勝敗を分けたものは何か。
単純なスピードか。
時空間忍術の練度か。
背中を押してくれた仲間の数か。
それとも……
「がはっ……!」
負け惜しみの言葉すらなく、敗者は地べたに倒れ伏す。
螺旋丸をその身に受けたのだ。
化け物じみた防御力でもない限り、勝敗が覆ることはない。
されど……
「…………」
この勝敗の結末は、どちらかの死によって完結する。
カカシはまだ、生きていた。
ギリギリのところで致命傷を回避したのは、さすがという他ない。
だが、それは一時しのぎにすぎない。
手に持つ術式クナイに力を込める。
右手を振り上げ、
「……さよなら」
振り下ろそうとした、直前。
その声は内側からナルトの耳に届いた。
『待ちなさい、ナルトォ!』
時間が停止する。
聞き覚えのある女性の声と、
「そこまでだ、ナルト……」
自身の手を掴む、師匠の手によって。
視線を横に向ける。
「……自来也先生」
「もういい。もう終わったんだ、ナルト」
泣きそうな顔でそんなことを告げる自来也。
ふと周囲を見渡す。
するとそこには、いつの間にやら無数の人影ができていた。
耳を澄ましても戦闘の音は聞こえず、周りの忍たちもこちらの動きをただ見守るだけ。
「もういいって。戦争はどうなったんだ?」
困惑を帯びた声でナルトがそう尋ねると、自来也が言った。
「木の葉は降伏する。だから、もうお前がカカシを殺す必要はない」
木の葉が降伏?
戦争は、終わったのか?
その言葉に思わず手を緩めそうになったところで。
怒号が響き渡った。
「ふざけるなっ! ここまでのことをしておいて今さら降伏だと!?」
「霧隠れをなめるなよ、木の葉の蛆虫ども!」
「貴様らがどれだけの人間を殺したのかわかっているのか!! 仲間の仇は取らせてもらうッ!」
一人ではなく、複数の怨嗟。
恨みつらみのこもったその声は、正しく正当な怒りの感情だった。
だが、それは向こうも同じで……
「ふざけるな! お前たち霧隠れこそ我々木の葉にどれほどの仕打ちを与えてきたことか!」
「血霧の里め、今まで自分たちが何をしてきたのかわかっているのかっ!」
「家族や仲間を奪われたのはこちらも同じだァ!」
霧と木の葉。
二つ里が悪感情をぶつけ合う。
人がたくさん死んだ。
今回の戦争だけでも、どれだけの人々が傷ついた?
過去の話まで持ち出せば、それこそキリがないのでは?
水影のメイと三忍の自来也が間に立ち、なんとか皆の怒りを静めようとしているが、それもいつまで持つかわからない。
そんな時だった。
そいつが現れたのは。
「ならば、ワシの首を獲ればいい」
気配もなく突如として現れたその男に、周囲の視線が釘づけとなる。
次にその姿を見て、視界が固まる。
抉り取られた眼球。
切り取られた片腕。
なぜ生きているのか理解できない風貌をした男は、仮面をつけた一人の霧の忍に身体を支えられながら、一歩、また一歩と歩みを進める。
今にも天に召されそうな男の姿に、自来也がかすれるような声でその名をこぼした。
「……生きておったのか、ダンゾウ」
その言葉にナルトはハッとする。
男の顔を凝視する。
こいつが……ダンゾウ?
「自来也先生、それって本当か?」
「ああ。ワシも信じられんが……」
生返事を返す自来也に、ナルトは疑問符を浮かべる。
ダンゾウ、そいつはこの戦争の首謀者で、最低最悪の極悪人。
そのはずだ。
なのに、この男からは……
「悪意が感じねぇ……」
ぼそりと呟く。
目の前の男からは、嫌な気配を何一つ感じ取ることができなかった。
本当にこいつが戦争を引き起こしたのか?
そんな疑念を抱くナルトをよそに、両里の話し合いは進む。
「五代目様っ……!」
悲壮な顔色を浮かべ駆け寄ろうとする木の葉の忍たちを、ダンゾウが柔らかな手のひらで制した。
続けざまメイをはじめとした、霧の忍たちに顔をつき合わせる。
そして……
「此度の戦、全責任はワシにある。この老いぼれの首一つでどうか、両里の忍たちよ。その矛を収めてもらいたい」
頭を下げながら、謝罪の言葉を口にした。
喧騒が鳴り止む。
先ほどまで言い争っていた両里の忍たちも、現火影の言葉に異論を挟むことなどできず、静かに耳を傾ける。
この場において、ダンゾウに問いただす資格を持つ者は一人しかいない。
「ダンゾウ様、その言葉にうそ偽りはありませんか? 撤回するのなら今のうちですよ」
戸惑いながらも、普段の優しい声音とは異なり、一切の慈悲が排された声でそう問いかけるメイに、ダンゾウは肯定の言葉を返した。
「偽りはない。此度の戦はワシが強権を振りかざし、忍たちを無理やり扇動して引き起こしたもの。里の者たちはワシを除き、みな等しく被害者だ。そうであろう、シカクよ」
そう問われたシカクは、自来也やメイと同じく困惑の表情をあらわにしながらも、彼にしては珍しく少したどたどしい口調で応えた。
「……ええ、間違いありません。事実、私自身も幻術をかけられ、意識を奪われていましたから」
その返答にダンゾウは満足そうにうなずいてから、今度はこちらを、ナルトの方へと顔を向けてきた。
「そこにおるカカシもそうだ。そやつには特に強力な幻術をかけ、ワシの操り人形へと仕立て上げた。うずまきナルトよ、貴様が恨むべきはカカシではない。このワシ、ただ一人だ」
自らそんなことを言ってのけるダンゾウに、ナルトは何も言葉を返せない。
いきなり恨めと言われても、目の前にいるのはどう見ても今にも死んでしまいそうな好々爺だ。
周りの反応を窺っても結果は変わらない。
木の葉の忍たちですら、口には出さないが明らかに当惑の色を浮かべている。
けれど、ダンゾウの登場で場の空気は一変した。
このまま戦いを終えることができるのでは? と、ナルトが淡い期待を抱いた瞬間。
絹を切り裂く声が、静まり返った水面に一石の呪詛を投じた。
「今まで何をしておった、ダンゾウ!」
「九尾を捕らえるなどと息巻いておいて……なんじゃ、その有り様は。貴様のせいで木の葉は滅びるやもしれぬぞ!」
この期に及んで急に姿を現したのは、二人の老人。
木の葉の相談役であるコハルとホムラ。
集団をぐんぐんと押し退け、ダンゾウに詰め寄ろうとする二人に、しかし一人の霧の忍がその行手を阻むよう立ち塞がった。
「そこで止まれ」
冷徹な声が静止を呼びかける。
というか、また聞き覚えのある声だった。
が、相談役の二人はそれに気づかず、金切り声をあげる。
「そこをどかんか、無礼者」
「これは木の葉の問題じゃ。部外者は引っ込んでおれ」
そう言い放つ二人に、霧の忍は……
否、うちはイタチは二人にしか見えない形で仮面をズラし、
「あいにくとオレは部外者ではない。邪魔者はお前たちの方だ」
「おま、お前は……!」
ぱくぱくと口を動かす二人を前に、イタチの左眼の写輪眼が変異する。
そして、短く呟いた。
「月読」
次の瞬間。
相談役の二人は、抵抗の一つも許されず倒れ伏す。
それを眺めたイタチは、静かに仮面を戻した。
だがいくらイタチとて、この場にいる忍たちの全ての目を欺くことなどできるわけもなく。
正体に気づいた自来也が、腰を低く落とした臨戦態勢に入る。
「なぜ、お前がここにおるイタ……」
しかし、自来也がその名を告げる前に、イタチが急接近する。
耳元に囁くような声で、
「自来也様、オレは木ノ葉のうちはイタチです」
「……なに?」
「詳細の方は、貴方の弟子であるナルトくんから聞いてください」
「…………」
自来也の無言がこちらを射抜く。
その鋭い視線にナルトがうなずきで返すと、自来也は眉をひそめながらも敵意を収めた。
それを見たイタチは黙礼を示してから、その場から忽然と姿を消し去る。
後のことは、こちらに任せるらしい。
邪魔者が消え、話が戻る。
その痛々しい姿からは想像ができないほど、朗々とした声が静寂の場に響き渡った。
「水影よ、ワシの最期の懇願。聞き届けてはくれぬだろうか」
そう願いでるダンゾウに、メイは了承の言葉を返した。
「わかりました。水影の名に懸けて宣言します。貴方の命一つで、我々霧の忍は兵を引くと」
反対の意見は出ない。
火影の首には、それだけの価値がある。
霧も木の葉も。
相手を殲滅するまで戦い続けても、それは自分たちの首を絞めるだけ。
ここが落としどころだと、この場にいる全員が理解していた。
すると、その宣言を汲み取るように、再不斬が前に向かって躍り出る。
途中、ナルトの肩をポンっと叩いて、
「よくカカシの野郎をぶっ飛ばした」
ニヒル顔でそんなことを告げてから、大刀を担いで歩き出す。
その姿を見て、その刀を見て、ナルトは悟った。
今から、この戦争の首謀者である志村ダンゾウの斬首を行うのだと。
それをわかっていても、誰も止めようとはしない。
これが必要なことだと、誰もがわかっていたから。
子どものような癇癪を上げたりはしない。
ここにいるみんなは、皆、忍なのだから。
地面に正座するダンゾウに、再不斬が断刀・首斬り包丁を構える。
「五代目火影、何か言い残す言葉はあるか?」
末期の言葉を問いかける鬼人に、ダンゾウは「やり残したことがある」と応えた。
視線が一人の忍を捉える。
ダンゾウに見据えられた自来也が一歩前に進み、再不斬が一度刀を下げた。
沈黙の一瞬。
意外にも口火を切ったのはダンゾウの方ではなく、呼ばれた自来也の方だった。
それは、もしかしたらこの場にいる全員の疑問だったかもしれない。
「何があった?」
口から出たのは、どのような解釈にも取れる抽象的な言葉。
「お主は、本当にダンゾウか?」
当たり前で、そして誰もが感じた疑問。
しかし、男から返ってきた言葉は、質問からは少し横道に逸れた言の葉だった。
「ワシは、今まで何も知らなかった」
「……む?」
「世界とは、これほどまでに広く、壮麗で、そして愛おしいものだったのだな」
「…………」
「知らなかった。無駄に歳だけは重ねてきたつもりであったが……ああ、これまでの人生で、ただの一度たりとも知り得なかったよ」
火影まで登り詰めた男が自身の里を、里の仲間たちをゆっくりとその目に焼きつける。
残された生気は露ほどもなく、それでいて尚、瞳には希望と情愛が満たされていた。
「……ダンゾウ、お主は」
「今ならヒルゼンの言っていたことが理解できる。当たり前の日常が途方もなく美しい……生まれて初めて見た景色は、これほどまでに誇らしいのだな」
「…………」
「生まれて初めて、奴と肩を並べられた、そんな気がする。お前もそう思ってくれるか、ヒルゼンよ」
命を賭して紡がれる、儚くも切ない感動。
ダンゾウの瞳が、再び自来也に移る。
そして、最期の遺言を託した。
「自来也よ、五代目火影。最期の勅命だ」
「……なんなりと」
「お前が、この里を支える柱になれ。六代目火影よ」
「…………!」
自来也の顔色が驚愕に染まる。
名状し難い表情を浮かべた自来也は、微かな時間、瞑目する。
されども、ダンゾウの眼光がそれを逃がさない。
有無を言わせぬ血気が、その灯光には宿っていた。
刮目した自来也は、否応なく口を動かす。
戸惑いと、それに相反する覚悟を秘めた穏やかな声音で、
「謹んで拝命いたします」
その名を受け継いだ。
それに、ダンゾウは満足そうにうなずく。
「火の意志は受け継がれる。皆の者、木ノ葉はまだ死んではおらぬ。人が生きてさえいれば、いくらでもやり直せる。あとのことはお主たちに任せた」
これでやり残したことはなくなった。
後は……
「……さて、終わらせようか」
自身を慈しむ無念の嵐の中、まるで散歩にでも出るような口調でダンゾウが先を促す。
メイの了承を得た再不斬は、その首斬り包丁を静かに構えた。
そして……
「…………」
男の首を狙い、一文字に振り下ろした。
木ノ葉隠れの里。
殉職者の数、およそ三千。
木ノ葉創設以来の大敗北を喫する。
この事実を重く受け止めた忍を含む木ノ葉の住民たちは、大きな傷跡を残しながらもこれまでの行いを悔い改め、今一度里の再興をはかることになる。
新たな同盟国と互いに手を取り合って。
霧隠れの里。
殉職者の数、およそ一千二百。
戦争にこそ勝利したものの、決して少なくない忍がその命を散らした。
戦いの始まりから終わりまで、終始有利に立ち回った霧であったが、やはり里がまとまって日が浅いせいか、忍一人一人の練度の違いが目に見えて明らかだった。
しかし、ここからだ。
霧隠れは、ここからが本当の始まりなのだから。
後の世に「開闢の戦い」と命名された戦いは、かくして――その一幕を下ろしたのであった。