提督をみつけたら   作:源治

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っぽい?

※長編回っぽい、三万文字越え(通常の3~4話分)です。
 また、切ない系の話で、暴力描写があります、ご注意ください。
 


『あるじ』と『駆逐艦:夕立』

 

 深海棲艦亡き後のこの世界で、艦娘という存在がどういう役割を果たし、どのような立ち位置にいるのか、それを簡単に説明するのは難しい。

 

 それらは人間というくくりの中にも、様々な役割、立場、地位があるように。

 艦娘というものの中にもそれぞれの個性や気質の違いがあり、そして生まれによってもその立ち位置は変わるからだ。

 

 当然『艦娘連絡会(通称:艦連)』という国家よりも強大な組織が艦娘と提督の保護を掲げて運営されている以上、艦娘という種の世界での地位は高いといわざるをえないだろう。

 おまけに数が少ないとはいえ、生物的にも優位性が高いとなればなおさらである。

 

 艦娘はその特異性に起因する無用の争いを避けるため、基本的には艦連の影響が強い特定の地域に集まり平和に暮らしている。

 

 が、希に自らの存在意義を問うため、艦連の庇護下を離れ世界を旅したり、種としての在り方を問うために自ら戦いの場に赴く者たちがいる。

 

 有名な例を挙げると、妙高姉妹の傭兵チームなどだ。

 戦いは世界中にあり、そして強い力を持った艦娘を欲するものもまた大勢いるからだ。

 

 そして更に希なこと。

 

 そういった艦連の庇護下を離れた艦娘が、艦連と敵対する戦いに身を投じた時。

 ほとんどの艦娘は当然艦連との戦いを避ける、艦連と敵対するリスクが大きすぎるのだ。

 

 そもそも敵対する理由となる組織に所属しているとしても、その組織が戦いを避ける。

 

 だが更に更に、極めて珍しいことに。

 ここにそのリスクを求め艦連と衝突した一人の艦娘がいた。

 

 白露型駆逐艦 四番艦『夕立』

 

 希に戦闘狂の気質を発現することがあるとされる、駆逐艦の艦娘。

 

 これは終戦から百年以上たった時代に生まれた、とある夕立の話。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

「はぁはぁ……」

 

 まだ日も昇らぬ早朝の砂浜。

 一人の少女が濡れた身体を引きずるように、重い足取りで歩いていた。

 

「なんで、どうして―――」

 

 ブツブツと同じことを繰り返しながら少女は歩く。

 

 赤い瞳に、長い金色の髪、そして浮かべる凶相。

 詳しいものが見れば、それが『改二』と呼ばれる二回目の艦娘変わりを終えた、駆逐艦の艦娘である『夕立』と気がついたかも知れない。

 

「どうしてッ!!」

 

 答えるものは居ない。

 

 その叫びを最後に夕立は砂浜に倒れ込む。

 人を遙かに超えた体力を持つ艦娘だが、長期間の不眠不休の戦闘行動に起因するストレスを伴った疲労が限界を迎えたのだ。

 

 薄れゆく意識の中で夕立は、寄せては返す波の音に混じって、犬の鳴き声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あるじ』と『駆逐艦:夕立』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕立が眠りから目を覚ますと、彼女の知らない天井が目に入ってきた。

 身体を起こすと、大きなベッドに自分が寝かされていることに気がつく。

 

 ハッと気配を感じて隣を見る。

 ふわふわの白い毛の大きな犬が、隣でじっと夕立を見ていた。

 

 意外な気配の正体に、一瞬どうしていいのかわからず、固まってしまった夕立。

 そんな夕立の顔をぺろりと犬がなめる。

 

「にゃあっ!?」

 

 思わず声を出してしまった夕立、その様子を見て白い犬は、ゆっくりと部屋の外に出て行った。

 

「な、なんなのよもう」

 

 夕立はベッドから降りて部屋を見渡す。

 十畳ほどある寝室のようで、豪華な鏡台やクローゼット等の家具デザインを見るに、女性の部屋のようだった。

 

 自分が何故こんなところに、拘束もされずにただ寝かされていたのか、全く心当たりがない夕立。

 

 ふと、先ほど出て行った白い犬が、何かの入った風呂敷包みをくわえて戻ってくる。

 そして夕立の足下にそれを置くと、嬉しそうに尻尾を振ってその場に座った。

 

 夕立が不思議に思いながらも風呂敷包みを解くと、中には黒のブラウスと赤のスカート、そして黒のハイソックスや下着の類いが入っていた。

 

「これは?」

 

「ワオン」

 

 着ろといわんばかりに、白い犬が尻尾を振り回しながら吠える。

 夕立はそこで、ようやく自分の服装に気がついた。

 

 あちこち破れ焦げた服、戦装束と呼ばれる艦娘の衣服は、かなりの強度を誇っており、生半可な攻撃では損傷することもないのだが、それが今や見る影もないほどボロボロになっている。

 

 こうなると一度艤装として格納し、専用の修復設備を使用しないと直らない。

 夕立はため息をつき、戦装束を格納する。

 

 あらわになったのは、速度と小回りが求められる、駆逐艦特有の小柄でしなやかな体。

 もっとも、艦娘の見た目の肉体性能と、実際の性能は艦種や個体によって大きく異なるのだが。

 

 裸で居るわけにもいかず、夕立は白い犬が持ってきた衣服を着る。

 そして鏡台の前に行き、着こなしを確認して軽く髪を整えた。

 

「どう? 似合うかしら?」

 

 白い犬に向かって夕立が自嘲交じりに聞くと、ワンと元気のいい声が返ってくる。

 

「ワンッ」

 

 白い犬はドアの付近まで移動し、ついてくるようにと伝えるかのように一度吠える。

 

「お呼び?」

 

 白い犬のあとをなんとなく追って、部屋の外に出て廊下を歩く。

 小さな館のようで、歩いてすぐに外への扉が見えた。

 

 その扉の隙間からするりと、白い犬が外に出て行く。

 

 ある程度掃除はされているようだが、所々ほこりが積もっていたり、劣化部分の修繕がされていない場所があった。

 

 大きさの割に、一人か二人くらいしか住んでいないのだろうか、という考えが浮かぶ。

 一瞬振り返って家の中を見ていた夕立は、すぐにどうでもいいことだと気にするのをやめた。

 

 そして白い犬が通った扉の隙間に手を差し入れて、扉を開ける。

 

 晴れ渡った青空と太陽の明るい光に、夕立は目を細める。

 

 まず目に飛び込んできたのは、見事な西洋風の庭園。

 生い茂る緑の芝、家の周りの柵に絡みついた薔薇のツタ。

 正面玄関から門に向かう道の、両脇に植えられた小さな木。

 

 更に景観を壊さぬ程度に植えられた、何本かの大きな木。

 

 庭全体の広さは、バスケットコート二面分ほどなのだろうが、美しく整えられた庭は見た目よりも広く見えた。

 

 少し離れた場所にある大きな木の一本の根元に、先ほどの白い犬が座ってこちらを見ていた。

 その隣には脚立に登って、その木の剪定を行っている庭師の格好をした誰かの姿。

 

「ワン!」

 

 夕立がその木に近づくと、白い犬が一回吠えた。

 

「なんじゃ、もう起きたんか」

 

 麦わら帽子でその顔は見えないが、愛想の無い男性の老人の声がした。

 老人は剪定を続けながら、振り向きもせずに言葉を続ける。

 

「砂浜でグースカ寝とったお前さんを、運んでくるのは骨だったワイ。本当は放っておくか通報しようかとも思ったんだが、ハチが意地でもお前さんの側を離れようとせんでな、感謝しろよ」

 

「ワン!」

 

 白い犬の名前は、どうやらハチというらしい。

 夕立はハチの頭をそっと撫でる、ハチは嬉しそうに尻尾を振った。

 

「よっこいしょっと」

 

 老人が脚立から降りて、麦わら帽子を脱ぐ。

 現れた顔には沢山の皺が刻まれており、髪の毛はあるものの、ほとんど白に近い灰色だった。

 

 陽に焼けた顔や肌、分厚い手のひらと土の香り。

 夕立は知識でしか知らなかったが、老人から庭師という言葉がしっくりくる印象を受けた。

 

「お前さん艦娘じゃろ、しかもあんな所で倒れとったんじゃから相当訳ありの」

 

 その言葉を聞き、ハチの頭を撫でていた夕立はその手を止める。

 そしてなにもいわずに老人をにらみつけた、冷たい狂犬の目で。

 

「別にだから問題があるって訳じゃないわい、むしろ好都合じゃ」

 

 そんな夕立の発する鬼気に応えた様子もなく、カカカと老人が笑う。

 ハチもつられてワフワフと吠えた。

 

 その主従の様子を見て、拍子抜けした夕立の緊張が解ける。

 

「お前さんどっか行く場所はあるんか?」

 

 少し迷った素振りを見せたあと、夕立は首を横に振る。

 

「ならここにおったらええ、ここにはワシとコイツしかおらんから部屋はあまっとるし、丁度人手が欲しかったところじゃ」

 

 夕立は広い庭と小さな館を見る。

 確かに一人で管理するには、手が足らなそうだ。

 

 だが、それなら誰か人を雇えばいいのでは? と思った夕立の表情を察してか。

 

「人間は信用ならんからなぁ」

 

 そう言葉をこぼし、脚立を抱えて老人は歩き出した。

 無意識に夕立はその後を追う。

 

「……服、ありがとう」

 

 老人に向かって初めて口を開いた夕立。

 その言葉を聞いて、老人は一瞬立ち止まる。

 

「ああ……死んだ娘のもんで悪いがな、あの部屋とあの部屋にあるもんは、お前さんの好きにするといい」

 

 老人は振り向かなかったので、どんな表情でその言葉を吐いたのか。

 夕立にはわからなかった。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 夢を見た。

 

 戦場を渡り歩く夢、過去の記憶。

 

 自分が死を与える存在だと自覚する、戦いの日々の記憶。

 生を実感するために、同じ艦娘である格上の相手とも戦った。

 

 湧き上がる戦闘衝動に、身をゆだね続けた日々の記憶。

 心揺さぶられるなにかが、戦いの中にはあった。

 

 しかし月日がたつと、何時しかその日々も空虚に感じるようになった。

 

 生や死という逃れられないものにさえ、繋がりを見いだせず。

 世界全てに自分が無視されているような感覚。

 

 そんな日々の中、胸の奥底にくすぶる、提督に会いたいという感情。

 

 もし出会えたらどんな気持ちになるのだろうと、暇つぶしに想像する。

 愛おしさがこみ上げるのか、それとも仕えられる喜びが湧くのか。

 

 けれどもそんな感情もやがて薄れていき。

 

 敵が死んでも、味方が死んでも。

 昼が終わったり、夜が終わった程度の感慨しか湧かなくなり。

 

 巡っては繰り返し、他人の人生を見送る。

 

 今撃ち込んだ砲弾の先に、もしかしたら自分の提督がいるのかも知れない。

 そんな大事なことすら、どうでもいいと思ってしまうようになり。

 

 途方もない出会いと別れと、苦悩の時間の中で。

 

 何時しか終わりを望むように―――

 

 

 

 

 

「ワフッ!」

 

「にゃあっ!?」

 

 ハチに顔を舐められて起こされた夕立が、ベッドから跳ね起きる。

 あまりいい夢を見ない日は、何故か決まってハチが顔を舐めて起こしてくれた。

 

「もう、驚かせないで欲しいっぽい」

 

 褒めて褒めてと尻尾を振るハチの顔を、ワシャワシャと撫でる。

 しばらくそうして、先ほど見た夢と現実が混ざり合う混乱した思考を落ち着けた。

 

 身支度をしてダイニングに向かうと、新聞を片手に朝食をとる老人の姿があった。

 

「おはよう」

 

「ああ、おはようさん」

 

 夕立がこの小さな館に住み始めて、既に一ヶ月以上たっていた。

 

 午前中は老人の庭仕事を手伝い、午後は屋敷の掃除と修繕、たまにハチを連れて館から十五分ほどの所にある、海岸を歩くコースの散歩に付き合う。

 屋敷の周り数キロには民家は無く、老人とハチの他には、たまに食料や雑貨の配達に来る配達員以外、夕立は誰とも出会わなかった。

 

 単調な毎日ではあるが、庭仕事に関して覚えることも多く、退屈することはない。

 

 また、雨などで庭仕事ができず、時間ができた時は、館の蔵書を漁ったりもできた。

 あと老人の機嫌がいい時には、彼の奏でるギターを聴いたりもした。

 

 戦友でもなく、同じ艦娘でもなく、ましてやまだ見ぬ提督でも無い人間と、こんなに長い時間一緒にいるのは、夕立にとって初めてのことだった。

 

 居心地がいい、何故かそう思えるものが、この老人にあったのかもしれない。

 

 老人は庭仕事や屋敷の修繕作業に関しては口うるさかったが、夕立の過去については特に興味も無いのか触れなかったし。

 夕立もまた、死んだと聞いた娘のことや、決して近づくなといわれた『地下室』のこと等、特に聞こうとは思わなかった。

 

 放浪と戦いの日々を送っていた夕立にとって、この館での毎日が新鮮だったのも理由だろう。

 望んでいたわけではないが、どこか居心地のいいこの環境を、自ら壊すことも無いと思ったのだ。

 

「今日は薔薇の手入れを教えてやる、薔薇は花が咲くまでの世話が大事でな」

 

「わかった」

 

 なにかを育てたり世話をする。

 そんなことが自分にできるとは、ここに来る前の夕立なら信じなかっただろう。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

「なぁじいさん、こっちもガキの使いで来てんじゃねえんだよ。払うもんは払うっていってんだからさぁ、墓までお宝は持って行けねえんだからよ、ここらで一稼ぎして残りの余生を楽しんでみたらどうだい?」

 

 老人と夕立が門の横にある薔薇の手入れをしていると、二人組の柄の悪い男たちがやって来て、門越しに話しかけてきた。

 典型的なチンピラとその兄貴分といった風体で、柄シャツを着た細身のチンピラが恫喝し、スーツを着た大柄で筋肉質な兄貴分が後ろに控えて、アメとムチの要領で脅す単純な手口だ。

 

「しつこいな貴様らも、ここにそんなもんはありゃせん。とっとと失せろ」

 

 夕立は老人の隣で、黙ってその様子を見ていた。

 老人は関わるのも時間の無駄といわんばかりに、薔薇の手入れをしながらチンピラの方を見ようともせずに吐き捨てる。

 

「んだとじじい……」

 

 チンピラが門の隙間から手を伸ばし、老人につかみかかろうとする。

 が、隣に立っていた夕立が、無表情でその手を掴んで止めた。

 

「なんだぁ? 嬢ちゃんが相手してくれるのかぁ? へへへ、けっこうかわいいじゃねえか、おいじいさん、いいのか? このガキやご自慢の庭が無茶苦茶にされても……ぎゃあ!?」 

 

 夕立が掴んでいた左手に力を込め、痛みに耐えかねたチンピラが膝をつく。

 ひねりなど一切くわえていない純粋な握力、骨のきしむ音が聞こえた。

 

「おいおい、嬢ちゃん。やんちゃもほどほどに……ほがぁ!?」

 

 諫めようとした兄貴分が門に近づいたところで、夕立の右手が兄貴分のネクタイを掴んで引き寄せ、チンピラを握っていた左手を離したかと思うと、すぐに髪の毛を掴んで引き寄せた。

 

 引っ張られて、門に押しつけられるようになった二人の男。

 

「いい、もしこの庭園になにか、例えばこの薔薇をむしったりしたら、貴様らの髪の毛を頭皮ごと全部剥がしてやる。門を越えてみろ、目玉をえぐって舌を引きちぎってやる。できないと思う?」

 

 夕立は二人の顔の近くに口を寄せ、ゾッとするような冷たい声でそう警告する。

 

「てっ!? てめえこのいだだだだだぁあ!!」

 

「あら、今剥がされるのがお望みかしら?」

 

 ミシリミシリと、髪の毛を掴まれていた、チンピラの頭皮からいやな音がする。

 兄貴分がやめさせようと声を出そうとするも、ネクタイで首が絞まって声が出せない。

 

「やめんか、門が傷む」

 

 夕立は老人の言葉を聞いて、それもそうだと納得して手を離す。

 チンピラ二人が尻餅をつき、兄貴分の方は苦しそうに咳き込んでいた。

 

「このアマ……ぶっころして―――」

 

 なんとか息を整えて、兄貴分の男が顔をあげると、無言で門を開けてこちらに歩いて来ようとする夕立が目に映る。

 チンピラ二人は、尻餅をつきながら後ずさり、慌てて距離をとった。

 

「ま、マサのアニキ! こ、コイツ、もしかして艦娘じゃあ……」

 

「なっ!? クソッ!! 一先ず退くぞヤス! お、覚えてやがれ!!」

 

 その見た目からは想像できない、夕立の異常な握力を身をもって体感した、マサとヤスと呼び合ったチンピラ二人は、夕立の正体に気がつき慌てて逃げていく。

 逃げ足と判断力は悪くない……夕立は逃げていくチンピラを眺めながら、不思議と称賛する気持ちが湧いた。

 

 薔薇の手入れを止め、腰を伸ばしながら立ち上がった老人がため息を吐く。

 

「何処で聞いたのやら、半年ほど前から、ここにある宝をよこせというてくるようになってな」

 

「宝?」

 

「ああ、そんな物ありゃせんというのに、しつこくしつこくいってきおる。最初は幾分かまともな奴らがきたり、電話をかけてきよったが。何度も追い返したり無視しとるうちに、ついにはあんな奴らまで送ってくるようになりおったわ」

 

「ふーん」

 

「電話の線を抜いとるのもそれが理由じゃ、おまえさんも使う時は線を挿して使うとええ」

 

 例の『地下室』と関係があるのかと夕立は一瞬思うも、すぐに興味が薄れる。

 何故なら夕立にとってはそれよりも、薔薇の手入れを覚える方が重要な案件だったからだ。

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 夕立は内地の、ごく普通の家庭の子供として生まれた。

 だが艦娘を育てるのが難しいと判断した両親は、艦連に夕立を預けた。

 

 そういったケースは多くもないが、少なくもない。

 

 特筆すべき出会いや別れがあったわけではなく、特別ななにかを経験をすることもなく。

 艦連の施設で育った夕立は、周りの艦娘と同様に成長し、ごく普通に基礎教育を終えた。 

 

 そしてなんとなく、艦連軍に入隊することになった。

 

 特別なことが起こったのは、入隊して三年後のことだ。

 その日、夕立の身に『改二』と呼ばれる現象が起こった。

 

 艦娘変わり後に起こる場合がある、艦娘の戦闘能力の向上や見た目などが変化する現象だ。

 

 上層部は、その適性の関係から、夕立を『猟犬部隊』と通称で呼ばれる、特殊な部隊に配属することに決定した。

 夕立は『改二』になることによって、その気質が変化するとされていたからだ。

 

 猟犬部隊はその特性上、様々な特殊作戦に投入される。

 

 国際的な犯罪組織に、傭兵として雇われる振りをして、証拠を集め秘密裏に潰したり。

 極めて希に起こる、艦連法を破った艦娘の拘束を、憲兵千鬼衆と共に請け負うこともあった。

 

 陸海問わず、通常より戦闘する機会が多いその部隊で、夕立は力をふるった。

 

 そしてある日、とある事件の責任をとって軍を辞めた。

 もっともそれはただのきっかけで、遅かれ早かれ軍は辞めるつもりだった。

 

 だが、いざ辞めてみたところで、戦いに長く身を置きすぎた夕立には、街で普通の生活を送るのが苦痛だった。

 

 自分の中のなにかが叫ぶ。

 戦え、戦え、戦えと。

 

 夕立は結局、再び戦うことを選び、傭兵となって世界各地を放浪した。

 

 いくら戦ったところで満たされない、空虚さを埋めようと戦った。

 

 転々と戦場を渡り歩き、力をふるい続け。

 時には艦連とも敵対した。

 

 そんなことを続けていたら、ついには艦連からの追っ手がかかった。

 

 むしろそれは、望んでいたことだったのかも知れない。

 今考えれば、満たされることのない、空虚な日々に終わりを求めたのかもしれない。

 

 かつての仲間や千鬼衆に追われ、ついには終わりを受け入れようとした。

 はずだったのに。

 

 何故あの時―――

 

 

 

 

 

「ワフッ!」

 

「にゃあっ!?」

 

 ハチに顔を舐められて起こされた夕立が、ベッドから跳ね起きる。

 夢見が悪かったのかどうかは思い出せないが、うなされていた夕立を、ハチが顔を舐めて起こしてくれたらしい。

 

「もう、夕立の顔がそんなにおいしいっぽい?」

 

 夕立は褒めて褒めてと、尻尾を振るハチの顔をワシャワシャと撫でる。

 しばらくそうしてハチと戯れ、寝起きの思考を落ち着けた。

 

 窓の外は暗く、夜明けは未だだいぶ先だ。

 

 ふと、窓の外に人影が見えた。

 目をこらしてみると、庭のベンチに老人が座っている。

 

 気になった夕立は、上着を羽織って外に出る。

 とことこと、後ろからハチが付いてきた。

 

「……こんばんは」

 

「ん、ああ、おまえさんか」

 

 夕立は老人から、一人分空けた場所に腰を下ろす。

 

 満天の星の下で見る夜の庭は、昼間とはまた趣が違う。

 だが、それでもその光景は美しく、そしてどこか優しかった。

 

 老人は夜の庭の見え方にも、気を配っているのだろうか。

 夕立はふとそんなことを思う。

 

 なにもいわず、しばらくそうやって庭を眺めていると、待つことに飽きたのかハチが夕立の膝に頭を乗せ、ふわぁとひとつアクビをして目を閉じた。

 

 そんなハチを夕立が優しく撫でていると、老人が軽く咳をして話し出す。

 

「ハチは子犬の頃にあいつ……ワシの女房が拾ってきた犬でなぁ、ようなついとった。あいつはその、なんだ、いわゆる姉さん女房というヤツでな。ワシより結構年上だったというのに頑張っとったんじゃが、歳には勝てず去年ぽっくりとな」

 

 老人の懐かしむような、悲しむような、そんな静かな声が夜の庭に響く。

 

「自分だって辛かっただろうに、子供を亡くして落ちこんどったワシを……見捨てもせずに最期までよう面倒見てくれたわ。ワシは……あいつになぁんもしてやれなんだというのになぁ」

 

 夕立はなにもいわずに、ただ老人の話を聞いていた。

 

「あいつはこの庭が好きじゃった。だからせめてワシが生きとるうちは、この庭を綺麗にしておきたくてな。まあワシも歳だからな、正直なところおまえさんが来てくれて助かったわい」 

 

「……助かったのは、私の方」

 

 

 らしくも無い老人の身の上話を聞いて、なにかを感じたのか。

 夕立もぽつりぽつりと、今まで話さなかったことを口にする。

 

「あのまま、あの場所で倒れていたら、私はきっと凄くつまらないことになってたと思う」

 

 もしあのまま、目が覚めてあのままあの砂浜にいたら。

 夕立はそんなもしもを想像する。

 

「私は逃げたの、あのまま終わってもいいと思っていたはずなのに……急に怖くなった、ううん、死ぬことがじゃない。知らないまま死ぬことが、怖く……」

 

「知らないまま、か」

 

「うん、あのまま死んで、生まれ持ってこの胸に抱えたこの気持ちが、その正体が。きっと……わからないまま死ぬのが、怖くなったのね。あの時は気がつかなかったけど、今ならそう思える」

 

「何時かそれがわかる時が来るといいのぅ」

 

 夕立はハチの頭を撫でながら、老人のその言葉に静かに頷く。

 それから二人は、何時間もそこに座って夜の庭を眺めていた。

 

 

 

 ■■■■■

 

 

 

『新しく着任した時津風です! よろしくお願い致します!』

 

 また随分とこの部隊“らしい”のが入ってきたものだ。

 それが夕立の感じた、時津風に対する第一印象だった。

 

 結局、夕立はその“らしい”艦娘である『時津風』とバディーを組むことになった。

 

 というのも、かつて組んで行動していた同僚の艦娘である『時雨』が、運悪く出世して部隊の取りまとめをすることになったからだ。

 夕立は新人を押し付けられてうんざりだったが、時雨の「じゃあ僕の代わりに部隊長になるかい?」といわんばかりの視線を感じ、渋々引き受けることにした。

 

 だが、今思えば変に愛嬌のある時津風を、夕立は気に入っていたようにも思う。

 

 

『ねぇねぇ夕立さん! 夕立さんは自分の提督が、どんな人かって想像したことあります?』

 

『そりゃあるわよ、というか想像しない艦娘なんていないでしょ』

 

『えへへー、そうですよねぇー。時津風の提督はですねー、きっとすごく素敵なんですよ!』

 

『素敵ねぇ、そりゃまた随分とふんわりとした提督だこと。もっと具体的に想像して見たら? たとえば腕が六本あって、目が三つあるとか』

 

『な、なんですかそれ~!? 時津風の提督はエイリアンなんですかぁ!?』

 

 思ったより鮮明にその姿を想像してしまったのか、時津風が青い顔で悲鳴をあげる。

 その様子がおかしくて、夕立は珍しくケラケラと笑った。

 

『まぁ、でもそうね。提督と出会えたらどんな気持ちになるのか、それが知りたいなって、そう思うことは今でもあるわ』

 

『時津風も想像してみる……うん、それはきっと、すごく素敵な感じだと思います!!』

 

 きっとすごい、めっちゃすごいと根拠のない断言を連呼する時津風の様子がおかしくて、夕立はまたケラケラと笑う。

 

『おや、随分と楽しそうにしてるね』

 

 そこに部隊の指揮官となった同僚の時雨がやってきた。

 

『あら、時雨“隊長殿”じゃない。出世おめでとう♪』

 

『おめでとうございます! しぐれたいちょう♪』

 

 おどけたように敬礼する夕立と、子供が兵隊さんの真似をするような敬礼をする時津風を見て、時雨は女の子がしてはいけないようなレベルの嫌な顔をする。

 

『やれやれさ、こんな時代に好きこのんで戦うことを選んだ“ろくでなし”たちのお守りを押しつけられるなんてね』

 

『と、時津風はろくでなしなんですかぁ~!?』

 

 驚く時津風の様子がこれまたツボにはまったのか、夕立は「違いない違いない」といいながら、目に涙をにじませ、腹を抱えて笑う。

 そんな夕立を、時雨が恨めしそうににらみつけている。 

 

 そんな頃もあったなと、夕立は夢に見る。

 

 もう随分と遠い世界のことのように思えた。

 

 

 

 □□□□□

 

 

 

 その日、特に悪い夢も見なかった夕立は一人で起きた。

 ハチの姿を探したが、今日は起こしに来なかったようだ。

 

 身支度をしてダイニングに向かうと、いつもと変わらず新聞を片手に朝食をとる老人、そして足下に寝そべるハチの姿があった。

 

「おはよう」

 

「ああ、おはようさん」

 

 夕立がこの小さな館に住み始めて、今日で三ヶ月。

 老人はいつも夕立よりも先に起きて、そこに座っていた。

 

「今日は植木の手入れ?」

 

「そうじゃな……いや、その前にちょっと話がある」

 

 改まった風な老人の様子に、朝食のトーストをかじりながら首をかしげる夕立。

 老人は新聞をたたんで、少し悩んだような間を置いて話し出した。

 

「まあなんじゃ、ワシは見ての通りそう長くはない。ここ何ヶ月か見ていたが、おまえさんはそれなりに筋がいい、勿論まだまだじゃが。だがなんだ、もしこの屋敷と庭の手入れをこれからもしてくれるなら、ここをお前さんに譲ってもいいと思っとる」

 

 老人は慣れないことをいっている自覚があるのか、頬をかきながら落ち着きが無い。

 

「おまえさんも特に行く当てがないなら、住む場所はいるじゃろ、めんどくさい手続きは全部すませとくんで、考えてみてはくれんか」

 

 夕立は悩んだ、正直なところ今の暮らしは嫌いではない。

 数ヶ月前には思いもしなかったが、こんな余生を過ごすのも悪くないとさえ思っている。

 

 だが。

 

「私は……貴方がいったように訳ありなの、正直いうと何時追っ手が来るかも分からない身だから、むしろ―――これ以上ここにいる方が迷惑になるわ」

 

「ふぬ……そうか、だがまぁそれも大丈夫じゃといったら?」

 

「どういうこと?」

 

「おまえさんがどういうもんを背負ってるかは知らんが、少なくとも肩書き上ではまっとうな身の上にできる方法がある。まだうまくいくかは分らんが、少なくともそれを試してみてうまくいってから、もう一度考えてみてくれんか?」

 

 恩がある、少なくとも夕立は恩に感じている。

 戦うことしかできないと思っていた自分に、新しい生き方や住む場所をくれた。

 

 今と過去、二人の自分がせめぎ合う。

 

 結局のところ答えは出せず、夕立はなんとなく曖昧に頷いてしまった。

 そう、なんとなく。

 

「そうかそうか!! まあすぐにとはいかんが、そう長くも待たせんよ。ワシもいい加減お迎えが近いじゃろうからな、急がんと」

 

「まだ元気でしょ。それに私だってそう若いわけじゃないわ、ちゃんと数えてないけど多分五十は超えてると思う」

 

「なんじゃ、おまえさん意外に年寄りじゃったんじゃな。そうじゃ、これからはばあさんとでも呼んでやろうか?」

 

「えぇぇ、それはやめて欲しい……ぽぃ」

 

 戦いで気が高ぶった時か、もしくは気を許した相手にしかつけない夕立特有の語尾。

 それを初めてつけたことに、夕立は気づいていなかった。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

「なぁ、あんたいい加減……その、あの、その、なんとか考えてもらえないでしょうか、ほんと、マジでお願いします。俺この仕事が成功して、まとまった金が入ったら結婚しようかと……」

 

「実はお袋が病気で、入院費が必要なんだ。この仕事が成功すれば、その金でデカイ病院に入れてやれるんだ、せめて最後に親孝行してやりたくてよ……」

 

 チンピラ二人が、一人で薔薇の手入れをしていた夕立に向かって、拝むように土下座しながら必死に話しかけていた。

 

 あれから数ヶ月、チンピラ二人は何日かに一回のペースで懲りずにやって来て、恫喝やら嫌がらせやらなんやらをしてきていたのだが、その度に夕立にボコボコにされて懲りたのか、今日は泣き落としに切り替えたらしい。

 

 ここ最近はそんなこんなで、ノルマのように毎回違ったあの手この手を試し、そして失敗して、夕立に物理で追い返されるのが当たり前の日々になっていた。

 

「……まぁ、そのなんだ、いい加減俺らもクビになりそうなんだがよ。それはいいとして、ホント、なんなんだろうなお宝って? 結構なお偉いさんがマジで狙ってるみたいなんだが」

 

「正直よ、なんか俺らなんかとは比べものにならない、すげえヤバイ奴らを呼ぶって話もあるみたいッスよ、大丈夫ですか姐さん?」

 

 何処に出しても恥ずかしくないクズ、弱者を食い物にするには定評のあるチンピラ二人だが、当然死ぬのは怖い。

 初日で夕立が躊躇せず、こちらを攻撃してくるのを痛感した二人は、適当にノルマをこなしてから、絶対強者である夕立を怒らせないように、ゴマをするのを忘れなかった。

 

 気が弱いというよりは、艦娘相手ではさすがにどうしようもない、というのがあるのかもしれないが。

 

「誰が姐さんよ……」

 

 薔薇の手入れをしながら、ひどく嫌そうな顔して夕立は答える。

 

「いっとくけど、あの人やこの場所に危害を加えたら、本気で命はないわよ」

 

 チンピラ二人をにらみつけながら、ゾッとするような声で呟く夕立。

 そのあまりの恐ろしさに、チンピラ二人は思わず抱き合って、ぶるぶる震えてしまった。

 

「そ、それよりじいさんは? 最近見ないけどよ」

 

「もしかしてとうとうお迎えが……ひぃ!!」

 

 夕立に無言で手入れ用の小さなはさみを向けられ、ろくでもないことをいいかけたチンピラ二人が慌てて逃げ出す。

 その姿を見送りながら、夕立はため息をついた。

 

 老人は一週間ほど前から、家を留守にしている。

 どうにも先日話していた方法や手続きの関係で、艦夢守市まで足を運んでいるらしい。

 

 出る前にしばらくかかるだろうから、それまで留守を頼むと、夕立は老人から頼まれていた。

 

 夕立はついて行くべきか悩んだが、恐らくお尋ね者の自分が、この国最大の艦連拠点に行っても、ろくなことにはならないだろうし。

 それにちょっかいをかけてくる厄介なチンピラのことなどもあったので、残ることにした。

 

 もっとも一番の理由は『老人から留守番を頼まれた』からではあるのだが。

 

「ヤバイ奴らか……」

 

 先ほどチンピラ二人がいっていたことが少し気になったが、もし力ずくで来るのなら力ずくで追い返すまでである。

 

 そうできる確かな力と自信、そして経験が夕立にはあった。

 

 

 

 ■■■■■

 

 

 

『投降してください夕立さん!』

 

『あら、時津風』

 

 追撃をかわすために海に出た夕立を最初に見つけたのは、長く付き合いのあった時津風だった。

 

『久しぶりね、あの時の女の子は元気?』

 

『おかげさまで……今では憲兵軍で立派に働いています』

 

『そう、それはよかったわ』

 

『ごめんなさい、あの時、あたしがあんなことをいわなければ夕立さんは……』

 

 本来なら発見時点で砲撃し、行動不能にして問答無用で拘束するのが正しいはず。

 だというのに、時津風は過去のことを謝るために砲も構えず、わざわざ夕立の前に姿を現した。

 

 優しいこの子犬には、自分を見つけることはできても、殺すことはできないなと夕立は苦笑する。

 

『それは関係ないわ、どのみち軍は辞めるつもりだったし、あの事件で辞めなくても結局は今と同じことになってたわよ』

 

『そんなことありません! 夕立さんは―――』

 

『時津風……提督のいない私たちのような“ろくでなし”の艦娘はね、結局戦うことしかできないの。貴方もそのうち……わかるっぽい』

 

『なら、力ずくでも止めて見せます!!』

 

 その時、時津風と夕立がいる上空に、艦娘の兵装である数機の艦載機が現れる。

 水上フロートを履く独特なシルエット、その艦載機を操れるのは一部の艦娘のみ。

 

『瑞雲、か……』

 

 夕立はすぐさま対空機銃を発射するも、狙われた瑞雲は華麗に攻撃をかわす。

 そのなめらかで繊細な動きから、操る存在の練度がうかがい知れた。

 

『まさか日向……いや、さすがにあの化け物じゃないわね。となると、山城辺りでも連れてきたのかしら? 艦夢守市の護国艦を引っ張り出してくるなんて、いよいよ本気みたいね』

 

『時雨さんも、部隊の皆も来ています。今、発見の連絡を入れました。夕立さん、投降してくださ―――ッ!?』

 

 時津風が一瞬視線を瑞雲に向け、夕立に戻した瞬間。

 いつの間にか砲を構えていた夕立が、引き金を引く。

 

 空気を震わす轟音と衝撃。

 

 虚を突いた夕立の砲撃を、時津風は辛うじてかわす。

 この超至近距離で砲撃戦を躊躇無く仕掛けてくる夕立の恐ろしさに、時津風の背筋が凍る。

 

『時雨たちが来るまで、遊んであげる!!』

 

 既に撤退など頭にないその行動に、夕立は最初からこうなることを望んで海に出たのだと時津風は気がついた。

 時津風は気構えの差が致命的なことになるということを、嫌というほどわかっていたはずなのにと、後悔しながら唇を噛む。

 

 ほどなくして、夕立は時津風を戦闘不能に追い込み、遅れてやってきた戦艦を含む追撃部隊を迎え撃った。

 

 

 

 □□□□□

 

 

 

「本当にただの駆逐艦の艦娘が一人なんだろうな?」

 

「ええ、間違いありません。裏はとれています、戦闘訓練など“一切受けていない”ただの駆逐艦の艦娘一人です」

 

「ならいいが、もし情報に大きなズレがあったら、あんたただじゃ済まんぞ?」

 

「え、ええ、それはもう……ハイ」

 

 とあるビルの一室。

 外地の一部を任された政治家の秘書と、世界でも有数の傭兵部隊のリーダーが話をしていた。

 

「しかし戦史前の遺産か……よくもそんな不確かなものに、俺たちみたいなのを雇うような金と手間をかけるもんだな?」

 

「ただの戦史前の遺産なら、まぁそうでしょうがね。ただあそこに眠っているのはただの遺産じゃないんですよ……恐らくですが『最終皇帝提督』の遺品の類いと思われます」

 

 ぴくりと傭兵の表情がこわばる。

 

最終皇帝提督(ラストエンペラーコマンダー)

 

 深海棲艦との戦争を終わらせた中心人物であるとされる、五人の提督の内の一人。

 戦後の混乱期に、その五人の情報や遺品はほとんどが失われたとされているが、それでも現存する幾つかの遺品が確認されている。

 

 そのどれもが国宝、いや、世界遺産レベルの価値がついたものばかりだ。

 

 もし値段をつけるなら、一体いくらになるのか想像もできないほどである。

 うまく扱えば世界中のどんな権力者でも、果ては艦連の元老院ですら動かせる。

 

 そんな一品が、この外地の片田舎にあるというのか。

 

「まぁ、払うものを払ってくれるなら、その辺は俺たちには関係ない。その艦娘を俺たちが引きつけているうちに、うまくやるんだな。だが間違ってもその館の主人には手を出すなよ、もしそいつが提督だったとしたら。俺たちもあんたらも根こそぎ吊るされるぞ」

 

 害意や悪意を以て提督を死なせた場合、地獄の釜の蓋が開くのは世界レベルの共通認識だ。

 

 戦後から現在に至るまで、提督を死なせた際に発動された憲兵軍千鬼衆による徹底的な報復行動は、その恐ろしさから子供から大人までもを震え上がた。

 

「そこも抜かりありません。館の主は現在留守にしていて、艦夢守市にいるようですので」

 

「なるほどな、ならすぐにでも行動した方がいいだろう、今夜やる」

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 その時、夕立はその感情の正体に気がついたことにより戸惑っていた。

 

 孤独感。

 

 かつては常にそばにあり、その感情が胸に居座っているのが当然だった気持ち。

 

 今日は老人が艦夢守市に向かって、丁度十日目の夜。

 これまでの夜はあっという間だったのに、今日の夜はひどく長く感じることが不思議で、手元の本の内容も頭に入らず、その正体を考えていたのだが。

 

 それが孤独感だと、気がついたのだ。

 

 その為なのか、先にその異常に気がついたのはハチの方だった。

 書斎で本を読んでいた夕立の足元で眠っていたハチが、なにかの気配を感じて体を起こす。

 

 遅れて夕立は誰かが走ってくる気配を感じて立ち上がり、玄関を開ける。

 

 門のところに、息を切らして座り込むチンピラ二人がいた。

 先日これが最後でしくじったらクビだといいながら、必死に土下座してきたのを無情に追い返したのを思い出す。

 

 ハチに玄関で待っているようにいって、夕立は二人の元に向かった。

 

「あ、姐さん大変です!」

 

「アイツらよ、よりによって傭兵なんざ雇いやがって、そこの海岸から上陸して、すぐそこまで来てやがる!」

 

 チンピラたちが嘘をいっているかどうかはわからないが、確かに首筋の後ろにヒリヒリとしたものを感じる。

 それは夕立にとっては感じ慣れた気配、忘れたくても忘れられない気配。

 

 戦場の気配。

 

 夕立はどこかから、煙草の箱くらいの大きさの金塊を取り出す。

 そしてそれを、チンピラ二人に放り投げた。

 

「あんたたち仕事をクビになったんでしょ。報酬は払うから、私が戻ってくるまでここで見張ってて」

 

「あ、姐さんこれ」

 

「き、金塊じゃねえか!?」

 

 確かにこの二人は信用できない。

 だが目先の利益を提示すれば、ある程度コントロールは可能だろうと、夕立はこれまでのことで気がついていた。

 

「ちゃんとここを守れたら、後でもう一本渡すわ」

 

 二人は首が取れそうな速度で何度も頷く。

 これで少しはここを離れても、多少の時間は確保できる。

 

 そして夕立は走り出す。

 

 

 やがて夕立が海岸に続く道、途中にある緩やかな坂道を下りながら走っていると、丁度上陸を終え、館に向かって進軍を開始していた一個小隊ほどの傭兵と何両かの装輪装甲車(キャタピラでなく、タイヤで走行する装甲車両)の列が遠くに見えた。

 

 そしてその中の二台は、他の車両と異なり、戦車のような砲塔と大砲を備えている。

 その大口径で長大な砲、それは艦娘にダメージを与えることが可能な兵器。

 

 その存在を目にして、夕立は先ほどまで感じていた孤独感が消え去り、かわりに背筋に強烈な戦闘衝動が這い上がるのを感じる。

 夕立はその衝動が命じるがままに、見つけた敵に向かって走る。

 

 月明かりしか無いというのに、敵の斥候が駆けてくる夕立に気づき、すぐさま発砲。

 夕立は迫り来る銃弾をかわすため、背を低くしながら走る。

 

 この暗闇の中で夕立の接近にすぐさま気がつき、躊躇無く発砲してくる優秀な偵察兵。

 自ずと敵部隊のレベルが見えてくる、こんな所にいるのが不思議なほどの手練れだ。

 

 艤装や兵装は破損しており、精々12.7cm砲が撃てて一発。

 それだけであの装甲車両群と、手練れの傭兵たち相手に立ち回らなければならない。

 

 なにかしらの作戦を立てなければ、艦娘といえど危うい状況。

 

 だというのに、夕立は自分でも気づいていなかったが、知らず知らずのうちに唇を歪ませていた。

 

 それは戦闘本能からか、それとも狩猟本能なのか、それとも―――

 

「……ここは通さない」

 

 闇夜を裂いて、覚悟を決めた赤い目の少女が駆けてゆく。

 

「さぁ、最高にステキなパーティしましょ!」

 

 皆殺しの雄叫びを上げて、戦いの犬が野を駆けてゆく。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

「嫌な予感がする」

 

「ええぇ……親父さんもそうでしたが、あんたらの家系のその手の直感、外れたためしがないんですがねぇ……」

 

 数年前に引退した親の後を継いで、傭兵部隊のリーダーになった男と、親の代から副官をやっていた男が、装甲車両の上部ハッチから顔を出し、辺りを警戒しながら話していた。

 副官は備え付けられた機銃用の上部ハッチ、リーダーは周囲確認のための上部ハッチから体を出して隣り合っている。

 

 久々に舞い込んできた高額報酬の仕事を引き受けたのはいいが、どうも先ほどから嫌な予感がビンビンするリーダーは、祖父と親父が口を酸っぱくしていっていたことを思い出す。

 

『艦娘を敵に回すな』

 

 だというのに今回の仕事を引き受けたのは、全額前払いの高額報酬だったというのが一つと。時間稼ぎという条件なら、陸上戦闘訓練を受けていない駆逐艦の艦娘であれば、用意できた装備と車両があれば可能だと判断したからだ。

 これが重巡や戦艦クラスなら装甲の厚さの関係で絶望的だし、空母なら水場まで退かれて艦載機でも射出されれば全滅は必至だ。

 

 だが駆逐艦であれば、まだやりようはある。

 

 例え小口径の機銃だろうと、駆逐艦であればダメージは与えられないにしろ、体重の関係で当たれば衝撃による足止めくらいはできるだろうし、大口径砲を撃てば警戒して近寄れない。

 

 まず斥候部隊の手で艦娘をおびき出し、予定の時刻まで足止め。

 そして用意してあった撤退用のルートを使って離脱。

 

 難しくはあるが、不可能ではない仕事。

 

 そのはずなのだが……

 

「リーダー! 先行の部隊から連絡! 坂の上に女が待ち構えて……いや、こちらに向かって走ってきます!」

 

「ちっ! 先手を取られたか、構わん照明弾を打ち上げろ! 撃ちまくって足を止めるんだ!」

 

 夜目の利く腕利きの偵察兵が、いち早く接近してくる夕立を発見して連絡をしてくる。

 その連絡を受け、すぐさまリーダーの指示が飛び、照明弾が打ち上げられた。

 

 あらかじめ予想されていたパターンを、頭にたたき込んである歴戦の傭兵たちが、夕立に対して半円状になるように横に広がり攻撃を開始する。

 

 自動小銃に対物ライフル、そして装甲車に備え付けられた軽機関銃による銃弾の雨が夕立に降り注ぐ。

 夕立は何発も銃弾を受けながらも、低い姿勢を保ちながら、傭兵たちの半円の陣形、その端の方に向かって走る。

 

「っく、退くか中央に突っ込んでくると思ったが、判断が早い! なんとしてもヤツの足を止めろ! 恐らく対人用の艤装は持ってないはずだ、近づけなければ勝機はある! 絶対に近づけさせるな!」

 

 銃撃を受けてもビクともしないのは想定内だったが、それでも足くらいは止めると思っていた。

 だが、相手は足を止めるどころか、こちらのやりにくい位置に、迷い無く移動しようとしている。

 

 さらにその注意が、装輪装甲車の主砲にのみ向けられているのを感じたリーダー。

 あの二両が潰されれば、ダメージを与える手段がなくなり、なぶり殺しにされる。

 

 背筋が凍る、明らかに戦い慣れた艦娘の行動だ。

 

LAM!(携帯対戦車弾)

 

 リーダの指示が飛び、既に対戦車用兵器を肩に担ぎ、発射準備を完了していた傭兵がロケット弾を発射する。

 ロケット弾は直撃はしなかったものの、なんとか夕立の進行方向少し手前に着弾。

 

 激しい爆発が起こるも、それで仕留められるはずがないと確信していた傭兵たちは、ひたすら銃撃を続ける。

 ロケット弾の爆風で足を取られたのか、速度は落ちたものの、それでも夕立は止まらない。

 

「銃では駄目だ! 手榴弾、手榴弾だ!!」  

 

 さらにリーダーの指示を聞き、何人かが銃撃を止めて夕立の進行方向、もしくはいると思われる地点にありったけの手榴弾を投げこむ。

 爆発ギリギリまでタイミングを調整された手榴弾が、夕立に直撃した。

 

 十個以上の手榴弾による爆風と破片を浴びて、夕立の足が止まる。

 すかさずリーダーの指示が飛ぶ。

 

「今だ、撃てえ!!」

 

 二両の装輪装甲車の主砲が火を噴く。

 当った、そう感じた誰かが声を上げる。

 

「やったか!?」

 

 辺り一面、砂埃で視界がとれない。

 必死に目をこらして、夕立がいた場所を見ていた傭兵たち。

 

 一秒、二秒、三秒。

 

 数秒だが傭兵たちにとって、恐ろしいほど長い時間が流れる。

 さすがの艦娘でも、あれだけの銃弾や手榴弾、ましてや戦車砲の砲撃を食らってはただではすむまい。

 

 そう、傭兵たちが勝利を確信した、瞬間。

 

 

「あはっ! あはははははははははは!! やるじゃない!!」 

 

 

 絶望の笑い声が辺りに響く。

 

 爆炎と土煙をかき分け、笑い声を上げながら、ゆっくりと夕立が姿を現したからだ。

 炎を背負って、赤い目を輝かせながら笑う、あまりに美しく恐ろしいその姿に、熟練の傭兵たちですら攻撃の手を止めてしまう。

 

 夕立は唇の端を嗤うように吊り上げながら、傭兵たちを見つめる。

 

「軽く蹴散らすつもりだったんだけど、難しそうっぽい。だから本気で相手をしてあげる!」

 

 恐ろしい宣言が響き渡る、そして戦場の空気が変わった。

 夕立の缶に火が入り、陸上で出せる限界出力まで引き上げられたからだ。

 

 続いて、それによる重量増加が発生する。

 

 瞬間、傭兵たちの誰もが重厚な鋼鉄の要塞が目の前に表れたような、圧迫感を感じた。

 それは、軍艦の気配。

 

 重厚な足音を響かせ彼らに向かって歩き出す夕立。

 その様子に人が相対する存在ではないと、人一倍戦いを経験してきた傭兵たちの本能が警鐘を鳴らす。

 

 傭兵たちの誰もが思った、話が違う、相手は戦闘訓練を受けてないただの駆逐艦の艦娘だったはずだと。

 

 だが陸上で出せる限界ギリギリの出力を、まるで息をするように自然に、調節してコントロールできる艦娘が、戦闘訓練を受けていないはずはない。

 

 こうなった以上、もはや小銃や機銃、手榴弾による攻撃では足止めすらかなわない。

 現状傭兵たちに取っての唯一の有効打は、対戦車用兵器と装輪装甲車の主砲による攻撃のみ。 

 

 雇い主にだまされるなんていうのはよくある話だが、今回のは特に最悪だ、最高に最悪だ、もしも“生きて”帰れたなら絶対容赦しない。

 

 生きて、帰れたなら―――

 

「次弾撃てッ!! ぼさっとするなさっさとLAM(携帯対戦車弾)に持ち替えろ!!」

 

 リーダーの叫びに近い指示が飛び、再び砲撃が放たれる。

 着弾の爆風を利用して、夕立が空高く舞い上がる。

 

 そして空中で兵装が展開される。

 

 所々破損しているようだが、夕立の手に握られているのは駆逐艦を象徴する兵装。

 

『12.7㎝連装砲』

 

 装輪装甲車に取り付けられている主砲より、遙かに大きい口径。

 空中で展開された、その砲口が傭兵たちに向けられる。

 

 

「ソロモンの悪夢、見せてあげる!」

 

 

 夜はまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 ■■■■■

 

 

 

『ねえじいちゃん、じいちゃんと親父は妙高傭兵姉妹にどうやって勝ったの?』

 

『あの馬鹿そんなこといってたのか……別に勝ったわけじゃねえさ、なんとか生き延びられただけだ』

 

 少年が祖父に昔話をせがんでいる。

 祖父は少し困ったように孫に答えた。

 

『えー、なにそれ、なんでなんで?』

 

 祖父は読んでいた新聞を置き、くわえていた葉巻を指に挟んで、昔を思い出すように静かに話し出した。

 

『ふぅ、ありゃあ俺の最後の仕事だった……あんときゃ帝国軍部隊相手の防衛戦の最中でなぁ……俺たちは防衛線に沿って掘られた塹壕や、トーチカに籠もりながら踏ん張ってる最中だった。その日、相手に妙高姉妹がついて、こっちに向かってるって情報入ってきてな。お偉いさんはケツに火がついたように逃げ出した、貧乏くじを引いたのは俺たち傭兵さ。撤退戦のしんがりとして時間を稼げってな、クソッタレな命令が下ったよ』

 

 祖父は安楽椅子に沈み込むように体を横たえ、懐かしそうに目を細める。

 穏やかなその様子と、話の内容のギャップが、どうしようも無く少年を不安にさせた。

 

『どいつもこいつも、今までみたことないほど悲惨な顔をしてた、おまえの親父も、俺もな……そんな時、援軍が来るって連絡が入った。だが妙高姉妹相手にどんな援軍が来たところでと思ったが、なんでもその援軍ってのは艦娘だっていうじゃねえか。これぞまさに地獄に仏って、俺たちゃ喜んだ。だが来たのは赤い目の金髪のガキが一人、今のおまえよりもちっこい女の子さ。恐らく駆逐艦だ、重巡の妙高姉妹相手に、駆逐艦の艦娘一人でどうしようってんだって思ったもんだ。やがて戦闘が始まって、俺たちゃ死にもの狂いで撃ち続けた』

 

 祖父は突然椅子から起き上がると、「バババババ!」と発砲音を真似ながら機関銃を撃つような動作をする。

 少年がビクリと震え、その様子を見て穏やかに祖父は微笑む。

 

『ふと戦闘が小康状態になった時にな、その駆逐艦の艦娘がトーチカの上にあぐらをかいて座ってるのが見えた、小康状態っていっても銃弾や砲弾は飛び交ってるっていうのに、まるで平和な公園のベンチに座ってるみたいな様子で、ナイフで木の切れ端を彫ってなにか作ってた……あの光景は忘れられんよ、あんまりにも綺麗だったからな』

 

 祖父がその駆逐艦が彫っていた彫刻をよく見ると、人型のなんかだったらしい。

 

『そして次の瞬間、ピタリと砲撃も銃撃もやんだ。誰かが叫んだ、妙高姉妹が来るぞっ!! てな。その駆逐艦の艦娘は作りかけの木の彫刻を、その場に置いてゆっくりと立ち上がって……そして文字通り飛んだのさ、トーチカがぶっ壊れるような威力で足場を蹴って飛んでいった』

 

 その衝撃で近くにいた何人かはヒックリ返ってた、おまえの親父もな。

 そう付け加えて祖父はカカカと笑う。

 

『その後は……もう俺たちは必死になって撃ちまくって、その駆逐艦を援護した。一人だってのに、その駆逐艦は最後まで一歩も退かないで、狂ったように笑いながら戦い続けてた。まるでそこだけ、おとぎ話みたいな世界だったなぁ……結局その戦いは負けちまったけど、俺は生き残れた。あの駆逐艦のおかげだな』

 

 指に挟んでいた葉巻を置き、祖父は少年の両肩に手を乗せる。

 しっかりと、大事なことをいい聞かせようとするように。

 

 

『いいか坊主、艦娘とは戦うな。ありゃ文字通り軍艦なのさ、絶対に人が敵う相手じゃねえ。特に戦場で少女の笑い声を聞いたり、赤い目を見たらすぐに逃げ―――』

 

 

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「走馬燈見えた―!?」

 

「あ、気がつきました?」

 

 戦闘開始から一時間。

 

 辛うじて動くことのできる傭兵たち全員が、一両の装輪装甲車を囲み、車両の残骸を盾にしながら、身を寄せ合うように戦っていた。

 

 何両もあった装甲車や戦闘車両は、この一両を残して全て破壊され、死者はいないものの負傷者だらけ。

 この状況で統率が崩れていないのは、一流の傭兵としての矜持か、それともそれだけが唯一生き残る方法だと理解しているからか。

 

「ああくそ、不覚をとった。気を失ってどれくらいだ、戦況は?」

 

「リーダーが飛んできた石ころに当たって気絶してから、一分やそこらですね。戦況は膠着状態です、なんで死人がいないのか不思議ですよ」

 

「手を抜く余裕があるということだろうな、手間だが結果的に足手まといが増えて、こちらが不利になるということを、狙ってやってるんだろう。もしくは狩りを楽しんでいるのか、どちらにしろ、このままじゃ時間の問題だ」

 

「はは、俺たち相手に手加減とは……まったく、嫌になりますねぇ」 

 

「親のいうことは聞くもんだな、まったく。しかしあいつらみたいなのが、何万と艦隊を組織して戦っても滅ぼされかけたってんだから、俺たちのご先祖様たちは、とんでもない奴らと戦ってたんだな、つくづくそう思うよ」

 

 相手はたった一人だというのに、まるで大部隊を相手にしているかのような状況。

 軽く戦闘が小康状態になっていることもあってか、ヤケクソ気味にリーダーと副官が会話をしている。

 

「で、どうしますかリーダー?」

 

「撤退する、これ以上の戦闘継続は意味が無い。それに約束の時間は十分稼いだ」

 

「すんなりと逃がしてくれるとは、思えませんがねぇ」

 

「考えがある、まぁ一つ試してみるさ、祈ってろ」

 

 リーダーが車両に備え付けられていた、拡声器を手に取る。

 

『撤退だ!! 撤退する!! 時間は十分稼いだ、あとは館に向かった別働隊がやってくれるはずだ!! いいか、もう攻撃する必要はない、撤退だ!!』

 

 白々しい演技で叫び終えたリーダーが、すぐに身を伏せる。

 

「いいんですかい? ばらしちまって」

 

「なに、料金分の仕事はした。それにこれだけ派手にやったんだ、いくらのんきな外地だといってもさすがにこの国の軍が動くだろう。そうなる前にケツに帆を張って逃げなきゃならん。少し癪だが、騙された落とし前を俺たちの代わりにつけてもらえるなら、一石二鳥だろう」

 

「成る程、あとは向こうさんが乗ってくれるかどうかですが……」

 

「そこは祈るしかないな」

 

 しばらくして、戦場を覆っていた夕立の気配が消える。

 

 見逃されたのか、優先順位を判断したのかはわからない。

 確かなのは悪夢が去ったということ。

 

 それを感じた傭兵たちは、急ぎつつも慎重に撤退を開始した。

 

「助かったか……まったく、運がいいのか悪いのかわからんな」

 

「それも、あんたらの家系の特徴ですよ」

 

 ため息交じりの副官の声が、虚しく響いた。

 

 

 余談だがこの後、彼らの傭兵チームは艦娘と戦い、依頼を遂行して生還したという、傭兵として最大級の肩書きを得ることになり、とても仕事がしやすくなったとかなんとかだが、もう艦娘の相手はこりごりだと誰もがこぼしていたらしい。

 

 しかし彼らは知らない、この後の人生でも艦娘となにかと縁のある人生になることを(既に縁がある人生なことを)彼らはまだ……いや、微妙に感じ始めていた。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 重たくなった体を引きずりながら、夕立は歩く。

 実のところ、夕立はギリギリの所で戦っていた。

 

 数ヶ月前の戦闘で艤装は大破状態であり、弾薬も燃料も残り僅かだった。

 

 単純に突っ込んで蹴散らせる相手なら、それでも十二分なのだが、相手は手練れの傭兵と戦闘車両。

 夕立は動きの鈍い体を無理矢理動かし、なんとか余裕を見せつけようと、死者を出さないように戦った。

 

 だが、今思えば悪手だったかもしれないと、夕立は自分の判断を一瞬疑う。

 といっても、何人殺したところで退く手合いにも見えなかったのも確かだ。

 

「見逃されたのかもね」

 

 あの拡声器による宣言は、恐らく夕立に向けてのもの。

 料金分の仕事が完了したから、撤退するとわざわざ教えてくれたのだろう。

 

 最も、向こうも無駄な犠牲や労力を、払いたくなかった可能性もあるが。

 

 陸上で缶に火を入れた反動はあるものの、致命的になるギリギリ手前でコントロールすることに成功していた夕立は、館に向かって足を引きずりながらも急ぐ。

 だが急いだところで、もし館に向かった部隊が先ほどと同レベルなら、今度こそ駄目かも知れない。

 

「陸で死ぬのもしまらない、か……」

 

 できれば海で死にたかったと、夕立は思う。

 さらに叶うなら、せめてあの老人が帰ってくるまでは持たせたかったとも。

 

「なにを今更」

 

 だが夕立は今回のことで痛感する。

 

 戦闘開始前に、背筋を走った強烈な戦闘衝動。

 

 やはり自分は戦うことしかできない、戦いの中こそが自分の居場所なんだと。

 だから老人が帰ってきたら、あの場所を離れよう。

 

 そして今度こそ、どこかの海の上で……

 

 

「やぁ、遅かったね」

 

 

 夕立が館に戻ると、見覚えのある人物の姿があった。

 

「……時雨」

 

 夕立にとって、同じ白露型の二番艦である『時雨』だ。

 黒髪を三つ編みにしたお下げ姿の少女だが、彼女もまた駆逐艦の艦娘である。

 

 夕立は門の前に立つ、かつて戦友だったその艦娘を見つめ、その近くにいる気を失ったチンピラ二人に目をやる。

 二人は夕立のいいつけ通り律儀に抵抗でもしたのか、何発も殴られたようで、顔を腫らして門柱にもたれかかっていた。

 そして時雨の周りには、別働隊と思われる黒い作業服の男が何人かと、スーツを着た身なりのいい男が倒れている。

 

「ああ、彼らかい? 僕がきた時にそこの二人と揉めててね、と、いってもこの二人が一方的にやられていただけなんだけど。面倒だから両方とも片付けさせてもらったよ。もしかして知り合いだったかな?」

 

 夕立は時雨の問いに答えず、じっと時雨を見つめる。

 

「まぁそれはともかくとして。夕立、大人しく捕まってくれないかな?」

 

 夕立は静かに首を横に振る。

 

「まいったね、そんな状態で“僕たち”から逃げられると思うのかい?」

 

 複数人を思わせるニュアンス、その言葉を時雨が告げると、闇夜から一人二人と複数の少女たちが現れ、それに付き従うように、鬼の仮面をつけた緑の軍服姿の兵士たちが続いて姿を現す。

 

 猟犬部隊の艦娘の面々と、憲兵千鬼衆。

 

 夕立は「まぁいるでしょうね……」と呟き、残りの燃料全てを缶に注ぎ込む。

 もっとも燃料の残量的には、一回力を入れれば底をつく量しかなかった。

 

 周りの景色が歪むかのように空気が変わり、夕立を囲んで居る者たちが身構える。

 

 それを抑えるように、時雨がすっと片手をあげた。

 機を抑えられ、じれるような空気の中で夕立が口を開く。

 

「時津風は……療養中かしら?」

 

 あの時の戦闘のダメージが抜けなかったのか、夕立を囲む猟犬部隊の中に、時津風の姿は無かった。

 

「まぁそんなところさ。それよりも夕立、一つ聞かせてくれないかな。君は戦って死ぬことを望んでいたんじゃないのかい? そう思ってたからこそ僕はあの時、君を沈める覚悟をしたのに……どうしてあの時、君は逃げ出したんだい?」

 

 数ヶ月前、海の上で追い詰められた夕立に、時雨がとどめを刺そうとした時。

 夕立は突如として、虎の子の魚雷全てを撒きながら、反転して逃げ出した。

 

 魚雷は最後の最後に、相手を仕留めるために使う駆逐艦にとっての切り札だ。

 だというのに夕立は、誇りもなにもかもをかなぐり捨てて、逃走のためにそれを使った。

 

 確かに撤退戦術として使用することはあるだろう。

 

 だがその時の夕立には、生き延びたところで補給できるあても無く、ましてや逃げたところで、その先などありはしない。

 そのつもりで戦っていた時雨たちは、思いもしないその行動に虚を突かれ、夕立を逃してしまった。

 

 時雨にとってそれは、もし自分が夕立と同じ立場なら絶対に受け入れられない行為。

 

 艦娘としての姉妹というだけで無く、どこか夕立が自分と同じだと思っていた時雨は、それが不思議でならなかった。

 何故、戦って死ねる機会を、あの時夕立は拒んだのか、が。

 

「……あの時はわからなかった……でも、今思えば……私は知りたいことがあったんだと思う」

 

「うん? それは一体どういう―――」

 

 時雨が首をかしげた瞬間、夕立が時雨に飛びかかる。

 だがそれを予期していたかのように、時雨は夕立の手を掴んでひねり、そのまま地面に押し倒して馬乗りになった。

 

「夕立、もう君は……ボロボロじゃ無いか。艤装も大破、燃料も弾薬も空っぽ。今だって動くのが精一杯だろうに、それなのにどうして……あの時みたいに逃げようとしないんだい?」

 

 夕立は時雨の言葉には答えず、不敵に笑う。

 その様子が癪に障ったのか、時雨が夕立の細い首に手をかける。

 

「ねえ夕立、教えてよ、もしかして君は―――」

 

 

「あのー、お取り込み中すみません」

 

 

 時雨がその手に力を入れて、夕立を痛めつけようとしたその時。

 まるで緊張感の無い声が、二人にかけられた。

 

 その場にいた艦娘や千鬼衆たちが驚いたように見ると、そこにはいつの間に現れたのか、スーツ姿の若い男の姿。

 

 スーツの男は一人の長い黒髪の少女を伴っており、鋭い眼差しで辺りをにらみつけていることから、少女がただ者では無いということはわかる。

 だが、そのことが余計に緊張感の無い、平凡そのものなスーツ姿の男の異常さを際立たせる。

 

「えーっと、その、この部隊の責任者の方はどちらでしょうか? 私、艦夢守市、市役所艦娘課の音羽悟志(おとはさとし)と申します、あ、一応提督適性者でして、はい。こっちは同僚というか先輩なんですが、一応私の艦娘の駆逐艦である初霜さんです」 

 

 初霜、と呼ばれた駆逐艦の艦娘が、緊張を解かずに軽く会釈をする。 

 

「えーっと、それでですね、実はそちらの……あ、艦娘名で失礼させていただきます、そちらの“夕立”さんにお話が御座いまして、はい」

 

 周りの冷たい視線など全く気にしないかのように、ゆっくりと夕立と時雨に歩み寄る音羽と初霜。

 周りの千鬼衆たちが動こうとするが、時雨がすっと片手をあげてそれを押しとどめる。

 

 艦夢守市の市役所艦娘課、国内の艦娘や提督適性者を一元管理し取り扱うその課は、ありふれた名称のように見え、その実態は艦連内部でも強い力を持つ艦連の直轄組織。

 またその性質上、国内においても各行政機関に行使できる強い権限を有している。

 

 つまりその職員ともなればそれなりに厄介な存在、もしスーツ姿の男が本当にそうなら、下手に手を出すのは得策では無い。

 

「どうも音羽さん、僕がこの部隊の指揮官さ。悪いけど作戦行動の最中で、姓名と部隊名は明かせないけど、僕たちは艦連軍指揮下の特殊部隊だ。見ての通り今取り込み中でね、後にしてもらえるかい?」

 

「はぁ、それはそれは……ですがその、実はこちらもかなりの緊急案件でして、はい。ああ、そのままで結構ですので、少しだけお時間いただけませんでしょうか?」

 

 引き下がるつもりの一切無い、強情なその様子。

 時雨はちらりと初霜と呼ばれた艦娘をみる、もし彼が提督で彼女が艦娘であるなら、命令すれば彼女は躊躇無く自分たちと戦うだろう、そう思わせる気配。

 

 艦娘課所属の艦娘の戦闘能力が、低いわけがない。

 例え初霜が一人であろうと、彼女が艦娘である以上、馬鹿にならない被害が出る。

 

 時雨は少し悩んだ末、軽く頷く。

 音羽はそれを見てホッとしたように、胸をなで下ろした。

 

「どうもどうも、ありがとうございます。それでえっと夕立さん、はい、確かに『改二』になられていますね、それではこれをお受け取りください。後ここにサインをお願いします」

 

 そういって音羽は時雨に押さえつけられた、夕立の手に封筒と、クリップボードに挟まれた書類を見せながらペンを手渡す。

 書類には、「第二艦娘変わりに伴う『艦娘証明書』変更手続き」と書かれていた。

 

 夕立は遙か以前、似たような書類にサインしたことを思い出す。

 もしかしてあの時の書類に不備があったのだろうか、しかしそれが何故今?

 

 周りが事態を飲み込めずに動けない中、ただ時間が流れる。

 

 まるでサインするまでテコでも動かない、そう思わせる音羽の空気に押されてか、夕立はなんとなくサインをしてしまった。

 音羽はサインが終わったのを確認すると、書類を確認して頷く。

 

「はい、確かに。いやぁ、本当は郵送でこちらへお送りして、さらに幾つかの手続きをしていただく必要があったんですが、色々と例外的な事態でして、はい」

 

「そう、じゃあ用事は済んだでしょ。さっさと艦夢守市に帰りなよ」

 

 時雨はそういって、再び夕立の首に力を込めた。

 ギリギリという音が、夕立の首から聞こえてくる。

 

「はぁ、実はそうもいかんのですわ。そちらの夕立さんの提督が先日お亡くなりになりまして。夕立さんがご本人と確認できた以上、そちらの手続きもして貰わないといけなくなりましたので」

 

「なんだって!? 夕立、君は提督を見つけていたのかい!?」

 

 時雨が珍しく取り乱していたが、当の本人である夕立もまた混乱していた。

 

 提督? 一体それはどういうことだというのかと。

 そう夕立は声を上げようとするも、時雨に押さえつけられて声が出せない。

 

「はい、ええまぁ。心臓に重い持病を抱えられていたようでして、夕立さんの改二申請を行われてからすぐのことでした……すぐにご連絡をと思ったのですが、発見された時には身分を証明されるものを持っておられなかったらしく。確認が取れた時には既に遺体の保管期間が過ぎて、火葬が終わっておりまして。ただその後、提督適性者と判明して大変な騒ぎとなったのですが……」

 

 音羽が持っていた大きな鞄から、そっと骨壺を取り出す。

 

「本来は役所まで来ていただく予定だったのですが、どうしても連絡がつかず、こうしてお運びさせていただきました……ところで指揮官さん、その夕立さんは本当にあなた方の追っておられる『夕立』さんなのでしょうか?」

 

「……どういうことだい?」

 

「“真実”はどうあれ、艦娘証明書の変更手続きにサインされた以上、その夕立さんはこちらの提督さんの艦娘の『夕立』さんということになります。つまりまあ、なんともうしますか、現状そうで無いと証明することは、できないというわけでして、はい」

 

「なにを馬鹿なことを―――」

 

「いえ、もし艦連法に則るというのであれば、間違っているのはそちらということになりますよ。まず間違いなく、法律上は……ですが。それでもというのであれば、私も艦夢守市市役所、艦娘課の職員としてやるべきことを、やらねばならなくなりましてですね、はい」

 

 音羽の空気が変わる、温和で温厚だったその様子が急に、冷たいカミソリのようなものに変化した。

 千鬼衆と猟犬部隊が動きを見せるが、初霜は缶に火を入れ何時でも戦闘開始する覚悟でそれをにらみつける。

 

 一触即発の状況でしばらくにらみ合いが続いたが、時雨は熟考の末にゆっくりと夕立の首から手を離して立ち上がった。

 

「ッガ! ゲッホッ!! ごほッ!!」

 

 夕立は咳き込みながら、にじむ視界で音羽の手にある骨壺を見る。

 

(死んだ、あの人が、死んだ?)

 

 

『―――まあなんじゃ、ワシは見ての通りそう長くはない。ここ何ヶ月か見ていたが、おまえさんはそれなりに筋がいい、勿論まだまだじゃが。だがなんだ、もしこの屋敷と庭の手入れをこれからもしてくれるなら、ここをお前さんに譲ってもいいとおもっとる』

 

 

 夕立は力の入らない脚を引きずり、音羽の元まで這いながら移動して、骨壺を受け取る。

 

 

『―――おまえさんも特に行く当てがないなら住む場所はいるじゃろ、めんどくさい手続きは全部すませとくで、考えてみてはくれんか』

 

 

 なんとか体を起こして地べたに座り、震える手で夕立が骨壺の蓋を開くと、焼かれた骨の欠片が幾つも収められていた。

 

 

『―――おまえさんがどういうもんを背負ってるかは知らんが、少なくとも肩書き上ではまっとうな身の上にできる方法がある。まだうまくいくかは分らんが、少なくともそれを試してみてうまくいってから、もう一度考えてみてくれんか?』

 

 

「あ……」

 

 老人の言葉は、このことを指していたのだと、夕立は理解した。

 

 

『―――そうかそうか!! まあすぐにとはいかんが、そう長くも待たせんよ。ワシもいい加減お迎えが近いじゃろうからな、急がんと』

 

 

 だがあの時、あの老人はなにを思いながらあんなことをいったのか。

 自分の死期を予感していたのか、それとも別のなにかがあったのか。

 

「……ばか、なに本当に死んじゃってるのよ。これじゃあ、もう庭の手入れ……教えてもらえないっぽい」

 

 絞り出すような、夕立のその呟きが辺りに響く。

 時雨や猟犬部隊の艦娘たちの目が、門の向こうにある美しい庭園に向けられた。

 

「夕立、君は―――」

 

 時雨はなにかを口に出そうとしたが、結局最後までその言葉が紡がれることはなかった。

 

 艦娘とて傷みが無いわけではない、なのにこんなにまで、限界までその身をすり減らしてまで戦い続け、ボロボロになってまで守ろうとしたなにかを、失った様子の夕立。

 

 そんなかつての戦友の、悲痛な後ろ姿を時雨は複雑な心境でじっと見続ける。

 

 ずっと館の中で待ち続けていたハチが、夕立が帰ってきたことに気がついたのか。

 館の中から飛び出し、夕立の隣に走り寄ってきた。

 

 ハチは呆然と骨壺を見つめ続ける夕立の頬を舐め、空に向かって吠える。

 

 あるじを無くした犬の鳴き声が、朝焼けの夜空に響いた。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 痛む体を引きずりながら、老人の骨壺を手に『地下室』に向かう階段を下りる夕立。

 

 あの後、呆然と座り込む夕立を残して、音羽と時雨たちは、館に侵入しようとした者たちを回収して去って行った。

 両者とも、あまりに痛ましい夕立とハチの姿を見ていられなかったのか、それとも。

 

 ただ千鬼衆たちが、老人の遺骨に向けて敬意を払うように、胸に片手を当て一礼していたのが妙に夕立の印象に残った。

 

 音羽は手続きの為の正式な書類を、後日持ってまた来ると言い残し。

 また時雨も去り際に、夕立に一言「またくるよ」と言い残した。

 

 だが夕立はなんとなく、時雨とはもう会うことは無いだろう、そう思った。

 

 地下室の扉の前に着く。

 夕立は鍵が掛っている可能性を考えしばらく悩んだが、試しに一度ドアノブを握った。

 予想に反して扉には鍵はかかっておらず、すぐに開く。

 

 後ろからついてきていたハチが、夕立の隣をするりと抜けて先に部屋に入る。

 

 入り口すぐの所にあったスイッチを入れると、八畳ほどの広さの部屋を灯りが照らす。

 部屋には幾つかの物置棚と本棚、そして簡素な机があったが、どれも綺麗に整理されており、部屋は地下室特有の空気のよどみはあったが、綺麗なものだった。

 

 だがなにより存在感を放っているは、部屋の中央に置かれた棺。

 

 ハチが悲しそうに棺の前に座り、夕立の方を見る。

 夕立は老人の骨壺を机に置き、その棺をゆっくりと開く。

 

 現れたのは、死後の処理を施され、美しく着飾られた少女の遺体。

 長い金髪の少女の顔には、見覚えがあった。

 

 白露型駆逐艦 四番艦『夕立』だ。

 

「はじめましてね、“夕立”さん……」

 

 何故こんな所に、“老人の艦娘”であった夕立の遺体があるかは、わからない。

 そして何故老人が、夕立の死をひた隠しにし続けたのかも。

 

 だが老人にとって、この夕立は宝だったのだろう。

 

 ハチが悲しそうに、棺を舐める。

 

「貴方は、どんな気持ちだった? 自分の提督をみつけられて、こんなに大切にされて……」

 

 夕立はしばらく棺の中の夕立を見つめていたが、すっと老人の骨壺を手にとって棺の中に入れ、棺を閉じる。

 いずれきちんと葬るべきなのだろうが、しばらくはこうしておいた方がいい気がしたからだ。

 

 夕立は地下室をあとにしようとしたが、ふと、物置棚の一角にある、やたら重厚な造りの黒い箱が目にとまる。

 

 鍵はかかっていないが、やたらと留め具がついているその箱を手にとって開いてみると、強化アクリルフレームに挟まれた、六切サイズの写真が収められていた。

 かなり古いもののようだが状態は悪くなく、そこには白い軍服を着た十人の軍人の姿が写っている。

 

 もっとも、十人のほとんどが軍人らしくなく、子供や、太った巨漢の眼鏡の男、美しい女性、目つきの鋭い筋モノのような男、大柄の美中年、老人と、見た目も年代も性別もバラバラ。

 

 おそらくは戦史時代の、提督たちの写真なのだろう。

 

 だが何故こんなに重厚な箱に、入れられていたのか。

 答えは出なかったが、物置棚の隅にあったことから、老人にとってなによりも重要だったのはこの箱では無く、あの棺なのだろうとわかる。

 

 そうだ、なんであろうと、今日も、そして明日も。

 自分は約束を守るのだ、あの、約束を。

 

 夕立はそう自分に言い聞かせて、箱を物置棚に戻す。

 部屋を出る時、夕立は軽く振り返って棺をみる。

 

「これからはずっと一緒ね。少し……うらやましいっぽい」

 

 夕立は軽く皮肉と嫉妬の交じった口調でそういいながら、部屋を後にした。

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 あの後しばらくしてから、夕立は新聞に何処ぞの政治家が汚職で捕まったと、でかでかと書いてあるのを目にした。

 その反面、あれだけ激しい戦闘があったのに、あの日のことは何処にも書いておらず、またあの時の傭兵たちのことも、何処にも書かれていなかった。

 

 ここを狙っていた存在によるなにかしらもみ消しの力が働いたのか、それとも傭兵たちの運がよかったのか。

 

 結局夕立はあの後、老人の遺言通り館にとどまることに決めた。

 特に行く当ても無かったからというのもあるが、新しい身元を用意してくれた恩や、あの時の約束を守りたかったからだ。

 

 戦いのあった次の日から、今までと変わらず、夕立は庭の手入れを開始した。

 わからないことは、本や老人の書いた庭の手入れの日誌のようなものを参考にする。

 

 意外とマメだったようで、必要なことのほとんどは、それから学ぶことはできた。

 

 それとは別に、老人の個人的な日記のようなものもあったが、夕立はそれを読もうとは思わなかった。

 自分とは違う夕立の人生をみるのが、どこか怖いと思う気持ちがあったのかもしれない。

 

 しばらくは館の主人に代わって、庭を守り続ける代わり映えのしない日々が続く。 

 

 

 そして月日は流れる。

 

 

 春が来て、春が終わり。

 夏が来て、夏が終わり。

 秋が来て、秋が終わり。

 冬が来て、冬が終わる。

 

 

 その日、高齢だったハチが老衰で息を引き取った。

 

 ハチは夕立の膝の上で、後は任せるというように、ゆっくりと夕立の顔を舐めて、眠るように逝った。

 零れた涙を舐めてくれたのだと、しばらく経ってから気がついた。

 

 あの日出会ってから、ハチはずっと夕立の涙を拭ってくれていたのだと、ようやく知った。

 

 夕立は庭園にハチを埋めた。

 

 飼い犬を敷地内に埋めるのは、余りいいことではないといわれ、夕立もそれを知っていたのだが、何故かその方がいいと思ったからだ。

 

 夕立はまた一人になった。

 だが、今は役目がある。

 

 それにここを訪れる、変わり者もたまにいる。

 

 あれ以来、カイシャをクビになったチンピラ二人は、夕立の払った金塊を元手に、なんでも屋のようなものを始めたらしく、夕立もたまに庭関係の物資の配達を頼んだり、柵や門の取り換えなどの大きな作業を手伝ってもらった。

 

 縁というのは奇妙なものだ、つくづく思う。

 

 

 春が来て、春が終わり。

 夏が来て、夏が終わり。

 秋が来て、秋が終わり。

 冬が来て、冬が終わる。

 

 

 やがて庭を守り始めてから、何度目かの春が来る。

 春は命が芽吹く時季だ、庭園の管理も手が抜けない。

 

 

「ねーちゃんなにしてんの?」

 

 

 植木の剪定をしている時、そんな声をかけられた。

 見ると、十才くらいの生意気そうな男の子が、脚立の上に立つ夕立を見上げている。

 

 どうやら、どこかからこの庭園に潜り込んで来たらしい。

 

 少年を目にして、夕立の胸が高鳴った。

 その少年が自らの提督であると、艦娘の本能が告げたのだ。

 

「……庭の手入れをしているのよ」

 

「へー、スゲーじゃん」

 

 あまりに突然のことに、どうすればいいのかわからない夕立。

 うるさいくらいに高鳴る胸をおさえ、少年に問いかける。

 

「ところで君は、どこから入って来たの?」

 

「あっち、なんか柵が曲がってたからさ。ところでこの辺にボールとか転がってなかった?」

 

 未知の感覚に戸惑いながら、どうすればいいのかわからず、少年と話をする夕立。

 

 話を聞いていると、先日少年のクラスメイトが、この近くで遊んでいた時、ここにボールが入っていったということを聞いたらしい。

 だが、この屋敷は学校でも有名な幽霊屋敷と呼ばれているらしく、怖くてボールを取りに入れなかったんだとか。

 

「だからさー、そのボールを俺が取ってきてやろうかと思って」

 

 ニシシと、笑う少年。

 

 夕立は先日庭に転がっていたボールを思い出し、自分の提督である少年に、少し待っているようにいって、保管してあったボールを取りに行く。

 

 夕立がボールを手に戻ってくると、手持ち無沙汰で退屈そうにしていた少年の顔がパッと輝き、投げて投げてというふうに手を振る。

 

「もう……」

 

 軽くため息をつきながら苦笑し、夕立はバレーボールほどの大きさのゴムボールを、少年に向かって軽く投げる。

 

「おっ、ナイス」

 

 それなりに距離があったが、ボールは少年の胸の中にフワリと落ちてゆく。

 ボールを受け止めた少年が、思わず称賛の声をあげた。

 

「それっ!」

 

 そして受け止めたボールを、夕立に向かって投げる。

 だがボールはあらぬ方向に飛んで行き、夕立が立っていた場所から、十歩ほど離れた場所に落ちる。

 

「あっ、ゴメン」

 

「……いいよ」

 

 夕立は駆け足でボールが落ちた場所まで行き、拾い上げる。

 そして再びボールを、少年に向かって投げた。

 

 何度も何度も、あまりコントロールのよくない少年の投げるボールが遠くに飛んで行くたびに、夕立は走る。

 

 楽しい、そんな気持ちが湧き上がる。

 何度もボール投げをねだった、ハチの気持ちが少しだけわかった。

 

「くそ~、なんでまっすぐ投げられないんだ」

 

「姿勢が悪いのよ。ほら、こうするの」

 

 何度か投げる動作を少年に見せる夕立。

 しかし中々うまく真似できないようで、何度も首を傾げている。

 

「しょうがないわね」

 

 夕立は少年の後ろに回り、抱きしめるようにして手と腰に手を回す。

 柔らかく、温かい、小さな手のひら。

 

 自分の提督。

 

 優しい波のような感情が、夕立の心に満ちる。

 このまま、抱きしめて一生離したくないという想いが湧き上がる。

 

「ねえちゃんの手、つめたいな!」

 

「そう? 君の手は温かいね……ほら、こうするの、こうやって投げてみなさい」

 

 何度か少年の体を動かして、動きを覚えさせる。

 覚えは悪くないのか、夕立が離れた後に少年がボールを投げると、先ほどよりも遠くにボールが飛んでいった。

 

 夕立はゆっくりとそのボールまで歩いて行き、拾い上げる。

 

「ほら、投げるわよ」

 

「おう!」

 

 それからしばらく、二人はボール投げをしたり、庭園を散歩したり、夕立が暇つぶしに作ったお菓子を食べながら、庭のテラスで休憩したりした。

 

 休憩が終わり、少年がテレビで見たという、水雷戦隊の歴史ドラマごっこがしたいといった。

 

 少年が提督役で、夕立が艦娘役。

 

 と、いっても内容はただのボール遊びだったが。

 夕立が館の壁を蹴って高く飛び、ボールをキャッチした時に少年がいった。

 

 

「すげえなねえちゃん、才能あるよ。艦娘役の」

 

「―――ありがと。君も才能あるよ。提督の」

 

 

 やがて少年と夕立の時間はあっという間に流れ、夕方になる。

 

「ねえちゃん今日すげー楽しかった、また遊んでよ!」

 

 その言葉に夕立は震える。

 自分の提督の願いを叶えたいと、そんな気持ちが湧き上がる。

 

 艦娘の本能が、提督のそばにいたいと叫ぶ。

 

 だが夕立は頭を振って、その想いを振りほどく。

 理由はたくさんある、夕立を恨む存在は世界中にいるだろうし、それに艦連だって、自分の捕縛をまだ諦めてはいない可能性もある。

 

 自分といることで、この大切な提督に危険や迷惑がかかる、そばにはいられない。

 

 それに―――

 

 夕立は振り返って、夕焼けに染まった庭園と、小さな館を見る。

 

 しばらくその風景を見つめた後、夕立は振り返り、自分より背の低い少年、自らの提督と視線を合わせるために屈む。

 

「……もう、ここには来ちゃダメ」

 

「えー! なんでだよー!」

 

「なんでもよ、わかった?」

 

 夕立の拒否の言葉に、ブーブーと不満の声を上げる少年。

 しまいには涙目になって、駄々をこねるように夕立の肩をペシペシと叩き始める。

 

 泣きたいのはこっちだというのに、そう思いながら、夕立は優しく少年の頬を撫でた。

 

「もう、わかったわよ。そうね、じゃあもし、君がどうしようもなくピンチになったり、それかもうどこにも自分の居場所がないなってなったら……ここに来なさい。その時は、ここにかくまってあげるし、ここにずっと居てもいいから」

 

 言葉を紡ぎながら、夕立は本当に泣きそうになる。

 だが、自分の提督に無様なところは見せたくないという思いからか、必死にこらえた。

 

「え? じゃあ、その時はまたここに来てもいいのか!?」

 

「そうね……その時は、ね。だからその時まで、君がいつでも帰ってこれるように、私がここに居てあげるから」

 

「うーん、わかった。じゃあ約束だぜ、それまでねえちゃん、ここで待っててくれよな」

 

 渋々と納得した様子の少年が、小指を出す。

 

「……うん、約束っぽい」

 

 夕立の震える小指が、少年の小指と絡まる。

 

 そして絡まった指の感触を感じつつも、お互い名残惜しそうに離した。

 

 約束だからなともう一度言い残し、少年は正面の門ではなく、入って来た時と同じ、隙間の空いた柵の間から出て行った。

 

「約束っぽい……」

 

 夕立は寂しさと、艦娘の強い提督を求める衝動のようなものが、湧き上がるのを感じた。

 それをぐっと、胸に両手を当てて、夕立は抑え込む。

 

 自分は幸せだ、恩人に居場所をもらって、おまけにその場所で提督にも会えた。

 

 それに―――

 

 

「あったんだ、私の中にも、こんなに温かいものが―――あったん、だ」

 

 

 ずっと探していた、知りたかったもの。

 それを見つけた、ついにそれを知った。

 

 夕立の目から、我慢していた涙が一粒、二粒とこぼれ、止めどなくあふれ出す。

 

 ずっとずっと知りたかった、この胸の躍るような温かい気持ちを、やっと知ることができた。

 

 恩人から貰った、奇跡のように美しいこの場所。

 提督がくれた、奇跡のように温かいこの気持ち。

 

 これがあれば、もう自分は大丈夫だと思えた。

 自分は幸せなんだと思えた。

 

 そうだ、これ以上の幸せはない。

 

 だけど、今日だけは、あと一つだけ、今夜だけは

 

 

 

 ―――夕立、頑張ってず~~~っと待ってたっぽい!

 

 ―――提督さん、褒めて褒めてー♪

 

 

 

 そんな、訪れるはずの無い、幸せな未来の夢をみたいと……

 

 

 日が落ちて、あたりに夜の帳が下りても、夕立はそこにずっと立ち続けていた。

 

 

 春が来て、春が終わり。

 夏が来て、夏が終わり。

 秋が来て、秋が終わり。

 冬が来て、冬が終わる。

 

 

 月日は流れる。

 

 

 奇跡のような美しいその庭に、一人の艦娘はいた。

 長い放浪と戦いの末に、あるじと居場所を手に入れた、とある駆逐艦の艦娘。

 

 白露型駆逐艦 四番艦『夕立』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夕立は、今日も約束の庭で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるじの帰りを待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あるじ』と『駆逐艦:夕立』

おわり

 




 
っぽい!

遅刻したけど本作の一周年記念回っぽい。
いつも『提督をみつけたら』を読んでくださり本当にありがとうございます。
 

三万文字を超える長編の投稿に関しては、分割した方が読みやすいですか?

  • 何文字になろうとも一話にまとめて欲しい
  • そこまで長くなるなら、二分割にして
  • 一万文字ずつくらいで、三分割にして
  • 実は七千文字くらいがいいので、四分割
  • 正直五千文字がベスト、五分割がいいな

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