巨大な亀の様相を模した化け物が、ここから少し離れた戦場の地で暴れ狂う姿。
普通なら物語の中でしか見ることのできない、あまりにも現実離れしたその光景に、ナルトは、
「なんだってばよ、あれ……」
唖然とした表情で、そう呟いた。
自分の見ているものは幻ではないのかと、袖で目元をこすり、瞬きをする。
けれど、瞳に映る光景は紛れもない現実で、その証拠に腹の中でナルトと同じものを見ていた九喇嘛がぴくりと耳を動かし、意味深な言葉を口にした。
『このチャクラ…… 磯撫か』
いそぶ?
聞いたことのない名前に、ナルトは首を傾げながら、
『知り合いか?』
と尋ねると、厳めしい顔色で九喇嘛が応える。
『三つの尾を持つチャクラの集合体。ワシと同じ尾獣だ』
び、尾獣!?
返ってきた答えに、思わずのけ反りそうになりながら、
『なんで尾獣がこんな所にいるんだってばよ!?』
半ば叫ぶような形でナルトが訊くと、九喇嘛が、
『さぁーな。ま、腐った人間どもの考えることだ。おおよその予想はできるがな』
と言った。
気怠そうな声で。
でも、どこか恨めしい声で。
それにナルトは目を細めて、
『これも木の葉のしわざかっ!』
吐き捨てるように言った。
またアイツらが……
木の葉の連中は、ナルト以外の人柱力も戦争の道具として利用しようとしている。
その事実に、
『くそっ……』
どうしようもなく怒りが込み上げてくる。
霧と木の葉の両方を救うことなんて、やっぱり無茶だったのではないかと、自分で選んだ選択に一抹の不安を覚える。
が、そこで。
『呆けている暇はねーぞ、ナルトォ』
思考の渦に九喇嘛が割り込んできて、
『三尾の奴は以前戦ったあのクソ狸よりも数段手強い。霧の忍どもには少々荷が重い相手だ』
その言葉にハッとなる。
こんな所で立ち止まっている場合ではないと、余計な考えを頭の隅へ追いやり、喝を入れ気合いを入れ直す。
それから……
『霧の忍には荷が重い? そんなことねーってばよ』
にやりと、不敵な笑みを浮かべた。
ふてぶてしいまでの笑みを浮かべながら、チャクラを練り上げ……
「オレたちがいる!」
一筋の光が戦場を横切った、途端。
景色が溶け、舞台が変わる。
予めマーキングを施していた仲間の元へ、ナルトの身体が光の速度で跳躍を行う。
と――
次の瞬間。
ナルトの目に、巨大な亀の化け物――磯撫と対峙する再不斬の背中が映った。
「わりー、遅くなったってばよ」
そう声をかける前に、飛雷神でナルトが飛んできたことに気づいた再不斬が後ろを振り返り、
「てめー、今までどこほっつき歩いていやがった!」
怒鳴るように叫んでから、すぐに身体を前に戻す。
それから切羽詰まった声音で、
「まあ丁度いい。ナルト、今すぐ飛雷神で使えねぇ奴らをここから逃がせ。オレは……」
が、その言葉をナルトが遮って、
「再不斬、こっからは選手交代だ。あとのことはオレたちに任せてくれ」
と言った。
するとそれに、再不斬がもう一度振り返る。
満身創痍の身体をこちらに向けて、
「駄目だ。あれはてめーの手に負える相手じゃねェ」
と言った。
聞き分けのない部下をたしなめる口調で。
しかし、ナルトはそれを真っ向から睨み返す。
確かに、再不斬の推測は正しいだろう。
ナルト一人では例え天地がひっくり返ろうと、あの化け物に打ち勝つことはおろか、傷つけることさえ困難を極めるはずだ。
そう、
「言っただろ、再不斬」
ナルト一人で戦ったのなら……
「オレじゃねェ」
ナルトが言う。
自信に満ちた声音で、
「オレと九喇嘛に任せてくれ」
そう言い放った己の部下に、再不斬はなおも怪訝的な眼差しを向けてきて。
だがしかし……
「やれんのか? テメェらに」
投げ返された言葉に、ナルトは力強く頷き、
「ああ」
そう応えた。
すると、口角を吊り上げ、再不斬が笑う。
口に巻かれた包帯の上からでも、はっきりと視認できるほど、顔の形を歪ませて、
「いいだろう。どの道このまま殺りあってもジリ貧だ。なら、てめーの戯言に懸けてやる」
言うや否や、手に持つ首斬り包丁を背中に戻し、
「テメェら、一旦退がれっ!」
大軍で磯撫を足止めしていた霧の忍たちに、一時撤退の指示を出す。
すると、それを聞いた者たちが一斉に戦場から後退し始めた。
数ヶ月前まで追われる立場にあった再不斬の指示に、疑うこともなく従う数百名の霧の忍たちを感慨深く眺めながら、それとなく戦況把握に務めていたナルトは、
「あれ?」
ある違和感を感じ取る。
「メイの姉ちゃんが見当たらねーぞ」
逃走を謀っていた木の葉の忍たちも、今や人影一つ見当たらないが、前線で戦っていたはずのメイの姿まで見当たらないのは、明らかにおかしい。
すると、疑問を浮かべるナルトに、再不斬が応えた。
「メイは初めにあの化け物と戦って、数分前に倒れた」
「えっ!?」
驚きの声とともに、最悪の想像がナルトの頭を過ぎる。
が、それを察した再不斬が、
「安心しろ、死んじゃいねーよ。チャクラを使い果たして倒れただけだ」
と言った。
それにナルトは、ほっと溜め息を吐く。
どうやらチャクラ切れで倒れただけらしい。
と――
ナルトが安心したところで。
突如、空から声が堕ちてきた。
「ウォォォォォォォ!!」
この世のものとは思えない、天を衝く咆哮。
湿地帯の水を吹き飛ばすほど、埒外なまでの膨大なチャクラが突風を呼び起こし、磯撫の頭上に巨大な黒い球体を出現させる。
それはどこか、螺旋丸に似た術であった。
しかし、そこに込められた力は、忍が扱う忍術とは比べものにならないほど次元を異にしていて……
「再不斬ァ! 時間がねェ。早くここから離れてくれ!」
ナルトが叫ぶと、再不斬は一瞬逡巡する素振りを見せてから、
「ここで死んだら、後でぶった斬ってやる」
と、恨み言のような激励を残して、他の忍たちとともに安全地帯へと避難を始めた。
これで戦場に残ったのは、ナルトと磯撫。
そして……
『さて、ナルト。やることはわかっているな?』
九喇嘛の問いに、ナルトは笑みを浮かべる。
こんな危機的状況にもかかわらず、まるで負ける気がしなかった。
どんどん力が溢れてきて。
『ああ』
守鶴との戦いでは、まだ使えなかった。
だけど、今なら。
扉を開けた今なら。
『わかってる――』
できると、心の底から確信できた、直後。
一撃で里を壊滅できるレベルの超巨大なチャクラの砲弾が、磯撫の口から放たれた。
が――
時を同じくして。
脈動が万象を覆す。
『――ってばよ!』
ナルトの身体から止まることを知らないチャクラの奔流が湧き上がり、金色にたなびく九本の尾が迫り来るチャクラの砲弾を軽々と受け止め、それを人気のない海の方角まで弾き飛ばした。
数秒後。
遠く離れた場所で地響きが起こり、水柱を立ち昇らせ、雨を降らす。
此処に、九尾の妖狐ありけり。
その尾の一振り、山崩れ津波立つ。
ただの一振りが地形を変える。
ただの一撃が世界を揺るがす。
人智を超えた力。
九喇嘛の人柱力であるナルトが、初めて尾獣化に成功した瞬間であった。
『やるぞ、九喇嘛ァ!』
意気込むナルトに、九喇嘛が応える。
『ナルト。尾獣化に成功したのは上出来だが、貴様の身体はまだ子どもだ。この状態は持って三十秒だと思え』
それにナルトは頷き、
『十分っ! それだけありゃー、なんとかなるってばよ』
と言うと、九喇嘛が言葉を繋ぐ。
『一撃で決めるぞ。尾獣玉だ』
尾獣玉?
知らない単語にナルトは首を傾げて、
『なんだ、それ?』
『以前、貴様がうちはのガキに幻術で捕らえられた時、ワシが使って見せた技だ。いくら覚えの悪いてめーでも忘れちゃいねーだろ』
という説明を聞いて、ナルトは顔をしかめる。
『そりゃあ忘れてねーけど……オレってば、あんな色んな意味でスゲェ術、練習すらしてねーぞ』
しかし、九喇嘛が言う。
『いや、練習なら既に終えている。任務で井戸を掘った時のことを思い出せ』
その言葉を聞いて、ナルトは頭を捻りながら記憶を呼び起こす。
たしか、九喇嘛のイタズラでとてつもなく大きな螺旋丸を作らされたような……
『元々、螺旋丸は四代目がクシナのために考案した術でもある』
『父ちゃんが母ちゃんのために!?』
『そうだ……チッ! 三尾が動き始めやがった。ナルト、悩んでいる時間はない。手を前にかざし、巨大な螺旋丸を作るイメージをしろ! 足りない部分はワシが補ってやる』
そう急かす九喇嘛に、ナルトは頷き、
『おう!』
両手を伸ばして、チャクラを圧縮し始めた。
途端、世界から色が消える。
光が集約され、超高密度なチャクラの球体が、九喇嘛の頭上で乱回転を始めた。
と――
同時に。
九喇嘛と相対する磯撫が、同じタイミングで、まったく同じ術を発動する。
戦場に二つの球体が浮かび上がり、風害が荒れ狂った。
最強のチャクラを宿す、尾獣同士の戦い。
一方的に、相手を跡形もなく殲滅できる戦術兵器。
そんな不条理を前に、しかしナルトは逃げるわけにはいかなかった。
ここで押し負けたら、里が滅ぶから。
大切な仲間がみんな死んでしまうから。
だから………
『ウォォォォォオオオオ!!』
煌めく螺旋がここ一番の輝きを魅せる。
尾獣と心を通わせた人柱力にのみ、会得することが許される忍界最強にして、最恐の忍術がここに完成した。
瞬間。
衝突。
『尾獣玉ァァ!!』
『――――ッ!!』
水の国全土に、耳を劈く轟音が響き渡る。
空を裂き、天候を塗り変える膨大なチャクラ。
易々と地形を破壊する一撃は、忍術と呼称するにはあまりにも倫理から外れた咆哮。
最強と最強。
天災と天災の激突。
しかし……
『ウォォォォォォォーー!!』
しかしその均衡は、刹那で終わりを迎えた。
九喇嘛の放った尾獣玉が、磯撫の放った尾獣玉を呑み込み、蹴散らし、最後には自分と同じ尾獣である磯撫すらもねじ伏せ、吹き飛ばす。
だが、それでも勢いは衰えることなく、さらに後方に佇んでいた小さな山々をも粉砕し、瞳に映る全てを灰燼と化す。
『…………』
最後の最後に残ったのは、辛うじて原形を留めた磯撫の身体と、破壊の限りを尽された自然の残骸だけだった。
静寂が訪れる。
これで磯撫を倒した、そう誰もが思っていた。
が、そこで。
ナルトが異変に気づく。
『九喇嘛、あれ!』
すると、ナルトが促した方へ、九喇嘛が視線を送る。
それから訝しむ声音で、
『傷が修復し始めてやがる。三尾の奴にしては少し弱すぎるとは感じていたが……何かの術に縛られてやがるのか?』
そう言った。
九喇嘛にしては珍しく、僅かに焦りを感じさせる口調で。
しかし、それはナルトも同じ意見であった。
もし攻撃して倒しても、すぐに復活するのであれば対処の仕様がない。
さらに、そろそろ尾獣化も解けてしまいそうで、このままでは本当に不味い状況に……
が、その直後。
事態は思わぬ形で収束を迎える。
「…………」
それは九喇嘛より、二回り小さい存在だった。
どこか女神を思わせる外観をした、赤い鎧武者。
突如として現れたそいつが懐から瓢箪を取り出し、そこから噴出する揺らめく剣で未だ身動きの取れない磯撫を突き刺す。
すると……
「…………」
どのような原理か、磯撫の身体が瓢箪の口から吸い込まれていき、その姿を戦場から消したのであった。
『……なんだ、アイツ』
警戒した表情でそう呟くナルトに、九喇嘛が語る。
『あれは須佐能乎。それに手に持つ剣は十拳剣。草薙剣の一振りだ』
『すさのお?』
『そうだ。両眼に、万華鏡写輪眼を開眼した者にのみ許されるうちはの奥義。あのイタチとかいう小僧が、十拳剣で磯撫を封印したらしい……なんの目的か知らねーがな』
そうこうしている内に、やることを終えた鎧武者が動きを止める。
それから一度、こちらの方に視線を向けて……
「…………」
忽然とその場から姿を消した。
再び静寂が訪れる。
呆然と立ちつくす者。
現実と幻の境があやふやになる者。
事態の把握に努めようとする者。
が、数瞬後。
みんなが思ったことは一つであった。
「「「うぉぉぉおおおおおお!!」」」
怒号のような歓喜の声が上がる。
五大国最強とうたわれ続けた、火の国。
木の葉隠れの里。
その軍勢を、水の国に住まう者たちが完膚なきまで叩きのめし、撃退した瞬間だったのだから。