現在、木の葉の里は昼夜問わず、お祭り騒ぎで盛り上がっていた。
志村ダンゾウは、そんな喧々囂々とした里の様子を心静かに火影室の窓から見下ろしていた。
サスケ奪還任務から、約十日。
貯蓄してきた兵表を集め、武器を量産し、自身の賛同者を増やしてきた。
ようやく時が満ちたのだ。
「おい、お前たちは戦争に参加するのか?」
「当たり前だろ。あの化け狐を殺す絶好の機会が巡って来たんだ」
「ああ、里の中にはあいつが四代目様の息子なんてバカげたことを宣う奴もいるが……」
「まったく同じ木の葉の忍として情けない……いや、それだけ狐は人を騙すのが得意って訳か」
「私は九尾事件の時、里の外にいたので実感が湧きませんが、そのかわり霧隠れに恨みがあるので……」
「たしかに、血霧の里に恨みを持った連中はこの里にも多いだろうな」
「何言ってんだ! 恨みなら四代目を殺した化け狐の方がデカいに決まってんだろ!!」
「僕は戦争反対派だったのですが、あのカカシさんが参加すると聞いたので……」
「あ、自分も同じです。正直ダンゾウ様のことはあまり好きではありませんが、カカシさんには暗部時代からのご恩がありますので」
「オレはずっと前から奴を殺すべきだと言っていたんだ! 三代目様は素晴らしいお方だったが甘過ぎたんだ!」
「おいおい、三代目様を悪く言うな。恨むべきなのは優しい三代目様の心につけ込みやがった、あの化け物だろ」
「その通りだ! 戦場で見つけ次第あの化け物を殺るぞ!!」
「「「オォォォォォオ!!」」」
木の葉の忍達が各々、ナルトへの不平不満を爆発させていた。
万事、ダンゾウの思惑通りであった。
いや、ナルトが産まれた時から仕込んでおいた情報操作が、このような形で役に立ったのは計算以上ともいえるであろう。
ヒルゼン亡き後、大名から火影就任を受ける……
そこまではスムーズに事を運ぶことができた……のだが、問題はその後であった。
いくら大名の許可を得たからといっても、里の者共に反対されては火影にはなれない。
が、ダンゾウの評価はどう贔屓目に見ても、最悪と言わざるを得ないものであった。
何も知らない一般人だけなら口八丁で納得させることも可能だったが、いかんせん忍達からの評判も劣悪だったのだ。
それも仕方あるまい。
忍の本分は自己犠牲。
今まで他国の忍だけでなく、必要とあれば自国の忍すら容赦なく切り捨ててきた。
それがダンゾウの政略であり、策略であり、計略であった。
当然憎まれることもあれば、逆恨みされることも少なくはなかった……が、そんな役立たずは消してしまえば問題なかったのだ。
今までは。
だが……今回はそういう訳にもいくまい。
このままでは自分が火影になれない。
ならば、己以上に憎い対象、罵詈雑言をぶつける宿敵をこちらで用意してやればいい。
都合のいいことに、格好の的はすぐに見つかった。
九尾の人柱力、うずまきナルトだ。
砂と音が引いた終戦後、ダンゾウはすぐに根の暗部に指示を出し、うわさを広めさせた。
その結果が今の木の葉である。
「ですが、これは少々効果があり過ぎたのでは?」
苦言を呈したのは、室内に書類を届けに来たダンゾウの部下、木の葉唯一の木遁使い・テンゾウだった。
「問題などあるまい。準備が整い次第、霧へ侵攻を開始するのだ。気運が高まるに越したことはない」
「それはそうですが、中には九尾の人柱力を問答無用で殺そうとしている輩も多いですし……最悪殺すしかないにしても、ダンゾウ様の優先順位としてはあくまでも捕獲ですよね?」
確かにその通りだ。
テンゾウの考えは間違いではない。
ナルトを殺してしまえば、ダンゾウが九尾の人柱力になるのに、最低数年は待つ必要がでてくる。
だが……
「それも問題あるまい。今や九尾をはじめ、四代目の残した幾多の遺産忍術を使いこなす九尾の人柱力を捕らえるのは、忌々しいことだが非常に困難と言わざるを得まい。そんなこともわからん腑抜け共が束になったとて、結果は見えている」
「確かに。おっしゃる通りですね」
「忍の本分は自己犠牲。戦争には数が必要不可欠なのだ。奴らも木の葉の礎となれるのなら本望であろう……」
そうダンゾウが結論を出したところで……
「失礼します」
次の訪問者が現れた。
特殊な仮面を着け、音もなく火影室に出現した白銀髪の男。
「カカシか」
「五代目様。就任式の用意が整いました」
「わかった」
「…………」
最低限の会話のみを残し、カカシは再び姿を消した。
去り際の姿は目で追えたが……
(カカシの奴、どうやって此処に現れた?)
ダンゾウは一瞬背筋が凍るのを感じたが、カカシの気配が遠ざかったのを確認し、心の動揺を抑えた。
そのやり取りを見ていたテンゾウが、
「カカシ先輩、随分と雰囲気が変わりましたね……正直、怖いぐらいです」
と言った。
そしてそれはダンゾウも同意見であった。
ただし、変わったなどと生易しい意見ではない。
はたけカカシには闇の素質がある……
あのイタチと張り合えるほどに……
それが、ダンゾウが密かに感じていたカカシの深淵であった。
だが今回、ダンゾウが少々強引な手段を使ってまでカカシを味方に引き入れた理由は、あくまでもその人気を利用するため。
写輪眼のカカシ。
その名は同業の忍だけでなく、住民も含めた火の国全土に轟いていた。
いま木の葉の里で人気投票を行えば、まず間違いなくカカシが一番票を集めるであろう。
そんなカカシを味方に引き入れることにより、最初はダンゾウに手を貸すことを拒んでいた連中ですら、霧隠れへの侵攻に協力的な姿勢を見せるようになっていた。
しかし、未だにダンゾウを認めぬ者も多い。
特に日向一族をはじめ、名家の一部の忍、四代目と親交の深かった者はナルトの正体に気づき、ダンゾウ一派と真っ向から対立の姿勢を取りにきている。
だが、そんな抵抗にもやは意味などない。
既に木の葉の覇権争いは終わっているのだ。
ダンゾウは机の上に置いてあった火影笠を手に取り、
「無駄話はここまでだ。これより先、ワシが歩む道こそ影となる」
テンゾウを後ろに付き従える形で部屋を出た。
火影室を退出し、その足で上を目指す。
長い廊下を一歩一歩踏みしめ、屋上へと向かう。
何十人もの暗部から言祝ぎを受け、辿り着いた場所は火影邸の頂点――五代目火影・志村ダンゾウの就任式会場。
本日はダンゾウが五代目火影へ就任する祝いの日、火影就任式であった。
「五代目様ぁ!!」
「おめでとうございまーす!!」
「顔を見せて下さーい!」
壇上から見下ろす景色には、既に何千という人々が集まっていた。
皆、木の葉の住民であり、家族である。
ダンゾウは一歩前に進み、人々の様相をうかがう。
眼下からは里中に聞こえるほどの大歓声が、鳴り止むことなく響き渡っていた。
「ダンゾウ様、おめでとうございます!!」
「おめでとうございます!!」
バン! バン!
空に空気砲が放たれた。
会場が一気に静まり返る。
ほどなく開幕の合図が鳴り、その直後。
ダンゾウにすら感知されない移動術で、音もなくカカシが現れた。
そのカカシがダンゾウの右隣りに立ち、
「長らくお待たせしました。これより五代目火影の就任式を開始する」
一言述べた後、素早い身のこなしで後ろへ下がった。
それを見届けた後、ダンゾウが壇上に立ち、
「ワシが五代目火影、志村ダンゾウだ」
演説が始まった。
ダンゾウが前に出た時、足下に広がる表情は十人十色であったが、その中でも一番多かった顔は……
「ダンゾウ様ってどんな人?」
「聞いたことのない名だ」
であった。
闇の忍、それがダンゾウの代名詞。
今まで火影とは真逆の立場から木の葉を支えてきたダンゾウのことを、一般人はもちろん、忍ですら知らない者も少なくはなかった。
それ故に不安が広がっている。
知らない人物が火影になるのだ、動揺して然るべき。
だが、これを利用しない手はない。
やがて静寂が訪れ、全員の視線が集中する。
「皆の者、本来であれば自己紹介が先であろうが、それよりもまず先にワシはこの場を借りて里の皆に言わねばならぬことがある。それは先日起こった砂と音による木の葉襲撃の真相について……そして先代であるワシの友、ヒルゼンを殺めた真の下手人についてだ」
真の下手人って何のことだ?
あれは砂と音の仕業じゃないのか?
疑問の声が次々と上がる。
「周囲を見渡せば今も里は瓦礫の山と化しており、木の葉が受けた屈辱は皆の双眸にも鮮明に映っていよう。あの災厄を引き起こした忌まわしき簒奪者共、その主謀者は確かに砂と音の里であった。だが、もう一人いたはずだ……ワシらの愛すべき木の葉を蹂躙した化け物が!」
そこまで言い切ってからダンゾウは一息吐き、会話にわざと間を空けた。
木の葉の住民達に、自分の口から言わせるため。
心象の掌握を容易にし易くするため。
すると……
「オレは見たぞ……九尾だ!!」
「わ、ワシも見たぞい」
「そ、そうだ……あの化け物だ!」
「アイツに店も家を潰された!」
「オレも、あいつが人を食うところを!!」
「大蛇やでっかい狸と一緒に、里を踏み荒らしていきやがった!!」
口々と九尾について増悪を述べる住民達。
ナルトが里にいた頃はその名を呼ぶことすら禁句にされていたため、含んでいたものが爆発したのだろう。
事実無根のうわさまで広がっていき……
暫くその様子を眺めた後、タイミングを見計らい、ダンゾウは高らかに拳を突き上げた。
「そうだ、九尾だ!! あの化け物は三代目に受けた恩を仇で返すどころか、裏切り、罵り、冒涜し、あまつさえその命さえも奪っていったのだ!! 三代目…ヒルゼンは慈悲深く、心優しき男であった。だがあの化け狐はそんなヒルゼンの優しさにつけ込み、嘲笑いながら喰い殺したのだ」
続けて叫ぶ。
「そしてその悪夢はまだ終わってなどいない。奴の腹は未だ満たされず、あの化け狐は――今一度この木の葉を蹂躙しようと企んでいる!!」
そうダンゾウが言った瞬間、
「いやぁぁぁぁぁあ!!」
「う、嘘だろ……」
「あの化け狐め! どこまで人をコケにすれば気が済むんだ!!」
「もう木の葉は……終わりじゃ……」
「やっぱりあの化け物は殺しておくべきだったんだ!」
金切り声が上がり、場が騒然となる。
この世の絶望に打ちひしがれ、膝を屈する木の葉の住民達。
だが、それを鎮めてこその火影。
それを奮い立たせてこその英雄。
「畏れるな! 木の葉に生きとし生ける者達よ!! 希望を捨ててはならぬ!! ワシは知っておる。四代目が命を懸けて守ったお前達の心には強い意志があることを。ワシは知っておる。三代目がお前達を愛していたことを。確かに、次に九尾が木の葉の里に現れし時、この里は終焉を迎えるであろう。だが、悲嘆に暮れることはない。何故なら木の葉の平穏はこのワシが創るからだ!」
先ほどまで悲観に心を蝕まれていた人々が、縋るような目でダンゾウを見上げる。
「心優しき四代目や三代目は平和を愛し、武力に頼ることを拒んでいた。だが、何故我らが我慢せねばならぬ。四代目に続き、三代目までもが手にかけられ、それでもなお耐えねばならぬのか? そうだ、そんな理不尽を認めてはならん! 平気な顔で人を喰い物にする化け物は命の尊さを知らんのだ! 人の心を知らんのだ! 人の痛みを知らんのだ! ならば我らが教えてやらねばなるまい。木の葉が受けた痛みを」
シーンと静まり返った里の中心で、ダンゾウの声だけが空気を振動する。
「今現在、あの化け物は水の国・霧隠れの里にて穴蔵を決め込んでいる。恐らくあの野蛮な里と結託し、良からぬことでも画策しておるのだろう。だがもう我らが後手に回る必要はない。数日後、ワシはワシ自らが軍を率い、霧隠れへ侵攻する。立ち塞がる敵を殲滅し、火影の名に懸けてあの化け物を討伐し、木の葉に平和を取り戻してみせよう」
すると、その言葉を聞いていた住民達が、
「おお……なんと勇ましいお方じゃ」
「あの化け狐に御自ら闘いを挑もうとは……まるで三代目様や四代目様のようなお人だ」
「五代目はオレたちのために……」
「いや、あの化け物は木の葉が一丸となって殺らねばならぬ相手だ」
「そうだ! 三代目と四代目の仇はオレたちで討つんだ!!」
数分前まで絶望に染まっていた瞳は、復讐の業火で燃え上がっていた。
「歴代の火影達は皆、平和を愛していた。故に、ワシのやろうとしていることに反対の意見を述べる者もいるであろう。ワシを火影と認めぬ者もいるやも知れぬ。だが、ワシはそれを甘んじて受け入れよう。三代目から託された木の葉を守れるのなら侵略者の汚名すら背負ってみせよう。四代目が遺した里を守れるのなら卑劣な手段すら講じよう。忍の世に変革をもたらせるのなら、このワシの命すら捧げよう。しかし影の名を受け継いだ以上、ただで死ぬつもりは毛頭ない。悪道と蔑まれようと、幾度となく木の葉を苦しめてきた九尾…あの化け物だけはどのような手段を用いてでも必ずあの世に送ってやる。それが五代目火影・志村ダンゾウの公約であり、覚悟だ!!」
ダンゾウの演説を聞き終えた木の葉の住民達は、一同に拍手を送り、歓喜の声を上げ、
「そうだ! みんなで里を守るんだ!」
「ダンゾウ様だけに九尾の相手はやらせません」
「初代様から託されし、木の葉の火の意志をあの化け物にみせてやる!」
「里が一丸となる時が来たんだ!」
「五代目様、どうか里を御守り下さい」
「五代目様こそ、木の葉の救世主だ」
皆が皆、新たな火影の門出を祝うのであった。
と――
数多の祝福に祝われながら、ダンゾウはそっと視線を後ろにずらす。
そこにはテンゾウをはじめとした元根の暗部に加え、先日から幻術・別天神に支配されているカカシの姿があった。
別天神――対象者に幻術に掛けられたと気づかせることなく操ることのできるうちは最強幻術。
うちはの力は並外れたものばかりだが、その中でも頭一つ抜けた、反則レベルの瞳術。
それが別天神。
しかし、当然リスクもある。
別天神のリスクは一度使ってしまえば、次に術を使用するのに年単位のインターバルが必要になること。
とはいえ、このリスクも初代火影・千手柱間の細胞を取り込むことにより、ある程度の短縮に成功していた。
だが、下手をすれば今度は柱間細胞が暴走し、ダンゾウ自身が死滅することになる。
結局のところ滅多に使えないことに変わりはなかった。
故に使いどころは慎重に期した。
最初はナルトに使う予定であったが、尾獣の文献を探っていた時に、九尾の力を完全に掌握した人柱力は"人の悪意を感知することができる"という情報を手に入れ、断念した。
水影であるメイも同じ理由で選択肢から消去。
ナルトが悪意を感知できるかは不明だが、万が一があっても駄目なのだ。
次に候補に上がったのは伝説の三忍・自来也だったのだが、これは当の本人が姿を見せず術の掛けようがなかった。
そして最後に残った候補がカカシだったのだが……
「……まさか、ここまで深い闇を潜ませていたとは……」
"いかなる犠牲を払おうとも九尾を奪還する"
カカシに掛けた暗示は至極簡単なもの。
いつ綻びが生じてもおかしくはない。
最悪、自分が火影就任にこぎ着けるまで利用できれば御の字……程度に割り切って考えていた。
だが……
だというのに、そのカカシはダンゾウの想像を大きく覆し、この十日間で恐るべき変貌を遂げていた。
チャクラは凍てつき、その朱い瞳はダンゾウの写輪眼を持ってしても底が見えなかった。
下手をすれば九尾を相手取るより、今のカカシを敵に回すほうがよほど恐ろしいかもしれない。
しかし……
(今は思わぬ戦力が手に入ったことを素直に喜ぶべきか……)
ダンゾウは一人静かに、火影まで登り詰めた自分に酔いしれていた。