神社に遊びに来た魔理沙が、どっさりと積まれた新聞の山に目を見開いた。
「どうしたんだよ。その新聞の山」
冷たい水を飲んでから、霊夢は面倒臭そうに言った。
「霖之助さんからもらったのよ。置き場に困ったからあげるって」
「へーっ。いつもあの天狗が書いている新聞じゃなさそうだな。どれどれ……」
魔理沙は一番上に置いてあった新聞を広げる。
こんな真夏日にも関わらず、彼女は黒を基調とした暑そうな服を着ていた。
内容を確認した魔理沙は、軽く頭を掻いた。
「これ、外の世界の新聞じゃないか。こんなの読んだって仕方ないだろ」
「別に読むために持ってきたわけじゃないわよ。燃料用として譲ってくれたわけ。ご飯やお風呂にも必要だし、秋には焼き芋を作るのにも必要じゃない」
「秋までにはまだまだ時間が必要ありそうな天気だけどな……」
魔理沙は新聞を広げながら、縁側を照らす太陽を見上げる。
現在、幻想郷は夏真っ盛りであり、今日も蒸し暑い日となっている。
朝と二時間前にも庭に水を撒いたのだが、そんな手間を嘲笑うかのような暑さになっている。こんな日では、悠々と空を飛ぶ気にもなれない。
新聞を置いた魔理沙が、ちゃぶ台の湯飲みを指差す。
「霊夢、悪い。その水をくれないか」
「えー。奥の台所に水の入った桶があるから、自分で取ってきなさいよ」
「そう固いこというなって。――んじゃ、いただくぜっ!」
霊夢の制止を振り切って、魔理沙は湯飲みの水を飲みほしてしまった。
「ふあーっ。生き返る。この時期の冷たい水は格別だぜ」
「なに勝手に飲んでるのよ、もう……」
「まあ、そうカリカリするなって。怒ったら余計に体が暑くなっちまうぜ」
額に流れる汗を手で拭う魔理沙の視線が、ふと霊夢の背後で止まった。
「おっ、霊夢。なかなかいいものを冷やしてるじゃないか」
「ああ、あれのことね」
うちわをぱたぱたと動かしながら、霊夢は背後を振り返る。
魔理沙が言ったのは、奥の台所で氷水で冷やしてあるスイカのことだった。今日、知り合いからもらったので、今晩の楽しみに冷やしておいたものだ。
「ダメよ。あれは今晩のために冷やしておいてるんだから」
魔理沙が言う前に、霊夢は釘を刺す。
汗で額にへばりついた金髪をいじりながら、魔理沙は言った。
「そうか。となると、今晩もお前のところに遊びに行く必要があるな」
「なんで魔理沙が来る必要があるのよ」
「お前、まさかあんなでっかいスイカを一人で平らげる気だったのか? さすがにそれは無理だろー。だから、この私がわざわざスイカを平らげるために来てやるんだぜ? ちょっとくらい感謝してもいいんじゃないのか」
「なに訳の分かんないこと言ってるの。あれは私のためのスイカなの」
空になったお椀を持って、霊夢は立ち上がる。
「霊夢、どうか私にも恵みを! 私もスイカが食べたいんだぜ!」
すると、魔理沙は空中で土下座をしていたので、霊夢は小さく息を吐いた。
「……まっ。魔理沙がスイカを切ってくれるんだったら、別に食べに来てもいいわよ」
「本当か!」魔理沙は顔を上げる。
「あと、ちゃんと種もしっかり取っていくようにね」
「おうっ! お安い御用だぜ」
金髪の魔法使いは、夏の太陽にも負けないくらいの笑みを浮かべる。
スイカの食べる量が減ってしまうのは痛かったが、霊夢にとって切る手間が省けるは有難いことだった。もともと彼女は面倒なことは嫌いなのだ。
台所で親友の分の水も用意して、霊夢は再び部屋に戻ってくる。
すると、魔理沙は先ほどの新聞に目を通しているようだった。
「そんなの読んで、何になるのよ」
「んー、別に。ただ、いろいろと事件があるんだな、と思っただけ」
ちゃぶ台にお椀を置いてから、霊夢も適当に新聞を取ってみる。
いろんな新聞の一面を見るだけでも、様々な内容の事件が取り上げられている。
首相と呼ばれる人の辞任、無差別に人が殺された通り魔事件、株価の下落、異常気象、土砂崩れで集落の大半の人が死んでしまった災害、世界遺産の登録――。
霊夢にとって馴染みのない単語ばかりが並べられていたが、魔理沙の言う通り、外の世界は常にいろんな事件が起こっているように感じた。
「おっ。このページは事件を取り上げているわけじゃなさそうだな」
魔理沙は畳の上に新聞を広げる。
確かに、ページの真ん中には神輿を担いだ男たちの写真が載せられており、事件を取り上げているわけではなさそうだった。
「どうやら、夏祭りについて書かれてあるようだな」
特に興味が無かった霊夢は適当に相槌を打って、お椀の水を飲む。
「そういえばさ――」
魔理沙は新聞に目を落としながら続ける。
「博麗神社でもう夏祭りはやらないつもりなのか?」
お椀を持ったまま、霊夢は体を硬直させる。
「昔は毎年、この時期にやっていたのにさ。急にやらなくなったよな」
「……それは仕方ないわよ。昔に比べて、この神社の環境もだいぶ変わったしね」
「結構楽しみにしていたんだけどなー。今年は是非やってもらいたいものだぜ」
「無茶言わないでよ。準備をする側の苦労も知らないくせに」
「はははっ。お前がそんなことを言える立場かよ」
笑いながら、魔理沙は新聞を閉じてちゃぶ台の上に置く。
水を一気飲みすると、魔理沙は部屋の隅に立ててあった箒を手に取った。
「あら。もう帰るの?」
「ちょっと先に済ませておきたい用事があってな。また後で来るぜ」
「そう。じゃあ、また後でね」
軽く手を振って、魔理沙は庭に降りる。
そして、箒にまたがるとあっという間に飛び去ってしまった。その反動で生暖かい風が霊夢のいる部屋まで入ってきて、その黒い髪を揺らす。
夏祭り――。
魔理沙の言う通り、昔はこの時期になると必ずやっていた催しごとだ。
しかし、博麗神社が今の体制になってからは一度も行われていない。
その理由は、単純に面倒臭いからである。
宴会とかだったら適当に酒とつまみを用意すればいいが、祭りとなると、多くの人員だったり屋台を用意しなければならない。
開催すれば多少なりとも神社の利益になることは承知しているが、それでも現時点では面倒臭いからやりたくない方に軍配が上がっているのだ。
ちりんちりん、と風鈴の音が部屋に響く。
「ふあーっ。それにしても、なんて暑さなのよ」
一人になったので、霊夢はそのまま部屋の畳の上で大の字になる。
額からは大量の汗が流れている。目の前に湖があったら、今すぐに飛び込みたいほどの暑さだ。
ちなみに、この二週間ほどの入浴は全て水風呂で済ませてきた。
早めに入っちゃおうかな、と思ったが、今は暑くてここから動く気にもなれない。
とりあえず、すぐに着脱可能な巫女服の腕の部分を外す。
ついでに胸のサラシも外そうかなと思ったが、さすがにそれは止めておいた。彼女の知り合いの中には、何の前触れもなく神社にやってくる者が大勢いるので、だらしない格好にしておくわけにはいかない。
外からはセミの鳴き声が、何重にもなって聞こえてくる。
ふと、部屋の隅に置いてある蚊やり豚を見ると、すでに煙を出していなかった。魔理沙が来る前にミカンの皮を入れておいたのだが、あっさりと燃え尽きてしまったようだ。
「ああ、取り換えなくちゃ……」
霊夢はだるそうに体を起こして、台所へ向かう。
そこの棚にあったミカンの皮を手に取ると、部屋に戻ってそれを蚊やり豚に入れて燻す。面倒なことであったが、体中が蚊に刺される場合に比べたらマシだったので、そこは我慢する。
ミカンの甘い香りをほのかに感じながら、霊夢は再び大の字になる。
人里では最近、うずまきの形をした蚊取り線香が流行っている。効き目はだいぶあるようだが、霊夢にとっては、このミカンの皮を使った蚊よけの方法が好みだった。
とにかく、匂いがミカンの方が断然良いのだ。
人里で何度か蚊取り線香の匂いを吸ったことがあるが、あまり好きな匂いではなかった。乾燥させる関係で、蚊取り線香に比べてミカンの皮はだいぶ手間が掛かるのだが、それでも霊夢はミカンの皮にこだわり続けている。
ほのかな柑橘の匂いを堪能しているうちに、眠気がやってきた。こんな蒸し暑いのに、眠気がやってくるとは珍しいものである。
生暖かい夏の風を感じながら、霊夢はそのまま眠ってしまった。
※
「ねえ、巫女のお姉ちゃん! 起きて!」
聞き覚えのない声が耳に響いてくる。
「巫女のお姉ちゃんったら!」
肩を激しく揺さぶられて、ようやく霊夢は目を覚ます。
霊夢の前には、紺色の浴衣の着た少女が佇んでいた。年齢は十歳ほどで、おかっぱの可愛らしい容姿をした少女だった。
突然の出来事に、霊夢はボーッと少女を眺めることしかできなかった。
「やっと起きたー。もうすぐでお神輿が始まっちゃうから、それまで遊ぼうよー」
少女は再び霊夢の体を揺らす。
――い、いったい何が起こったの?
周囲を見渡してみて、霊夢はさらに驚いた。
ここが全く見覚えのない場所だったからである。
木造の和室で、床は畳、部屋の隅には大量の法被(はっぴ)が積み重なっていた。おまけに、自分の腕を見ると、寝る前に外しておいたはずの巫女服の腕の部分がしっかり装着されているのだ。
「巫女のお姉ちゃん。もしかして寝ぼけてる?」
少女の言葉に、ようやく霊夢は我に返る。
「あっ、いや、ええと……ここは?」
「ほら、やっぱり寝ぼけてる!」
子供特有の甲高い声をあげながら、少女はさらに霊夢の体を揺らしてくる。
とにかく、今は状況を把握することが先決である。
「ねえ。あなたは誰なの?」
その問いに、少女は目を丸くさせながら自分自身を指差す。
「わたし? わたしは『いつか』。いつかって言うの」
「いつかちゃんね。歳はいくつ?」
「十歳」
「そうなんだ。で、ここは何て言うところなの?」
「んー? ××神社って言うんだよ。変なのー」
その地名を聞いて、ふと霊夢は違和感を抱いてしまった。どこかでその名前を聞いたことあるような気がしたが、細かいことまでは思い出せなかった。
とはいえ、この場所が神社だということは分かった。
部屋に大量の半被が置かれているのは、おそらく祭事的な催しごとがあるからだろう。
と、ここで先ほどのいつかの言葉を思い出した。
「ねえ――」
霊夢が言おうとした瞬間、手前の襖が勢いよく開けられた。
「あっ。いつかちゃん、いた!」
やってきたのは、いつかと同じくらいの歳の法被を着た少年だった。
「彼方くん。どうしたの」
「早くお祭りに行こうよ。お神輿が始まっちゃうと、遊べなくなっちゃうし」
「そうだね。巫女のお姉ちゃんも一緒に行こうよ!」
子供たちに引っ張られるようにして、霊夢は部屋を出る。
すると、廊下では法被姿の大人たちが忙しなく動いていた。そのほとんどが体つきの良い男性である。
廊下を歩いていると、一人の男がいつかたちの前にやってきた。
三十代ほどの精悍な顔つきの男だった。
「いつかじゃないか。彼方くんと遊びに行くのか?」
「うん。巫女のお姉ちゃんと一緒にね」
男は霊夢と目を合わせると、深々と頭を下げてくる。
「巫女さん。やんちゃな娘ですが、神輿の時間までどうぞよろしくお願いします」
「えっ。あっ、はい……」
いつかの父親だったのか、と思いながら霊夢は返す。
気付くと、周囲にいる全員の視線が霊夢に集まっていた。そして彼女たちの前方には、巨大な神輿が置かれており、おそらくあれが今日の祭りの主役なのだろう。
霊夢は歩きながら、改めてこれまでの状況を振り返ってみる。
先に結論を言うなら、この現象は言うまでもなく『異変』の類だろう。
幻想郷に××神社という場所は存在しない。
しかも、巫女としての力を持っている霊夢には何となく分かる。いつか、彼方を含めて、ここにいる者たちの魂が全て霞んで見えるのだ。少なくとも彼らは生身の人間ではない。となると、これは何者かの仕業による『幻覚』の可能性が高いのだ。
――早く博麗神社に戻るには、とっととこの幻覚を作っている奴を倒さないとね。夜には魔理沙がやって来るし、それまでには済ませくちゃ。
心の中でそう決意した霊夢は、子供たちと一緒に本殿を出た。
※
外はすでに暗くなっており、神社前の街道はかなりの人で賑わっていた。
老若男女、みんなそろって浴衣か半被姿である。
幅の広い道の両端には、様々な屋台がちょうちんの光で照らされており、霊夢にとって初めて見る食べ物もずらりと並んでいた。
××神社の夏祭りは、大盛況で動いているようだった。
「巫女のお姉ちゃん! あれ食べたいよー」
歩き始めて早々、いつかがワタアメという名前の屋台を指差した。
「食べたいといっても、わたしお金持ってないし……」
すると、彼方が巫女服を軽く引っ張りながら、霊夢に布製の袋を差し出してきた。
中身を開けてみると、数字の入った紙が入っていた。
「これ、お金?」
こくり、と彼方がうなずく。
彼もワタアメを食べたいようだったので、霊夢は三本頼むことにした。
「巫女さん。今日の神輿はよろしくな」
屋台のおっちゃんはそう言ってから、ワタアメ作りを開始した。
奇妙な機械の中で、おっちゃんは砂糖らしき固形物を入れながら木の棒を何度も回してくる。すると、どんどんその棒に白い綿みたいなものが絡みついてくる。
初めての光景に、霊夢は思わず釘づけになってしまった。
外の世界の祭りでは、こんな不思議なお菓子が作られているのか。屋台から伝わる、甘く香ばしい匂いが妙に癖になる。
やがて、三本のワタアメが完成して、おっちゃんは霊夢たちに渡した。
「おじちゃん、ありがとー」
受け取ったいつかは、ちょんちょんと白い部分を突く。
「やわらかーい」
その光景を横目に見ながら、霊夢はワタアメを手で引き千切って口に入れてみる。
手で触れた時はふわふわとした感触だったが、口に入れるとすぐに溶けて消えた。と、同時にほのかな甘みが口いっぱいに広がって、思わず霊夢は顔を綻ばせてしまった。
「幻覚のくせに、なかなかおいしいわね」
と、横で二人の子供が意外そうな目つきで彼女を見ていた。
「どうしたの?」
「お姉ちゃん。食べ方、すごく変だね」
えっ、と霊夢は目を点にさせる。
「手でちぎって食べる人なんて初めて見た。普通はそのまま食べるのにね」
そう言って、彼方はワタアメを口でがぶりと食べる。
しまったー、と心の中で霊夢は項垂れた。てっきり、いつかがワタアメを手でいじってたから、つい手で千切って食べると思い込んでしまったのだ。
屋台のおっちゃんも苦笑しており、霊夢は無性に恥ずかしくなった。
悔しかったので、思わずこんな言い訳をしてしまった。
「えー。そっちではそのまま食べるんだー。ほら、わたしって楽園の素敵な巫女だから、はしたない食べ方はできないのよ。だから、わざわざ手で千切って食べてるのよ」
「ふーん。その食べ方だと、手がベトベトになって、もっとはしたないと思うけどね」
全くの正論だった。
一瞬、この子供を封印してしまおうかと思ったが、そこは何とかこらえる。
結局、霊夢は手をベトベトにしながら、何とかワタアメを完食した。手については彼方から濡れた布をもらったので、事なきを得た。
※
その後は、屋台にあるいろんなものを食べて回った。
霊夢にとって、ワタアメ以外にも初めて見る食べ物がかなりあった。
その中でも特に印象的だったのが、ミカンに水あめを塗ったミカン飴だった。
この村の特産品であるミカンを使っているらしく、一口かじると水あめの甘さとミカンの甘さが口に広がって、なかなかの美味だった。
一緒に行動しているうちに、だいぶ彼方とも話せるようになってきた。
「つまり、この道をずーっと神輿で進んでいくんだね」
霊夢の言葉に、彼方は「うん」と頷く。
彼方から細かい話を聞いた限りだと、この神社は森に囲まれた場所に存在しており、集落までは一本の道で繋がっているらしい。
今日の祭りの主役である神輿も、この道を行って戻ってくるとのことだ。
立ち並ぶ屋台の合間には、お旅所らしき建物が何ヶ所か建てられていた。
お旅所とは、神輿をする際に神様を休ませる休憩所のことである。
つまり、お旅所にいる間は神輿を担いでる人も休むことができるのだ。そのすぐ横では、女性たちが軽食のおにぎりやお茶を準備している最中だった。
「ねえ、巫女のお姉ちゃん。のどが乾いたよー」
いつかが巫女服を引っ張ってくるので、霊夢は飲み物を買うことにした。
子供たちがラムネを希望してきたので、霊夢はそれを購入する。ラムネは幻想郷でも何度か飲んだことがあるので、ワタアメのような恥をかくことはまずない。
ポン、と威勢の良い音でラムネを開けて、いざ飲もうとした時だった。
「いつかー。ここにいたのね」
やってきたのは、長髪の若い女性だった。どこかしら、顔の作りがいつかに似ている。
「あ、ママ! 今ね、巫女のお姉ちゃんと一緒に遊んでるの」
いつかの母親らしき人は、霊夢に軽く頭を下げてから言った。
「そう。じゃあ、しっかり良い子にしてなさいよ」
「ママは今なにしてるのー?」
「パパのために今、おにぎりを作ってるの。だからママがいつかと一緒になれるのは、もうちょっと後になるわね。それまで、ちゃんと良い子にしてなさいよ」
うん、といつかが大きく頷くと、母親は優しくいつかの頭を撫でる。
そんな親子の光景を眺めながら、ラムネを飲んでいる時だった。
背後から巫女服が引っ張られたので、霊夢は後ろを振り向く。
すると、彼方が少し俯いた状態で立っていた。
「どうしたの」
「少しお姉ちゃんに相談したいことがあって……いいかな?」
霊夢は了承して、彼方と一緒に道から少し逸れたところにある大木まで行った。
「で、話ってなんなのよ」
「僕、どうしてもやりたいことがあるんだけど、自信がなくてできないんだ」
「なにができないのよ」
「いつかちゃんに告白すること」
むぐっ、と思わず飲んだラムネを戻しそうになってしまった。
「告白――って、あなた歳はいくつなのよ」
「いつかちゃんと同じで十歳」
「うーん……。外の世界は文明がだいぶ進んでいると霖之助さんからは聞いてたけど、まさか人間の恋心もだいぶ進んでいるとはね……」
小さくぼやきながら、霊夢は続ける。
「で、どうして告白できる自信がないのよ」
「だって、いつかちゃんがこの前、言ってたんだ。『わたしはパパみたいに、強くてかっこいい人が好きだ』って。だから、僕じゃうまくいくはずないよ」
霊夢はラムネをぐいっと飲む。ビー玉のからんとした音が響いた。
目の前にいるのは幻覚だとは承知しているが、唇を噛んでいる彼方の表情は、どうも無視できなかった。
今回の異変を起こした奴は、よほどの力を持っているのだろう。
でなければ、こんな本当に血が通っているような人間の幻覚を作ることはできない。
――となると、しっかり対応した方が得策かもしれない。ここで適当なことを言ってしまったら、ますます『異変』の解決から遠ざかってしまうような気がしたからだ。
そう判断した霊夢は、うつむく彼方の背中を強く叩いてやった。
「なに言ってんのよ。あなた馬鹿じゃないの」
顔を歪ませる彼方に、霊夢は続けた。
「あなたはいつかちゃんのことが好きなんでしょ? だったら、もう細かい理由なんて必要ないわ。玉砕覚悟の気持ちを持って、しっかり伝えてみなさいよ」
「で、でも……もし、ダメだったら、どうすればいいんだよ。もう一生、いつかちゃんと遊べなくなっちゃうじゃん。それだけは絶対にイヤだ」
「振られるのが嫌でいつまでもイジイジしていたら、絶対にうまくいくはずないでしょ。いつかちゃん、かなり可愛い子だったし、下手したら他の男の子に取られちゃうわよ」
「えーっ。それは絶対にイヤだ!」
面倒臭い子だな、と思いながら霊夢は言った。
「ちなみに、あなたといつかちゃんはどういう関係なの?」
「幼馴染。家が隣だし、クラスは一クラスしかないから、いつも一緒なんだ」
「まあ、田舎の寺子屋はそこまで人数多くなさそうだしね」
その時、ふと霊夢の視線がある屋台で止まった。
そこは射的屋だった。ちょうど良く、遊んでいる人はいなさそうだった。
――良いことを思いついた。
立ち上がった霊夢は、しょぼれくる彼方の体を無理やり引っ張った。
「ちょっとついてきなさい。そんなに告白する勇気がないんだったら、巫女であるわたしと、ちょっとした賭けをしてみない?」
「賭け?」
「まあ、詳しいことは後で説明するから」
霊夢たちは人ごみを掻き分けて、射的屋の前にたどり着いた。
「このお金の分だけ、弾をちょうだい」
そう言って、布の袋を逆さにしてあるだけの金を全て放出した。
屋台のおっちゃんは呆然としていたが、霊夢の強い視線を感じ取ったのか、素直に大量の弾をくれた。
――全部で三十発ほど。これなら何とかいけるかもね。
そう思いながら、霊夢は全ての弾を彼方の前に置いた。
「お姉ちゃん?」
「彼方くん。今からこの弾を使って、あのウサギのぬいぐるみを落とすのよ」
「ええーっ! あんな大きいぬいぐるみを落とすの?」
彼方が驚くのは無理なかった。
霊夢が指定したウサギのぬいぐるみは、屋台の景品の中でもかなり大きめのものだったからだ。一発、二発では絶対に落ちないだろう。
「彼方くん。これはあなたの力を試す賭けなのよ」
目をぱちぱちさせる彼方に、霊夢は続けた。
「実はさっき、巫女の力を使って神様にお願いをしたの。彼方くんの告白が絶対に成功しますように、ってね。そうしたら神様がこう言ってきたのよ。もし、あのウサギのぬいぐるみを落としたら、神様は彼方くんに告白が成功するおまじないをしてあげるって。でも、もし落とせなかったら、いつかちゃんに二度と告白できなくなるって」
「そんな……。無理だよ。あんな大きいのを落とすなんて」
「弱気になるんじゃないわよ。――男でしょ? それに、もう神様と約束をしちゃったんだから、逃げることは許さないわよ。逃げたら、二度と告白できなくなると思いなさい」
それでも迷っている彼方に、霊夢は両手で彼の髪をぐしゃぐしゃにした。
「ほらほらほら! 迷ってないで、とっととやりなさい! 他のお客さんにも迷惑でしょ!」
彼方はようやくおもちゃの銃を持って、ぬいぐるみに向けて構える。
一発目――。弾はぬいぐるみの頭部に命中したが、ほとんど微動だにしなかった。やはり、このぬいぐるみはかなりの強敵のようだった。
「お姉ちゃん……」
心配そうな目つきで彼方はこちらを見る。
「大丈夫。お姉ちゃんが見守っているから、やってみなさい」
二発目――。再び弾はぬいぐるみの頭部に直撃したが、今度は少し後ろの方に動いた。
「いいわよ。その調子でやってみて」
それから、彼方の小さな戦いが始まった。
三回に一回は外れてしまうが、彼方はしっかりと弾をぬいぐるみに当てていった。十発目が終わった時、いつの間にか後ろで様子を見ていた青年が助言をしてくれた。
――コルクをきつく銃の中に入れてみろ。そうしたら弾の勢いが少し良くなるぞ。あと、標的は真ん中じゃなくて、左端の部分を狙ってみろ。
その助言も功を奏してか、少しずつだがぬいぐるみは後ろに動いていった。
気付いたら、霊夢たちの背後には大勢の人だかりができていた。
屋台のおっちゃんが顔をしかめて彼方を睨みつけていたので、霊夢は「あんな奴は無視しなさい」とひっそり彼方に耳打ちした。
二十九発目――。弾が左端に命中して、ぬいぐるみはさらに後ろに動いた。
「おおっ」と、様子を見ている人たちが声をあげる。すでにぬいぐるみの三割ほどが台の外にはみ出ていたが、まだ落ちる気配はない。
硬い表情で、彼方は最後の弾を銃に込める。
その様子を見かねて、霊夢は彼の肩をとんとんと叩いた。
「そんな緊張しないで。神様が見守っているんだから、思い切ってやってみなさい」
小さく頷いて、彼方は銃をぬいぐるみに向けて構える。
「がんばれよ、少年」
助言をした男性も後ろで声援を送る。
多くの人が固唾を飲んで見守る中、彼方は最後の弾を発射した。
弾は見事、ぬいぐるみの左端に当たる。すると、ぬいぐるみは大きく右に回転し、そのまま台の後ろへ重心が傾いていき――。
ついに、ぬいぐるみは台の外へ落下した。
これには後ろで見守っていた人たちも、一斉の感嘆の声をあげた。
拍手が鳴りやまない中、呆然としている彼方に霊夢は笑みを浮かべる。
「やるじゃない。あんな大きいぬいぐるみが落とせるなら、告白は平気そうだね」
不機嫌そうな顔のおっちゃんから、ぬいぐるみを受け取った彼方は「うん!」と頷いた。その表情はとても輝いており、すっかり自信を得られた様子だった。
――良かった。ひとまず作戦は成功ね。
屋台から離れた霊夢は、小さく安堵の息を吐いた。
実は、ウサギのぬいぐるみを落としたのは、霊夢の能力によるものだった。
彼女は空を飛ぶ程度の能力だけではなく、霊気を操る程度の能力を持っている。
彼方が弾をぬいぐるみに当てた直後に、霊夢は秘かにぬいぐるみ周辺にある霊気を操って、少しずつ――なおかつ周囲にバレない程度に、台の後ろに動かしていたのだ。あんな大きいぬいぐるみを貧相なコルク弾で落とすなんて、物理的に考えて不可能に近い。
おそらく、この件で最も驚いているのは屋台のおっちゃんではないかと思う。
とはいえ、これは彼方自身がぬいぐるみにしっかり弾を当てなければうまくいかない作戦なので、三十発目にしっかりと弾を命中させた彼方の胆力は本物なのかもしれない。
「お姉ちゃん。ありがとう。おかげで勇気が出てきたよ」
ぬいぐるみを大事そうに抱えながら、彼方は頭を下げる。
「そう。それなら神様にお願いした甲斐もあるわ」
霊力を操る作業はかなり体力を消耗してしまうが、これも早く『異変』を解決するためである。これくらいの苦労は安いものだった。
「告白する気になったかしら?」
「うん。頑張ってみるよ」
その直後、背後から「おーい」と声が聞こえてきた。後ろを振り向くと、いつかの父親が大きく手を振って霊夢のもとへやって来るところだった。
「巫女さん。ここにいましたか」
「どうしたんですか」
「そろそろ神輿の時間となります。どうか、本殿の方へよろしくお願いします」
※
夜が更けてきた頃――。
神社の本殿にある神輿の前で、霊夢は神輿祓いを始めた。
神輿祓いとは、神輿を担ぐ前に行われる儀式のことである。
当初は、この神社の関係者でもない巫女がこんなことをやっていいのか疑問を抱いたが、周囲がやたら自分にお願いをしてくるので、仕方なく了承することにした。
霊夢は、儀式のための祈りの言葉を述べていく。
薄々感じてはいたが、この神社には神事に関わることができる者――つまり、宮司や神主や巫女などが誰一人としていないのだ。
大人たちがやたら霊夢に注目していたのも、そのせいのようだった。
霊夢の周囲では、法被姿の男たちが全員頭を下げて彼女の祈りの言葉を聞いている。
祈りを終えた後、儀式用の大麻(おおぬさ)を使って、霊夢は神輿祓いを終える。
そして、いよいよ神輿を担ぐ時となった。
「さあ、いくぞ!」
いつかの父親の掛け声と共に、大勢の男たちが「おおっ!」と一斉に声をあげて神輿のところに集まる。
そして大きな掛け声と共に神輿が持ち上げられ、ついに本殿を出た。
外には大勢の人が待ち構えており、すでに祭りは異様な空気に包まれていた。
「ワッショイ! ワッショイ!」
いつかの父親の声を先導にして、大勢の男たちが声をあげる。かなりの人がこの場所にいるのに、いつかの父親の声がやたら鮮明に聞こえてくる。
――すごい熱気ね。
後ろで見守っていた霊夢も、あまりの迫力に唖然としてしまった。
生まれた時から神社に密接した生活を送ってきたが、こんな光景は初めてだった。
博麗神社では絶対にありえない、大勢の人間が一体感を持って結束している光景だった。これが本当に幻覚なのかと、霊夢は自分で自分を疑いそうになってしまった。
それでも油断しないように心がけながら、霊夢は神輿についていく。
老若男女、神輿を担いでいる人もいない人もみんな「ワッショイ!」と声をあげながら道を進んでいく。神社の境内を抜けて、やがて神輿は屋台の並ぶ街道に辿りついた。道の両端に飾られているちょうちんの光のせいか、妙に神輿が輝いているように見えた。
霊夢は何となくいつかと彼方の姿を探してみたが、どこにもいなかった。
そして、神輿は最初のお旅所に到着して、いったんの休憩となった。お旅所祭は中間地点のみ行うとのことで、神輿を担いでいる人たちにお茶やおにぎりなどが振る舞われた。
「巫女さん。お疲れ様です」
霊夢のもとにいつかの母親がやってきて、おにぎりとお茶の入った紙コップが渡された。おにぎりはふっくらとした梅干し味で、とてもおいしかった。
おにぎりを食べ終わると、今度は夏みかんが振る舞われた。
初夏が食べごろの果物なので、当初は水分が無くなって身がスカスカになってるんじゃないかと心配したが、皮をむいてみるとそんなことはなくて、口に入れると甘い果汁がいい感じで喉を潤した。
「うん。すごくおいしいわ」
霊夢の言葉に、いつかの母親も嬉しそうに微笑んだ。
「どんどん召し上がってくださいね」
昔、どこかで食べたことあるような味がしたが、みかんの味なんてどこも同じだと思った霊夢は特に気にしないことにした。
やがて、休憩を終えた男たちは神輿を持ち上げて、再び道を進んでいった。
おにぎりを食べてみんな元気を取り戻したのか、声がさらに大きくなった。
その途中、それまで無言を貫いていた霊夢は、つい手を叩いて小声でつぶやいてしまった。
「わっしょーい、わっしょーい」
不覚にも、その声が近くにいた男性に気付かれてしまった。
「おっ。巫女さんもついに言ってくれたか。嬉しいよ」
「え、ええ、まあ……」
恥ずかしさで死にそうになった。
屋台の連なる道を終えて、ついに神輿は集落へ続く街道に出た。
暗くて細かいところはよく分からなかったが、どうやらここは山に囲まれた盆地のようだった。視線の少し先には、みかん畑らしき土地もある。
霊夢は改めて周囲を見渡してみたが、相変わらずいつかと彼方はいなかった。
「全く。どこに行っちゃったのよ……」
休憩地点が目前ということもあってか、男たちの掛け声はさらに大きくなる。目の前で担いでいる男性の半被なんか、すでに八割くらいが汗で濡れていた。
霊夢は小さくため息を吐いた。
――結局、異変の原因も分からないまま、祭りが終わっちゃいそうじゃない。いつもはすぐに解決するのに、あーあ、情けないったらありゃしないわ。
霊夢は全く解決できない腹いせに、神輿を睨みつけてやることにした。
※
神輿は予定通りの道のりを進んでいき、ついに神社の境内へ戻ってきた。
もちろん、境内に戻ってきたらすぐに終わりというわけではない。
神輿を担いだ男たちは、本殿を目の前にしたところで歩みを止める。そして、大きな掛け声と共に今度は神輿を上下に揺らし始めた。祭りのクライマックスである。
「ショイ! ショイ!」
上下に揺れると共に、神輿に装着されている鈴もさらに大きな音を奏でる。周囲の人たちも男たちに合わせて、これまで以上に声を張り上げていく。
「ワッショイ! ワッショイ!」
霊夢は額に浮かんだ汗を拭う。
人が多すぎるせいで、境内はかなりの暑さだ。
やがて、神輿は再び前へと進んでいき、男たちはゆっくりと神輿を所定の台に乗せる。
夏祭りが、終わりを告げた瞬間だった。
終わりと共に、歓声と拍手が神社中に湧き起こった。
霊夢も思わず拍手をしてしまった。すると、いつかの父親がさらに拍手するようにみんなに煽ってきたので、全員がそれに乗る。
「みなさん、お疲れ様でした! 最後は三本締めでいきます!」
いつかの父親の「イヨオオーッ!」との声と共に、拍手が三本締めに切り替わる。
パン! と、最後の締めを終えた時、祭りは本当の意味で終了を迎えた。
ようやく辺りの空気が穏やかになってきた頃、本殿から女性たちが盃の並べられた盆を持ってきて、参加者たちに振る舞われた。
当然、霊夢にも盃が渡され、酒好きの彼女は一瞬でそれを飲み干した。
「ふあーっ。やっぱ祭りの後の酒は格別ね」
満足気につぶやきながら、何となく視線を巡らせた時だった。
それまで、ほろ酔い気分だった霊夢は急に我に返った。
なぜなら、祭りの参加者が全員、盃を持ったまま夜空を見上げていたからだ。横にいた男性に限っては、涙を流しながらゆっくりと酒を口に入れていた。
霊夢の中で緊張がはしる。
この夏祭りは『異変』だということを、何故か今さらになって強く思うようになった。
いつかの父親が、ゆっくりとした足取りで霊夢のところにやってきた。
「巫女さん。今日は本当にありがとうございました」
「あんたたち……。いったい何者なのよ」
「最後に夏祭りができて、私たちは大いに満足しました。実はあの神輿――今回が初めての御巡幸だったんですよ。だから、もうこれで何も思い残すことはありません。わたしたちはこの神社の神様と一緒に、あちらの世界へ行きます」
返す言葉が見つからない霊夢に、いつかの父親は頭を下げて神輿のところへ戻る。
「さあ、みんな! 行くぞ!」
この場にいる全員が一斉に声を出した。
そして、男たちが神輿を持ち上げると、再び「ワッショイ!」と声をあげる。
霊夢は追いかけようとするが、何故か体を動かすことができない。得体の知れない力で、完全に行動が制御されているようだった。
「ちょっと、勝手にどこに行くのよ!」
叫んだ直後、霊夢のもとに二つの人影が駆け足でやってきた。
いつかと彼方だった。
「巫女のお姉ちゃん!」
二人は一緒に手を繋いで、霊夢のところまでやってきた。
「あ、あなたたち、今までどこに行ってたのよ」
「ちょっと、神社の外れのほうにね」
すると、ここで彼方が霊夢の手を握った。
「お姉ちゃん。ありがとう! お姉ちゃんのおかげで、いつかちゃんに告白できたよ」
これには霊夢も驚愕するしかなかった。
「ええっ、もう告白しちゃったの?」
「えへへー。わたしたちコイビト同士になっちゃったの」
いつかは微笑みながら、彼方の腕に絡んでくる。彼は照れくさそうな顔になる。
つまり、いつかが彼方の告白を了承したということは――。
「いつかちゃんも、彼方くんのことが好きだったのね」
「うん。実はわたしも前から彼方くんのことが好きだったの。でも、なんか恥ずかしくて、いつも彼方くんの前の時はヘラヘラしてたんだよね。そしたらさっき、いきなり呼び出されて告白されちゃって、最初は何が何だか分からなかったけど、もう嬉しくて嬉しくて!」
いつかと彼方はお互いに目を合わせると、一緒に「ねー」と微笑む。
告白すると言ってからあまり時間が立ってないのに、たいした男の子である。
その時、子供たちの背後にある神輿がついに動き始めた。
しかし、行き先は神社の外ではなかった。
夏の夜空に向かって、神輿は空中を昇り始めたのだ。
当然、神輿を担いでいない人たちも一緒になって昇っていく。いつかの両親も、屋台のおっちゃんも、彼方に助言をしてくれた青年も、みんな天に向けて歩いていった。
彼方はいつかと手を繋いで、大人たちのもとへ走っていく。
「じゃあね、お姉ちゃん。僕たちもそろそろ行くね」
待って、と霊夢は叫ぼうとするが、もう口を動かすことすらできなかった。
彼方はもう一回、霊夢の方を振り向くと大きく手を振った。
「お姉ちゃんのおかげで、僕といつかちゃんの願いは叶ったんだ! もう、これで僕たちも何も思い残すことは無くなった。本当にありがとね!」
二人の子供は軽快な素振りで走っていき、大人たちと合流する。
神輿がゆっくりと天へ昇っていく。
神輿と人間たちが小さくなるにつれ、わっしょい、わっしょい、の掛け声もどんどん小さくなっていく。それに伴って、霊夢の意識もどんどん薄れていく。
霊夢はようやく理解した。
――ああ、わたし、どうやら勝手に『異変』を解決していたみたいね。
そして、ついに彼女の意識は途切れた。
※
霊夢が目を覚ますと、見覚えのある天井が見えた。
ぼーっとした意識の中、霊夢はゆっくりと体を起こす。どうやら、魔理沙がいなくなってからすぐに眠ってしまったようだ。外を見ると、すでに空は薄暗くなっていた。
大きなあくびをしてから、霊夢は頭を掻く。
――なんか、すごい夢を見たような気がする。
そう思いながら、ちゃぶ台に置いてあるお椀の水を飲もうとした時だった。
新聞に載ってある夏祭りの写真に目が留まって、霊夢の意識は一気に覚醒した。
それまでの記憶が、鉄砲水のように蘇ってくる。
慌てて立ち上がり、周囲に怪しいものが無いか確認をする。
ついでに神社周辺も飛んでみることにした。もし、異変の原因がまだ残っていたら、早急に対処しなくてはいけない。
だが、霊夢の確認する限り、特におかしいところは何もないようだった。
やはり、あの『異変』は霊夢の直感通り、ちゃんと解決されているようだった。
「あれはいったい何だったのよ……」
小さく呟きながら、先ほどの部屋に戻る。
だいぶ外は暗くなったので、行燈の明かりを照らそうとした時だった。
突如、部屋に突風が襲ってきて、霊夢は反射的に目を瞑る。
風はすぐに止んだが、隅に積んであった新聞紙が部屋中に散らばってしまった。
「ああ、もう……。今日は本当についてないわね」
ため息を吐きながら、手前の新聞を手に取る。
ふと、その一面に書かれてある特集記事に目が留まった。
『××集落の土砂崩れから十年。事故から学ぶべき教訓』
霊夢の手が止まる。
――××神社。
その××とは、先ほどの夢に出てきた地名だったからだ。
ここでようやく、初めて地名を聞いた時の違和感の正体が分かった。
魔理沙が遊びに来ていた時、流し読みではあるが、確かにこの記事を見たからである。確か、霊夢の記憶では、その土砂崩れで集落のかなりの人が死んでしまったらしいが――。
霊夢は唾を飲み込んで、今度こそ行燈の明かりを灯す。ついでに蚊やり用の新しいみかんの皮も用意して、心の準備を済ませてから、ゆっくりとその記事に目を通した。
日付を確認すると、それは今からだいぶ昔の出来事のようだった。
この日、××集落のある地方に超巨大な台風が上陸した。それに伴い、集落に猛烈な雨が長時間に渡って降り続け、ついに大規模な土砂崩れに発展してしまったのだ。
当時、この集落は翌日に夏祭りを控えており、多くの住民がその準備を行っていた。
そのため、大半の住民が土砂に巻き込まれて帰らぬ人になってしまった。
当時はまだ大雨に対する認識が浅かったことや、集落が山に囲まれた場所にあったため、避難が迅速にできなかったことが、今回の悲劇に繋がってしまったとの内容が書かれていた。
次のページには、無残にも破壊された神輿の白黒写真が載っていた。
ほとんど原型を留めていないので断言はできなかったが、その神輿は霊夢が夢で見たものと非常によく似ていた。
写真の説明文には、この神輿は事故の翌日に控えていた祭りで初めて使われる予定だったとのことが書かれていた。神輿と同様、神社も鳥居や本殿を含めて土砂で完全に埋まってしまったらしく、その事故以来、完全に廃墟と化してしまったようだ。
余談だが、神社の宮司や神主は幸いにも全員、無事のようだった。
さらに次のページをめくってみると、今度は犠牲者についてのことが書かれてあった。
霊夢は思わず息を止める。
真ん中の部分に、二人の子供が一緒に映っている写真があった。
それは紛れもなくいつかと彼方だった。
補足の説明文によると、二人はこの事故で唯一の子供の犠牲者だったようで、いつかの両親も同時に犠牲になった、との記述もあった。
記事は、さらに名物の××みかんについても述べられていた。
集落の名物であった××みかんも、今回の土砂崩れで大半のみかんの木が流されてしまい、壊滅的な被害を受けた。それでも生き残った人たちがみかんの再興を試みたが、うまくいかず、最終的には××みかんは完全に世間から消え去ってしまったようだ。
ここであることを思い出した霊夢は、立ち上がって台所へ行く。
記憶が正しければ、まだ捨てていなかったはずだ。あれは冬に知り合いから、袋と一緒に譲ってもらったものだ。そして、その皮は今まさに蚊よけのために使われている。
ようやく引き出しの中から目的の袋を見つけて、彼女はそのラベルを見る。
そこには、しっかりと『××みかん』の表記が入っていた。
外の世界で忘れ去られてしまったものが、幻想の境界を越えて、確かにここに存在していたのだ。
※
「ふーっ。切るだけで、こんなに時間が掛かっちまうとはな」
スイカの盛られた皿を持って、魔理沙が霊夢のいる縁側までやってきた。
昼のうだるような暑さから一転、夜は心地よい風が吹いており、今日は熱帯夜にならなくて済むようだった。
空は満天の星空が輝いており、近くの林からは鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。
「んじゃ、いただきまーす」
魔理沙は豪快にスイカにかぶりつく。
しゃりっ、と小気味の良い音が聞こえてきた。
「んんーっ、うまい! やっぱ夏はスイカに限るぜ」
「うん」
霊夢は同意しながら、スイカをかじる。確かに甘くておいしかった。
そんな彼女の様子がおかしいことに気付いたのか、魔理沙は首を傾げた。
「どうしたんだ、霊夢。やけにぼーっとしてるな」
「別に。なんでもないわ」
「そうか? ならいいんだけどさ……」
訝しげな顔のまま、魔理沙は空を見上げる。
霊夢の頭の中には、先ほどのいつかと彼方の写真が映し出されていた。
あの写真の中の二人は、夢の中のように手を繋ぐことなく、微妙な距離を開けた状態でたたずんでいた。
夢の中で、彼方は最後に『僕といつかちゃんの願いは叶った』と言っていた。それがいったい何を意味しているのか、さすがの霊夢も察することができる。
――でも、それはあまりにも残酷な結末だった。
「ねえ、魔理沙」
「なんだ」
「実はね。また、今年からここで夏祭りをやろうかな、って考えてるの」
行燈の光に照らされた魔理沙の目が大きく見開いた。
「はっ? お前、つい数時間前は面倒臭えって言ってたじゃんか」
「気が変わったの。まあ、たまにはやってみるのも悪くないかなと思ってね」
「……そうか。それなら、私もちょっとは手伝ってやるぜ。片っ端から知り合いを呼んで、普通とは一味違う、とびっきりの夏祭りをやってみたいな」
魔理沙は微笑みながら、スイカをがぶりと頬張る。
「ところで、霊夢。前から思っていたんだけどさ」
ここで魔理沙が、後ろに置いてある蚊やり豚に視線を動かした。
「その蚊よけのミカンの皮、すごく良い匂いがするよな。蚊取り線香より、断然好きだぜ」
「そう? ありがとう」
礼を言ってから、霊夢はスイカをかじる。実を言うと、本当は夏ミカンを食べたい気分だったが、神社に置いていなかったので、やむを得ずにスイカで我慢をしているのだ。
みかんのほのかな匂いを嗅ぎながら、霊夢はあの夏祭りの光景を思い返す。
浴衣姿の人々で賑わう街道。多くの屋台。ちょうちんの優しくも華やかな明かり。
そして何よりも、一体感と迫力のある神輿の巡幸。
あの神輿の途中で食べた夏みかんは、本当に絶品だった。
また、機会があれば食べてみたい。それに屋台で食べたみかん飴もなかなかおいしかった。今度の夏祭りで誰か作ってくれないだろうか。魔理沙に無理やりにでも作れと頼んでおこうか。
その時、霊夢の脳裏に二人の子供が元気に走り回る姿が蘇ってきた。現実世界では悲惨な死を遂げた二人が、幸せそうに手を繋ぎながら夏祭りを楽しんでいる。
その時、ぽとりとスイカの上に一粒の滴が落ちた。
それは霊夢の目から流れた涙だった。
一瞬、涙を流したのが自分だということが信じられなかった。どうして、涙を流しているのか自分でもよく分からなかった。
抑えたくても、抑えることができない感情が嫌でも湧いてくる――。
「おい、霊夢。どうしたんだよ」
「ちょ、ちょっと、実験をしてるのよ……」
スイカを見下ろしながら、霊夢は震えた声で言った。
「スイカって、塩をかけると少し甘くなるじゃん。だったら、涙でもちゃんと甘くなるのかを確かめたくなったのよ」
涙で濡れたスイカは、普段より少し甘い夏の味がした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品のあとがき等は活動報告に記載させていただきましたので、もしよろしければご覧ください。