第二次大戦末期、ナチスにより現世に召喚された悪魔、ヘルボーイ。
 成長した彼は、BPRD(超常現象調査局)の捜査官として、様々な怪異や超自然的存在と戦っている。
 1986年。今回ヘルボーイが受けた任務は、13年前の1973年に行方不明になったロルフ一家の捜索。彼らはその年の夏、避暑のためにとアメリカ・リヴァーヘッドのオリエントロード近く、『ショア・ロード17番地』に建っている『家』……白亜の大きな屋敷を借りていた。
 だが、『ショア・ロード17番地』は、存在しない場所だった。
 当時まだ二年目の新米捜査官である、発火能力者のリズ・シャーマンを連れたヘルボーイは、『家』を見つけるが、そこに住むアラダイス兄妹が出迎える。
 そして、ヘルボーイは知る。『家』の秘密を。

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「マリアンは、草木や花が好きな姉でした。そして、私も」

 病室にて、その女性患者は、二人の訪問客に弱々しく言葉をかけていた。

 1986年。アメリカ、ニューヨークの病院。

 その病室の一つに入院している、ダイアナと名乗る女性。彼女は、非常に老けた外見をしていたが……訪問客の片方は、その老けた外観が心労の結果だという事を予測していた。

 接続された心電図のモニタからは、安定した電子音が響き続けている。しかし、その音はどことなく……弱々しい。

「それで、13年前……1973年の夏に、ひと夏だけ避暑に向かう……と、電話口で話しました。それが、姉の声を聞いた最後です」

 二人の訪問客の一人は女性。まだ二十代の若々しい女性は、タバコを取り出してくわえかけたが、ここが病室だと思い出し、すぐに仕舞いこんだ。

「あ、これは……失礼しました」

「構いませんよ。もうどうせ、死ぬところですからね」

 リズ・シャーマンに、ダイアナは弱々しく微笑んだ。

「それで、何か俺たちにできることは?」

 もう一人、リズ・シャーマンの隣りに立つのは、2mほどの大柄で、くたびれた大きなトレンチコートを着込んでいる男。その皮膚は赤く、右腕は巨大な石のようなグローブがはまっている。厳めしい顔つきをした顔の額には、根元から折り取られた角の痕跡。それはまるで、ゴーグルを額に引っかけているようにも見える。

 彼の名は、ヘルボーイ。BPRD(超常現象捜査局)のオカルト捜査官にして……悪魔。

 ダイアナは、彼に顔を向けた。その簡単な行動すら、今の彼女にとってはつらそうに見える。

「コリガン先生に、全ては伝えてあります」

 ダイアナのヘルボーイへの返答は、一言のたびに弱く、消えていくかのよう。だがそれでも、最後の力を、文字通り死力を振り絞っているのだと、ヘルボーイは感じていた。

「全ての……記録と、資料は……コリガン先生に預けています。どうか……私の、姉と……姉の家族が、どうなったのか……それを……」

 そこまで言ったダイアナ、ないしは彼女に接続された心電図からの電子音が乱れ始めた。

 ヘルボーイはすぐにナースコールのスイッチを押すが……看護師が病室に入って来た時には、心電図のモニタはフラットに。

 彼女は、ダイアナは死んだ。いや、殺されたのだ。彼女の姉を奪った何かによって。

 ヘルボーイは憤りを感じていた。目前の老女に見える女性は、老女ではない。本来ならば40代半ばくらいのはずだ。なのに見たところは、70代以上にしか見えなかった。

 つまりは、この女性をそれだけ苦しめた原因があるはずだ。そいつがなんであれ……彼女を苦しめた事の報いを受けさせてやらない事には……一発ぶん殴ってやらない事には、気が済まない。

「ダイアナさん。あんたの依頼……引き受けるぜ」

 それはダイアナへの言葉であると同時に、ヘルボーイ自身の誓いの言葉でもあった。

 

 

 翌日。

「ダイアナさんの事は聞いたわ。気の毒だったわね」

 寂れたカフェ、その奥の席で待っていた彼女は、悲し気な表情と共にかぶりを振っていた。

「ああ。全くだ」

 そう言ってヘルボーイは、彼女と向かい合って座った。彼の隣りにリズも腰を下ろすと、ウェイターがコーヒーを運んできた。

「で、ケイト。この件について何かわかったかい?」

「そうね、色々と調べてみたけど、確かに奇妙な点がいくつか判明したわね」

 ヘルボーイがケイトと呼んだ女性は、ショートボブの髪形と、知性をたたえた眼差しを有していた。

 ケイト・コリガン。

 ニューヨーク大学教授にして、民話とオカルト史に関して右に出るものはいない専門家。二年前からBPRDの顧問になった彼女は、顧問になってから、前以上にフィールドワークを行い、様々な発見をしてきた。

「順を追って説明しましょう。と、その前にコーヒーを飲んでおいた方が良いわよ。長い話になりそうだからね」

 

 ヘルボーイたちが受けたこの事件。発端は1973年の一家失踪からであった。

 NY在住のロルフ一家は避暑のために、7月1日から9月3日の二か月間、NYの家を離れた。

 一家は四人、高校教師のベン・ロルフ。ベンの八歳の息子デヴィッド。ベンの叔母で74歳のエリザベス。そしてベンの妻で、ダイアナの姉・マリアン。

 だが、彼らは戻ってこなかった。ベンには親戚はいなかったが、マリアンにはフロリダに両親が、カリフォルニアにダイアナが居たため、そこから警察に捜索依頼が出たものの……その行方はようとして判明しなかったのだ。

 心労から、ダイアナの両親は五年前に死亡。そしてダイアナ自身も、探偵を雇い探し続けていたが……姉家族を見つけ出す事は出来なかった。

 だが、ダイアナが雇った探偵は、ケイトと知り合いだった。そしてその探偵は、この件に超自然的な存在を感じ取り、ケイトを通じてBPRDに調査を依頼したのだ。

「それで、この失踪事件のどこに、BPRDが出張るほどのオカルトな点があるってんだ?」

「その事だけど、まずはこれね」

 ヘルボーイの質問を受け、ケイトは携えていた大きな茶色の封筒から資料を取り出した。

「警察、およびダイアナさんの雇った探偵の調査から、ロルフ一家はロングアイランドのリヴァーヘッド、そこから続くオリエントロードに行った事までは判明しているわ。そして、NYのダイアナさんの自宅で見つかったメモや新聞の切り抜きから、色々な事が判明したわ」

「色々な事?」

「判明点その1。ベン・ロルフの銀行口座から、1973年に900ドルが下ろされてた、って事」

「900ドルか。何か買うつもりだったんだろうな」

「正確には、借りるつもりだったのね。自宅のメモや新聞の切り抜きから、マリアンさんたちは、73年の夏の間だけ郊外に家を借り、そこで過ごす予定を立て、実行してたようね。900ドルは、おそらくその借り賃ね」

 そして……と、ケイトは更なる資料を取り出す。

「判明点その2。マリアンさんがひと夏借りるのは、リヴァーヘッドのオリエントロード近くにある、『ショア・ロード17番地』に存在する、アラダイスという人が所有する屋敷ね。実際に、オリエントロードで開業しているW・G・ロスって医者のところに、アラダイス家から連絡が入り、ベンがデヴィッドを連れて治療させた……って事も、これまた判明」」

 けれど、と、ケイトの声が低くなった。

「デヴィッドを診てから何日か後、今度は『叔母のエリザベスが死にそうだから来てくれ』って電話があった。で、ロス医師は向かおうとしたけど」

「けど、どうした?」

「判明点その3。『ショア・ロード17番地』って住所は、存在していなかったのよ。少なくともロス医師は聞いた事無かったし、オリエントロードの電話帳にも載って無かったの。それに加えて……」

 切り抜きに記載されていた、アラダイス家の連絡先。そこの電話番号も使われていないものだったという。

「じゃあ、その屋敷の正式な住所はどこなのよ?」

 リズの指摘に、ケイトはかぶりを振った。

「わからないわ。ひょっとしたら、どこかの詐欺師がロルフ一家を騙して、オリエントロードから離れた場所を『ショア・ロード17番地』って言っていたのかもしれないけど……この、『アラダイス家』に関して調べてみたら、ちょっと面白い事実が判明したのよね。もっとも……」

『面白い』と言うより、『奇妙』、または『不気味』と言うべきかも。ケイトはそう付け加え……資料の中から、更に数枚のコピーを取り出した。

「判明点その4。これは、新聞や雑誌に掲載されていた広告。『ひと夏家を貸します』って、今回の『家』を貸す時と同じ文句が乗ってるわけだけど……これにも場所は『ショア・ロード17番地』とあるわ。ただし、こちらの切り抜きは……1920年代の新聞からのものね」

 そう言ってケイトは、今回ロルフ一家が残していった広告記事と並べた。

「見ての通り、文面も内容も、場所も、ほぼ同じ。管理人のアラダイスの名もよ。50年前だから、今の人間が……とも考えられたけど、更にその50年ほど前、1870年代にも……同じ広告が掲載されていたわ。で、更にその40年前、1830年辺りの同様の広告。ここから、さらに古い記録を調べてみたら……アメリカ最初の新聞が発行される60年前、1630年が最古だったわね」

 つまり、1630年から4~50年ごとに同じ内容の広告を、何者かが載せている。

「確かに、こいつは……」

「奇妙、ね」

 ヘルボーイとともに、リズもつぶやいた。

 それだけ昔から存在するのなら、ロス医師を含めた周辺住民は、アラダイス兄妹、および『ショア・ロード17番地』の存在を知っていてもおかしくない。なのにロス医師は『ショア・ロード17番地』など無いと言っていた。そして、オリエントロードの住民たちも、同じく知らないとの事だった。

「アラダイス一家が何者か。現時点ではまだ判断しかねるわ。私はリヴァーヘッドでもう少し手がかりを探してみる」

「じゃあ、俺たちは先に行ってるな。図書館で本を読みこむより、俺としては現場で実際に身体を動かす方が性に合ってるぜ」

 コーヒーを飲み干し、ヘルボーイは立ち上がった。

 

 

 数時間後。

 オリエントロード。

「リズ、車を燃やすんじゃあねえぜ」

 中古車を運転しながら、ヘルボーイは助手席のリズへとからかうような言葉を投げかけた。

 リズはくわえたタバコに人差し指を近づけると……その指先から小さな炎を灯した。

 超能力者である彼女は、自在に炎を発生させる能力を有していた。かつてはこの発火能力が暴走し、彼女の家族を含む多くの人間が巻き込まれ、犠牲になったものだった。

 今では、ライターの代わりに自前で炎を灯し、タバコに火を付ける程度には制御できている。そのまま彼女は、美味そうに煙草の煙を吸い込んだ。

「最後に発火の失敗したのは、もう二年も前よ。私だって日々成長してるんだからね」

 ヘルボーイにそう言い返し、リズは運転席へと煙を吹きかけた。

 煙に咳き込みつつ、周囲の景色を見たヘルボーイは、どこか説明のつかない奇妙さを感じた。正確には、周囲に広がる木々の中に。

 木々と道とを遮っているのは、蔦とヤブに覆われた石塀。まるで来る存在全てを拒み、追い返そうとしているかのようにたたずんでいる。茂る緑色は、野生の獣が獲物を狙う時のような『殺気めいた雰囲気』を醸し出していた。

 この中に、何かが居るんじゃないか。そんな予感がしてならない。幽霊屋敷や怨霊が潜む遺跡などには何度も赴いたが、そこに入る前に感じる『禍々しさ』。それにどことなく近い。

 それが何なのかわからない。だが、おそらくそれと戦う事になるだろう。

 すでにオリエントロードから、森林の中へと続く道に入っている。そして、発見した石塀沿いを走りつつ、先刻から『ショア・ロード17番地』を探していたが、それらしい場所は見当たらない。

 さらに一時間が経過し、車内の灰皿はタバコの吸い殻でいっぱいに。やがて、意を決したヘルボーイは……。

 車を停めた。

「HB?」

「このままじゃ、タバコの煙と退屈で、俺たちの方が先に参っちまう。ちっとばかし……普通じゃない方法で探そうと思ってな」

 そう言って、リズに見られながらヘルボーイはポケットをまさぐった。

 彼のトレンチコートやベルトに付けたポーチには、世界中のありとあらゆる護符や魔除けが入っている。それは、大抵の魔術や超自然的な力、存在に対し、抵抗し防御するためにとかき集めたもの。

 それに今回、トレバー・ブルッテンホルム教授から、新たな護符と呪文とを持たされていた。古代レムリアの遺跡で見つかったもの……との事だ。使わなければ、それに越した事は無いが。

「……おおっと、アグリッパの護符はここにあったのかよ。こいつじゃあなくて……あったあった、こいつだ」

 やがて、奇妙な護符を取り出したヘルボーイは、それを手にして車から降り立った。

「それが、普通じゃない方法?」

 リズも車から降り、ヘルボーイの後ろに立つ。

「まあな。『ショア・ロード17番地』ってのが隠されているんなら……そいつを見破るまでの事だ」

 そう言って、ヘルボーイは手にした護符をかざした。

「こいつは、道に迷わせる妖精の呪文を消す事ができる護符だ。うまくいけば何とかなるかもしれねぇぜ」

 それは丸い円盤の中心部に、磨かれた琥珀のような石がはめられた簡素なもの。それをかざしつつ、彼はぶつぶつと呪文を唱えながら石塀沿いを歩いた。

 そして、十分後。

「……ビンゴ!」

 何も無かったその場所が、いきなり開けたのだ。間違いなく、まやかしの呪文かなにかがかけられていたが、ヘルボーイの護符がそれを討ち破った。

 護符をポケットにしまい込み、ヘルボーイは車に乗り込む。

「さて、リズ。お前さんは……」

「まさか、ここに残れ、とか言わないわよね。HB」

 ヘルボーイに、『それ以上何も言わせないわよ』とばかりに、リズは言葉を投げつける。

「まだ捜査員としては二年目の新米だけど、だからこそ経験を積むチャンスだ、とは思わない? それに、私もこれ以上タバコの煙と退屈で死にそうな目には合いたくないんだけど?」

「へいへい」

 ぼやくヘルボーイの目前には、護符により現れた、山中へと続く「道」があった。

 石塀に、がっちりした柱が門のように二本立ち、今まで走っていた車道から直角に折れて、森林の中へと続く道が続いている。

 柱の片方には、古びた青銅の標識が取り付けられ、それには刻まれていた。

『ショア・ロード17番地』と。

 

 道を進むと、徐々に先刻からの『禍々しい雰囲気』が、強くなってくる。

 ヘルボーイは車を走らせながら、木立の中にも油断なく視線を走らせていた。

「HB、見た?」

 突然、リズが声をあげたため、ヘルボーイは急ブレーキをかけた。

「どうした?」

「今、見えたのよ。……あの木立の間に、何か大きな動物の姿が」

「なんだって?」

 リズが指し示した先を見るヘルボーイだが、何も見当たらない。いや、木々の枝や幹が複雑に絡み合っているため、何かが潜んでいたところで見る事は出来ないのだ。

「熊か何かじゃないのか?」

「……ええ、たぶんそうだと思うわ。けど……」

 リズの口調は、どこか釈然としないものだった。こんなに木々が生い茂っている場所なら、熊が居たところでおかしくは無い。

 しかし……ヘルボーイも直観的に感じていた。熊ではない『何か』を、リズは見たんじゃないか、と。

「そういえば……」

 リズが呼び止めたあの時、ヘルボーイは『何か』の姿を見ていないが、『何か』の存在を感じていた。

 わずかの間だが、『臭い』がしたのだ。それも、強い獣臭が。

 この地には紛れもなく『何か』がある。『何か』がもたらす『闇』に覆われている。

「……ちっ」

 舌打ちしたヘルボーイは、そのまま車を走らせた。

 やがて。森の木々は突如開けると、道幅が広くなり、開けた土地へとヘルボーイらを導いた。この周辺の木々は、先刻のように枝を複雑に絡めてはおらず、適度に茂っている。まるで適度に手を入れた庭園のようだと、ヘルボーイは思った。

 そして、平地に続く道の先に。

「家」があった。

 

「家」に近づくと、ヘルボーイは車内からその屋敷をしげしげと見た。

 それはあたかも、古き良き時代の建造物といった趣を醸し出しており、ヘルボーイとリズは認めざるを得なかった。その建物の美しさを。

 外壁には傷みや破損は全く見当たらない。白に塗られた外壁は、内側から輝いているかのよう。

「家」の中心にはひときわ大きな棟があり、周辺の棟も含めて、自然と草木も含めたうえで、調和めいたものすらも感じさせる。「家」がこの土地に立ちそびえる事がごく自然であり、何もおかしな点などどこにもないじゃないか……と、ヘルボーイは思った。

 だが、ヘルボーイはすぐにその考えをあらためた。

「……変、だな」

「え? 別に……」

 どこも変じゃないわ。出かかったその言葉を、リズは飲み込んだ。彼女もまたヘルボーイと同様に、強い違和感を覚えたのだ。

 出入口が見つからず、ここまでくるのにも結構かかった。こんな不便な場所に、どこの誰が屋敷を建てたのか? いや、そもそも呪文で通り道を隠してる時点で、おかしいのだが。

 昔に建てたのかもしれないが、だとしてもなんでこんなに状態が良いのか? どんな建物にも、手入れは必要。だがこんな山奥に、どうやって業者や大工を呼ぶのか。

人里離れたこんな場所に、こんなに手入れが行き届いた屋敷が建ってるってだけで……尋常ではない。その屋敷はどう多く見積もっても、築十年以上は経過していなさそうだ。あまりにも……小奇麗すぎる。

 むしろ、荒れ果てていたほうがまだましだ。この「家」……まぎれもなく、「普通じゃない」。

 生じた緊張感とともに、二人は車を降りた。

「誰だ!」

 次の瞬間。

 鋭く呼び止める声に、二人は振り返った。

 

「あんたら、ここで何をしている?」

 そこに居たのは、老人だった。背が低く太っており、だぶだぶの作業着に身を包んでいる。ズボンは薄汚れたサスペンダーで吊っており、その頭に被っているのは、汗染みがついた帽子。

「ああ、ちょいと道に迷ってな。俺たちはこのあたりに知り合いが住んでるって聞いて、ちょいと訪ねに車を走らせてたんだが、曲がり角を間違えたようで、このざまだ」

 ヘルボーイのその言葉に、老人は胡散臭そうなものを見るかのような視線を投げてよこした。

「で、遠くに家が見えたもんで、ちょいと電話を借りようと思ってな。すまないが電話を……」

「悪いが、すぐに出てってくれ」

 老人は言い終わるのを待たず、睨み付ける。が、ヘルボーイは食い下がった。

「おいおい。俺たちは別に怪しいもんじゃねえよ」

「すまんが、あっしは旦那様たちに、よそ者をこの家に近づけるなと命じられててな。誰であろうとこの家に関わってほしくないんだ」

 さあ、早く出ていけ。視線でそう訴えかける老人だが、ヘルボーイはその言葉に従うつもりなど無い。

「なあ、電話を一本かけるだけだよ。俺は知り合いに、今日中に家に到着するって約束してんだ。もう夕方だし、もしここで車中泊することになるんなら、知り合いが心配してあれこれ騒ぐだろうからよ」

「そうよ。遅れるって連絡だけでも入れさせてくれないかしら?」

 リズも加わったが、それでも老人は引き下がろうとしない。

「あっしは旦那様に……」

「ウォーカー、どうしたの?」

 が。

 老人を呼び止める、女性の声が響いた。

「へい。あのう……この人たちが……」

 ウォーカーと呼ばれた太った老人が、声の方へと顔を向ける。ヘルボーイとリズも釣られて顔を向けると、そこは玄関、そして開いた玄関の扉の中には、二人の男女が居た。

「どちら様?」

 女性の方は、年のころは60代くらい。小柄で、高価そうなダークブルーの服に、これまた高価そうなパールのブローチを付けている。髪の毛は白髪交じりだが、艶があり、活発そうな、抜け目の無さそうな、引き締まった印象を与える顔。

 その隣には、車いすに座った男性。やはり見たところ、60代より下では無さそうだとヘルボーイは思った。太った身体に青白い肌、白髪だらけの赤毛の髪は薄くなり、そばかすがういた頭を覆っている。ふちが赤らんだはれぼったい目で、彼はヘルボーイとリズを値踏みするかのように見つめていた。

「よそ者は近づけるなと言っておいたはずだぞ。我々は誰にも邪魔されず、静かに余生を過ごしたいと、何度も言っているだろう?」

 男性はウォーカーへと責める口調でそう述べたが……明らかに遠回しに、ヘルボーイとリズに向かって「早く出ていけ」と言っている。

「あーっと、ミスター……」

 ヘルボーイは、わざと間の抜けた口調で問いかけた。

「……アラダイス。わたしは、ロズ・アラダイス。こちらは兄のアーノルドです」

 女性が、丁寧な口調でヘルボーイの問いかけに返答する。が、その口調の節々には、僅かだがイラつきがあるとヘルボーイは感じていた。どうやら、使用人らしいウォーカーという老人と、考えは同じらしい。

 なるほど、こいつらが……。ヘルボーイは心の中でつぶやくと、食い下がった。

「ミス・アラダイス。俺たちも手間はかけさせません。たかだか、電話一本かけるだけですよ? それに、さっきもそのウォーカーさんに言いましたが、連絡を入れないと知り合いが大騒ぎして、それこそこのあたりの山狩りをしかねないです。やっこさん、心配性なとこがあってね」

 が、それでもロズは、ヘルボーイらを邸内に入れたくないらしい。口では言わずとも、態度がそう述べている。

 仕方ねえ、プランBだ。

 ヘルボーイはリズに目配せすると、リズはかすかにうなずき……よろけた。

「リズ? おい、どうした?」

「な、なんでもないわ……。ただちょっと、めまいが」

 だが、リズはタバコを落とすと……立つ力を失ったかのように、その場にしりもちをついた。

「どうしました?」

 予想外の出来事にロズは問いかけるが、ヘルボーイはわざとそれを無視した。

「リズ、リズ! ああっ、畜生! こんな山奥で! 発作が起きたら涼しい部屋で安静にさせなくちゃあならねえってのに! こんな玄関先で立ち続けてるのがまずかったか!」

 そして、責めるような目つきでロズとアーノルドへと向き合う。

「すまねえが、中で休ませてくれねえか? 彼女は持病があるんだ。後生だ、休ませてくれ!」

 まくし立て、ヘルボーイはリズを抱えて玄関へと向かう。

 ロズとアーノルドは、互いに困惑していた。互いに互いの顔を見て、そしてリズとヘルボーイの顔を見返す。

 数度、それを行った後。

「……わかりました、こちらへ」

 ロズは渋々といった態度を隠そうともせず、邸内へと二人を促した。

 

 

 ヘルボーイらが通されたのは、玄関ホールから続く客間。

 アラダイス兄妹は奥へと引っ込み、ウォーカーは水を入れた銀の洗面器とタオルを持ってきた。

 客間の中央に置かれた来客用の長椅子にリズを横たえると、ヘルボーイは彼女を介抱するようにタオルを濡らし、その顔をぬぐう。

「しばらく休めばよくなるはずだ。礼を言わせてくれ」

 ヘルボーイの言葉に、

「お構いなく。なにかありましたら、遠慮なくお呼び下せえ」

 ぶっきらぼうな口調で、ウォーカーは返答し……同じく家の奥へと引っ込んでいった。

 奥の方には廊下があり、どうやらその先に召使部屋があるのだろう。

 扉が閉められ、ヘルボーイはリズと二人、客間に残される。しばらく芝居を続けたヘルボーイは、頃合いを見て立ち上がり、室内を見回した。

 室内に置かれているのは、趣味の良い調度品や家具、骨董品。それらはよく手入れがされているように見え、汚れ一つ無く、埃が被っている様子もない。

 部屋の中央に敷かれているのは、フランスで見かけたような、薄いバラ色と青の花模様がついた絨毯。長椅子と机のセットが置かれているのはその絨毯の上で、こちらもまた汚れや擦り切れた点など全く見られない。

 壁は白と金色の、古色蒼然たる板張り。戸棚の上にはイギリス風の鏡が置かれ、ヘルボーイの姿を映し出している。

 絨毯は擦り切れた箇所など無く、壁の塗料もはげておらず、壁にかけられた壁掛けは埃ひとつない。

 戸棚には磨かれてピカピカになった銀食器や銀製品、精巧なクリスタル・グラスのセットが入っており、すぐにでも大人数での宴会を開く事ができそうだ。

 天井を見上げると、そこには大きく精巧な作りのシャンデリアが。やはりそれも、薄汚れた印象など全く感じさせない。

「……妙だぜ」

 ヘルボーイは感じた。先刻にリズに言った「変」な点、「違和感」が、更に強まってくるのを。

 こんだけ広く大きな屋敷なら、掃除も大変だろうに。だが、あの使用人の爺さん一人だけで、この屋敷全部をフォローできるとは、到底思えねえな。

 掃除するのもだが……あんだけ大量にある食器やら燭台や花瓶やらを、こうも汚れ一つ付かないままでいられるものなのか?

 それに……。

 なんなんだ? さっきから響いている、この「音」……。

 ラジオか何かのハム音にも似た、ブーンと響く、耳障りな「音」。

「……気に入らねぇな」

「ええ、気に入らないわね」横たわったリズが、ヘルボーイの言葉に同意する。

「あのお爺さん一人で、こんなにきれいにできるとは思えないわね。十何人かメイドや召使でもいるんなら、話は別だけど……」

「賭けてもいいが、おそらくそんな奴らはいねぇぜ。いるんだったらとっくに見かけてるだろうしな。あのウォーカーっつう爺さんが、見かけによらない優秀な執事なのかもしれねぇが」

 気に入らない。この屋敷そのものが、まるで気に入らない。

 この屋敷の大きさからして、たった一人の人間で維持するなどまず無理だ。この客間の銀食器や調度品を整えるだけでも、一日では終わらないだろう。

 というか、こんなでかい屋敷を、ひと夏借りるだけでたった900ドル? 安すぎも良い所だ。

 何かおかしい。何かが、この「家」には潜んでいる。だが、その『何か』は何なのか。ケイトのリサーチを聞いた方が良いかもしれない。定時報告もしなくちゃあならないしな。

「リズ、お前さんはもうしばらく横になってろ。俺は、この家を探検がてら電話をしてくる」

「わかったわ。気を付けてね、HB」

 ヘルボーイは立ち上がり、客間にある扉の一つを開け、出て行った。

 そして、その様子を。隣室からウォーカーはじっと聞き耳を立てていた。

 

 ヘルボーイは当初から、ウォーカーを呼ばずに電話を探すふりをして、家の内部をあちこち調べてみようと考えていた。

 玄関ホールには二階に続く階段があり、それには昇降機が取り付けられていた。おそらくは、あのアラダイス兄妹の兄が使うものだろう。

 そして、玄関ホール自体もまた、先刻の客間同様、美しく……不自然なまでに美しく、綺麗に保たれていた。

 その不自然な整頓もそうだが、先刻からの『ブーン』という音。低く、単調なその音は、注意しなければ聞き逃してしまう程度の音量ではあったが、確かに響いており……それだけ、周囲の静けさが感じられた。

 それとともに、ヘルボーイは妙な気配も感じていた。

 誰かがいるような、そんな強い気配。強烈な人の気配が、どこからか伝わってくる。まるで、誰かが自分の事を、今も監視しているかのように。

 調査員として、幽霊屋敷の類には何度も赴いた。そしてそこに潜んでいた幽霊や怪物や、その他様々な存在を確認して、時には戦った事すらある。その時に感じた気配と同じような何かを、ヘルボーイは肌で感じていた。

 気配は、二階から伝わってくる。曲線を描いた、カーペット敷きの階段を上ると……ここもまた、汚れ一つ無い……幅広の長い廊下に出た。そこには両側の壁に、四つの扉が付いている。

 床には東洋式の絨毯が、廊下の端まで敷かれていた。その先には、ぴったりと閉まった両開きの扉。そして、先刻からの気配は、まぎれもなくあの扉の向こうから漂い出ている。

 そこに向かおうとしたヘルボーイは、

「お客人。ちっとばかし無礼じゃねえですかい?」

 玄関ホールから響く、ウォーカーの声に呼び止められた。

「すまねえな。あんまりでかくて立派な屋敷だから、つい見とれちまって」

 階段を下りたヘルボーイは、ウォーカーの姿を認めた。むっつりとした表情からは、敵意めいたものが感じられる。

「なあ、電話はどこだい? さっきも言ったように、ちょいと知り合いに連絡したいと思ってな」

「こちらへ、台所にありまさあ」

 促すウォーカーの後ろを、ヘルボーイは付いていく。

「なあ、二階もまた大したもんだが、あの扉の先には何かあるのかい?」

 ヘルボーイの問いかけに、ウォーカーは答えなかった。

「電話はこちらでさあ。あっちこっちうろつくのは、遠慮して下せえ」

 台所へと案内したウォーカーは、その隅にある旧式の電話を指し示し、そのまま出て行った。

 鼻を鳴らし、ヘルボーイは大きな籠手の右手で受話器を取り、左手でダイヤルを回す。

「もしもし? 交換台か? リヴァーヘッド図書館へ繋いでくれ……リヴァーヘッド図書館か? ケイト・コリガンを呼び出してくれ。ヘルボーイからだと言ってな」

 

 

『HB?』

 多少の雑音が混じるが、ケイトの声だ。得体のしれない屋敷にて、知った人間の声が聴けたヘルボーイは嬉しかった。

「ケイトか? 今俺とリズは、山ん中で見かけた白い屋敷に居る。入り口で迷ったが、なんとかなった。この家ときたら、でかくて、掃除が行き届いていやがるぜ……」

 小声で、ケイトに事の次第を述べるヘルボーイ。聞かれている事を警戒し、ケイトから言われたように、変わった言い回しで返答していた。

『……そう、アラダイス邸に行ったのね。住民とは接触した?』

「ああ。山道で走っていたら、三匹のクマを見かけたぜ。兄と妹のクマさん兄妹に、その召使のクマさんをな。三匹ともジジイやババアだったな」

『老人……ってわけね。マリアンの姿は?』

「いや、彼女とはまだだ。リズは休んでる、例の病気でな。で、そっちの塩梅は?」

『興味深いものを発見したわ。アイルランド神話に登場する、女神マルヴを知ってるかしら?』

「……! あ、ああ、そいつは知ってる。彼女がどうかしたか?」

 ケイトから聞いたその言葉に、ヘルボーイは素に戻りそうになった。

『おそらくは、そいつの正体が分かったかも。アラダイス家の人間たちの、正体がね』

 

 

 マルヴ。

 古代アイルランドに登場する、豊穣と搾取を司る女神。

 ドルイドの信仰から派生した大地母神の一つで、自然そのものの力を信仰し、その力の加護を求めた一派が崇めていたという。

 だが、この女神は生贄を欲していた。何人もの女性が生贄として選ばれ、神殿にてマルヴに捧げられたという。

 が、中世に入り、この宗派は邪教と見なされた。キリスト教徒の騎士団がマルヴの神殿を破壊し、信者たちは全員が異端審問にかけられ、処刑されたのだ。

 公式には、現在マルヴ教は存在していない。しかし……。

『けど、私が過去に別件で調査した時。奇妙な記述を発見したわ。1630年に、最後に残ったマルヴ教の信者らしき異教徒3人が、審問を逃れて入植者たちに紛れ込み、新大陸……アメリカに逃げようと試みていたそうよ』

「マジか?」

『大マジ。その3人がどうなったかは不明。けど、もしも1630年に、その3人がアメリカへと逃亡に成功したとしたら。アラダイス家の広告が出始めた1630年と被るわねえ。それともう一つ……』

 電話口の向こうで、ペラペラと紙をめくる音が聞こえて来た。

『マルヴに関する伝承だけど、神殿にささげられた生贄は、生きたまま数十年囚われ続けていたようね。生贄が囚われ続けている限りは、マルヴの神殿からはマルヴの声が響き、神殿内部は美しく保たれ、周囲の木々や草花は枯れず、作物も豊作が約束されていたって伝承が残されているわ』

 そして、とケイトは言葉を続ける。

『異端審問の騎士団がマルヴの神殿に攻め入った時。マルヴの神殿周辺には木々が、まるで神殿そのものを守るかのように繁茂し、騎士団を妨害したのよ。それでも、多くの人間が草木を切り開き、神殿とその周囲に大量の火矢を打ち込んで火責めにしたわ。で、神殿内に居た信者たちはそのまま焼死。鎮火を待って神殿に乗り込んだ騎士団は、そこでとんでもないものを発見したのよ。「巨大な獣」をね』

「何だって?」

『燃えつきた神殿の焼け跡に残っていたのは、神殿とほぼ同じくらいの大きさの、「巨大な獣の焼死体」だったのよ。そして、その獣の焦げた身体の中には、生贄にされた女性の死骸も発見されたとの事よ』

「うへっ」

『ともかく、私もそちらに向かった方が良さそうね。BPRDに連絡して、調査隊を回してもらったらすぐに行くわ』

「ありがたい。頼むぜ」

 ヘルボーイは電話を切った。

 だが、すぐに彼は思い出した。リズをそのままにしていた事を。

 そろそろ戻った方が良い。既にウォーカーに怪しまれてしまっている、そばにいてやるべきだろう。

 が、ヘルボーイが客間に戻った、その時。

 リズの姿は消えていた。

 

「リズ? リズ! エリザベス・シャーマン! どこだ!?」

 大声で彼女の名を呼ぶヘルボーイ。彼はリズが横たわっていた長椅子に駆け寄るが……彼女のぬくもりが、まだかすかに残っていた。

 自分でどこかに向かった? いや……違うな。

 長椅子のそばに、小さな布切れが落ちているのをヘルボーイは見た。それを拾い上げて臭いをかぐ。

「……魔女の眠り薬か。こいつでリズを……?」

 今の電話の会話でばれたのか、それとも最初から始末するつもりだったか。

 いや、とにかく今はリズを探し出さなければ。あの使用人のジジイの仕業か。それとも……。

 怒り心頭といった趣で、ヘルボーイは部屋の奥へと向かった。

 そして、その様子を。

 ロズ・アラダイスが物陰から見ていた。

 

 

 くらくらする感覚と共に、リズは目を覚ました。

 耳には、「ブーン」という単調な音が響いている。

「……ここは?」

 意識が戻ってくる。それとともに、自分の身に起こった事が思い出されてきた。

 そうだ。ヘルボーイが電話をしに出て行った時、ウォーカーが入って来たんだった。コップと水差しを乗せた盆を手にして、飲めとしつこく勧めるものだから断った。

 すると、不意をつかれ、白く濡れた布で口と鼻を覆われた。

 急に強い眠気が襲い、気が付くとここに。

 目を覚ました今、リズは自分がある部屋におり、椅子に腰かけているのだと理解した。

 立ち上がろうとしたが……それはできなかった。椅子のひじ掛けと足に、自分の手足がしばりつけられていたのだ。

「……参ったわね」

 ぼやきつつ、リズは今いる部屋を見回す。

 その部屋は、それなりに広かったが……空気が澱み、息苦しいほどに濃密な気配を醸し出していた。

 リズが座らされている椅子の、正面の壁。そこには窓があり、夕刻の外光が入り込んでくる。

 部屋の左側には扉が有り、先刻からの不快なブーンという振動音はそこから響いてくるかのようだ。床に敷かれているのは、高価そうな真紅色で、金糸でバラを刺繍しているペルシャ風のサローク絨毯。

 部屋の右側の壁にあるのは、部屋の半分を占めるほどの大きめのテーブル。暗紅色のビロード製のテーブルクロスが掛けられ、卓上には無数の写真立てが並べられている。大きさも細工も形もまちまちで、一つとして同じものが見当たらない。

 テーブルの縁は、リズのすぐ近くまで迫っていた。そのため、写っている写真のいくつかもはっきりと見る事ができた。

 そして。リズはその写真立て、ないしはその写真を見ているうちに、「違和感」……または「不気味さ」を覚えつつあった。

 写っているのはどれも「人物」。それも「一人だけ」なのだ。

 今世紀初め、あるいはもっと前の時代から、現在に至るまで。様々な時代の様々な女性が、その時々の衣装を着て写っている。

 そのどれもが、「うつろな表情」だった。全く笑顔を見せていない。中には怯えたような表情のものもある。

 唯一、テーブルの端……リズのすぐ近くに立てられた写真立てには、複数の人物を写したカラー写真があった。赤ん坊を抱いた女性を中心に、左右に年配の男女、そしてその周りには、小さな子供たち。

 中心に立つのは、眠っている赤ん坊を抱いた若く美しい女性。例外なく、彼女の表情もうつろなそれ。その隣には古めかしいドレス……1930年代のファッションに身を包んだ年上の女性が、これまたうつろな表情をカメラに向け寄り添っている。

 一緒に写っている男性もまた、間の抜けたうつろ顔。周囲の子供達も、見たところ7歳から10歳くらいだが、やはり全員がうつろな表情で、不思議なほどに笑顔を見せていない。

 普通じゃない。この異様さは、普通の記念写真が醸し出すものじゃない。

 そう思ったリズは、

「……?」

 テーブルの端、集合写真の陰に、比較的新しい写真、カラーの写真が入った写真立てを発見した。

 その写真もまた、人物が一人で写っているもの。だが、その写っている人物の顔は、リズも見たことが有った。

 それは、マリアン・ロルフの写真だった。

 

 ヘルボーイは、焦っていた。そして、リズをさらわれた己の間抜けさを毒づいていた。

 台所から、開きっぱなしの勝手口から外に出る。そこから石段に続き、すぐ近くに水をたたえたプールがあるのが見えた。

 ここからは見晴らしがよく、どうやら入り江に下がっていく事ができるようだ。夕日の赤い光が、周囲に降り注ぎ、美しい光景を見せている。

「あのウォーカーとかいうジジイ、ここから外に……?」

 あるいは、まだ邸内にいるのか。ともかく、リズを助けなければ。ウォーカーを見つけたら、ぶん殴って聞き出してやる。

 だが。ヘルボーイはプールに「人影」を認めた。

 誰かが、プールに居る。それを確かめんと、ヘルボーイは台所から出てプールへと向かうが……。

 誰も、いなかった。プールには人影どころか、生きた動物らしきものも居なかったのだ。

「くそっ」

 焦り過ぎて、何かがいると錯覚したか。そう思った矢先。

「……誰だ!」

 自分のすぐ近くに、彼……否、「彼ら」が立っているのを、ヘルボーイは見た。

 

 

 まちがいない、この部屋には、いや、この「家」には、何かがある。一刻も早く、ヘルボーイの元に戻らなければ。

 それにしても、先刻から強く感じる「誰かからの視線」、そしてブーンと言う振動音もまた、リズを不快にさせていた。感じるのだ、誰かが近くに潜み、それが自分の事を見つめている、監視しているという事を。

 こんな部屋に、長居したくない。両手足を、椅子に拘束しているロープ。それにリズは集中し始めた。

 この発火能力を訓練した時の事を思い出しつつ……彼女はロープへと集中し続ける。やがて、きな臭さとともに、右腕のロープが炎で焼き切れ……リズの右腕が解放された。すぐに手を用いて左腕のそれを、そして両足の自由を取り戻す。

 自由だ! 立ち上がり、振り向いたリズは。

「動かないで」

 開いた扉のところに、アラダイス兄妹が立っているのを見た。

 ロズの方は、古い拳銃を手にしており、その銃口をリズに向けていたのだ。

「私たちは、あなたたちに何もしていない。関わりたくないし、放っておいてほしい。静かに暮らしたい。ただそれだけなのに……なぜあなたたちは邪魔するのかしら?」

 穏やかな口調だが、言葉の節々からは、ロズの怒りが感じ取れた。

「『邪魔』? 何の罪もない家族を騙して、夫と子供を殺す事が邪魔だというの?」

 ロズのその言葉に、リズもまた怒りを隠さず言い放った。まちがいない。この飾られている写真の女性たち。彼女らの運命は……マリアンと同じだろう。

 しかし、ロズは尊大な口調で言い返した。

「偉大なる我らの母が存続するためです、多少の犠牲は止むを得ません。それに……あの人は自分から進んで、この『家』を自分のものにしたい、自分の身を捧げたいと願うようになったのですよ。あなたに……あなたに何がわかると言うの! この『家』を維持する事の大変さと……素晴らしさを!」

 声を荒げ、ロズは拳銃の銃口をリズに向けた。

 兄、アーノルドの方は、車椅子から立ち上がると、ステッキを手にした。

「ああ、そうとも。せっかくこの家が美しく、完璧なものになったんだ。部外者が口出しをするな!」

 リズは武器を携帯しなかった事を後悔していた。怪しまれると思い、持ってこなかったのだ。

 じりじりと窓の方に追い詰められ……リズは逃げ場を失いつつあった。

 

 

「……お前さん、こんなところで何してるんだ?」

 ヘルボーイは、プールサイドに立つ「彼ら」……そのうち一人にたずねた。

「……ママが、屋敷から出てこなかった。パパはぐったりして、そのまま死んじゃった」

 彼は、子供……少年だった。海パン姿で、全身が濡れている……ように見える。

 だが、その足元は。雫一つ落ちていなかった。

「僕は、ママとパパに連れられて、夏休みの間だけここに住んでたんだ。プールで泳いでたら、誰かがプールから出してくれなくて、それで……」

 少年の肌は、異様に不健康な青白い色のそれ。死人のそれだった。

「なあ、坊主。お前さんのママの名前、ひょっとしたら『マリアン』じゃないか?」

 ヘルボーイがたずねると、

「うん」

 少年は肯定した。

「じゃ、お前さんの名前は」

「デヴィッド。デヴィッド・ロルフ」

 間違いない。一緒に行方不明になったマリアンの息子だ。

 ならば、この少年の後ろに一緒に立つ彼は、父親のベン・ロルフか? その後ろに立っている老婆は、叔母のエリザベスにまちがいなかろう。

「…………」

 が、ベンとエリザベス、二人は呆けたような表情を浮かべている。ただぼさっと立っているだけだ。

「デヴィッド、そっちは、お前さんのパパと叔母さんか?」

 ヘルボーイの問いかけに、こくりとうなずく少年。

「なあ、デヴィッド。お前さん……なぜここにいるんだ?」

 更なる問いかけに、少年は答えない。

「お前さん、自分がどうなったのか……本当は分かっているんだろう? なら、こんなところに居続けちゃだめだ。行くべき場所に行かないと。少なくとも、行った先では悪いようにはならないはずだ」

 諭すようなヘルボーイの言葉も、デヴィッドはかぶりをふった。

「……ママが、いないんだ。ママといっしょに居たいのに……ママは、僕よりあの家の方を選んだんだ。僕、行くなら、ママと行きたい」

「…………」

 彼は、いや、彼らは……ここに囚われちまってる。

 この「家」がマルヴの神殿ならば……アラダイスの連中は生贄としてマリアンを取り込んだんだろう。そして、邪魔なマリアンの家族を殺害。その霊はここに囚われ、母親が「家」から出てくるのを待ち続けている。

 そう推測したヘルボーイは、思い出した。

 病室に横たわった、ダイアナのあの姿を。このくそったれな「家」は、ダイアナから姉を奪っただけじゃない。この子供から母親を、そして後ろの男からは妻を、それぞれ奪い取ったのだ。

「家」は、どれだけのものを奪ったのか。いや、この家族だけじゃない、事情を知らない人間たちから、どれだけ奪い続けて来たのか。

「待ってな。俺がなんとかしてみせる」

 少なくとも、マリアンの家族は彼女の事を待ち続けている。それに応えてやるべきだ。ならばなにをぐずぐずしている?

 ヘルボーイの言葉に、デヴィッドたち幽霊の家族は……そのまま夕方の空気の中に、溶けるように消えていった。

 それを見届けたヘルボーイは、「家」へと向き直った。その時、

「お客人、そんなところにいたんですかい」

 ウォーカーが、台所の勝手口の前に立っていた。

「おい、リズとマリアンはどこだ」

 もう駆け引きはやめだ。ストレートに聞き出してやる。そう決意したヘルボーイは、ウォーカーへと強い口調で問いかけた。

「お友達は、旦那様たちと会ってます。マリアンってのは誰ですかい? あっしは知りませんが……」

「とぼけるな! 十年くらい前に、この家を借りたマリアン・ロルフだ! てめえら、この『家』の生贄にするために、彼女の家族を皆殺しにしたんだろう? 彼女を解放しろ!」

「すいませんが、何をおっしゃってるのか、あっしには……」

「ならこの家をぶち壊し、アラダイスの二人をぶん殴って真相を聞き出すまでだ! さあ、そこを……」

『どきやがれ』と続けるつもりが、続かなかった。

 ウォーカーが、変身したのだ。

 あまりに突然で、どのように変身したのか。ヘルボーイは理解するのに少々の時間を有した。

 ウォーカーは、毛むくじゃらの巨体になっていた。正確には、ウォーカーの身体に……周囲の枯れ木や草が、一瞬にして寄り集まり、ゴリラめいた巨大な怪物の姿になったのだ。

 そして、ヘルボーイの鼻孔に、嗅いだ覚えのある臭いが突き刺さった。先刻に一瞬だけ臭った『獣臭』。それが目前のウォーカー、ないしは彼が変身した怪物から漂っていた。

「なっ……」

 一瞬言葉を失ったヘルボーイは、怪物の太く力強そうな腕が放つパンチを浴び、後方へ……プールサイドへと吹っ飛ばされる。

「くそっ、こいつと遊んでる暇なんか無いってのに! 早くリズを助けねえと……マリアンの二の舞になっちまう!」

 そして、ヘルボーイの焦りと裏腹に。ウォーカーは止めをささんと近づいてきた。

 

 

「ねえ、それ以上近づかないで」

 懇願するような口調で、リズは兄妹へと訴えかけた。ブーンという音が、さらに強く、大きくなってくる。

「一体私をどうするつもりなのか知らないけど、お願いだからそれ以上近づかないで。お願いよ」

 が、ロズはそんな彼女の懇願に対し、あざ笑うかのような表情を返した。

「お願い? あなたたちは我が家に土足で入り込み、私たちの生活を邪魔したの。だから、その報いを受けるのは当然。でしょう?」

 拳銃を構えたまま、ロズは室内の白い扉へ向かい……それを開けた。

 開け放たれた扉の中は、何も見えなかった。が、とうとうと輝く白い光が、その部屋自体から放たれていたのだ。

 そして、ブーンという振動音は耳をつんざくほどに大きく、強くなり……。

 その振動音に混じり、『声』が聞こえて来た。

 

『敵だ……』

『わたしたちの母の敵……』

『わたしたちの、愛する人の敵……』

『わざわざ来たのか……』

 

 思わずリズは、両耳を塞いだ。

 白い扉の向こう、光に溢れるその室内。『声』の主はそこにいるようだ。そして……。

『声』は一人だけではない。数人から十数人もの声が、振動音とともに部屋から聞こえてくる。

 

『なんてひどい……』

『なんて醜い……』

『なんておぞましい……』

 

 声を聞き、リズは直感的に悟った。この部屋こそが、この怪奇なる『家』の中心部だと。

「さあ、部屋にはいりなさい。あなたは、わたしたちの『家』を穢した。だから命をこの『家』に捧げる事で償いなさい。ああ、あなたの大きなお友達は、今ウォーカーが相手してくれてるわ。周りは森、車も走れなくしておいたから……あなたたちに逃げ道は、もうないわよ」

 拳銃を突き付け、勝ち誇ったロズの表情に、リズは苛立った。

「そうだ、観念して生贄になれ。この『家』は、我々の母は、永久にこの地におわす定めなんだ。おまえらごときにそれを邪魔されてたまるか!」

 アーノルドもまた、ステッキを手にして得意げに。

 

『いつまでも、わたしたちはここにいる……』

『いつまでも……』

『いつまでも……』

 

 光り輝く部屋は、まるで巨大な動物の口のようだと、リズは思った。そして、自分がここに連れてこられたのは……この口に食事させるためだと。

 ロズの拳銃の銃口が、リズの運命を決めたかのようにギランと光った。

 

 

 プールサイドに降り立ったウォーカーは、威嚇するかのように両腕を振り回した。

 そしてヘルボーイは、先刻のリズの言葉を思い出した。彼女が藪の中で見かけた、巨大な怪物。おそらく目前のこいつが、その正体に違いない。

 考えてみれば、到着してすぐに声をかけたのも、車で入って来た時から見張ってたからだろう。くそっ、最初からこいつら気付いてやがったんだ。俺はなんて間抜けなんだ。

 だが、このままやられっぱなしで済むほど間抜けじゃねえぜ。

「どうした、早く来いよ。グリーンジャイアントの出来損ない野郎!」

 ヘルボーイはホルスターに左手を伸ばし、巨大な拳銃を抜くと、ウォーカーの巨体へと発砲した。この近距離で巨体、外す方が難しい。

 だが、弾丸はウォーカーに致命傷を与えなかった。いくつか木端が飛び散っただけで、ウォーカーは傷みすら感じていない様子。

「……まずいぞ」

 ヘルボーイの言葉通り、ウォーカーの巨大な鉄拳が襲い掛かった。

 まるで丸太で殴りつけられているかのような、強烈な衝撃と傷みとが、ヘルボーイの身体を苛む。

「いっ、痛えっ!」

 ウォーカーの拳の連打は、ヘルボーイの左手から拳銃を弾き飛ばし、ヘルボーイの胴体に直撃し、ヘルボーイの身体を更に後方へとふっとばした。プールサイドを転がされたヘルボーイは、立ち上がるのに時間がかかった。

「くそっ……いや、待てよ……どこかに」

 このままでは明らかに不利。だが……確か護符の中に使えるやつがあったはず。

 勝利を確信したウォーカーが接近する中、ヘルボーイは自身のトレンチコートのポケットをまさぐり始めた。

 

 

「ねえ。もう一度だけ言うわ。……近づかないで」

 リズは念を押すかのように、ロズとアーノルドへと言葉を投げつけた。

「恐怖のあまりにおかしくなったのかしら? 自分で部屋に行けないというのなら……私が連れて行きましょう」

 ロズはリズの言葉を嘲笑い、そのまま歩み寄った。そして……リズの腕を取ろうとする。

 だが、それがロズの運命を決定づけた。

「近づかないでって……言ったでしょう!」

 リズは膝を付いて、床に手を付いた。

 途端に、彼女が触れた絨毯から……強烈な火炎が躍り出る。

「!?」

 リズの超能力。発火能力者である彼女は、この力の制御の仕方を幾度も学び、復習し、覚え込んだ。

 制御できなかった時、感情と共にこの炎を放った時には、家ごと家族を焼いてしまった。彼女の火炎は、そこまでの力がある。

 そして今。リズは炎を放ち、この室内に敷いてある絨毯そのものを燃やしたのだ。炎は絨毯を燃やすだけでなく、火炎の壁と化してロズと自分との間を遮る。

 それは、完全にロズにとって予想外だった。サローク絨毯の真紅色より、更に赤く美しい炎が……自分に襲い掛かってくるのをロズは見た。

 そしてそれが、ロズが最後に見た光景だった。炎はロズの着ている服に燃え移り、彼女を完全に包み込んでしまった。

「きゃああああっ!」

 熱さと激痛に悲鳴を上げ、拳銃を取り落とすロズ。アーノルドは、一体何が起こったのかわからず、狼狽するのみ。

「な、なんだっ! 何が起こった!?」

 しかし、リズにとってもこれは予想外だった。

「くっ……だ、だめ!」

 リズは絨毯を燃やし、相手が驚いた隙に逃げようと考えていただけで、ロズを火あぶりにするつもりなどなかった。すぐに消そうと集中するが、燃える絨毯からの煙に咳き込んでしまい、うまくいかない。

 人間松明と化したロズは、パニックを起こし……室内から逃げ出した。アーノルドもそれを追う。

 炎と共に部屋に残されたリズは、それでも何とか炎を消そうと試み……。それは成功した。絨毯から燃え上がった炎が、一瞬にして消えた。

「……ふう、やれやれね」

 疲労と共に、一息つく。だが、先刻からのブーンと言う振動音が再び響きはじめ、リズは光り輝く部屋へと目をやった。

 

『火だ……』

『炎だ……』

『燃える……』

『燃やされてしまう………』

 

 振動音とともに聞こえてくる、いくつもの『声』。だがそれらは、先刻と比べ落ち着きが無かった。

 こいつらも、燃やしてやろうかしら。そう思ったその時。

 

「……だ……れ……」

 

 弱々しい声が、リズの耳に届いた。

 

 

『家』の二階の一室、窓から炎が上がり、そこから悲鳴が聞こえて来た。

 その声は、庭の、プールサイドに居たウォーカーにも聞こえ……怪物と化した使用人は振り返った。

 そして、そのわずかな隙に。ヘルボーイはポケットから目当ての護符を探し出し、それを右腕に握る。

 右腕のグローブを、ヘルボーイは重宝していた。殴り合いをする時には、大きなハンマー代わりになるからだ。そしてウォーカーにも、この右腕の一発を食らわせてやるつもりだった。

 すぐにウォーカーはヘルボーイに気付き、自分の右拳をヘルボーイの右拳と打ち付ける。何度向かってこようとも無駄だ、また殴り飛ばしてやる。無言のうちにそう言っているかのように。

 だが、怪物の顔らしき部分に、困惑めいた表情が浮かぶのをヘルボーイは見た。

 ウォーカーの右腕は、脆い枯れ木のように折れ曲がり、役立たずの代物と化してしまったのだ。

「『何だ? 何が起こった?』ってな顔をしてやがんな。お前さんのような怪物と戦うために、こっちは色々と用意してあんだよ」

 ヘルボーイが取り出して握ったのは、ヴァチカン図書館から借りた『コーネリアス・アグリッパの、悪魔の獣に効く護符』。

「京都の巨大化け猫に、アイルランドの巨大豚男にも効いた護符だ。どうやら、お前にも効くようだな」

 片腕のウォーカーは、逃げるべきか戦うべきか迷うかのように、たたらを踏んでいた。ヘルボーイはそのチャンスを逃すまいと、護符を握ったまま突進し……強烈な右ストレートを食らわす。

 ウォーカーの胸部が崩れ落ちた。その胸部には、巨大な穴が穿たれる。

 明らかに動きが鈍くなり、片腕をデタラメに振り回すウォーカーに、更に二撃、三撃と、強烈な拳を打ち込むヘルボーイ。やがて怪物は……。

 その巨体をふらつかせ、プールへと落ちた。

 立ち上がろうとするウォーカーだが、立ち上がらない……いや、立ち上がれない。

 まるでプールの水そのものが、意志を持ってまとわりついているかのようだ。何度かプールから逃れようともがいたウォーカーだったが……やがて力尽き、溺れ、その動きを止めた。

「……お前さんたちか、デヴィッド」

 ヘルボーイの目に映るのは、たった今言葉を交わした、あの少年の霊。父親と叔母とも協力し、彼はウォーカーをプールに引きずり込んだのだ。

「ありがとよ。待ってな、すぐにお前さんのママを助け出してやる」

 踵を返し、改めてヘルボーイは『家』に向かい走り出した。

 先刻に、炎が出たあの部屋。

 おそらく、二階に上がった時。あの廊下の奥の閉められた扉。あのあたりだろう。

 台所から客間へと戻ったが……ヘルボーイはその時に強烈な違和感を覚えた。最初に屋敷に入った時とは異なる、別の違和感を。

「なんだ? いつの間にこんなにボロくなった?」

 その違和感の正体は、すぐに判明した。客間に飾られていた骨董品の多くが、色あせ、汚れ、古びていたのだ。

 いや、骨董品だけではない。壁紙はところどころが破れ、鏡や窓ガラスはひび割れ、絨毯は擦り切れ……まさに「手入れされていない古い家」そのものといった様相を呈していたのだ。

 二階への階段も、あちこちガタが来ているかのように、足を掛けるたびにギシギシと軋む。

「リズ!」

 そして、二階に上がったところで。

「ヘルボーイ……」

 白髪の老婆に肩を貸している、リズの姿をそこに見つけた。

 

「そうだったのか。へっ、アラダイスの奴、いい気味だ」

 自分たちが乗ってきた車へ、老婆を連れてきたヘルボーイとリズは……後部座席に彼女を腰掛けさせた。

「マルヴってのは、私もケイトから聞いたことがあるわ。ロズは火だるまになる直前、マリアンは自分から進んで、この『家』に身をささげたと言っていたけれど……」

「おそらくは、自分でそう思わせるような術かまじないでもかけたんだろうよ。妖精どもが使う魅了(チャーム)の類とかをな。邪教にはよくある事だ。だが……」

 ヘルボーイは『家』に目をやり、そして老婆に目をやった。

「この『家』を焼き払いたいところだが、彼女をまずは助けないとな。……なあ、ミセス・マリアン? 聞こえてるか?」

 できるだけ優しく、ヘルボーイは老婆の肩をさすった。

 リズはあの後。光あふれるあの部屋の中心から弱々しい声を聞いた。注意深く部屋の中に入っていくと、中心部に椅子があり、そしてそこに彼女が座っていたのだ。

 誰かが囚われているのかと思い、リズは彼女の手を引っ張り、強引に部屋の外に連れ出した。

 途端に、部屋の中の声が、悲鳴めいたそれに。

 リズはそれを無視し、彼女を……捕らわれていたマリアンであるこの老婆を連れて逃げ出し、ヘルボーイに合流したのだった。

「写真の通りだ。少しばかり年齢重ねてはいても、美人だぜ。なあ、マリアン。もう大丈夫だ、あの家から出られた。あんたはもう自由だぜ」

 しかしマリアンは、ヘルボーイのその言葉にほとんど反応していなかった。まるで体の中から……彼女の記憶、彼女の持つ人間らしさが、そして彼女自身の生命力、そういったものが吸い取られてしまったかのように、ぐったりとしている。

 ヘルボーイは、ダイアナを思い出した。死の直前の彼女の様子を。おそらく……ダイアナに続き、ダイアナの姉もまた、妹の居る場所に旅立つ事だろう。それも、あと数分の内に。

「ヘルボーイ、彼女はもう……」

「……畜生」

 リズの言葉に、ヘルボーイはそう返すしかなかった。おそらく……もう十年以上前に、彼女という存在は殺されていたのだろう。この『家』によって……マルヴの生贄になってしまった時に。

 だが、最後の最後にこうやって助け出せた。それに、約束した。

「デヴィッド! いるか!?」

 プールの方角へと、彼は大声で呼んだ。

「約束通り、お前のママを『家』から連れ戻したぞ! さあ……早くここに来て、ママにキスしてやるんだ」

 その声に導かれたかのように、青白い三つの人影が草木の影から現れると……。

 ヘルボーイと、驚いているリズの目前を通り過ぎ、老婆となったマリアンの前へと歩み寄った。

「……ママ……」

「……ディ……ヴィッド……」

 車の中に座っているマリアンへ、デヴィッドは縋り付き、その頬にくちづけると……。

 少年の霊はそのまま、中空へと霧散し、消えた。そしてそれを追うように、後ろの二人……ベンとエリザベスもまた、消えていった。

 マリアンは、動かなくなった。リズが脈をとり、かぶりを振る。

「疲れただろう? ミセス・マリアン。ゆっくり休むといいぜ。家族みんなで、ゆっくりとな」

 だが、ヘルボーイのその鎮魂の言葉が終わるとともに。

 あの「ブーン」という振動音が、今度ははっきりと聞こえてきた。

 それとともに、

 

『奪われた……』

『われわれから奪った……』

『われわれの母を……』

『われわれの母をつなぐ彼女を……』

『奪い取った……』

『奪い去った……』

『せっかくの彼女を……』

『われわれの彼女を……』

『なんと勝手な……』

『なんと卑怯な……』

 

『声』が、『家』から響いてきた。それは、人間の呻き声に似ていたが、一人ではなく、数十人が一斉に呻き、嘆き、喚いているかのような、おぞましいものだった。

 

 

「どうやら、『家』の奴。マリアンを取られて癇癪を起したらしいな。ざまあみろってんだ」

「で、ヘルボーイ。これからどうする?」

 リズの言葉に、「決まってるだろ」と彼は向き直った。

「クライマックスだ。このくそったれな家を燃やしちまおう。リズ、できるか?」

「ええ、喜んで! ……と言いたいところだけど、私たちの脱出路も確保しておかないと」

「……確かにな」

 リズの言葉に、ヘルボーイは呻いた。

 ロズ・アラダイスが燃える直前に、リズに言った言葉は嘘ではなかった。車自体に細工はされていなかったが、車道はそうではなかった。ここに来る時には開けていた場所が、いつの間にか草木が密集していたのだ。まるで車が通るのを、植物が意図的に邪魔しているかのよう。

「ったく。でたらめもいいとこだぜ。家庭菜園でも始めたら、植えてすぐに成長して作物が取れるんじゃねえか? 農家やったら大儲けするだろうよ」

 車道に不自然に生えている植物を見て、ヘルボーイは毒づいた。だが、この奇妙な草木の成長は、間違いなく『家』の力によるものだろう。まだ『家』に力があるなら、その力をなんとかしないと。

 ヘルボーイは車に乗り込んだ。リズもまた、助手席に乗り込む。

「どうするの?」

「できるだけ、あの『家』から離れる。そしてお前さんの発火能力を用いて、あの『家』を確実に燃やしてやるんだ」

 車道ぎりぎりまで車を寄せると、ヘルボーイとリズはそこで降りた。そこから『家』までは、約20m程度だろうか。十分に離れている……とは言えない。

 既に夕日は落ちつつある。周囲には夜の帳が降り……星明りが瞬き始めていた。

 が、暗い中でも、『家』の変化は認められた。外壁はくすみ、汚れ、ボロボロになりつつある。つい先刻に見たように、光り輝く白い壁などでは断じてない。年相応な、そして場所相応な……朽ちつつある古い屋敷の姿になりつつある。

 しかしそれでも、『家』から響いている「ブーン」という振動音と嘆きと呻きの声は、ずっと続いていた。それらはヘルボーイを不快にさせた。

「リズ、あっちこっちに点火して、めいっぱい燃やしてやれ!」

「そのつもりよ、ヘルボーイ!」

 だが、リズが発火しようとしたとき。

「お前ら……許さん、許さんぞ!」

 玄関の扉がいきなり開き、そこからアーノルド・アラダイスが出てきたのだ。

 車椅子に座ってはいなかったが……彼の手には、儀礼用らしき短刀が握られていた。

 

「おい、アラダイス。お前の負けだ、観念するんだな。お前をぶちのめし、警察に連れていく、いいな?」

 アーノルドの狂気めいた雰囲気に、わずかにたじろいだヘルボーイとリズだったが……すぐに持ち直した。

 ウォーカーは倒され、リズによるとロズも燃えちまったらしい。こいつ以外に仲間がいるなら、もう出てきてもいいはずだが、今のところ見当たらない。

 こいつをぶちのめし、リズの炎で『家』……マルヴの神殿を完全に燃やす。もしも屋敷の中にこいつの仲間が潜んでいたとしても、リズの炎で一緒に燃やしちまえば済んじまう。

 ヘルボーイは、確信していた。こいつはもう脅威でないと。

 だが、アーノルドは手にした短刀で攻撃する事無く、ぶつぶつと何かをつぶやいている。

 そして、

「? おい!」

 ヘルボーイが止める間もなく、アーノルドは短刀を自分の胸に突き刺し、次に自分の喉をかっ切ったのだ。

「……偉大なる、我々の母。永遠におわす、我らの母よ。わが命と引き換えに、神殿を……」

 血が吹き出て、『家』の床を濡らす。そしてそのまま、アーノルドは床に倒れ……事切れた。

「なんだってんだ、くそっ」

 自暴自棄になって、自殺したのか? ……いや、違う。

「ヘルボーイ! 何か……何かが変よ!」

 リズが叫んだ。

 それとともに……先刻からの『ブーン』という振動音が、耳をつんざくほどの大きさで周囲の森林に響きだした。

 

 

「おい……ヤバいぞ」

『ブーン』という振動音が、更に増す。そして、その音に呼応するかのように。

『家』が動き始めた。まるで動物が体を揺すっているかのように、『家』自体が上下に、前後に、左右に、動きつつあった。

『家』の屋根から伸びている尖塔の一つが、ボロボロになり、崩れ、ヘルボーイらのすぐ近くに瓦礫と化して落ちてくる。

「おおっと! あぶねえじゃねえか!」

 かろうじて下敷きになるのを避けたヘルボーイとリズ。

 だが、その間にも。『家』の動きは止まらない。それだけでなく……『家』は、その形を、徐々に変えつつあった。

 変形しているのだ。先刻のウォーカーのように、何か巨大な動物のような姿に。

 

 

……燃えつきた神殿の焼け跡に残っていたのは、神殿とほぼ同じくらいの大きさの、「巨大な獣の焼死体」だったのよ。そして、その獣の焦げた身体の中には、生贄にされた女性の死骸も発見されたとの事よ……。

 

 

 ケイトが言っていた事を、ヘルボーイは思い出した。

「マルヴ神は、神殿と生贄を通してその力を示す。つまり……今は、この屋敷自体がマルヴって事かよ。くそっ、厄介なもんを持ち込みやがって」

 だが、その変身のスピードは遅く、完全に変わりきるまで数分はかかるようだ。元からそうなのか、それとも弱っているためか。

 変身が完了した時、この『家』がどんな姿になるのか。想像もつかないが、確認したくもない。

「……どうやら、ブルッテンホルム教授から渡された、こいつの出番のようだ」

 トレンチコートのポケットから、ヘルボーイは二つのものを取り出した。

 古びた護符と、メモ用紙を。

「ヘルボーイ、それは?」

「説明は後だ。リズ、さっき言ったように、出来るだけこの家オバケに火を付けてやれ。そして、こっちから合図を出したら、できるだけ後退するんだ」

「その後は?」

「その後で説明する! 行け!」

 

 リズが『家』の壁に手を付き、火を放つ。まだ『家』の変形は終わらないが……徐々に形を変えつつある。

 急がなければ。ヘルボーイは古びた護符の鎖を右手で握ってたらし、左手にメモを手にして……内容を確認した。

 メモに書かれているのは、古代レムリア語。そして護符は……三角形で、中心部分に「目」の紋章が刻まれていた。プロビデンスの目にも似ている。

『ブーン』という振動音が、再び鳴った。今度はかなり激しく、それでいて悲痛さも感じるような音。

 

『やめろ……』

『やめるのだ……』

『われわれを殺すのか……』

『われわれの母を殺すのか……』

『いやだ……』

『殺されたくない……』

『なぜわれわれが……』

『われわれが何をした……』

『ただ望んだだけだ……』

『小さな望みを望んだ……』

『それがどうして……』

『なぜ許されないのか……』

 

 ともに響いてくる、『家』からの声。

「けっ」

 それにヘルボーイは、吐き気に近いものを感じた。

「てめえらの『小さな望み』とやらが、何の罪もない何人もの人の望みを壊したんだ……許される訳がねえだろうが」

 今こそ、その報いを受けるがいい。

「リズ! もういいぜ、下がれ!」

『家』についた火が、燃え広がり、徐々に包みつつある。それを確認したヘルボーイは……。

 メモに書かれた呪文を、唱え始めた。

 

 

……ネフ・アズズ=ラム=ネフ・アズズ=ディス……。

 

 

 古代レムリア語の詠唱が、日が暮れて夜となった森の中に響き渡る。

 身震いするかのように、『家』の動きが激しくなり、悲鳴を上げるかのように、『ブーン』という振動音もまた激しくなってくる。

 そして、それとともに、リズの放った火炎も『家』全体へと燃え広がり、容赦なく包み込んでいった。

 木材が燃える臭いに混ざるのは、奇妙な臭い……動物が生きたまま、焼かれる時のような臭い。

 

『いやだ……』

『封じられる……』

『封印される……』

『囚われる……』

 

『家』からの声もまた、苦痛を伴ったものに。ヘルボーイは追い打ちをかけんと、呪文を唱え続ける。

 

 

……ナー・グラフ・アズール、ナン=ガゾース、バグロム、ナグロム、ディス……。

 

 

 空気が、シュア・ロード17番地と呼ばれていた場所の空気が、震えていた。

『ブーン』という振動音も、激しく響く。

 

『いやだ……』

『死にたくない……』

『封じられたくない……』

『やめろ……』

『やめてくれ……』

 

 知った事か。『家』からの声に心の中で毒づき、

 ヘルボーイは駄目押しに、封印の呪文を唱え続け……。

 

 

……ネフ・アズグロム・ディス、ディス・アバール!

 

 

 最後の一節を、叩き付けるように言い放った。

 それが終わるとともに、ひときわ大きな『ブーン』という振動音が、まるで断末魔のように響くと……。

『家』の動きと、変形とが止まった。

 それだけでなく、今まで漂っていた不穏な空気、怪しい雰囲気、何かが見ている、見られているといった感覚、そういった不吉で不気味に漂い出ていたもの全てが……。

消えて無くなった。

「ヘルボーイ! やっつけたのね!?」

 後退していたリズが、駆け寄って来た。

「ああ。教授が言うには、こいつは古代における旧支配者すら封じるって代物らしい。効果があって良かったぜ」

 後はもう、このまま『家』が焼け落ちるのを確かめるだけだ。

 マルヴ神の神殿……かつては白亜の屋敷だった『家』が、炎に包まれ燃えていくさまを。ヘルボーイとリズは見続けていた。

 

 

 ヘルボーイとリズは、燃えつきるのを見届けた後、何とかケイトに連絡を入れ、事の次第を説明。

 次の日の午前中に、BPRDの調査隊と共にやってきたケイトと合流し、焼け落ちた『家』とその周辺とを調査した。

 その物理的調査から、『家』の焼け跡内部からアーノルド・アラダイスの焼死体を、プールに庭師・ウォーカーの遺体を発見。しかし、ロズ・アラダイスに関しては、その死体、または痕跡は発見されず、リズ・シャーマンの証言から死亡したものと推測。

 そして、霊的追跡調査の結果。マリアン・ロルフをはじめとするロルフ一家、およびアラダイス兄妹と庭師の霊は感知されず、『家』の焼け跡にも超自然的存在、および存在の痕跡も認められなかった。

 事件から半年後。BPRDはこの地に存在していた超自然的存在の消滅を公式に宣言。

 シュア・ロード17番地は、現在も無人である。




 初めまして。
 アメコミ『ヘルボーイ』と、古いオカルト小説、ロバート・マラスコ『家』とのクロスオーバー小説です。
『家』は、いわば幽霊屋敷もののホラー作品ですが、幽霊屋敷というより、屋敷=家そのものが、一種の超自然的存在として登場しております。様々なホラー的なモンスターや幽霊、妖怪などと戦ってきたヘルボーイと戦わせてみたく思い、このような中編を書いて、mixiの日記に掲載しましたが、今回こちらに転載しました。少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。

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