ある日、一人の女の子が吸血鬼になりました。

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それは遠い昔
人間が苦境に立たされていた……地獄のような時代
希望は無く
救いも無い
そんな悲しい 哀れな世界


吸血姫のちょこっとした転生

 八欲王なる混沌の化け物たち。

 大陸中を戦渦に巻き込み、非道の限りを尽くした人外の獣。気分一つで街を滅ぼし、又は救い、そしてまた滅ぼした。

 標的となりしは主に亜人どもであったが、その他の者――人間種が救われていたかというと、そうではない。竜王たちとの戦いに巻き込まれて、多くの命が消し飛んでいたのだ。

 八欲王は辺り構わず戦い続け、あっけなく死に、容易く復活する。そしてまた戦い、己の欲望の為に死を撒き散らし続けるのである。

 

 ある日、二人の八欲王は殺し合った。

 切っ掛けは些細な出来事であったのだろう。アイテムの所有権を巡ってなのかもしれないし、誰を殺しに行くかで意見が対立したのかもしれない。

 ただ、真実は一つ。

 巨木が並び立つ人類未踏の山深くで、二人の欲深き王は相打ちとなったのだ。

 周囲の木々は吹き飛ばされ、山々は平地になるかの如く削られ、その場には最初から生き物がいなかったかのように更地へと成り果てる。

 どれ程の戦いが繰り広げられていたのか、なんて誰にも分からない。

 近くに住処を構えていた亜人などは、轟音が去った後に己が生きていたことだけを感謝し、すぐさま別の土地へと逃げ去った。

 誰が八欲王の影響が残る戦闘跡地へ身を置きたいと思うのか? 亜人はもとより魔獣や普通の獣なども本能的に回避するだろう。

 八欲王はその日の気分で天地を割るのだ、雷撃の雨を降らすのだ。結果として多くの種族が死に絶えようとも眉一つ動かさない。

 そんな神よりもタチの悪い頂上の者たちには、誰だって関わりたくないだろう。殺し合っていた竜王たちですらそう思っていたに違いない。

 だからその不自然な山奥の更地には、何者も近寄ることはなかったのだ。

 

 ――そのはずだった。

 

 亜人も魔獣も獣すらも寄りつかない土地は、人間にとってどのような意味を持っていたのだろうか?

 圧倒的に追い詰められていた人間という種は、本来なら亜人の家畜となっている弱小種族であった。それが八欲王の気まぐれで一時的に息を吹き返し、少しずつ数を増やし始めていたのだ。

 そんな弱きモノにとって、亜人が禁忌としている土地は魅力的だったのかもしれない。

 亜人が恐れるような何かは人の目に映らず、実際に足を踏み入れても恐ろしい災厄などは降りかからず、其処は実に普通の――不自然なほどの平地ではあるが――土地だったのだから。

 最初の一人が誰だったか、なんて誰も知らない。

 だけど何時しか、南から北へ、北から南へ向かう商人たちの中継避難場所となっていた。

 そして集まった人々へ水や食料を提供する者が現れ、次いで簡易テントで宿泊場所を提供する特異な人まで現れ始めたのだ。

 常駐して商売をする者、休憩の為に訪れる者、住み込んで狩りをする者、畑を耕す者。

 “亜人が避ける土地”だと言われ、その噂が本当であると実証されたことでさらに多くの人間が集いに集い、町のような様相になるのもさほど時間はかからなかった。

 人は家を建て、柵を作り、人の営みを続ける。多くの商人たちが安全な拠点として認識し、数多の物資が搬入されては取引されていく。やがて拠点を統括する者が登場し、発展の速度は加速した。統括者の下で人々は結束し、荒れ果てた山奥の平地を作り変えたのだ。

 後世にて、いつ国が興ったのかと言われたならば、恐らくこの瞬間こそが始まりであったのだろう。ただ国家として名を掲げたのは、この時から数十年も先のことになるのだが……。

 

 

 その王は「亜人が蔓延る世界でどのように生きるべきか?」を深く考えて国の舵取りをしていたのだろう。人間だけでなく、エルフやドワーフたちとの交流を絶やさず、もしもの時を考えて、常に防衛力というものを保持していたのだ。

 亜人が禁忌としている土地に国を興したのだから襲ってくるはずがない。そんな声も国民の中にはあったようだ。国の治安を維持するには過剰であろう騎士団や魔法兵団など税金の無駄遣いだ、と大臣が口にしたこともあったという。

 それでも王は遠く北東の――深き大森林の先にあるという宗教国家スレイン法国へも使者を送り、情報のやり取りを進めて亜人の動向へ目を光らせていたのだ。

 自国は山林を掻き分けた奥地に存在し、周囲は亜人と魔獣の巣窟。

 各地へ出かける商人たちも、多くの武装護衛と抜け道の存在が無ければ森の中で何者かの餌となっていたことだろう。

 今まで亜人たちが攻めてこなかったからと言って、これからもそうだとは限らない。国の全容は王城と城下街のみながらも、人口は百万に達する貴重な人類国家なのだ。無防備のまま亜人の前に身を晒す訳にはいかない。亜人がこの地を禁忌としたのは遥か昔。そんな御伽噺をいつまでも信じている訳にはいかない。

 何か事が起きれば、多くの人類が死に絶えるのだから。

 

 そう、少し寒くなってきたある日のことだ。

 平和ボケしていた住人たちは、慌ただしく集結する騎士団を見ても何ら危機感を感じていなかった。魔法兵団の中に“クリスタルプリンセス”と呼ばれている第一王女の姿を見つけて、ようやくただ事ではないと理解したほどである。

 その日、獣の気配が無いと狩人たちが呟いていた。数日前、周辺を見回っていた偵察隊が何処かへ向かっている亜人の部隊を目撃していた。

 情報を集めていた王は「この時が来たか、来てしまったか」と吐き捨てる。

 禁忌であった土地は、今や人間の巣であり亜人にとって格好の狩場だ。食糧にするにも奴隷にするにも、有り余る人間たちが蠢いている。

 もう我慢するまでもない。

 年寄り共の戯言など聞き飽きた。

 第一、八欲王なんぞ見たことも無い。

 見たことのないヤツを恐れるのは愚か者のすることだ。

 そんな考えが亜人の中に蔓延っていたのかもしれない。だがしかし、蹂躙を無抵抗で受け入れるほど人間は愚かではない。

 いつか来るであろうこの瞬間の為に、エルフやドワーフの部隊とも協力体制を整えており、防衛部隊も騎士団を中心として迎え撃たんと士気は高い。王族の中からも第一王女が国一番の魔法詠唱者(マジック・キャスター)として参戦しており、腹のくくり具合が伺える。

 

 戦いが始まったのは夕暮れ時だ。

 沈みゆく夕日に照らされて、小鬼(ゴブリン)人食い鬼(オーガ)妖巨人(トロール)(ウルフ)悪霊犬(バーゲスト)森林長虫(フォレスト・ワーム)魔狼(ヴァルグ)巨大蛇(ジャイアント・スネーク)跳躍する蛭(ジャンピングリーチ)巨大昆虫(ジャイアント・ビートル)絞首刑蜘蛛(ハンギング・スパイダー)、マンティコアなどなど――。

 悍ましい化け物たちの姿が見える。

 どうして集まったのか? どのようにして纏まっているのか? お互いに殺し合う可能性もあるだろうに……。

 いや、亜人や獣どもは目の前に蠢く人間しか見ていないのかもしれない。今まで襲いたくとも入り込めなかった禁忌の地だ。目の前に餌をチラつかせながら、おあずけを喰らっていた最高の餌場なのだ。

 涎が垂れるのも仕方のない話であろう。

 

水晶騎士槍(クリスタルランス)!!』

 

 腰まである金髪をなびかせて、第一王女が立ち塞がる。

 国一番の魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)にして、第五位階魔法にまで手を掛けんとする人類の救い手。水晶に特化した魔力構成により、他の追随を許さない最強のエレメンタリスト。若き天才術士(スペルキャスター)である。

 

 賢き王の下で準備していた備えにより、亜人との戦いは絶望に満たされるようなものではなかった。無論犠牲は多く、長きに渡り血生臭い戦場を見つめることにはなったが……。

 それでも第一王女や騎士団、エルフやドワーフの協力もあって、城壁の中へ亜人を踏み込ませるような事態には陥らなかったのだ。

 亜人たちにとっては想定外であっただろう。人間など取るに足らない餌であったはずだ。大勢で攻め込めば、あっという間に蹂躙出来た筈なのだ。たとえ指揮系統がメチャクチャでも、好き勝手に暴れていたとしても、叩き返されるなんて悪い冗談としか思えなかったに違いない。

 人間は弱い。人間は美味い。ただ其れだけの生き物だったはずなのだ。此方が傷だらけになり空腹で動けなくなるなんて、どんな悪夢なのか?

 ある亜人が空腹のあまり連れていた獣を食い殺す――すると、彼方此方で同じ様な現象が巻き起こってしまう。

 亜人が獣を殺すと、その亜人を魔獣が殺して食い。より強力な亜人がその魔獣を切り裂いて焼こうとすると、他の亜人が食い物を寄こせと襲い掛かる。

 幾日も続いていた人間との戦いは、一夜にして崩壊した。今はもう同士討ちの嵐である。まぁ亜人や魔獣たちに仲間意識があったのかどうかは確認しようもないのだが……。

 

 人間は城壁の上から醜い争いをジッと眺めていた。少なくない犠牲を払ったからこそ辿り着けた、亜人軍勢の崩壊である。

 長期戦になれば兵站の概念が無い亜人らは足並みを乱すと思っていた。指揮官らしきモノを中心に狙っていれば、纏まりを無くすと思っていた。

 もっとも最初から纏まってなどいなかったが――とは今更どうでもイイ話だ。

 此処は亜人にとって禁忌の地。なれば其の地に相応しく亜人を殺し尽くさねばならない。忘れていたのなら思い出させよう。この地に入った亜人どもは、悉く死に晒すのだということを。

 

 何度目かの突撃が敢行された後、動いている亜人はいなくなった。魔獣もマンティコアを最後として全滅、獣たちは早々に森の奥へと姿を消していた。

 人間側の勝利……、誰が見てもその通りであろう。だが誰一人として笑顔を見せることはなかった。

 禁忌の地として亜人たちが忌避していた安全地帯。それがもう無意味な言い伝えと成り果ててしまったからだ。これから先、亜人との戦いは続くだろう。人間の生存圏を懸けた、後に退けぬ殺し合いの始まりだ。

 でも嘆く必要はない。

 人間は亜人に打ち勝ち、繁栄し続ける。高く築いた城壁、鍛え上げた兵士たち、そして神の領域へ迫ろうとする魔法詠唱者(マジック・キャスター)。亜人どもがしり込みしている間に整えた人間側の戦力だ。これさえあればそう簡単に負けはしない。

 この場所は再び禁忌の地となるだろう――亜人にとって。

 人は繁栄し、狭まっている生存圏を押し戻す。

 そう、大事なのはこれからだ。

 へたり込んでいた己の尻を叩くかのように、第一王女は泥まみれの身体を無理やり起こし、拳を頭上へ掲げる。

 

『我らの勝利だぁあああぁぁぁ!!』

 

 呆然としていた兵士たちは、止まっていた時間が動き出したかのように我に返る。誰かは勝利の雄叫びを上げ、誰かは泣き喚き、誰かは高々と笑った。

 よろけて膝を突き、大の字になって倒れ込み、城壁へ体重をかけながら意識を無くしたかのように眠りこける。

 統率された軍隊など何処へやら……。

 今は己の命が本当に其処にあるのかと実感する方が先なのだろう。それを咎める者など何処にもいないのだから。

 

 それから十三年。

 

 亜人との小競り合いは続いているものの、大規模な侵攻は起きなかった。

 大量の亜人が死したことで再び禁忌の地であることが周知されたのか、それとも有望な上位亜人がことごとく殺されたからか。

 もしかするとより一層高くて厚くなった城壁と、開発配備された多くのバリスタを見て、攻め込むのは無謀と判断したのかもしれない。

 まぁ亜人にそんな判断ができるのかどうかは、意見の分かれるところかもしれないが。

 

 英雄の一人となった“クリスタルプリンセス”こと第一王女は、亜人戦争の直後、一緒に戦った狩人の男性と結婚し、王位継承権を返還した。

 一般人となったのだ。

 そして一女一男をもうけ、今日も露店の並ぶ大通りへと出かけて、夕飯の食材を吟味している。

 ただ、その姿はハッキリ言って目立つ。

 長い金髪を一纏めにしていても、地味な服装であったとしても、姿勢正しく歩く美しい女性の存在は人の目線を誘ってしまうものだ。

 加えて宮廷魔法詠唱者(マジック・キャスター)より実力のある主婦系魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。

 只者ではないと思わせるオーラが、露店を出している商人たちにも伝わっていたことであろう。とはいえ、幼い頃から街へ飛び出していたお転婆姫であった為、ほとんどが顔見知りであったりもする。

 

「おっと姫さま、今日は川魚でも如何ですかな? 毎日肉ばっかりでは飽きるでしょう」

 

「もぉ、また姫って。子持ちの主婦をいつまで姫様扱いなのかしら?」

 

「あはは、そりゃ~仕方ありませんや。私らは姫さまが生まれた時から知っているんですからねぇ」

 

「はいはい、それじゃ川魚を五匹ほど頂こうかしら」

 

 姫様呼ばわりされた主婦はいつものやり取りを交わした後、露店主のオヤジさんから夕飯の材料を購入した。普段は夫が狩人である為肉料理中心なのだが、たまには魚もイイだろう。

 

「おっと四匹ではないので?」

 

「私の御姫様は二匹ぐらいペロリよ。成長期なんだから」

 

「おぉ、キーノ嬢ちゃんもそんな歳ですかい。早いモノですな~」

 

「ええ、ホントそうね……」

 

 第一子の女の子を生んだときは、まだ情勢が不安定な時期であった。

 亜人戦争からおよそ一年。街と其処に住まう国民に刻まれた戦いの傷跡がまだ癒えぬ、そんな不安定な環境。自身も平民として生活しながら、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の教育係として奔走していた。

 だけど今はもう十分な防備を備え、亜人対策は万全だ。

 戦闘自体も街の外へ出ていく商隊警護に関するモノがほとんどで、街への侵攻は噂ですら存在しない。

 

 元王女は一纏めにした金髪をフリフリさせつつ、鼻歌を奏でながら自宅へと戻った。其処はレンガ造りの二階建てで、夫婦と子供二人の暮らしならば順当と言える広さであろう。

 夫は不在のようだ。この時間帯なら、狩りから戻って組合へ獲物を提出している頃合いだろうか? 自分の獲物なら組合から格安で購入出来る為、いくつか肉素材を持ち帰ってくるかもしれない。今日は魚にするつもりだと言っておけば良かった。まぁさっき思いついたのだからどうしようもないけど。

 

「あら? キーノは居ないの?」

 

「お母さんおかえり~。お姉ちゃんなら占い師のオバちゃんのとこ行くって言ってたよ~」

 

「はい、ただいま。……ふ~ん、私との魔法修業はサボり気味なのに、あの人とは仲良しさんなのねぇ」

 

「あははは、だってお母さんの魔法は街の中で使えない怖いのばっかりなんでしょ? お姉ちゃんもお城の訓練場まで行くのはめんどくさい、って言ってたし~」

 

 母に向かって悪意なく苦言を呈しているのは幼い男の子だ。机に向かって文字の練習をしているようで、手元の木板には似たような紋様が多数、小石棒で刻まれていた。

 

「はぁ、あの子ったら……。お仕事の邪魔をしていなければイイのだけど」

 

 思い浮かべるのは一年ほど前から懇意にしている街の占い師だ。

 比較的新しい移住者の一人で、探知系魔法を使用できる腕の良い魔法詠唱者(マジック・キャスター)として知られている。

 人当たりの良い中年女性で、時々無償で失せ物探しなどをしているらしい――金銭を受け取っていないとなるとヤヤコシイことになるので黙っていて欲しいと言われたが。

 娘のキーノも、一年前に占ってもらった頃から仲良くなった。そして暇を見ては会いに行き、探知系の魔法を習っているようだ。困ったことに無償で。

 

(もぉ、魔法を習うならお金を払わないといけないのに、魔術師組合にバレたら怒られちゃうわよ。実の娘に教える場合とは違うのだから……)

 

 街には様々な組合が存在する。狩人組合、商人組合、神官組合(別名:教会)、傭兵組合、占術組合、そして魔術師組合。組合は街にいる技能者を管理統括し、不正な行いをしないか監視する役目も担っている。その中には、金銭を受け取るべき魔法指導などを無償とすることで他の業者へ損害を与える、という行為も含まれているのだ。

 何処かの御人好しが好き勝手にタダで魔法を教え始めたなら、魔法指導で飯を食っている人は破産してしまう。組合もバラバラになってしまうだろう。だからこそ厳しく制限されているのだ。

 

(またそれなりの手土産を持っていかないとなぁ。後払いの現物支給。言い訳としてはちょっと苦しいけど……、どっちにしろ組合に報告していない取引なんだから、バレたら怒られるのは同じか)

 

 母親としては娘に甘い顔をしてくれる相手に厳しいことは言いたくない。でも甘やかし過ぎるのは問題だし、魔術師組合の一員としては見逃す訳にもいかない。

 だからギリギリの境界線を渡ろうとしているのだが……。

 

(あの子にもちょっと厳しく言わないといけないわね)

 

 少し前には魔導書片手に眠りこけて夕飯前に帰ってこなかったこともある。暗くなる前に帰宅する、というルールがあるにも拘らず。

 相手側にも迷惑をかけてしまうだろう。なまじ文句を言わず笑顔で受け入れてくれるからこそ、母親たる自分がガツンと言う必要がある。場合によっては訪問禁止とする可能性もあろう。

 

(もしかして私が元王族だから文句を言い難かったのかしら? だとしたら悪いことをしたわね。子供の相手をしてくれるからってちょっと無神経だったのかも……。もっと配慮しないといけないわね)

 

 手早く食材の下ごしらえを行いつつ、(くだん)の占い師を頭に浮かべては「御免なさい」と呟く元王女様。近くのテーブルに座っていた幼子は、母親の妙な行動に首を傾げるばかりだ。いつもハチャメチャなお母さんであるだけに、今度は何をしでかしたのかと訝しんでいるかのようである。

 

「どうかしたのお母さん?」練習していた文字の書き手を止めて、幼子は「また何か壊したの?」と半目で笑う。

 

「なんでもな――って、“また”じゃないでしょ? 最近は何も壊してないわよ。市場のスリ集団に〈魔法の矢(マジック・アロー)〉を打ち込んだときは、屋台がちょっと焦げただけだし……」

 

「あれが“ちょっと”なのかなぁ?」

 

 街中で魔法を使うのは御法度である。とはいえ犯罪者相手ならば見逃してもらえる場合もあり、元王女の母もこれ幸いとばかりに――って仕方なく使う場合もあった。

 もちろん幼子の表情が非常に残念な感じになっていることからも分かるように、母親の魔法は「仕方なく使って良い」領域のモノではないのだ。

 本人曰く「相手を殺さないように配慮しているのだから、周辺の建物なんか気遣っていられないわよ!」とのこと。

 息子としては、日常の光景と言われている母親の所業にため息で答えるしかない。ちなみにこの幼子、まだ六歳である。

 

「そんなことより、夕飯の用意ができたらちょっとキーノを迎えに行ってくるわね。あの子のことだから、暗くなる前に帰ってくる――なんてことはないでしょうし」

 

「お姉ちゃんはズルいよね~。ボクも夜更かしした~い」

 

「悪いところは真似しないの。それにキーノは今回で三回目なんだから、ちょっとした罰を与えるつもりよ。え~っと、御小遣い半分なんてどうかしら?」

 

「あ~、お姉ちゃん泣いちゃうよ。今度の御小遣い分を合わせて“八欲王討伐大戦記”が買えるって喜んでいたのに……」

 

「自業自得でしょ? って八欲王とか六大神の言い伝えが知りたいのなら王宮の書物庫へ行けばイイのに、まだ行きたくないのかしら?」

 

 兄弟姉妹たちも姪の顔が見られるのなら喜んで迎え入れるはずだけど――と呟きながら、元王女はさばいていた魚の身を脇へ寄せ、娘の心境へ想いを馳せる。

 娘が王宮を避けるのは仕方のないことだ。

 幼い頃から「王族の血を引いている」と特別扱いを受けていたが故の結果。極端過ぎる丁寧な扱い、一歩引いた対応、本音の無い会話、遠慮という共同体からの排除。

 端から見れば贅沢な悩みであったかもしれない。だけど幼い子供にとってはイジメ以外の何モノでもなかっただろう。相手側に悪意が無いから反発することもできない。

 故にキーノは王宮を避け、王族を避け、姫様扱いする国民を避けた。

 占い師の女性を始めとする事情を知らない移住者ばかりに懐くのも、そのような理由があるのかもしれない。まぁ、移住者であっても元王族の王女様が母親であるという情報は、あっという間に知れ渡ってしまうのだが……。

 

(此処数年は近所の方々と仲良く接していたから吹っ切れたのかと思っていたけど、王宮はまだ駄目なのね。……兄さん妹たち、ごめんね)

 

 王太子や大臣を兼務している兄妹たちが姪や甥に会いたいとボヤいているのは毎度のことだが、娘の気持ちが向かないのなら諦めてもらうしかない。今後の成長に期待するしかないだろう。というか兄さんも早く結婚して子供を作ってほしい。いつまで女遊びをしているつもりなのかしら?

 

「おかーさーん、文字の練習終わったよー」

 

「あら、早いわね。……ふんふん、もう一通り覚えちゃったかしら? この調子なら魔導文字だって直ぐに覚えられるかもね」

 

「え~、アレって頭が痛くなるってお姉ちゃんが言ってたよ~」

 

「ま、まぁ、それは否定しないけど……」

 

 包丁片手に息子の勉学状況を覗き見て、母は満足げな表情を浮かべるものの、自身が魔導文字の習得に辟易していた過去を思い出して眉を潜めてしまう。

 娘が逃げ出したくなる気持ちも分かる。

 だけど、魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるならば必須事項であるが故に仕方がない。石に齧りついてでも習得せねばならないのだ。

 新しい魔法を開発することこそが魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての至上命題。過去の魔法しか知りません、では魔法学の衰退を意味してしまう。

 魔力系、信仰系、精神系などのジャンルを問わず広範囲の魔導文字を習得し、その構造を読み解き、今までにない魔法を組み立てる。自分で使う魔法のことしか理解できていない――なんて魔法の可能性を閉ざしてしまう悪手だろう。

 でもまぁ、過去に使われたらしき神の魔法“第七位階魔法”ですら再現できていないのだから何をいわんや。いくら努力しても、魔法学の世界は右肩下がりなのかもしれない。

 

 鍋の中で煮込まれている魚の身を軽く突いて煮込み具合を確認する。煮汁をすくって口に含み、舌の上で転がす。

 

「まっ、こんな感じかな?」

 

「美味しそうな匂いだね~。お母さんってば、もうお父さんよりお料理上手くなったんじゃない? 最近は失敗しなくなったし」

 

「ううぅ、お父さんに勝つのはまだちょっと無理かなぁ」

 

 魔法で料理ができるのなら勝つ可能性もあるけど――なんてブツブツ言いながら、元英雄たる“クリスタルプリンセス”は夕飯の用意を終えた。

 

「さてと、やっぱりキーノは帰ってこなかったわね。ちょっと連れ戻してくるから待っていてちょうだい」

 

「はーい。もうすぐお父さんも帰ってくる頃だし、一緒に待ってるよ。いってらっしゃーい」

 

 幼子一人を残して出掛けるなんて不用心と思われるかもしれないが、この家には元王女製作のゴーレムが数体配置されており、王宮並みに安全だったりする。だからこそ母は“火を吐くドラゴン”が刺繍されたエプロンを椅子の背もたれに掛けて、そのまま戸締りする事なく無造作に外出できるのだ。

 幼い息子へ手を振り、元王女は鮮やかな朱色に染まる夕日を背に街中を駆ける。娘の御尻を何度叩こうか、とニヤニヤ笑いながら……。

 

 

 ◆

 

 

 占い師の名はマーサ。

 ふくよかな四十代半ばの女性で、ちょうど一年前この国へ――この街へ移住してきた。

 専門は占術だそうだが、探知系魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての腕も確かであり、何度か街の衛士隊に犯人探しで協力したこともあるそうだ。

 最近はちょくちょく失せ物探しを無償で行っており、周辺住民の評判は高い。

 もっとも同業者からはあまり良い目で見られていないのだが……。

 

「キーノちゃん、そろそろ帰らないとお母様が心配なさるわよ」

 

 占い師が微笑みながら見つめるのは幼い女の子だ。

 歳は十か十一か? 肩まで伸びる金髪は黄金であるかのように輝き、その手入れが行き届いた健康的な髪艶からは、裕福な階級の子供であると判別できる。

 ただ表情は不満げだ。少しばかり口を突き出し、我儘を放とうとしているかのよう。

 

「もうちょっとだけイイでしょ?」大きな年代物の本を両手に抱え、少女は「この魔導書が読み終わるまで! ねっ」と天使の笑みを放つ。

 

「読み終わるまでって……、いったい何日泊まり込むつもりなのでしょうねぇ。貴方のお母様に手酷く怒られてしまうわ」

 

「だ、大丈夫だよ。お母さんはマーサさんに感謝していたし……」

 

「そう、かもしれないわね。だけどそうなると怒られるのは――」

 

「……わたし?」

 

 襲いくるお仕置きの過激さを想像し、金髪の女の子――キーノは身を震わせる。

 最近、少しばかり魔法の練習をサボり気味だったり、占い師マーサのところへ逃げ込んだりしている。辺りが暗くなっているのに気付かず、迎えに来た母に御尻をペンペンされたことも記憶に新しい。

 だが、まだ外は明るい。あと数刻は大丈夫なはずだ。だから何も問題は無いはずなのだ。

 

「く、暗くなる前に帰れば大丈夫だと思う。うん、大丈夫!」

 

「しょうがないわねぇ」

 

 マーサはキーノに甘い、というか誰に対しても温和で丁寧なのだ。

 教育という面では眉を顰められる行動なのかもしれないが、近所のおばさんとしては子供にとって有難い事この上ない。

 ただ貴重な魔導書を無償で閲覧させるという行動は、組合にとって看過出来ない事案故に秘匿した方が良いだろう。誰の口にも上るような不用心さでは、流石の元王女様でも庇いきれない。

 

「ふわわわぁぁ……」

 

「あらあら、さっきまで元気だったのに」

 

「ん~、なんだかちょっと、ぼ~っとしちゃって……」

 

「少しだけ横になったらどうかしら? ほんのちょっと眠るだけでも頭はスッキリするものよ」

 

「う……ん、そう……する~」

 

 元気いっぱいだった子供が魔力切れの動像(ゴーレム)みたいに動かなくなるのはよくあることだ。正しい子供のあり方であると言えよう。

 占い師マーサも優しく微笑みながら、横になるキーノを毛布で包み込む。

 

「ふふふ、本当に素晴らしい子ね」

 

 丸くなって寝息を立てる幼子に、マーサは本心からの称賛を捧げる。

 御世辞などではない。

 一年前に出会った奇跡。幼子が持つ特別な生まれながらの異能(タレント)。そして心を許せる相手として、今日この日を迎えることができた盟主様の加護。

 それら全てに対し「素晴らしい」と絶賛したくなる。

 

「一年……、長いようにも感じたけど今日で全てが終わる。いえ、始まるのかしらね」

 

 微笑んでいた細目を少し開き、マーサは長きに渡る潜入任務を振り返る。

 最初は元王女の勧誘が目的だった。

 その為に占い師として移住し、周辺住民の中へ溶け込もうとしていたのだ。住民の生まれながらの異能(タレント)を調べていたのは“ついで”に過ぎない。組織の――盟主様のお役に立つかもしれない異能があるかも? と己の能力を有効活用していたのだ。

 高弟たる自分が出向くのであるからそれ相応の手柄が必要であろう、と勧誘対象の娘を探査するまではそう思っていたのである。

 

「ふふ、我ら百名が命を捧げる大儀式。……盟主様、もう少し……あと僅かで御座います」

 

 マーサは毛布にくるんだキーノを麻袋へ押し込み、次に大きな背負い籠の中へ入れ込んだ。

 その作業は多少乱暴ながらも、眠っているキーノに起きる気配はない。軽く横になるだけの仮眠ならば、流石に異常を感じて目を覚ますはずなのだが……。

 占い師はキーノが絶対に起きるはずはないと確信しているのか、手早く外出の準備を整え、幼子が入った籠を背負い自宅を後にする。

 向かう先は王城――ではなく、王城の裏手にある共同墓地だ。

 当初は田畑に適さない岩と砂の荒れ地であった為、兵士の訓練に使う広場だったのだが、十三年前の亜人戦争を経て、死者を埋葬する墓地となったのである。

 そしてその場には、城の地下へ掘り進めて造られた避難場所があった。現在は霊廟として整えられているが、墓守以外は滅多に訪れない閑散とした気味の悪い空間。

 マーサは死体でも運んでいるかのように霊廟へ足を踏み入れ、墓守として街の住人になりきっていた己の弟子へ軽く頷く。

 

「お待ちしておりました、我が師よ。準備は全て整えてございます」

 

「当然よ。今回の儀式は、未だかつて誰一人として到達したことのない未知の領域であり規模なのだから、準備不足なんか許されるわけないでしょ? 細心の注意を払いなさい」

 

「はっ」

 

 みすぼらしい灰色ローブを着込んだ墓守の前を、籠を背負ったマーサは通り過ぎ、霊廟の最深部へと進む。

 霊廟――と言っても、元は岩をくり抜いただけの避難所だ。

 幾つもの小部屋を荒々しく削られた細い坑道で繋いでおり、全体像を視認できるのなら蟻の巣と見間違う作りであっただろう。

 しかし今は都合が良い。

 この国の何者かが事態に気付いて駆け込んできたとしても、最奥の間までは簡単に辿りつけまい。

 一年前から準備していた我らとは違い、霊廟の構造は忘れ去られて久しいのだから。

 

「ふう、全員揃っているわね。魔法陣の首尾は?」

 

「整っております。儀式の発動は直ぐにでも……」

 

 マーサの問いに黒ローブの男達が跪いて答える。其処は通り過ぎてきた小部屋とは違ってかなり広い空間だ。魔法と松明による明りで、端の方まで視界が通る。

 その場にいたのは十名の魔法詠唱者(マジック・キャスター)たち。全てがマーサの弟子であり、組織の構成員だ。

 足下には部屋全体に広がる魔法陣。そして生贄を乗せるのかと思える石のテーブル――祭壇が中央に一つ。

 

「娘を祭壇へ。即座に儀式を始めるわよ。今まで誰も見たことのない、国を丸ごと飲み尽くす前代未聞の大儀式……。皆、覚悟はイイわね?」

 

「無論です。盟主様の新たな肉体の一部として我らの全てを捧げられるのですから、何の不満がありましょうや。この国の住人とて感謝することでしょう」

「まさにっ、真実を知らされたならば涙を流して喜ぶ事でしょうなぁ」

「未来永劫、盟主様と共にあるのだ。これ以上の幸せがどこにあろう」

 

 嘘偽りなく感嘆の声を上げる黒ローブの者たちは、いずれも長きに渡る修練と実戦の末に凄腕となった魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。その努力を鑑みれば、誰かの為に命を投げ出すなど、もったいないと思わずにはいられない。にも拘らず、誰もが涙を流さんばかりに運命への感謝を述べている。

 狂気であろうか?

 信仰なのであろうか?

 大儀式の準備へと動き出す男たちの瞳は、確かにまともとは思えぬ歓喜に満ちていた。

 これから死ぬというのに――

 これから殺すというのに――

 

「ではこれより……、転生の儀式を執り行う」

 

 マーサは石のテーブルに寝かされた少女を前に宣言する。微かに振るえを見せる声色は恐れの為ではない。一年に渡る任務の達成、盟主様のお役に立てる事への感激が全身に巡っていたからだ。

 涙すら零れる幸福感。

 敬愛する主の為に己の全てを差し出せる充足感。

 魂すら捧げることができるのだから、誰から見ても――そう、盟主様から見ても絶対の忠誠を知って頂けるに違いない。

 しかも新たな肉体の一部として、永遠の傍仕えが可能なのだ。己の意思がないとか肉体がないとか、そんなことは些事でしかない。重要なのは盟主様のお役に立てるかどうか、その一点に尽きよう。

 

 霊廟の最奥、儀式の間では詠唱が始まっていた。

 十名の魔法詠唱者(マジック・キャスター)とマーサが魔力を練り上げ、魔法陣を脈動させる。

 キーノは眠ったままだ。

 そして霊廟の外では何も知らない住人たちが、いつもと変わらぬ夜を迎えようと明かりを灯し始めていた。

 

 

 ◆

 

 

 少し寝過ぎたかも? と思い身をよじる。チャラ、と細やかな金属が転がったであろう音が聞こえる。

 背中や頭がゴツゴツとした石版に乗せられているようで不快だ。次いで「どうして自分は両手を上げているのだろう」と疑問に思い、腕を下げようとして手首に痛みを覚える。

 

「痛っ」

 

 キーノは薄目を開けて自分の手首を見ようとしていたが、同時に洞窟内のような岩の天井を視界に捉えてしまい、呆然と口を開けたまま止まってしまう。

 ここは何処なの?

 キーノの疑問は至極単純だ。

 レンガ造りの決して広いとは言えないマーサの自宅で横になっていたのに、いつの間にやら洞窟みたいな場所で、両手を上げた万歳状態で仰向けに寝ている。

 しかも両手両足は動かない。

 見れば囚人を繋ぐような枷で固定されているようだ。犯罪者を引き連れていた頃の名残であるかのような鎖の一部が、枷の端でチャラチャラと揺れている。

 

「え? ――えっ?」

 

 訳が分からない。キーノの心境は誰の眼にも明らかだった。見たことのない場所、少し肌寒い空気、動かない――動かせない身体、そして周囲を囲む黒いローブの不審者たち。

 背筋に寒気が走る。これはまるで御伽噺の生贄であるかのようだ。

 悪い魔法使いが強力な魔法を使う、又は悪魔を召喚する時の御約束とも言える光景。だがその場合は生贄がお姫様であるはずだ。決して幼い街娘、キーノが代役できるポジションではない。

 

「な、なに?」目を見開いて不安だけを口にし、「ここ何処?」と誰に聞かせる訳でもなく無意識に呟く。

 

「霊廟ですよ、キーノちゃん。そして貴方が転生を行う、記念すべき場所でもあります」

 

「え? マ、マーサさ、ん?」

 

 先程まで一緒にいた女性の声だ、忘れるわけがない。

 不気味な黒ローブに身を包んではいるが、おっとりした占い師のオバさん……のはずだ。

 いつも微笑んでいる細目が、今は何故か恐ろしげな狂気をはらんでいるようにも思えるけど、一年前から仲良くしている優しい女性のはずなのだ。

 

「ちょっ、え? これって何かのお仕置き? お母さんに頼まれたの?」

 

「ふふふ、本当に可愛らしい子ねぇ。盟主様の新しい身体としてはちょっと幼くて愛らしい感じもするけど、まぁそれも転生すれば変わるでしょう」

 

 僅かな可能性を信じて母からのお仕置きなのかと問うてみても、マーサからは狂信者のごとき呟きが漏れてくるだけだ。

 盟主。

 転生。

 よく分からない、聞いたことのない言葉が耳に触れる。キーノはとっさに疑問を口にしたくなるが、現状を悪化させかねない可能性に怯え言葉が出ない。

 

「あらあら、いつもの元気な調子はどうしたのかしら? 私としては、大声で騒ぎたてる貴方へ絶望的な現状を優しく教えてあげるつもりだったのだけど……」

 

 身動きできないキーノの腹部を優しく撫で回しながら、マーサはクスクスと笑みを零す。それはまるで獲物の肉質を見定めているかのようであり、どのように調理するべきかと思案しているかのようであった。

 

「だけどキーノちゃん、本当に心当たりはないの? 誰かに狙われて誘拐されるような生まれながらの異能(タレント)を自分が持っているって、お母さんから聞いてないの?」

 

「……ぇ?」

 

 キーノは涙目で首を横に振ることしかできない。

 実際、本当に知らないのだから何も言いようがないのだ。生まれながらの異能(タレント)のことは一般常識程度の知識しか持ってはいない。身近な人物で言えば、母が“魔法適性”を所持しているのだが、その異能がどのようなモノなのかについては聞いていない。

 

「あら~、英雄たるクリスタルプリンセスも自分の子には甘いのねぇ。でもまぁ、死に係わるタレントなのだから気持ちは分かるけど」

 

 石のテーブルに固定されたキーノの傍をゆっくり歩きながら、マーサは己の上唇を舐めまわす。少しだけ興奮しているのかもしれない。キーノの幼い肉体に、別の誰かを幻視しているようだ。

 

「“転生”ってタレントを知っているかしら? 死亡した瞬間、周囲の生命を吸い取って別の存在に生まれ変わる特殊な異能よ。希少な前例によれば、転生者の死に立ち会った十数人が犠牲になるらしいけど。まぁその程度であれば、我らズーラーノーンが出向くまでもないわ」

「ずー……らー?」

 

 知らない単語がキーノを混乱させる。ただでさえ恐怖で頭が回っていないというのに、初めて聞く“転生”やら“ズーラー”やら……。魔法の座学より遥かに難解だ。

 

「あららぁ、私達の組織って結構知られているはずなのに……。う~ん、まぁ女の子には無縁かもしれませんわね。ただ、我らが盟主様については知るべきですよ。何しろ、貴方の肉体を受け取る御方なのですから。あぁいえ、今の肉体ではありません。貴方がこれから殺されて、転生を果たした後の肉体です」

 

 ひぃっ――と小さな悲鳴を上げるキーノを見ても、マーサの微笑みは崩れない。むしろ細目がより一層弧を描いたようにすら見える。

 

「大丈夫ですよ、心配ありません。私たちが貴方の“転生”を大規模展開し、素晴らしい存在へと生まれ変わらせてあげます。その為にこの一年、街の中、国中にズーラーノーンの信徒を移住させて魔法陣を設置させたのですから」

 

 マーサは顔を上げ、洞窟の天井を見つめながら苦難の日々を思い起こす。

 

「最初はクリスタルプリンセスを勧誘する為に訪れたのです。そして子供を利用できないかと近付いたのですが……。まさか“転生”のタレント所持者だったとは。そうそう、封印の指輪をしていたものですから念の為に能力探査を用いたのでしたね。アレが無かったら見逃すところでしたわ」

「ゆび……わ?」

 

 キーノは言われて初めて気が付いた。自分の右手人差し指に嵌めていた大事な指輪。それが無くなっているのだと。

 

「ああコレね。貴方のお母様が誕生日に贈ってくれたのだったわね。だけどこの指輪は、魔力や気力、様々な気配などを封じ込めるための魔法具なのよ。もちろん、転生の力も抑え込めるわ。あの元王女様は何かの事故でキーノちゃんが死んだ場合、転生を発動させないように対処していたのね」

 

「私なら周囲を犠牲にしてでも我が子には生き残ってほしいものだけど……」と呟くマーサは同時に「まぁ転生なんだから生き残るという表現は適切ではないわね」と軽く笑う。

 キーノはそんな狂気じみたマーサから目を背けながらも、必死に呼吸を整え、問いを放つ。

 

「私を……殺すの?」

 

「もちろんよ」

 

 あまりにも喜びに満ちた答え――殺害の返答としては場違いな事この上ないが、キーノの停滞していた恐怖を溢れ出させるには充分であった。

 呼吸が荒くなり、涙が溢れ、全身が細かく震える。温かな体液が石のテーブルに注がれ、ほのかな異臭と共にピチャピチャと流れ落ちても、もはやキーノにはどうすることもできない。

 

「いあああぁぁああぁ!! おかあさぁぁああーん! いやああぁぁああぁっ!!」

 

「あらあら、大丈夫よ。貴方の転生に私たちはもちろん、国中の人々が生贄になるの。此処の魔法陣で大儀式を行って異能効果を数段高め、各所に設置した百余りの魔法陣で転生の力を国全体へ広げるのよ。キーノちゃんが取り込む生命は百万人にも及ぶでしょう。老いも若きも全ての国民がキーノちゃんの、盟主様の新たな身体の一部となるのよ」

 

 楽しそうに、嬉しそうにマーサは語る。

 どうやら本当に――己の命も弟子の命も、多くの罪なき国民の命すらも、盟主とやらの供物にするつもりのようだ。

 転生が発動したならば、一番近くにいるマーサとその弟子たちは間違いなく死ぬ。自分たちで転生の威力を増大させているのだから、自殺同然の行為であろう。それなのにマーサが零すのは歓喜と感謝の言葉のみ。

 狂人という他無い。

 キーノは泣き叫びながら、食卓を囲んで穏やかに微笑む両親の顔が、そして楽しそうに抱き付いてくる弟の姿が、滲んで霞んで消えていくのを感じていた。

 そう、このままでは助からないのだ。自分も、両親も、弟も、街の住人達も。

 

「はぁはぁ……はぁはぁ、はぁぁ、んぐ」

 

「あら、泣くのはお仕舞いかしら? ん~残念ねぇ。貴方の可愛らしい泣き声を聴きながら殺してあげようと」

「お、お願いマーサさん! 弟はまだ六歳になったばかりなのっ。だから、そのっ、見逃して! 何だかよく分からないけど、私はマーサさんに協力するからっ!」

 

 両親のことも心配だけど、自分としても逃げ出したいけど、姉として最初に気遣うべきは弟のことだ。このままでは意味不明な儀式の巻き添えを受けて、命を落としてしまうのだろう。一刻も早く街から逃げてもらわなくては。

 

「そーねぇー、弟ちゃんは可愛いもんね~。あんな幼い子が自分の所為で死ぬなんて、相当無念でしょうねぇ。ああそうそう転生の効果はね、感情を高ぶらせて死んだ方がより強力になるのよ。生きたい、死にたくない、死なせたくない。そんな想いが転生の一助となるのだから、キーノちゃん。存分に弟ちゃんのことを想って死んでね」

 

「……あ、あぁ、……そん、な」

 

 マーサは終始笑顔だった。そして有り余る幸福に浸っているかのようであった。

 呆然とするしかないキーノは涙に塗れたまま、手枷の痛みに気を寄せることもできず、己の無力さを嘆くばかり。

 何がいけなかったのか? 何処で失敗したのか? どうすれば良かったのか? 分からないことだらけで混乱してしまう。

 そもそも“転生”も“儀式”の話も、たった今聞いたばかりなのだ。

「己の命すら投げ出して儀式を行う」というマーサの言葉が嘘であってほしい、と祈ることしかできない。

 

「マ、マーサ、さん。転生が始まったら……、みんな死んでしまうのでしょ? 貴方だって、それなのにっ」

 

「あらら、キーノちゃんは人の話を聞かない子なのねぇ。イイかしら? 私達は死ぬんじゃなくて、盟主様の新しい身体の糧となるのよ。名誉なことでしょ? 貴方がどんな転生を果たすのかは分からないけれど、国を丸ごと取り込むのだから素晴らしい存在に生まれ変わるはず。ならば何を恐れるというのかしら? キーノちゃんも誇りなさい。素晴らしいタレントを、選ばれた運命を!」

 

 もはや何を言えばイイのか分からない。

 狂気の瞳はキーノを優しく見つめ、死の瞬間まで寄り添ってくれるかのようだ。

 マーサは弟子の一人から波打つ刃物を受け取ると、刃の輝きにうっとりと微笑みながらキーノの傍まで歩を進める。

 

「さぁ、魔法陣へ魔力を注ぎなさい。始めるわよ」

 

 安定軌道を成していた魔法陣は、突如として力を増した。

 中央の祭壇に寝かされているキーノを覆い隠すかのように発光し、近くにいるはずのマーサまで見えなくなる。

 

「やめてっ! マーサさん、お願いだからっ!」

 

「大丈夫よキーノちゃん。貴方が死ぬまで傍にいるわ。もちろん、転生を成してからも貴方の一部として……、生涯を共に過ごしましょう!」

 

 語りを終え、マーサは手にした波打つ刀剣――フランベルジュを掲げる。

 

「少し痛いけど、我慢してねっ」

「――ぎぃっ!」

 

 台詞が終わる前に、フランベルジュの先端がキーノの腹部へと突き立てられた。

 冷たい何かが腹の中へ押し込まれ、圧迫感に胃の中のモノを吐き出しそうになる。と同時に熱せられた鉄棒で腹の中をかき回されたかのような衝撃が脳天を突き、叫び声にならない叫びを上げようとしてキーノは肺の空気を押し出した。

 

「おがぁぁ、……けはっ」

 

「このまま刃を抜かなければ、しばらくは生き永らえるでしょう。その間、精々もがき苦しんでね。無念と怨念、死への恐怖。貴方の魂が絶叫すればするほど“転生”はより強大なモノへと変貌するのよ」

 

「そして我らが、大儀式で押し広げる」マーサは汗水垂らして魔法陣を起動させている弟子たちを前にそう語り、両手を掲げる。

 

「ああ、盟主様! ついにこの時が訪れました! 貴方様の新たな肉体が誕生する瞬間です! 我らが命と魂を存分にすり潰して御使い下さい!!」

 

 ズーラーノーンの十二幹部が一人、探知者マーサ。

 その者の瞳には、一年に渡って仲良くしていた小娘の姿など微塵も映っていなかった。小娘の腹からはジワジワと鮮血が溢れ出しており、口元からも様々な体液が流れている。

 恨み節などは聞こえない。

 ゴポゴポと気泡が湧き出すような雑音が響くのみで、キーノと呼ばれていた小娘の瞳は役割を失ったかのように虚空を見つめていた。

 

(お……かあ……さ、ん)

 

 ゴポっと気泡が湧いた。

 ただそれだけで、キーノの短い人生は闇の中へと消えていった。

 

 

 ◆

 

 

 夜更かしは宜しくない。

 仲良くしてもらっているとはいえ、他人の家に夕食時までお邪魔するのはマナー違反と言えよう。

 お仕事の邪魔になるから来させないように――という話し合いは幾度かあったが、その度に大歓迎だと言われてしまうのだから、娘の突撃訪問も阻止し難い。

 社交辞令だとは思うものの、それを感じさせない歓迎ぶりなのだから頭が痛くなる。とはいえ、やはり今回ばかりはお尻ペンペンが妥当だろう。暗くなる前に帰る、というルールすら守れないのなら今後の訪問も抑制するしかない。何事にも節度というモノは必要である。

 

「ホントあの子ったら、マーサさんになら甘えても許されると思っているみたいだし……。でもまぁ、甘えているのは私も同じかなぁ。っと、マーサさーん。いらっしゃいますぅ?」

 

 親子そろって迷惑をかけていたら目も当てられない、なんて反省しつつ、元王女はマーサ宅の玄関扉を軽く叩く。

 いつもであれば娘の「うわっ、お母さんだ。どうしよぉ」なんて戸惑いの声が漏れてくるはずなのだが、今日は何故だか複数の重い足音が出迎えてくれた。

 

「あれ? マーサさん以外に誰かいるのかしら?」

 

 この遅い時間に客がいるのは初めてのことだ。

 とはいえ特におかしな話でもない。仕事が長引いたりしてこの時間になったのだと思えば、娘が迷惑をかけたのではないかと、そっちの方が気になってくる。

 

「え~っと、こんばん……は?」

 

「お待ちしておりました、クリスタルプリンセス。我らズーラーノーンは貴方を歓迎いたしますぞ」

 

 扉を開けたのは黒いローブを着込んだ中年男性だ。奥にも数名潜んでいるように感じる。

 刹那、背すじに冷たいモノが流れると同時に見えない力場が発生した。恐らく魔力によるものだろうが、その意思は確実に敵対的。

 対象の全身を魔力の網で覆い、束縛するタイプの術式であろう。

 

「私をっ! 舐めるなぁ!!」

 

 束縛と魅了は危険な魔法だ。一瞬で無抵抗の状態に追い込まれてしまう。

 故に抵抗力を上げてくれる指輪型の魔法具で対抗する、なんて魔法詠唱者(マジック・キャスター)なら当然の作法であろう。

 亜人戦争の英雄であるクリスタルプリンセスならば、素の能力も加わってほぼ完璧にレジスト出来るはずだ。

 

「ほっ、素晴らしい。やはり貴方はズーラーノーンに相応しい人物のようだ。さぁ、どうですかな? 我らと共に行きましょうぞ」

 

「ズーラーって墓荒らしの死霊術士集団? ふん、私の娘とマーサさんは何処なの? 返答次第では貴方たち、生きて帰れないわよ」

 

 家の中から三名、そして周囲の路地から複数の人影が現れる。

 近所の住人らは静かで大人しく、顔を覘かせるようなことはない。恐らく身動きできぬ状態にされているのだろう。

 

「娘の身を案じているのなら我らと共に国を出るべきですぞ。この地はもうすぐ死都と化すのですからな」

 

「話にならないわ、ねっ」

「ん? げぁ!!」

 

 我が目を疑うとはこの事か? そんな思いで、黒ローブの男たちは己の焼け焦げた胸を見る。

 ドサッ、っと五体の肉塊がその場へ崩れ落ち、残った数名が信じられない――信じたくない現象に悲鳴を上げた。

 

「なっ、無詠唱魔法(サイレントマジック)だと?!」

魔法の矢(マジック・アロー)を同時に五発? そんな馬鹿な?!」

「ど、どうするんだ?! 残った我々ではもう……。マーサ様に指示を頂かなくてはっ!」

 

「え? マーサ、さま?」

 

 残った黒ローブは逃走経路を塞ぐ役割だった三名のみ。しかし、その者たちの口からは聞き捨てならない言葉が漏れ出ていた。

 

「ちょっとどういうことなの!? 人間種支配(ドミネイト・パーソン)!!」

「――うぅぅ」

 

「くそっ、我らでは手に負えない!」

「留まれば死ぬだけだ! 逃げるぞ!!」

 

 支配された仲間をその場へ残し、黒ローブの男たちは後ろを見ることなく走り去ってしまった。行く先からして街の外へ向かったのだろう。

 

「下っ端みたいだし、追いかける必要もないか……。さて、教えなさい。私の娘は何処なの? マーサさんは貴方たちとどんな関係?」

 

「む、娘は霊廟に連れ込んでいるはず……。マーサ様はぁズーラーノーンのかか幹部であり我ららのしし師でもああるぅ」

 

「霊廟? マーサさんが幹部? って何なの、この妙な抵抗は?」

 

 魔法による支配を行った瞬間から湧き上がってきた、別種の魔法による抵抗。その所為で対象の男は目鼻口から体液を流し始めており、息も絶え絶えだ。

 このまま質問を続ければ絶命に至ること間違いなしであろう。それを見越しての対処魔法であるのなら、当人の命より情報隠蔽を優先した鬼畜の所業である。

 

「まっ、死んでもイイか。貴方達の目的は何? この国で何を成そうというの?」

 

「めめ盟主様の肉体……、ああぁ新たなにに肉体をっ!! つ、創りダソぅぎょがぁっ!!」

 

 目から眼球を、口からは鮮血を吐き出し、男は魂無き肉塊と化した。

 使われた魔力を流用して真逆の行為を肉体に強いる術式のようだが……、確かに「話せ」と強要されつつ「話すな」と縛られるのだから、人間の肉体では辛いモノがあるだろう。

 元王女は血で汚れた両手を拭い、肩にかかるおさげを背に払って遠くにある王城を見つめる。

 “霊廟”とは確か、城の裏手地下に造られた避難場所の別名だ。人気は無く、その場所が霊廟として用いられていることすら知らない住人も多い。

 秘密裏に何かを成す場所としては悪くないだろう。ただ街の一番奥なのだから逃げ出すには最悪の場所だ。誘拐犯が身を置くには不適切と言わざるを得ない。

 

「マーサさん……、娘に危害を加えるつもりなら容赦しないわよ!」

 

 母として、娘の安否に気が狂いそうになる。

 それでも必死に心を落ち着けて飛行(フライ)を詠唱し、尋常ならざる速度で霊廟へと飛翔する。

 一瞬、衛士隊へ情報を流すべきかと思考するが即座に否定。伝言(メッセージ)の使用も却下だ。なぜなら説明に時間をとられ、全てが手遅れになるかもしれないから。

 他の住人に関しては娘の安全を確保してからでよいだろう。まずは家族、そして他人。優先順位は明確でなければならない。

 

(だけど盟主の肉体って……。悪魔でも召喚するつもりなのかしら?)

 

 暗がりの街中、建物より少し上を人間一人がぶっ飛ぶ。押し退けた空気が周囲へ広がり、様々な軽物を吹き飛ばしては住人達を驚かせる。中には空を飛ぶ魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿を目にした者もいるのだろう。空を指さし何かを叫んだりしている。

 街中での魔法使用を咎めているのだろうか? まぁ確かに街中で魔法を使用すれば衛士隊の詰所へ連れて行かれるはずだ。元王女様も経験済みなのだから確かであろう。

 とはいえ今は衛士隊の接待など受けている場合ではない。娘に仇なす愚か者を殺さねばならないのだ。

 

「〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉!」

「っげが!!」

 

 霊廟の入り口――洞窟にしか見えないが――で周囲を見張っていた男を、水晶の槍で串刺しにする。

 隠密魔法を使って身を隠していたのだから一般人ではあるまい。だから問答無用で殺したとしても問題はないだろう。誘拐犯の一味であることは問うまでもなく明らかだ。

 

「〈魔力の精髄(マナ・エッセンス)〉……」

 

 魔力の痕跡を探ることで居場所を特定する。

 マーサは魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだから、霊廟の何処にいるかは確実に分かるだろう。無論、妨害されていなければの話ではあるが……。

 

「な、なにこれ?」

 

 魔力は探すまでもなく溢れていた。

 霊廟の一番奥で大儀式でも行っているのか、熟練者が十数名集まっての魔力結集であり発動だ。これ程の濃密な魔力を生み出すのは、国家の事業としても難しいだろう。相応の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を集めるだけで一苦労だ。

 

「くっ、いやな予感がする! 急がないとっ!」

 

 継続している飛行(フライ)の効果でそのまま霊廟の中へ飛び込み、一目散に最奥――魔力が高まっている場所を目指す。

 途中に妨害はない。

 そんなことをする必要もないというのか、それとも考えていないのか。

 クリスタルプリンセスは尋常ならざる速度で広い空間へ突っ込むと、巨大な魔法陣、黒いローブ姿の男達、そして石のテーブルに寝かされた愛しい娘の姿と、その上に跨っているマーサを捉えていた。

 

「このぉ! 〈水晶の短剣(クリスタル・ダガー)〉!!」

「〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉!」

「ごぁっ!!」

 

 放たれた短剣は転移を発動させたマーサの頭骨を貫くことなく、後方にいた黒ローブの脳天へ突き刺さる。

 

「〈結晶散弾(シャード・バックショット)〉! 〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉」

 

 黒ローブの男たちへ水晶の散弾をばらまき、次いで娘の下へ転移する。

 鼻に強烈な血の匂いを感じ、それが自分で吹き飛ばした男どもから漂うモノではないと察すると、母は娘の腹部へと手を添えた。

 

「なんてことを……。マーサさん、貴方はっ! 何故こんな事を!!」

 

「悲しむ必要はありませんよ。私も貴方も、キーノちゃんが転生する為の糧となるのですから。まぁ本当はズーラーノーンの幹部として迎えるはずでしたが、この展開はむしろ喜ぶべきでしょうねぇ」

 

 まるで話が通じない。

 マーサの言葉は一点の曇りもなく誠実で真摯。心の底から喜びを感じており、幼い少女の腹に波打つ刃物を突き刺しておきながらも、慈愛に満ち溢れているかのようだ。

 

「キーノ! 目を開けてっ!」

 

 青いポーションを娘の腹部へぶちまけ、もう一本を口内へ流し込む。

 だが出血量から考えると回復の見込みはない。生命を維持する為に必要な血液が圧倒的に足りないのだ。

 手持ちのポーションでは――いや、どんなポーションを使用しても無理だろう。死に瀕しているキーノを助けるには、伝説に聞く最上級の回復魔法が必要だ。

 

「まだ駄目よ! まだ早過ぎる!!」

 

 血の匂いと魔力が満ちる洞窟内に、悲鳴のような懇願が響く。

 その様子を大人しく見ていたマーサは満足そうな笑みを浮かべると、弟子たちと共に母子の周囲を取り囲み、神を仰ぐかのように跪いていた。

 

「あぁ、素晴らしい。この国最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である母に抱かれて転生へ挑む愛しきキーノちゃん。盟主様の肉体が誕生するに相応しい愛に溢れた光景だわ」

 

「な、何を言って――?」

 

 地面に転がる仲間の死体を気にもせず、マーサは感動に打ち震え涙を流す。

 人の娘に刃を突き立てておきながら何を言うのか?! と怒声を浴びせたいところであったが、今はそんな場合ではない。

 腕に抱く死にかけの娘が、ほんの少し目を開けたのだ。

 

「……お、かあ、さ……ん?」

「キーノ! 私は此処にいるわよ!」

 

 目を開けたとしても見えていなかったのかもしれない。声だって聞こえていなかっただろう。それでも母は必死に娘の身体を抱きしめ声を掛ける。そして――

 

「ご、めん、なさ……い」

「そんなっ! いかないでキーノ!!」

 

 誰への謝罪なのか? 定まらない視線の先に誰を見ていたのか? 母には何も分からない。ただ、全てが手遅れであることは察していた。手から零れ落ちるかのように命の輝きを失う愛しき娘。魔力が虚空へ消えていくような、そんな喪失感を感じてしまう。

 

「さあ! 時はきたっ! 今この時より、国家を生贄とした大転生の始まりよ!!」

「マーサ! 貴方という人はっ!」

 

 “転生”の言葉を耳にした時から、娘の生まれながらの異能(タレント)を目当てにしているのだとは思っていた。その為に連れ去ろうとしているのだろうと。私を勧誘する際の人質としても使用できるのだから一石二鳥だったのだろう。

 しかし、命を奪うとまでは思っていなかった。それも街中で。

 娘を寝かせていた台座、それを中心として描かれている魔法陣に見覚えはない。腕の立つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)を十名も集めて発動させているのだから、尋常ならざる目的のために使用されるのだろうとは思っていたのだが……。

 

「まさか、そんなことが可能だというの?」

 

「愚かな! その子の“転生”を知り対処しておきながら、効果範囲を拡大できるという可能性に至らないとはっ! 我らズーラーノーンを侮り過ぎですわよ!」

 

 キーノの“転生”を強大化する、出来るという事実には驚きを隠せないが、その結果誕生するのは転生したキーノである。普通であれば、そんなことをしてもズーラーノーンの得にはならないはずなのだ。

 しかしマーサは言った。盟主様の新たな肉体と。であるならば、ズーラーノーンは他人の肉体をのっとれるということだ。

「そんな馬鹿な、出来るはずがない!」といつもなら断言するだろう。元王女としても、クリスタルプリンセスと呼ばれる英雄としても、そんな邪法は聞いたこともないからだ。

 だけど今、娘は殺され、マーサを始めとするズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)どもは“転生”に飲み込まれようと膝を付いて祈るばかり。

 母は娘の亡骸を抱きしめ、己の行動を見つめ直す。

 

(私は……、選択を誤ったの? 娘を助けに行かず、夫と息子を連れて逃げるべきだった? 街の人たちにも避難を促し、お父様たちへも情報を送るべきだったと?)

 

 いや違う! 元王女であり英雄である母は即座に否定する。

 娘を助けに行くことに間違いはない。娘を見捨てる選択肢は最初からなかったのだ。故に今、成すべきは一つ。

 

(転生の発動を抑え込む!)

 

 己の身に残る全ての魔力を注ぎ込み、娘の肉体表面へ結界を張る。

 渡していた“封じの指輪”が娘の指から抜き取られているのだから、新たな防護柵を構築しなければならない。そうでなければ転生の力が周囲へ溢れ出してしまうだろう。

 既に十分な効果を発揮している魔法陣の影響からして、対抗できるかどうかは不明だが……。

 ともかく成すべきことは成さねばならない。母として、師として。命を懸けて。

 

「――ぐっ、なにこれ?!」

 

 見れば娘の目や鼻、そして口から白い霧のようなモノが漏れ出ていた。と同時に、結界を押し広げてくるかのような圧迫感に晒されてしまう。

 恐らくこの霧こそが転生の本体、生命力や魂を収集するという異能が現実化した姿なのであろう。

 触れたならどうなるのか? 試したくはない。

 

「転生が収まるまで耐えきれば――」

「あらあら、流石はクリスタルプリンセス様ですわねっ」

 

 不愉快さを隠さないマーサの言葉を受け、元王女は咄嗟に身を捻る。

 娘の身体を抱えたままなので十分とは言えないが、それでも投げつけられた短刀を肩に受けることは無かった。

 どうやら殺すつもりで放ったわけではなさそうだ。

 

「転生の邪魔は困りますわ。大人しくキーノちゃんに取り込まれてほしいのですけど……。ああ、そうそう、転移も阻害しておりますから無駄ですわよ」

 

「このぉ! 先に貴方たちを皆殺しにしておくべきだったわね!」

 

「あら? その場合は時間を稼がせてもらえますので、何の問題もなく転生が始まったのですけどね。残念ですわ」

 

 マーサはそう嬉しそうに語ると、弟子たちに片手を上げて合図する。

 殺さないように痛めつけろ――意図はそのようなモノであったのだろう。刹那、生み出された多数の魔法の矢(マジック・アロー)が獲物を襲う。

 

 クリスタルプリンセスは娘の身体をきつく抱きしめ、「愛してる」との言葉と共に血に塗れ、白い霧の中へその身を晒した。霧の中は意外と心地よく、「奪われる」なんて感覚は無い。全身の痛みも感じず、ただ緩やかに眠り、ただ静かに全てを忘れ去ってしまうかのよう。

 

「ああ、ああぁ、稀代の英雄たるクリスタルプリンセスが娘の転生にその身を捧げ、新たな肉体の一部となる。なんて、なんて美しい愛の形。そして我らも魂を捧げ、盟主様へ神にも等しい転生体をお渡しする。ああ、これぞ愛! 愛なのですね!」

 

 マーサは盟主を愛していたようにキーノのことも愛していたのだろう。無論、元王女に対しても愛情を持って接していたのだ。

 それが狂った愛情なのかどうかは誰にも分からない。本気で盟主の新たな肉体となることを、その一部となることを至高の幸福であると信じていたのだ。

 白い霧が広がり、マーサを包み込もうとしている最中においても、その想いは変わらない。ある意味、天国へ向かおうとしているのだから当然であろう。天使に生まれ変わるのだから拒否するはずもない。

 一方的でありながら一切の害意を含まない善意の行い。

 そんな愛情あふれるズーラーノーンの十二幹部が一人、マーサはこの日、百万に及ぶ国民を転生の犠牲とし、笑顔のままこの世を去った。

 己の生命と魂を、娘のように愛していた少女に託して……。

 

 

 ◆

 

 

 高くて厚い防壁があったとしても周囲への見回りは必要だ。

 街の近くに亜人がいるのであれば殲滅しなくてはならないし、商人や旅人が襲われていたなら助けなくてはならない。

 今、防壁の外で佇んでいるのは、夜間の見回りを行っていた騎士団の一部隊であった。

 

「他の部隊はいたか? 住人たちはどうだ?!」

 

「外にいたのは我らだけのようです! 第一から第三の部隊は壁内の宿舎かと! 住人は今此処にいるだけです! 霧の中から出てきた者はいません!」

 

「くそっ、何なんだこの霧は!」

 

 担当時間の見回りを終えて交替しようと帰還してみれば、街の正門からは濃い霧が溢れ出していたのだ。

 珍しいこともあるモノだ、とそのまま気にもせず門を潜ろうとすれば、先頭を歩いていた部下が次々と倒れだす始末。駆け寄った者まで糸の切れた操り人形の如く、ピクリとも反応しない。

 

「誰か知らないのか?! 街の中で何が起こっている? 倒れた者は無事なのかっ!?」

 

「わ、私どもは何も……、人が大勢倒れ込むのを見て、驚きのあまり逃げ出しただけなのです」

 

 逃げ出してきた二十数名の中にも事情を知る者はいないようだ。

 ただ本能で走り逃げてきただけなのだろう。正門近くにいたことで逃げ切れただけにすぎないのだ。

 しかし、逃げるとは何からなのか? 霧に触れると危険なのは部下の様子を見ても明らかなのだが、いったいこの霧は何なのか?

 

「なになぁ~にぃ~、結構はみ出ているのじゃないのさぁ。もぉ、もったいないわねぇ。さっさと放り込んじゃいなさいな」

 

「なっ? なんだ貴様!?」

 

 その男は防壁の外に広がる森の中から現れた。

 黒いローブに身を包み、茶色の髪をかきあげ、微笑みを浮かべながらオロオロする兵士達に近寄ってくる。

 周囲偵察の第四部隊を率いていた部隊長は、黒いローブを無駄に翻しながら近寄ってくる長身の優男を睨み付け、腰の剣に手を添えていた。

 

「ああ、大丈夫よ、だいじょうぶ~。痛みを感じる暇もなく命を吸い取られるから、ね」

 

 優男は警戒の視線を気にもせず、ただ〈睡眠(スリープ)〉と詠唱し、次から次へと兵士や住民を眠りへと誘う。兵士たちが動揺の声を上げることができたのは一瞬だけだ。その一瞬で誰もが抵抗できず瞼を下ろしてしまう。

 気が付けば、優男以外に立っている者はいなかった。

 

「さぁ、さっさと始末してちょうだい」

 

「はっ」

 

 誰もいない後方に片手を上げたかと思えば、森の木陰から幾人もの黒ローブたちが姿を見せる。

 そして上司の指示に従うかの如く眠りこけている兵士らへ近付き、その身体を街の中へ、深い霧の中へと放り投げるのであった。

 

「はあ~ぁ、私も盟主様にこの身を差し出したいわねぇ。マーサの奴が羨ましいわ」

 

「御戯れを。ホムロス様まで転生に取り込まれてしまえば任務に支障が出てしまいます」

 

「分かってるわよ。私の任務は転生体を盟主様の下まで送り届けること、って分かってるんだけどさぁ。これでマーサの名は十二幹部筆頭として残ることになっちゃうのよねぇ。盟主様にも名を覚えてもらえるだろうし……。運搬役の私とは雲泥の差ね」

 

 ホムロスという名の優男は、部下らしき初老の男性に慰められつつも愚痴をこぼさずにはいられないようだ。

 同僚であるマーサに手柄を立てられ、盟主様への貢献において大きな差をつけられてしまった。その為に命を無くすのだとしても、結果として盟主様のお役に立てるのだから羨ましい事この上ない。

 ズーラーノーンに所属して五十年あまり。盟主様の片腕と自称する若作りホムロスは、十二幹部の後輩が達成した『国を丸ごと生贄に捧げる』という大偉業を前にして、嫉妬混じりのため息を吐くしかなかった。

 

「我らの任務も重要なモノと思っておりますが……」

 

「もちろんよ。これだけの規模で転生させるのだから、誕生するのは生半可な存在ではないでしょう。そんな特異な存在は運搬するだけで一苦労。まっ、捕獲する為に派遣されたのが私たち、ってだけで任務の難易度が推し量れるけどさ」

 

 ホムロスとその弟子たちは“無力化部隊”“誘拐班”などと呼ばれている。

 貴族連中を操る為に人質を確保したり、各国の経済界に息のかかった商人を潜り込ませる際、権力を持つ者の家族を丸ごとズーラーノーンのアジトへ招待したりしているのだ。

 その仕事はスマートにして美しく、血は一滴も流れない。

 束縛系魅了系を駆使し、どんな強者だろうとも籠に閉じ込められた小鳥の如く。

 それ故に任されたのだ。転生により生まれ出でる恐るべき存在を、盟主様の下まで送り届けるという任務を……。

 

「はぁ~ぁ。それにしてもこの霧、いつになったら晴れるのかしら?」

 

 ホムロスとその弟子たちが見つめる正門には、先程兵士や住人を生きたまま放り込んだ死滅の霧が漂っている。言うまでもなく触れば転生の材料として命を持っていかれる。任務を受けている者としては、近付くわけにはいかない危険地帯だ。

 とはいえ、いつまで待てばよいのかなんて誰も知らない。転生が発生した事例は極めて少なく、ズーラーノーンでさえ書物に記載された数ページの真偽不確かな情報を持つのみなのだ。

 

「このままだと朝になっちゃうわねぇ。ってまさか数日このままなの? 冗談止めてよね~」

 

 周囲は未だ闇に包まれ、遠くからはホゥホゥと獣の声が響いてくる。ズーラーノーン以外に人の気配はなく、正面にそびえる巨大な防壁内からも人が生活しているであろう雑音は聞こえてこない。

 白い霧は静かに佇むばかりだ。

 正門から外へ噴き出てくる様子はないが、掻き消えたり引いたりしていく気配もない。

 

 月明かりの下、時間だけがゆっくりと過ぎていく。

 ズーラーノーンは見張りを数名立てて、長期戦への準備に入ったようだ。霧が晴れるまで幾日だろうとも待つつもりらしい。

 まぁなんにせよ、何も知らず街へやってきた商人や旅人を口封じしなくてはならないのだから退屈することはあるまい。ついでに霧の中へ放り込めば、盟主様の新たな肉体を助けることにもなり一石二鳥だ。

 

「ふっふ~ん、どんな転生体と出会えるのかしらねぇ~。ホント今からわくわくしちゃうわ」

 

 乾燥させた果肉の粒を口の中へ放り込み、ホムロスは霧の最奥で目覚めるであろう強大な“何か”に意識を向ける。

 それは人なのか、化け物なのか? 美しいのか、醜いのか? 言葉は通じるのか、会った途端殺し合いを始めるのか? 様々な妄想が頭の中を跳ね回る。

 待つだけで暇なのだから仕方がないが、それでも一つだけは真剣に考えなければならない事柄があった。

 

 もし醜い転生体であったならば、どうしたらよいのだろう――と。

 

 一瞬「それであればマーサの手柄が消し飛ぶだろうな」とほくそ笑みつつも、ズーラーノーンの手勢百名余りを失う大損害を出しているのだから、あっさり却下する訳にもいかない。

 だからホムレスは、闇に浮かぶ可憐な月に祈る。

 どうか盟主様に相応しい綺麗な外見でありますように、と。

 

 

 ◆

 

 

 最初に見えたのは粗く削られた洞窟の天井だった。

 恐らく霊廟の天井なのだろうが、何故か昼間のようにハッキリと見える。洞窟の奥底に造られた空間なのだから、昼夜を問わずして真っ暗のはずなのだが……。

 松明や魔法の明かり(マジックトーチ)で照らされているにしては、何か違和感を覚える。

 

「ん? ……えっ?」

 

 起き上がろうとして気が付いた。

 自分の腰辺りに覆い被さっていた人の存在。それが会いたくて堪らなかった母であるということに。

 

「お、お母さん! えっ? どうして?!」

 

 抱え上げようとして、ズルリと母の姿勢が崩れる。まるで命無き人形を起こそうとしているかのようだ。目は閉じられており、呼吸してもおらず、温かみもない。

 

「ああ、あ、あああぁぁぁ!!!」

 

 頭の中にマーサの言葉が駆け巡る。

 転生のこと、魔法陣のこと、生贄のこと……。

 目の前で口を開いてくれない母の姿は、どんな言い訳も許さないほどに現実を見せつけていた。

 

「うそっ! うそっ、うそ!! お母さんが死ぬわけないでしょ?!」

 

 ペタペタと母の頬に触れながら否定を繰り返す。

 英雄である母が死ぬはずない。最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である母がこんなところで命を落とすはずはない。話に聞く亜人戦争ですら生き残ったというのに。

 

 キーノは一人、静かな霊廟で母を抱きかかえ続ける。その行為を邪魔しようという者はいない。祭壇の周囲には黒いローブを着込んだ者たちが十数名、ピクリとも動くことなく、地面へ倒れ込んでいた。

 霊廟内を照らしていた松明と魔法の明かり(マジックトーチ)は既に役目を終え、闇の中に沈んでいる。

 

「――――」

 

 母の胸に顔をうずめ続けて、どの程度時間が過ぎたのか? 外の景色が分からない洞窟の奥底であるだけに、分かるはずもない。

 だがキーノは何かを思い出したかのように頭を上げると、うつろな赤い瞳で周囲を見渡し小さく呟く。

 

「はやく……、早くお家に帰らないと……」

 

 母の大きな身体を両手で持ち上げ、キーノは石の祭壇からフラフラと降りる。

 足の裏には冷たい岩の感触が伝わってくるものの、脱がされた靴を探す気にもなれない。着込んでいる服は何時もの日常着だが、腹の部分が裂けているのは何故だろう。床に転がっている波打つ刃を視界に収め、嫌な事実を思い出しそうになるが、忘れようと努めた。

 

 キーノは自分より遥かに重い母の身体を軽々と抱え、霊廟という名の洞窟を進む。

 明かりが無くとも足下はハッキリと見え、空気の流れを容易く感じることもでき、迷うことなく出口を潜ることができた。

 傍には乾いた血溜りと共に墓守らしき男の死体がある。

 誰が殺したのか? それは分からないが、特に気にもならなかった。今はただ、父と弟が待つ家へ帰りたいだけ――、母と共に帰りたいだけ。ただそれだけなのだ。

 

 外は夜の闇で閉ざされていた。しかし複数の月にでも照らされているのか、ある程度までなら昼間の如く見通せてしまう。

 足を向けた巨大な街は、墓場のごとき静けさでキーノを迎える。明かりは灯っておらず、話し声も聞こえてこない。

 通りを歩けば、地べたに座り込み――倒れ込んでいる人ばかりが目に映る。

 声を掛ける気にはならない。

 外傷は無いように見えるが、開いたままの瞳が生物としての機能を失っているのだと教えてくれる。恐らく何も解らないまま、その生を終えたのだろう。恐怖も絶望もなく、静かにこの世を去ったのだ。

 

「お、おじさん、おばさ……ん」

 

 少し前にお菓子の作り方を教えてくれた近所の知り合い――その夫婦が折り重なって倒れていた。急いで家に入ろうとしたのだろう。玄関を開けたまま、その手前で死んでいた。

 母の誕生日にお菓子を贈ろうとして、周りに内緒で習っていた当時の光景が思い出される。

 

「あ、ああぁ、いやだ……、やだよぅ」

 

 自宅が近くなるにつれ、知り合いの死体が増える。

 編み物の重要性を熱弁していた近所のお姉ちゃん。いつもオマケをくれる市場のおじちゃん。母に手紙を渡して欲しいとモジモジお願いしてきた女の子。

 死の匂いで胸が焼けそうだ。

 

「――おっ、おとうさん! わたしっ」

 

 見慣れた木の扉を押し開け、自宅にいるであろう父へ声を掛ける。と同時に弟の姿を必死で探した。

 もちろん、さほど広くない住宅なのだからすぐに見つかる。

 抱き締め合って蹲る父の、そして弟の亡骸を。

 

「っ――――!! ―――――ぁぁあ!!! ――――――――ぁがっ!!」

 

 叫んだのか悲鳴なのか。

 キーノは膝を付いて両手に抱えた母の身体に顔をうずめ、訳が分からないままに声を上げた。

 涙を流していたのか、血を吐いていたのか、顔を掻き毟ったのか、地面を拳で殴ったのか、誰かを罵倒したのか、神を呪ったのか……。

 もしかしたら自殺を図ろうとしたのかもしれない。

 

 

 静かだ。

 とても静かな夜だった。

 夜にしては父や母、弟の顔が良く見えるけれど、二度と目覚めぬ今となっては暗闇に閉ざされていた方がマシだったのかもしれない。

 家族の亡骸を並べてキーノは思い出す。

 “転生”とは?

 マーサの言葉を否定できるわけもない現状を見るに、“転生”は見事なまでに発動したのだろう。死に至り、他者の命を奪い喰らいて復活する――まるでアンデットを生み出す儀式であるかのような生まれながらの異能(タレント)だ。しかも家族を犠牲にして……。

 悪魔が覘いていたなら、拍手をもってして絶賛することだろう。

 キーノはふと自分の頬を――そして腹部を触る。

 感覚的にはいつもの自分だ。何も変わっていないように感じる。ただ腹部に傷は無い。

 マーサが突き立てた、波打つ刃の大穴。特別な治癒行為を行わなければ、決して塞がることのない致命傷である。

 そう、確かにあの時自分は死んだ。キーノは意識を失う瞬間――死に至る最後の感覚を思い出し、自問自答する。

 

(私はいったい“何”?)

 

 違和感なら幾らでもある。母の亡骸を抱えて自宅まで歩いてきても息一つ乱れない。というか息をしている感覚すらない。手足が疲労する感覚も皆無だ。

 それに見え過ぎる。今が深夜であるとは理解出来るのに、まるで昼間のように見通せる。「夜目が利く」とは別次元の感覚ではないだろうか? 人間にはとても無理だ。

 

(目だけじゃない。耳も鼻も、身体で感じる周囲の気配も……えっ、足音?)

 

 己の身体能力に戸惑いながらも、キーノは人の痕跡を捉える。街の生き残りだろうか? とするならばこの国、この街の住人たちは全滅していないのかもしれない。

 マーサは国全体を生贄に捧げると言ってはいたが、流石にそれを丸ごと信じるのは短絡的であったのだろう。

 

「街で生き残っている人がいるのなら、城のお爺様、伯父様たちだって大丈夫なんじゃ?」

 

「あらやだ、霊廟にいないと思ったら自宅の方だったのね。ん~、それにしても……」

 

 現れたのは細身で長身の優男だ。

 黒いローブを翻し、茶色の前髪を片手で弄る。女性口調と軟体生物のようなクネクネした動きが気持ち悪くて仕方がない。

 

「ガキの外見そのまんまじゃん。転生って見た目変わんないのぉ? まっ、化け物よりはイイけどさ。でも盟主様がこんな子供の身体を使うってのも、どうなのかしらね~」

 

 明らかに街の住人ではない。キーノにもそれは分かっていた。

 そして”転生””盟主”との発言から、絶対に許してはいけない犯罪者集団の関係者であることは明らかだった。

 

「ゆるさない――、ぜったいに!」

 

「あら喋った。ふ~ん、言葉を理解する知能に赤い瞳と牙って……、吸血鬼(ヴァンパイア)なの? いやちょっと待ってよ。これだけ大掛かりな儀式を敢行して、ズーラーノーンの幹部を含めた手練れ百名を犠牲にしておいて、たかが吸血鬼(ヴァンパイア)?! あぁぁー、マーサの奴やっちゃったわねぇ」

 

 優男は家の前で両手を広げ、天を仰ぎながら大袈裟なまでに失望を演出している。キーノの殺気にはまるで無関心で、煽っているかのように会話を成立させない。

 

「でもしょうがないわよね~。連れて行かない訳にもいかないし……」

 

「殺してやる!!」

 

 自宅の玄関から有り得ない速度で飛び出し、優男の顔へ小さな拳を突き出す。

 この時、キーノが正気であれば己の異常な身体能力に気付いたであろうが、頭に血が上った現状では不可能だろう。もっとも今のキーノには「頭に血が上る」なんて現象は起きないはずなのだが。

 

 〈束縛(ホールド)

 〈大地の束縛(アース・バインド)

 〈植物の絡みつき(トワイン・プラント)

 〈魔力束縛(マジック・バインド)

 

「ふん、所詮は子供ね」

「――ぐっ! なに?!」

 

 結果として、キーノの可愛らしい拳は優男へ届かなかった。その代わりキーノの身には数多の魔力が打ち放たれ、見えない魔力の縄、石畳を突き破った植物などが身体の自由を奪っていたのだ。

 魔法を放ってきたのは優男の周囲に身を隠していた黒ローブの男達。

 どうやら最初から予定の行動であったのだろう。キーノのことを吸血鬼(ヴァンパイア)だと口にしていたのも、周囲の黒ローブたちに束縛対象が何者であるかを伝えていたのだ。

 

「はい、おしまい。子供は単純でイイわね~。でも……、これが盟主様の新たな身体? 転生の効果を妄信し過ぎたかしら? って、え?!」

「ホ、ホムレス様! 御助力を!」

抵抗(レジスト)されています!」

「このままではっ!」

 

 見れば、小柄な少女が魔力と植物の束縛を押し退けようとしていた。

 普通なら考えられない光景である。

 ズーラーノーンの手練れが複数、同時に拘束魔法を展開したのだ。どんな魔物であろうとも地面に身を転がすだけになるだろう。

 

「なんなのよ! 〈上位魔力束縛(グレーター・マジック・バインド)〉!」

 

 自身最高の拘束魔法を打ち出し、黒ローブの優男――ホムレスはホッと息を吐く。と同時に少しだけ焦ってしまった自分を誤魔化すように、地面に転がる吸血鬼(ヴァンパイア)へ極上の微笑みを向けていた。

 

「ふ、ふふ、まぁこんなものよね。盟主様の肉体なのだから少しぐらい抵抗してもらわないと面白くないし……。さて」

 

 子供の吸血鬼(ヴァンパイア)は石畳に顔をつけたまま泣いているようだ。恐らく、手も足も出ない現状を嘆いているのだろう。転生により吸血鬼(ヴァンパイア)になったとはいえ、所詮は実戦を知らない幼子。ズーラーノーンの一部隊相手に対抗できるはずもない。

 

「はぁ、でもこんな状態で盟主様の下まで運ぶとなると大変だわね~。う~ん、手足を何本か切り落とすべきかしら? 途中で逃げられたら洒落にならないし……」

 

 常時強力な拘束魔法を掛け続けなければならないなんて頭の痛い問題だ。しかも相手は睡眠や疲労をものともしない人外である。帰還途中の野営地にて脱走を図られることは、未来予知しなくとも分かってしまう。

 

「盟主様の肉体を傷付けるのは本意ではないのだけど――ん?」

 

 ホムレスは違和感を持って、吸血鬼(ヴァンパイア)が飛び出してきた住居を見る。普通のレンガ建築だ。周辺の建物と比較しても変わった様子は見られない。だが、レンガの一部が動いたような、そんな気がしたのだ。

 もちろん目の錯覚だと思う――なんて気を取り直そうとしたその瞬間、ホムレスは生温かい鮮血に塗れてしまった。

「はっ? え?」とそんな言葉しか出ない。誰の血か? それは頭を上げた瞬間視界に入ってきた、上半身を砕かれた部下のモノであろう。

 部下を両側から挟み潰し、原型が分からないほどグチャグチャにした元凶は、レンガであった。そう、レンガで出来た人型の動像(ゴーレム)であったのだ。

 

「なっ!? なによこれ?! どこから出てきたのよ!? なんで攻撃してくんのよ!!」

「ホムレス様! さらに二体! 突っ込んできます!!」

「ふざけんじゃないわよ!!」

 

 突然の動像(ゴーレム)襲撃はまったくの想定外であった。

 マーサからの情報を元に、障害となるであろう対象は事前にリストアップされ、真っ先に排除する事となっていたからだ。とは言っても、そのほとんどが転生の儀式により命を落とす手はずだったので、大して警戒もしていなかったのだが。

 

「マーサのボケがぁ!! 動像(ゴーレム)の存在を見落としたな! この失態は盟主様へ報告させてもらうぞっ! クソが!!」

 

 レンガ製の動像(ゴーレム)はキーノの自宅壁に設置されていた防衛用のモノだ。設置したのはクリスタルプリンセスことキーノの母。子供たちを護るため、そして防犯のために全力を注いで造り上げたらしい。

 故に動像(ゴーレム)の実力は土木工事に用いられる人形レベルではない。ズーラーノーンの実力者をもってしても排除困難な強力モンスターである。

 

「全員分散! 動像(ゴーレム)から距離をとって魔法を放ちなさい! 大丈夫、遠距離戦に徹すれば――」

「ホ、ホムレス様!」

「今度はなに?!」

吸血鬼(ヴァンパイア)がいません!」

「――っ?」

 

 目を離していたつもりは無かったのに、見事なまでに意識から外れていた。先程まで地べたに伏していた幼き吸血鬼(ヴァンパイア)、その姿は何処にも無い。

 

「なんてことなの! まずいまずい!!」

 

 動像(ゴーレム)の襲撃を受けた瞬間、いくつかの拘束魔法が解けてしまったのだろう。最後にかけていた己の魔法も、一時的に緩んでいた可能性もある。だからこそあの吸血鬼(ヴァンパイア)は逃げられたのだ。

 今頃は街の外へ向かっているのかもしれない。だとすれば今すぐ追いかける必要がある。外の深い森の中へ逃げ込まれたなら、どんな手を使っても探し出せないだろうから。

 

「正門へ向かうわよ! 動像(ゴーレム)は無視しなさ――」

「げはっ!!」

「な、なに? どうし……」

 

 動像(ゴーレム)を取り囲むかのように分散していた部下の一人、その者の腹から小さな子どもの拳が突き出ていた。

 その光景は異様であり現実味が無かった。

 どうやれば幼き子供の力で、大人の腹を突き破れるというのか? 子供の小さな拳では、青あざを作る程度が精いっぱいであろう。いやよく考えれば、人の力で胴体を突き抜くなんて有り得ないことなのだ。人外の化け物でもなければ……。

 全身に嫌な汗が噴き出てしまうホムレスの視界に、赤い瞳の子供が映り込む。

 

「くぅ、分散させたことが裏目にっ」

 

 一ヶ所に集っていれば動像(ゴーレム)に突撃されてしまう。だからこそ周囲に散って被害を抑え、遠距離から動像(ゴーレム)の身体を魔法で削ろうとしたのだ。

 だが今度は小分けになったところを吸血鬼(ヴァンパイア)に各個撃破される始末。集団で抑え込んだ化け物相手に、単体では話にならないだろう。まるで狩場に放たれた獲物の如くだ。

 

「このっ、この吸血鬼(ヴァンパイア)ふぜいが!!」

 

「……」

 

 黒ローブの男たちを粗方殺し終えたキーノに対し、優男は叫ぶ。目は血走り、口調も荒々しい。今にも口から泡でも吐き出しそうに興奮しているが、キーノにとってはどうでも良かった。

 今殺した大人たちも、叫んでいる変な男も、全員が仇。家族の仇なのだ。殺さねばならない。

 キーノは自身の変化に戸惑うよりも先に動き出した。

 血がべっとりと付いた小さな手を掲げて。

 

「舐めるなよ! ガキがっ! 〈上位魔力束縛(グレーター・マジック・バインド)!〉」

「――ぐ、っ!」

 

 全力の拘束魔法がキーノの身を縛り、先程と同様、身動きできない状態で地べたへ転がってしまう――と思いきや、キーノは立ったままで、しかも足を前へ動かそうとしていた。

 

「ば、ばかな! これで拘束できた筈だぞ! なぜ?!」

 

「これは、さっき走り回っているときに持ってきた……お母さんの指輪よ。貴方たちが殺したお母さんのっ!」

 

 元王女は状態異常に対する抵抗力を上昇させるため、魔法具である指輪を常時身に付けていた。これがあれば毒や麻痺、石化・睡眠・魅了など多くの害意に対抗できる。もちろん拘束に対してもだ。

 

「く、くそっ、クソが! 貴様を手に入れるまで、どれだけの同胞を犠牲にしたと思っているのだ! それをこんなっ、こんなバカなことがあるものか!!」

「わ、わたしの家族を! 街の皆を殺しておいて何をっ!」

「殺したのは貴様だ! 貴様の異能がこの国を滅ぼし――」

「あああああああぁぁぁぁぁああっ!!」

 

 グチャっと肉が潰れ、生臭い体液が飛び散る。頭を失った肉体は、フラフラと左右に揺れた後、石畳の上に倒れ込んだ。

 キーノはそんな肉の塊に跨り、渾身の拳を叩きつける。肉は裂け、骨が弾け、内臓が飛び散った。勢い余って石畳まで打ち砕き、土の地面をむき出しにさせてもなお、キーノは止まらなかった。

 

 静かな街の中に、打撃音だけが響く。暗闇の中に、赤い瞳だけが揺らめく。

 辺りには死の匂いが充満し、生き物の気配はない。動いているのは吸血鬼(ヴァンパイア)だけだ。幼い少女の姿をした化け物だけだ。他には誰もいない。死体以外、何者も存在しない。

 

 ここは死の街。百万の国民が一夜にして殺された悲劇の国。

 後に死都を訪れた商人や冒険者たちは、泣き喚く吸血鬼(ヴァンパイア)から死に物狂いで逃げ延びて、その恐怖を周辺諸国へ伝えたという。

 あの国は、あの街はたった一体の吸血鬼(ヴァンパイア)によって滅ぼされた。生き残っている者はいない。逃げ延びた者もいない。皆殺しだ。女も子供も老人も……。

 恐怖は恐怖を呼び、義憤に駆られた冒険者の多くが戻ってこなかったことからも、国を滅ぼした吸血鬼(ヴァンパイア)は伝説となっていく。そしていつからか、吟遊詩人の歌の中で名前がつけられた。最悪下劣の吸血鬼(ヴァンパイア)、国と民を食い漁った人類の敵、この世で最も罪深き化け物。

 

 その名は――『国堕とし』

 

 

 ◆

 

 

 泣いて叫んで八つ当たりを繰り返し、ふと気付いてまた泣き続ける。その吸血鬼(ヴァンパイア)はいつまで同じことを続けるのだろうか? 睡眠を必要とせず、疲労しないからといっても、流石に飽きるだろうに……。

 

 幾日か経った頃、吸血鬼(ヴァンパイア)は自宅で墓を掘り始めた。家族三人を埋める為の墓だ。床板を剥がし、敷き詰めてあった床下のレンガをどかして地面を深く掘る。

 何故今頃になってそんな行動に出たのか? それは家族の身体が腐り始めたからだ。まぁ当然の現象であろう。死した身体をそのままにしておけば腐るだろうし、朽ちていく。自然の摂理である。

 

 魂が抜けたような呆けた表情で自宅を出ると、街中は不快な匂いで満たされていた。

 腐った肉の匂い。腐った血の匂い。そう、死の匂いである。

 吸血鬼(ヴァンパイア)は無表情のまま墓を作り始めた。家族と同様に埋葬しようとしたのだ。最初は近所の顔見知りから……。それが終われは隣の地区へ。あまりに多過ぎるが故に遺体を墓場まで持っていくことはしないで、死したその場にて穴を掘り埋葬する。

 気が遠くなる作業だ。街一つ、国一つ、百万の遺体を埋葬する。人であれば途中で発狂するに違いない。まともな神経では継続できない過酷な道のりだ。だが、幼き吸血鬼(ヴァンパイア)は思考を捨てたかのように作業へ没頭する。

 他にすることが無いかのように、他に何も考えたくないかのように。

 吸血鬼(ヴァンパイア)はただひたすらに墓を掘り続けた。

 

 肉が腐り死の気配が満ちれば、当然ながら其れは起こる。

 アンデッドの発生である。しかも適切な埋葬処置がされていないので、埋められた遺体も自然現象の如く動死体(ゾンビ)として這い出てきたのだ。

 吸血鬼(ヴァンパイア)は唖然とした表情のまま、街中を闊歩するアンデッドを見つめる。

 埋め続けた作業が台無しになったからであろうか? アンデッドたちが襲い掛かってこないからであろうか? いや、恐らく徘徊する動死体(ゾンビ)の中に、愛しい存在を発見してしまったからであろう。

 ボサボサの金髪を振り乱し、ぎこちなく歩く母だった存在。愛用の弓を杖のように使って、まるでボロボロの老人かと思える父だった存在。地面を匍匐前進で進む、上半身だけの弟だった存在。

 その動死体(ゾンビ)たちは、へたり込んでいる吸血鬼(ヴァンパイア)を知覚することなく無秩序に進み、何かにぶつかっては起き上がり、また方向を変えて動き続けるのであった。

 

 吸血鬼(ヴァンパイア)はしばらくの間、膝を抱えたまま動かなかった。雨の日も、日差しのある晴れの日も、身に付けていた服がボロボロになるまで……。

 

 ある日、吸血鬼(ヴァンパイア)は何かを思いついたように顔を上げ、歩き出した。向かう先は城の裏手、緊急避難所として使われていた霊廟、吸血鬼(ヴァンパイア)が人であった最後の地である。

 霊廟とはいえ、中は粗雑な作りの洞窟である。岩をくり抜いただけの小部屋がいくつも繋がっており、まるでダンジョンのようだ。しかし以前から霊廟の中に安置されていた遺体はアンデッドにならないよう処理がされていたので、街中より動死体(ゾンビ)骸骨(スケルトン)が少なかったりもする。

 洞窟の中を進む吸血鬼(ヴァンパイア)は、街中の方がアンデッドで溢れているなんて皮肉にもほどがある、と久しぶりに笑っていた。無論、自嘲混じりではあったが……。

 

 霊廟最奥にはあの時のまま、魔法陣の痕跡と石の祭壇があった。加えて動死体(ゾンビ)が十一体。広い洞窟内をウロウロと徘徊していた。

 刹那、吸血鬼(ヴァンパイア)の拳が動死体(ゾンビ)を襲い、四肢五体を完膚なきまでに砕く。

 その様は強い恨みを抱いているかのようであり、深い悲しみを吐露しているかのようであった。特に中年女性かと思われる動死体(ゾンビ)を解体する時は、悲鳴のような叫び声をあげて馬乗りになっており、何かしらの因縁を感じさせる。

 

「――――っ?」

 

 振り上げた拳が止まったのは、動死体(ゾンビ)が握りしめていたソレが転がり落ちた時だ。

 指輪である。

 見覚えのある地味な指輪だ。遠い昔、いや、まだそれほど遠くはないのか? いや、あれからどれ程の月日が流れたのか、もはや分からない。でも覚えている。人だった頃に、誕生日のお祝いとして貰った指輪。当時は普通の指輪かと思っていたけど、実際は気配を封じ込める魔法具であった。

 お母さんはその指輪を使って私のタレント発動を抑え込もうとし、マーサはその指輪を見て「何かある」と考え、占い師を装って近付いてきたらしい。私が死ぬ直前のあの時、そんなことを口にしていた。

 

 指輪をつまんで右手の人差し指へはめる。

 魔法による恩恵を受けるのであろうが、特に実感はない。まぁ、左手中指にはめている母の形見のように抵抗力を上げるなどの効果が有るなら分かるのだろうが、気配を封じるだけの指輪ではそうもいくまい。

 

 キーノは自分の手に戻った指輪をしばし見つめ、満足そうに頷くと、この場へきた目的のために動き出した。

 霊廟の――マーサたちズーラーノーンが死体を晒しているこの部屋へきたのは、そう、着るモノを探しにきたのだ。

 自身の服はボロボロで修繕しても着続けることは不可能だろう。というより普通の服では使用に耐えられない気がする。昼夜関係なく疲労もせずに動き続け、雨の中だろうが嵐の中だろうが平気で幾日も佇む。そんな化け物が着用するなら魔化処理された衣服こそが相応しいだろう。

 だから此処へきたのだ。

 自宅近くに転がっていた妙な男の服も魔化処理されていたが、ズタズタに引き裂いてしまったし、元より男物なので着る気は無い。

 キーノはふと、転がっているマーサだったモノをみる。

 先程勢い余って潰してしまったが、幸い服は大丈夫のようだ。魔化処理の御蔭で汚れは容易く落ち、サイズ調整も問題ない。これで半裸状態からは脱却できそうだ。

 

「……はぁ、これから……なにをしたら……」

 

 久しぶりに発声に自分自身が驚き、同時に「話す人が誰もいなかったからだ」と思い至り肩を落とす。

 それにしても酷いかすれ声――なんて自虐的感想を持ちつつ、キーノは何故か祭壇の上へ昇り横になった。

 もはや眠れない化け物なのだから、横になったとしても夢は見られない。そんなことは分かっているが、キーノは化け物に転生した始まりの場所で全てを終わらせてしまいたかったのだ。

 身体を丸め、身を縮め、瞳を閉じて……、闇の奥に浮かび上がる在りし日の光景に嗚咽を漏らす。

 怖い笑顔の母、妻の機嫌を取る父、抱き付いてくる弟。

 近所のおばさんが何かに付け食べ物を渡してきたり、市場のおじさんが珍しい果実を放ってきたりしたのが昨日の事のよう。

 今はとても静かで、動死体(ゾンビ)の呻き声も聞こえない。霊廟にいたアンデッドは全て始末した。外のアンデッドは霊廟に近付いてこない。だからこの場はとても静かで、吸血鬼(ヴァンパイア)の小さな泣き声しか聞こえてこない。

 

 子供が泣いているかのような嗚咽は、いつまでもいつまでも止むことなく響いていた。もし近くに立ち寄る者がいたなら、逃げ遅れた子供でもいるのかと血相を変えたことだろう。

 とはいえ、霊廟の外にいるのはアンデッドだけだ。

 百万にも及ぶ動死体(ゾンビ)骸骨(スケルトン)。しばらくすれば、より強力なアンデッドも湧き出すに違いない。死の気配で満ち、アンデッドが徘徊し、生きとし生ける者のいない滅びの街。今はまだ街の外まで死者で溢れることはないようだが、それも時間の問題であろう。

 いずれ他の人類、または亜人の生存圏を脅かす事態になるはずだ。そうなればこの死都も変動の時を迎えるだろう。ただその時、街の奥底で引き籠っている吸血鬼(ヴァンパイア)はどうするのだろうか?

 戦うのか、滅びるのか。

 微かに響く泣き声からは何も分からない。

 

 小さく幼い吸血鬼(ヴァンパイア)

 転生の果てに彼女が手にしたモノは、悍ましい死体だらけの――地獄のような未来であった。

 

 

 ◆

 

 

 世界が傾きかけていたことは、誰の目にも明らかであっただろう。

 大陸の彼方此方で、その強大な力を揮う“魔神”の存在。それは悪魔であり蟲であり、獣でありアンデッドであった。

 炎を纏っているモノ、魔法を操るモノ、巨大な戦鎚をふるうモノ。何処からきて何処へ行くのか? 何が目的なのか? 判らないことが多過ぎる謎の存在。

 ただ妙なことに、魔神は皆同じことを行うのだ。

 破壊である。

 殺戮である。

 まるでこの世界を憎んでいるかのように、己の命よりも大事な何かを失っているかのように、生きとし生ける者全てが滅んでもよいと思っているかのように。

 そう、狂っているかのように……。

 

 人と亜人、そして知恵ある者らは救いを求めていた。

 過去の大戦を終わらせた“竜王”が大空を滑空し、“魔神”どもを次々と打ち倒してくれるのではないかと……。

 無論、そんな幻想は現実に起きなかった。

 人々は虫けらの如く踏み荒らされ、亜人共々、伝説上でも語られないような未知の魔法によってこの世から消え続けることとなったのだ。

 近い内に人間種、そして亜人たちは絶滅する。誰もがそう思い、身を寄せ合って怯えていた。

 だが、いつの世でも奇跡は起こる。

 亜人に生存圏を脅かされていた人間の元へ“六大神”が現れたように、世界をその欲望で破滅させようとしていた“八欲王”の前に“竜王”が立ちはだかったように、“魔神”の暴虐に対し正義を振りかざそうとする者たちが現れたのだ。

 最初は数名だった。

 それがいつしか三十名を超える集団となり、各地の魔神どもと死闘を繰り広げ、そして勝利を積み重ねていったのである。

 集団を束ねていたのは、この世の生き物とは思えないほどの見目麗しい美男子であり、神話に登場するような美技の数々で、仲間の森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)悪魔(デビル)にアンデッド、蜥蜴人(リザードマン)やバードマンらと共に戦場を突き進んでいた。――戦いを始めた頃はあまりに弱くて皆の足を引っ張っていた、とは思えぬほどに。

 

 救世主、英雄と呼ばれ始めた彼らの下には、大陸各地で暴れている魔神たちの情報が逐次入ってくる。それは同時進行であり、どれもが緊急案件だ。

 リーダーと呼ばれる美しい男はサラサラの栗色髪を後ろで束ね、生真面目に報告書を隅々まで読み漁っては、適切な人員を魔神退治へと送り出す。

 魔神との相性、地域への相性、各員の協力体制などなど。天使系の魔神へアンデッドを送るわけにもいかないし、人間種だらけの場所へ悪魔を送るわけにもいかない。それに連携のとれたパーティーでなければ返り討ちの憂き目に遭ってしまう。

 リーダーは部隊派遣型の戦略ゲームでもするかのようにパーティーを編成し、確実に――当然失敗もあるが――魔神討伐を続ける。もちろん自分が現地へ行ったりもする。でなければレベルが上がらないのだ。

 

 

 

「でもね~、死にたくないですし……」

 

 リーダーは薄暗い森の中を進みつつ、やっぱり拠点でのんびりしているべきだったかと後悔を口にする。

 

「相変わらず気弱な奴じゃなぁ。今回は偵察みたいなもんじゃというのに……。手に負えん相手なら即座に撤退し、集めた情報を元に討伐隊を編成し直せばいいじゃろう。まっ、ツアーがいるんじゃから、この四人で事足りるじゃろうがな」

 

 先頭を進む老婆から苦言が呈される。

 声質や外見から人間の老婆――少なくとも初老――であることは疑いようもないだろうが、軽装鎧に包まれた肉体の逞しさや腰に差したショートソードから見るに、ただの老人ではないのだろう。

 整備されていない森の中を軽やかに進む足取りからして一般人でも無さそうだ。

 

「リグリット、油断は禁物だよ。今回の相手はヴァンパイアだって話だけど、被害の規模からして疑わしいね。何か予想外の出来事が待ち構えていると思うべきだよ」

 

 優しい口調で老婆へ語りかけるのは、白銀の全身鎧(フルプレート)を着込んだ、いかにも戦士といった感じの礼儀正しそうな人物だ。声色からすると男性であろうが、顔を面頬付き兜(クローズドヘルム)で完全に隠しているので確かめようがない。

 

「我が魔剣が月明かりに照らされて目覚めたようだ。血を渇望して我の思考を染め上げんばかりに……。ふふふ、此度の戦い――我が第二の人格が必要となるやもしれんな」

 

 雲に隠れているが故に左程月明かりが届かない森の中、そんな場所を進む四人組の最後方で不穏な呟きを漏らすのは、真っ黒な鎧姿の偉丈夫であった。

 白銀の男同様、全身鎧(フルプレート)の為中身は分からないが、四人の中で最も大柄であり、戦闘に優れている前衛職であることは確かであろう。腰に差し、又は背負っている四本の黒剣を見れば、今までどれ程の強者を切り刻んできたのか判りそうなものだ。

 

「え~っと、『本気を出すかも?』だそうです」

 

「相も変わらず、よく理解出来るものだのう。儂にはクロの話す内容が、まったくもって意味不明じゃわい」

 

「はは、まぁ長い付き合いですから……」

 

 リグリットの呟き通り、常人では黒騎士――当人は暗黒騎士と呼んで欲しいらしい――との意思疎通は困難だ。英雄集団の中でもリーダーぐらいしか理解できないのだから、当然ながら一緒に行動することが多くなる。

 今回の偵察任務、国を丸ごと滅ぼした吸血鬼(ヴァンパイア)の確認も、悪魔の血を持つ黒騎士が手すきであったからちょうど良いとばかりに派遣されたのだ。そして通訳代わりでレベリング中のリーダーと、死霊系特化のリグリット、絶対強者のツアーが同行することとなったのである。

 ちなみに、ツアーはリーダーの身を案じて可能な限り同行するのが常であった。

 

「リグリット、例の死都はもうそろそろじゃないかな? お喋りは止めて警戒しておいた方がイイと思うよ」

 

「ふん、これだけアンデッドの気配が強いのに儂が油断するとでも? ――さて、見えてきたぞ。アレが一夜にして滅んだという死都、ヴァンパイアの(ねぐら)じゃ」

 

「うわぁ~、大きな城壁ですね~。亜人との戦争で活躍したと聞いていましたけど、想像していたより立派です」

 

強者(つわもの)どもの(たけ)りが我が魂を揺り動かす。うぐぐ、志半ばで倒れし勇者の想いが我が魔剣に憑依するだと?」

 

「あぁ~っと、『殺された人々の代わりに頑張るよ』とのことです」

 

 森を抜けた四人組の前に現れたのは、手入れされずに放置されていたであろう、彼方此方ボロボロに破損した巨大城壁であった。

 重量感のある正門扉は既に打ち倒されており、繁殖した植物の中に埋もれている。

 開け放たれた正門のその奥には人影が――複数の人影がゆっくり移動しており、まるで街の住人が未だに生活しているのかと思ってしまいそう。無論、真っ暗な街の中を無言でフラフラ動く住人なんて奇妙でしかないのだが。

 

「リーダーもクロも準備は良いか? まずは打ち合わせ通り、儂がアンデッドを召喚して街中を見て回る。ツアーは城壁の上から偵察じゃ」

 

「分かったよ。私は鎧の効果でアンデッドに敵視されないからね。気楽なものだよ」

 

「心の隙間に悪魔の囁きを――、我が第二の人格が知恵の実を投げ捨てんと欲す」

 

「あ~、『警戒しろって言ってた奴が油断とかっ』だそうですよ。ツアー」

 

「……ホントにそんな事言っているのかな?」

 

 リーダーの通訳になんだか納得し難いモノを感じながらも、白銀の戦士は堂々とアンデッド蔓延る街の中へ歩を進め、城壁の上へと続く階段を目指す。

 これはある意味、囮でもある。

 白銀に輝く鎧の戦士が城壁の上をウロウロしていれば、誰であろうと気になって仕方がないはずだ。知恵の無いアンデッドには無理でも、今回の目的である吸血鬼(ヴァンパイア)なら頭を出してくるだろう。其処をリグリットの召喚アンデッドで確認し、所在を捉える。出来れば一当たりして強さの把握もしておきたいところだ。

 

 街の中を徘徊しているアンデッドの群れは、リグリットが召喚した紅骸骨戦士(レッド・スケルトンウォリアー)と遭遇しても何ら反応を示さない。

 これは自然発生したアンデッドに見られる行動だ。

 召喚されたアンデッドであれば「侵入者の排除」や「味方以外の存在を攻撃」などの命令が与えられているので、何事もなく擦れ違うなど不可能なのである。

 自然発生タイプはアンデッドの本能というべきか、主に命ある存在を襲うので別のところから来たアンデッドには興味も示さない。まぁ、アンデッドには最初から「興味」なんて感情は無いのだが……。

 

「〈伝言(メッセージ)〉、どうですかツアー。何か面白いモノでも見えますか?」

 

『面白いって……。リーダーは相手がヴァンパイアだからって気を抜き過ぎだよ』

 

「そう言われてもですね~、ヴァンパイアなんてボク一人でも倒せますよ。どんなに強力であってもね」

 

『やれやれ、あんなに弱かったリーダーがなんとも頼もしいことで……。でも君は世界の希望なんだからね。こんな偵察任務で命を落とすようなことは困るよ』

 

「ツアーは過保護に過ぎます。それで、どうなんです?」

 

『うん、手前には骸骨(スケルトン)系ばかりで、奥には死霊(レイス)系もいるみたいだけど、ヴァンパイアは見かけないねぇ。でも城の近辺には少し強力なアンデッドがチラホラ――ん?』

 

 報告途中で何かを発見したかのように言葉を詰まらせる。そんなツアーの様子に、リーダーは微かに眉を寄せてほんの少しだけ緊張感を高めていた。

 

「なんじゃ? 見つけたか?」

 

「いえ、まだ分かりません。……ツアー? 報告をっ」

 

『あっとごめん、アンデッドの中に動像(ゴーレム)が数体動いていてさ。建物の中へ入ろうとするアンデッドを攻撃しているみたいなんだけど』

 

動像(ゴーレム)? こんな街中に?」

 

「リーダー、誘導を頼む。儂の紅骸骨戦士(レッド・スケルトンウォリアー)で近くから見物してみようぞ」

 

 リグリットは召喚したアンデッドに己の視覚をリンクさせ、ツアーが見つけたという動像(ゴーレム)のところまで直行する。

 枯れた噴水と大きな広場を横目に右へ曲がり、市場と思しき大通りを真っ直ぐ進む。するとレンガ造りの住宅地が立ち並ぶ区画へと足を踏み入れていた。当然ながら、その場所もアンデッドで溢れている。

 大きな頭蓋骨、小さな頭蓋骨。住宅地故か、リグリットの視界には子供としか思えぬ小柄な骸骨(スケルトン)が数多く映っていた。

 

「骨の損傷がほとんど無いのう。余程綺麗に殺したのじゃろうが、この数をどうやって?」

 

「リグリットさん? 動像(ゴーレム)は確認できましたか?」

 

「おっとすまん。もうちょいじゃ」

 

 溢れんばかりのアンデッドを掻き分けて、その先に見えてきたのは骨の山だった。もとは人間の――骸骨(スケルトン)の骨だったのだろう。それが同じ場所で潰され続けて山になったのだ。

 作り上げたのは三体のレンガ型動像(ゴーレム)

 とある住宅の玄関を護っており、偶然入り込もうとしたアンデッドを容赦なく粉砕している。

 

「ほ~、見事な動像(ゴーレム)じゃなぁ。相当な術者が製作した逸品であると見たぞ。もっと良質な素材を用いておれば、儂らでも手こずったに違いない」

 

「それはそれは珍しいモノを。でもヴァンパイアとは関係なさそうな……」

 

『多分関係ないよ。ここからでも同じ行動を繰り返しているだけにしか見えないしね。恐らく”製作者が最後に発した命令”を守っているだけじゃないかな?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉でリーダーと繋がったままのツアーは城壁の上から――潰され続けるアンデッド、そして無感情に潰し続ける動像(ゴーレム)を眺め、その無意味な行動に「注視する必要無し」と結論付けていた。

 

動像(ゴーレム)は放置してもイイと思うよ。それより城の方に少しだけ強いアンデッドが集まっている。リグリットには城の方へ向かうよう伝えてくれないかな?』

 

「分かりました。ではリグリットさん、本命は王城みたいですよ」

 

「はいよ、紅骸骨戦士(レッド・スケルトンウォリアー)を城の中へ突っ込ませるとしようかね。そこまですればヴァンパイアも飛び起きてくるじゃろうて」

 

 リグリットの意識と繋がっている紅骸骨戦士(レッド・スケルトンウォリアー)は、己の武装を確認するかのように長剣を何度か振ると、城へ向かって走り出していた。

 道中、進路を遮るようなアンデッドは存在しない。命ある者ならともかく、同じアンデッドである紅骸骨戦士(レッド・スケルトンウォリアー)を侵入者と認識できないのであろう。このままであれば一国を滅ぼした噂の“国堕とし”とも容易く接触できるものと思われる。

 そうこの時まで、リグリットやリーダーは簡単にコトが進むと思っていたのだが……。

 

 

 

 

「無念なり、我が第三の眼が開いておれば異界の神とて隠れること能わず」

 

「見つからなくて残念、だそうです」

 

「リーダー、通訳が適当になってないかい?」

 

「まぁそれよりどうするんじゃ? 城の中をくまなく探したというのに、ヴァンパイアの姿どころか痕跡も無しじゃぞ」

 

 リーダーら一行は正門の前に集合し、今後の予定について話し合う。

 城壁の上から探索していたツアーはアンデッドしか発見できず、召喚アンデッドを送り込んでいたリグリットは城の中で無駄な時間を浪費しただけだったのだ。

 今は(しもべ)とのリンクを切って勝手に探索を続けさせているのだが、期待はできそうにない。

 

「もうこの場所にはいない、ということですかねぇ?」

 

「う~ん、リグリットはヴァンパイアの気配を探れないのかい? アンデッドだらけで難しいかもしれないけど」白銀はキョロキョロ辺りを見回しながら仲間の老婆に対し「ちなみに私の探知に引っかかるモノは無いよ」と口にする。

 

「出来なくはない。国を滅ぼすほどのヴァンパイアならば、強大な力を内包しているじゃろうからのう。じゃが、今のところそれらしい気配は無い」

 

「封印されし邪神の力は有象無象に届かず。ただ深淵にてその力を研ぎ澄ますのみ。復活の時は近い」

 

 相変わらず黒騎士の言葉は理解不能だ。それに今回はリーダーの通訳もないので完全にお手上げ状態である。

 当のリーダーは何か真剣な瞳でブツブツと呟くばかり。

 容姿が美しいだけにサマにはなっているが、アンデッドだらけの巨大な街を前にしては黄色い声援も期待できないだろう。

 いったい何を考えているのやら。

 

「リーダー、どうかしたのかい?」

 

「あぁ、ごめん、ツアー。その、もしかしたらですけど、ヴァンパイアは日頃から動いていないのかもしれませんね。“国堕とし”の目撃情報は何年かに一度、何十年にも渡ってこの街のみ。だとすると、必要な時以外は自らを封印状態にして閉じこもっているのではないかと」

 

「それは厄介な話じゃなぁ。これだけ巨大な街だと幾らでも隠れる場所はあるじゃろうし……」

 

「神に遭うては神を斬り、悪に遭うては悪を斬り。我が行く手を遮る者は、我が刃の露となろう」

 

「えっと」

「リーダー、もしかしてだけど……。クロは『街の中に入って探せ』って言っているのかい?」

 

 白銀の兜を指でコツコツと突くツアーは、仲間の難解な言葉を少しだけ聞き取れたような気がしていた。けれども悪魔の血をひいている者が『悪を斬る』なんて言ってイイのだろうか?

 

「おや、ツアーもちゃんと分かっているじゃないですか。そのとおりです、クロさんは街の中へ踏み入って探そうと提案しているのです」

 

「ちょっと待たんかリーダー。街の外にいる現状でもアンデッドが寄ってこようとしているのに、中へ入ったら取り囲まれるぞ」

 

 リグリットの言うように、街の外にいる四人の下へは時々アンデッドの襲撃があったのだ。無論、弱過ぎるはぐれ骸骨(スケルトン)が偶然にも生者の気配を察知した為に起こったことであり、撃退するのになんら苦労は無かったのだが……。

 一歩街の中へ入り込んだならそうはいくまい。

 強弱入り乱れたアンデッドの、無限とも思える一斉攻撃を受けることになるだろう。英雄たる四人が倒されるとは思えないが、吸血鬼(ヴァンパイア)との遭遇を後に控えているとなると無駄な消耗は抑えたいところだ。

 

「ですけど、このままでは肝心のヴァンパイアに関する偵察任務すらこなせません。手ぶらで帰ったら討伐任務に出ている他の皆にサボっていたと思われますよ。それにアンデッドを減らしておくことは人助けにもなります。……でしょ?」

 

「やれやれ、こんな深い森の奥にあるアンデッドの巣窟なんぞ、大した脅威にもならんと思うがのう。まっ、死霊術士としても放ってはおけんが」

 

「我が剣に宿りし闇の人格よ。いまこそ開眼の時ぞ」

 

「これは先頭を切って突っ込んでくれる、ってことかな?」

 

「あはは、もうツアーには通訳不要ですね。とても喜ばしいことです」

 

「いや、リーダーよ。ホントに合っているんじゃろうな。というよりクロも普通に喋れるんじゃろう? 小難しい妙な言い回しは平時のみにしたらどうじゃ」

 

 これから戦闘状態に突入するというのに意思疎通が不便では目も当てられない。

 リグリットの言い分は当然とも思えるモノだが、そもそも黒騎士は呪いや無差別デバフによる戦闘手法の為に単身での行動が多く、組んだとしてもリーダーを始めとするプレイヤーが主なのだ。

 

「魂に刻まれし不変の理が我を我たらしめん。反逆は我が消滅と同意なり」

 

「リグリットさん、無茶を言わないで下さいよ。彼が“設定”に従って動いている、ってことは貴方も御存じでしょ?」

 

「あ~すまんかった。儂には設定なんぞ一切無いもんじゃからのう。つい気楽に喋ってしもうたわい」

 

「いつ聞いても君たちの話は奇妙だね。自分の生き様が他者によって決められるなんて……。ホントおかしな生き物だよ」

 

 まるで自分は違う生き物であるかのように呟くツアーは、軽く長剣を振るうと、四人の先頭に立って街の中へ歩を進めた。

 目の前にはウンザリするほどの骸骨(スケルトン)がうろついている。恐らく街の住人達――其のなれ果てであろう。ただひたすらに生者を憎み、命を奪おうと襲い掛かってくるアンデッド。出来ることなら近寄りたくはない光景である。

 

「私が道を切り開くから、撃ち漏らしは頼んだよ」

 

「任せておくがよい。儂は専門家なんじゃぞ」

 

「ツアー、とりあえずリグリットさんの召喚アンデッドがいる王城前まで行きましょう。クロさんも後方警戒頼みますよ」

 

「天網恢恢疎にして漏らさず」

 

 四人は月明かりの下、白銀に輝くツアーを先頭にアンデッドの群れを突き破っていく。

 襲い掛かってくる骸骨(スケルトン)なんか鎧袖一触、まるで相手にならない。武装を備えた多少強そうなアンデッドも同様である。ツアーが振るう長剣は、まるで砕けた骨を脇へ寄せる箒の如く、アンデッドの身体に当る前に全てを打ち砕き、払い除けていたのだ。

 当然撃ち漏らしなんぞあるわけがない。

 

「リグリット、そろそろ王城だけど君の(しもべ)は――ってアレかい? でもなんで踊っているのさ」

 

「目立つように踊っておけと命令しておいたんじゃよ。しかしツアー、知っておるか? 召喚した存在に“踊れ”と命令すると、儂の記憶に存在する踊りを実行するんじゃ。面白いもんじゃろ?」

 

「知識は召喚主に依存している、ということですね。でもリグリットさん、御世辞にも上手いとは言えませんよ」

 

「当たり前じゃろうが。紅骸骨戦士(レッド・スケルトンウォリアー)に踊りの技能なんぞ無いわ」

 

 軽口を叩きながらも、一行は王城前まで先行していたリグリットの召喚アンデッドと合流を果たしていた。即座に手分けして周囲の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)黄光の屍(ワイト)を駆逐し、当面の安全を確保する。

 

「さて、やはりと言うべきかヴァンパイアの気配は感じられんのぅ」

 

「何者かが骸骨(スケルトン)と戦っていたらしき痕跡はありましたけど……。ヴァンパイアな訳ありませんしね~」

 

「それより皆気付いたかい? 建物の中にあった墓のようなモノ――、アレって誰が作ったんだろうね」

 

「生き残りがいた? ということかのう」

 

 リグリットが言うように、生き残りがいて住人の墓を作り、アンデッドと戦っていたのだとしたら、その者は何十年も死の街で生き抜いたことになる。

 そんな訳はあるまい。

 リーダーもツアーも、当のリグリットでさえ懐疑的だ。恐らく当時の生き残りが墓を作成し、ここ最近の侵入者がアンデッドと戦闘を行ったのだろう。もっとも、こんな危険極まりない場所に侵入した理由については見当もつかないが。

 

「おお、喉が渇く! 血の渇望に晒された我が魂が狂い踊る! 香るぞ! 血の香りだ!」

 

 突然の告白は吸血鬼(ヴァンパイア)のようだが、いつもの黒騎士なので気にはしない。だけど、こんな場所に血の匂いがするとは奇妙であろう。

 周囲を徘徊するアンデッドに血肉など付いてはいない。何十年もの歳月が全てを腐敗させてしまったが故に、残るは真っ白な骨だけなのだ。となると、何処かに新たな犠牲者がいるのかもしれない。

 

「確かに血の匂いですね。言われて初めて気付きましたよ」

 

「これは城の方から……ではないのう。城の外、裏手か?」

 

「此処から見る限りでは、岩だらけで畑でも住宅地でもないみたいだね。墓地、かな?」

 

 ツアーが覗き見るその場所は、城壁と王城に挟まれた不毛な土地であった。

 土質は砂か岩。兵士の訓練場として踏み固められ、後に避難場所や無縁仏の共同墓地へと変貌を遂げた、負の要素を抱え持つ土地である。

 だが今は他と大して変わらない。普通に骸骨(スケルトン)は徘徊しているし、住宅地同様“死の気配”を充満させ、新たなアンデッドを生み出している。

 でも場所によってはアンデッドが少ないようにも感じる。

 

「リグリットさーん、ありましたよ~、死体。死後二日ってところでしょうか?」

 

 リーダーが声を上げている――その足下を見れば、確かにいくつかの死体が見える。纏っている黒ローブが血で真っ赤に染まり、そのまま乾いてしまったかのような計十三の死体。理解を超えるような怪力で引き裂かれたのか、五体満足な死体は一つもなかった。

 

「お~、こりゃまた派手にやったもんじゃなぁ。ってこやつら……、どこかで見たような?」

 

「もう歳なのかいリグリット。どう見てもズーラーノーンの一派だよ。前に拠点潰しをしたじゃないか」

 

「ああ、一年前の……。そういえば勧誘にきとったなぁ」

 

 リグリットは懐かしむかのように死霊系術士集団との闘争を思い出す。もちろん老人に対し歳の話を持ち出した白銀の鎧野郎には、御礼として幾つかの嫌味をぶつけておくつもりなのだが。

 

「さてさて、ババアは歳の所為かツアーの顔を忘れてしもうたわ。折角じゃからこの場で素顔でも見せてもらおうかの。ツアーも仲間に顔を忘れられたままでは寂しかろうし」

 

「いや最初から知らないよね。誰にも見せてないんだから、って分かったから。御免よ。謝るからっ」

 

「二人とも、クロさんが血痕を見つけたので先へ進みますよ」

 

 リーダーを含む四人の興味は死体を作り出した者の所在だ。こんな死都で複数の人間を殺害しているのだからマトモな相手ではない。つまり目的である吸血鬼(ヴァンパイア)――“国堕とし”である可能性が高い。

 ズーラーノーンが殺された理由や、この場にいる目的にも興味はあるが、生存者が一人も居ないでは探究も難しかろう。

 死霊系魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるリグリットには、死体を用いて情報を集める手段もなくはないのだが、アンデッド化ではまともな記憶を取り出せないだろうし、死後丸一日以上経過してしまうと降霊術の効果も薄い。

 結果として、魔力を無駄に消費する公算が高いのだ。これから凶悪な吸血鬼(ヴァンパイア)と出会うかもしれないというのに、余計な手間で疲弊したくはない。

 

「死の雫が我を(さそ)う。闇深き地への底へと我を(いざな)う。されど我が第三の瞳には何も映らず」

 

「ん~、一応この洞窟の奥へ血痕が続いているみたいですけど、特に妙な気配は感じない――だそうですよ」

 

 黒騎士とリーダーが半身を入れている其の場所は、人の手が入った洞窟であった。入口両端には儀式的様相を感じさせる柱が建てられ、特別な目的のために建造されたのだと判る。

 

「これは霊廟じゃろう。彼方此方に魔除けの痕跡があるし、骸骨(スケルトン)どもも寄ってこん。恐らく、この中で埋葬されておる遺体はアンデッド化を免れておるのじゃろうなぁ」

 

「だけどそんな場所に血痕があるってことは……。その魔除け、ヴァンパイアには効果無しってことかい?」

 

 ツアーの疑問に、リグリットは「骸骨(スケルトン)に効くだけでも僥倖じゃろう」と先人の手腕を称えながら答え、白銀の鎧をバシバシ叩いて霊廟の奥へ進む。

 何処の誰かは知らないが、しっかりとした仕事の御蔭でアンデッドの侵入を防ぐことができ、一息つけるのだ。たとえ街の中へ潜入していた偽墓守が周囲の信用を得るために行った偽装行為だとしても、リグリットたちには有難い恩恵であろう。

 アンデッドが蔓延る死都の中を、生者がうろつくのは精神的に堪えるものなのだ。

 

 

 ◆

 

 

 洞窟の中は無骨な岩壁で満たされ、御世辞にも立派な霊廟とは言い難かった。鉱山の如く彼方此方に通路が伸びており、どう見ても違う目的で急造された穴倉を死体置き場に流用したとしか思えない。

 

「静かなものですねぇ」

 

「そうじゃな、まさしく死の世界に相応しい静寂じゃよ」

 

「それはいいけどさ、このまま奥へ進むのかい? 何の気配も無さそうだけど……」

 

 ツアーは自慢の探知能力を駆使して霊廟の奥を探る。その結果、奥にはアンデッドも生者も居ないとのこと。つまり進むだけ無駄であるということだ。

 

「確かにアンデッドの気配は無いのう。じゃが……」

 

 何かを察したらしきリグリットは、硬い岩の地面に耳をつけると、そのまま目を閉じて動かなくなった。他の三名は、邪魔する訳にはいかないと不動の姿勢で事態を見守る。

 

「――泣き声、じゃな。微かに幼い子供の泣き声が聞こえるのう」

 

「ちょっと待ってよリグリット。この奥に生命反応は無かったよ。それは間違いない」

 

「これはこれは……、ひょっとすると、アイテムによる気配遮断ですか? ツアーの探知でも分からないなんて。まさかボクと同じ……」

 

 探知を阻害するアイテム、その存在は決して珍しいモノではない。これまでの旅路に於いても様々な形状及び効果のアイテムと出会ってきた。かのスレイン法国でも強力な探知阻害アイテムが現存しているという。

 しかしリーダーが想像したモノは、ツアーの探知を掻い潜る高位のアイテムだ。スレイン法国で言うなら宝物殿に収められている神器と同等。そう、ユグドラシルのアイテムではないかと期待していたのだ。

 

「リーダー、ちょっと気が早いよ。私の探知も距離があれば阻害されることだってある。少々高品質の魔法具なら可能さ。まぁ近付いてみればどの程度か判別できるけど、行くかい?」

 

 探知を阻害されてムッとしたのか? それとも魔法具の存在に好奇心を刺激されたのか? ツアーは先頭に立って皆を促す。

 

「子供の泣き声とは、罠の気配しかせんがのう。まっ、そもそも偵察任務なんじゃから、此処で引き返す選択肢は無いじゃろ?」

 

「う~ん、子供ですか……。生き残り、ってことは無いでしょうけど、確認しない訳にもいきませんよね~」

 

「邪魔するモノに呪いを刻まん。我が魔剣の前には全てが獲物である」

 

 最後の黒騎士は別として、皆の同意が得られたと判断したツアーは、無骨な岩の通路を進み始めた。

 少し進むと確かに泣き声が聞こえてくる。喚いているわけではなく、押し殺しているかのような泣き声だ。女の子であろうか?

 こんな死都の、それも霊廟の奥底で幼い女の子の泣き声とは……。

 リーダーの言葉通り、御人好しを引き寄せて、油断しているところを一気に仕留めるという罠なのであろう。本当に幼い女の子が泣いているのであれば、生者の気配を誤魔化す必要もないはずだ。つまり霊廟の奥で待ち構えている泣き声の主は、気配を誤魔化さねばならない存在――吸血鬼(ヴァンパイア)である可能性が極めて高いと思われる。

 ただ……誰も来るはずのないアンデッドだらけの廃墟都市で、面倒な罠を張っている理由は分からない。事前に此方の行動を知られているのなら分からなくもないが……。

 ツアーは己の探知能力に自信を持つが故に、存在を察知されていないと確信していた。目視にしろ能力による探知又は魔法による警戒網にしろ、気付かれたなら必ず分かる。

 

(う~ん、よく分からないなぁ。この奥にいるのは本当に“国堕とし”? まさか無関係の女の子が避難しているって訳は無いと思うけど……。まぁ、もう少し近付けば阻害アイテムの効果を上回れるだろうし、気にしてもしょうがないか)

 

 ツアーはリグリットが放つ〈静寂(サイレンス)〉の魔法で足音や鎧の振動音を消すと、一気に最奥一歩手前の小部屋まで駆け抜けた。その場からこっそり奥を覗き、ハッキリ聞こえるようになった泣き声の主を探す。

 

「(……本当に居たよ。小さな女の子だね)」

 

「(見た目だけじゃろぅ?)」

 

「(丸まっていて顔が見えませんね。え~っと、それでツアー。この距離なら探知できるのでは?)」

 

 興味無さそうな黒騎士を除く三名がその視界に捉えていたのは、石の祭壇らしきテーブルの上で身体を丸めたまま横になっている女の子の姿だ。何処かで見たような黒ローブを着込み、本物の少女であるかのように泣き続けている。

 しかしツアーにはバレバレであった。確かに探知阻害のアイテムを備えているらしく微かな靄はかかるものの、この近距離であれば人形の身であっても何ら問題は無い。

 そう、ツアーの感覚はハッキリと捉えていたのだ。祭壇の上に寝転がる少女らしき存在――それがアンデッドであるということを。

 

「(間違いないね、アンデッドだよ。どうやら泣き声に釣られた獲物を待ち構えているみたいだね)」

 

「(こんな誰も来んようなところで……、っとズーラーノーンの奴らがおったか?)」

 

「(彼らなら泣いている少女でも平気で捕縛するでしょうけどね。さて、ここはボクが)」

 

 ――リリリッ、リリリリリッ――

 

 見つかっていないのだから先手を取って一撃で首を刎ねる、そんな意気込みで一歩を踏み出したリーダーであったが、前方1メートル辺りにいる小さな虫――その鳴き声に一瞬思考が止まる。

 なんて間の悪い! こんな所に虫がいるなんて?! いきなり鳴き出すとは!

「失敗した」そんな後悔を胸に、リーダーはすぐさま身を隠した。他の三名も同様に岩壁に背をつけ、呼吸を整える。

 まだ〈静寂(サイレンス)〉の効果は持続しているのだからやり過ごすことは可能であろう。ただ一匹の虫が鳴いただけなのだ。祭壇の上で横になっているアンデッドにとっても日常の光景なのだろうし、気にするまでもないはずだ。

 と思っていたのだが。

 

「う……ひぐ、また、……また来たのですか? 何度も何度も、何人殺されたら気が済むのですか?!」

 

 涙を拭いながら身体を起こすその少女は、何者かの訪れを確信しているかのように言い放つ。

 

「隠れても無駄ですよ。その虫は私が作った〈警報(アラーム)〉付きの動像(ゴーレム)です。人でもアンデッドでも、何かが来たら鳴くようになっているのですよ!」

 

 侵入者を迎え撃つかのように入口を睨む少女は、確かに幼い女の子であった。肩まで伸びる金髪は、手入れ不十分でくすんでいながらも高貴さを感じさせる。顔立ちは美しく、手足からも無骨さは感じられない。

 朝から晩まで農作業の手伝いをしている何処かの子供――ではないだろう、間違いなく。ただ、気品を感じさせる大きな瞳が人にあらざる化け物を連想させてくれる。

 人の新鮮な血を思わせる真っ赤な瞳。肉食獣かのごとき瞳孔。そして口元から覗く、人間にはないはずの牙。

 リーダーたち四人は確信した。このモノこそが吸血鬼(ヴァンパイア)、国を滅ぼした最悪の化け物、“国堕とし”なのだと。

 

「やれやれ、こんな手に引っかかるなんて帰ったら皆に笑われるよ」

 

「そうかのぉ? 今までに見たことのない面白い手じゃぞ。感心するわい」

 

「二人とも油断し過ぎですよ。さっさと戦闘準備をお願いします。ツアーとクロさんは前、ボクとリグリットさんは後ろ」

 

「疼く、疼くぞぉ! 我が魔剣が血を寄こせと叫んでいる!」

 

 事が始まればその行動は迅速そのもの。霊廟最奥の大部屋へ踏み込んで吸血鬼(ヴァンパイア)に相対する。

 今回は偵察任務で、相手の戦力を見極めるだけが仕事だったのだが、もちろん倒せるのであればそのまま討伐しても構わないだろう。というより最初からそのつもりだったので、四人の意思統一に問題は無い。

 

「殺してやる殺してやる! 街のみんなの仇! お父さんお母さん……、弟はまだ六歳だったのに!!」

 

「ぬ? お主、何を言っておる?」

「リグリットさん! ヴァンパイアの言葉に耳を貸すなと言ったのは貴方でしょ?! 本人が真っ先に反応してどうするのですか?!」

「戯言不要! 我が斬撃をもって死の扉を開かん!」

「いや、ちょっと待って!」

 

 触れたなら傷口ごと呪いで腐食させるという恐るべき魔剣――その剣先を己の長剣で抑え、ツアーは最前列へ立つ。

 

「リーダーもちょっとイイかな? 私はこの国が死都となった経緯に興味があるんだ。“国堕とし”と話ができるのなら試してみたい」

 

「ツアーまで何を?」

 

「なにが話ですか! ズーラーノーンなんかに話すことは何もありません! さっさと死んじゃえ!! 〈魔法の矢(マジック・アロー)〉!!」

 

 赤い瞳をより一層輝かせて、吸血鬼(ヴァンパイア)は魔力による矢を空中に創りあげる。その数は五本。常識に照らし合わせれば信じられない魔法力と言えよう。人類でその域に到達している魔法詠唱者(マジック・キャスター)が幾人いるのか……。それも吸血鬼(ヴァンパイア)という恐るべき身体能力をもつモンスターが行使しているのだから背筋が凍る。

 この場にいるのが人類の希望たる英雄たちでなければ、即座に全滅であっただろう。

 

「〈魔法盾(マジック・シールド)〉! ちょっ、リグリットさん! ツアー! 危ないですって!」

「ほぅ、たいしたモンじゃなぁ。どうやって魔法を会得したのじゃろうか?」

「ねぇ、君。言葉が通じるなら聞きたいことがあるのだけど……」

 

「うるさい! 盟主なんかに身体を差し出すものですか! 何回来ても皆殺しにしてやります!! 〈魔法の矢(マジック・アロー)〉!」

 

 ズイッと前へ出てくる白銀鎧を避けるかのように一歩引いた吸血鬼(ヴァンパイア)は、再び魔法の矢を繰り出し、侵入者の撃滅を計る。だがリーダーと呼ばれている美男子が展開した薄い魔力の膜――その一見貧弱そうな盾を前に、全ての矢は霧散してしまった。

 侮れない強敵。

 アンデッドは冷や汗などかかないのかもしれないが、この時たった一人で霊廟に引き籠っていた少女吸血鬼(ヴァンパイア)ことキーノは、全身に嫌な汗をかいているような錯覚にとらわれていた。

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉! 〈魔法の矢(マジック・アロー)〉! 〈魔法の矢(マジック・アロー)〉!!」

 

「いや、ちょっ、痛い痛い! 地味に痛いんですけどー!」

「一発貫通したか。ふ~む、魔力は中々のもんじゃな。しかし〈魔法の矢(マジック・アロー)〉しか使わんのは何故なんじゃ?」

「もしかして……、それしか使用できないとか、かな?」

 

 まるで足の小指をどこかへぶつけたかのようにピョンピョン飛び跳ねるリーダー、を無慈悲に眺め、リグリットとツアーは現状を分析する。

 近接戦闘距離まで吸血鬼(ヴァンパイア)に接近してみて、その実力はおおよそ把握できた。リグリット以上ツアー未満。リーダーはちょっと不安だが、黒騎士なら問題なく対処できる相手であろう。ただ話が出来るという面においては、魔神なんかより貴重な存在である。

 現在大陸の彼方此方で暴れている魔神は根本から狂っているのだ。話し合いも説得も、情報交換なんかも有り得ない。

 

「……う、うるさいうるさい! コレしか習っていないんだから仕方ないでしょ! 魔導書も読んだけど、何所かを読み間違えているみたいで上手く発動しないんだもん! ってなんでアンタ達にこんなこと言わないといけないのよ!」

 

「あ~、ヴァンパイアの嬢ちゃんや。儂らはズーラーノーンではないぞ」

 

「――えっ?」

 

 老婆の一言に魔法の発動を躊躇うキーノであったが、当然ながら信用出来るわけもない。それだけ長い間、ズーラーノーンの襲撃を受け続けていたのだ。人を信用するという段階はとうに過ぎ去っている。

 

「嘘だ! 普通の人がこんなアンデッドばかりの街に来るはずない! 私を騙そうとしても無駄ですよお婆さん!」

 

「なんだか国を滅ぼした“国堕とし”っぽくないですね~」

「強そうな口調を真似ているようじゃが、儂にお婆さんとはのぉ。そこはババアと言うべきじゃろうに」

「自分でババアって……。まぁそんなことより、私たちは各地の魔神を滅ぼすために活動している戦闘集団だよ。今回も君が魔神かと思って偵察にきたんだ」

 

「……ま、魔神? 何ですかそれ?」

 

 引き籠っていたキーノには各地で世界を滅ぼそうと動き出していた魔神の動向など知り得るはずもなく、それを討伐しようとしていた英雄の存在にも理解が及ばない。とはいえ、人と話すこと自体が珍しくなっている現状では仕方がない。異変に巻き込まれてからおよそ五十年。その間、キーノが言葉を交わした者と言えばズーラーノーンの狂信者どもしかいなかったのだ。

 あとはズーラーノーンとの戦闘を偶然目撃したであろう冒険者及び商人ぐらいだが、その者らは言葉を交わすことなく逃げ去って”国堕とし”の伝説を広げるだけであった。

 キーノ自身、時間の流れや月日の間隔も狂っているので、外界との意思疎通は少しばかり苦労しそうだ。

 

「待った待った! とりあえず双方、矛を収めんか? 見たところ話が通じそうなお嬢ちゃんじゃし」

 

「ふん、私はお嬢ちゃんじゃありません。私の名前はキーノ・ファスリス・インベルン、ほぼ十二歳です」

 

「十二歳? それに“ほぼ”じゃと? お主はヴァンパイアじゃろうが」

 

「う~~、こんな姿になる前は、あと三ヶ月で十二歳になるはずだったんです! でもズーラーノーンの変な人たちが……」

 

 肩を落とし俯き加減になるキーノの様子に、リグリットとリーダー及びツアーも武器を収め数歩下がる。同じく黒騎士も魔剣を下げて岩壁にもたれかかるものの、その鼻息は何故か荒かった。

 

「こんな姿になる前、ですか……。リグリットさん」

 

「ああ、これは興味深いのぅ」

 

「まさか“ぷれいやー”とか言い出さないだろうね。これ以上の面倒事は御免だよぉ」

 

 ツアーのよく分からない愚痴を最後に、“国堕とし”と“英雄”たちの話し合いは始まった。と言っても警戒している猫みたいな少女吸血鬼(ヴァンパイア)に、老女が優しく声を掛けている状況なのだが……。

 まぁそれでもポツリポツリと重要な要素が零れ出し、それを一つ一つ摘み上げてはリーダーとツアーが頭を捻りながら組み上げていくと、話の全体像が見えてくる。

 

 ――ズーラーノーンによる転生異能者の巨大儀式――

 

 荒唐無稽とも思える話だ。普通であれば信じる者など皆無であろう。だがしかし、現物が目の前にいるのであれば目を背ける訳にもいかない。

 結論から言えば彼女は被害者だ。この国、この街の住人も被害者だ。加害者はズーラーノーンであり、首謀者は盟主と呼ばれる組織のトップ。そして本件は、恐るべき史上稀にみる大量殺戮にして、たった一つの犯罪組織が国を滅ぼしたという、あってはならない歴史的事件である。

 

「これは……公表する訳にはいかんなぁ。ズーラーノーンの名を高めることにもなるじゃろうし、同じ手口の儀式を行われてはたまらんわい」

 

「盟主とやらは自分の身体を手に入れるまで秘匿するでしょう。他の組織に真似されては困りますもんね」

 

「でも国家元首には事実を伝えたほうがイイと思うよ。外にあった死体からして諦めるつもりは無いみたいだし」

 

「う~ん」と唸る三名を余所に、全てを語り終えたキーノは膝を抱えたまま祭壇の横に座り込む。過去を思い出した所為なのか、その目には少しだけ涙が溜まっていた。

 

(この人達……何者なんだろ? 昔大勢で襲いかかってきた冒険者っぽいけど、戦う気はないみたいだし……。あぁでも、まともに人と会話するなんて久しぶりかも?)

 

 普段は死人だけが隣人だ。生者と遭えば殺し合いに発展するのが常である。そんな中、冒険者のような敵愾心でもズーラーノーンのような狂信を持つわけでもない訪問者は貴重だ。色々話を聞いてみたくはあるが。

 

「……吸血鬼、真なる力を持った……恐怖の根源」

 

「な、なんです? わ、わたしに何かしようっていうならっ!」

 

 小刻みに震えながら近付いてきたのは、黒い全身鎧の戦士だ。細くて折れそうな長剣を複数備え、仲間であろう三人の会話にも加わらず、キーノへにじり寄ってきている。

 

「こ、このっ!」

「美しいぃぃぃぃぃぃ!!!」

「っはひぃ?」

 

 黒騎士は少女の手を取り、感激の声を上げる。

 

「なんと美しい魔眼(イビルアイ)!! 野性味溢れる獣のようであり、宝石と見紛うばかりの鮮血色! 強大な魔力に満ちた邪悪なる魔眼(イビルアイ)! 今まで出会ったヴァンパイアなど比較にならぬ! いつか蘇るであろう我が第三の眼よりも魅力的な瞳だ!!」

 

 しばしの沈黙。

 吸血鬼(ヴァンパイア)の少女も老婆を含む訪問者たちも、一瞬何が起こったのかと視線を漂わせる。

 

「クロさんが……普通に話していますよ。なんて珍しい」

 

「感心するところが違うじゃろ。ヤツめ、ヴァンパイアに魅了されたわけじゃなかろうな」

 

「彼の実力でそれは無いよ。ってまぁ普通に考えれば、出会った女の子を口説いている光景だよね、これ」

 

 美男子を始め、老婆や白銀鎧に「珍獣を見た」と驚く素振りはあったが、積極的に行動を起こすつもりは無いようだ。そのノンビリとした口調に、キーノの怒りが膨れ上がる。

 

「ぐぅっ、離れなさいバカ戦士! 私に触れないで!!」

 

「おっと失礼。だが勘違いしてもらっては困る。我が興味はそなたの美麗なる魔眼(イビルアイ)のみ。他の貧相なモノは眼中に無し」

 

「ひんそおぉぉぅ!!」

 

 キーノはその場から飛び退き、黒い鎧の男を睨み付ける。

 ハッキリ言って失礼だ! 女性に対する言動ではないし、初対面の相手に何というモノの言いようなのか! 吸血鬼化したキーノは、既に五十年以上もの時を生き抜いた――その大半はアンデッドとしてだが――立派な女性なのだ。目の前にいる老婆を除けば、間違いなく自分の方が年上であろう。敬われるべき存在である。

 

「こ、この黒い人にはお仕置きが必要ですね。半殺しで許してあげます!」

 

「怒りに満ちた瞳も至高……。これはヴァンパイアとしての特性か? それとも強力な個体故か?」

 

「訳の分からないことをっ!!」

 

 呆れ顔のリグリットが眺める先で、小柄な吸血鬼は立派な体躯の黒騎士へと殴りかかった。しかも素手で。通常なれば、幼い女の子の小さな拳が黒い全身鎧に弾かれて怪我をするところであろう。

 だがキーノは吸血鬼(ヴァンパイア)だ。ズーラーノーンの手練れたちを殺しまくった、強大な吸血姫(ヴァンパイア・プリンセス)なのである。

 

「吹き飛びなさ――えっ?!」

 

 幾度も振るった拳の威力を考えれば、黒騎士は岩壁まで吹き飛び、跳ね返って地面に頭を叩きつけてしまう、という光景が目の前に広がるはずであった。

 それなのに、キーノの拳は逞しい手の平に包まれ、抑え込まれている。

 

「ふんっ、なるほど、確かに尋常ならざる人外の怪力。レベルの低い魔神ならば一騎打ちも可能な強者やもしれん。してリーダー、判定や如何に?」

 

「クロさんから呼びかけてくれるなんて久しぶりです~。ってそうですねぇ、レベルは五十に届きそうな感じですよ。リグリットさんの良い相棒になるのでは?」

 

「はっ、まともな戦い方も知らん小娘の面倒を儂に見ろじゃと? リーダーの探査スキルも耄碌したんかのぉ~」

 

「まぁまぁ、私たちの中で女性はリグリットだけなんだし、相棒になるかどうかは別にして、色々助けてあげるべきなんじゃないのかな?」

 

 掴まれたまままったく動かせない己の拳を見つめ、キーノは唖然と佇む。

 事此処に至って思い知る。この四人組は、今まで出会った中でも破格の化け物たちだ。ズーラーノーンなど比較にならない。

 信じられない犠牲のもとに生まれた吸血鬼(ヴァンパイア)――そんな自分をも遥かに凌駕する、戦えば間違いなく殺されるであろう危険な相手なのだ。

 

「うぅ、うわぁあああぁぁぁああ! はなせばかぁぁ!!」

 

 理不尽だ。

 運命に翻弄されて多くを失ったというのに、まだ足りないというのか? キーノは掴まれたままの腕を力任せに振り回しながら、大声で泣き叫んだ。

 

「む? いや、我はそなたを傷付けるつもりなど、うぐぐ、リグリット殿! 何とかして頂きたい!」

 

「お~お~、儂の名を口にするなど何時以来じゃろうなぁ。都合の悪い時だけ呼ばれても困るのぉ」

「リグリットも大人げないなぁ。助けてあげなよ」

「クロさんって泣く子供に弱いんですね~。これは良い土産話ができました」

 

 子供の泣き声が響き渡る洞窟内で、黒騎士はオロオロし、老婆はニヤニヤし、白銀は肩をすくめ、色男は素晴らしい笑顔を見せていた。

 どう見ても凶悪な吸血鬼(ヴァンパイア)“国堕とし”を討伐にきた英雄たちではないだろう。むしろ小さな女の子を虐めている変質者と言うべきなのかもしれない。

 

 十数人分の人骨が散らばる大きな洞窟――霊廟の最奥にて、キーノはただ泣き続けた。

 吸血鬼(ヴァンパイア)としての力は通用せず、母に習ったたった一つの魔法は遮られ、周囲を四人の強者に取り囲まれる。そんな状況に悔しくて悲しくて、何の為に生き残ったのかと自問自答して、また涙が止まらなくなる。

 泣き喚いても意味は無い。分かっていても涙は出続ける。頭に浮かぶのは眠るようにこの世を去った家族の姿、そして顔見知りだった街の住人たち。思い出しては泣き、ふと思い至っては街を徘徊し、忘れた頃にやってくるズーラーノーンを怒りに任せて皆殺しにし、そしてまた霊廟の奥へ引き籠っていた今日までの数十年。

 何の為に生きていたのかは忘れた。何に怒っていたのかも希薄だ。今はもうただ悲しい。そしてもう潮時なのだろう。多くの命を取り込んで生れ出た吸血鬼(ヴァンパイア)は、此処で滅びるべきなのだろう。キーノ自身は一度殺されているのだ。死を拒否できるような資格はあるまい。

 

「もう……いいです。殺して……ください」

 

 自分が吸血鬼(ヴァンパイア)であることを自覚してから、こんな日がくるのではと想像したこともあった。キーノは疲れたように両膝を床へつけ、最後の時を待つ。

 

「ちょ、ちょっと待たんか! え~、インベルンの嬢ちゃんよ。ほらっ、クロ。お主も手を離さんか! いつまで幼子の手を掴んでおるんじゃ!」

 

 リグリットは黒騎士のケツを蹴り上げて強引に引きはがすと、俯いたままの幼い吸血鬼(ヴァンパイア)の前に座り込む。

 

「心配せんでもよいぞ。儂らは確かに“国堕とし”と呼ばれるヴァンパイアを偵察し、退治できるようであるなら殺すつもりじゃったが……。まぁ別の目的もあってのう、リーダー?」

 

「はい、そうです。えぇ~っと、キーノさん? インベルンさん? でしたか? あのですね、ボクたちに手を貸すつもりはありませんか?」

 

「……?」

 

 リーダーと呼ばれた美男子は、座り込むキーノに視線を合わせながら慎重に言葉を選んで紡ぎ出す。何かの勧誘であるようだが、相手が幼い子供の為かやり難そうだ。

 

「ボクたちは、世界を滅ぼそうとする魔神を退治しているのです。ですから強い仲間が必要なのです、貴方のような!」

 

「う、えっ、でも……、わたし、ヴァンパイア……」

 

「関係ありません。ボクらの仲間には亜人や異形種がたくさんいるのです。バードマンに巨人、ゴブリンや天使、ちなみに其処のクロさんなんかは悪魔の血をひいていたりするんですよ」

 

 自慢げに仲間を紹介するリーダーは、最後に「残念ながらドラゴンはいませんけどね~」と冗談を口にしてニッコリ微笑む。

 物語に登場するような美男子が優しく笑みを浮かべて幼女を誘う姿は、ある意味危険極まりない光景であろう。仲間の白銀からも「ゴホゴホッ」と何かを誤魔化すような咳が響く。

 

「あ~、とりあえず私たちの拠点まで来て貰ったらどうかな? 一緒に戦うかどうかはともかくとして、こんな廃墟に一人っきりは寂しいでしょ?」

 

「ツアーの言う通りじゃな。“国堕とし”は儂らが滅ぼしたこととして、嬢ちゃんには引っ越ししてもらおうかの。で、どうじゃな?」

 

「……あ、あの、この街には家族が……、アンデッドのままで彷徨い続けていて、それを放置しておけなくて……」

 

 死体を適切に処理し、アンデッド化しないようにする――キーノにそんな知識は無かった。だから街はアンデッドで溢れ、家族の遺体も長い間死の気配に晒されているのだ。それを見捨てて何処かへ行くわけにはいかない。

 

「そうか、そうじゃな。しかしのぅ、これ程の規模になると普通の方法ではどうにもなるまい。リーダー、ツアー。燃やすしかないと思うが、お主らで可能か?」

 

「任せてください。覚えたばっかりの第七位階魔法が役に立ちそうです」

 

「私は街全体に油を撒いて回るとするよ。でもリグリット、君も手伝ってくれるよね?」

 

 白銀鎧の言葉に「わかっとるわかっとる」と老婆は答え、黒騎士の背中を叩きながら外へ向かって歩き出そうとする。

 キーノは“第七位階魔法”という一言に「聞き間違え?」と目を丸くするが、動き出す四人組をのんびりと見送るわけにはいかなかった。全ての根源である自分が何もせず、街の最後を他人任せにするなど許されないのだ。

 

「ま、待ってください! 私も! 私も行きます!」

 

 幼い吸血鬼(ヴァンパイア)は無我夢中で走り出し、憎たらしい笑顔を見せる老婆に指示を仰ぐ。老婆リグリットは街の何処に市場があり、兵舎があり、住宅地があったのかをキーノに問いかけ、樹脂油が保管されていそうな場所に見当をつけ、各人に担当箇所を割り当てていった。

 後は邪魔する骸骨(スケルトン)を砕きながら樹脂油を漁り、燃えやすそうな場所へ撒き散らしていくだけ。地味で時間のかかる作業だ。

 キーノは吸血鬼(ヴァンパイア)なのだから疲労とは無縁であるが、ツアーという名の白銀鎧や黒騎士には無茶な割振り――かと思えば、集合場所である大正門付近の城壁上に戻ってきたのは、キーノが最後であった。

 呆然とする幼子を前に、異世界へ渡ってハーレムを作りそうな色男――リーダーは自慢げに詠唱を始める。

 

魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)黒炎の柱(ブラックフレイムウォール)!」

 

 聞いたこともない詠唱。王宮から持ち出した二冊の魔導書にも書かれておらず、母の魔導書にも載っていない未知の魔法。

 見れば――街中に拳大の黒い炎が複数現れたと認識した直後、ドラゴンをも飲み込まんばかりの巨大な黒い柱に変化したのだ。周囲にあった家屋などは燃えるどころか塵と化し、キーノの記憶にあった街の光景を完全な過去のものとしてしまう。

 視界が滲む中、ふと顔を上げれば自分の家が見える。家を護るかのようにアンデッドを破壊している動像(ゴーレム)が見える。母が造った動像(ゴーレム)だ。それもすぐに炎にのまれることだろう。

「今まで護ってくれてありがとう」そうキーノは呟くが、流れ落ちる涙同様、無意識の発言であったのかもしれない。

 

「ん? ちょっと待たんかリーダー。炎が燃え広がっておらんぞ」

 

「ははは、炎があまりに強いから燃え移る前に全てを消し去ってしまったんだね。まぁ街を燃やすには不適切な魔法だったってことだよ」

 

「力に溺れる者、其の力で己を焼き尽くす。憐れなり」

 

「み、皆さん酷いですねぇ。インベルンさんの前だから、張り切って格好つけたのに……」

 

 新人に対し歴戦の猛者がその実力を見せつける――そんな意味合いだったかのかどうかはともかく、結局、街への着火は低位階魔法で行われた。

 

 街全体の着火に丸一日。

 森へ広がらないよう注意しつつ、王城が崩壊するまで城壁の上から眺めること丸三日。

 リグリットが残ったアンデッドを探し出して潰し、再度アンデッド化しないよう後処理を二日間に渡って行い、朝を迎えた。

 

「どうじゃ? 覚悟は決まったかの、お嬢ちゃん?」

 

「んぐ……お嬢ちゃんは、止めてくださいって……言ったでしょ。おこ、おこります……よ」

 

「はん、名前を呼んで欲しいならまず泣き止む事じゃな。そのままじゃと泣き虫嬢ちゃんのままじゃぞ」

 

 はっ、と気付いて頬に触れれば、確かに濡れていた。吸血鬼(ヴァンパイア)なのにどうして涙を流せるのだろうと自分に問いかけても、実際流れているのだからどうしようもない。悲しいという感情に関しても同様だ。

 

「キーノさん、二度と戻れないかもしれないのです。しっかりと故郷の光景を心に刻んでおいてください」

 

 何やら実感が篭っているような、そんな言葉を口にするリーダーは、少し悲しそうに微笑んでいた。

 

「持っていくモノはそれでイイのかい? って他はもう燃えちゃったけどね」

 

 ツアーの言葉に、キーノは手元の魔導書三冊と二つの指輪を見る。

 王宮から持ち出した二冊の魔導書は、第三位階までの詳細が書かれた門外不出の貴重品だ。母の魔導書は第四位階と第五位階の、それも大地系のクリスタルに特化したエレメンタリストの専用書。国宝級の書物であり、現時点ではキーノに扱えるわけもない英雄の遺産である。

 指輪の一つはキーノが誕生日に貰ったプレゼントであり、自身の異能及び様々な気配を抑える魔法具“封じの指輪”。もう一つは母の形見、というよりズーラーノーンの束縛に対抗する為に装備した“抵抗の指輪”だ。

 あとは王宮から適当に持ってきた予備の魔法衣ぐらいである。

 キーノが旅立ちに備えたのは、その程度であった。

 

「お願いがあります」

 

 恐るべき力を備えた四人の英雄へ、キーノは言い放つ。

 

「私に魔法を教えて下さい! 私はっ、お母さんの魔法を習得したいのです! 私に残されたモノはこれだけだから……、これぐらいしかないから!」

 

 父が得意だった弓は扱えない。弟は幼くしてこの世を去った。手元に残ったのは母の魔導書だけ。だけど其処に書かれてある魔法は母が磨き上げたクリスタル、英雄の名を引き継ぐ者にしか扱えない特化魔法。

 母から娘へ。

 故にキーノがやらねばならない。

 でなければ母も父も弟も、街の皆も、全員が無駄死にだ。

 

「むむ、魔法を教えるのは……ちょっとのう」

 

「ボクも魔法の原理なんてサッパリですし……」

 

「私は戦士だよ。こっちを見ないでほしいな」

 

「おおぉぉ、其の輝く魔眼(イビルアイ)を曇らせるは悪魔の所業なれど、我が教えは汝を救えず。無念なりぃ」

 

 高位階魔法を操る者たちが揃いも揃って頭を抱える姿は、キーノにとって理解しがたい光景だ。扱えるのに教えられないとは、いったいどういうことなのか?

 

「あ、いや、大丈夫ですよキーノさん。ボクたちの仲間には、魔法に長けた森妖精(エルフ)の王女様とかがいますからね。その人なら教えてくれますって、うん」

 

「あのわがまま娘がヴァンパイアにモノを教えるかのぅ」

「リーダーが頼み込めば何とかなると思うよ。見返りに色々要求されるとは思うけど」

「無常なり」

 

 意味深なツアーの呟きと、黒騎士のため息を最後に、その話題は切り上げられた。キーノもあまり突っ込まない方がイイのだろうと気を遣い、歩き出す四人の後へと続く。

 途中、振り返って大正門――その奥に広がる崩壊した街並みを見る。とても百万の民を抱えていた国の様子とは思えない。立派な城壁だけがその面影を語るが、いずれどこかの亜人部族が(ねぐら)にしてしまうのだろう。今はもう、どうにもならない。

 

「さようなら、……ごめんなさい」

 

 後ろめたい想いを抱えて、キーノはその場を――その国を去った。

 百万にも及ぶ人間の生命力、そして魂を、小さな身体に詰め込んだまま……。

 

 

 ◆

 

 

「それから私たちは、各地で暴れている魔神を討伐し続けたわけだが……。蟲の魔神が拠点にしていた街では私が大活躍してだな、街の大通り一面にビッシリと蔓延っていた蟲の大軍を蹴散らした時なんかは、凄く褒められたんだぞ」

 

 エ・レエブルの高級宿。

 朝日が昇る前の肌寒く薄暗い室内にて、吸血姫の小さな声が響く。

 

「な、なんか壮絶……。早起きしちゃったから何かお話して欲しいとは言ったけど、イビルアイって結構苦労しているんだねぇ」

 

 武勇伝を語っているつもりの吸血姫を前にして、変身済みの堕天使は引き気味だ。

 他の皆が起きてくる前の――、朝食前の――、冒険者ギルドへ訪問する前の、ちょっとした昔話にしてはあまりに血生臭いモノであったからだ。

 

「なぁに、もう数百年も前の話だからな、私の中で区切りはついている。それにヴァンパイアの力も結構役に立つもんさ」

 

「ラキュースさんたちを助けることができるから?」

 

「いぃ? いや、それはっ」

 

 ニマニマしている堕天使の呟きに、吸血姫は「図星です」と言わんばかりのリアクションで首をブンブン振るが、それで誤魔化しているつもりなのだろうか。

 いやそれより、そんな声を出せば“蒼の薔薇”の四人が起きてしまうだろうに。

 

「……で? さっきの話だけど、イビルアイとそのリーダーさんは最後の魔神も一緒に倒して、世の中は平和になりました、ってことでイイのかな?」

 

「平和か……確かにその通りだが、私は最後の戦いに参加していない。最後の魔神“神竜”との決戦には置いていかれたんだ。足手まといだからってな」

 

 最後の言葉には少しばかり悔しそうな感情が滲み出ている。数百年前のことだと言いながらも、この吸血姫は未だに根に持っているようだ。

 

「イビルアイが足手まといって……。そのリーダーさんはどんだけ強いのよ」

 

「出会った頃は、大したことのない軽薄男だと思っていたんだがなぁ。まぁ凄まじい才能は感じていたし、装備品も異常ではあったけど、あっという間に“竜王(ドラゴンロード)”級になるなんて……」

 

 当時の実力差を思い出してうなだれてしまう吸血姫は、置いていかれた――別の任務をあてがわれた――ことを恨みつつも、仕方のないことだと理解はしているのだろう。

 それほどまでに“神竜”は強いと判断されていたのだ。勝利の為に失った犠牲、その犠牲に耐えられなかったリーダー、そして崩壊した英雄組織。ツアーが教えてくれた当時の様子からも、吸血姫に何かを成せたとは思えない。むしろ邪魔になって戦線を乱したはずだ。

 

「それで? イビルアイはそれから何をしていたの?」

 

「何って、まぁ世直しの旅みたいな感じだな。邪教集団の盟主とやらを追いかけ回すついでに、暴れている魔獣なんかを倒して……」

 

 リーダーたちがこの世を去った後、生き残った英雄たちは故郷へと帰って行った。ただ吸血姫には帰る場所もないので、怨敵であるズーラーノーンの探索に心血を注いでいたのだ。

 しかし“盟主”を殺すこと三回。未だにズーラーノーンは健在であり、“盟主”とやらも各地で凄惨な事態を引き起こしていた。

 

「私が思うに、盟主と名乗った全員が偽物だろう。かといって本物が実在するのかどうかも分からん。もう……遠い昔のことだからな」

 

 吸血姫は寂しそうに、でも晴れやかに呟く。

 過去の復讐を成し得ていないながらも、長い惨劇の果てに、己が進むべき一つの道を見出したのだろう。それまでにどれ程の血が流されたのかは想像しがたいが、過去に縛られていた自分を乗り越え、未来へ進むことを決心したということだ。

 百年を超える長き時間の所為か? 魔神討伐で共に戦った英雄たちの影響か? それとも――

 

「ふ~ん、今はラキュースさんたちもいるから寂しくないって?」

「お、おまっ! 私がいつ寂しいとか!!」

「わわ、静かにっ。みんな起きちゃうよっ」

「はぅぅ」

 

 口元に人差し指を立てる堕天使を前にして、「しまった!」と吸血姫は自分の口を抑えるも、これだけ大声を上げていれば起きない方がオカシイだろう。メンバーは皆アダマンタイト級冒険者なのだ。本来ならば、小声で話していた先程までの段階でも気取られてしまうはずだ。

 

「(あ、あれ?)」

 

「(起きないねぇ。ラキュースさんってばお寝坊さんなのかな?)」

 

 室内には微かな寝息だけが漂う。

 どうやら誰も起きてはいないようだが、覗き見た仲間の寝顔には微かな笑みが浮かんでいた。

 

「んなわけないだろ。――お前ら、いつから起きていたんだ?!」

 

「あ~ぁ、バレちまったか」

「気付くの遅い。忍者の知覚を侮り過ぎ」

「同意。忍者は乙女の内緒話に興味津々」

 

「えっとその、何を話しているのかと気になって……ね。御免なさい」

 

 普通であれば騒がしくしていた吸血姫と堕天使が謝るべきであろうに、何故か頭を下げるラキュース。

 どうやら睡眠の邪魔になるような音量でなかったものの、好奇心には勝てず聞き耳を立ててしまったと白状しているようだ。

 でもまぁ他の三名は反省などしていない、当然ながら。

 

「イイじゃねぇか。目が覚めた時に丁度話し声が聞こえたから聞いていただけだぜ」

「そうそう、偶然偶然」

「でも恋バナが無かった、残念」

 

「そうよねぇ、十三英雄の誰かとそんな関係になっていたとしても、おかしくは無いと思っていたのだけど……」

 

「お、お、おまえらなぁぁ~!」

 

 吸血姫の過去や十三英雄の話については、ラキュースたちも聞いてはいた。でも「話していない秘部があるだろう」と期待して耳を大きくしていたのだ。

 結局、何もなかったので肩を落とすことになったが――いや、何もないことを慰めるべきなのかもしれない。

 

「そう怒んなよ。出会いはこれからたくさんあるぜ」

「よりどりみどり」

「くんずほぐれつ」

 

「ま、まぁ、お互い頑張りましょうね」

 

「なんでそうなる?! 私はヴァンパイアだから必要ないんだ! ホ、ホントだぞ!」

 

 小さな身体に恥辱を滲ませて吸血姫は叫ぶ。

 そんな可愛らしい存在を横目に「まだ早朝なのだから他の宿泊客に迷惑だよ」と堕天使は思うものの、恋愛未経験者という同士の発見に口元が綻ぶのを抑えきれないでいた。

 

「うんうん、気持ちは分かるよ~。うん、ホント」

 

「だ~か~ら~、色恋なんてモノには興味ない! 男に色目を使って媚びるなんて弱者のすることだ! 言っておくが私より強い男なんてこの国にはいないんだぞ。そんな話は、私を背に庇って強大な悪魔と戦える英雄が登場してからにしろ! ふん」

 

 十三英雄級でなければ無理であろう条件を提示しつつ、吸血姫はラキュースらの追及を退ける。

 どうにも“蒼の薔薇”の仲間達は――特にラキュースはこの手の話に積極的で困ってしまう。昨夜の堕天使を交えた恋愛トークで、変なスイッチが入ったままなのでは? と思わずにはいられない。

 

「(ま、まぁでも、お前の指摘は当たっているかもしれないな……)」

 

「え? なに? なんのこと、って、あっ」

 

 こっそり呟いたつもりなのに、吸血姫の言葉は堕天使の耳に届いていたようだ。そのあまりに鋭敏な聴覚に驚き、こんな時だけ察しがイイ堕天使のにやけ顔を正面から見つめてしまい、アンデッド特有の青っ白い顔が一瞬で紅くなる。

 

「ああ、やっぱりラキュースさんたちと一緒にいられて良かった、って思っているんだねぇ。うひひ、うん、そうだよね~、一人は寂しいもんね~」

 

「ば、ばかっ、わ、わたしはヴァンパイアだぞ、“国堕とし”なんだぞ。さいきょうなんだ――ってこらっ、やめ」

「イビルアイー! 私も貴方と一緒でうれしいわー!」

「これは珍しい、ヴァンパイアが真っ赤っか」

「ドサクサに紛れて触るしかない!」

「やれやれ、朝っぱらから元気だな~。ってついでだから俺も抱きついとくか」

 

 巨漢の戦士が両手を広げて仲間全員を抱きしめることで、“蒼の薔薇”は見事な団子状態となった。その中心で吸血姫は嫌そうに文句を垂れるものの、いつもの仮面はベッドの横に放置なので赤らんだ少女の顔が一目瞭然である。

 

「あ~ぁ、羨ましいことで……。私もモモンガさんに抱き締めてもらいたいなぁ」

 

「な~に一人だけ黄昏ているんだぁ。お前も同じ目に遭わせてやる!」

 

 もみくちゃにされていた吸血姫は一瞬の隙を見て仲間の束縛から飛び出すと、ため息交じりに妙な願望を垂れ流していた堕天使へと飛びかかっていた。と同時にラキュースたちもよく分からない勢いに押されるかのように襲いかかり、堕天使と吸血姫を押しつぶしてしまう。

 それはまるで修学旅行の深夜に騒ぐ学生であるかのよう。消灯時間が訪れてなお、「何かしたくて堪らない」という想いが溢れているかのようだ。

 もっとも“蒼の薔薇”は皆、それなりに年齢を重ねた女性なのだが……。吸血姫にいたっては二百歳を軽く超えていたりもする。

 

「あはははは、お前ら何やってんだ? こんなに騒いでいると怒られるぞ」

 

「お前が言うな」と巨漢の戦士に突っ込まれながらも、吸血姫は笑顔で堕天使の平らな胸をペシペシと叩く。

 どうやら強大な吸血鬼(ヴァンパイア)“国堕とし”たる吸血姫(ヴァンパイア・プリンセス)はご機嫌なようだ。

 自分の壮絶な身の上を語っていたときのような翳りのある表情は、もうない。もしかするとラキュースとその仲間たちは、吸血姫を元気付けようと無理にはしゃいでいたのかもしれない。堕天使は素だろうが……。

 ま、なにはともあれ、元人間で、家族を亡くし、邪教集団に襲われていた女の子は、長き時の果てにおいて笑顔を手に入れたということだ。

 それはとても価値のある宝物だろう。

 “転生”という生まれながらの異能(タレント)よりも、指にはめた二つの指輪よりも……。遥か昔に無くしてしまった家族との団らんに匹敵する得難き宝であるはずだ。

 

 吸血姫は思う。

 この仲間たちの為ならば命を懸けるのも惜しくは無い、と。

 若者を生かす為に年長者から先に死ぬべきなのだ、と。

 弟を死なせてしまったあの時とは違う。最後まで家族の為に戦った母のように、気高く仲間を護って朽ち果てよう。

 

 たとえ相手が――神竜級の眼鏡悪魔であろうとも!

 

 

【おしまい】

 




最後までお読み頂き有難う御座いました。

キーノちゃんのお話、如何でしたか?
捏造満載で色々突っ込みたくなるかもしれませんが、まぁタマにはこんなパターンもイイかな~っと。

それでは皆様。
感想などありましたら宜しくお願い致します。



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