして、ラッセルは呆れた表情を隠さずに秘書と黄金の髭を交互に見やる。老人の過保護が過ぎるのだろうかと、あの少女――リィタにとっての最善を探す。そんな歴戦の書士として長年培ってきた眼を持ってしても、答えを導くのは至難の業だった。

 

 


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