喉を焼かないため身に着けていたマスクを裏返してみると、半日も経たないうちに黒く煤けていた。
「ハインツさん」
と、一言。リィタが少し離れて筆を取り続けるハインツに探索初日の終了を告げる。
モソモソと撤収の準備を始めるハインツから視線を外すと、リィタは照らしつけてくる西陽に向けて小さく目を細める。村に着くまでには陽が落ちきることはないだろう。予定通り戻ればウィンブルグと合流する必要がある。
(……腰、良くなってるといいけど)
打撲や裂傷ならともかく、腰のような内的な損傷は直接手を加えられない。荒療治で"いにしえの秘薬"なる物もあるそうだが、簡単に手に入るような代物でもない。おとなしく経過を見るのが無難と言うものだ。
「明日の予定は改めて考える必要があるね」
それは手早く撤収の準備を済ませたハインツも承知していたようで、指でこめかみを擦りながら困ったように首をかしげている。
「土地勘のある人――ウィンブルグさんの代わりを探す?」
「そうだね。ここの村長に相談してみようと思う。謝礼も……懐が寂しくなるけど用意しよう」
リィタは腰に下げた道具袋をちらりと見やる。粉々になったマカライトの原石が詰まっているが、状態が状態なだけに大した値もつかないだろう。
「いや待てよ。経費で落とすという手が」
「ラッセルにどやされそう」
「うぎぎ……」
虚空に向けて指を折りながら眉間にシワを寄せるハインツは、おそらく今月買える本との帳尻合わせをしていたのだろうか。
「いやいや待てよ。そもそもここは鉱山だ……一攫千金もあり得るか」
「私たちの目的、忘れてない?」
「……そうだったね。暑さで趣旨がブレるとこだったよ」
あくまでも
リィタも肯定の意思を向けると、帰路を見つめる前にもう一度、後方の火山に碧眼を向けた。もくもくと昇る白煙の先に"火山の泪"はあるのだろうから。
◆
案内役は村長に掛けあったところであっさりと候補が見つかった。なんでも火山にロマンを求めて移住した物好きな男だと村長は言う。ゆえに妻に愛想を尽かされてしまったのはここだけの話と、聞いてもいない話まで聞かされてしまった。
暑さから解放されて程良い疲労感が肩にのしかかり始める頃。
気付けば夕日も沈みかけていた。
回り道をしてしまったが、明日の予定をハインツと話しながら二人はウィンブルグの見舞いに向かう。調査一日目の締めくくりである。
「腰、大丈夫かなあ」
「ミエール君も一緒に看てくれてるから大丈夫かと」
この場にいない四人(?)目の調査班メンバーであるミエールは、ウィンブルグの看病を口実に意図的にハインツが現場から引き離していた。その甲斐もあってか、一日目の調査はウィンブルグ不在なこと以外は滞りなく終わりを迎えたのだ。
「本能に忠実な奴だからなあ。サボってハチミツ探しに繰り出してる気がするよ」
乾いた笑みで返したハインツの答えにリィタも妙に納得してしまった。
「……でも、この辺りはハチミツが採れないと思う」
「そりゃ蜂の生息域とは離れてるだろうからね。この地域でハチミツはかなりの貴重品だよ」
「村から出て探しに行ってたりして」
「はは、考えすぎだよ。まさかね?」
大げさに腕を広げてハインツは笑い飛ばす。
辺りを見回せば、すでに景色は薄紫に染まりつつあった。すっかり遠くなった火山に今一度目を向けると、薄暗い闇が火山全体を覆い、マグマの熱が火口から天上の闇をうっすらと赤く照らし出している、ように見えた。
リィタの生まれ育った雪山とは全く違うこの環境。あの火山の奥地に足を運ぶ日は果たしてくるのだろうか。
そんなことに思いを馳せるのは、今日という調査が終わろうとしていたからだろう。
しかし、そんな時だった。
入山時には一度も引っかかることのなかったリィタの
物々しい雰囲気の村人が二人とすれ違ったのだ。沈みかけの夕日と強まる闇の気配が余計に村人の表情を重く見せたのかもしれない。しかし穏やかな出来事でないであろうことは、隣のハインツも直感しているようだった。
二人が振り返ると、村人は真っすぐに村長の家に足を踏み入れていく。周りを見回し耳を澄ましてみると、村全体に何やらどよめきが広がっている。
「……ハインツさん」
「ああ、嫌な予感がするよ……」
しばらくすると、村長の家からは焦燥した色を隠せない村人と、神妙な面持ちで火山の方角を見つめる村長の姿があった。矛先がゆらりと変わると、リィタはその視線が彼女の隣、ハインツへ向いていることにすぐ気が付いた。
視線が含む色の意味は、リィタのハンター観察術が読み取るに"期待"と"不安"。
村長に調査の旨を伝えた際、書士隊の知名度を上げようとハインツがやけに気合を入れて自己紹介してしまったことも一因だろう。
「君とのトレーニングのおかげかな? 有難いことに、まだ首を突っ込む元気はありそうだよ」
「……しっかり感謝してください?」
「はは……でも、こういう雰囲気少し苦手かも」
「私はそうでも。尻込みしてないで行きましょう」
「こういう時の君って頼りになるね」
弱腰な言葉を吐くハインツだが、彼の瞳には調査開始時の活力が今も宿っている。言葉通り余力があるのだろう。
王立古生物書士隊は王国の威光のもと、常に大陸の民たちの味方であり続ける。この行動指針はリィタも気に入っていた。
調査に費やした疲労が残っているとは思えないほど、力強い一歩を書士は踏み出す。隣のリィタも追随する。調査にほんの少しの
◆
単刀直入に説明すると、子供が一人山の中へ入ってしまったらしい。それに山は山といえども火山の採石場だ。これだけでも事態は急を要すると言っても差し支えない。つい先程まで、二人はその手暑い歓迎を受けたばかりなのだから。
これから村人総出で捜索が始まると村長は言う。
「では、採石場周囲にモンスターの類は?」
ハインツが尋ねる。捜索の際に一番の
「……ここ十数年、牙獣や飛竜も見られていませんな」
村長の話では最後に出現したバサルモスは、討伐後その地域を定期的にハンターの採集任務の地として提供し、定期的な巡回地域に設定しているそうだ。そして現在進行形でモンスターの予兆はないと言う。
「このン・ミカは平穏な採掘村なのが特色ゆえ。ただ――」
言い淀む村長の言葉に、ハインツとリィタは力強く耳を傾ける。
こうして"火山の泪"を巡る調査一日目の第二幕は突発的に上がるのだ。
遅ればせながらサンブレイク発売おめでとうございます。