第一話「力を失いし竜」
「目が覚めたみたいだな。大丈夫か?」
目を開けると見覚えのない森の中にいた。
炎の台座、神竜の巫女、聖王の娘とその仲間たち、ギムレーを追い詰めていたものは何一つなく、側には兵士の服装をした青い髪の青年がいるだけだった。
「……ええ。ここは、何処ですか? あなたはいったい?」
「そういっぺんに尋ねるな。おれはクリス。アリティア従騎士クリスだ。ここはアリティア城近辺の森。行軍任務の最中にここで倒れているお前を見つけて介抱していた」
クリスと名乗った青年は淡々と告げた。慎重な性格なのか、話の最中も周囲への警戒は解いていない。
「お前の名は?」
ルフレ。
反射的に口から出かけたその名を飲み飲んだ。
「……ギムレーです」
破滅と滅亡の邪竜、教団が拝するその名を正直に答える必要はない。いたずらに身を危険に晒すだけだ。
だが、そうと理解していても、あの忌々しい器を騙ることは我慢できず、気づけばギムレーと名乗っていた。
「そうか。どういう事情かは知らないが、こんな森の中で倒れていたくらいだ。困っているなら力を貸す」
予想に反し、クリスはギムレーという名に何も反応しなかった。
ギムレーは思わずクリスの顔をジッと見つめた。
「……どうした、急に人の顔をじろじろ見たりして」
「いえ、少し驚いただけです。その……ずいぶんお人好しだなと」
本当はクリスの顔を見つめていた理由はギムレーという名に反応しなかったからなのだが、この言葉もまた本心であった。
事情も知らずに助けようとするなど、青い髪も相まって、どこぞの聖王のように思えた。
「困っている民を助けるのはアリティア騎士を目指す者として当然のことだ」
ギムレーは民ではない。それどころか、その民を困らせる原因そのものなのだが、クリスは知る由もない。
好都合だ。
ギムレーは情報を入手した後に殺すという考えを放棄し、このまま取り入って利用しようと決めた。教団の信者や屍兵のように、手足となる者がいるに越したことはない。
なんにしても、ひとまず優先するべきは現状の整理である。
記憶が正しいのであれば、ギムレーはイーリス城でファルシオンに貫かれ、聖王と神竜によって滅ぼされようとしていたはずだ。しかし、現実としてギムレーの体に傷はなく、どことも知れぬ森の中にいる。
何かが起きた。それが何かは皆目見当がつかないが、あの場から離れることができたのはギムレーにとって都合がいい。
「クリス! 賊だ! 村が賊に襲われている!」
茶髪の青年が馬に乗って現れた。彼の瞳には焦燥の色が浮かんでいる。
「ロディか。他の三人は?」
「村への注意を逸らすために牽制を仕掛けている」
「わかった。すぐに向かおう」
クリスは頷き立ち上がった。その挙動からは一片の迷いも感じられない。
「ギムレー、すまないが見ての通り急用ができた。少しの間ここで待っていてくれ」
「……いえ、わたしも行きます」
その言葉に二人は目を丸くしたが、ギムレーにとっては当然の申し出であった。
せっかく手に入れた情報源を、賊に殺されでもして失うわけにはいかない。
そんなギムレーの心中を知らず、試すようにロディが口を開いた。
「……ギムレーといったか、失礼を承知で尋ねたい、君は本当に戦えるのか? 見たところ武器を持っているようには見えないが」
「当然です。わたしが扱うのは魔導ですから」
少し力を見せつけてやるのもいいかもしれない。
ギムレーは懐から魔道書取り出し、右手を木に向かって構えた。しかし、魔道書を開いたのはあくまで形だけ、これから見せる邪竜としての力を魔道の力に偽装するためだ。
ギムレーは右手に邪竜の力を込めた。
……しかし、何も起きない。
木を吹き飛ばそうとしたのだが、何も起こらない。
ギムレーは困惑した。
竜の力が使えない? 消えた? いったい、何故に? 覚醒の儀の影響? 力の消失? 局所的な封印? 器の支配が消えていない?
「……どうしたんだ?」
ギムレーの様子を訝しんだロディが呟いた。声は出さないもののクリスも不審に感じているように見える。
「と、トロン!」
二人の視線に耐えかねて、ギムレーは咄嗟に使う予定のなかった魔道書の力を解き放った。
今度は失敗することなく、右手から飛び出した雷が木を貫いた。木の全体に電撃が伝わり、小骨がいくつも折れるような音が響く。雷の消えた後には、火事でも起きたかのように黒く焼け焦げた木が残った。
「……驚いた、まさかこれほどとは」
「え、ええ、これくらい余裕です」
最初からそのつもりだったと言わんばかりにギムレーは胸を張った。本当は丸焦げどころか消し飛ばそうと考えていたことなど当然口にはしない。
「これでわたしの力はわかったでしょう。わたしもついて行きます」
なぜ竜の力を使えなかったかはわからない。
だが、現状を把握できない以上、なおさらこのお人好し共を見殺しにするわけにはいかなくなった。
◆
「ちくしょう! クリスたちはまだ来ないのかよ!」
「ルーク、焦らないでください。敵一人一人の力量は大したことありません。無理に攻めこんだりしなければ……」
「そうは言っても、村人に被害が出たら元も子もないだろ!」
民を守ってこその騎士だ。護るべき対象を見捨て自らの安全を優先するのであれば、それはもはや騎士ではない。
彼らを守るには多少無理してでも敵の意識をこちらにひきつける必要がある。
ルークは気合を入れ深く息を吐いた。
「……少し掻き回してくる。ライアン、援護してくれ!」
「は、はい。わかりました」
ライアンは緊張した面持ちで頷いた。
「……少しでも危険を感じたらすぐに退いてください」
「わかってるって」
カタリナは不安げに眉をひそめたが、引き止めはしなかった。ルークのそれが蛮勇ではなく必要な判断だと彼女も感じているのだろう。
ルークは剣を構えると馬の腹を蹴った。弩から放たれた矢のように馬が駆け出した。最も近い位置にいる賊に狙いを定め剣を振るう。
「く、がはっ!」
賊は斧で対応しようと試みたが、剣相手に斧では分が悪い。賊はその場に倒れ、ルークの剣が赤く染まった。
「死にたい奴からかかってこい! 明日の聖騎士ルークが全員倒してやるよ!」
「くそ、アリティア騎士め、もう来やがったのか。……野郎ども! こいつから仕留めるぞ!」
賊の首魁らしき男が叫ぶと、ルークを取り囲むように賊が動き始めた。
ひとまず注意をひくという目的は達成できた。後は一掃するだけだ。
「オレの活躍を見せてやるぜ!」
戦場において馬というのはそれだけで驚異だ。機動力、突破力どちらにおいても歩兵を上回る。しかもルークの得物は剣。斧で戦う賊に対して圧倒的に有利であった。
しかし、それでも数の差は歴然。多勢に無勢。それでなくてもルークは新米従騎士だ。全員倒してやるとは意気込んだものの、実戦経験はほとんどない。村人たちの命を背負っているという意識がルークの僅かな失敗を促し、限界は予想よりも早く訪れた。
「ルーク! 一旦戻ってください! これ以上は完全に囲まれてしまいます」
「く、わかった!」
「そうはさせるかよ、取り囲め!」
「ライアン、突出した右の二人を妨害してください」
「はい!」
ルークの行く手を塞ごうとしていた賊をライアンが射抜いた。
「おう、助かったぜライアン」
「援護なら任せてください」
初めは子供かと思って侮っていたが、訓練を共に過ごす程にライアンの手堅い仕事に助けられていることに気づく。今回もライアンの援護射撃が無ければ多少なりとも傷を負っていたかもしれない。
「それで、クリスの奴はまだなのかよ」
「……もう少し持ちこたえましょう」
少しは休ませてくれよ、ルークは内心そう思ったがそれを口にするのが許される状況ではないことは明白だった。
「おい、お前ら! 計画変更だ! 馬に乗った相手とやりあってもラチがあかねえ。それより先に後ろにいる女とガキを殺すぞ!」
「……やべえな」
カタリナは軍師だ。戦い方の指示は頼りになるが、本人には戦う力がない。弓兵であるライアンも腕は悪くないが、敵に接近されたら為すすべがない。
二人を守って戦うのはさすがにルークには荷が重い。
「カタリナ、どうする?」
「森に逃げ込んで迎え撃ちましょう。追いかけて来た者から順に相手すれば、一度に多数を相手取らずにすみます」
「あの、ぼくたちが逃げて村は平気でしょうか?」
「……ルークが注意を引いてくれたので、彼らが私たちに気を取られているうちは安全なはずです。――ライアン、危ないっ!」
カタリナは咄嗟にライアンを突き飛ばした。ヒュンという空を切る音。ライアンの近くの木に矢が刺さった。
「ライアン、大丈夫でしたか?」
「う、うん。ありがとう、カタリナさん」
一刻も猶予はない。ルークが覚悟を決め剣を握りしめたその時だった。
「ごはっ!」
こちらに向かって走っていた賊が、突然強風に煽られ冗談みたいに吹き飛んだ。