……とはいえ、実際の台湾の風景を知らないからイメージのものなんですけどね…………
「姉ちゃん、おなか減った……」
傍らの平海が蚊の鳴くような声でうめく。もう少しだけ我慢してと窘めて、耐えきれなくなったのか小さく一つ、ため息をついた。
「……せっかくの里帰りだって言うのに、何だって台湾くんだりまで……まったく」
高温に多湿がついて、さらに面倒なゲリラ豪雨がごちゃ混ぜになったような戦場にいると、イヤでも多少からっとした東北や中原の気候が愛おしくなる。だからこそ、重桜の攻勢が緩んで、戦線が膠着したタイミングを狙って休暇届を出したのだ。
それがどうして、東北とも中原とも全く別の、高温多湿度合いはあんまり変わらない台湾なんかに。寧海はぽつりと毒づいて灰色の曇り空を仰いだ。
横を向けば看板と祭日かなにかのような屋台の群れ。かといって上を向いても、コンクリートの摩天楼とその合間を縫うように張り出た電飾と看板に目が行く。
喧しいばかりの呼び込みとでかでかと描かれたカラフルな看板達から分かるとおり、太古の王朝が“商”と呼ばれたのも頷けるほど、東煌人は商い好きだ。
ただその国民性から、家計が火の車になっているのも事実である。
がま口の零钱包の中身を覗いて、その軽さを確認。はぁとまた一つ嘆息して額を抑えた。
「姉ちゃん、なんか難しい顔してる。……大丈夫?」
妹の平海にまで心配されるほど、顔に出ていたか。大丈夫よと精一杯に笑って、ほんの少しだけ小さな栗色の髪を撫でた。
指揮官から渡される給金と、その他色んなものから二人分の食費やらを抜いて、その余りを祖国の海軍に仕送りする始末。兎にも角にもお金が足りない。節制と切り詰めを精一杯に行ってもまだこの状況。何とかしようと思ってできるものではないのだ。
少なくともこの、エンゲル係数を跳ね上げていく
「平海、台北まで来たんだから何か食べたい」
ロイヤルやユニオンの同輩に比べて随分と小柄な自分より、もう一回りくらい小さい平海が、その平たいお腹を押さえるようにして俯く。
「もう少し我……慢は出来なさそうね」
空腹からかだんだんと据わってきている深緋の瞳を覗き見て、寧海は困り果てたように腕を組んだ。
頭の中に思い浮かぶのは圧縮干粮も腊肉も何も入っていない空の飯盒。今朝の時点で、何故か中身が消えていた非常食達だ。普段なら包子でも渡して持ち堪えて貰うものだけど。
「仕方ない……ほら、何か買って食べましょ」
「やった!」
ぴょんと飛び跳ねて目を耀かせる平海の手を引いて、どこか買い食いが出来そうな所を探す。
とはいえこの都市、台北自体が店舗と屋台の群ればかり。ほんの少しも歩けば、昔ながらの商店街から新興の食料品店に辿り着くことが出来る。そんな雑多な路地ばかりだ。
「……この匂いは、鳳梨酥!」
「あっ、ちょっと平海!? 待ちなさい!」
平海は、寧海の手を振り切って人混みを縫うように走り出す。
今時珍しい旗袍の二人組だ、人民服を着た老人よりも目を見張る光景なんだろう。街行く人々の奇異な視線を感じて、恥ずかしさにぎりと奥歯を噛み締めた。
赤地に青と、白い日輪の描かれた国旗がそこかしこの街角ではためいている。遠くの市から笛や太鼓の音が響き、浮かれた町並みに逆らうようにして追いかける。
「姉ちゃん、すごい! 豆花に胡椒餅……小篭包! お祭りみたい!」
台北市庁舎の手前、ちょっとした公園の前で立ち止まった平海は、当たりをぐるりと見渡して顔をほころばせた。
「え……」
ほんとだ。後ろの言葉が出てこず、驚きと共に口を開くのみ。
公園の至る所で屋台が開かれ、町中には国旗と鮮やかな朱に塗られた飾り付けが踊る。全市民が外出しているんじゃないかと疑うほどの人だかりがそこかしこの道に伸び、活気に満ちあふれているみたいだ。
「えっと……今日は、十月二十五日は何の日? 何かお祭りだっけ…………?」
目頭を押さえて思案する。双十節。国父生誕記念日、そして東煌建国記念日。どれもこの日とは当てはまらない。
「小姐」
そんな時、傍らから響いた男の声。台湾独特の訛りの混じった中国語で呼び止められる。寧海はちらりと横目で睨んで、若干むっとしたように唇を尖らせながらそれに応えた。
「何? 私はそんな安い女じゃないわよ?」
おお失礼。大陸の人だったか。苦く、渋柿を噛み締めたような顔をして男は笑う。饅頭のようなものを焼く屋台を開いているらしく、香ばしい匂いが寧海の鼻腔をくすぐった。
「女士。台湾光復をご存じじゃないので?」
「台湾光復?」
「そう。台湾の光復を祝う記念日です」
大昔に、台湾の主権を取り戻した日なんだとか。そう言って彼は、手旗サイズで取り付けられた国旗を指し示した。
「それを記念して青天白日の紋様を焼いた饅頭、この光復餅が出来たって話です」
慣れた手つきで生地を型に流し込み、重ねてプレスするようにひっくり返す。
店員の男が少し時間をおいて機材を開くと、そこにはきつね色の焦げ目を付けた饅頭があった。
「うわぁ……!」
「ささ、どうぞ。1個30元にまけときましょう」
ごくりと喉を鳴らして、逡巡。ここで買っても良いものか。しかし。
「貰っても良いの!? 太陽餅!」
零钱包の中身と相談して、購入を迷っていた寧海の目の前で平海が動く。店員の手から餅を奪い取った彼女は、1口でそれを口に含んで嚥下する。
「あっ! ……うう、対不起」
毎度あり。申し訳なさそうに10枚少々の人民元紙幣を差し出す黒髪の少女に、男は小さく笑った。