大地からこぼれ出る灼熱の赤を包むのは、光を失い静かに天に張りつく夜の
日中は上下から襲う熱地獄をエリックは幸か不幸か知らないでいた。
それでも少年の息遣いは荒かった。
経験したことがないほどの渇きが空間を支配していたのも一つだろう。頭の中では分かっていたつもりでも、一呼吸ごとに生命活動を回す小さな体に対しては非常に大きな
それに今のエリックは頭と同時に身体も全力で動かしてしまっている。そうせざる得ない理由があったのだ。
どうしてこうなってしまったのか。
少年の心情を表すのにはこの一言に尽きる。
走る。走る。走る。
堆積した灰と、その中からかき分けるように力強く芽吹く新芽を踏みしめながら、少年にとって待ち焦がれた火山の大地を突き進んでいく。
広がる闇を密かに照らすのはエリックにとって宝物である小さな紅蓮石の欠片だった。
小瓶に入れて首からぶら下げ、灯りにしては幾ばくか心もとない小さな石に宿る光。一抹の不安が彼の心を掠める。しかしそれ以上に興奮もしていた。文字通り熱で浮かされていたのかもしれない。
たとえ不安であってもエリックが走るのに必要だった理由は、非常に単純で明快であったのだ。
「どこにいるの!?」
追いかけていたのだ。
少年の先を走っていた、一匹の客人を。
どうしてこうなってしまったのだろう。
――時間は遡る。
◆ ◆ ◆
「あいだダダダダ?! ぎ、ぎえ˝え˝エエエッ!!」
村の一角にポツンと建つ診療所からは、中年ハンターのイャンクックも顔負けの断末魔が立ち昇っていた。
三人がかりで無事にハンターを送り届けることはできた。までは良かったのだが、その後あれよあれよと事態は転がっていた。
「動くんじゃあない。鎧が脱げんだろ」
ハンターの常駐しない村、ン・ミカ。診療所の翁だってもちろんハンター慣れをしていなかった。
だから鎧を脱がそうものなら手荒になるのは必然であり、それが今の中年ハンターにはとても堪えるらしい。エリックの目の前では、翁がのたうち回るハンターを強引に抑え込んで、燃えるような赤の際立つ鎧を引っぺがしにかかっていた。
「これはどこから脱がせばいいんだか? こうか? ここか!?」
「もう少し紳士的にッ……その角度は――いかんので、あ、るあああああああ?!?」
本当はエリックも手伝いたいのだが子供の出番はここまでだった。大人の纏う鎧の重さは相当なもので力及ばず見守ることしかできない。強引に引っ剥がされた兜の下では、露わになった黄金のヒゲ面が苦痛に歪んでいた。
思わず中年ハンターの表情から目を背けて考える。
一体、あの火山で何があったのだろう。
これまで間近でハンターを感じる機会のなかったエリックにとって、考えれば考えるほどに気になることが増えていく。ハンターが火山から負傷して運ばれたのだから、どんなモンスターと死闘を繰り広げたのだろうかと、心の隅で想像していた。
脱ぎ捨てられ、ところどころ修繕された痕の目立つ赤い鎧を興味本位で覗き込む。そして目線は再び鎧の主に向かう。叫んだ折に魂ごと放り出してしまったのか、中年ハンターはぐったりと床に臥せている。
ひと仕事を終えた翁が汗を拭っており、この空間にはエリックと翁、そして物言わぬ中年ハンターの三人だけ。凹凸の二人組の姿はない。炭鉱での作業が残っていたのか、ハンターを運び終えるなり立ち去っていたのだ。
ここでエリックは自分がこの場に付いてきた目的を思い起こした。
謝ってから、訊ねる。
たった二つのことなのに二の足を踏んでしまう。
それにいざ実践しようとしても、今は難しいみたいだった。あまりにも
「……」
"火山の泪"なんて気になる言葉。
立ち入ることが許されていないとはいえ、こんなにも間近で火山を感じていたというのに。
もしかすると本当に聞いてはいけない話だった、なんて考えが頭をよぎる。これがもし極秘の任務なんてものであったなら。それを盗み聞いてしまったエリックは一体どうなってしまうのか。
無防備に開けてあった窓から偶然聞こえてしまっただけ。そんな苦しい言い訳を考えつつも、やはり聞き耳を立てた自分に対して激しく後悔してしまう。
(出直そ……)
そうエリックの心が傾いた時であった。
「お悩みかニャあ?」
「え……?」
いつの間にか、三人ではなくなっていた。
「ハチミツひと瓶くれたら悩みを聞いてやるニャ」
不意に黄金のヒゲ面よりも更に本格的な、ただし非常に愛らしい不遜なヒゲ面が現れたのだ。
いつの間にか懐に入り込んでいたモノの姿を捉えた瞬間、ぎょっと飛び退いて木壁に頭をぶつけそうになる。何とかこらえて壁伝いに距離をとると、もう一度その姿をまじまじと見やる。見やるよりも先に、やけに甘い匂いが鼻を掠めた。
エリックへ声をかけてきたのは一匹のアイルー。何の変哲のないアイルー色に、間の抜けた顔と大きなまん丸の瞳で、少年の頭一つ分小さい位置から彼の驚いた顔を覗き込んでいる。
「言いたいことがあるならはっきりするニャー」
小ぶりな口から投げかけられる言葉は、まるで自分の心を見透かすように、ガツンとエリックの胸に殴りこんできた。
「それは……」
言い淀むエリックに対して、アイルーは小ぶりな鼻をひくひくさせながら、ハンターよりも愛嬌のあるヒゲを揺らす。やがて大して間を置かずに
「じゃあオイラから聞くニャ。この村最高の……ハチミツはどこにあるニャ?」
と、無遠慮に彼(?)の目的を吐き出してくるのだ。
◆
病人は絶対安静。至極当然の話で、診療所は野次馬が集って良い場所じゃない。すっかり話しかけるタイミングを逃したエリックは、例のアイルーともども表に放り出されていた。
少なくとも彼の傍らでハチミツを要求したアイルーの名はミエール。そしてエリックが覗き見したときにいた一匹のアイルーこそ、このミエールだったのだ。これはまたとない機会だ。今のエリックはなし崩し的にこのミエールの話を聞くことになっている。
「でも、なんでハチミツ?」
「それはオイラが食べたいから……じゃニャくて、ハチミツは万病に効くお薬ニャー。ヒゲの旦那を治すにもハチミツが一番なのニャ! そしてお前、知りたいことある顔してたニャー。だけど情報には
たしかにハチミツは、薬草と煎じることでその効果をさらに高める、と行商人からエリックは聞いていた。
それにネコバアのアイルーと触れ合う機会が多かったエリックにとって、かえってこの方が気楽に話すことができるのも事実。アイルーは物々交換が好きなのだと、彼らの文化をエリックは知っていたのだ。
「鉱石ならいくつかあるけど」
「石で腹は膨れないニャ」
「やっぱり食べたいだけじゃんか」
エリックの提案はバッサリと切り捨てられる。おそらく万病に効くという話も建前なのだろう。
「あのね、ハチミツっていうけど、こんな村にあると思う?」
「ないのニャ?」
「
「それは困るニャ!!」
まん丸の目を潤ませると、見るからにミエールは落胆して肩を落とす。
ハチミツがあったとしても、それは定期の行商人が来た時くらいだ。次に来るまで時間も空いてしまう。今すぐ用意するのは難しいのだ。
何か代わりになるようなものがあればと、小さな頭をひねって考える。ハチミツ好きと言うのだから、きっと甘いものは好物だろう。そう考えながら、
「代わりじゃだめなの?」
「ハチミツがいい……」
しゅんとしっぽを丸めるミエール。この正直者を見ているとエリックもバツが悪く感じてしまう。さらに少し俯いて考え込むと、やがて思いついたとばかりにミエールに提案をしてみた。
「――あれなら」
「ニャ?」
火山の村で甘味は貴重である。そんな彼らが古来から飢えを満たすために培ってきた知識は当然あるのだ。少なくともエリックにとっては当たり前でなじみ深い一品。
「熱帯イチゴって知ってる? それをグッツグツに煮詰めたジャム、僕の大好物さ。ハチミツにも引けをとらないよ」
「交渉成立ニャっ!!」
一瞬である。先程まで落胆で丸めていた尻尾は快活さを取り戻し、ミエールの瞳は輝きを取り戻していた。
エリックもうまく話がまとまり、右手で握りこぶしを小さく作る。
「よし、なら家に戻って……あ」
「どうしたニャ?」
「朝、全部食べちゃったかも……」
「なら問題ないニャ! 足りないものは現地調達っ! ご主人も行ってたのニャ!」
「あ、待って……!」
◆
そして時間は少し前に戻る。
はじめは村近辺に自生する熱帯イチゴを探し回っていたのだが、これがまた見つからない。次第に探索の範囲は広がっていき、遂にはエリックを阻み続けていた坑道の関所付近まで来ていたのだ。
「だめだよ! これ以上行ったら危ないって」
「ニャ? この村には
ミエールが鼻息荒く周囲を見回していると、遂に何か見つけたのか、彼の尻尾が空に向かって舞い上がる。
「見えたニャ!」
と、彼の一言が聞こえたが最後。ミエールは信じられないほど俊敏な動きでエリックのはるか先へ走り跳んで行ってしまった。
「……あ、行っちゃった」
坑道とは異なる火山へ向かう境界線。どうやらミエールは熱帯イチゴを見つけた様子であったが、これ以上は本当にまずい。大人たちから近寄るなと言われていた山の先を、彼はお構いなしに踏み越えていってしまった。
さすがに放っておくわけにもいかない。ミエールはあのハンターのオトモなのだから、きっと熱帯イチゴを取ったら戻ってくるだろう。
辺りも暗くなり始めた。小脇の袋から小瓶を取り出すと、ふわりと小さく暖かな光が少年の顔を照らした。常温で燃え盛る紅蓮石の欠片は非常時の光源となるのだ。本当はゲンコツが飛ぶから遅くに出回ることなんてないはずなのに、なぜか肌見放さず持っていた灯りを見てエリックの内心はワクワクに満ちていた。
経緯はどうあれ、ハンターたち一行が来てエリックの一日は目まぐるしく変わったのだ。それはなにかの始まりを告げているかのようで、なにかもわからず心は高揚してしまうのだ。
「ぎ、ギニャアアアアア!????」
絞り出されるような悲鳴が上がったのは、ちょうどその時だった。