「再不斬班は後ろへ退いて下さい。ここからは私達が請け負います」
凛とした声が、穏やかな渓流に響き渡った。
ナルト達はメイの指示に従い、すぐさま武器を収め、後ろへ退がる。
いや、指示に従ったというより……
元忍刀七人衆の一人である鬼鮫が、開口一番、
「これはこれは、お久し振りですね…メイさん」
増援に駆けつけたメイを、鮫を連想させるギョロリとした瞳で確認した後、
「まさか私が里を抜けた後、アナタが水影になられるとは……いえ、仕事が恋人のアナタらしいといえばらしいのですが……しかし、まだ二十代という若さにもかかわらず、ご自分の人生に見切りをつけられるとは……まあ、何事も諦めが肝心と言いますがねェ…」
などと、口にしてくれたおかげで……
「…………」
周囲の気温が一気に下がる。
空気が震え、鳥が羽ばたき、風が停止する。
ドロドロとした、何とも形容し難い殺意が溢れ出す。
そして、その瘴気の中心には、青筋を立て、朗らかに微笑んでいるメイの姿があった。
「や、やばいってばよ……」
ナルト達は命の危険を感じ、慌てて後ろへ跳んだ。
さらに、敵の退路を塞いでいたメイの直属の部下である霧の忍刀七人衆。
鈍刀・兜割の使い手、通草野餌人。
長刀・縫い針の使い手、栗霰串丸。
爆刀・飛沫の使い手、無梨甚八。
雷刀・牙の使い手、林檎雨由利。
霧隠れを代表する、この四名に加え、
「…………」
相方であるはずのイタチまでもが、まるで見捨てるような仕草で鬼鮫から距離を取り……
辺りが異様な静けさに包まれる。
ピリピリとした、肌を突き刺す殺意が周囲の地形を飲み込んでいき……
そして。
メイは満面の笑みを鬼鮫に向け、
「死ね」
次の瞬間。
目にも止まらぬ速さで印を結び、術を発動した。
「溶遁・溶怪の術!!」
溶岩のような強い酸性の粘質的な液体が、メイの口から吹き出され、鬼鮫の頭上に広がっていく。
いきなりの奇襲攻撃。
だが、鬼鮫はそれを水中に潜り、あっさりと回避してみせた。
鉄をも溶かす溶岩が、何もない水面を蒸発させる。
一瞬の攻防。
その戦いを、安全な場所から眺めていたハクは目を見開き、感嘆の声を漏らした。
「あれが五代目様の……」
それに再不斬が頷き、
「オレも久し振りに見たな……あれがメイの溶遁」
ナルトは聞き慣れない単語に首を傾げ、再不斬に尋ねる。
「溶遁?」
「火と土の性質変化を同時に扱う、ハクと同種の秘術……血継限界だ」
「血継限界!? メイの姉ちゃん、使えたのか!」
などと話している間に、喧騒が鳴り止む。
メイの猛攻が治り、溶岩の熱が冷めていく。
暫くしてから、無傷の鬼鮫がゆっくりと浮上して来て、
「いきなりのご挨拶ですねェ……何か良いことでもありましたか?」
ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべていた。
挑発的な態度を取る鬼鮫に、メイの方も微笑を顔に張り付かせ、
「フフ…失礼しました。久し振りに豪華なご馳走にありつけそうでしたので…つい…何せフカヒレなど、この霧の里でも滅多に食す機会がありませんから」
「おや? メイさん。確かに私は魚介類の類いが大好物です。ですが、フカヒレだけはご勘弁願いたい。そうですねぇ……私としましては海老や蟹などといった、新鮮な海の幸を所望したいのですが……」
「……何故、アナタが食べられるとお思いで?」
再びメイの笑顔が深まる。
同時に、殺気までもが濃くなり……
が、そこで、
「……待て、水影」
ナルト達の反対側に避難していたイタチが、宥めるような声音で言った。
「オレと鬼鮫はアナタ方と争いに来たのではない。ただ交渉をしに来ただけだ」
その知性ある声に、メイは鬼鮫に向けていた鋭い視線をイタチに移し、
「交渉? 私の腹心である青、そして先代である四代目水影を手にかけたアナタ方"暁"と話し合う事など何もありません」
「確かに、それの是非について話し合う気はこちらにもない。だがこの状況、水影であるアナタが私情のみで物事を判断するのは、あまり得策とは言えないと思うが……」
「……どういう意味です」
「これ以上、話の論点がズレるのはオレの望むところではない。単刀直入に言わせてもらう」
イタチはいつも通りの抑揚のない口調で……
淡々と告げた。
「もうじき木の葉の里が、霧隠れに戦争を仕掛けてくる」
ナルトは一瞬、頭が真っ白になった。
「え……?」
何て言ったんだ、コイツ。
木の葉が……戦争?
「今……何て言ったんだ」
思わずそう呟いていた。
我慢できず、怒鳴り声を上げ、
「何言ってんだってばよ! 冗談もたいがいに……」
しかし、メイがナルトを手で制し、
「ナルト、今は少しお静かに」
「だけど、メイの姉ちゃん!」
「アナタの気持ちはわかります。ですが、感情を取り乱しても事態は好転しませんよ」
「ぐっ……」
ナルトは再び口を閉じる。
それを確認してから、メイがイタチに言った。
「アナタ方の目的は一体……まさかそれを知らせに来ただけ…ではありませんよね?」
「無論、オレ達もそこまで暇ではない。これはビジネスだ」
「ビジネス?」
「我が組織は現在、今後の活動に必要となってくる金銭の工面、組織運営のための資金集めを行なっている。此処へ訪れたのもその一環だ」
「なるほど……卑しいカラスの考えそうなことね」
メイの皮肉めいた口調に、イタチは顔色一つ変えず、
「やはり暁がどういった組織なのか、既に知っておられるようですね……」
「戦争屋…とでも呼べばいいのかしら?」
イタチはその言葉を否定しなかった。
それどころか、自ら肯定するように、
「水影。アナタにはオレと鬼鮫の二人を、それ相応の金額で雇って頂きたい」
と、言った。
戦争に協力するから、その対価として金を払え、と。
だが。
当然、メイが首を縦に振る事はなく、
「先ほども申し上げたはずです。霧隠れが暁と手を組む事などありえません」
きっぱりとした拒絶を示す。
暁と行動を共にするつもりはない、と。
しかし、イタチは話を続ける。
「早とちりしないでもらおう。立場上、交渉などという言い回しをしてはいるが、最初からアナタ方に選択の余地などありはしない」
「何ですって……」
メイの目が細まる。
上忍クラスの忍ですら、死をイメージさせるほどの強烈な殺気。
威圧感が場の空気を支配する。
少し離れた位置にいるナルトですら、一瞬息が詰まりかけた。
だというのに、それを正面から受け止めているはずのイタチは、やはり平然とした表情のまま、冷然たる態度で交渉を続ける。
「もしここで、我々の提案を拒むのであれば、暁は木の葉側に付かせてもらう事になる。それがどういった結果を招くのか……聡明なアナタであれば理解できるはずだ」
「……随分な口の利き方をしてくれるのね」
メイの視線がさらに鋭くなる。
次に彼女の逆鱗に触れれば、その時点で即会話は打ち切られ、戦闘になるだろう。
この場にいる誰もが、その未来を容易に思い浮かべることができた。
途端。
七人衆の四名が、己の刀に手をかける。
同じく、隣にいた再不斬達が、自身の獲物に手にかけ、警戒体制に入った。
緊張感が高まる。
一触即発の雰囲気が忍達に警戒を促す。
そんな状況下で、しかし、ナルトはどこか違和感を感じながら、イタチのことを見ていた。
もし彼の話が本当だとすれば、霧と木の葉の両国が戦争になるだろう。
ナルトにも、それぐらいの事は理解できた。
実際、木の葉が襲撃を受けた光景を、一部分とはいえ、あの場で見ていたのだから。
なのに、今この場でもっとも追い詰められているのは、霧でも木の葉でもなく、イタチのような気がして……
そのイタチが、まるで何かを隠すかのように、饒舌に口を開く。
「始めに言ったはずだ…これはビジネスだと。かつて栄華を極めた木の葉の里は、先の戦により甚大な被害を受け、今では見る影もない。五大国間で成り立っていた各隠れ里の微妙なパワーバランスは、完全に崩壊したと言っていいだろう」
「つまり…木の葉側に付く利がない、と」
メイの呟きに、イタチは小さく頷き、
「木の葉が五大国最強とうたわれたのは、十年以上も昔の話だ。うちはの滅亡から始まり、人柱力の逃亡、そして砂との戦争……今や木の葉の里は、壊滅寸前と評しても過言ではあるまい」
「だから我々に……」
「此度の戦争。木の葉を勝利へ導くより、霧に花を持たせる方が合理的、かつ簡単な仕事だ。何より金回りもこちらの方が期待できる。我々暁としても、楽に金を稼げるのならそれに越した事はないのでな」
それがイタチの、暁の言い分だった。
霧と木の葉。
二つの大国が争えば、間違いなく金が動く。
そして、今回有利なのは霧の方で、ならばそちらに付いた方が効率よく金を稼げる。
だから、お前達に手を貸してやる。
それが、暁という戦闘集団の目的だった。
そして、そんな要求に「はいそうですか」と頷ける訳もなく……
「ふざけんな」
ナルトは拳を握る。
ホルスターから術式クナイを取り出し、右手に携える。
先ほど感じた小さな違和感など、とうに頭の中から消え失せていた。
こんな奴らとの交渉は決裂だ。
霧の忍の誰もがそう思った……はずだった。
が――
そこに、新たな第三者が現れる。
「ご報告します!」
面を着けた忍。
突如姿を見せた霧の暗部が、メイの横に膝をつく。
それにメイは睨みを利かせ、
「状況が理解できないのですか! 今すぐ下がりなさい」
しかし、暗部は言葉を続ける。
「申し訳ありません、五代目様。ですがお許し下さい。これは海の国からの第一級の緊急伝令です!」
第一級の緊張伝令。
それは国の存続を危ぶまれる、最大級の非常事態を意味していた。
ただならぬ事態に、メイは一度矛を収める。
険しい表情を暗部に向け、
「……何事です」
許可を得た暗部は一気にまくし立てた。
「火の国・木の葉隠れの里が水の国へ侵攻を開始! 現在、大軍を率いて海の国を侵略中。予め備えていた四つの関の内、既に二関を数の力で押し切られ、強引に防壁を突破されたとのこと。その数、およそ三千。そして軍の先頭に立ち、全軍の指揮を執っている忍の名は……五代目火影・志村ダンゾウ!!」
ナルトの思考回路に……濃い霧がかかる。
海の国。
国と称されてはいるが、その実体は五つの島でできた小さな島国で、隠れ里もなく、軍備のほぼ全てが水の国頼みという……
同盟国というより、傘下に等しい水産都市。
それが海の国であった。
そして、そんな場所を木の葉が攻め込む理由はただ一つ。
霧隠れの里への……宣戦布告であった。
(何で……木の葉が……)
かつての生まれ故郷と争うことになる。
その事実に、ナルトは絶望の淵に立たされた。
しかし、現実は待ってなどくれない。
また別の暗部がナルト達の前に現れ、
「ご報告します。進軍中の木の葉連合の中に、音の忍と思わしき者の姿を複数名確認。しかし、三千という軍勢にもかかわらず、木の葉の名門・日向一族並びに猿飛一族の姿は一名も確認できず……考えにくい事ですが、この大軍が陽動の可能性もありとのこと」
その報告は、木の葉襲来をより明確なものとした。
それに鬼鮫は残忍な笑みを浮かべ、
「盛り上がって参りましたねェ」
愉しそうにそう言った。
が、メイはそれを気にも止めずに、
「想定していた時期よりも早い。しかも、よりにもよって最悪なパターンで来ようとは……」
思考を巡らし、切り替える。
側に控えていた暗部に指示を出す。
「海の国へ伝令! 直ちに市民達の撤退命令を。里への避難を急がせなさい。ただし、戦える者はその場に残り……一分でも長く、木の葉の足止めを命じなさい」
「了解」
続けて、もう一人の暗部に、
「暗部ろ班は周辺諸国を中心とした各同盟国への連絡。急ぎ、霧の里へ召集をかけなさい」
「討伐隊の手配は如何致しましょう? 奴らは既に水の国へ踏み入っています。いくら木の葉の忍といえど、水上での戦いは我ら霧に分があるかと思われますが……」
しかし、メイはその意見に首を振り、
「いいえ。今から討伐隊を編成しても、救援には間に合いません。それに広大な海の上での戦闘は、木の葉の忍達に対しても大した痛手を与えられず、最終的には散り散りに逃げられてしまうのが落ちでしょう」
「では、どのような采配を?」
「木の葉を潰す策は既に整えてあります。これまでの二の舞を演じるつもりはありません。彼らには木の葉創設以来、初めての敗北を味わってもらいます……私の名を使って構いません。同盟国への召集を急がせなさい! 水の国の総力をもって、木の葉を迎え討ちます!」
「はっ!」
暗部達が一つ返事で、迅速な行動に移る。
それを見送ってから、メイはイタチに顔を戻し、
「アナタの思惑通り…といったところでしょうか……うちはイタチ」
「……さて、な」
イタチは無表情に、しかしどこか濁らせた声音で返事を返した。
そんな相手に、メイは話を進める。
状況が変われば、意見も変わる。
「暁への依頼料……いくらかお聞きしても」
「一千万両。オレと鬼鮫の二人で二千万だ」
二千万両。
それは普通の任務報酬では決してあり得ない、法外な金額であった。
カップラーメンが、一杯十両。
それの二百万倍。
どう考えても支払える金額ではない。
だというのに、メイはあっさりと頷き、
「わかりました。戦争が終結次第、私のポケットマネーから支払います。それでよろしいのですね?」
「それで構わない……交渉成立だ」
成立してしまった。
一時的とはいえ、暁との共闘が。
最初の殺伐とした局面から、百八十度打って変わった帰結に、ナルトは唖然として……
しかし、周囲の対応は早かった。
鬼鮫が待ってましたと、言わんばかりの顔で、
「まさか、このような形でアナタ方と手を組む事になろうとは……いいでしょう。この私が直々にレクチャーして差し上げますよ」
などという発言に、再不斬が動く。
無音歩法で鬼鮫の背後に回り込み、
「レクチャーされんのは、てめェーだ!」
無防備な尻に蹴りを入れた。
鬼鮫は再不斬に蹴り返しながら、顔だけをイタチに向けて、
「イタチさん。ここからは予定通り別行動で構わない…ですよね?」
「ああ……ここは鬼鮫、他ならぬお前の故郷だ。誰かに縛られるより、お前も好きに動き回った方が力を発揮し易いだろう」
「クク……よくわかっていらっしゃる」
という返事を残して、他の忍刀七人衆といがみ合い、罵り合いながら、その場をあとにする。
霧隠れの最強部隊が奇しくも揃ったのだ。
連携を取らない手はない。
長十郎はメイに伺い立てた後、
「ぼ…僕も忍刀七人衆の…端くれですので」
再不斬達のあとを追い、
「再不斬さん、お供します」
ハクがそれに続いた。
そんな光景を。
ナルトはただ呆然と眺めていた。
まだ頭の整理がついていなかったから。
木の葉との戦争。
暁との共闘。
どれもこれもイレギュラーばかりで。
荒唐無稽な話ばかりで。
現実味がまるで湧いてこなかった。
戦争になる。
知識としては理解できている。
だけど、心の方がそれを拒んでいた。
暗く、先の見えない、答えのない道。
出口のない迷路の中を、永遠と彷徨う。
そんな錯覚を受け……
だけど、このまま一人でいると、本当に出られなくなりそうで……
だから、
「ま、待つってばよ! オレも……」
皆を追いかけようとした……
その時。
「ナルトくん、少し時間をくれないか。キミに話しておきたい事がある」
イタチが声をかけてきた。
ナルトは後ろを振り向き、
「ん?」
しかし、その会話はメイによって遮られる。
「うちはイタチ。暁に所属するアナタを、ナルトと二人きりにさせるとお思いで?」
「それは違います、水影。いや……水影様とお呼びすべきか」
「今更呼称など変えて……何のつもりです」
怪訝そうな表情でメイが尋ねた。
それにイタチは、
「ナルトくんには、あくまで話を聞いてもらいたいだけ……オレが本当に話しておきたい事があるのは、水影様……アナタです」
「私に?」
メイは警戒の色を強くする。
すると、次の瞬間。
イタチが信じられない行動に出た。
あれほどまでに圧倒的な力を見せつけたイタチが、メイに頭を下げ、
「お願い申し上げます。どうか木の葉との同盟条約を、今一度考え直して頂きたい」