本話は『父』と『戦艦:扶桑』の後編にあたる話の内容となります。
※また本話数には前編同様に倫理的に好ましくない表現、昼ドラ的修羅場、シリアス等の要素、そして流血や精神的にきつい描写が含まれます、ご注意ください。
意識がもうろうとしている。
自分の手のひらが赤く染まっていることに気づいた。
顔をあげると涙を流しながら、私を見下ろす美しい妻と娘。
薄れゆく意識の中で考える。
どうしてこんなことになってしまったのか。
私はどこで間違えてしまったのだろうか?
娘を抱いてしまったからなのか。
むつはさんの忠告を真剣に受け止めなかったからなのか。
娘に泣き止んで欲しくて、あんな約束をしてしまったからなのか。
それとも、あの時―――
あの時―――
■■■■■
私が彼女と出会ったのは、外地から艦夢守市に引っ越してきてすぐのこと。
場所は役所で手続きをした帰り道、通りかかった高台にある公園だった。
「はぁ……姉さまが見つからない、不幸だわ」
柵の手すりに手を掛け、海の方を見ながらそう呟く美しい黒髪の女性。
その美しさに目を奪われ、私は足を止めてしまう。
なんと儚げな美しさに満ちた女性だろうと思った。
それは、孤独でか弱い存在でありながらも、強い意志のようなものを秘めた存在の優雅さを併せ持った美しさとでもいうのだろうか。たとえどれだけ言葉を尽くそうとも、あの日の彼女の魅力を表すことはできないだろう。
そしてその時、私が感じていた想いや感情も。
それでも、もしあの感情をなんとか言葉にするのなら、私はあの時―――
彼女に恋をしたのだ。
そして私は彼女が何者かなどと考えず、声をかけた。
今この瞬間を逃せば、二度と出会えないと自らを奮い立たせ。
彼女は最初驚いた様子だったが、探し人がいるなら探すのを手伝うということと、彼女の美しさを伝えようとする内容が交じった、私のつたない言葉を最後まで聞いてくれた。
聞き終えたあと、彼女はため息を一つついて。
「まさか姉さまよりも先に提督が見つかるなんて……」
そう呟いた。
それからの日々はあっという間で。
交際を始め、やがて結婚。
そして葵が生まれた。
私はその時にはじめて妻に告げられた。
自分が艦娘であるということを。
もっとも、私はそのことには気がついていた。
だが当時の私は艦娘について、内地の人間と多少の意識差があるということを感じていて、そういうこともあるのだろうと思っていたし、それら全ては追々知っていけばいい、そう感じていた。
今までそのことを告げなかったのも、きっと彼女なりに考えがあってのことなのだろうと。
なので私は、そう告げた後ほんの少し陰りのある表情で、胸に抱いた娘を見つめる妻に。
「山城の提督になれて私は幸運だ」
そう、答えた。
それを聞いて妻はどこか寂しさとうれしさが混じったような、あの日と変わらない儚げな美しさを含んだ表情で笑ってくれた。
だが、あの日。
娘である葵が、艦娘で戦艦の扶桑だと、そして私が娘の提督だと分かったあの日。
妻はまたあの時と同じ顔で笑った。
でもそれは、寂しさとうれしさが混じったような表情ではなく。
うれしさと罪悪感のようなものが混じった表情に見え。
それから妻は仕事に没頭するようになり、ほとんど家に帰らなくなった。
無論、妻には仕事で重要な役目を任されたからだと、そのことについてきちんと説明して貰い。
私自身も妻の助けになりたいと納得していた。
だからこそ、妻に代わって子育てを頑張ると決心したのだ。
妻が私を信じて任せてくれた娘を、立派に育ててみせると。
だが思えばあの時、私はもっと真剣に艦娘というものを学ぶべきだったのだ。
妻が艦娘だったからと、大半を免除された艦娘保護者講習も全て受けるべきだったし、妻がなにを考えなにを思っていたのか、それらを知るためにも話し合うべきだった。
私は夫と父になる覚悟はできていたつもりだった。
だが、肝心の提督になる覚悟ができていなかった。
だからなのか、あの時私は聞けなかった。
彼女の負担になりたくなかったから、そしてこれ以上辛い顔をして欲しくなかったから。
だがそれは間違った優しさだったのだろうか。
それとも私は彼女に嫌われたくなかっただけなのだろうか。
今となっては、それは分からない。
□□□□□
妻に娘との情事を見られてしまってから数日が過ぎた。
あの日、挑発するような扶桑……娘の顔を見て、妻は驚いてはいたものの、しばらくして寂しげでどこか悟ったような表情に変わり、なにも言わず自室へと去って行った。
そして次の日から娘は約束通り、これまでと変わらない振る舞いに戻ってくれた。
まるで、何事もなかったかのように。
私は妻に軽蔑され憎まれる覚悟で、娘とのことを説明しようとした。
しかし妻には娘との件に関して「何時かそうなると分かっていたし、むしろ望んでいたことだから気にしないで」と、優しく返されてしまった。
妻は、私とは違いとっくに色々な覚悟をしていたのかもしれない。
誰も私を責めない、私がしたのは正しいことだったのだろうか?
何事もなかったかのように、再び始まった日常の日々。
だが、変わったこともある、それは妻が毎日家に居るようになったことだ。
なんでも今年の葵の誕生日を区切りに、仕事の内容や部署を調整していたらしい。
おかげで今では毎日、妻は家にいてくれるようになった。
例えその資格をなくしていたとしても、私はそのことが嬉しかった。
妻と再び共に暮らせる、そのことが。
そしてようやく始まった家族三人での生活。
だがそれは……
「あ―――」
「どうぞ、お父さま」
朝食を三人で食べていた時のこと、言葉を発するよりも先に。
私の求めていたものを察してくれた娘が、醤油差しを手渡してくれる。
そして気がつく、そんな娘と私の様子をどこかうらやましそうに見つめる妻の姿。
そんな妻に流し目を送る娘、それはどこか……
「や、山城も使うか?」
「え? ああ、そうね、ありがとう」
頭に浮かんだなにかを振り払うように、妻に使い終えた醤油差しを手渡す。
視界の端で、娘が辛そうな表情をしているのが一瞬見えた。
すぐに娘に視線を移すが、娘はいつも通りの穏やかな表情で食事を続けている。
「そういえばお父さま、今度休日に一緒にあの服を着て買い物に行きませんか?」
「ん? あ、ああ、構わないよ」
娘が言うあの服というのは、恐らく二年前の誕生日の服だろう。
買い物に行く時などに娘が好んで着る、白いワンピースを思い出す。
「え……その、あの服を着るのかしら?」
妻が恐る恐るといった風に、口を開く。
彼女は恐らくあの日、床に脱ぎ捨てられていた赤いドレスのことを思い出してしまったのかも知れない。
「あなたが考えてる服じゃありませんよ」
「ッ!?」
私が訂正するより早く、娘が素っ気なく答える。
言葉に詰まる妻、どこか冷たい娘。
「せ、せっかくだし三人で行こうか、山城も色々と必要なものがあるだろうし」
「え、あ、そうね。ありがとうあなた―――」
「嫌」
私の提案に同意しようとした妻に被せられる、娘の短く鋭い拒絶。
その拒絶はなににたいしてなのか、誰にたいしてなのか。
「ど、どうしたの扶桑ねえさ……いえ、葵。えっと、どうしてなのかしら?」
「……」
娘として接するのになれていない、妻の拙い問いかけ。
娘は妻の問いかけには答えず、私の方を向いて笑みを浮かべる。
「ねえお父さま、お父さまは私のことを愛してくださってますか?」
「あ、ああ、勿論だ。“娘”として大切に思っているよ」
何故か、娘という部分を強く意識してそんな答えを返してしまう。
それは妻への罪悪感からか、それとも自分の行いに対する罪悪感からなのか。
娘はその答えを聞いて、どこか悲しそうな表情を浮かべる。
「ねぇ、葵―――」
「どこかに行きたいなら、一人で行けばいいでしょ」
妻に顔も向かずに吐き捨てるように、答える娘。
唖然とする私や妻がなにか言う前に、娘は立ち上がって居間から出て行ってしまった。
残された妻と私、妻は箸を置くと手で顔を覆って泣き始める。
私はなにも言えず、妻の肩を優しくさすることしかできなかった。
今まで通りの、普通の家庭の食事風景のはずだったのに。
それは……。
■□■□■
食事の後、妻の自室である和室に呼ばれた。
妻の自室はあまり物がなく、腰までの高さのタンスの上に一つ置かれた娘と写った写真。
その写真が入った写真立て以外、特に目立つものはない。
座布団を二枚並べ、向かい合って座る。
「ごめんなさい」
妻がなにについてなのか分からない謝罪を述べた。
私はなにがとは聞かず、続く言葉を待つ。
「ごめんなさい、あなたにずっと黙っていたことがあったの。本当はあの日、全てを話そうと思っていたのだけれど、その、あのことがあったから……扶桑姉さまにはあの日、帰ると伝えていたのだけれど。それから……これからはずっと一緒にいられるということも」
少し悲しそうに目を伏せる妻。
だがそんな表情ですら美しく感じてしまう自分に、罪悪感を覚える。
そしてあの日のことは、全て娘の計画だったということなのか。
しかし、なぜそんなことを……そんなことすらわからないのか、私は。
「なにから話すべきなのかしら……そう、私はあの子が、扶桑姉さまが生まれてとても嬉しかった。提督という存在と同じくらい扶桑姉さまをずっと探していたから」
妻が誰かを探していたというのは知っていた、それが自分の姉であるということも。
だが、それが艦娘としての姉だということは知らなかった。
そして、そんなことすら知らなかったことに愕然とする。
結婚して何年もたっているのに、私は妻のことをなにも知らないのだと思い知らされて。
妻のことも、娘のことも、私はなにも分かっていなかったのだ。
「これは、私たち艦娘という種の感覚や感情というより。私の、艦娘としての山城の個性というべきものなのだけれど……山城という存在は提督と同じくらい、艦娘としての姉である扶桑姉さまを求めるの。事情あって私はこの街から出られないのに、この街には大切な存在である姉さまにあたる艦娘が居ない。そんな時、あなたと出会えて、そして生まれてきた子が扶桑姉さまだったとわかった時、本当に嬉しかった」
珍しく温かな微笑みを妻が浮かべた。
だがそれはすぐ悲しげな表情に変わる。
「だからこそとでもいうのか、私は悩んだわ。このまま母親として扶桑姉さまと長く一緒に居れば、姉妹として接することができなくなるんじゃないのかって。おまけに姉さまよりも先に提督であるあなたと出会って結婚までして……姉さまより先でよかったのかって、凄く悩んだ」
探し求め、そしてなによりも大切に思う姉が、娘だった。
私の乏しい想像力でも複雑に感じるのだから、妻はどれだけ複雑で深刻な想いを抱えていたのだろうか。
「だから……私は扶桑姉さまと離れることにした。あなたと私が過ごした時間以上に、二人が一緒にいてくれたら、お互いの立場が同じになると思ったの。扶桑姉さまとも、その、あなたとも離れて過ごすのはとても辛かったんだけど」
私は妻の苦悩と、その決断の重さに震える。
彼女がどれだけのことを考えて、難しいその決断をしたのかという悲しさと、そしてそのことについて力になれなかった自分の力のなさに。
「でもそれは……間違いだったんだと思う」
妻が膝の上で両手を握りしめる。
「その結果、あなたに扶桑姉さまを自分の子供として強く意識させてしまうことになった……あなたの気持ちを考えて、もっときちんと話し合うべきだった。ごめんなさい、全ては私が招いたことだわ」
妻は瞳に涙を湛えながら、言葉を続ける。
まるで自分には涙を流す権利などないと、自らの感情を抑え込むように。
「多分、扶桑姉さまは焦っていたんだと思うの。あなたにはいつまでも娘としてしか見て貰えず、母としても妹としても頼るべき私は家に居ない。だからなんとか女としてあなたに見てもらおうとした」
「そして私は……それに応えてしまった。すまない、私が全て悪いんだ。君はなにも悪くない」
口に出して、自らの過ちを深く痛感した。
だが妻は首を横に振って、私の過ちを否定する。
「いいえ、それは悪くないし、あなたも悪くない。扶桑姉さまはただあなたと肉体関係じゃなく、提督と艦娘として繋がりたかっただけだったのに。私が急に家に戻るなんてなにも考えずに言ってしまったせいで、扶桑姉さまを追い詰めてしまった……私が家にいるようになる前に肉体関係を結べれば、私に追いつける、並べると思ったのかも知れない。全て私のせいよ」
妻はこらえきれず、ついに涙をボロボロとこぼす。
私は思わず妻を抱きしめる、嗚咽をこらえながら妻は続ける。
「でもあれからあの子は、扶桑姉さまは私のことをまるで敵のように見る。扶桑姉さまに母親として見て貰えるなんて思っていなかったけれど……妹としてすら見て貰えないなんて!! 話をしてみても凄くよそよそしくてッ!! ……自業自得なのはわかってる、でも悲しいの。こんな、こんなことになってしまうなんて……不幸だわ」
妻は本当に葵のことを愛していて、色々なことを考えたのだろう。
だがそれはきっと、山城として扶桑に接したいという強い想いから。
そして嫌な考えが頭をよぎる。
妻が娘を愛しているのは間違いない、そしてそれ以上に山城として姉である扶桑を愛しているのだと。
つまり彼女にとってはなによりも大事なものは扶桑なのであって、私のことはおまけ程度でしかなく、むしろ愛してなどいないのではないのか……と。
「私が言えた義理ではないけれども。扶桑姉さまには……艦娘として接してあげて欲しい。そして叶うなら扶桑と呼んであげて……」
妻は娘の、いや、姉としての扶桑の幸せをなによりも願っている。
そんな妻が涙をこぼし縋るように絞り出した願いに、私はただ頷くことしかできなかった。
何故なら例えもうその資格をなくしていたとしても。
私は―――
■□■□■
それからまた何日かが過ぎた。
私は妻と話し合ったその日に葵……扶桑に、これからはそう呼ぶと伝え、私のことは好きな時に提督と呼んでいいと伝えた。
娘は「それがお父さまの、提督のお望みでしたら」と微笑み受け入れてくれた。
それからというもの妻を見る時、どこか自信に満ちた表情を浮かべていた娘だったが、何故か時間がたつにつれ、その余裕がどんどんなくなっていくように見えた。
それに比例するように、家にいる時間が長くなった妻もまた、その表情を曇らせてゆく。
私はどうにかできないものかと、何度も娘と話をしようとした。
だが私が娘の艦娘名を呼ぶたび、そして娘が私のことを提督と呼ぶたびに娘は辛そうな表情を浮かべ、私から逃げるように去って行き、どうしても話をすることができなかった。
そんな、歪な生活が続く毎日。
私は、自室で艦娘について書かれた本を読む。
そこには現在艦娘について解かっている様々なことが記載されていた。
そしてその中の“提督”の項目。
現在適合している提督が死ぬと、艦娘たちは新たな提督に適合することができる。
その項目を何度も読み返す。
馬鹿なことを考えていると、自分でも思う。
だが、もし解決する方法がこれしかないのであれば、そうどこかで思っている自分がいた。
そんな答えのない思考にとりつかれ、延々と悩む。
ふと、大きな物音が居間の方から聞こえてきた。
自室を出て居間の扉の近くまで移動すると、妻と娘の言い争う声がはっきりと聞こえてくる。
「私とお父さまにはあなたに無い繋がりがある!! あなたは艦娘で妻としてお父さまと関わりがあるかも知れないけれど、それは他人だわ!! それと比べて私にはお父さまと親子の絆がある!!」
「……な、なにを言っているの?」
「言葉通りの意味よ、この家ではあなただけが他人なの!!」
「いッ!? いい加減にしなさい!! 一体なにが、なにが不満なの!? 母さんに話して頂戴!」
「今更……今更母親面しないで!!」
「なら妹として聞きます! どうして、扶桑姉さまはなにが不満なのですか!?」
「不満? 不満なんてないわ、不満なんてない!!」
娘の聞いたことのない怒りに満ちた声。
なにより会話の中で、娘が一度も妻のことを「お母さま」と、そして「山城」とすら呼ばないことがひたすら胸に刺さった。
「ただ悲しいの……」
肩で息をしていた娘は、呼吸を落ち着けぼそりと呟く。
「お父さまはね……あなたの名前を呼ぶ時と違って、私の名前を呼ぶ時……どうしてこの名前で呼ばなきゃならないんだろうって感じで、私を扶桑と呼ぶのよ」
「それは!?」
「違う、おまえは私の娘で扶桑なんて名前じゃ無い、葵という名前だ。そんな、感じで……確かに扶桑と呼んでくださるようにはなったけど。それは……あなたの、山城という名前のように、御自分の艦娘を呼ぶような呼び方じゃ無い、お父さまは私を娘としか見ていない……」
娘の苦悩はわかっていたつもりだった。
だがそれはほんの氷山の一角で、私は……
「抱いてくださった後でもお父さまは……私を……娘としてしか見てくれなかった。あなたを見るように、愛する艦娘を見るような目じゃなかった。私が、お父さまを提督と呼ぶことを許して貰えた今になっても……お父さま自身はそれは正しくないことだって、思われてる……」
娘の言葉を聞いて、胸が締め付けられる。
妻の願いを叶えるどころか、かえって娘を傷つけてしまっていたという事実に。
そんな自分が不甲斐なくて、自分を殺したくなる衝動が湧く。
「私は嬉しかったの」
「……なにがですか?」
「私はお父さまの娘、これは永遠に変わらない事実のはずだった。私は今までお父さまの娘であることがとても嬉しくてとても辛かったわ、だってそのせいで私はお父さまに艦娘として見て貰えず、私はお父さまを提督として見ることを許されなかったから」
先ほどとは違い、一見冷静な様子に戻った娘。
だが、淡々と紡がれる言葉にはひたすら悲しみが滲み出ている。
「でも、お父さまに抱かれてから私は変われた気がした。お父さまはあれから少しだけ私のことを女として見てくださってると思えた、だからこのまま頑張ればいずれ艦娘としてみて貰えるようになるって……」
少しだけ明るさを取り戻したかに聞こえた娘の声。
だが、それはどこか狂いはじめた時計の歯車の音にも似ており。
「だけど気づいてしまったの、それでもお父さまにとって私は永遠に娘でしかないということに。私がこんなにも愛しているのに、想っているのに……お父さまの気持ちは、全部あなたに向いていて。お父さまはあなたと私が姉妹だなんて思っていない、私とあなたはこんなにも似ているのに……身体の関係を結んだ今でも、お父さまは私のことを娘だと思ってくださってる。とても大切で、お父さまにとってかけがえのない存在で、つまりそれは他のどんなものと比べたって私の方が大事だって」
「その通りです! あの人は扶桑姉さまのことを大切におもって―――」
「そうよ!! 大切な大切な娘だとおもってくださってた!! でもそれはあなたの娘だったからよ!! だからこそ私は大切にして貰えて、そしてそう思ってくださってたお父さまにつけ込んで抱いて貰えたの!!」
そして噴火するかのような娘の叫び、絶句する妻。
「……私は卑しい艦娘だわ、あの日も心の中ではもう全部わかっていて。だからこそあなたに見せつけるようなことをして、憂さ晴らしをしたかったのかも知れない……あは、あははははは―――」
「ふ、扶桑姉さま?」
娘の様子が明らかに変わったことに、妻も動揺している。
娘の乾いた笑いが聞こえる。
どんどん娘が崩れてゆく、全て、私の……
ッ……!!
駄目だ、駄目だ、絶望するな。
今この瞬間、元凶である私自身にそんなことが許されてなるものか。
「……こんな感情、持たなければよかった。娘でなんてなければよかった、お父さまが提督じゃなければ……なけ、なければ……」
そうだ、私が、私なんかが父親で提督でなければこんなことには―――
「……いやだ」
娘の言葉に同意を覚えるも、すぐさま娘の言葉に否定される。
「いやだ、いやだッ、いやだッ!!」
必死になにかを繋ぎとめるように、娘が何度もそれを否定する。
何度も、何度も、いやだと叫ぶ。
「お父さまのお声を聞いたはじめての日も、朝起きてお父さまの顔を見る毎日も、そしてお父さまが抱きしめてくれたあの日も、全部、全部覚えてる……お父さまが、お父さまが提督じゃなければいやッ!! この感情を失うなんて嫌!! どんなに辛くても、これはお父さまへの想いは、提督への想いは……」
どうして、どうしてだ、私はなにを間違えたんだ。
「結局、私はどこまでいってもお父さまにとっては娘で、いえ……こうなってしまった以上もう娘ですらない。私は……一体なんなの……なにに縋ればいいの……どうすればよかったの……私が……悪かったの……?」
自分を形作っている色々なものがはがれ落ちてゆくかのように。
娘の言葉の内容は、どんどん不安定になっていく。
本当なら今すぐ娘を抱きしめて安心させてやりたいのに。
私にはもう、その資格が、妻と娘に触れていい資格がもう。
「扶桑姉さまもあの人も悪くありません! 全ては―――」
「そういえばあなたは、どうしてお父さまのことを“提督”と呼ばないの? あの人、あなた、主人、ねえどうして? もしかして私に遠慮してるのかしら? 実は二人きりの時は提督と呼んでたりするのかしら? ああ、そうか、私が邪魔だったんだわ。うん、姉妹で母親のあなたにとって……私は邪魔な存在だったのね……違う? あれ、つまり私こそが他人だった……の?」
私は妻を、そして娘を愛していたはずなのに。
愛していたはずなのに、私がそれを壊してしまった。
「ち、違います、扶桑姉さまはあたしの大切な“家族”です!」
必死に妻が叫ぶ『家族』が果たしてどちらを指すのかはわからない。
だがそれでも、もうこれ以上私は妻と娘の叫びを聞いていられなかった。
言い争いを止めるため、居間の扉を開ける。
音を立てて現れた為、すぐに二人の視線が私に集中した。
私は妻の助けになりたいと、いや、それと関係なくどれだけ私が娘のことを大切に思っているか、こんなことになってしまったけれども、変わらず娘のことをどれだけ大切に思っているか伝えようと口を開く。
「そうだ、おまえは私にとって大切な―――」
大切な、大切ななんだ?
葵、扶桑? 私は彼女をなんと呼べばいい?
大切な子供?
大切な女性?
大切な艦娘?
愕然とする、正しい答えがわからないということに。
どう言えばいいのだ、どうすれば娘を傷つけずにすむ?
こちらを真っ直ぐに見つめる妻と娘。
彼女たちの目に今の私はどう映っているのか。
間違った愛を与える父親。
愛妻の信頼を裏切った夫。
罪を犯せばなんらかの形で、罰を受けなければならない。
娘に手を出しておきながら罰せられない。そんなわけがない。
妻は言った、あなたはなにも悪くないと。
娘は言った、お父さまを愛していると。
私に罪はないのか?
そんなわけはない、過ちを犯したのは私だ。
私こそが全ての原因だ。
自分の罪を理解した瞬間、突然胸が苦しくなる。
整えようとしても呼吸は荒くなり、感じたことのない痛みを胃に感じた。
心臓が鼓動する度にその痛みが胃に走り、思わずうずくまる。
なにかが食道をのぼってくる感覚、とっさに手を口に当てるが吐き出してしまう。
赤黒い、それが血だと気がつくのに少し時間がかかった。
「あなた!!」
「お父さま!!」
妻と娘の叫び声が聞こえる、薄れてゆく意識の中で思う。
どうしてこんなことになってしまったのか、どこで間違ったのかと。
だが答えは出ず、痛みを増してゆく心臓の不規則な鼓動を感じて思う。
思い通りにならない身体、感じたことのない痛み、恐らくこれは死の前兆なのだと。
だが、これでよかったのかもしれない。
涙を流しながら私を抱える妻、手を握る娘。
彼女たちをこれ以上苦しみ、悲しませない為にもこれで。
願わずにはいられない、妻と娘が幸せになれますようにと……
「あなたッ!! あなたッ!!」
「は、早く救急車を、お、お父さましっかりして!!」
すまない、すまない、すまない。
こんな夫で、そしてこんな父親ですまない。
そう言って二人を落ち着かせようと口を開くが、声が出ない。
最後まで無力な父親で、そして夫ですまない。
だがもう大丈夫だ、もう大丈夫だ。
どうか、二人とも幸せになって―――
私があの人と出会ったのは、仕事の合間に姉さまを探していた時。
役所でなにか情報がないか聞きに訪れたけど、見事に空振りに終わって失意に暮れていた日。
そしてその帰り、高台にある公園で落ち込んでいたあの日。
「あ、あの。誰かお探しですか?」
声を掛けてくれた、その声を聞いた日のことを覚えている。
その時私は誰かを探していて、今思えばそれは母親で妹である存在だった気もする。
「父さんだけでごめんな、でも今日はお母さんが帰ってくるよ」
それは会いたかった人。
でも、まだ会いたくなかった人。
「あの、その、今日はあなたの美しさのような、いい天気ですね」
不器用だけど、優しさに溢れた言葉。
私はきっと幸せなんだろう、探し求めていた人に会えたのだから。
「今日は葵の好きなものを作ってあげるよ、父さん頑張って覚えたんだ」
始まった幸せで、不幸な日々。
求めるものは得られず、求めるものがそこにあるのに。
「愛しているよ」
妻である私に愛を伝えてくれるあの人。
私はあの人を提督と呼んだことがない。
いつか時が来たら、姉さまと一緒にそう呼べる日が来ればと。
「愛しているよ」
娘である私に愛を伝えてくれるあの人。
私はあの人に艦娘として見て貰えたことがない。
でもいつかは、山城と一緒に艦娘としてあの人を支えたい。
でもそれは。
でもそれは。
私の、私たちの過ち。
あの人にとってなにが一番なのか考えもせず。
あの人にとってなにが正解なのか話し合おうともせず。
あの人を追い詰めてしまった。
それは。
あの日に私の手を引いてくれていた存在を。
あの日あの場所で声を掛けてくれた存在を。
失う―――
すべてはもう元には戻らない。
私たちはどうすれば。
□□□□□
極度のストレスが原因と思われる急性胃粘膜病変。
それが富楽が吐血した理由だと、扶桑と山城は医師に告げられた。
今のところ命に別状はないが、絶対安静だとも。
病室で眠る二人の提督である富楽を扶桑と山城が見守っている。
やがて山城が静かに立ち上がり、病室の外へと出る。
その姿を見て、黙って扶桑も後に続いた。
人気のない待合室のベンチに、二人は並んで腰を下ろす。
お互いなにも言わず、黙って座っていたが、やがて扶桑が呟く。
「どうしてこうなってしまったんでしょうね」
山城が静かに答える。
「多分、色々な歯車がずれてしまっていたんです。それに気づかず私が回し続けてしまったから、あの人に負担を掛けて。そして扶桑姉さまを傷つけてしまって……私のせいです、私がもっとあの人にきちんと色んなことを話していれば、私が一人で決めずに扶桑姉さまと話し合っていれば―――」
「違うわ、それをいったらそもそも全ては私のわがままが原因だったの。私が……私こそあなた……山城ときちんと話をすることはいつでもできたはずだったのに、それをしようとしなかった。こうなってしまってから気がつくなんて皮肉なものだけど、山城がどれだけ私のことを思ってくれて、考えてくれているかなんて……わかっていたはずなのに」
扶桑の言葉を聞いて、山城は悲しそうに微笑む。
「なんだか不思議です。娘の部分を知らないのはしょうがない、でも扶桑姉さまのことならなんでも知ってるつもりだった……はずなのに、全然知らないことばかり。ねえ扶桑姉さま? 扶桑姉さまは提督が私のことを、自分の艦娘として名前を呼んでるっておっしゃってましたが、実はそうでもないんですよ?」
「え?」
「実は私は扶桑姉さまが生まれるまで、あの人に自分が艦娘だということを隠してたんです。だからずっと私は名前を呼ばれるとき、艦娘ではなくて恋人や妻のような感じで呼ばれてて。私が悪いはずなのに、姉さまみたいにどうして自分の艦娘として呼んでもらえないんだろうって……ふふふ、姉さまと同じことを思ってました」
「……ふふふ、おかしいわね。ほんと、姉妹そろっておかしいわ」
再び沈黙が二人を包む。
「扶桑姉さま。私たちは元の形には……いえ、幸せな形にはなれないのでしょうか?」
「私たちの……私の意識は時間をかければ変えられると思う。いいえ、絶対に変えなければいけないわ。でもお父さまが……」
自分たちと強く家族でありたいと願う父の姿が頭に浮かび、言葉に詰まる扶桑。
だが自分たちが側にいれば、あの優しい父はきっと己のことを顧みず、艦娘としてありたいと願う自分たちのために、無理をし続けるだろう。
そうなれば今回のようなことがまた……
あの人の、お父さまの、提督の側を離れるなんてという考え。
でもそれしか方法がないのであればと、出せない、出したくない答えが浮かんでしまう。
扶桑と同じく、そのことを察した山城はなにも言えず、ただ時が流れる。
ふとそこに、カラカラと点滴スタンドを持ちながら二人の前に通りかかる女性。
その女性は、項垂れた扶桑と山城、二人の前で立ち止まり声を掛けた。
「あら珍しい、扶桑と山城がそろって並んでるなんて。久しぶりに見た……デース」
自分たちの名前を聞いて顔をあげた二人が見たのは、患者衣を着た美しい亜麻色の髪の女性。
その姿にどこか見覚えのあった山城は、女性の名前を呼ぶ。
「あなたは……金剛さん?」
艦娘としての記憶、そして新聞やテレビニュースで目にすることのあるその姿。
「そうよ、しかしあなたたち姉妹は何時も揃って不幸そうな顔をしてる気がし……マースって、考えてみれば、あの人のため以外にわざわざしゃべり方を変える必要はないわね」
そう言って金剛は二人の間に無理矢理ドスンと座ると、点滴から伸びた管を口に咥える。
点滴の中身は紅茶だった、そもそも艦娘に針とか通らないし当然なのだが。
「検査入院ってやつの最中でね。死ねない理由ができたから、試しに受けてみたんだけどこれがまた退屈で退屈でしょうがないわ。丁度いいからその不幸な顔の理由でも話しなさいよ」
ひどく尊大な物言い、だが扶桑も山城も彼女が生きた伝説であるあの金剛だということは、よく知っていた。
百年を生きる伝説の艦娘、金剛連合会の最高権力者。
そしてこの艦夢守市の中でも、最大の力を持つ存在の一人。
現状世界で唯一存在している金剛の個体。
扶桑と山城は、艦娘としても永きを生きている存在を前に一瞬萎縮するも、自分たちが抱えている今の問題について、なにか解決する術がないかと縋る思いでこれまでの経緯を話す。
金剛は、悲しみに満ちた彼女たちのこれまでのことを、黙って聞いていた。
ただ、話を聞くにつれ金剛の表情はひどく不機嫌そうなものに変化していく。
聞き終えた金剛は、咥えていた点滴の管をペッっと吐き出し、苛立ちを隠そうともしない口調でしゃべりだす。
「まったく、あなたたち扶桑型は根がネガティブで、不幸不幸とぼやいてるからなのか、どうしても幸せについて難しく考えすぎるところがあるのよね……私たち艦娘にとって唯それだけで幸せになれる、それがどういうことなのかなんて少し考えれば分かることなのに」
金剛はそう吐き捨て立ち上がると、拳を握り締める。
そして呆然と金剛を見つめる扶桑と山城の頭の上に、ノーモーションで拳骨を落した。
「「ッい~~~~!?」」
艦娘の不思議な装甲をぶち抜いてはいるダメージの痛みに、思わず頭を抱えてうずくまる二人。
そこに追い討ちをかけるように金剛は続ける。
「艦娘として扱って欲しい? 妻や娘として艦娘名を呼ばれるのが嫌? あなたたちもしかして頭バーニングしてんじゃないですかぁ!? 提督をみつけていて、そして側に居られる。それ以上の幸せを求めようだなんてあなたたちには百年早いのよ!!」
その言葉と拳には、百年以上提督を探し続けた艦娘の想いが込められていた。
そして扶桑と山城は今まで自分たちが犯してきた過ちの、根本に行き着く。
ただ大切な存在の側にいられるだけでよかったのに、自分たちはなにをやっていのかと。
「提督にどう思って欲しいかなんて贅沢は五十年たってから考えなさい、どうしても提督を変えたいのなら変わるまで百年でも側で待ち続けなさい。変化を急いだってろくなことにはならないのは、今回のことでよくわかったでしょ!」
過ちを認めた、なら、認めたならどうすべきか。
これからどうすべきなのか……
縋る目つきの二人に金剛の言葉が降り注ぐ。
「そもそもこんな所でぼやいてる暇があったら、提督のそばに寄り添って、助けに、力に、そして役に立てるよう努力しなさい。なにもできないならせめて愛してると伝え続けなさい!」
そうだ、できることはある。
艦娘としてできることは?
家族としてできることは?
二人の女、二人の艦娘、二人の姉妹、そして二人の母娘にできることは?
同じことだ、それは同じことだったんだと。
自分たちにはまだできることがあった。
そのことを教えられた扶桑と山城は、無意識にお互いの手をつなぎ、握りしめる。
「ぼさっとしてんじゃない! ほらとっとと行けッ!!」
発破を掛けるような金剛の大きな声を聞いて、ビクリと一瞬固まった扶桑と山城だったが、すぐに力を取り戻したかのように立ち上がる。
その様子を見て、金剛が愉快そうに凄みのある笑みを浮かべる。
扶桑と山城はそんな金剛に一礼して走り去っていった。
自分たちにとってなによりも大切な存在の元に。
「まったく、これだから扶桑型ってのは……」
金剛は二人を見送ったあと、頭をかきながら再び点滴の管を咥える。
「でもまぁ覚悟を決めたらやたら強くなるのも、扶桑型よね」
金剛はため息を一つ吐くと、とある店がある繁華街の方向に目を向ける。
その表情は先ほどまでと比べて、とても柔らかいものだった。
■□■□■
目が覚めて、まず感じたのは失望だった。
自分が生きていることに一体どんな価値がある、妻と娘を悲しませるだけだ。
幸い妻と娘はいない。
幸い、なるほど、確かに名前の通り幸運だなと、自嘲が浮かぶ。
痛む胃を押さえて、病室の外に出る。
階段をみつけ、上に向かう、目的地は屋上。
「私は、生きていてはいけなかった」
馬鹿な考えだと思っていたが、それは正解だった。
妻と娘の叫びと涙を思い出す。
自分と似た人間が大勢いるとは思わないが、そういった人たちはこの問題にどのような答えを出すのか、ふと気になる。
だがその答えが出る前に屋上に着いてしまう、まあ構わないか。
幸い屋上のフェンスは乗り越えられる程度の高さだった。
「あなた!!」
「お父さま!!」
乗り越えようとしたところで、もう聞くことができないと思っていた声が聞こえる。
「まいったな、どうしてここがわかったんだ?」
私がこの答えに行き着いたのは、ついさっきだというのに。
「あなたが……屋上に向かうのを見かけた少年がいて、その子に聞きました」
なるほど、これは運がいいことなのだろうか。
最後にもうそんな資格はないとしても、愛する妻と、愛する娘の姿を見れたことが嬉しい。
そして、そんな彼女たちに余計なものを見せてしまうことを申し訳なく思う。
「私は、生きていては駄目だった。これ以上私が生きていれば君たちを不幸にしてしまう」
そう告げて私はフェンスを乗り越える。
誰かを巻き込んでしまわないように選んだ位置。
病院の裏手のなにもない場所が眼下に見えた。
「やめてあなた!!」
「まって、まってくださいお父さま!!」
「すまない……二人とも」
私は目を瞑る。
倫理的に見れば私は娘を抱いた最低の父親だが、世間一般的に見れば提督として艦娘を抱いたということでもあり、その為私がしたことは正しいこととなってしまう。
だから彼女たちは私を心配し、こうして私がしようとしていることを止めようとしてくれている。
だが、やはり私がしたことは彼女たちを不幸にすることで、その責任はとらなければならない。
いや、責任というよりも罰を受けなければならないのだ。
走馬燈が浮かぶ。
妻と、そして娘との日々。
幸せだった、私だけが幸せだった。
私はもう十分幸せだったんだ。
だから、今度は彼女たちが幸せに―――
「もしっ! もしあなたが命を絶ったら私は後を追います」
妻が叫んだ言葉が聞こえ、私は意識を引き戻される。
「なッ!?」
「……そうね山城、一人でなんていかせないわ、私も一緒よ?」
続く娘の言葉。
私はその時はじめて、妻と娘が手を繋いでいることに気がつく。
何故?
「き、君たちが死ぬ必要はないだろう!!」
沢山の疑問、だがなによりも何故、何故彼女たちが死ぬ必要があるのか。
そのことで頭がいっぱいになる。
「あら、どうして? これからは一緒にいるっていったでしょ?」
「私には、お父さまが存在しない未来に価値なんてないんです」
静かにそう告げる妻と娘、静かで儚げで、でも強い意志の籠もった美しい瞳。
彼女たちが私を思いととどまらせる為に嘘を言っている訳ではないと、その視線から伝わった。
「わ、私が死ねば私は君たちの提督では無くなる! そうすれば葵はきっと幸せになれる! それに妻がいるのに、よりにもよって娘を抱いた愚かな夫などいない方がいいに決まってる!! 艦娘としても母娘としてもそれが救われる道なのに、何故それが―――」
「あなたを愛する存在が、それでは救えないわ」
そう言ったのは妻だったのか、それとも娘だったのか。
だがその言葉で、先ほどまで絶対に正しいことだと。
そう思っていた行為が、絶対に間違っていることだと―――
「愛しているんです、お父さまとして提督として、なによりも富楽寿吉であるあなたを……」
「お願い、お願いよあなた。愛する人を失う悲しみを……私たちに与えないで」
ゆっくりと手を繋ぎながら、私の方へ歩いてくる妻と娘。
その一歩一歩に凄まじい悲壮感を感じてしまう。
彼女たちの悲しい叫びも、表情も、なにもかもを見てしまったつもりでいたのに。
またそれを上回る、悲みを私は目にしてしまった。
罪に対する罰が必ず行使されるというのなら、この状況は私のなんの罪に対する罰なのだろうか。
「く、来るんじゃない!」
叫ぶ、なにを怖れているのかわからないまま。
だけど彼女たちは止まらない、一歩一歩ゆっくりと私に向かって歩み続ける。
「家族として、そして提督と艦娘として、一緒に幸せになる道を探しましょう? 大丈夫、時間はある、きっとみつけられるわ」
「無理だ。わ、私には提督なんて無理だ。艦娘についてこんなにも無知でなにもできない、こんな男が―――」
「私が教えるわ、娘と一緒に。それにあなたが願うなら私たちが艦娘だということは忘れて、家族として生きる道を選んでもいい。大丈夫よ、今の私たちならできる」
静かに、だけど力強く、妻が涙を流しながらそう言って笑みを浮かべる。
なにがあったのかはわからない、だが今の妻と娘はなにか固い絆で結ばれているように見える。
どこか安堵している自分がいた。
そうか、もう二人は大丈夫なのだと。
「だが……私は娘を抱くような畜生な父親だ。それに何年も何年も、葵が苦しんでいるのに気がつけなかった、そんな父親は―――」
「愛しているから艦娘として抱いてくださったんでしょう? それに今ならわかります。どんなに苦しくてもどんな形であったとしても。お父さまが私を愛してくださってくれていたことが、そして何時も側にいてくださったことが、どれだけ幸せだったのか」
胸に手を当てながら、妻と同じ顔で涙をこぼしながらそう言ってくれる娘。
苦しくても幸せだった、何故かその気持ちがわかった。
皆の思いの方向はずれていたのかも知れない。
でもそれでも、それでも皆が皆を愛していたのだと。
苦しくても想い合えていたことが幸せだったのだと。
「それは、それは……だが私で、私で本当にいいの……か?」
私にはもうわからなかった。
なにが正しいことなのか、私には。
「お父さま以外のお父さまは……ごめんです。ずっとずっと、ずっとお父さまと一緒がいい、お父さまとお母さまと一緒がいいの」
「私はもうあなたなしに生きられない。私……素直じゃないから、ずっと言えなかったけど。愛しています、あなた」
二人の手が、フェンスを掴んでいた私の手にふれる。
その瞬間、自分の身体から色んななにかが消えてゆくのを感じた。
もう二度と、触れる資格をなくしてしまったと思っていた、妻と娘の手を握る。
私は二人の手を再び握れることが嬉しくて、そんな自分が情けなくて。
涙をこらえることができず、泣いてしまった。
「お父さまどうぞ、お茶になります」
「あなた、ほらそこ詰めてください」
青い空の下、シートを広げて妻と娘の三人で昼食をとる。
「ここでお父さまとお母さまは出会ったのですね」
「そうよねえさ……葵。そこのベンチに座ってる時に、この人にナンパされたの」
「いや、あれは……まぁ、そうだな」
クスクスと笑う娘と、じっとりとした目で私を見つめる妻。
退院後、私たちはあの高台の公園で家族の時間を過ごしていた。
あれから私たちは話し合い、しばらくは家族として一緒に生きようと決めた。
まだどこかぎこちなさはあるものの、妻は娘を葵という名前で呼び、娘は妻をお母さまと呼ぶ。
慣れないことで、時々扶桑姉さま、山城と呼び合うこともあるようなのだが、別にとがめることでもないし、慣れるための時間は沢山ある。
ゆっくり、ゆっくりと家族としてやってゆければと思う。
だが彼女たちを幸せにするには、私も変わらなければならないことがある。
それはいつかは娘を、そして妻を艦娘として受け入れられるようになりたいのだ。
妻と娘を艦娘としても愛せるようにもなりたい、そう心のどこかで思うようになった。
でも今はまだ難しい、そもそもそれが一体どういうことなのかもよく解っていない。
だからそれはまだ先の話だ。
先送りにしただけとも取れるが、ゆっくりと、ゆっくりと変われればと思う。
その先に妻と娘が、家族としても姉妹としても幸せになる道があるなら、きっと辛くはない。
だから。
呆れたように昔の話をする妻と、楽しそうにその話を聞く娘。
二人を見つめていると、それに気がついた彼女たちが不思議そうな顔でこちらを向く。
そんな二人が見つめる中、私は小さな一歩を踏み出す。
「私はつまらない男だし、名前の割にそこまで運が有るわけでは無いと思っていたが……そうでもなかったな。私のことをこんなに想ってくれる妻と娘、そして二人の艦娘がいてくれるのだから」
彼女たちを艦娘としても受け止めようとしている私の言葉に、驚いた顔をする妻と娘。
私は気恥ずかしくなったが、どうせなら全てをはき出そうと言葉を続ける。
「扶桑、山城……私は、幸せな男だ、そして幸せな提督だ」
目を閉じてかみしめるように、言葉を締めくくる。
そして私は病院の屋上でのことを思い出した。
浮かんだのは涙を流しながら、私の手を握ってくれた二人の姿。
私は二度と彼女たちにそんな顔をさせないと心に誓う。
「私たちもですよ、提督―――」
二人の声が聞こえ、ゆっくりと目を開く。
そこには後ろの晴れ渡った青空に負けない、扶桑と山城の笑顔があった。
と
『戦艦:扶桑:山城』
おわり
展開だったり説明だったり描写だったり、もっとうまくできた気がするのですが。
これが今の私の限界でした、でも次もまた頑張って書いてみます。
辛い話でしたが、読んでいただきありがとうございました。
三万文字を超える長編の投稿に関しては、分割した方が読みやすいですか?
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何文字になろうとも一話にまとめて欲しい
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そこまで長くなるなら、二分割にして
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一万文字ずつくらいで、三分割にして
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実は七千文字くらいがいいので、四分割
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正直五千文字がベスト、五分割がいいな