木の葉との同盟。
それはナルトの願いでもあった。
あの里には、サスケやサクラたちがいる。
争いたくないのが本音。
だけど……
「何故アナタがそのようなことを言ったのかはわかりませんが……不可能です」
メイはきっぱりと、そう言った。
当たり前だ。
もう戦争一歩手前まで状況は進んでいる。
今さら同盟など……
が、イタチはなおも食い下がり、
「全てを水に流すことは望みません。こうなった以上、もはや木の葉の蛮行は霧にとって赦し難いものでしょう。ですが、お許し頂ける範囲で構いません。今一度木の葉の里に挽回の機会をお与え頂きたいのです」
その言葉にメイは首を傾げる。
「どうして暁のアナタがそのような事を?」
おかしいのだ、何もかも。
テロリスト集団の暁がこんなことを嘆願する意味もなければ、理由もない。
すると、イタチの視線がメイの後方にズレる。
「ここからの話は、あまり人に聞かせたくない……」
そこには里長を守るため、数名の暗部がこの場に止まっていた。
メイは一瞬逡巡する素振りをみせた後、部下たちに命じる。
「アナタたちは下がりなさい」
しかし、暗部は首を横に振り、
「お言葉ですが水影様、それは出来ません。我々の役目は貴方を御守りすること。このような危険人物を野放しにしておくわけには……」
「その私がいいと言っているのです」
「しかし……」
「私としても暁を信用したわけではありません。いつ手のひらを返されるかもわからない。だからこそ、そんな彼らの情報は一つでも多く知っておくべきなのです。アナタ方には他にやるべき事があるでしょう。こちらは心配いりません」
「…………」
暗部たちは暫く動けないでいたが、メイの決定を覆すことはできないと悟るや、音すら立てずにその場から消えた。
それを見届けてから、イタチが口を開く。
「ご協力頂き、感謝します」
「先ほども申し上げた通り、私はアナタ方を一切信用しておりません。妙な真似をすれば、その時は命はないとお思い下さい」
メイの忠告にイタチは無言で頷く。
そして、万全を期すように再度周囲の気配に気を配りながら、衝撃の事実を口にした。
「オレは暁の一員……という面を被ったスパイだ」
「スパイ? それをどうやって証明するおつもりで?」
もしイタチが本当に暁のスパイなら、今の不可解な言動も理解できる。
しかし、そんなことをすんなりと聞き入れるほどメイは甘くない。
相変わらず油断ならない視線を向ける彼女に、イタチはゆっくりと目を閉じ、
「信用してもらうには全てを話す必要があるな……」
開いた瞳の奥には、目の前に立っているナルトやメイの姿はなく、遠い過去を探るようにイタチは語り始めた。
「オレは元木の葉の暗部に所属していた。ちょうどキミと同じ年頃の話だ」
一瞬ナルトに視線を向けた後、イタチは昔話を続ける。
「木の葉の平和を願っていた。だがある日、里に不満を募らせたうちは一族がクーデターを起こそうとする」
「くーでたー?」
「大きな組織に力で政変を起こし、革命を促す手段のことです」
首を捻るナルトに、言葉の意味を説明するメイ。
イタチは同意するように頷き、
「そして、それを知ったオレの親友。うちはシスイはある瞳術を用いて、クーデターの首謀者でもあった…オレの父、うちはフガクの説得を試みる」
「うちは瞬神のシスイですね」
メイの問いにイタチはそうだと応え、
「だが、それはダンゾウの手で阻止される」
その言葉に聞き手に回っていたナルトは思わず声を上げた。
「なんで!?」
今の話からすれば、シスイは争いを止めようとしていたわけで……
協力する理由はあっても、邪魔をする理由はどこにもないはずなのに。
その当然の疑問に、イタチが応える。
「ダンゾウは言葉を信用する男ではない。三代目と違い、言葉で分かり合うのではなく、力での制圧を望んだ。シスイと同じ、影から平和を願う忍だが、その言動は真逆だった」
確かに、クーデターを起こそうとするまでに至ったのだ。
話し合いだけで解決するのは難しかったのかもしれない。
けれど……
「そして、とうとう我慢できなくなったうちは側が、クーデターを引き起こそうとなった時、ダンゾウからオレにある任務が下された」
「ある…任務?」
「うちは一族の――抹殺だ」
その言葉にナルトは声にならない息を呑んだ。
隣ではメイも同じように目を見開いていた。
うちは一族であるイタチに、同じ一族を皆殺しにしろ。
同じ一族だ、家族だけじゃない。
友達や仲間、恋人だっていたかもしれない。
それら全てを自らの手で殺せ。
そんな血も涙もない残酷な命令を、木の葉は下していたのだ。
いくら里の任務でも、そんなことできるわけがない。
しかし、実際にうちは一族は一夜にして滅びの道を辿っている。
当時、周囲の環境に無頓着だったナルトでさえ、何度も耳にしたことのある事件。
つまり……
イタチは淡々と告げた。
「悩みに悩んだオレは、その任務を遂行した。ある条件を付けて、な」
顔色一つ変えずに、平然と話すイタチ。
心の内で何を考えているのか、ナルトにはまったく読めないが、それでも、そんなイタチにむしゃくしゃした。
怒ればいいのか、泣けばいいのか。
目を背けたい気持ちを抑えながら、ナルトは訊いた。
「ある条件……ある条件ってなんだってばよ」
そのナルトの問いに、やはりイタチは当然のように応えた。
「オレの弟――うちはサスケには手を出すな」
突きつけられた答えに、ナルトは今度こそ言葉を失った。
何故なら、その名前は自分もよく知る人物だったから。
終末の谷での激闘を思い出す。
サスケに兄弟がいたなんて聞いたこともなかった。
改めて、目の前に立っている男の顔を見る。
サスケと同じ眼、写輪眼を持つ忍。
もし、いま言ったことが本当のことなら、イタチは、弟のため、サスケのために全てを捨てたのだ。
一族を、里を、家族さえも……
「これを守らなかった場合、非同盟国に木の葉の情報を流す。そうダンゾウに脅しを告げ、オレは以前から脅威と警戒していた組織、暁に木の葉のスパイとして潜り込んだ」
これが、全て。
同胞殺しと忌み嫌われ、最強の瞳術使いにして、真の写輪眼継承者。
世界最恐の戦闘集団、暁に所属するうちはイタチの真実だった。
冷たい風が三人の間を横切る。
しばしの静寂の後。
殺気を完全に引っ込めたメイが、それでも警戒の姿勢だけは崩さないまま、イタチに問いかける。
「どうして最初から木の葉側に付かなかったのです? 今ならナルトを捕らえることができるかもしれませんよ」
という挑発的な発言に対し、イタチは相も変わらぬ無表情で、
「争いが長期化すれば、勝敗の有無に関わらず、木の葉は滅びを迎えることになる。それほどまでに今の木の葉は危うい。弟を助け出し、木の葉を守る方法はただ一つ。霧に加担し、一日でも早く戦争を終結させること。それ以外に残された道はない」
その回答にメイは満足そうに微笑み……
続けざま信じられない提案をした。
「やっぱりうちは一族はいい男ばかりね……アナタ、私のものにならない?」
突然の勧誘。
なんの前触れもなく、それどころか先ほどまで殺気を飛ばし合っていた相手にもかかわらず、メイは戯言のような話を、冗談抜きで話していた。
これにはさすがのイタチも少しばかり驚いた表情を見せたが、
「有難い申し出ですが、オレは木ノ葉のうちはイタチです」
きっぱりとした口調で断った。
隣ではメイが残念といった表情を隠そうともせず、悔しそうにしている。
どうやら本当にイタチのことが気に入ったらしい。
だけど……ナルトがイタチに抱いた感情は、メイとは違ったものだった。
「どうして……」
ナルトは言った。
「なんで、自分の仲間を殺したんだってばよ」
ふつふつと黒い感情が溢れ出てくる。
そんなナルトを諫めるように、メイはナルトの肩に手を置き、
「ナルト、イタチの話はおそらく真実です。私が独自に集めていた情報とも、いくつも一致していますし……」
「違う!! こいつの言ったことが嘘か本当かなんてどーでもいいことだってばよ!」
置かれた手を振り払い、指をビシッとイタチに突きつけ、
「オレはてめェーが気にくわねェ!」
「…………」
敵意を向けられても、イタチは何も言わない。
「なんで木の葉なんかの言いなりになってんだ。お前ってば、強ぇんだろ。なのに、なんでそうなんだ! オレと違ってやり返すことだってできただろォ!」
そうだ。
イタチは強い。
木の葉の突きつけてきた理不尽な命令など聞く必要もなかったのだ。
にもかかわらず、里の命令に従い、よりにもよってそんな里を護るために、自分の家族を……
ナルトが欲しくて、欲しくてたまらなかったものを、こいつは……
と、そこで初めてイタチが反応を示す。
「木の葉が憎いか?」
「う……」
たった一言で、言葉が詰まる。
憎くない、といえば嘘になる。
だけど、イタチの前で、里のために全てを捧げた忍の前で、そんなことを軽々しく言えるわけもなく……
うつむくナルトに、イタチが言う。
「キミに木の葉を恨むなと言うつもりはない。オレにも思うところがないわけでもない。だが、どんなに里が闇を抱えていたとしても、オレは――木ノ葉のうちはイタチだ」
ナルトは顔を上げ、イタチを見た。
影から平和を支える木ノ葉の忍。
そんな忍の生き様をありありと見せつけられて……
ああ、なんて凄ぇ奴なんだ。
心からそう思った。
敵わないと思った。
忍術や幻術とは違った、本当に強いって言葉の意味を知っている。
うちはイタチとはそういう忍なのだと、心から思い知らされた。
だけど、そんなイタチにもう一つ訊いておかなければいけないことがあった。
「サスケはいま復讐のために生きてる。たぶんあいつが殺したい奴って……」
わかりきったナルトの問いに、イタチは考える間もおかず、
「あいつの両親を目の前で殺したオレのことだ」
あっさりと応えた。
悲痛な顔を浮かべるナルトとは裏腹に、イタチの顔は無表情のままだった。
全て、覚悟の上なのだ。
里のために、一族を手にかけたことも。
全てを投げ打ち、命を救った弟に自分が恨まれることも……
「そっか……」
ナルトはその答えに、何も言えなかった。
納得いかないことだらけだったけど、今の自分がイタチに言えることは何もないと、頭ではなく、心が理解してしまったから……
だけど……
「それだけ聞けりゃあ、十分だ」
口では何も言えなくても、やれることはある。
霧の忍であるナルトだからこそ、できることが。
「なら、ダンゾウはオレがぶっ飛ばしてやる!」
戦争の首謀者でもある男。
サスケやイタチの分まで殴り飛ばして、霧と木の葉の戦争なんて、オレがぱぱっと終わらせてやる。
そう、意気込もうとしたナルトの勇み足を……
「いや、ダンゾウはオレが殺る」
目の前の男が断ち切った。
一片の反論も立ち入らせない決断。
強い眼差しで語るイタチに、メイが問う。
「一族の仇討ちですか?」
しかし、イタチは首を横に振り、
「うちはの仇を討つのはサスケだ」
そのまま視線をナルトに戻す。
「それからナルトくん。キミは戦争を甘く見すぎている」
唐突な忠言。
しかし、その発言を聞いたナルトは心外だと言わんばかりに拳を握り、
「どーいう意味だってばよ! オレってばこれでも結構強ぇんだぞ。さっきの戦闘だって……」
「確かに、キミの実力には目を見張るものがあった。だが、強力な忍術が扱えることと、戦場で戦果を上げることはまったく別の問題だ」
たしなめるようにイタチが言う。
「オレが忍の争いに初めて身を投じたのは四歳の頃、第三次忍界大戦が勃発していた時だ。そこで見た光景は悲惨な一言だった。戦争なんて大義名分を掲げながら、自分たちがどうしてその場にいるのかすら理解していない者ばかり……当たり前のように、意味もなく人が死ぬ。それが戦争だ」
イタチの鬼気迫る迫力に、思わず唾を飲み込むナルトだが、
「だけど、殺らなきゃ殺られる。もう木の葉は戦争を仕掛けて来てるんだろ? だったら……」
「だったら、キミに人が殺せるか?」
イタチの何気ない一言に、心臓が鷲掴みにされる。
さらに続けて、
「しかも相手は大人だけじゃない。今のキミより、さらに歳の小さな子どもだっている。そんな子をキミは躊躇なく殺すことができるか?」
あんまりの滅茶苦茶な言い分にナルトは怒りを滲ませ、
「ふざけんな! そんなことできるわけがねーだろ!」
だけど、イタチは当たり前のように言う。
「なら、死ぬのはキミだ」
「なっ……!?」
「仮にその場では互いに生き延びたとしても、その逃げ延びた子どもは確実に霧を恨み続けるだろう。なるほど、子どもは殺さない。確かに正しいことかもしれない。なら――」
「な、なんだってばよ……」
「数年後、その子がキミの仲間を殺しに来た時、キミはどうする?」
「…………」
今度こそ、ナルトは何も言えなくなった。
仲間が、再不斬が、ハクが、長十郎が……死ぬ?
そんなこと許せるわけが……
「覚えておくといい。戦争では殺さなかった敵の数だけ味方が死ぬ」
凍りついた表情をするナルトに、イタチは少し優しい声音で語りかける。
「忍には、誰しもその時、その時代にあった役割というものが存在する。キミにはキミにしかできないことが、オレにはオレにしかできないことがある。闘うことだけが全てではない」
イタチはこちらを真っ直ぐ見据えて、
「ダンゾウは間違いなくキミの中の九尾を狙っている。もし、その膨大なチャクラが向こうの手に渡れば、今回の紛争はより拡大し、両里にとって悲惨な終末を決定づけるだろう。キミにこの場に残ってもらったのはそれを知っておいてもらうためだ……」
そして、再びメイに向かって頭を下げ、イタチは言う。
「水影様。此度の木の葉の侵略は決して里の総意ではありません。無論、赦されざる蛮行であることに変わりがないのも重々承知の上でお願い申し上げます」
「なんでしょう?」
「戦争の首謀者、愚昧極まる現火影の首。それを以て、争いに終止符を打って頂きたい」
「自分が何を言っているのか、お分かりで?」
メイの余談を許さない声音に、イタチは願い続ける。
「一人の木の葉の忍として、恥を忍んでお願い申し上げます。終戦後、オレ個人にできることであれば、霧に一切の助力を惜しみません。どうか……」
里のため、木の葉のために頭を下げ続けるイタチに、メイがとうとう折れた。
「私にもできることと、できないことがあります」
「っ……」
「私にできることは争いに区切りをつけた後、木の葉に傷跡が広がらないうちに降伏を促すこと……それぐらいですが……それでもよろしいのですか?」
「っ……!? 感銘に言葉もありません。ご温情、感謝します」
霧と木の葉。
両里のため、命を懸けて闘おうとするメイとイタチ。
そんな二人を、ナルトはただ眺めていることしかできなかった。