静まり返る展望。
少し離れた場所では命を命で奪う、忍同士の殺し合いが勃発しているにもかかわらず、ここだけが世界から切り離されたと錯覚を覚えるほどの静寂の間。
互いに動きはない。
聞こえるのは、生きた証を示す鼓動の音と微かな呼吸のみ。
耳が痛いほどの閑静を破ったのは、一本の変わった形をしたクナイだった。
流れるようにチャクラが巡る。
術式クナイが敵に到達するより疾く、印を結ぶ。
同時に。
カカシの左眼が朱く煌めく。
手に持つチャクラ刀を上に放り投げ、空いた片手でクナイを掴み、投擲。
ナルトから半歩遅れたタイミングで、カカシが印組みを始めた。
写輪眼。
その洞察眼を以て、相手の術をコピーする。
言霊を発射したのは、同じ瞬間だった。
「手裏剣影分身の術!!」
「手裏剣影分身の術!!」
一、二、三……
互いの投げたクナイが、瞬く間もなく増殖する。
甲高い金属音が鳴り響き、数十もの刃がひしめき合う。
先手を取ったナルトの攻撃は、同じ術で真っ向から相殺された。
しかし、その顔に悲壮の色は浮かべない。
欲しいのは派手さでもなければ、相手に打ち勝つ無双の強さでもない。
敵を斃したという結果のみ。
この戦いは、ナルトが木の葉の里を抜けたから起こったもの。
ならば、その決着をつけるのは己でなくてはならない。
次の瞬間。
ナルトの姿が戦場から消えた。
飛雷神の術。
周囲に散らばった術式クナイを起点に、その地点に向かって自身の身体を飛ばす時空間忍術。
カカシの背後を取ったナルトは、音もなく距離を詰め、死神の鎌を振るう。
流麗のごとき一閃は、普通の忍であれば反応すら許されない刹那の閃き。
気づいた時には既に手遅れとなるその一撃は……
「…………!」
しかし、当然のように防がれる。
空中から降りてきたチャクラ刀を掴んだカカシは、迷うことなく斬撃を振るい、自身の首を狙う残光をいとも容易く受け止めた。
その一瞬で理解する。
純粋な剣技ではカカシを上回ることはできない。
完全な不意打ちでの急襲を防がれたのだ。
写輪眼を相手に、近接戦闘で勝てるほどの技能は今のナルトにはない。
だが……
「…………!」
無駄のない一閃が振り下ろされる。
本来なら確実にナルトの命を刈り取るその一撃は、何者にも触れることなく空を斬る。
飛雷神で跳躍したナルトは、またも敵の背後から斬りかかる。
が、やはりカカシには届かない。
四代目による教導の賜物か、飛雷神との戦闘に慣れているカカシは、戦場に散らばる術式クナイの位置からナルトの跳躍先を予測し、写輪眼の観察眼も相まってこちらの動きを完全に読み切ってくる。
さりとて、カカシの反撃がナルトに至ることもない。
正面からでは勝ち目が薄いと判断したナルトは、一撃離脱の戦法を重点に置き、自身の得意な超速戦闘へと相手を誘う。
焦点を絞らせない。
朱い瞳がナルトを捉えた瞬間、別のクナイへ。
そのゼロ秒後にはまた別のクナイへ。
常理を逸脱した黄色い閃光が、絶え間ない戦闘軌道を描く。
袈裟斬りに刻まれる純白の軌跡。
自身の持つ技量から隔絶した剣戟を前に、対するナルトは焦り一つなく回避する。
知っているから。
「剣の腕前なら、長十郎の方が……!」
仮面に小さな横線が刻まれる。
ついにナルトの一撃が届いた。
その事実に状況の不利を悟ったのか、カカシはすぐさま後ろへ跳び距離を取る。
両手がとてつもない速さでハレーションを起こす。
だが、そうは問屋が卸さない。
ボンっ! という音とともに、二本の術式クナイが変化の術を解き、二体のナルトの分身が瞬身の術を用いた超スピードでカカシに肉薄し、術の駆動を妨害する。
「頭の良さなら、ハクの方が……!」
「くっ……」
伽藍堂だったカカシの瞳に、焦燥が見え始める。
打撃を貰いながらも分身たちを撃退したカカシは、マーキングが施された術式クナイの存在しない空中へ。
身体を翻しつつ印を結び、着地と同時に忍術を発動する。
「水遁・水龍弾の術!!」
川の水が決壊する。
踊り狂うは龍の咆哮。
それを迎え撃つは、
「影分身の術!」
新たに現れた分身と掌を重ね合わせる。
右手には渦巻くチャクラの球体が光りを放ち、残る左手を分身ナルトが掴み取る。
ぶんと振り回された身体は遠心力を利用して、水龍に向かって思いっきり投げ飛ばされた。
「水遁忍術なら、再不斬の方が……!」
瞬間。
螺旋丸が水龍を撃ち破る。
拳を握り、チャクラを灯す。
九喇嘛の力が込もった拳を振りかざし、
「お前の何万倍も、すげぇえええええ」
唖然とした顔でこちらを見上げるカカシの顔面に、
「――ってばよ!!」
叩き込んだ。
カカシの身体が吹き飛ぶ。
一転二転と地面を転がり、泥に全身を汚させながら倒れ伏す。
けれど、それは一呼吸分の間だけ。
息を整えていたナルトは、起き上がってきたカカシの姿に僅かな時間、言葉を失った。
「……本当に、いい忍になったな。ナルト」
仮面が砕け、崩れ落ちる。
まるで永い眠りから覚めたかのような表情。
そんな見慣れた顔を見せるカカシに、ナルトは思わず息を呑んだ。
その一瞬が、命取りだった。
天を昇る雷。
カカシの左手に雷光が迸る。
千の鳥が歌を奏で、二人の間に確固たる亀裂を走らせた。
「オレがお前にしてやれることは死だけだ。だが今回は一人では逝かせない。オレもすぐにお前たちのあとを追ってやる」
カカシの後ろに、二人の少年少女の姿が映る。
幻術の効かないナルトにもはっきりと見えるそれは、彼の夢か幻想か、それとも想いが引き寄せた奇跡か。
右手に持つ白光のチャクラ刀を、万感の想望を乗せた瞳で眺めつつ、大事なものを失わないよう渦の中へと仕舞い込む。
そんなカカシに、ナルトは言った。
「オレは死なねェ。約束があるからな」
“必ず、生きて帰ってきて下さい”
戦場へ出る前、ナルトはハクとメイの二人に約束した。
だから、死ぬつもりはない。
そう語るナルトに、カカシが応える。
申し訳なさそうに、変えられない運命を悟るように。
「オレは一人の木の葉の忍として、この里を守らなければならない」
だから、ナルト。
霧の忍であるお前を生かしておくわけにはいかない。
断固たる決意でそう言い放ったカカシに、ナルトは迷うことなくうなずいた。
「ああ、守るんだ。霧の里を、雪の国を、そして木ノ葉の里を」
半目を見開いたカカシが、驚きの感情をあらわにする。
理解できないといった様相をこちらに向けて、
「どういう意味だ? お前は木の葉を憎んでいるはずだ。そのお前が木の葉を守るだと?」
「違う! オレが守りてーのは、三代目や四代目が守ろうとしたもんはこんな薄汚れた里じゃねェ」
「……理由はどうあれ、木の葉の忍を殺し尽くしたお前が言うことじゃないな、それは」
しかし、ナルトは語る。
「いいや、だからこそだ。戦争に参加した奴らが真っ先に手を取り合わなきゃーならねェ。でなけりゃいつまで経っても戦いは終わらない。戦争を終わらせるってのはそういうことだ」
「…………」
「オレは守ってやりてぇ。四代目の遺した夢を。そのためならたとえ相手が誰だろうと容赦しねェ」
はっきりと自身の気持ちを告げるナルトに、カカシは静かに目蓋を閉じた。
後悔、喜び、悲しみ、痛み、苦しみ、嘆き、期待。
様々な感情が湧いては消えてを繰り返す。
その想いが、葛藤が、言葉にせずとも伝わってくる。
けれど――はたけカカシは忍だった。
「同じことを何度も言うのは好きじゃないが、もう一度言う。ナルト、お前の未来は死だ」
「なら、オレは何度でも言ってやる。オレたちが諦めるのを、諦めろ!」
踏破すべき至難は一つ。
『わかってるな?』
『ああ』
相棒の問いかけに肯定を返す。
コピー忍者のはたけカカシ。
千の術を持つ者。
写輪眼のカカシ。
敵の術を瞬時に真似する異能。
相手の動きを先読みする洞察力。
雷切使用時にはナルトに匹敵する超スピード。
神威と呼ばれる理不尽な瞳術。
写輪眼の攻略。
カカシを打倒すべき鍵は、結局のところその一点に帰結する。
憐憫を宿す朱い瞳がこちらを映し出す。
理論上、ありとあらゆる忍術・幻術を打ち破るその瞳を前に、小細工の類いは通じない。
ならば――正面から挑むしかない。
『決着をつけるぞ、ナルトォ!』
『おう!』
途端、チャクラが氾濫する。
際限などないと言わんばかりのチャクラの本流が、身体の内側から止めなく溢れ出し、人智を超えた力が全身を行き渡らせる。
九喇嘛と一つになる感覚。
薄く煌めく身体がオレンジ色の光を帯び、腹部から肩にかけ、渦巻き状の黒模様を走らせる。
九喇嘛モード。
ガイとの死闘から、クシナとの会話を経てナルトが身につけた新たな力。
いや……
正確にいうのなら、身につけたという表現は正しくない。
『この形態は今のてめーには負荷が大きすぎる。使えるのは一瞬。そこに全てを懸けろ』
九喇嘛の助言に、こくりと首を縦にする。
まだまだコントロールも効かない。
それでも正面から突っ込むには、これ以上の望むべきものはないだろう。
それほどまでの安心感と万能感。
『アレはこちらで用意してやる。直前までこちらのいとを悟らせるな』
『ああ、任せたってばよ、相棒!』
『……ケッ』
笑みを浮かべる。
今なら誰にも負けない。
二人なら全てを変えることができる、絶対の自信と高揚。
千の鳥が儚い旋律を歌う。
チッチッチッ! という電撃を鳴らす音が、戦いの決着を急かしていた。
ホルスターからクナイを引き抜く。
四代目であるミナトから託された、術式と父親の想いが刻まれた三叉のクナイ。
そこに、さらに九喇嘛の想いも込める。
オレンジ色に染まる術式クナイを逆手に構え、ナルトは前を見据えた。
「…………」
「…………」
沈黙が支配する。
空気を振動させるものは、雷鳥がさえずる口笛の偏重。
彼我の距離、およそ二十。
忍であれば、文字通り一瞬で縮めることのできる生死の間合い。
勝負はその一瞬で決まる。
「…………」
「…………」
交差する視線。
そこから互いが互いの心の内を読み取る。
今のナルトにはわかる、理解できる、できてしまう。
相手の心境が、秘められた想いが。
けれど、それは押し殺す。
言葉は交わし尽くした。
退路の道はとうにない。
ナルトとカカシ。
二人が、忍だからだ。
――駆け出したのは同時だった。
千の鳥が鳴り響く。
術の名を、千鳥。
別名、雷切。
雷すら切り裂いたその逸話に倣ってつけられた紫電の嘶きは、強力無比な一撃を携え、ナルトの心臓を破壊せんと迫る。
写輪眼を併せ持つことで完成する、最上の一突き。
一秒後に、ナルトの死を呼び寄せる。
仮に飛雷神で回避したとしても、それでは意味がない。
それではカカシを斃すことができない。
戦いを終わらせるには、この尊敬すべき忍者に真っ向から打ち勝つしか道はない。
「――ォォラァ!」
オレンジの一閃が直進する。
九喇嘛のチャクラを込めたそれは、カカシの左手を狙い放たれた。
洞察眼でこちらの動きは先読みされる。
ならば、やるべきことは一つ。
わかっていても対応できない一撃を放つだけ。
信じられない力で放たれた術式クナイは、空気を切り裂き、カカシの左手を潰しにかかる。
朱い瞳が淡い光を捉える。
ナルトの繰り出した一撃に、カカシは一瞬の躊躇いもなく貫き手を返してきた。
キンっ! という短い金属音がナルトの放った一閃を封殺する。
雷鳴が一閃の光明に競り勝ち、形見のクナイを空へと打ち上げた。
讃えるべきは九喇嘛のチャクラを退けた名刀か、雷切とぶつかり合って尚、砕けなかったクナイの方か。
しかし、此処に形勢は覆る。
一瞬にも満たない刹那の時間。
カカシの動きは確かに止まった。
その一瞬、その一瞬さえあれば、ナルトは新たな術を繰り出すことができる。
右手の掌を上に向ける。
と――
同時に。
死を告げる万雷が天を架ける。
雷切の二連続発動。
カカシの右手に迸る必殺の一撃が、女神の微笑みを再び五分へと戻す。
されど……
「…………」
碧眼に敗北の二文字は宿らない。
ナルトの右手に九喇嘛のーー否、九喇嘛だけではない。
ミナト、クシナ、ハク、再不斬、長十郎……
万象の想いと願いが織り重なり、絆の糸が螺旋を紡ぐ。
眩い光が逆境を退け、戦場を照らす太陽を生んだ。
ここに、最強の螺旋丸が完成する。
「…………!?」
雷鳴が音を沈める。
正面からぶつかったのでは、万に一つの可能性もない。
拮抗すら許されないと瞬時に察したカカシが、雷切に回していた全チャクラを、左眼の全経絡系に注ぎ込む。
写輪眼のカカシが有するもう一つの切り札――神威。
空間を齧り取らんとする陰々とした渦は、ナルトの掲げた螺旋丸もろとも、その半身をも飲み込まんとする。
しかしそれは、この戦いにおいてカカシがはじめて掴み取ってしまった、勝敗を別つ悪手であった。
空に一本のクナイが舞い踊る。
敗北を告げたはずのクナイは、少年に勝利をもたらす吉兆を告げる。
次の瞬間。
絶望の渦が全てを飲み込むより一瞬、否――半瞬速く、ナルトの姿がカカシの前から消えた。
――黄色い閃光が木ノ葉を舞う。
術式クナイを掴み取ったナルトは、カカシの頭上へ。
写輪眼の攻略。
その解答は、至ってシンプル。
自分の姿を相手の瞳に捉えさせなければいい。
はじめから拮抗などしていなかった。
秒にも満たない一瞬の空白。
それを突くことができれば、ナルトの飛雷神はカカシの写輪眼を悠々と凌駕する。
それでも勝負が成立していたのは、写輪眼の性能ではなく、カカシ自身が飛雷神の対応に慣れていたから。
ただ、それだけだった。
「言っただろ、バカカカシ。テメェの写輪眼は何も見えちゃいねーってよ!」
飛雷神・二の段。
瞬間移動で現れたナルトは、託された決意の螺旋丸を、カカシの無防備な背中に叩き込んだ。