ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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からから青空教室

 この瞬間に限っては彼女が授け、彼が授かる側。普段なら考えられない何とも奇妙な関係が成り立っていた。

 早朝の走り込みから始まり、筋力トレーニング等あらゆる基礎鍛錬が実践される。リィタがその一切を余すことなくハインツに向けて叩き込んだという事実は、彼の生気が風前の灯だという結末に直結していた。

 

 言われるまでもなくハインツの足は生まれたてのケルビそのものだったし、記念すべき第一回地獄のトレーニング巡りは、彼にとって忘れることのできない思い出を植え付けたことには違いない。

 

 力尽きるように倒れ込んだ若き書士を、硬い石造りの床が優しく抱きとめるほど気が利く訳もなく、ハインツの背中と頭はゴテゴテとした異物感で歓迎される。それでも体を起こしているよりかは、この全身に優しくない人工の石ベッドの上で横たわっていたほうが彼にとって楽だった。見事なまでに水けを失った土気色へと早変わりしていたハインツの面持ちは、これ以上のトレーニング続行が不可能だということを暗に示す。矛先もちろん、ゆっくりと歩み寄ってきたリィタに向けて。

 

「ぎ、ギブ……うぷっ」

 

 きょうび訓練所でもやらないようなハードメニューの数々。現地調査でなまじ体力には自信のあるハインツだったが、そんな彼の精神はガラスのように脆くも打ち砕かれていた。

 リィタが今にも生気をすべて吐き出しそうなハインツの顔を覗き込むと、少しだけ気まずそうに瞳を曇らせる。彼女も彼女でやけに気合が入っていたのだ。普段とは異なる立場にリィタ自身も新鮮だったのか、はたまた謹慎期間の鬱憤晴らしだったのか。その真意が明かされることはないのだが、とても生き生きとした表情(かお)で青年をしごきあげていた……ような気がすると、ハインツは密かに思っていた。

 

「……休憩、必要そうだね」

「い、良い判断で。君、教官の才能あるよ……」

 

 酸素の摩耗した頭で精一杯の皮肉を飛ばすと、ハインツはいよいよもって大地に溶け出すんじゃないかという錯覚を感じる。身体が重すぎて起こす気にすらならない。

 

「市場で飲み物、買ってくる。何がいい?」

「ほ、ホットじゃなければ何でも良いよ。それよりもさ、休憩ってことはまだ続きが?」

「うん。素振りが残ってる。だからまだ意識は飛ばさないでね」

「……君の頭に立派な角が生えてるのは気のせいかな。もしかしてコレが白昼夢ってやつ?」

「冗談。ちょっと強めの気付け薬も貰ってくる、ね」

「ははは……ほんとに冗談だよね?」

「行ってくる」

「答えはっ!?」

 

 笑えない冗談である。

 なによりリィタがジョークを飛ばすなんて、ハインツにとってはどんなモンスターを観察するよりも貴重な場面に立ち会っていることと同義だ。彼が疲労と酸欠で倒れてさえいなければ、即座にスケッチブックに今のやり取りをメモしていたかも知れない。干乾びても尚、ハインツからは乾いた笑いが絞り出される。

 先程まで彼と同じ距離を走っていたというのに、リィタは何事もなかったかのように軽快な足取りで市場へと走り去っていく。その後姿を信じられないと言った様子で見送る仰向けのハインツは、ハンターの身体能力に対して関心を越えて畏怖の念を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

「……ハンター、か」

 

 小さなため息のあとに誰にも聞こえないくらいの声で呟くと、ハインツはリィタの華奢な背中を見届ける。

 とても小さな背中だった。もう遠くの位置まで走っているからだろうかと頭をよぎるも、それはただの遠近法。現場ではずっしりと重みのある大剣を背負う彼の護衛ハンターは、その姿からは不相応なほど頼りになり、華麗に戦場を駆け巡る。

 

 おそらく彼女の謹慎が解かれるのは時間の問題だ。再び戦場に出れば八面六臂の活躍を見せてくれるだろう。

 脅威が迫れば愚直に立ち向かい、背負っているであろう大剣を引き抜いて構えるのだ。きっと彼女は躊躇わない。戦い、進み、進み、進み続ける。そして、いつか訪れるのは――。

 

 ハッとしてハインツは思考を一時中断する。

 

 もう一度寝転んだまま小さな背中を探すと、追った視線の先に少女の姿は既になかった。

 少しだけ安堵すると、ハインツは未だ酸欠気味でフワフワする頭に自制をかける。今考えても仕方ないことだと、彼自身に言い聞かせる。

 

 それよりも今考えるべきなのは、

 

「明日もトレーニング付き合うって言っちゃったよ……どうしよう」

 

 自らの身の安全だったのだから。

 

 

 

 

 

 

「ぷっはぁ~! い、生き返ったあぁ……」

 

 手のひらサイズに収まる瓶の縁から口を離すと、枯れ始めていたハインツの精気はみるみる水けを取り戻していく。底に残った水滴も残さないよう瓶を逆さにすると、こぼれ落ちる雫をカメレオン科のように舌を伸ばして受け止める。

 

 そんなハインツの様子を横からじっと眺めるリィタ。観察するのは得意なハインツだが、観察されるのは慣れていない彼にとって、それはなんとも言えない気恥ずかしさを内包していた。なにかと今日は立場が逆転している。

 

「水分補給は大事。身体から水分が減ると、途端に動きが悪くなるって話。ハインツさんは知ってる?」

 

 リィタが寡黙な口を開いたのは、ちょうどハインツが瓶の中身を飲み干したタイミングだった。

 少しだけ得意げに鼻を鳴らす少女は、この豆知識を語りたいが為なのか、栄養ドリンコを飲み干そうとするハインツのことを、脇からずっと待っていた様子だった。語るリィタに対してハインツが首を横に振ると、またしてもほんの少しだけ、彼女は勝ち誇った顔をしてみせる。だがそれもすぐ、向かいの青年が気づく前に彼女の鉄面皮へと飲み込まれてしまうのだが。

 

「その手の分野は詳しくないよ。なにせ干乾びた雑巾の気持ちを知ったのは今日が初めてなんだ。あ、ご馳走様。ちなみにコレって中身は?」

 

 彼にとって命の水とも言えた栄養ドリンコ。夢中で中身を確認せずに飲み干すほど全身が水分を求め、カラカラに渇いていたハインツの肉体と探究心。潤いと共に快復したそんな彼の行動原理は、この口当たりもよくスイスイ飲めてしまう液体の正体に向いていた。

 

「みんな大好き、元気ドリンコ」

「大好きかは知らないけど、本当に? 僕が知ってるのはトウガラシと眠魚を混ぜたのだけど、今どきはこんなのもあるんだね」

 

 リィタの答えにハインツは改めて感心したように瓶を覗き込む。

 元気ドリンコはハンター向けに開発されたスタミナ増強剤だ。調合法が地域によって多少異なるが、広く流通したある意味伝統の飲料でもある。巷で三万人の愛用者がいると評判で、飲みやすく簡単に摂取できるのが売りの一つとなっている、極めて健全な飲み物だ。

 と、ここまでなら普通なのだが。

 

「……と、回復薬と活力剤とアルビノエキスと狂走エキスと漢方薬と鬼人薬と――」

「ん?」

 

 なぜだか聞き覚えのあるようで馴染みのない文字の羅列が後続から続いてきたのが、余計にハインツの困惑を加速させた。

 

「と、フルフルベビーとキラビートルの幼虫とドンドルマグロとにが虫と雪山草と情熱ルビーとザザミソに――」

「待って待って待って待ってっ!? え、いや、大丈夫なのコレっ?!」

 

 息継ぎもせずに淡々と呪文のように続く単語の数々。明らかに途中から食用でないような物の名前までチラホラ混じっている。

 胃の奥が急に重たく感じたのは、気のせいなのか何なのか。

 

 そしてトドメの一言。

 

「と、ハチミツも入ってた」

「ぶふっっっ!!!」

 

 吹き出しかけたハインツからひらりと距離を置くと、いたずらっぽく――は笑わないリィタが付け加える。

 

「……ハチミツは、うそ」

「――よ、良かった……じゃなくって! ……コレ、飲ンデモ大丈夫ダッタノ?」

 

 ハチミツが入っていないところで、ハインツの受けた衝撃が軽減するわけもない。既に渇いた五臓六腑にまで染み込んだであろう元気ドリンコ(仮)を吐き出す手段はゼロに等しかった。するりと胃にまで落ちたはずの液体が、心なしか逆流している気もするが気のせいじゃないのだろう。

 

「ああ……聞かなきゃ良かった。次からは持参しないと」

「大丈夫。自信作だって、売り子の三人が言ってた。ダメだったら返品してもいいって」

「ダメって何が!? もう返品できないんだけど!……いや、市場に出回ってるのなら大丈夫だと思うけど少しは疑って欲しいな。違法な薬物でも混ざってたら、僕は晴れてお縄にかかって病院漬けになるんだから」

 

 得体は知れたが果たしてニンゲンの飲んで良いものであったのかどうか。その答えがわかることがないのがまた厄介なところ。

 

「……でも中身はさっき言った通り。危ないものなんて、入ってないよ?」

 

 帰ったら胃薬を探そうと決心するハインツに対して、リィタはあまり理解していない様子で首を傾げる。

 

「君にとってのキラビートルや情熱ルビーって一体……いや、なんにせよだ。それは正しい認識じゃない。ねえリィタさん。オーバードーズって言葉、知ってるかい?」

「……知らないけど。その話って、長くなる?」

「えーと、善処します」

「ん。ハインツさんがトレーニングサボろうとしてる」

「バレげふんげふんっ……違いますよ? 大事な話だから」

 

 あっさり見透かされたハインツの魂胆だが、ここで彼も引き下がる訳にはいかない。誤った知識は正さねばならないという、ささやかな彼の書士隊としての意地である。

 

「じゃあ、いいけど。さっきの(オーバーユーズ)とは違うの?」

 

 面倒くさそうにするリィタだったが、彼女も書士隊就きのハンターだ。このように面倒くさい人種が多いということは、予め分かっているつもりだった。だから、仕方なしにと青年の話に耳を傾ける。

 

「字面は似てるけど違うね。訓練所あたりで習わなかった?」

「私は訓練所、あんまり行ってないから」

「あ……そうか。じゃあ尚の事話すべきだね。今でこそ便利になったアイテムだけど、例えるなら……そう。鬼人薬だ。鬼人薬の携行数がギルドで定められているのは、リィタさんも知ってるよね?」

「うん、確か五本? 使ったことはないけど」

 

 鬼人薬。怪力の種の成分を増強剤やマカ漬けの壺によって強化した赤色の薬。飲んだ者は一時的に鬼の如き力を得ることが出来る。典型的なドーピングアイテムだ。

 

「はい正解。でだリィタさん。なんで五本(・・・・・)、だと思う?」

「……え? ん……なんでかな」

「これからするのは、そういう話さ」

 

 




次回、好き勝手に解釈してます。苦手な方はご注意下さい。
油断するとリィタさんが相槌botになってしまう。

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