ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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流す汗にも限度がある

 そんなラッセルの悩みがウソのように、ドンドルマの空は本日も快晴である。

 悠久の風は見えずとも形を変えることなく、吹き抜けるように造られた街を素通りしていく。市場は人で賑わい、鍛冶屋の煙突も黙々と鉄と炎の匂いを打ち上げる。竜車小屋ではギルドから出てきた命知らず共がこぞって運賃を削るべく安値交渉をしているし、そこには絶え間ない人の喧騒が息づいていた。

 

 しかし、これが(くだん)のリィタ・シュネー本人にとっては敬遠したい場所であったのも、書士隊内の人間であれば周知の事実でもあった。ドンドルマ中心部の人口密度は、集団行動に不得手なリィタにとって息苦しくて叶わなかったのだ。だから彼女の日課であるランニングコースは人気の少ない街郊外に設定されていたし、今日も今日とて黙々と鍛錬を積み、謹慎が解かれたときに備えていた。

 

「……ん」

 

 そして普段どおりの彼女であれば、本日の日課も既に終わっている頃合い。しかし今日に限っては違った。むしろペースダウンすらしている。

 

 ……その理由の一端こそが、これ。

 

「ハッ、待っ、て、く――は、ハイ、ペース、過ぎ……!」

 

 少女よりも体格の大きい青年書士ハインツが、息をぜーぜー切らしながら郊外の少しきつめな勾配の坂を登り続けていた。

 滝のように全身から噴き出る汗。腕を振る余力も足を前に出す気力も尽きかけた様子で、先頭を走るリィタに向かって泣きつくように言葉になりそこねた声を上げると、おそらく彼に合わせていたであろうリィタも一瞬だけ後方を一瞥する。

 

「……ん」

 

 特に慈悲はなく、少女はすぐにまた前を向くだけ。少女と青年の間にまた一つ、距離が開く。そんな彼女に対して一声も上げずに絶句するハインツは、気合と根性を通り越してなにか彼の大事なモノを擦り減らしながら、己の身体かもよく分からなくなった足を動かし続けていた。

 

 そんな彼をやはり一瞥するだけのリィタ。彼女は息を切らす様子もなく華奢な四肢を乱すことなく交互に動かすと、慣れた様子で坂のてっぺんまで登り切る。まだまだ動かし足りない身体に対して止まれの意(ブレーキ)をかけると、少女の目はひたすらに足掻く青年へ向けられた。

 

 数分待ってようやくハインツが登り切ると、リィタは待っていたと言わんばかりに

 

「……遅いです。いつもならもう二周しても、お釣りがくるくらい」

 

 と、真顔で述べるのだ。

 ここで再び絶句しかけるハインツだったが、酸欠でフワフワする頭を必死で回転させながら言葉を並べようとする。

 

「ハッ、はぁ、はぁ……リィタさんの、冗談、わりと、キツイね」

 

 心臓が飛び出るのではと錯覚するくらい拍動し、呼吸も絶え絶え。それでも少女は次に進もうとするのだからタチが悪い。このままでは本当に擦り切れる。

 このままではまずいと思い、リィタに対して決死の足止めを図ろうとハインツも軽口を炸裂させようとするのだが、如何せん相手が悪かった。

 

「冗談じゃないので。次、行こ?」

 

 あっさりと斬り捨て御免。青年の顔が青ざめるのは、なにも酸欠(チアノーゼ)だけの影響じゃないだろう。

 

「も、もう無理だってっ」

「そう言えるうちはまだ大丈夫、ってラッセルも言ってた」

「~~っ!!」

 

 久々にハインツからは、まったくもって声にならない悲鳴が漏れ出ていた。

 

 そもそも論から入ると、文官である書士隊のハインツが何故無謀にもハンターのリィタと同じトレーニングメニューをこなそうとしているのか。現地調査が多い遠足組のハインツとはいえ、その量は常軌を逸していた。

 結果から語るならば彼はリィタの日課にあっさりと撃沈し、今もこうして再び走り出さんとする彼女を引き留めようと、必死に無謀な努力を続けているに至る。

 

「前にも言ったけど、ハインツさんは少し身体を鍛えたほうが良い」

「言ってたし聞いてたよ?! まったくもってその通りだとも思ったよ!? でもさ、君オーバーユーズって言葉知ってる?! 今すぐ君が覚えるべき言葉だからっ」

 

 酷使(オーバーユーズ)。人間の体は消耗品で構成されているのだ。無理が祟れば身体も壊れるのは自明の理。

 先日の食事という名の反省会。ハインツはそれはそれは語ったのだ。単独先行の危険性を。狩猟における安全マージンの大切さを。そしてリィタも、しっかりと反省したのだ。その上での結論だった。

 

 極論。護られる前に、まず強くなれと。

 

 かねてからリィタの希望でもあった。基礎体力の向上が必要だと、寡黙な少女が珍しく声を大にして(実際は大にしていないが)意見を述べたのだ。

 これに対してはハインツも思うところがあったし、事実、ナーバナ村のように不測の事態でアオアシラと対峙したこともあった。対抗の手段や選択肢が少ないのは彼の致命的な欠点とも言える。

 

「若いうちは、多少の無理もしていいってラッセルが――」

「それは精神論ッ! こっちは物理的に擦り切れちゃいそうだからっ! 具体的に膝がっ!」

 

 現場主義者で多少古臭い価値観を持つラッセルらしい考えだった。そんな考えを継承してしまったのが規格外(リィタ)なのだから更に笑えない。ハインツは今まさに絶体絶命という言葉を身をもって学び直していた。

 

「……」

 

 リィタは押し黙る。ここでハインツの知る彼女であれば、それでもスパルタを押し通してきたかもしれない。

 しかしリィタは、彼が予想していた反応とは異なる様子を見せていた。少し考え悩むようにハインツを見つめ、生まれたてのケルビのように震える彼の膝まで視線を落とす。

 やがてゆっくりと口を開くと、

 

「ん。仕方ないから……少し休憩で」

 

 と、やはり真顔で告げるのだ。そんな反応に一番の驚きを見せたのもまた、彼。

 

「……え、本当にっ? 良いのかい!?」

 

 ハインツだった。その反応に、リィタはまたも珍しく表情に不服そうな感情を垣間見せる。

 

「今の反応。凄く失礼、かと」

「ああごめん。でも実際、このまま天国まで完走することになるかもって少し覚悟してたから」

 

 渓流の一件直後、ハインツとリィタの間にあった妙によそよそしい距離感。言いようのない気まずさが見えない壁となって二人を隔てていたのだが、食事という名の反省会を開いて以降少しずつではあるが、わだかまりも解消されつつあった。

 

「ここでハインツさんの膝が壊れたら、調査どころじゃなくなる。そしたら私も護衛に就けなくなる。それだけです」

「実に合理的な考えだね。うん。まあ僕は膝が壊れたってフィールドワークに出るんだけど」

 

 まずは話し合いの場を。二人を見かねたのか真偽のほどは分からないが、ヒューイの提案した食事という名の反省会。その成果かはハインツも判断のしようがないが、少なくとも息苦しさを感じることはなくなっていた。

 

「じゃあもう二周」

「冗談です勘弁してください」

 




いつの間にか投稿してから一年が経ってました。
ここまで継続(空白期間はあったけど)できるとは思ってなかったので感慨深いです。
とりあえず完結目指して書き続けたいと思います。

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