黒い鳥。
無数のカラスが間延びした鳴き声を上げ、あちらこちらへ飛び交う。
その中心。
飛びながら円を描くカラスたちの中心に、一人の忍が座るように腰を下ろしていた。
黒い忍装束を身に纏った男。
イタチは高い断崖絶壁の上から、各戦場を見回していた。
諜報に放っていたカラスたちから、戦況の報告を聞く。
どうやら鬼鮫の方も動き出したようだ。
イタチはカラスの目から情報を読み取りながら。
かつて木の葉に向かった時、彼が自分に言った言葉を思い出す。
“故郷には、やはり未練がありますか? アナタでも”
あの言葉の深層心理は、おそらく鬼鮫本人にも理解できていないだろう。
“アナタでも”ということは、鬼鮫自身、霧に未練があると言っているようなものだ。
その証拠に……
「……ふっ」
イタチは自分の口元を僅かに緩める。
霧の忍とともに戦場を暴れ回る鬼鮫の顔は、まるで子どものように生き生きとしていた。
だが、いつもでも傍観者でいるわけにはいかない。
「オレは、オレの役目を果たさなくては」
やはり、戦場のどこを見回しても、ダンゾウの姿は見当たらなかった。
つまり……
ここにいる千を超える木の葉の忍たちは、全員捨て駒というわけだ。
ダンゾウが裏に回り、九尾を奪取するまでの時間稼ぎ。
しかし、
「奴の思い通りに、事を進めさせるわけにはいかない」
ダンゾウのやっていることは……
ある意味正しい。
だが、正し過ぎる。
「そのやり方では、誰も救われない」
イタチは一人呟き、その場から姿を消した。
場面は戻り……
里の外れにある小さな森。
ナルトとハクの二人は、少年の遺体の前で静かに手のひらを合わせていた。
本当は今すぐ少年の親に伝えるべきなのだろうが、そんな時間はない。
戦争中だ。
一分、一秒が惜しい。
だから、遺体は森の草むらに隠し、ナルトたちは行動を開始することにした。
「オレたちも戦場に向かうってばよ」
静かに告げるナルト。
しかし、ハクはその場を動かず、冷静な口調で言った。
「待って下さい。まずは作戦を立てましょう」
それにナルトは、平坦な声音で、
「作戦? そんなもん移動しながら決めりゃーいいじゃねーか」
だが、ハクは言った。
あくまでも冷静さを失わない声音で、
「ナルトくん。戦いの基本は覚えていますね?」
「……相手の力を見極めて、自分の有利な場面で勝負を決める」
「その通りです。では次に、戦争の基本は覚えていますか?」
「…………」
ナルトは言葉に詰まった。
習った気もしないでもないが、さっぱり思い出せない。
それに、いつもより頭も上手く回らない。
何もしていなくても、木の葉に対する激情が膨れ上がって……
すると……
ハクが抑揚のない声音で言った。
「戦争の基本は、弱いところから崩す。これが一番手っ取り早い方法です。例えば……力のない子どもを人質に取る、とか」
その言葉に、ナルトは歪んだ表情を見せる。
拳に力を入れて、
「何、言ってんだ……まさか、木の葉の連中が正しいって言うつもりか」
が、ハクは首を横に振る。
徹底した口調で、ナルトにもわかるように説明する。
「確かに、木の葉の行いは非道そのもの。嫌悪すべき行いです。ですが、戦術としては何も間違ったことはしていない。それは……ナルトくんにもわかりますよね?」
それは……悔しいがナルトにも理解できた。
実際、普通に戦えば普通に勝てる木の葉の忍に、ナルトは翻弄され続けていたのだから。
そして、もう一つわかったことがあった。
普段のハクは、冗談でもこんなことを口にしない。
戦術として、いくら正しかろうと、子どもを人質に取ることが正しいなどと。
決して口にする人物ではない。
つまり……
それほどまでに、怒っているのだ。
木の葉の所業に。
彼らの蛮行に。
怒っているのは、ナルトだけではなかった。
ハクも同じなのだ。
それでも冷静さを保とうとしているハクを見て、
「ふぅー……」
ナルトは大きく息を吐き、はやる気持ちを押し留めた。
スイッチを、オフにする。
焦っても結果は変わらない。
今は仲間の話に、耳を傾けるべきだ。
ハクが続ける。
「ですが、それは戦争に勝つ方法ではありません」
ナルトは首を傾げ、
「勝つ方法じゃない? どういうことだ」
「昔、僕がこんなことを言ったのを覚えていますか? もし僕に、ナルトくんと同じぐらい膨大なチャクラがあったら……という話です」
ナルトはポンッと手を打ち、
「あー、それは覚えてるってばよ! えーと……なんだったっけ?」
「もし僕にナルトくんほどのチャクラがあれば、敵と戦闘になった際、自分は安全な場所に隠れて、永遠と影分身を送り続ける……という話です。まあ、ナルトくんはカッコ悪いから嫌だとおっしゃっていましたが……」
あー、そうだ。
あの時はそれを聞いて、ハクも結構えげつないことを考えるなー、などと心の中で呟いていた。
ナルトが頷いたのを見て、ハクが指を立てる。
「ここで先ほどの話に繋がるのですが、戦争に勝つ一番の方法は、単刀直入に言ってしまえば、“相手と殴り合いをしない”。これが確実な方法です」
それに、ナルトはさらに首を傾げる。
「ん? でも、相手を殴らねーと勝てねェじゃねーか」
しかし、ハクはそれを否定する。
「違いますよ、ナルトくん。殴らないのではありません。一方的にこちらが殴るのです」
「んん?? なぞなぞ、か?」
「いえ、言葉通りの意味です。よく戦争は生き物だ、などと比喩されて言われますが。では、その戦争を動かしているのは誰だか……わかりますか?」
「そりゃあ、リーダーだろ」
ナルトの解答に、ハクは頷きながら、
「はい。ですが、木の葉のリーダー。ダンゾウの処分は五代目様が直々に下すでしょう。僕らが行っても邪魔にしかなりません」
「……そうだな」
ダンゾウの相手をしているのは、メイではなく、イタチだ。
あの話を聞いたナルトだからこそ、知っている事実。
が、流石のナルトも、イタチの邪魔をしてまでダンゾウに突撃しようとは思わない。
なら……
「では、ダンゾウ以外の人物で、一体誰がいなくなれば、木の葉の忍が混乱するのか……わかりますか?」
「そりゃあ……」
腕を組み、頭を悩ませる。
拷問という名の勉強会で得た知識を総動員させて、ナルトは答えた。
「あー、作戦を決めてる奴。えっと、サンバ……じゃねえ! 参謀だッ!」
すると、ハクが美少女顔負けの微笑みを浮かべて、
「はい! 正解です、ナルトくん!」
と、言った。
両手の指を合わせ、満点の笑みを浮かべて。
少し喜び過ぎではないだろうか。
問題をたった一問正解しただけで。
普段、自分は一体どれだけアホだと思われてるのやら。
ナルトは僅かに顔をしかめ、半眼の目を向ける。
そして、ハクが何食わぬ顔で言った。
「僕たちが狙うのは、木の葉の軍勢ではなく、裏で指揮を執る者。情報伝達を担っている忍。その一点に絞りましょう!」
「……わかったってばよ。オレたちの参謀はハクだからな!」
ようやく作戦が決まった。
すかさずナルトは十字に印を結び、術を発動する。
「影分身の術!」
煙とともに、五人の分身が出現した。
「んじゃ、まずは分身たちにそれらしい奴がいねーか探らせるぞ」
すると、ハクは少しだけ悩んだ表情を見せてから、
「……そうですね。そっちの方が情報を集めるのには適しているかも知れません」
と、出撃の許可も下りたところで、ナルトは分身たちに指示を出す。
「よし、敵の情報を集めてきてくれ!」
「「「おう!」」」
元気よく返事を返した分身たちが、その場から姿を消した。
そして……
十分後。
ナルトは頭を抱えていた。
「どうなってんだってばよ!? 分身が全員やられたぞ!」
分身が得た経験は、消えた直後、ナルトの頭に送り込まれる。
彼らは戦場に出た瞬間、数多くの忍に囲まれ、戦闘を強いられていた。
情報を集めるどころではない。
しかし、そんなナルトの姿を見て、ハクが当たり前のように言った。
「やはり、狙われているのはナルトくんのようですね」
「ああ、分身の一人一人にすげぇ人数が襲いかかってきて……何人かは返り討ちにしたみてーだけど」
「……そんな状況で、よく十分も持ちこたえましたね。消えるのが遅すぎて、木の葉の狙いが別にあるのかと、逆に不安になりましたよ」
そう言われて、ナルトも納得する。
狙われているのは自分なのだと。
正確に言えば、ナルトの中にいる九喇嘛を木の葉の連中は狙っているのだ。
それを改めて痛感した。
やはり木の葉との和解はもう無理だと……
「分身はどこで襲われました? 森を出てすぐでしょうか?」
ハクの問いに、ナルトは首を横に振る。
「いや、森から出た後も、暫くの間は見つからなかったってばよ。分身もできる限り、見つからねーように動いてたし」
「なるほど。それほど広い範囲での探知はされていないみたいですね」
そう言いながら、ハクは懐に手を入れ、巻物を取り出した。
そして、その巻物の地図を広げ、四つの地点に印をつける。
それからこちらに目を向けて、
「ナルトくん。今度はこの位置を探ってもらえますか」
「ここに参謀がいるのか?」
「はい。十中八九います」
しかし、ナルトは首を傾げる。
「なんで、ここにいるってわかるんだ? 敵の姿も見てねーのに」
「隠れている忍を見つけるコツは、人を探すのではなく、隠れそうな場所を見つけることです。相手が手練れの忍であればあるほど、最適な場所に身を隠すものですから」
「なるほど……」
ナルトはハクの説明に舌を巻いた。
こんなことまで瞬時に思いつくとは……
そんな感想を抱きながら、再び印を結び、術を発動した。
「影分身の術!」
ボンッ! という、音とともに四人のナルトが現れる。
だが、このままでは先ほどの二の舞だ。
続けて、四人の分身が印を結び、
「「「変化の術!」」」
白い煙が、その身体を覆い隠す。
暫くして、そこから姿を見せたのは……
「「…………」」
「「…………」」
かつてのナルトたちの同胞。
二人の鬼兄弟。
兄の業頭と弟の冥頭であった。
これでナルトの正体が敵にバレることもない。
会心の変化を見届けてから、ナルトは指示を出す。
「よし、任せたってばよ!」
「「「…………」」」
四人の鬼兄弟が無言で頷き、それぞれ四つの方向へ姿を消した。
そして……
数分後。
今度は自発的に消えた分身たちの記憶が、ナルトの中に流れ込んできた。
それに、ナルトは顔を引き締める。
頭のスイッチを切り替える。
「見つけたってばよ」
隣では、ハクも身体に緊張を巡らせていた。
ここからは本番だ。
ハクと話したせいか、どこか緩んでいた気持ちを、今一度強く締め上げる。
ここからは殺し合いだ。
ナルトは分身たちから送られた記憶を元に、頭の中に戦場の地図を描く。
準備は整った。
二人の忍は互いに顔を合わせ、
「行くぞ、ハク」
「はい」
その場から駆け出した。
戦場となっている湿地帯。
それを囲うように存在する山のような崖の上。
そこを二人の忍が駆けていた。
他の忍と遭遇しないよう、傾斜のキツい東側を回るように裏取りする。
そして、ポイントBに辿り着いた。
三人の忍の姿が見える。
木の葉の額当てをつけた特徴的な三人組。
それは、どこかシカマルたちを連想させる風貌をしていた。
「…………」
「…………」
ナルトとハクは無言で頷き合う。
そして……
躊躇なく、敵の死角から術式クナイを投擲した。
それは音もなく、生い茂る枝葉に触れもせず、真っ直ぐにターゲットへ。
薄い金髪の男へ向かっていき……
瞬間。
ナルトが消える。
飛雷神――
瞬間移動で、その男の背後を取り……
手に持つ別のクナイに風遁を纏わせ……
「飛雷神斬り!!」
容赦なく薙ぎ払った。
男は、
「ぐはっ……!」
呆気なく絶命する。
背後からの奇襲に気づく間もなく、地面に斃れ伏した。
山中一族の秘伝忍術には、脳を通じて、離れた味方と連絡を取り合うものがある。
そのため、迅速に処理する必要があったのだ。
これで、連絡手段は潰した。
が、そこで。
もさもさとした赤髪に、丸々と太った巨漢の男が叫び声を上げた。
「き、貴様ァ!」
ナルトの存在に気づいた、残りの二人が一斉にこちらを向く。
そして、もう一人の、頭の髪を後ろに結った奈良一族の男が、
「化け狐ェ! よくもォ!」
印を結び、術を使おうとしたところで。
突如。
空気が凍てつく。
ナルトに注意が逸れた瞬間、彼の頭上から氷の鏡が現れて……
「秘術・千殺水晶!!」
無数の水の刃が降り注ぐ。
二度目の奇襲に、なすすべもなく、奈良の忍は無防備な身体に洗礼の刃を受けた。
傷口から血をしたらせた男は、
「……くそ」
無念の表情を最後に、地に伏せる。
が、まだ敵は残っていた。
秋道一族の忍が、肉がはち切れそうな顔をナルトに向け、
「木の葉をなめるなああ!!」
術を発動してきた。
筋肉が盛り上がる。
「部分倍化の術!!」
巨大化した腕がナルトに伸び、いともたやすくその身体を鷲掴みにした。
まるで、そのまま捻り潰すような勢いで。
しかし……
「…………」
ナルトの眼は冷めていた。
碧眼に一切の感情を映さず、殺意すら見せず、ただただ出荷させる前の豚を見る瞳で……
「分身大爆破」
瞬間。
爆破。
ナルトの身体が、チャクラの暴発とともに爆発し、木の葉の忍にゼロ距離からの人間爆弾を叩き込む。
血飛沫とともに、一本の腕が宙を舞った。
痛みによる絶叫が響き渡る。
「あ、ああああ! う、腕がああぁあ!?」
激痛でのたうち回る木の葉の忍に、ハクが暗い声音で囁いた。
「いま楽にして差し上げます。どうか恨まないで下さい」
次の瞬間。
氷でできた無数の刃が、その巨体を刺し貫いた。
「…………」
三人の、物言わぬ骸が転がる。
戦闘終了。
と、そこで。
「…………」
金髪碧眼の少年が姿を現す。
ハクがナルトの顔を見て、
「結局、本体のナルトくんには出番がありませんでしたね」
「そうだな……」
移動中、ナルトたちはいくつかの作戦を決めて、ここへ乗り込んだ。
結局のところ、最初のパターンが全て上手くいったおかげで、残りの作戦を披露する機会はなかったのだが……
しかし、これで。
木の葉の死体を見下ろしながら、ナルトは言った。
「木の葉の頭は潰した」
ハクが地図に印をつけた四つの地点。
A〜Dのうち、木の葉の忍がいたのは、B地点の一箇所のみ。
そして、その小隊はナルトたちが斃した。
ハクが頷く。
「これで木の葉の指揮系統は著しく混乱を極めるでしょう。そして、統率の取れない木の葉の忍たちは、瞬く間もなく霧の忍に包囲され、網にかかる」
それは、事実上の勝利宣言であった。
ここから戦況を覆すのは、ほぼ不可能。
そう、ほぼ不可能。
絶対ではない。
だから……
「…………」
崖の上から下を覗き、戦場を見渡す。
そこには何人、何十、何百の忍たちが戦闘を繰り広げていた。
そんなナルトの横顔を見ながら、ハクが、
「行くのですか?」
と、訊いてきた。
ナルトは振り返らず、言葉で応える。
「ああ、行くってばよ」
すると、ハクは戸惑いながらも、どこか覚悟を決めていたような声音で、
「本来、僕はナルトくんを止めなくてはいけないのでしょう。ですが、僕にはその資格がありません。何より……ナルトくんを止めるすべがない」
「…………」
「ですから、これだけは約束して下さい」
そこで、ナルトはハクの方を振り向く。
ハクが言った。
「多くは望みません、ただ一つだけ。必ず、生きて帰ってきて下さい」
「……わかってる。約束だ」
続けて、ハクが言う。
「それと、僕も少しやりたいことができました。もしチャクラが余っているようでしたら、ナルトくんの力を貸して貰えないでしょうか?」
「ん? やりたいこと?」
「はい。負傷者の人々を戦場から逃したいのです。ですが僕一人ではどうにもならないので、できればナルトくんの分身を貸して頂ければ……」
その言葉にナルトも賛同の声を上げる。
すぐさま印を結び、術を発動した。
「ん! それぐらいお安いご用だってばよ! 多重・影分身の術!!」
チャクラのうねりとともに、三十人近い数のナルトが自然の中に現れた。
「これでいけるか?」
「はい、十分です。ありがとうございます」
「そんじゃ、さっくと終わらせてくるってばよ」
と、崖から飛び降りようとしたナルトに、ハクが念を押して言う。
「忘れないで下さい。敵を殺すためではなく、仲間を助けるために戦うのだと」
ナルトは頷き、頑張って笑顔を張りつかせる。
ちゃんと自分が笑えているのか、わからない。
だけど、ハクを不安にさせるわけにはいかない。
なんとか笑みを浮かべて、ナルトは拳を突き出し、
「自分の言った言葉は曲げねェ。それがオレの忍道だ! オレは死なねーし、誰も死なせねェ。全員連れて、帰ってくるってばよ!」
二人の拳が合わさる。
これで約束を破るわけにはいかなくなった。
なら、全部守るだけだ!
再び、ナルトの視線が眼下に向けられる。
碧眼の瞳が、忍の目に。
そして……
閃光が――戦場に舞い降りた。